劉禅 > コメントログ

  • 絶対 親父の劉備から 曹操の息子たちと 比較されて育ったろうな
    …だから最後は親父の作った帝国より
    民の生命を優先したとも -- 名無しさん (2013-12-30 20:13:37)
  • 真・三國無双では扱いが比較的マトモになってるとは思わなかった 三國志では相変わらず低能な上に数値もネタだし同じく暗愚扱いされやすい今川氏真の父が完全に俗説(三国で例えるなら演義)ベースのネタキャラになってるから -- 名無しさん (2014-01-26 06:04:26)
  • 無双の彼は暗愚ではないから嬉しいが、虎戦車を「おもちゃ」と言ったりして何か不気味だ。 -- 名無しさん (2014-02-26 21:22:07)
  • 無双では馬鹿じゃなく卑屈 -- 名無しさん (2014-02-26 21:37:22)
  • ↑3何を勘違いしてるかわからぬが無双義元は全ッ然暗愚ではないよ。 -- 名無しさん (2014-02-26 21:59:06)
  • ↑蹴鞠一つで人間と妖魔共存させる男だからな。 -- 名無しさん (2014-02-26 22:08:37)
  • 義元や元親からは普通に有能と見抜かれていたな、無双では -- 名無しさん (2014-02-26 22:15:14)
  • そりゃ歴代の君主達やその息子と比較されたら卑屈になるわな。魏や呉はそれ以上に最後悲惨だったが。 -- 名無しさん (2014-02-27 19:20:19)
  • 無双は、周りからの期待されないっぷりに歪んで、わざと暗愚のように振舞っているみたいなキャラ付けだな -- 名無しさん (2014-03-22 00:26:56)
  • 実は凄い優秀だったが、そのせいで冷めた性格に育ってたとか、後年の劉備の自滅っ振りや孔明を始めとする北伐マニアなんて言われる連中に頭を痛めなてたなんて解釈してがあったが、あながち間違いじゃないかも -- 名無し (2014-03-22 01:49:45)
  • まあなんやかんやで最終的な犠牲を最小限に抑えたのは偉いと思う -- 名無しさん (2014-03-22 03:17:34)
  • 魏の皇帝が二代続けて早世したおかげで延命できた面があるから、少なくとも運は皇帝クラス。 -- 名無しさん (2014-03-22 03:27:55)
  • 墓を何度も壊されたってマジか…奴らの感性は分からん。別に自分が迷惑被ったわけでもないだろうに -- 名無しさん (2014-03-22 06:37:38)
  • 浅学ながら言わせて貰うと、親父さんの劉備だって人材に恵まれた部分が大きい訳だし、特別、劉禅が愚暗な訳じゃないと思う。むしろ丞相である孔明が人材の発掘、育成、起用を怠ったせいではないですかね?「蜀が恋しいか?」「いいえ。ここは楽しい。」の下りも、やはり魏の人間の目もあるし、何より、いつまでも「蜀が恋しいよぅ。帰りたいよぅ。」とメソメソしてる人間よりマシだと思う。 -- 茶沢山 (2014-04-14 09:44:24)
  • 孔明だって演義の捏造と他の武将の功績を孔明のにしてたりと何か酷いんだよね、実は特にかませにしてる連中からの評価が実際はそう言えばそんなのが劉備のとこにいるらしい説もあるとか……劉備没後からは何で蜀の国力で北伐北伐さわぐんだよとか父上から重用しないよう言われてた奴等を重用して痛い目に合いやがったけどあいつに変わる人材いないからなあ……で頭痛めてた劉禅説もあったらしい -- 名無し (2014-05-04 00:23:20)
  • 別に捏造は孔明のせいじゃねぇけどな。北伐を急ぐのもこれ以上国力差が開くとどうしようもなくなるからだったし、別に故無く北伐をしたかったわけじゃない。 -- 名無しさん (2014-05-04 05:19:03)
  • 人徳(何だかんだ言って人は集まる)が劉備、武力や策謀が曹操、政治や治世が孫堅、なイメージなんですが、それで合ってる? -- 茶沢山 (2014-05-04 07:56:19)
  • ↑↑良くも悪くも劉備の残した影響が強過ぎた。そもそも劉備が関羽に張飛の仇討ち優先して大失敗に終わって蜀の国力が一時壊滅状態になり、孔明は止められなかった責任感じてたのも北伐にこだわった理由だろうし -- 名無し (2014-05-04 14:16:04)
  • 無能な怠け者って感じ。だから人材が次々死んだあと最後に残った孔明あたりが死んだ時点でどうにもならなくなった。夷陵で劉備が人材焼却処分しなけりゃもっともっただろうなあ -- 名無しさん (2014-05-04 15:57:10)
  • 劉備の場合、掲げた看板の為に、義兄弟の仇討ちを後回しに出来なかった、て事情もありそう。 -- 茶沢山 (2014-05-04 18:18:34)
  • 日本史でいうなら、徳川家定や大正天皇だな。先ず無能で批判されるあたりが。徳川家定は松平慶永、大正天皇は山縣有朋が批判していたね。家定は阿部正弘、井伊直弼を重用したし、大正天皇は父親に比べたら政治に干渉せず、立憲君主制の元首として余計なことをしなかった。臣下からしたら、余計なことをしない分、有難い主君なのかもね。 -- 名無しさん (2014-05-05 05:37:28)
  • 日本史に例えるってなると曹操が織田信長で劉備は皇室か源氏の血を引く武将って事になるのか? -- 名無し (2014-05-05 13:00:56)
  • ↑曹操は信長と信玄を足したような人。劉備は足利尊氏になるのか?武闘派の家臣には慕われていたから。 -- 名無しさん (2014-05-05 21:43:46)
