2000本安打(プロ野球)

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2000本安打(プロ野球) - (2019/01/11 (金) 08:34:39) の編集履歴(バックアップ)


登録日:2015/09/13 (日) 20:37:00
更新日:2023/10/11 Wed 00:52:03
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「やっぱり1本目と、2000本目のヒットというのは記憶に残ると思います」

2011年5月5日
2000本安打を達成した読売ジャイアンツ・小笠原道大



2000本安打とは、項目名の通りプロ野球で2000本ヒットを打つことである。


解説


プロ野球の打者にとっては、一つの目標となる数字。

ある選手が1900本安打に到達するあたりから、2000本安打への期待は高まってくる。
2000本安打達成まで残り20~30安打程になってくると、ニュース番組などでもカウントダウンが始まるようになる。
応援席にいるファンが、手作りのカウントダウンボードで安打を記録していく光景も見られる。
それほど2000本という数字は重みがあるものなのだ。

無事2000本安打が成し遂げられると、球場内は拍手と歓声の嵐。
ホーム・ビジター問わずに試合は一時中断となり、塁上の選手には花束や記念品が贈呈される。
この時ばかりはファンもアンチも関係なく、皆が挙って祝福の言葉を贈る。

それくらい讃えられて当然なほどに、この記録は難しいのだ。

プロ野球のレギュラー野手が年間に打つ安打数はおおよそ100~150本。
単純に考えて、2000本安打到達までには早くても15年ほどの時間はかかる。
一方で、プロ野球選手の平均的な在籍期間は10年に満たないとも言われる。
この時点でもう、2000本安打という記録の壁の高さがわかることだろう。

仮に40代までプロ選手として活躍するとしても、実働期間はせいぜい20~25年。
早くても15年ほど時間を費やす必要性や年齢的な衰えを考慮した場合、入団から間もないうちにレギュラーの座を獲得する必要がある。
2000本安打を達成するためには、若いうちからレギュラーの座を掴み、その後もずっとその地位を守り続けていかなければならないのだ。
さらに言うと、1年目の時点で高卒選手よりも年齢が上となる大卒・社会人選手は、記録達成の難易度がさらに上がる。

これまでプロ野球の世界には、多くの『天才』と呼ばれる打者が存在した。

入団して間もないうちにレギュラーを掴み、活躍した野手も多数存在する。
中には『将来2000本安打も余裕な勢いだね』と語られた若手選手もいるだろう。
そうした中で努力を重ね、1000本安打、1500本安打と記録を積み上げた選手もいる。
しかしそれでも、2000本安打を達成した選手は歴代で僅か50人しか存在しないのだ。

才能に溢れた野手が血のにじむような努力を重ねてさえ、この記録を達成できる可能性は高くない。
本塁打王や打点王に何度も輝いているのに、2000本安打に届かなかった選手もいる。
2000本安打とはそれほどまでに高い壁であり、気が遠くなるほどの長い道のりなのだ。

一方で、この記録の達成を目指すことそのものがチームの足を引っ張ることもある。

2000本達成間近という状況は、往々にして選手の野球人生の晩年期になる。
この頃には選手の実力は衰えており、不動のレギュラーという立場にいることは難しい。
打撃が衰えたり、逆に打撃は大丈夫でも守備や走塁が話にならないレベルで酷くなったりと、
スタメンで試合に出るには厳しいというケースもままある。

しかしながら安打というのは積み上がる記録であり、よほど衰えていない限りは
試合に出し続けることでどうにかなってしまう。
すなわち、2000本安打達成のためにその選手を勝敗度外視で出場させるという事態が起きる。
それが仇となり、チームの雰囲気に悪い方向で影響を与えることも……。
こういうパターンはファンからしても見苦しく、批判が起きることもしばしば。

とはいえ、成績ではチームに貢献できなくとも、2000本安打達成に向けて頑張る姿が他の選手を良い方向に刺激することもある。
そのため、ゴリ押し起用が悪いと簡単に言い切るわけにもいかなかったりするのだが。
また、衰えることなしに一線を張り続け、2000本安打すらも通過点として活躍し続ける選手ももちろん存在する。

逆に、上記のような複雑な環境におかれてしまった結果、2000本安打を達成することなく引退を決断した選手も存在する。
非常に悲しいことである。


名球会との関係


2000本安打は、名球会の入会条件でもある。

しかし、単純にプロ野球で2000本安打を達成すれば良いというわけではない。
名球会の掲げる『2000本安打』にはいくつかの条件があり、それを満たさなければ入会は認められない。

