キューバとの正規ルート交渉が解禁されたことで2014年の6月から加入したキューバNo.1打者。しかもイケメン。
攻守ともにメジャーレベルと言われる実力を如何なく発揮し終盤までCS争いを演じる立役者となった。
15年にはシーズン初頭から来日予定となっており期待されていたが、持ち前の我儘ぶりを発揮し来日拒否という事態に。
シーズン開幕直後に契約解除という後味の悪い結末を迎える事になってしまった。
弟も制限選手でわざわざ契約したが、兄が契約解除によりシーズンオフに契約解除に。
現在は亡命しメジャーリーグのアストロズでプレー。2017年、報ステのメジャー特集で「熱盛走塁」として取り上げられ「アイラブハポン、アイラブヨコハマ」と語ったほか、やはりベイスターズの結果を気にしているらしい。
…しかしWSでホームランを打ったダルビッシュに人種差別的な煽りをやらかしたことでベイファン以外にもその名が知られる存在にもなってしまったが…
多村と同じ横浜黄金期最終年の2000年から1軍に定着していたミスターベイスターズ。
新人王・首位打者の同時獲得経験もある球界屈指のスイッチヒッターであったが、近年は成績の低下に伴い代打起用が主に。
14年オフに出場機会を求めFA宣言。16年間在籍したベイスターズに別れを告げ、読売ジャイアンツへ移籍。
サヨナラヒット8本は球団記録タイ。ハマの風に乗った男の超スーパープレイは、横浜ファンの心に焼き付いていることだろう。
15年は巨人で序盤は先発を張るほどだったが、ケガで二軍落ちして以降振るわず引退。巨人で新設された三軍で打撃コーチをすることに。
項目参照。
DeNAになってからのチームキャプテンを務めたため、愛称はキャップ。15年からは元キャップ。
なお、チームへの所属期間が最も長い選手でもあった。横高出身。
阪神の育成選手から這い上がった助っ人三塁手。入団当時の監督である岡田を慕いオリックスへ移籍し活躍したが契約満了に伴い退団。
14年よりベイスターズに移籍。春先は本塁打量産と自身初の20本塁打も期待されたが後半は調子を落とした。
この方も強肩、愛称はバルさん。断じてバルディオスではない。
15年も似たような活躍だったが退団が決定。
巨人時代、上原・由伸との同学年トリオで活躍したベテラン左腕。かつては酔うと暴れてしまう癖があり、2000年・2002年の優勝時にはカメラの前で尻を丸出ししたためネットでの愛称は尻。
3AからDeNAに入団し左腕先発としての働きを期待されたが、勝ちを挙げられないなど期待に応えられず、15年をもって引退。
しかし先輩役としては優秀で、外人助っ人の話し相手をしたり若手左腕の成長を促したりといい影響を与えていた。
項目参照。スペランカーにしてマシンガン打線の生き残り。トレードでソフトバンクに行ったが吉村や江尻と交換でまた戻ってきてくれた。
WBC第1回大会の活躍でキューバ国内では神のような扱いをされているとか…グリエルも多村には特別な意識を持っている。
2015年戦力外で中日に育成で入団するも、16年オフに引退を表明。
13年途中西武から移籍した俺達構成員「長者」にして松坂世代の鎌倉学園のエース。当初はあまり期待されていなかったがベイスターズに来てからは好投を連発。
「打率はしょせん3割」と公言する強メンタルの持ち主。他人のランナーを返そうが四球を連発して結果的に一番対戦して欲しくない主砲と対戦することになろうが気にしない。
火消し役として貢献してきたが、2016年シーズンは何かを思い出したのか炎上を連発。
代わりに須田が台頭してきたこともあってかオフに戦力外通告を受け、独立リーグで野球を続けたが17年に引退。
DeNA初年度のシーズン途中に藤田とのトレードで
楽天から移籍してきた二塁手。身長163cmと現役としては最小タイ。
俊足の持ち主で守備も問題なくこなすが、打撃に関してはパワー不足。
代走や守備固めとして起用されることが多かった。
怪我して以降肝心の守備も危うくなったこと、白崎や宮崎の台頭もあってか2016年シーズンは1試合も出場できずオフに戦力外通告を受けた。
横浜時代末期の尾花政権時に元教え子としてソフトバンクから移籍。
二軍ではかなりの成績を残しているが怪我などもありなかなか一軍には定着できない。
右の代打枠として主に起用されていた。
2016年に戦力外通告を受け球団職員となったがいろいろあって翌年退職。
14年入団の助っ人外人投手。メジャー時代はフライPであり、打者天国の横浜スタジアムでどうなるかと戦々恐々だったが
14年中盤から安定したピッチングを続け二桁勝利はならなかったものの9勝をマーク。球団の外国人投手史上最多勝を挙げる活躍を見せた。
しかし15年はやや不安定化。中継ぎ起用もされたが結果を残せず、ローテーションを守ることができなかった。
16年は出だし好調だったものの夏場になり不調で二軍落ち。
終盤に一軍に戻り1勝を挙げるもこの年で退団し、今後は母国ベネズエラのプロ野球チームに入団する事に。
親が元力士のためあだ名はどすこい。
150kmを超えるストレートと鋭く落ちるフォークが持ち味で、本人曰く150球投げられるというトンデモスタミナの持ち主だが、メンタルが今一つ。
