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新井貴浩(野球選手)

登録日:2012/05/28 Mon 14:56:40
更新日:2026/07/03 Fri 21:39:08
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僕は野球に恋してます


新井(あらい) 貴浩(たかひろ)とは


プロ野球選手で、第7代プロ野球選手会会長。
現第23代広島東洋カープ一軍監督。
1977年1月30日生まれ(49歳)

背番号:25(1999-2014、2016-2018、2023-)、28(2015)
守備位置:三塁手一塁手
在籍チーム:広島東洋カープ(1999-2007)→阪神タイガース(2008-2014)→広島東洋カープ(2015-2018)
指導歴:広島東洋カープ一軍監督(2023-)

また弟の新井良太もプロ野球選手であり、中日ドラゴンズに入団したが、後にトレードで阪神に移籍し貴浩が広島に復帰するまでチームメイトだった。
2017年に故障が原因で兄より先に引退している。
2023年からは兄が一軍監督、弟が二軍打撃コーチとして広島で再び同チームに所属。
2026年からは弟が一軍打撃コーチに配置転換し、2014年以来12年ぶりに同じ試合のベンチに兄弟が揃うようになった。

経歴

【プロ入り前】

広島県広島市出身。
広島工業高より、駒澤大に進学。
高校時代は3年時チームのキャプテンで、3年夏の県大会では二岡智宏・福原忍擁する広陵高校を撃破するなど奮闘したが、自身がレギュラーの時の甲子園出場は叶わなかった。

大学時代の新井は打てない守れない投げれないと先輩の高橋尚成は語るが*1、やたらと人望はあったらしい。
新井が伸び始めたのは大学4年時になってからであり、東都大学リーグ春の部でチーム内打点王になると、夏の日米大学野球では打率5割をマーク。秋にはリーグ打点王とベストナインに輝き、大器の片鱗らしきものが見え始めていた。
それでも大学通算成績はイマイチであり、プロ指名されるかは微妙だったのだが、プロ野球選手の夢を諦めきれない新井はチームの太田誠監督*2に進路相談。その結果駒大OBの野村謙二郎と大下剛史を通して広島東洋カープに紹介してもらえた。
とくに野村謙二郎には夏休みに彼の自宅に来訪し、バットスイングをアピールする機会まで得られている。*3
そんな新井の必死のアピールや新井の非凡な才能(?)を感じた野村の後押しもあってか、98年ドラフトで6位指名にて広島東洋カープ入団。
しかし、前述の通り大学最終年の活躍しかこれといった実績がなく、その活躍込みでも打撃難に守備が粗ゐさんだったので、マスコミはもちろん後輩の武田久を始めとしたチームメートや監督まで「!?」だった。
これについては引退後、ドラフト同期で「雑草魂」と称された上原浩治と共演した際、新井は「上原さんなんて僕からは胡蝶蘭にすら見えますよ」と語っているあたり、本当に苦労したことがうかがえる*4


【広島時代】

どうやら野村の感じたものは確かだったらしく、1年目から打率.221ながら7本塁打と期待できる成績を見せると、2年目からレギュラー定着し、20本近くのホームランを量産。
2003年には阪神に移籍したアニキこと金本に代わって4番に座り、2005年には初タイトルとなる本塁打王となる。
そこ、ホームが市民球場だったからだろとか言わない。
一方で守備については、ファーストこそ体躯の良さもあって安定した成績を残したものの、チーム事情で守ることの多かったサードの守備は……うん、まあ、うん。
セカンドとしては兎も角ショートとしては守備が悲惨だった同期入団の東出輝裕と合わせて、以下のようなコピペが作られる始末である*5
+ 恐怖の内野
     緒方
金本       前田
   東出 ディアス
新井       ロペス
     投手

     捕手

恐怖の内野としてカープファンのトラウマとなる
守備力もさる事ながら英語、スペイン語、日本語、新井と言語が全て異なり意思疎通が不可能
東出はスペイン語と英語の勉強をする羽目に


2005年頃からはチームの主軸としての意識からかカープ愛を語るようになり、「一つのチームで終わるのが理想」や「カープが好きだしいれるならばずっといたい、このチームで優勝したい」などと口にしている。
…ん、なにか?