  • 赤ん坊のときに父さんが投げて頭をぶってバカになったか・・・。 -- 名無しさん (2014-09-03 12:20:07)
  • かつての日本で例えると沖縄が堕ちる前に降伏したようなもんか。悪く言われてるけど孫コウなんかよりは大分マシじゃない?無双6での好意的解釈は結構良かった。 -- 名無しさん (2014-09-03 13:02:34)
  • 無双orochi2での趙雲との陣地会話には驚かされた。普段はのほほんとしているけどたまに核心をつく発言するから油断できない -- 名無しさん (2014-11-01 19:50:56)
  • 無双シリーズでは4の白帝城やEDで剣の稽古をするあたりから扱いの良さが逓増してったイメージ。魔王再臨なんか劉禅救出するドラマティックモードのステージまであるし。 -- 名無しさん (2014-12-02 16:58:52)
  • 魏や呉のような皇位を巡る争いが起こらなかったこと、無駄な犠牲が多数出る前に見切りをつけて降伏したこと、降伏後は天寿を全うしたことなどは一概に暗愚とは言い切れない。もっと評価されるべき。 -- 名無しさん (2015-01-23 19:50:11)
  • つーかあれは創作だろうとは思うけど、もし本当の話だとしたら「蜀に帰りたがっている=いつか叛乱を起こす」ってことになるわけで -- 名無しさん (2015-01-23 20:57:59)
  • そもそも司馬昭が同じ事を聞いてきたのが怪しい。郤性 -- 名無しさん (2015-01-23 21:16:34)
  • 郤正も司馬昭の手先になってた可能性もあるし。バカを装うことで自分に限らず、蜀から連れてきた自分の臣下も守ったととれる。 -- 名無しさん (2015-01-23 21:17:40)
  • ↑4それだと後継者でゴタゴタして降伏せずに逃亡しようとしたから劉禅は暗愚なんじゃ -- 名無しさん (2015-01-23 21:51:54)
  • あの薄っぺら委 -- 名無しさん (2015-02-23 06:59:42)
  • 侍中宦官を重用して国政を乱したこと、挙句国を滅ぼしたこと、滅ぼした上にかつての部下を制御できず反乱が起きて都と人民ににダブルパンチを与えたこと、そして宴席でのユカイな受け応え。これが暗愚じゃなかったら誰が暗愚だって話だよ。歴史上これより下がいくらでもいるのは否定しないが。 -- 名無しさん (2015-03-16 06:23:58)
  • そもそも宴席での受け応えを演技とみなすのは何の根拠があってなのか。此の時点で既に劉禅は完全に無力な状態であり、皇帝ならともかく司馬昭に対してどんな発言をしたところでそれが原因で処罰されるといったことはない。文字通り劉禅の主体性の無さを顕してるだけだろう。 -- 名無しさん (2015-03-16 06:26:53)
  • 発言そのもので処罰されなくとも、罪を着せる動機になることは考えられる。元皇帝として反乱に担ぎ出されることもある。劉禅が素か演技かはともかく、司馬昭は探りを入れていると見るのが自然。 -- 名無しさん (2015-03-16 09:14:28)
  • 魏から帝位を簒奪した司馬昭の行動に暗殺が多いからなぁ。旧蜀臣に担ぎ出されても面倒だしさっさと難癖つけて殺そうとする可能性は無くもないわな。宴席での劉禅の意図は知らんw -- 名無しさん (2015-03-16 16:17:36)
  • じゃあなんで「蜀が恋しい」って言った劉禅は難癖を付けて殺されなかったんだ -- 名無しさん (2015-03-16 16:37:34)
  • ↑郤正とやらの言いなりらしいと確信できたからじゃない? -- 名無しさん (2015-03-16 16:41:22)
  • じゃあなんで郤正はお咎め無しだったんだ。それに部下の言いなりなら、担ぎ出そうとするやつが近づいてもノーガードになるだろうし余計放置できないんじゃ -- 名無しさん (2015-03-16 16:56:44)
  • ↑郤正とやらが魏のスパイになっていたとか。それから部下といっても近づくには許可がいるだろうし。蜀の旧臣が誰でも自由に接近できたわけじゃないと思う。そもそもそんなに部下なんていないと思うよ。 -- 名無しさん (2015-03-16 17:54:30)
  • となると郤正は劉禅が魏でつつがなく過ごせるように色々補佐した人だから、仮にスパイなら魏としては劉禅に平穏無事に暮らして欲しかったって事になるな。こりゃ最初から何言おうが処罰は無いな -- 名無しさん (2015-03-16 18:03:18)
  • それに部下の状況がそうならそもそも担ぎ出される可能性自体が最初から皆無に等しい、まったくの無力ってわけか。 -- 名無しさん (2015-03-16 18:17:30)
  • 実際あれが演技だってのはどういう根拠に基づくのやら。まああの発言を無理矢理弁護するとなると、「実は演技だったんだよ!」「な、なんだってー!」ということにするしかないからだろうけど・・・ -- 名無しさん (2015-03-16 18:32:54)
  • 姜維ですら劉禅に付き従ってる感じじゃないしな。 下手したら劉禅に対して忠義を貫いた将っていないんじゃねえの? -- 名無しさん (2015-03-16 19:39:49)
  • 忠義を貫いたかはわからんし将じゃないけど、郤正は蜀滅亡後に妻子を捨てて劉禅に付いて行ったな -- 名無しさん (2015-03-16 20:00:30)