横浜時代末期から抑えを務め、最年少100Sを獲得するなど活躍したが1イニング9失点をしてしまうなど守護神失格の烙印を押される。
14年先発に再転向し、月間MVPを獲得するなど活躍したが、15年は不安定な投球が続き成績は伸びず。投手陣崩壊の一因となってしまった。
16年もローテの一角。調子がいい時は相手を寄せ付けず、5完投3完封を記録するなどエース級の活躍を見せる。また調子が悪い時も大崩れしにくくなったりと成長を見せつけ、キャリア初の2ケタ勝利を達成した。
ただ何故か肝心なとき(開幕、AS前、シーズン終盤)に怪我で離脱。結果的に中継ぎ(と井納)の負担を増やしてしまった。またこの離脱の影響でCSには出れず、規定投球回にも僅かに届かなかった。
オフにFA宣言し、巨人に移籍した…のはいいのだが、1年目に暴力沙汰を起こしてしまったことから半分黒歴史扱いされてしまっていた。
大きくミソを付けてしまったものの、18年は平成最後のノーヒットノーランを達成し、9勝9敗1セーブ1ホールドと活躍。
続く19年も15勝4敗というキャリアハイの成績を記録し、最多勝利、最多奪三振、最高勝率、ベストナインを獲得するなど大活躍した。
19年オフに球団初のポスティングシステムを利用してアメリカ大リーグトロント・ブルージェイズへ移籍。
しかし、初登坂でのピッチングでサヨナラヒットを打たれるなど活躍できず、8月に復調し防御率1点台をマークするなどしたもののオフに戦力外通告を受ける。
21年はサンフランシスコ・ジャイアンツ傘下の球団で開幕を迎えたが全く活躍できず、契約を破棄する形でシーズン途中での無念の帰国となってしまった。
その後、古巣である巨人に復帰したものの22年オフに戦力外となった。
地元出身の強肩捕手。最初は幼い頃野球教室で約束をした三浦専属捕手だったが他の正捕手候補が脱落し1軍入り。
2013年は夏場に高城と入れ替わりで1年ぶりに1軍に戻ると打撃で急成長を見せた。
鶴岡が抜けた2014年は正捕手として期待されたが2015年は一転して不調になり、高城、嶺井とどんぐり状態に。2016年はこの年入団の戸柱に完全に枠を奪われ一軍出場がなく、2017年は一軍登録すらされなかった所日本ハムにトレードされた。
ちなみに、
モバマスのユッキの中の人お気に入りの選手。
チーム屈指の守備力を誇る遊撃手。
内野のユーティリティであり、緊急時には捕手もできるためバックアップ役として働いている。
しかし打撃面では期待できず、なかなかスタメンには定着できず、故障した際に若手に出番を奪われ17年オフに戦力外通告。
その後、大和流出の保険として阪神が獲得した。
横浜時代末期は中継ぎと先発で1年ずつ1軍帯同を果たしDeNA初年度の開幕投手を任されたかつてのドラ1右腕。
初年度は激しい無援護に悩まされながらもチーム最多勝(5勝)を挙げ三浦に代わるエース候補といわれたが近年は今一つ。
高めに浮いた球を痛打されることが多く「高さ危険太郎」というあだ名もつけられてしまっている。
16年は痛風の影響があってか一軍での登板は無く、17年は開幕直後に1試合だけ登板するも炎上し二軍落ち。戦力外通告を受け引退を表明した。
ロッテ・阪神とコンスタントに活躍したベテラン右腕。起用法の不一致と中畑の口説きによって2014年に阪神からFAで移籍。
好投と炎上がはっきりしているきらいはあるものの、シーズン通して安定した成績を残し若手の多いベイスターズ先発の柱となった。
14年度は最多勝を争う12勝、15年も勝ち頭の8勝を挙げ、球団史上でもトップクラスのFA移籍成功例となった。
16年は先発陣が崩れかけた交流戦近辺で投手陣を支えたものの、後半は他の先発の充実もあり出番が減少。17年も似たような活躍で、5点台の防御率に比べ援護率が9点台と異常な程に援護が貰えたため4勝したもののやはり後半戦には出番が減少。内容の悪さに加え本人が出場機会を求め退団となった。
巨人・日ハムと中継ぎで活躍したイケメン左腕。
怪我と不振が重なり日ハムを解雇されたところを拾われた。
全盛期の力は無くなったがDeNA3年間では12・14年と隔年で1軍に帯同。しかし15年以降は若手左腕の台頭で出場機会を失い、17年オフに戦力外通告を受けた。
DeNA初年度は1年目の酷使からまずまずの成績に終わったが13年・14年は復調。
今にも倒れそうな顔から繰り出される投球でリリーフで1番安定していた左腕。
11年7月以来無敗という地味に凄い記録を持っていたが、2014年8月1日の試合で敗戦投手に。無敗記録は歴代3位タイの169試合で途切れる事となった。
15年以降は酷使が祟って成績が悪化。更に砂田、田中健などが台頭し、二軍暮らしが続き戦力外通告を受け、引退を表明した。
怪我に悩まされることが多かったが、2015年はシーズン序盤から救援陣の一角を担う存在に。
しかしやはりというか中盤以降は仕事ができなかった。
2016年も中継ぎ事情の厳しかった夏場に昇格しそこそこ仕事していたが敬遠球を暴投するなど散々に炎上した翌日に二軍落ちしそのままシーズンを終えた。
2017年は二軍相手にも炎上するなど散々で、年齢の問題もあってか戦力外通告を受け引退。球団職員となった。