2006年以降はただ長打を狙うのではなく、チャンスに確実に点を取れるバッティングを意識し2年連続で100打点を達成。
その勝負強さや意識を買われてか北京五輪予選では日本代表の4番に座った。
恵体なことややたら傾きながら低めの球をかっ飛ばすパワーがよく言われるが、大学時代通算2HRだったり、絶好調期に獲得したタイトルが打点王だったりするので、
実際は点をとれるバッティングが得意な中距離砲に性質は近かったのだろう。

しかし2007年オフ、FA権を行使して阪神タイガースに移籍あの、上のカープ愛発言…
詳しくは後述するが、FA権行使発表会見も合わさって、長らく広島時代の新井について言及することはタブーと化してしまった…

【阪神時代】

(2008年)
この年は一塁手がメインポジションとなり、ゴールデングラブ賞を獲得。
打棒もホームランこそ少なくなったが率は非常に高く、岡田阪神前半戦の快進撃を支えたが、
予選で大活躍し、本戦も招集確実視された北京五輪前に腰を痛める。にもかかわらず強行出場を続けたが症状は悪化し腰椎を疲労骨折してしまう。
北京五輪も散々で、帰国後も豪快なバッティングを支える腰がダメダメで成績は一気に下降。
ポイントゲッターを失った阪神は一時巨人に10ゲーム以上の大差をつけていたが一気に捲くられて2位に転落、優勝の大チャンスを逃した。Vやねん!
この腰の怪我は、その後も影を落とし続けることになる。

(2009年)
この年から宮本慎也の後を継いで第7代日本プロ野球選手会会長に就任。
他球団からのマークに合いながらも全試合フルイニング出場を果たす。
なお守備位置はサードに移ったため、守備成績はお察しくださいとなった。

(2010年)
2年連続の全試合フルイニング出場達成。また、アニキ・金本に代わって阪神の4番に座り、勝負強さを見せ3割100打点達成。

(2011年)
東日本大震災による開幕延期を訴えるなど、チームのみならず野球ファンのために尽くし、成績では6シーズン振りのタイトル(打点王)を獲得。

(2012年)
成長を見せた弟・良太と共に4番を争い、ケガ人や不振が続くチームを支えた。
また、この頃より一塁に専念するようになった。
同年オフに日本プロ野球選手会会長を退任。嶋基宏にその座を譲った。

(2013年)
開幕時は良太の影に隠れていたが、良太が案の定調子を落とすとレギュラー復帰。
8月まで巨人と激しい首位争いを繰り広げたが、阪神名物9月の大惨事が発生。巨人との直接対決を落とし一気に突き放されると
CSでは古巣広島一気呵成の鯉のぼりに敗れ、CS1stステージで敗退。
新井さんは特段活躍できなかった。オールスターのリプレイで笑いを提供したくらいか。

(2014年)
どうせ外れ外人だろうと思われていたガンバ大阪にアルゼンチンからやってきたサッカー選手みたいな名前のドミニカンであるマウロ・ゴメスがまさかの大当たり。
阪神での全盛期新井さんに甲子園でも軽々HRをぶっ飛ばすパワーを付加した彼の存在は、新井さんから居場所を奪うのに十分すぎる存在であった…
そして、この年の契約更改で、年俸を8000万まで下げるという提示を受けた新井さんは阪神退団を表明。新天地へと旅立った。