まず、大正生まれの選手は2000本安打の記録を所持していても名球会には入会できない。

どういうことかといえば、名球会は昭和時代における超一流プロ野球選手が中心となって設立されたものであり、
大正生まれのプロ野球選手の入会をそもそも認めていなかったからである。
例を挙げると、2000本安打の最速達成記録を持つ伝説的存在である故・川上哲治氏は名球会員にはなっていない。
なお、平成生まれの選手は規約が改正されたことにより入会が可能となっているが、2017年時点では入会条件を満たした選手はいない。

次に、名球会における2000本安打の記録スタート地点は『NPBから』という決まりがある。

MLBからキャリアをスタートした選手は、日米通算で2000本安打を達成しても入会は認められない。
最近の例では、アンドリュー・ジョーンズ選手がNPBで2000本安打目を達成しているが、名球会の会員扱いはされていない。
(もちろん、ジョーンズ選手は2000本安打達成のお祝いをしてはもらっているが)
すなわち、ジョーンズ選手はNPBでは215安打という扱いであるため、名球会の入会条件を満たしていないということである。

逆にNPBからキャリアをスタートした場合、日米通算記録という形で数字が合算される。

NPBで2000本安打を達成せずとも、その後MLBで残りの安打を消化すればちゃんと入会できる。
松井秀喜選手や松井稼頭央選手などがその代表例である。
ちなみに稼頭央選手の場合、日米通算2000本安打達成後にも長きに渡って活躍し続け、NPB単独での2000安打も達成したという怪物なのだが。

勘違いされがちであるが、国籍的な縛りはまったく存在しない。
上記の条件を満たしたうえで2000本安打を達成したなら、外国人選手でも問題なく入会できる。
というか結成時点で中華民国籍の王貞治氏、韓国籍の張本勲氏がメンバーだし……。

いわゆる「助っ人外国人」としては、2013年に横浜DeNAのアレックス・ラミレス選手が見事通算2000本安打を達成している。
外国人選手はその性質上実働期間が短くなりがちであり、この記録はまさに空前絶後。
もはや奇跡ともいえる快挙であり、今後2000本安打を達成する外国人選手はいないと思われた……。

ところが同年、予想だにされなかった事態が発生してしまうこととなる。

先ほどのスタート地点関連の話を思い出していただきたい。
例えばMLBで1900本打った後に日本に来日し、NPBで100本安打を作っても名球会の入会条件は果たせない。

……逆に考えてみよう。

この外国人選手を拒むかのようなルールには抜け穴がある。
そう、NPBをスタート地点にすれば、極端な話『NPB通算1安打+MLB通算1999安打』でも条件は満たせちゃうのだ。

元広島のアルフォンソ・ソリアーノ選手が、本人もおそらく知らないままにこの条件を満たしてしまったのだ。
彼はかつて広島東洋カープが取り組んでいたドミニカ共和国の野球スクールを経て広島へと入団。
しかし日本では結果を出せず、1軍の試合には僅か9試合のみの出場。
通算2安打に終わり、そのまま日本を去った。

しかしその後、ソリアーノ選手はニューヨーク・ヤンキースと契約し、メジャーリーグで長年に渡って活躍。
そして様々な球団を渡り歩きながらも、何やかんやで日米通算2000本安打を成し遂げたのだった。
ソリアーノ選手の記録は『NPBで2安打→MLBで1998安打』となっており、上記の極端な例に近い数字である。

この思ってもみなかった事態に日本球界は揺れた。

野球ファンや球界関係者、そしてプロ野球OBの間でも、ソリアーノ選手を名球会に入会させるかどうかの賛否を問う議論が起こった。
結果として、ソリアーノ選手の名球会入会の是非は総会で話し合われることになった。
……まあ、ソリアーノ選手自身は『入れたら嬉しいね』程度の軽い反応だったが。

だが、総会の話し合い後もソリアーノ選手の名前は名球会の公式サイトに記載されていない。
どうやら、ソリアーノ選手の入会は果たせていないようだ。
名球会から反応のないところを見ると、話し合い自体が決着つかずに終わった可能性もある。
ソリアーノ選手も引退してしまったし、今後何らかの説明が欲しいところだが……。

なお、2000本安打を達成して名球会の入会条件を満たしても、入会を拒否した選手や退会した選手も存在する。


200勝との価値的議論


2000本安打の価値は、投手の『200勝』の価値と比べられることがある。

詳しくは当該項目を参照していただきたいが、投手における名球会の入会条件は200勝である。
プロ野球ファンの間では『投手は200勝・野手は2000本』というイメージがある人もいるのではないだろうか。

しかし、2000本安打には投手の200勝ほどの価値がないのではという意見がある。

まず、投手分業体制が浸透した現在では、1勝の重さが1安打とは比べ物にならない。
後を受けて投げた投手が同点に追いつかれてしまった時点で、先発投手の勝利資格は消滅する。
『試合には勝ったが先発投手は勝てませんでした』なんてのは日常茶飯事である。