横須賀四天王の一人。
近鉄最後の4番にして2007年には中日で日本シリーズMVPを獲得したジャーニーマン。横浜にはTBS最終年シーズン途中に加入。
楽天時代以来衰えが出ていたものの、DeNA初年度に復活。ラミレスなどと共に打線を支え2013年に2000安打を達成。しかし中畑監督との関係が悪化した2014年オフに解雇。これを受けてか生涯現役宣言をしているほか、静岡県の高校の野球部で非常勤コーチをしている。
なお、16年のCS1stは藤田一也などと同じく東京ドームに駆けつけた。
豪快な打撃の陰に隠れがちだが実はゴールデングラブ賞を7度受賞するなど特にサードの守備に定評がある。近鉄時代には4番ショートを何度かやったこともあり、横浜ではセカンドで出場したこともあるが、ファーストでの起用がメインだった。
中日で2度の優勝に貢献した助っ人。
高木守道からとんでもない事を言われた結果ソト・ソーサとともに移籍してきた。
移籍1年目の2013年は首位打者と打点王(NPB歴代8位)と二冠で60本バレンティンの三冠を阻止。しかし、翌年は怪我に悩まされ退団しオリックスへ。しかしさらに怪我が深刻化、2016年に去っていった。
パワーある打撃が魅力だがエラー2桁がデフォという守備難とスペ体質がネックの選手だった。
2009年のドラフト1位外野手。
早稲田大学黄金期の主軸として同年のドラフトNo.1野手との呼び声が高く新人開幕スタメンを果たすが、調子の波が激しく1軍2軍を行ったり来たり。
15年より背番号が6→61に変更するも、その後も伸び悩み2017年に戦力外に。
現在は社会人野球かずさマジックの主軸バッターとして活躍
12年ドラフト1位内野手。初年度より一軍帯同するなど期待をかけられる。
守備は上手いながらもメンタルが課題であり、特に一度ミスすると続けてミスしてしまう不安定さが問題。正遊撃手の座を掴みとれていない原因である。
15年は6本塁打で9打点、得点圏打率は.040というまるで古木のような成績を残してしまった。
プロ入りから通算13本連続でホームランがレフトへのソロという凄いんだかよく分からない記録を持つ。
16年は主にサードを守っている。守備は中々上手いが打撃は相変わらず。
17年は宮崎のレギュラー起用により控えに回ることが多かったが、日本シリーズ第6戦にDHでスタメン起用され同点となるホームランを放った。勿論内容は
レフトへのソロホームランである。
18年は二軍でも精彩を欠き、一度も一軍に昇格機会がないまま7月9日に高城と共に
オリックス・バファローズの伊藤光捕手、赤間謙投手との2対2トレードが発表された。
その後、20年にオリックスから戦力外通告を受け、21年に独立リーグ・大分B-リングスに選手兼任コーチとして入団。
22年オフに現役引退を発表し、コーチも退任となった。
2016年シーズン途中に加入した俊足のスイッチヒッター。ロペス程ではないがメジャー経験もある。
本職の二塁手に加えて三塁手、遊撃手、外野も守れるユーティリティプレイヤーでもあり、入団直後は三塁手としての起用が多かったが、送球の精度がそこまで良くなかったこと、宮崎が三塁手としてそれなりの守備をするようになった事からシーズン後半は二塁手としての出場が中心になった。
2017年は不振で、さらにエスコバーの勝ちパ定着で外国人枠がなくなったことがトドメとなり退団となった。
打撃面では右打席での打率がイマイチだが、得点圏に異常に強く、得点圏打率は筒香、桑原に次ぐ。またNPB初本塁打も満塁弾だった。
ヤクルト戦にも強く、2016年の公式戦での本塁打はすべてヤクルト戦でのものだった。
2017年入団の助っ人先発。
入団当初は「以前所属していたウォーランドに名前が似ている」「顔がハズレ外人っぽい」と散々な評価だったがシーズン開始後は好投を連発。
一方でムエンゴ、中継ぎに勝ちを消される等々の理由で勝ち星には恵まれていないが、一方で負けることも少なかったため、球団史上初の外国人投手2桁勝利を達成した。
しかし翌年は一転不調に陥りあまり勝てず。外国人枠がカッツカツだったこともあってか自由契約となった。
元々二塁手をやっていたからかジエンゴに定評があり、2年間で本塁打を4本放っている。2017年日本シリーズでは先発の予定が無い日も「代打要因兼緊急時登板」という理由でずっとベンチ入り。2018年は本当に捕手である嶺井の代打として出場している。
2017年は特に広島を打撃でボッコボコにしていたからか、クライマックスシリーズで対広島の野手打撃成績表をTVが出した際に何か普通にいる、球場最寄り駅の掲示板に明らかにウィーランドの対広島打撃成績載せた上で「代打はやめてね」と懇願した広告が載るなどもはや投手ではない扱いを受けていた。
15年に入団。主に中継ぎで活躍していたが、こちらもビハインドでは強いが接戦時にやらかしがち。特に2016年の4月はそれが顕著だった。
横須賀四天王の一人。
ベストナイン2回、ゴールデングラブ賞1回と輝かしい実績を持った元ヤクルトの二塁手。
トリプルスリー男山田の台頭もあってか出番が激減し、コーチ就任要請を蹴って戦力外通告を受けたところを拾われた。