そしてその新天地というのが古巣の広島東洋カープ
新井貴浩、年俸2000万円で8シーズンぶりに広島東洋カープに復帰した。背番号は28。


…2014年オフ時点で広島ぼファーストには同年本塁打王のブラッド・エルドレッドがおり、2014年の新井の打撃成績では移籍先でも控えはほぼ確実。
どうせ控えなら8000万貰える阪神に継続所属でも良かったのにのになぜ出て行ったのか、そして年俸が1/4のになってまで広島に戻ったのはいかなる故なのか、復帰発表当時はよく議論された。

なお、8000万蹴って2000万の古巣に帰ったと言う時点で割と男気なのに、年末に21億蹴って4億で古巣の同じチームに帰った男が現れたので完全に掻き消されてしまった。
そして黒田の日本復帰について新井が相談相手になっていたという情報が早期に判明したばかりに、「黒田の引換券」という扱いになりかけた。

【広島復帰】

(2015年)
エルドレッドが怪我で出遅れるも新加入のメジャーリーガー・グスマンもいたことから、一塁のバックアップ兼代打要員という妥当なポジションで開幕一軍入りを果たす。
そして、開幕前こんな形で帰ってきた自分にファンは大ブーイングを浴びせるのではないかと思っていた自分に対してファンは大歓声で迎えてくれたことに新井は涙した。
そんな状況に神が舞い降りたのか、グスマンが開幕直後に故障し、結果4月中旬から4番ファーストでスタメン入り。
ここからあれよあれよとヒットを連発し6月終了地点で打率は3割キープ、オールスターファン投票選出と近年稀に見る好調を維持するどころか、遠くなりつつあった2000本安打が再び視野に入る程の活躍を見せた。

(2016年)
年俸もぐっと上がって三倍の6000万となり、背番号も25に戻って迎えた。
エース前田健太がいなくなり低迷が予想された中、エルドレッド・松山竜平らと休養日とポジションをシェアしつつ一塁レギュラーで開幕。
週一の休養日が効いているのか、トリプルスリーどころかタイトルを総取りせんばかりの勢いのヤクルト・山田哲人を打率・打点で猛追するほどの活躍ぶり。セリーグで唯一交流戦で勢いをつけて突っ走り始めた広島打線の中核として、見事なクラッチヒッターっぷりを発揮した。
この年もオールスターにファン投票で選出されており、同年オールスター出場選手中最年長になった。
ちなみに山田を猛追する選手として本塁打打点で追う筒香嘉智(DeNA)と打率で追う鈴木誠也(広島)、坂本勇人(巨人)がいたが、
24歳・プロ6年目の山田を21歳・4年目の鈴木、24歳・7年目の筒香、28歳・10年目の坂本に加え39歳・18年目の新井さんが猛追しているという軽い笑い話のような打撃タイトル争いが繰り広げらた。
一時は届きそうにないと思われた2000本安打も4月に早々と達成、さらに8月には通算300本塁打を達成。7月に達成された黒田博樹の日米通算200勝とともにカープの25年ぶりのリーグ優勝に花を添える活躍を見せ、最後は新井のミットにボールが収まって優勝を決めたのであった。
さらに自身もセリーグMVPに選ばれ、メモリアルイヤーとなった。

(2017年)
前年こそレギュラーを張っていたがこの年はエルドレッド・松山らの好調もあり出場機会を減らしてしまう。
それでも代打などでの出場機会はかなり多く、スタメン出場した際には勝負強さを活かしチームの連覇に貢献した。

(2018年)
バティスタがレギュラーに定着し、野間がレフトで起用されることが増えたことで松山がほぼファースト専になり、前年より更に出場が減る。
9月5日に引退を発表。引退試合をあえて開催せず、最後まで戦力として戦うことも発表した。
シーズン後半は引退を発表したこともあってか代打での起用が増え、チームの3連覇の最後の一押しと2年ぶりの日本シリーズ進出に貢献した。