  • 劉禅は昔の作者や読者たちに嫌われすぎた結果特に人物像が分り難くなってる -- 名無しさん (2015-03-16 20:09:14)
  • 陳寿の「白糸」と薛クの「劉禅は暗愚で過ちを知らない」からまあ、蜀末期の劉禅は駄目なんだろうなって事はわかるな -- 名無しさん (2015-03-16 20:19:02)
  • 別に嫌われすぎたからじゃなくて、元々劉禅は記録が少ない。「」で囲めるような劉禅自身の発言なんて、自身の伝には司馬昭との一件ぐらいしか出てこない。他人の伝を探っても姜維から黄皓の件で詰め寄られたときぐらい。 -- 名無しさん (2015-03-17 13:29:32)
  • ↑10それは桓階を殺さなかった劉表や王修や牽招を登用した曹操と同じ理由じゃないかな -- 名無しさん (2015-03-17 16:30:32)
  • ↑なるほど郤正の劉禅を補佐する能力を高く買ってたわけか。確かに郤正が居なければ劉禅は絶対何かやらかして処断する羽目になりそうだしな -- 名無しさん (2015-03-17 17:13:30)
  • ↑それもあるかもしれないけど一番大事なのは郤正が自身の危険を顧みず「義」を貫いたということかと。そういう人物を許して臣下にすることで自分は「義」や「孝」をよく理解してる器の大きい人物ですよーっていうアピールになる。 -- 名無しさん (2015-03-30 12:12:46)
  • 今更過ぎるアピールだけどなw蜀がある間に見せてろよって感じで -- 名無しさん (2015-03-30 14:03:45)
  • 降伏後の宴会のエピソードをコーエー評価スレでは「疲弊を無視して勝ち目のない北伐を繰り返す姜維、それを止めれない成都政府、漢朝の復興を頭から否定する士大夫、そして発言権を持てない自分。 -- 名無しさん (2015-06-08 15:59:45)
  • 蜀滅亡前後の態度は何も分かってないゆえの愚行というより分かっていても何も出来ないゆえのものではなかったか。あの受け答えは本当に楽しくて蜀を忘れたわけでも保身のために愚鈍を装ったのでもなく本当にあの頃の蜀には戻りたくもないし思い出したくもないと吐き捨てたかったのではないだろうか」と言われてるな。自分もそう考えるようになった -- 名無しさん (2015-06-08 16:02:54)
  • ↑それだとつくづく皇帝の器じゃねぇなぁ・・・w -- 名無しさん (2015-06-08 16:42:28)
  • オヤジのコレのどこが大徳だ?に比べたら分り易くてい好きだけどな まぁ後宮関係の話はちとヒクがw -- 名無しさん (2015-06-08 18:59:52)
  • 昔読んだ三国志解説漫画で司馬昭の質問に答えた後「ここでは誰も私に戦を勧めませんから」と呟く疲れきった人になってた。イメージにあった横山三国志の印象は変わらなかったがちょっと見方は変わった -- 名無しさん (2015-06-08 19:36:10)
  • 降伏後、対立者であった姜維すら擁護した郤正をスパイ呼ばわりたぁ酷い奴がいたもんだ -- 名無しさん (2015-06-11 14:13:13)
  • 貶しあいに発展するような内容にするのは感心しない -- 名無しさん (2015-06-11 14:19:23)
  • 孔明を粛清とかしなかった時点で君主としてはこいつより下が大量発生するんだよね。無能ではあるが暗愚ではないって感じ。 -- 名無しさん (2015-09-10 16:07:57)
  • そもそもそこらの暗愚なら孔明を殺してるんだよな ただ、有能型でもあそこまで全権委任してぶん投げないけどw -- 名無しさん (2015-11-19 00:37:49)
  • 三國無双の4コマ漫画だと、父である劉備や他の武将からも無能扱いでいじめられ、 ガンガン連載のブレイド三国志では、完全に蜀をダメにした暗愚とボロクソに悪く描かれていたな。 -- 名無しさん (2016-01-18 19:19:34)
  • ↑2馬鹿野郎、まる投げ同然で委任してたからこそ孔明が今日まで評価されたんじゃないか。 結果的に過労死してしまったが孔明自身は「自分を信頼し全てを委ねてくれる」理想的な君主に巡り会えて満足だったと思うぞ。 -- 名無しさん (2016-03-08 00:17:47)
  • 無双のプレイアブルになってからは暗愚詐欺の人に。 -- 名無しさん (2016-03-08 11:16:20)
  • 最近は中国でも再評価されつつあるんだぜ、これはすごい事 -- 名無しさん (2016-03-08 11:46:12)
  • ↑ それはすごいな......。誰かがなんかしたから? -- 名無しさん (2016-03-09 11:50:10)
  • ↑日本の影響だろうなたぶん -- 名無しさん (2016-03-09 11:56:38)
  • 当たり。日本文化オタクの中国人はそこそこいてだな。ネット環境ある中流層の1割にも満たんと思うが、3億の1割は3千万人なわけで。彼らは日本人が三国志人気な事知って改めて調べ出し、大学でガチ研究する事もある。そして偉大なる中国の歴史として新解釈を発表するわけ。毛沢東信仰が薄れたから、劉禅は暗愚でFAという結論に議論の余地が初めて生まれた -- 名無しさん (2016-03-10 09:56:18)
  • ↑日本の影響すげえな、あと三国志13の追記した人乙 -- 名無しさん (2016-03-10 18:43:46)