専ら左投手スタメン時に起用される。チームにおける数少ない小技の出来る打者として貢献。
67という大きな背番号はヤクルト時代慕っていた
宮本慎也の6とヤクルト時代の自らの背番号7に由来。入団の際にはわざわざ空いているか聞いたらしい。
色々課題だらけだがひとまず二塁手が固まりそうな事と打撃面が大和と丸被りとなったせいか2018年限りで戦力外。そのまま引退となった。
引退後は
ツイッタラー解説者になった様子。
育成選手。本名は山本武白志で、巨人やロッテで活躍した山本功児の息子。
しかし功児は武白志が小学4年生の頃に心不全を発症しており、武白志の入団翌年の2016年に亡くなってしまった。
大和と並べたいのでぜひとも活躍して欲しかったのだが、夢叶わず戦力外になった。
横浜最終年終盤からスタメンになった俊足強肩の外野手。
肩と守備範囲に定評があり、2年連続ゴールデングラブ賞を獲得した優秀なセンターではある。
しかし守備以外は個人主義で、特に俊足を活かそうと暴走し空回りする場面が目立つ。
その上ここ数年は怪我にも悩まされてなかなか定着できず、2018年限りで戦力外となった。
この人も横高ブランドの一人。
DeNA初年度に西武から移籍してきた98年春夏連覇の横浜高校4番打者。愛称はゴメス。
西武時代は良い年と悪い年の差が激しかったがDeNA移籍後は代打・一塁の控えとして大活躍。
得点圏打率・代打出場時の打率が高い、まさに代打の切り札。
「ゴメス」という愛称によほど愛着があるのか、2015年より登録名を「後藤武敏G.(ゴメス)」に、背中のネームを「GOMEZ」に変更。2016年は登録名を「後藤 G 武敏」、17年は「G 後藤 武敏」としている。
2018年限りで戦力外になったが、楽天の打撃コーチに就任した。
育成から上がった俊足の捕手。足を生かすために外野も挑戦中。
14年は山口のトンでもないスッポヌケをキャッチしゴールキーパー西森とも呼ばれた。
17年は広島の岩本の八艘飛びの被害を食らい脳震盪を起こした高城の代わりに一軍に。代走要員がメインだった。
2019年限りで戦力外に。
1年目から1軍に帯同するサイドスロー右腕。割れた腹筋がチャームポイント。
対外人右バッターへのワンポイント。バレンティン絶対抑えるマンと呼ばれるほど右に強いが左打者相手にはバッピになってしまうほど極端。
加賀が打たれたら加賀よりも起用した方が悪いとまで言われるほどの最終兵器。近年は怪我に悩まされることが多い。
ちなみに入団初年度は規定投球回に到達し防御率3.66ながら3勝12敗という援護運のなさを見せつけた。
16年に復活。どういう訳か右打者の方が苦手になっており、17年には今まで抑えていたバレンティンに攻略されホームランを浴びるなど苦労しているが、逆に左打者はきっちり抑えている。
引退する時にはバレンティンからビデオメッセージを貰っている。
松本やハンカチ王子斎藤らと共に活躍した早稲田大学黄金期のエース。JFE東日本を経て横浜最終年のドラ1で入団。
先発で6勝したシーズンもあったが伸び悩み、現在は長田の後を継いで中継ぎとしてなかなか頼れる存在に。
16年は勝ち継投とピッチャーが崩れかけた時に登板し見事な火消し役として活躍。
しかし登板62試合目に脚を痛めてしまい球団初のCSでの登板はお預け…と思ったら脅威の速度で復帰。
CSファイナルで2試合を投げ、ここでもしっかり仕事を果たしたが、その際の無理が祟り17年は開幕カードでのヤクルト・鵜久森にサヨナラ満塁弾を被弾するなど低迷。ウィーランドのリリーフで神ピッチを見せたりもしたが、交流戦頃に二軍に落ちて以降はシーズン終盤まで一軍に上がれなかった。
18年も狂った歯車は戻らず、オフに戦力外に。
しかしJFE東日本に復帰した19年に復活を果たし、都市対抗野球で5試合登板・4勝と大車輪の活躍でチームを日本一に導いた。そして元プロ選手としては初となる橋戸賞を受賞。
21年シーズンを最後に現役引退。22年からは社業に専念する傍ら休日を中心に横浜商科大学で非常勤投手コーチとして後進育成に努めている。
打撃やフィールディングに定評がある。その為か先発で伸び悩んでた時期には野手転向も噂されていた。
なんJでは専用のネタスレ「スッダレ」の主人公としても人気。
ちなみに漫画家の大和田秀樹とはは親戚(大和田のいとこの子供が須田)。
「須田会」なる球界最小と称する派閥を結成しており、2017年の活動はランチにパンケーキを食べに行った1回だけ。
メンバーは西森・乙坂・二軍コーチになった鶴岡(通称雨岡)。単に二軍で作った友達では・・・戦力外と共に乙坂一人になったので
消滅したと思われる。
かつてイチローの同僚でもあった元メジャーリーガー。
MLBでも1000本以上の安打を残し、オールスター出場経験もあり実力は確か。
2013年に巨人へ入団。好成績を残したものの球団のチーム編成事情などから2014年オフに放出され、ベイスターズへ移籍。
MLBでは二塁の名手で鳴らした守備は本物で、一塁手としてベイスターズの失策数減少に大いに貢献した。打撃面でもチーム最多本塁打を放つなど心強い存在となった。