それに、先発が1点で抑えても味方打線が0封されて負けましたなんてことも今ではよくある話。
いくら良いピッチングをしようが、味方が点を取らなければ勝てない。
チーム状況に左右されるとはいえ、投手自身が悪い場合は当然先発の地位を剥奪されるので、『運悪く勝てなかった』ことはあっても
『運良く勝てた』なんてことはほぼない。

投手分業体制の浸透以前は、先発がリリーフを兼任して連投する光景もしばしば見られた。
当然その投手が『勝てる』確率も高くなり、シーズン20勝も現在ほど希少価値のある数字(もちろん20勝自体は凄い数字だが)ではなかったのだ。
現代の野球は投手1人にかかる負担が減った一方、飛び抜けた数字を残すことが難しくなっているともいえる。

それに比べると、2000本安打は周りの環境にさほど影響されない。

打者が安打を打てば、チームが勝とうが負けようが安打記録は更新される。
いわゆる運要素にも比較的振り回されにくいといえるのだ。
また上記でも述べたように、力の衰えた選手でも試合に出れば打席が回ってくるので、時間さえかければ数字を積み上げることは可能となる。

そういう事情があって、『200勝は2000本安打より価値が重い』と考える人が出てきたわけである。
実際、今のプロ野球においては2000本安打の方がより達成しやすい状況であるとはいえるだろう。
入会のハードルを下げるため、200勝ではなく150勝あたりに条件を変更するよう求める声もあったりする。

ただ、200勝という数字があまりに異常すぎるだけであって、2000本安打も達成困難な記録であることに変わりはない。
投手と野手では根本的に性質が違うので、お互いの記録の優劣はそう簡単につけられるものではない。

なお、名球会の設立時点における200勝投手は15人、2000本安打達成者は11人だった。
当時は200勝投手の方がたくさんいたのだということも付け加えておく。

ちなみに近年250セーブも投手の名球会への入会条件になったのだが、あまり比べられることはない。
導入当初は「案外楽なのでは?」と思っていた人も多かったようだが、その後候補者が次々脱落していったことにより、
「実は2000本安打・200勝よりも難しいのでは?」と言われていたりもする。


主な達成者一覧(※2017年シーズン終了時点、☆は現役選手)