  • ↑ 日本の影響力って中国政府からしたら畏怖の対象だからな。 某アイドルグループの姉妹グループが上海にできた時も『日本が選挙という人民の政治介入を広めようとしてるアル』って発狂してたし。 -- 名無しさん (2016-03-14 09:35:37)
  • ↑ アイドルグループでその反応かよ大袈裟すぎだろワロタwww -- 名無しさん (2016-03-14 20:42:15)
  • 真面目なwikiじゃないからそこまで厳密に欠く必要もないとおもうけど、いくら何でも無茶な擁護をし過ぎの気がする・・・・・・ -- 名無しさん (2016-03-18 23:51:45)
  • ue -- 名無しさん (2016-03-19 01:15:33)
  • ↑投稿ミス  擁護も何もこれまでネガキャンが酷すぎた反動で擁護が過剰に見られているだけかと…(少なくとも魏や呉よりはマシだし) -- 名無しさん (2016-03-19 01:22:24)
  • 例えば日本でも家老が実権を握る為、君主の若君をバカ殿に育てると言った事例は多くある。それに、記事にもあるが「滅ぼされた国の王は愚案で無ければ相互性が取れない」と言う事情もあり、過剰にdisられている可能性もあり、また家臣達が降伏後、国が滅びたのは自分達のせいでは無いとする為(自分達に滅亡の責があるとすると、仕えた新しい君主に重用されない為)、やはり「王がアホやから・・・」と言った記録を捏造する事は多くある。その証拠に、(以前からの滅ぼされた王朝の王もしばしば同様だが)幼少期は賢く武芸の才もあったとされるのに、晩年はその見る影も無くなっている。 -- 名無しさん (2016-03-19 08:31:43)
  • そういう一般原則はあるが、劉禅にそれが当てはまるのかというのは別の話でしょう。史書の常として可能性は否定しえないが、それを事実のように書くのは流石に違うのでは。自決した後で混乱が増加するってのも根拠のない推測だし、降伏に関しても最初は成都を見捨てて逃げようとして臣下に諫められてあきらめたんだし、黄皓に関してはそもそも最初から重用するのが悪いって話だし。まあ劉禅を擁護しようとなるとどうしても「きっとこういう深い理由があったに違いない」という論法にならざるを得ないしそれはまあいいんだけど、推測はあくまで推測として書くべきでは?断定ではなく。 -- 名無しさん (2016-03-19 09:04:51)
  • 擁護のための推測はまとめて一か所にして集中させるとか、史実の要素を書いてそのあとに黄色で佞臣的超ヨイショをつけるとかすると、史実と編集者の推測をある程度わけることができるし、もっと大胆な推測も書けて面白いのでは。 -- 名無しさん (2016-03-19 09:21:14)
  • まぁ確かに憶測なんだけど、判官贔屓と言うか、各作品でdisられ過ぎて擁護したくなる。 -- 名無しさん (2016-03-19 12:12:21
  • 一応纏めてみました。 編集合戦の様で削除されている解説も多いので追記や修正していただければ幸いです。 -- 名無しさん (2016-03-19 12:53:49)
  • 擁護を幾らしても、最後は黄色を重用したという致命的采配が暗愚説を確定させてる悲しさよ。でも擁護すべき部分は擁護されつつあるからよかったよかった -- 名無しさん (2016-03-19 14:39:01)
  • コメント欄が長くなってきたのでリセットしました -- 名無しさん (2016-03-19 20:49:29)
  • まあ完璧な人間もすべてが駄目な人間もまずいないからね。大抵の人物には何かしら評価点、あるいは評価の余地がある。蜀は記録が比較的無茶苦茶な分考察の余地があるし -- 名無しさん (2016-05-22 19:09:06)
  • なんというか三国史関係の作品だと英雄が起こした国を愚鈍な息子が駄目にしたっていう見事なオチにするために利用されまくった感じがすごいからなぁ。滅んだ原因もだいたいこいつのせいにすれば他の武将は活躍とかさせられるし -- 名無しさん (2016-07-07 03:58:11)
  • 黄皓「許された」 -- 名無しさん (2016-07-07 12:17:51)
  • 降伏は妥当だったと思うなぁ。徹底抗戦じゃ後に残された人が大迷惑だ。美談扱いされる玉砕も残される人&付き合わされる人にとっては迷惑。※玉砕に付き合う人が納得してて徹底抗戦に意味がある場合はもちろん別ね。岩屋城の戦いとか -- 名無しさん (2016-07-29 13:41:50)
  • 降伏は妥当だとしてもそれは降伏を勧めた譙周の評価点で逃げる気でいた劉禅の株は上がらないのでは -- 名無しさん (2016-07-29 15:24:21)
  • 資料が少ないからしっかりとした評価が難しいのによくここまで議論できるね。三國志に対する愛を感じるわ。 -- 名無しさん (2016-08-22 21:45:29)
  • 正直嫌いじゃないな、人間らしいというか -- 名無しさん (2016-08-27 10:13:09)
  • 小学生向けとコンビニ本の三国志関連の本では相変わらず蜀滅亡の戦犯と書かれているわ。 -- 名無しさん (2016-09-13 07:09:55)
  • そりゃあどうあがこうが蜀滅亡の戦犯扱いは変わらんと思うぞ。 -- 名無しさん (2016-12-06 02:34:00)
  • 無双の欄の飽三娘の記述いるか?はっきり言って不快だわ -- (2017-01-15 20:54:54)