16年は開幕直後と8月に大不振に陥り、また6月に怪我で離脱するなど不安定だったが好調な時期に本塁打を量産。自身初の30号・90打点に到達した。17年は年間を通して好調で、3割・30本・100打点をクリア。自身初の打撃タイトルである最多安打と打点王を獲得した。
なお15年にNPBのオールスターゲームにも出場しており、NPBMLB双方のオールスターゲームに出場した数少ない人物だったりする。
兄貴分であり、キャプテンである筒香から全幅の信頼を受け、投手会をやっていることを知り内野会を行うなどチームの精神的支柱でもある。
しかし徐々に衰えは隠しきれず、NPB通算1000安打の記録を達成した2020年限りで退団。
2017年に入団した元メジャーリーガー。その名前から愛称は「将軍」。
打ち込まれたり四球を与えたりすることも多いが奪三振率が高い速球派。
当初は砂田や三上へ繋ぐセットアッパーとしての役割を期待されたが、山﨑が出遅れたことで急遽クローザーを務めることに。劇場やそこからの炎上も目立ったが緊急クローザーの役割を果たし、5月半ばにセットアッパーに戻った。
なお、なんJ・おんJでは名前に掛けた「パットン戦車団」スレが案の定登板毎に立ち盛り上がっている。
2020年をもって退団。
横浜最終年後半に育成上がりの剛腕高卒2年目という
ロマンの塊を見せたハーフ。
現在は主に中継ぎで起用される。ビハインド時には好投するが、同点やリード時には致命的な失点をしてしまうことも。
素晴らしい速球を持ち、鋭く落ちるフォークも併せ持つ逸材ではあるが、ランナーを出すと途端に不安定になるメンタルの弱さが
弱点。またコントロールも悪く投手相手に四球を出してから崩れるのは最早
お約束と化してしまっている。サヨナラ暴投という不名誉な記録もつくってしまった。
横須賀四天王の一員。なおこの横須賀四天王、
西武の
俺達を知る人々からは俺達より俺達してると評判に。
大家コーチの指導で速球は161キロにまで速くなり、カットとツーシームを取得するなど凄まじいパワーアップを遂げた。
2021年のシーズン途中に有吉優樹とのトレードで千葉ロッテマリーンズに移籍。
項目参照。現キャプテン。
横浜高校最強の4番→
日本の4番。
本名は星…ではなく松井飛雄馬。これはこれですごく巨人ぽい。しかし野手なので
大リーグボールは投げないし
巨人の星も見たり読んだりしたことはない。
[[ていうかこの名前いわゆるアレじゃ…>DQNネーム]]
父親も元
ロッテの選手で、飛雄馬の名前は巨人の星のファンだった母が付けたという野球一家の出身。
しかし目立った活躍がなく、ファンからは進退を危ぶまれていたが予想通り2020年に戦力外通告を受け、その後は球団職員に転身する。
13年のドラ3で入団。謎行動が多いことからあだ名は宇宙人。
初年度後半から覚醒し、14年には11勝をマーク。ばんてふ以外の生え抜き投手では12年前の吉見以来の二桁勝利投手となった。
安定してローテを守り続けているが、他球団のエース格とのマッチアップが多かったり打線と噛み合わなかったりしてなかなか勝ち星は伸びず。16年には二桁敗北を喫してしまった。
しかし開幕戦などの節目の試合には非常に強い。16年CSファイナルにおける唯一の勝利も井納先発試合だった。
なお、16年・17年と二年連続でASに負傷者補欠で出場(それぞれ山口・濱口)という珍記録を作っている。
18年はロングリリーフとして救援に回るものの、5月以降は救援失敗が増え、結局二軍で調整した後に先発として復帰。なお、この間の二軍での試合でノーヒットノーランを達成している。
その後もそれなりに使われて活躍していたが、2020年オフに梶谷と共に巨人へFA移籍し、移籍後は頭部
破裂などのケガを負うなど当初ネタにされた。
先発、救援と大車輪の活躍を期待されるも期待通りの活躍が出来ず、2021年はわずか5試合の登板に終わる。
2022年も苦しいピッチングが続き、6月22日のDeNA戦では一球もストライクが入らずに四球を出して1アウトも取れずに降板。
この時、
ラジオで解説を務めていた谷繁元信氏から
「これはもう井納の野球人生が終わりに近づくような、そういう4球だったと思いますよ」「あの状態だとまずもう厳しいですよね、一軍で投げるのは」と、厳しい意見を述べられてしまった。
その後は一時調子を上げた事もあったが一軍に定着には至らず、戦力外となった。
脅威的な身体能力でトリプルスリーに近い男とも言われる逸材。DeNA初年度から中畑監督に目をかけられ、常に一軍帯同していた。
元々内野手であったがセカンドやサードで消えるなど致命的なやらかしを何度も繰り返し、14年から外野手に転向。しかし外野手になった後はライトで消えた後の打席で打球を場外まで飛ばして消したことも。
14年盗塁王を獲得するほどの俊足で、センター前の打球で二塁を陥れたり相手の敬遠中に三盗するなど走塁意識も高い。またハマスタ場外まで飛ばすパワーも持っているが一方で異常なまでに三振が多いため、例年打率が伸び悩んでいる。
16年は肉体改造の結果故障し開幕に間に合わなかったものの5月に復帰。6月中は不調だったものの夏前からは復調している。
CSではファースト第3戦で手に死球を受け、その後薬指の骨折と判明したがファイナルにも強行出場。その状態でダイビングキャッチをしたりHRを放ったりと不調だった筒香に代わって気を吐いていた。