ここでは2000本安打達成者を記載する。

名球会員でなくとも、2000本安打を達成した選手であれば記載。
ただし、名球会に所属していない選手は備考で記述する。

なお、MLBからスタートしてNPBで2000本安打を達成した選手は記載しない。



選手名 通算安打数 備考
川上哲治 2351安打 故人
『打撃の神様』
大正生まれのため名球会入会資格なし
NPB最速2000本安打達成記録保持者(1644試合)。投手としての勝利経験あり
山内一弘 2271安打 故人
『内角打ちの天才』
榎本喜八 2314安打 故人
引退後野球界との関わりを絶ったため事実上入会辞退扱い
元祖『安打製造機』
野村克也 2901安打 『月見草』
一時期名球会退会後復帰
捕手初、三冠王達成者
長嶋茂雄 2471安打 『ミスタープロ野球』『ミスタージャイアンツ』
国民栄誉賞受賞者
広瀬叔功 2157安打 福本豊が憧れた伝説の一番打者
張本勲 3085安打 通算安打NPB記録保持者
通算3割300本300盗塁の生涯トリプルスリー達成者
王貞治 2786安打 『世界の王』
通算本塁打世界記録・日本人シーズン最多本塁打記録保持者、三冠王2回
国民栄誉賞受賞
江藤愼一 2057安打 故人
両リーグで首位打者
土井正博 2452安打 『18歳の四番打者』、元祖『無冠の帝王』
清原や松井稼を育てたコーチとしても著名
高木守道 2274安打 二代目『ミスタードラゴンズ』
二塁手
松原誠 2095安打 『ミスターホエールズ』
ベストナイン選出経験無しとしては初の達成
柴田勲 2018安打 スイッチヒッター初の2000本安打
シーズン三割未達での達成(初)
大杉勝男 2228安打 故人
『究極のロマンチスト』
史上初の両リーグ1000本安打
藤田平 2064安打 阪神タイガース生え抜き打者初の名球会入り
衣笠祥雄 2543安打 故人
元祖『鉄人』、連続出場2215試合(日本記録)
国民栄誉賞受賞
福本豊 2543安打 『世界の盗塁王』『韋駄天』
通算三塁打数日本記録保持者
2000本安打以前、通算800盗塁達成時に入会許可を出されるが辞退。
山崎裕之 2081安打 『長嶋二世』
主に二塁手・遊撃手での達成
山本浩二 2339安打 現在の名球会理事長
『ミスター赤ヘル』
有藤通世 2057安打 『ミスターオリオンズ』
若松勉 2173安打 身長168cmの『小さな大打者』
初代『ミスタースワローズ』
谷沢健一 2062安打 名球会退会
加藤英司 2055安打 パの関西3球団(阪急・近鉄・南海)を渡り歩いた渡り鳥
門田博光 2566安打 『不惑の大砲』
大島康徳 2204安打 39歳10ヶ月で達成、達成時の最年長記録
1年目、2年目一軍出場なしの選手として初の達成者
ベストナイン選出経験無しとして二人目
新井宏昌 2038安打 『近鉄史上最高の2番打者』
通算300犠打達成者
「イチロー」「パンチ佐藤」の名付け親などコーチとしても著名
落合博満 2371安打 名球会入会拒否
『ミスター三冠王』『オレ流』
三冠王3回、両リーグ1000安打
秋山幸二 2157安打 『メジャーに最も近い男』
トリプルスリー達成者
駒田徳広 2006安打 『究極の満塁男』
立浪和義 2480安打 三代目『ミスタードラゴンズ』
通算二塁打日本記録保持者
イチロー 記録更新中 『魔法使い』
日米通算だが、メジャー通算でも2000本安打を達成
日米通算3000本・3500本・4000本達成(安打数世界記録)
年齢・試合数ともに史上最速での2000本達成
連続打席無三振記録保持者(216打席連続)
清原和博 2122安打 『番長』『無冠の帝王』
通算三振(1955)・死球(196)・サヨナラホームラン(12)・サヨナラヒット(20)日本記録保持者
古田敦也 2097安打 大卒社会人出身者初の2000本安打達成者
捕手二人目
野村謙二郎 2020安打 主に遊撃手、二塁手としての達成
トリプルスリー達成者
石井琢朗 2432安打 遊撃手最多試合出場日本記録保持者(1765試合)
投手としての勝利経験あり(二人目)
松井秀喜 2643安打 日米通算
『ゴジラ』
国民栄誉賞受賞者
田中幸雄 2012安打 『ミスターファイターズ』
シーズン三割未達の2000本安打達成(二人目)
前田智徳 2119安打 『ガラスの天才』『求道者』
金本知憲 2539安打 『鉄人』『アニキ』
トリプルスリー達成者
連続試合フルイニング出場1492試合、連続試合出場1766試合
松井稼頭央 2705安打 日米通算だが、日米通算・国内通算で2000本安打達成
遊撃手中心かつスイッチヒッターとしての達成
トリプルスリー達成者
小笠原道大 2120安打 『(北の・尾張の)侍』『ガッツ』
高校通算本塁打0本
稲葉篤紀 2167安打 WBC最年長出場
宮本慎也 2133安打 大卒社会人経由者(2人目)
主に二塁手・遊撃手での達成
通算400犠打達成者
小久保裕紀 2041安打 『ミスターホークス』
日本シリーズMVP最年長受賞
アレックス・ラミレス 2017安打 外国人選手史上初の通算2000本安打
中村紀洋 2101安打 『驚弾炸裂』
MLBでは通算5安打。このため名球会入会は本人の希望で、NPBのみでの通算2000本安打時点で入会
谷繁元信 2108安打 通算試合出場数最多記録
試合数・打席数ともに歴代最遅達成
捕手三人目
井口資仁 2253安打 日米通算
主に遊撃手・二塁手での達成
アルフォンソ・ソリアーノ 2097安打 日米通算
名球会入会は果たせていない
和田一浩 2055安打 『輝く男』
両リーグ1000本安打
2015年時点で史上最高齢の42歳11ヶ月での達成、大卒社会人としても3人目の達成者
新井貴浩 2203安打 2016年に300本塁打・2000本安打・リーグ優勝・リーグMVPを同時に達成
荒木雅博 2045安打 二塁手・遊撃手での達成
通算33本塁打(2000本安打達成時)は史上最少
☆福留孝介 記録更新中 日米通算
サイクルヒット史上最年長達成者☆
☆青木宣親 記録更新中 日米通算、☆
4代目『ミスタースワローズ』
☆阿部慎之助 記録更新中 捕手4人目(達成時は内野手登録)
21世紀以降のドラフト指名選手で初☆
鳥谷敬 記録更新中 主に遊撃手での達成
阪神生え抜き打者2人目の名球会入り☆
☆内川聖一 記録更新中 両リーグで首位打者
右打者シーズン歴代最高打率記録保持者(.378、2008年)
☆福浦和也 記録更新中 『幕張の安打製造機』








実況『Wiki篭り選手は、この編集で通算2000追記・修正を達成いたしました!

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