  • ↑の者だけど消しといた -- 名無しさん (2017-01-15 20:58:11)
  • 司馬昭は疑っても何もしないよ派といいや逆心を疑ったら失脚させるよ派の論戦が絶えず、劉禅のみならず司馬昭がどういう人物かという評も絡んでくる項目。 -- 名無しさん (2017-02-08 17:36:07)
  • 陳寿が引用した『蒙求』の故事「墨子悲絲」は、「憫其本同而末異」としめくくられる。皮肉にも、瑞祥と共に生まれて暗君になり果てるという脚色を受けた演義の方がよりしっくりくる故事である。 -- 名無しさん (2017-02-08 23:11:33)
  • 性欲強かったんだな… -- 名無しさん (2017-06-06 23:50:56)
  • 始皇帝の最期もこうなると思う。 -- 名無しさん (2017-12-11 22:03:06)
  • 少なくとも「部下に反乱を起こされない才能」は父から受け継いでいたんだなとここを読んで思った -- 名無しさん (2017-12-11 22:36:25)
  • NTRの証拠いん・・・変な理由で臣下を処刑しても反乱が起きないしな -- 名無しさん (2017-12-17 07:48:01)
  • 母親が死んだり後妻が親父と超仲悪くて後妻に誘拐されそうになったり、呉との揉め事で戦力を大幅に亡くしてそのまま親父が死に、登山家のせいで数少ない魏侵攻のチャンスが潰れたり、本人のあずかり知らぬ所で詰みが起きすぎて真面目に皇帝する気起きなかったんじゃないかな…。投げ出して行方不明になってないだけすごいと思うわ -- 名無しさん (2018-03-08 14:50:42)
  • 蜀の記録が滅茶苦茶なのは諸葛亮がそこんとこ軽視してたせいなんだよな -- 名無しさん (2018-03-08 15:55:51)
  • 真面目に皇帝やってない時点でろくでもないぞ。それに末期は逃亡の検討という行方不明一歩手前まで行ってる。譙周がいなけりゃ投げ出した最低のクズになってたな -- 名無しさん (2018-03-08 18:54:15)
  • なんだかんだいって四十年も一国の頂点に君臨してたんだから少なくとも無能ではないと思う。 -- 名無しさん (2018-03-20 06:58:41)
  • 万暦帝は48年頂点に君臨した上に国も滅ぼしてなくて外国も撃退したから劉禅の上位互換だな。まあ万暦帝はニートの暗愚なんだから劉禅はニートの暗愚以下のド無能って事になるが -- 名無しさん (2018-03-20 07:03:31)
  • 万暦帝は元は名君だったのが暗君化したケースだからちっと違う気がする -- 名無しさん (2018-04-21 04:54:59)
  • 似たようなポジションに呉の孫皓が居るが、こちらは暗君どころか暴君のレベルなのに劉禅ほど槍玉にはあげられていないような気がする。 -- 名無しさん (2019-01-24 16:05:03)
  • 現実が見えてたんだろ。現実が見えてなかったら精力的に働いたんだろうが、あの時点の蜀の置かれた状態を見ることができる程度には有能だったんだろう。司馬昭との会話も「あんな八方塞がりでどうしようもない状態には戻りたくない」とも見れるし -- 名無しさん (2019-01-24 16:19:56)
  • 劉禅は暗愚かもしれないけど、間違っても暴君ではない。孫皓よりははるかにまし。 -- 名無しさん (2019-01-24 17:03:03)
  • 何と言うか、ある意味大友宗麟みたいな人物だと思う。宗麟の三老失ってからの凋落ぶりが妙に被って見える(ただ宗麟も戦国大名だけあって本人の能力も高いので一概に似ているとは言えないけど) -- 名無しさん (2019-01-24 21:09:59)
  • 火事に気付かず遊ぶ燕扱いされた劉禅が現実見えてたとも思えない -- 名無しさん (2019-02-01 07:51:40)
  • ↑もうどうしようもない、努力しても解決できない状況なら遊ぶのもありといえばありかもしれんぞ。その後死ぬか殺されるか死ぬまで監視下に入ることと引き換えだが。まあそれが国家君主としてどうかと言われれば×というしかないが、まあ結果として戦火に巻き込まずにすんだしな。 -- 名無しさん (2019-02-01 13:21:05)
  • ある意味現実が見えてたけどなんとか国を生きながらえさせようとした孫皓は中央集権化の果てに暴君化してアレだからな。諦めて暗君か抗って暴君かしかない -- 名無しさん (2019-02-01 13:24:45)
  • 部下の独走に悩まされつつも、そもそも部下に国を乗っ取られた魏の曹叡・曹芳らと比較すれば何だかんだ言って、三国の中では勝ち組と言えなくもない・・・。あくまで結果論だが -- 名無しさん (2019-02-01 14:15:49)
  • 言われているほどバカ殿ではないがかと言って名君という訳ではないってとこかな? -- 名無しさん (2019-03-27 18:51:47)
  • 言われているほどバカ殿ではないがかけっこうなバカ殿であることは間違いない -- 名無しさん (2019-03-28 06:57:22)
  • コメント欄が長くなってきたので異論がないなら近日中にログ化します -- 名無しさん (2019-03-31 00:03:05)
  • コメント欄をログ化仕様にしました -- (名無しさん) 2019-04-12 01:18:24
