衆議院解散

登録日:2012/11/15 Thu 21:02:09
更新日:2025/03/05 Wed 14:38:39
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衆議院解散とは、内閣が閣議決定を経て、天皇の署名と御璽を押印してもらって、衆議院に伝達し、
衆議院の議会そのものを解散して、衆議院全議員の身分を失わせること。

日本国憲法第7条第3項では、衆議院解散は天皇の実施する国事行為とされるが、国事行為は「内閣の助言と承認により」実施されるので、実質内閣に解散権があることになるのである。

このとき、国会が開会中であればこの国会は直ちに閉会となり、
特別な議決が解散前に行なわなければ、現に審議中の法案や既存法の改正案などの審議は停止し、廃案となる。
ちなみに日本国憲法下では、2025年現在計26回実施。解散間隔の最長は1972年(日中解散)~1979年(増税(一般消費税)解散)の7年間*1で、最短は1952年(抜き打ち解散)と1953年(バカヤロー解散)の195日間。

なお、憲法第69条に書かれている「内閣は衆議院で内閣不信任案が可決、もしくは内閣信任案が否決された場合は、
十日以内に衆議院が解散されない限り、その内閣は総辞職しなければならない」と規定されているが、
戦後「憲法第69条による内閣不信任案が可決されました。よって憲法第七条により、衆議院を解散する」との文言は、
GHQの占領下において配慮をされた文であることを頭に入れておいてもらいたい。

戦後、サンフランシスコ平和条約により日本が独立を回復して以降、内閣不信任決議案が可決されたことによる解散は、
吉田茂首相が社会党の議員に対し「バカヤロー」と暴言を吐いて、保守連立政権が崩壊、不信任案が可決された「バカヤロー解散」と、
大平正芳首相の第2次内閣時の自民党内の抗争により、自民非主流派が本会議欠席戦術を取った結果、不信任案が可決してしまった「ハプニング解散」*2
政治改革関連法案が廃案となり、これに激怒した自民党の一部議員が時の宮沢喜一首相に叛旗を翻し、「宮沢降ろし」を実現させるため野党が提出した内閣不信任決議案に賛成した結果、解散となった「嘘つき解散」がある*3

いずれの場合も、解散という行為は憲法第7条にて行なわれるため、慣例通り「日本国憲法第7条により、衆議院を解散する」と議長から発せられている。

衆議院本会議の流れ
1. 議長「只今より会議を開きます」
2. 紫の袱紗に包んだ解散詔書が、官房長官によって議場へ。衆院事務総長が受け取る。
3. 衆院事務総長が詔書を確認。
4. 衆院事務総長が議長に詔書を手渡す。
5. 議長が詔書を手に立ち上がる。
6. 議長
 「内閣総理大臣より詔書が発せられた旨伝えられましたから、これを朗読いたします」
 と告げる。
7. 議長「日本国憲法第7条により、衆議院を解散する」と宣告。
8. 議員全体「万歳!」
この間、僅か3分ほど。

ところで、この時によく思う疑問が『衆議院解散が決まると議員達は「万歳!」とやるのか?』であろう。
確かに普通の企業に例えるなら「全員クビね!」とリストラ宣言を言われるのに万歳するのはおかしいと思うだろう。
実は様々な説があるのだが、その中で言われるのが、『解散万歳ではなく、天皇万歳の意味』だからという説である。
前述の通り衆議院の解散や総選挙の公示は、憲法7条で内閣の助言と承認による天皇の国事行為と定められており、本会議でも、議長が解散詔書、天皇から出された書類を読み上げて解散という流れのため、天皇に敬意を払い万歳をする習慣が戦前から続いてきたためという事である。
ちなみに、解散後の「万歳」が初めて記録されたのは、1897(明治30)年のこと。
12月25日の「第11回帝国議会」の会議録を確認すると、当時の鳩山和夫議長が解散詔書を読み上げ解散を宣言した後、「拍手起リ『萬歳』ト呼フ者アリ」と記載されている。

なお、解散の制約については、最高裁判所がいわゆる「一票の格差」が明らかに開いている場合、「違憲状態」と判決を出し国会に制度の改正などによる是正を促す*4
しかし、これが間に合わない場合でも「三権分立」という制度がある以上、縛ることは出来ないと解釈されている。
仮に違憲状態で後に「選挙無効」という判決が出される可能性もなくはないが、
その制度で行った選挙にて選出された国会で成立した法律などが全て無効となる恐れがあり、
国民の生活に重大な影響が出ることが避けられないので、「選挙が違法」という判決は出たことがあるが、選挙そのものが無効とまで行った事例は今の所ない。


追記・修正は国会中継を見てからお願いします

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最終更新:2025年03月05日 14:38

*1 なので間の1974年~1976年の三木武夫首相の内閣は(一時解散を狙うも諸事情で断念した事もあり)衆議院任期満了で普通に選挙を開始した戦後唯一の内閣となっている。

*2 なおこの後の選挙期間中に大平首相が急逝したため、選挙終了時まで当時官房長官だった伊東正義氏が首相代行を務め(選挙後の新自民党総裁・内閣総理大臣は鈴木善幸氏が担当)、不信任案による内閣総辞職も伊東氏によって行われた。

*3 この結果自民党は敗退し、元自民党員で当時日本新党党首だった細川護熙氏が首相に就任。これにより自民党完全一強の時代は幕を閉じ、3年後再び政権与党に返り咲いた後も他政党との連立政権によって政治を運営していく事になる。

*4 行政事件訴訟法では、違法ではあるが取り消すと重大な混乱や利益侵害の発生が避けられない場合、やむなく「違法ではあるが、違法のままでも良い」という判決(事情判決)を出すことが許されている。最高裁はこの理屈を選挙無効に当てはめ、違法ではあるがやり直しはしなくて良いと言う判決は出したことがある。