17年は球団39年ぶりの20-20を達成。また本塁打数は自己最高となった。
18年はキャンプ時から右肩痛や腰痛に悩まされ二軍スタート。新人の神里の好調やソトの活躍で外野も定位置とは言えなくなる。一軍復帰後は力強い打撃も見せたものの、死球による骨折と右肩のクリーニング手術のため夏以降は出場なし。
2020年オフに井納と共に巨人へFA移籍。
リードオフマンとして期待され、開幕当初は活躍したが5月に左太ももを負傷したのを皮切りに骨折や腰痛などの故障を繰り返して満足のいく結果は残せず。
2022年も前年の手術の影響で開幕に間に合わず、さらに新たに左膝の手術をする事になって一軍出場なしに終わり、オフには育成契約となってしまった。
横高ブランドの外野手。アメリカ人とのハーフであり、フルネームは乙坂・ルーセロ・智・ニコラス。横高出身。
横浜育ち(生まれは福井県)ということもあり、生粋の横浜ファン。ドラフト時は「横浜以外の指名は拒否」と規約ギリギリの発言をしたり、生涯ベイスターズを宣言している。
高卒三年目にして一軍初昇格。代打での出場となったプロ初打席でプロ初HRを放つ。
国際野球
オタクであり、グリエル入団決定時は「マジかよぉぉぉ!」と叫んだとか。やや脳筋ぽい発言も多い。
16年は「下園は出したくないが重要な場面」で出される代打として起用されており、まずまずの成績だったが後藤の復帰に伴い二軍落ち。
しかし17年は代打要員兼筒香の守備固めで一軍帯同。オフは
メキシコのウィンターリーグでヒーローになる活躍を見せた。
19年は台湾で謎の高評価を受けるなど、何故か国外での受けが良い。そのうち世界に羽ばたくかもしれない。
2021年にコロナ関連でやらかした末に戦力外通告、その後はメキシカンリーグに活躍の舞台を移している。
今季4年目
新潟県出身右腕。
ラミレス・中畑両監督が将来性を高く評価し、2017年は先発8試合で1勝3敗防御率4点台前半ではあったがムエンゴを複数回やり先発6番手の役目を果たす。
2021年限りで戦力外通告、引退して球団職員となる。
2014年入団の社会人ルーキー。横高出身。本職は三塁だが新人ながら遊撃守備を評価され、球団44年ぶりの新人遊撃手スタメン出場を果たす。
遊撃手としては新人ながらチーム最多出場。守備範囲が狭く送球にも少々難がある。また、打撃に守備が引っ張られる傾向があり打撃不調の際は守備もお粗末になってしまう。
16年は打撃スタイルを大きく変更。前年の首位打者川端を参考に、パワーよりミートを重視した打撃フォームに変更しヒットを量産し、チーム最多安打を放った。
しかし17年は極度の不調で、開幕から2ヶ月程は置物同然という散々な状態に陥ったが、ラミレス監督が9番に置いたことが幸いしてかシーズンが進むにつれ復調。巨人のマギーに次ぐリーグ2位の高い得点圏打率をマークし「恐怖の9番打者」としてチームの2年連続のCS出場に貢献した。
ただし守備の方ではかなり足を引っ張ってしまい、日本シリーズも含め肝心な所で大きなミスをしてしまうなどとても褒められるものではなかった。
2018年は大和の加入により二塁手で主に出場。遊撃手ほど守備範囲を求められるポジションではないため守備に関しては数値上向上したものの、やはり大きなやらかしは健在。
勝負強い打撃も鳴りをひそめてしまい後輩の柴田に出番を奪われる事も多かった。
ちなみに足は速そうに見えるが実はそこまででもない。
何故かパワプロ2018では守備力E捕球Cに設定されているがプレイヤーからは「もっと低いレベル」と言われている。
守備はとにかく打撃面すら落ち続けてしまい、2022年に戦力外通告となってしまい退団した。
14年に入団。元々三塁手だったが高校3年生になって投手に転向するという変わった経歴の持ち主。
甲子園にも三塁手として出場している。
スリークォーターとサイドスローを状況に応じて使い分けるという変わった投球スタイルからの微妙な変化をするストレートとスライダーが持ち味。
抑えを任されるような投手に不足していたベイスターズに
彗星の如くやってきた救世主として、ルーキーながら4月下旬から守護神となり、オールスターにも選出。
終盤は疲れが見えてきたかセーブ失敗も増えたものの、最終戦ではしっかり抑え当時の球団新人最多となる21セーブをマーク。翌年後輩に更新されたが。
2015年は新球習得の際に肘を壊して離脱。抑えの座も後輩に譲ったが、終盤に一軍に復帰し、今度はセットアッパーとして変わらぬ安定感を見せ、以降も変わらずセットアッパーとして活躍。
しかし2016年後半から抑える試合と炎上する試合がはっきりしだしているのが悩みで、17年には便利屋に配置転換された。
それなりの成績を出し続けていたが球団内での立ち位置に対する年齢で見切られたのか、2022年で戦力外通告。
2017年ドラフト7巡目で指名された経歴以外全てが謎の社会人選手。
おそらく多くのスカウトやドラフトオタクでさえノーマークだったのだろう、内野手なのに外野練習してたという話もありポジションさえも謎。
多分誰かは知っているでしょう、ですがその他一切のことはわかりません!