  • ショウ周のの小細工に乗っかっただけで本当は慌てふためいて逃げようとしてた奴が現実見えてるわけねーだろ。成都まで迫られて降伏とか別に全然早くないからな? -- (名無しさん) 2019-06-22 02:21:30
  • そもそも現実見えてたら董允の意見聞き入れるって -- (名無しさん) 2019-08-22 20:29:40
  • ↑2>本当は慌てふためいて その根拠はどこから?そしてあなたは現実的にどこで降伏するのが妥当だと思うの?↑この記事では聞き入れているようだけど? -- (名無しさん) 2019-08-22 20:44:22
  • ↑董允伝に美女で宮廷を満たしたいのを董允は増やすのは良くないと言って聞き入れなかったのを憚った事 -- (名無しさん) 2019-08-23 20:32:14
  • 劉禅が成長して黄皓の寵愛してるのを上を正す下は黄皓を激しく責めて黄皓も政治関与出来なかったなんて書かれてる事を踏まえて聞き入れてるなんてのはまずないもし劉禅が彼の行いを顧みてるなら諡を送ってないのはまずあり得ない陳祗にも諡号あるんだし -- (名無しさん) 2019-08-23 20:47:48
  • 譙周の指摘見ると逃亡の事前準備はしてないっぽいしな -- (名無しさん) 2019-08-23 20:56:57
  • 因みに劉禅は自分の弟を出禁にしている理由は宦官を寵愛してたのを諫言と董允がした事と一緒 -- (名無しさん) 2019-08-23 21:21:00
  • ろくでもない君主、というわけではないが6じゃなかったら5くらいかなってぐらいにはダメ -- (名無しさん) 2019-08-28 23:39:48
  • ヤウダのアト王は皇帝に対する見識だけは的を射ていると評判。まぁ結局ワグナスに謀殺されるので無能呼ばわりを返上するのは無理だが… -- (名無しさん) 2019-10-22 02:10:59
  • STOP!劉備くんだと意外にもボケ役やった事が少なかったりする -- (名無しさん) 2019-12-27 10:49:26
  • 阿斗の丸投げ30%以上の確率で呂布超えるとかイカれてるだろ -- (名無しさん) 2020-01-11 12:46:46
  • 小国でも皇帝だし人妻に手を出すほど女に飢えてないと思うから不倫はしてないんじゃね?そもそも1ヶ月も滞在させたのは太后だし。 -- (名無しさん) 2020-02-27 01:28:37
  • 漢の威光を借りて戦い続ける周囲が馬鹿らしくなって「朕が本当の漢を教えてやる」とばかりに黄皓を重用し始めたという妄想。献帝の魏での扱いが蜀にどう伝わってたかは分からないけども。 -- (名無しさん) 2020-06-23 22:52:34
  • 劉禅だけが董卓や孫皓以上に嫌われ、廟から名前が削られ、武侯祠では像が撤去、墓が壊される程後世の人達に憎まれたのは蜀を滅亡させた以外にどんな要因があるんだ? -- (名無しさん) 2020-10-19 21:11:11
  • ↑皇帝としては確かにろくでなしだがソコまで嫌われる程の事はしてないよな。中国の歴史だとコイツより酷い皇帝なんかぶっちゃけ幾らでもいるし -- (名無しさん) 2020-10-20 02:23:00
  • ↑2劉禅はその二人と違って好かれる要素が無かったからでは。優れた面があれば他がどれだけダメでも好まれる事もあるけど、劉禅は良い面が無いからそこまで嫌われる程の事はしてなくても嫌われるしかない -- (名無しさん) 2020-10-23 07:48:37
  • ↑この両名は暴君として悪名高いが、董卓は馬術と騎射の武勇に異民族と交友を持ち、孫皓は初期の頃は善政を敷き司馬炎をやり込めた弁舌を持っていた。対して劉禅は個人の力で何か優れていた所がない、後世の人達にネガキャンされても文句が言えないな。 -- (名無しさん) 2020-11-02 22:24:14
  • 「劉禅が暗君である」ということと「劉禅が有名な暗君としてヘイトが高い」というのは、これは全く別の話なんだ。董卓や孫皓をよく知らないような大衆であっても、「孔明と姜維と彼の努力を無にした暗君劉禅」なら知ってるって感じなんだ。 -- (名無しさん) 2020-12-08 07:33:38
  • まったく別の話ではあるが、劉禅は実際暗君な上に有名な暗君としてヘイトが高いタイプ。だからまあ問題無い -- (名無しさん) 2020-12-18 07:05:11
  • 演戯とマオちゃんが悪い。それがなければ凡愚程度の評価だったはずなのに… -- (名無しさん) 2021-01-26 00:28:44
  • 演義では糜芳に黄皓と蜀を裏切り滅亡に加担した者達は容赦なく無残なラストが与えられている中、劉禅はのうのうと生き残ってフェードアウト。そこん所も劉禅が叩かれる点じゃない?反三国志では暗殺され、無双のアンソロでは本人がやる気を出しても、無能のレッテルを貼られて各勢力の武将達にイジメられる扱いになってるし。 -- (名無しさん) 2021-01-31 07:01:14
  • 三国志演義が最たる物だけど、中国の歴史ものって名臣age皇帝sageの傾向が強いからその辺は差し引かないといけないとは思う。劉備でさえ、「後漢の忠臣の劉備」と「蜀漢の皇帝の劉備」とではほぼ別人だし、献帝や司馬炎ですらそういう面はある -- (名無しさん) 2021-02-05 23:03:00
  • ↑3 「毛沢東が~」の逸話の信ぴょう性はともかく、別に毛沢東の発言で劉禅の評価が下がったわけではない。中国の庶民にとって最も身近(と言っていいのか?)な暗君といえば、三国故事で有名な劉禅であり、いわば元から「誰でも知ってる暗君」だったに過ぎない。 -- (名無しさん) 2021-02-06 00:36:28