なお、背番号25はふさわしい選手が出るまで欠番になる予定。

【広島監督時代】

(2023年)
引退後は解説者となっていたが、22年オフの佐々岡真司監督の辞任を受けて広島一軍監督に招聘され、就任することとなった。背番号は預かり番号だった25。
ちなみに冗談込みと思われるが永久欠番の15を提案したところあっさり本人から許諾が取れたらしく、ワンチャン15もあったかもしれない。

監督としては「特等席で観戦しているカープファン」扱いされるぐらいにモチベーター寄りだが、前年まで4年連続Bクラス・今年もBクラス予想が大半だったチームを2位まで引き上げ、CS1stも突破するなど、望外の結果を残した。
ちなみに引退してからも護摩行は続けていたようで、2023年に20周年を迎えている。
2023年は監督就任もあったので分かるが、解説者時代も続けていたということで、もう癖になっているのだろう…。
毎年顔を火傷していて、外野からも「目に悪いからやめい」と言われまくっているレベルの苦行なのだが。

(2024年)
引き続き監督を務め、率いるカープは途中までリーグ1位。Aクラスは確実でもしかしたらリーグ優勝も…と見られていた
だが9月頃から大失速が掛かり一気に4位まで転落。Bクラスでシーズンを終えてしまった。
理由としては若手中心のメンバーのために優勝へのプレッシャーが掛かった事、勢いのままプレイしてきたが疲れが出てしまった事、頼りになっていたベテラン勢の衰えが隠せなかった事等が挙げられる。
というわけで選手としても監督しても歴史的大失速を経験してしまう事となった。
だが若手の矢野の台頭や、優勝争いをしていた事実は変わらない等光明も多い。

(2025年)
3位でスタートを切り6月には2位に立ったものの、助っ人外人も含めとにかく本塁打が少なく盗塁に長けた選手も少ないため搦め手も使えない。
結果として5位にまで沈み、前年度より悪化してしまった。
小園が首位打者を獲得し投手陣も踏ん張っていただけに、ここぞの一発が不足していることはチームに大きく響いてしまった。

(2026年)
前年度台頭してきた若手の羽月が巷でゾンビたばこと言われる違法薬物・エトミデートの接種と所持により逮捕・契約解除され、一軍球場であるマツダスタジアムまで家宅捜索されるという大事件が起きる。
首脳陣全員が大ショックを受け、監督として甘くては駄目ではないかと鉄拳制裁も辞さない覚悟を決めたことを選手たちに表明した。
この衝撃と覚悟が選手たちにどう影響を与えるか、目が離せない。

プロ入り前はあれこれ懸念されていた選手だったが、今ではプロ野球界を代表するプレーヤーに上り詰めた。

追記・修正お願いします。


































































さて、ここからはなんJスレ系なども含みますので、ご注意下さい。

なんJネタ方面の新井さん

上述のようにカープ愛を口にしていた新井は2007年のシーズンオフに突然FA権を行使。
その際、

「カープが大好きなので…辛かったです」

とこの部分だけ切り取ると「じゃあ行使すんなよ!」言われかねないことを涙ながらに語った。
(もっとも、前述のカープ愛による生涯カープ発言はメディアによって解釈されたものらしいが)
この会見以降新井は(つら)いさん」と呼ばれるようになった。
むしろ監督時代の現在の方が色んな意味で辛いかもしれないが…

ちなみに新井は阪神移籍後広島カープの悪口は一切言っていない。逆に広島復帰後にも阪神の悪口は一切言っていない。チックさんも見習ってほしいものである*6

なお、当人に迷惑がかかるとして会見当時には語らなかったが「(2002年オフにFAで阪神に移籍した)金本知憲ともう一度同じチームでプレーしたい」というのが一番のFA理由だった模様。