ルーキーながらオープン戦の謎の活躍で開幕一軍登録され、2018年シーズン中は代走要因をしたかと思ったら初打席初アーチを打ったり二戦連発したりグラブをふっ飛ばしたりとこれまた謎な活躍をした。
しかし、二軍の好成績に反して二軍では全く結果を出せない状況に見切りを付けられたらしく、2022年に戦力外通告。
初年度の夏場にお試しで1軍に上げたら好リードを見せたため高卒1年目から1軍に名を連ねる逸材。
黒羽根と同レベルの肩と高校通算本塁打も多く素材はいいのだが3年連続打率1割台とバットに当たらないのが最大のネック。
2015年も一時期期待されたが結果は残せず。
2016年は主に山口の専属の捕手として年間を通して1軍に帯同。戸柱の影響からかキャッチング技術が見違える程に向上したものの打撃は相変わらず。
2017年は山口が移籍したので立場が危ぶまれることに…
と思いきや新たに入団した濱口の専属捕手として1軍帯同している。ただチームでの扱いは3番手に降格した。
18年は濱口専属捕手以外にも戸柱、嶺井の不調時などスタメン機会が増えたもののアピールしきれず、白崎と共にシーズン途中オリックスへトレードされた。
しかし大して使われることもなく、20年オフに戦力外にされたところを拾われ出戻りするが活躍する力は既に持っておらず、2022年で戦力外通告の後に引退。
14年入団の若手捕手であり大学時代の山﨑の女房役。プロ初安打がサヨナラタイムリー三塁打となる。
若手ながら強気なリードとパンチのある打撃を見せ、正捕手候補として期待されている。
しかし肩は強い方ではなく、またキャッチングにやや難がありバッテリーエラーも多い。
15年の中盤から正捕手として活躍していたが、終盤のエラー等が原因で送球イップスになり、
16年は正捕手のマスクを戸柱に、第二捕手(どすこい専門)のマスクを高城に譲ることになる。
しかし、二軍でも腐らず(ファーム最終戦後も)一人で黙々と練習し続け、
巨人とCSファイナルステージをかけた大舞台で、延長11回表にフェンス直撃の勝ち越しタイムリーを放った。
結果これが決勝点となり、最後は山﨑との亜大バッテリーで試合を締め括った。
この活躍が評価され17年は代打要員兼二番手捕手として一軍帯同。相変わらずの打力に加え守備も改善されしっかり役目を果たしている。
2022年シーズンオフに正捕手甲斐拓也の不振と二番手以降の捕手事情に苦しむ福岡ソフトバンクホークスにFA移籍して退団。
13年ドラフトで育成選手として入団した左腕。二軍で安定した成績を残し、15年6月に支配下登録。
プロ4戦目で初勝利を挙げる。ベイスターズでの先発左腕に勝利がつくのは13年9月以来、657日ぶりとなった。
16年も当初は先発ローテに入っていたが、同僚左腕の石田、今永の活躍が目覚ましかった一方で自身は思うように勝てなかった為シーズン途中から中継ぎに転向。17年は完全に中継ぎに専念している。
2022年オフに京田陽太とのトレードで中日ドラゴンズに移籍。
17年の高卒ルーキー。「二刀流」を期待されたがプロでは外野一本に専念。
1年目から二軍で多くの打席を与えられ、ぶっちぎりの三振王と2桁本塁打を記録。
チームの順位が確定した最終2試合には一軍出場。初打席初本塁打を含む2本塁打を放ち、鮮烈なデビューとなった。
この活躍が認められてCSでは代打要因で一軍帯同。第5戦で山田哲人以来となる高卒新人でのCS安打を放った。
その後日本シリーズにも帯同し、高卒新人野手では初めて日本シリーズ初打席初安打を達成。高卒新人野手がCSと日本シリーズで安打を放つのも初である。(ちなみに工藤公康が高卒新人
投手としては日本シリーズ初打席初安打を記録している)
ところがその後はロマンを抱かれるだけの存在となり、2022年オフに初開催された
現役ドラフトによって中日ドラゴンズに譲渡される。
すると、遂にその素質を開化させて大活躍。
5月の月間MVPと月間JERAセ・リーグAWARDを受賞してオールスターにも出場。
成績も全てにおいて最高の数字を記録し、阪神の大竹と並ぶ現役ドラフト最高の成功として高く評価された。
15年のドラフト1位で、この年の大学No1左腕と言われていたが怪我持ちのおかげか奇跡の一本釣りに成功した。当初は不安視されたがオープン戦で結果を残し、ラミレス監督直々にハマスタ開幕戦で先発に指名された。
初速と終速の差が短い伸びのあるストレートと、打者の胸元をえぐるクロスファイヤーで三振を積み重ね好投を続けるが、援護に恵まれず初勝利が遠かった。
交流戦時期に調子を落とすが、7月末に一軍復帰し終盤までローテの一角を支え、CS決定試合の勝利投手となった。
試合後のコメントが新人らしからぬプロ意識の高さに溢れていると評判。
飛翔癖があり、1シーズンに2人もの打者にプロ初HRを献上している。
17年はハマスタでの登板時に炎上が多かったがビジター球場では好投。完投力もつけ、完封勝利2つを含む11勝を挙げた。その後もチームのエースとして活躍し、2024年からはポスティング制度でMLBシカゴ・カブスへと旅立って行った。
黒羽根と交換で日ハムからやって来た外国人中継ぎ。150キロを越す速球が持ち味の左腕。
先発としての役割も期待されたものの3回抑えてその後ボロクソに燃えるという結果を残したためやっぱり中継ぎに。
無尽蔵の回復力を武器に平田共々お疲れモードの中継ぎ陣を支えるためハイペースで登板。
勝ちパターンに収まっておりハム時代を知るファンからはなぜこんな信頼されるのか分からないと言わしめている。