  • 暗君と暴君はどっちの方がマシな存在なのだろうか? -- (名無しさん) 2021-03-02 10:42:57
  • この後の時代を見て行けば分かる -- (名無しさん) 2021-03-02 13:12:14
  • 「マシ」と言ったって立場によって何をもって「マシ」というかも変わってくる。「暴君」も単なる面白半分乱脈野郎か抵抗勢力と戦う改革者か。「暗君」もいい部下に恵まれたので任せていたのか部下に恵まれていないのにすべき陣頭指揮を怠るタイプかも分かれる。 一言でまとめることに意味はない。 -- (名無しさん) 2021-03-02 13:22:15
  • じゃあ同時代の孫皓と劉禅だったら家臣にとってはどっちの方がマシか?だったら? -- (名無しさん) 2021-03-02 19:21:53
  • もしくは国民にとってはどっちがマシか?だったら? -- (名無しさん) 2021-03-02 19:23:11
  • 国民も家臣も劉禅の下にいた方が「楽」ではあるだろうね。ただ孫晧の場合改革者としての面があるから孫晧によって正当に評価され取り立てられたタイプはいただろう。 -- (名無しさん) 2021-03-02 20:59:38
  • 劉禅は余計なことしなかったから暗君じゃないって最近よく言われるけど、ぶっちゃけ必要なこともしてなかったしよケニア湖としてないっていうのも失態が有名じゃなくて知られてないだけだよな -- (名無しさん) 2021-03-25 06:30:29
  • 劉禅再評価ってつまるところ、部j化の手柄は俺の手柄、でもうまくいかなかった部分は環境と部下のせいって感じだからな -- (名無しさん) 2021-03-25 06:37:50
  • 関羽と張飛の子供達はゲームで高ステータスが与えられるが、劉備の息子の劉禅に養子の劉封は低ステータスで冷遇される扱いだ。史実での関羽を助けない蜀滅亡のやらかしが大きいからか。 -- (名無しさん) 2021-04-17 09:13:07
  • 劉琰のところ主観入りすぎだろ。明らかに演義に引っ張られている上に結論ありきでかいててむちゃくちゃなことになってるぞ -- (名無しさん) 2021-07-06 11:19:31
  • 劉琰の処刑の時期を間違えて記述している。実際の処刑時期は、孔明も他の四相も存命中。孔明は五丈原で政務も行っていた。NTR疑惑は冤罪では?不適切なら董允が止めるはず。 劉琰は贅沢&酒乱で魏延を誹謗して後送された男。例の事件では、『吏卒』(役人や軍人)を使って、妻をDVして、彼女の顔面ごと劉禅のメンツをつぶしている。完全にアウト。劉禅がNTR野郎なら、彼を見せしめにして、「もっと妻女をよこせ」となるように思うが、実際はこの事件を教訓に女性の参内の風習を止めさせている -- (名無しさん) 2021-08-18 21:34:09
  • 【司馬昭との酒宴でのやり取り】は、もしこれが本当にあった事なら、劉禅より司馬昭の方が悪質だろう。降伏から間もない主従に敢えて亡国の音楽を聞かせ、「故国が恋しいか?」と聞くとは大丈夫のやることか?これで劉禅が臣下と共に涙を流したり、「国が恋しいです」と答えたら司馬昭は、ただ単に嫌な奴ということになる。この話自体が創作か、あるいは探りを入れて来た司馬昭を劉禅が躱したというのが真相ではないか。 -- (名無しさん) 2021-09-06 20:28:23
  • ↑2 陳寿は三国志編纂時において、あえてひっかかる文章にすることで「直接書くことはできないけど、察してね」みたいな表現をしている個所が何か所かある。曹髦(高貴郷公)伝なんかがその代表的なものだが、ここもその一つで「罪状(というか有識者の判断)」と「実際の刑罰」がまったくリンクしてない。例えて言えば駐車違反で死刑になってるようなもの。つまりそこに「察すべき事情」があるわけで、それをどう解釈するかと言えばやはり諸々の史書がそう判断するように、本文のような事情を推察するのが一番無理がない。 -- (名無しさん) 2021-09-06 23:10:09
  • あと別に重臣の妻女が年始の挨拶に参内しなくなったのは、劉禅の命令とは書いてない。原文は「自是大臣妻母朝慶遂絶」で、(劉禅が)止めさせた、ではなくて(自然と)絶えた、と訳すべきだろう。 -- (名無しさん) 2021-09-06 23:13:52
  • ↑3 無双はその説を採用してるね -- (名無しさん) 2021-09-06 23:26:26
  • ↑4探りを入れるんなら他に有効な手がいくらでもあるんだから無いんじゃないかな。何もこんな常識的な判断力があるならおべっかでも故郷の事を思うと言うような場面で探りは入れないだろう -- (名無しさん) 2021-09-06 23:43:59
  • あれは普通にみなで盛り上がる余興でしかないだろう。そもそも本当に賢いなら「確かに懐かしいといえば懐かしい、しかしそれ以上にここでの安息な日々は私にとって素晴らしいものでございますので故郷を思い出すことはあまりなありません。」くらいに言っとくだろう。元臣下の体裁にもかかわるんだから。 -- (名無しさん) 2021-09-10 16:49:08
  • まあ劉禅がやるべきだった事は感動的な曲を聞かせてくれた演奏者と主催者に感極まった様子で感謝の礼を示すことだよね。思惑とか抜きに礼儀として -- (名無しさん) 2021-09-10 23:25:11