阪神に移籍してからは確かにトップクラスの成績を収めてはいるものだが、期待の裏返しか単なる不満かやたらとファンにも叩かれる。


【叩かれる理由】
  • 「勝負強さ」←帳尻合わせによるもの
  • 危うい三塁守備
  • 盗塁!しかし塁に手が届いていない
  • しなくてもいい二塁からのタッチアップ
  • 無死(又は一死)、ランナー2人→ゲッツーフラグ
  • 4タコ(orチャンスで凡退)→「また明日」→同じ内容の凡退→「またry」→同じry→…のループ


またチームメイトの金本知憲
  • ヒーローインタビューで「お兄ちゃん」発言
  • 通算2000本安打(金本)と1000本安打(新井)達成日に「運命的なものを感じる」
  • オフに一緒のトレーニングジムで自主トレ
等大変慕っているが
  • 弟の新井良太とはバットのスイングからフォロースルーまで殆ど同じであり、金本に初めて見た時に爆笑された
  • 新品のランニングシューズにウンコの落書きをされる
  • ロッカーに置いてあったグラブに所有者不明の紫パンツを入れられる
  • 金本のいたずらで複数の飲みかけの缶コーヒーを球場内にセットされ片づけさせられる
  • 監督就任時に「大変だと思うけど相談に乗る」とまじめなメールを送られたが、「私は無事故無違反なので安心して車の後部座席に乗れるぞ」と運転手としてサポートを受けそうになる。
等々今日も金本に弄られているかもしれない
金本も金本で同じ広島出身、広陵で虐め抜かれた上にその広陵の監督に騙されて一浪と結構な苦労人でもあるので通じ合うところがあるのだろう

もっとも、最近は新井も多少反撃出来るようになったらしいが。




最近では全く関係ない場面にもかかわらず「新井が悪いよ新井がー!」と理不尽な声が飛ぶ始末。


それでも忘れた頃に見せるホームランや人柄の良さ、ひたむきなプレースタイルはファンを魅了し、同時に先輩後輩問わず多くのプレーヤーに親しまれる由縁となっている。

また三塁手時代はエラーが多く、また隣の遊撃手も同期ながら守備が粗い東出輝裕だったことでカバー不能*7なことから守備が荒いさんと言われても仕方ないところだったのだが、
元々速球の捕球には強い方だったこともあり、上記ゴールデングラブ賞の経歴からも分かる様に一塁手はかなり性に合っていた……あるいは三塁手時代の経験が生きた模様。
送球判断などを考える場面が少ないことが良かったのかもしれない*8

後彼を話すのに欠かせないのがツラゲ

辛いさん+ゲッツーからきており、新井はとにかくゲッツーが多い。2003年と2011年に併殺王になっている。チャンスに強いが1塁にランナーがいると察しのごとくゲッツーをやらかしやすい。ゲッツーにならなかった場合はツラゲ未遂と呼ばれる。
また、ただゲッツーが多いならまだしも記録上では併殺扱いにならないゲッツーをやらかすことも多い(通称変則ツラゲ)ためネタになっている。いつしか彼がツラゲをすると検索ワードランキングにツラゲが上位に上がるほどに。

2014年4月に通算200併殺と変則トリプルプレー(トリプルツレー)を達成。
最終的に引退までに歴代6位となる242回もの併殺を積み上げた。

そして、2014年シーズン後に前述のとおり阪神を退団。北京五輪で腰をいわした彼を強行出場させ続けた星野仙一に縁があり、長距離砲がお散歩おじさんしかいない楽天が獲得する噂が出たが…
なんと広島復帰が決まった。おんどりゃあどの面下げて…という向きもあるかもしれないが、阪神に残ってりゃ控えでも8000万貰えた上、全盛期は2億以上の給料をもらっていた男に年俸2000万提示という、同じく広島に復帰したメジャーリーガー黒田博樹に年俸3億円を提示する(黒田は単年で18億はもらえる)より酷い所業をされてでも、堂林と膝がボロボロの梵からならレギュラーを争ってポジション取れると思い帰ってきた新井さんの広島愛を褒めてあげようではないか(フラグ)。