なお、横浜に来てから球速は160キロにまで上昇。左の160ともなれば打ち返すのは困難である。
2023年までチームに欠かせない左腕リリーバーとして活躍していたが、2023年に不振で自由契約となり、
2024年にシカゴ・カブスとマイナー契約を結んだ。
ちなみに、エスコバーの父はラミレスの
アメリカ時代のコーチで、親族にも野球選手が非常に多い。
自身もMLBで活躍していたいとこの一人ケルビムに憧れて投手を志しており、アルシデスはヤクルトに入団し、実弟エルビスも日本の独立リーグに入団している。
2018年に加入した助っ人外国人。
当初は宮崎・ロペスのリザーブに加え外国人枠の兼ね合いから完全な保険のうえに開幕戦の練習中に故障という
ダメ外人待ったなしのはずだったが5月頭に一軍昇格するとデビュー戦でホームランを打つ。
その後、梶谷の故障からライトでスタメン。一時離脱はあったがロペスの故障で一塁手のスタメンとユーティリティ性を見せつつなんとホームラン王を獲得。
完全にレギュラーに定着した翌年はホームランと打点の二冠王に輝くなど、大当たり外人となった。
その後もコンスタントに成績を残し続け、2023年にはNPB通算150ホームランを達成している。
外野や打撃全振りスタメンの際に守った二塁での守備は評価が高くないものの、一塁守備は上手い。
2023年限りで横浜を去り、2024年シーズンからはロッテに移籍。
2022年に途中入団した
超人強度100万パワーの噛ませ犬っぽそうな外国人投手。出身はタンザニアではなくアメリカ。
登場曲もキン肉マン~Go Fight!~で、本人も気に入っているとのこと。
一方で先発なので気に入っているという登場曲は流して貰えない。なんとか鳴りませんか?
なお本名はグセルマンで、メジャー時代の登録名はGマン。
ツーシームを主体にした安定感のある投球を見せており、離脱が絶えない先発陣の穴埋めを期待されていた。2023年シーズンは不振に終わり自由契約となり、2024年はワシントン・ナショナルズとマイナー契約を結んだ。
2014年入団で入団年は三上と共にキャンプから1軍に帯同したルーキー。
中継ぎとして起用されたが、デビュー戦で四球連発で山口の炎上のきっかけを作ってしまう。2015年にはビハインド時には好投を見せるものの、期待を込めて送り出されたリード時に失点を繰り返し、後半戦の失速の一員となってしまった。
現在は国吉共々横須賀四天王として二軍で無双しつつ、ビハインド専として1軍帯同。一度同点場面で登板したがあっさりサヨナラを献上した…が2017年夏場からはお疲れモードの中継ぎの中で割と疲れていないためエスコバー共々ハイペースで登板。そこそこ抑えていたが、疲れがたまり終盤はいつも通りに。
2023年限りで横浜を自由契約となり、2024年からは中東野球リーグのパキスタンの野球チーム、カラチ・モナークスでプレイする模様。
突如強豪高になった常葉菊川のエースとして高校ドラフト1位で入団した左腕。
しばらく伸び悩んでいたが2015年にセットアッパーとして覚醒。前半戦の好調を支える一員となった。
監督選抜で自身初のオールスターにも選出されが、中盤に体調不良で二軍に落ちて以降は調子を戻せず。
16年は右の須田、左の田中と二人で6・7回と火消し役として活躍。17年は左の便利屋として様々な場面で登板した。2023年限りで戦力外となり、2024年にはウエスタンリーグ参加予定のくふうハヤテベンチャーズ静岡へ移籍となった。
22年に文春砲の餌食となった
2020年(コロナ短縮シーズン)MLBサイヤング賞投手。
…なんでそんなバリバリのトップメジャーリーガーが日本に?と思う人もいるだろうが、3年契約でドジャースに移籍した翌2021年(前年はレッズに在籍していた)、女性への暴力問題を起こして324試合の出場停止処分を受けてしまう。
その後本人の異議申し立てが認められて2022年末には処分期間が短縮され、これにより2023年は開幕戦から出場可能になるも、チームメイトからの反発が強かった事や高すぎる年俸の事もあり、1月にはドジャースを解雇されてしまう。
すると、かつて二軍練習場を見学した事があるなど交流があったDeNAが不祥事の事などを独自に調査した結果、特に問題なしと判断され、2023年3月14日に獲得が電撃発表されたのであった。
実力自体はシーズン2桁勝利を達成するなど本物であったが、オフにツイッターで炎上するなど、性格面は………であった。2024年2月時点で契約を結んでいなくこのまま退団になる可能性が高い。
2021年入団の育成選手。神奈川県川崎市出身・横浜隼人高校卒で幼少期からのベイスターズファン。
ファームでトレーニングを積みつつ、神奈川フューチャードリームスに派遣されたりしながら1軍定着を目指していたが、2023年に育成契約の期限切れで自由契約となり、24年からはその神奈川フューチャードリームスで現役を続行、となる。
…しかし彼に関して特筆すべき点は
X(旧Twitter)上でほぼ毎日投稿される「青星寮」の食事写真
であろう。
管理栄養士による監修が入りながらも、飽きが来ないように工夫されたメニューの数々が明らかになっており、ファンだけでなく食卓の内容に困っている人からも人気を博しているとか。
ここで説明しきれない選手は他にも
- 大田阿斗理
- 藤井秀悟
- エンジェベルト・ソト
- ソーサ
- 藤江均
- 北方悠誠
- 菊地和正
- 小林太志
- ナイジャー・モーガン
- 森本稀哲
- エディソン・バリオス
etc…