と思ってたら先述した通り一塁レギュラーに定着。先述した通りエルドレッドや松山との併用ではあるがこの二人は左翼も守れるので新井さんが出る機会も結構多い。
またオールスターで解説に「年々守備が上手くなっているんですよね」と言われるなど、課題とされていた守備も何故か上達している。
そして広島に帰ってきてからの新井はとにかくイキイキしている。
そんなイキイキしている新井さん、巨人フランシスコのミスによるサヨナラインフィールドフライ事件の後、我を忘れ大ジャンプする姿が映されさっそくクソコラグランプリが開催されるなど
相変わらず狙ったわけでもないのにネタになる光景を提供しており成績とネタ両方ともファンに愛される活躍をみせているのであった。
ちなみにネタにされているジャンプであるがよく見るとすごい高く飛んでいる。プロ野球選手のフィジカルの強さを感じさせる見事な大ジャンプである。
そして、そのひたむきな姿勢で広島帰還にひねた見方をしていたファンも再び虜にしたのであった。本当にすいませんでした(土下座)。

余談だが、新井さんの阪神退団時に真っ先に声をかけたのは他でもない広島東洋カープのフロントだったという。
新井さん自身は当初広島に復帰できるとは思ってもいなかったそうで、いざ復帰しても果たしてかつて自分が裏切ってしまった広島ファンに受け入れてもらえるのか不安だったそうな。

そんな新井さんも引退。引退直後の11月5日は中国新聞に全面広告が掲載された。
内容はというと表面は広島時代(前期)の新井が散々に叩かれている記事ばかり。

しかし裏面は一面真っ赤の中にガッツポーズする新井さんのシルエットと広告主のサイン、「結局、新井は凄かった」の一文が添えられている。
ちなみに上記の中国新聞に載った一文を考えたのは先に引退した黒田である。


そんなファンにも選手にも愛された野球人生を送った選手であった。




追記・修正お願いします。

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最終更新:2026年07月03日 21:39

*1 一応走りに関してはがむしゃらに走ってたとのこと

*2 東都大学野球で通算501勝393敗19分け、リーグ優勝22回、全日本大学選手権優勝5回、明治神宮大会優勝4回を記録した駒大のレジェンド監督。2026年現在は駒澤大学硬式野球部終身名誉監督。

*3 余談だがこの時新井は広島在住の野村へのお土産に広島名物もみじ饅頭を買ってきており、新井帰宅後にお土産を開けた野村は「そこら辺で買ってきたものだろ…」と呆れたそうな。

*4 上原はユース年代の国際大会で活躍、メジャーからも注目されるドラフトの目玉として逆指名で巨人に入団しているが、そこまでの過程において志望校の大阪体育大学に現役で受けるも落ち一浪、その期間中は予備校通いとバイトに明け暮れて練習がほとんどできず、大学に入っても練習試合に応じてくれない大学も多かったという経験をしている。あくまで新井サイドの目線から見た時にそう思えるだけであり、上原も他の選手と比べてとんでもない苦労をしているということは留意されたい。

*5 ちなみにこのコピペ中の野手3人は通算2000本安打の条件を満たして名球会入りしている。

*6 一応あっちもTBSベイスという腐りきった暗黒チームへの批判がメインで、DeNA売却後についてはとくに言及していない。

*7 おまけに二塁手が英語のロペス、一塁手はスペイン語のディアスなこともあって東出も手一杯だった…が東出は後に二塁手に転向してからも守備は粗い方だった。しかもその東出とはシーズンが終わってから失策数が多い方が坊主にするという競争までしていた

*8 本人もファーストでやることは結構多いと話しており、相対的に軽視されがちなだけでファーストだから簡単というわけではない。ただ三塁手時代には速球への対応の上手さのわりにそんなエラーする?ってプレイが結構目立っていたため、本当に気質が合っていなかったと思われる。