  • ↑6劉琰の刑(棄市)が、重きにすぎるのは同意だが「察するべき事情」の有無や中身が本文のような物かは不明ではないか。劉琰の処分は①胡氏の告発②下獄(獄に下される)③有司(有識者ではなく役人と訳すべきだろう)の詮議④処刑と一応の手順を踏んでいる。つまり、即斬られたわけではないのだから、異議があるなら臣下が諌止する時間はあったことになる。五丈原の孔明は兎も角、留府を統べる蔣琬には確実に。車騎将軍の処刑に彼を関知しないとは考えずらい。また、本当に1か月も私通していたなら、董允の目は節穴だろう。 -- (名無しさん) 2021-09-22 22:48:51
  • とは言え引っかかりは覚える。劉琰は「酒荒之病(アル中か)」で劉備の頃から、もめ事を起こして没落しかけ、孔明が許し取り立てたが、また酩酊して魏延を誣告。本来、廷尉に引き渡される所をお情けで更迭(官位はそのまま)。その上この騒動で、周囲は、この無能で小物のトラブルメーカーを「切り時」だと判断したのではないか?それが「察してね」とか?想像に過ぎないが。陳寿は件の事件の直前に「琰失志慌惚」(成都に更迭された後)劉琰は志を失い慌惚(認知症?)となったと記している。正常な判断能力を失い、その結果、太后・劉禅に無礼を働いたと示唆しているようにも取れる。 -- (名無しさん) 2021-09-22 23:35:06
  • 棄市というのは「道徳的罪を犯した非士大夫」に適用されるもので、まず基本的に士大夫に下される罪ではなく、「顔に靴を置くのはよくないことだから」「車騎将軍を」「棄市」というのははっきり言って異常事態。士大夫に下される死刑と言うのは原則「自殺」で、大逆などのS級不敬行為を働いた場合などに一気に最高刑の腰斬に、温情措置の場合は絞首刑となる。劉エンは蜀漢の嫌われ者というか、周囲から正直邪魔者扱いにされていた(多分弁護の声が全然あがってないのはそのせい)し感心できない行為も多々あったようだが、ならばそちらの「勤務態度不良」とか「皇帝を謗った不敬」とか、いわばまっとうな理由を罪状に、死刑でも追放でもしたらよい。それなら法的にも道徳的にもなんの問題もなく、陳寿も普通にその旨書いただろう。しかし陳寿は(ぶっちゃけ下世話な)事の経緯をしっかり書いた上で、その異様な罪状と死刑について断片的に書き、〆に「こんなことがあったから、臣下の妻が参内する習慣が絶えましたとさ」とわざわざ書いてる。ことの事実はどうあれ、この書き方からは明らかに陳寿が「これってつまりそういうことだよね」と判断していた、とするのが一番自然だと思うよ。 -- (名無しさん) 2021-09-22 23:41:23
  • 故郷の元皇帝が妻横取りしましたなんて不敬すぎてそのまま書けないからね…察してね☆になるよね… -- (名無しさん) 2021-09-23 23:39:20
  • 正直桓公よりは生を全うできたからまだいいほうともいえるかも -- (名無しさん) 2021-10-07 21:38:30
  • 降伏後家臣たちの反対を押し切り次男ではなく暗愚の六男に安楽公の与えた事で永嘉の乱で一族滅亡しかけた事はあんまり知られてないのかな?六男を何度も諫言した王崇は華陽国志によれば「劉禅は庸常の君で補佐するのは諸葛亮1人だった」 -- (名無しさん) 2021-11-12 18:29:33
  • 晋時代のことはほぼ知られてないだろうな。っていうかしかけたというか劉禅の血筋は滅亡しとるな…。 -- (名無しさん) 2022-01-23 02:25:40
  • 安楽県公が途絶えたのは永嘉の乱によるもので、劉恂を跡継ぎにしたこととは直接関係はないよ。司馬さん家のお家騒動の犠牲者。それはそれとして良くない選択ではあったとは思うけど。そのことにより死人が出たとか晋からお咎めを受けたと言う訳ではない。「劉恂は家族を苦しめているだけで、民を苦しめているわけではない」ということは親族から見れば横暴な人物であったのだろう。 -- (名無しさん) 2022-01-28 00:03:29
  • 王崇の評は全体的には「劉禅は並の君主だった」ことにではなく、姜維の名誉回復にこそ、力点が置かれているように思う。『姜維が「鍾会の乱」を起こしたのは(邪心ではなく)、漢の復興(劉禅への忠義)の為であった。彼の知略は鍾会に勝るものであった』と。晋では諸葛亮は「敵ながらあっぱれ」と称えられる一方、姜維への風当たりは強かった。 -- (名無しさん) 2022-01-28 00:29:10
  • 暴君じゃなかっただけで曹丕曹叡レベルの資質もなかったのは間違いないし、それが蜀の運命を決定付けた -- (名無しさん) 2022-01-29 03:56:54
  • 「SWEET三国志」だと、「馬鹿アンド一部茶髪」。その一方で北伐に行く孔明に、「魏には勝てない、馬鹿な僕にもわかる。お願いだから僕と一緒にいてよ、この国には君が必要なんだ」というような事を言ってた。 -- (名無しさん) 2022-02-12 23:48:31
  • 蜀は蜀で安泰であればよかった人なのかもしれんな。国是としていた漢帝国の復興も生まれた時から実質滅んでた国の復興ってなんのこっちゃ、だったろうし。その国是も諸葛亮とかが大義名分として利用してたはいいが果たして下々にどこまで響いてたことやら。 -- (名無しさん) 2022-06-30 19:32:30
  • 劉琰の件に関しては、そもそも劉備の徐州時代からの古参(糜竺・陳到らと同世代か?)を粛清した裏事情を糊塗するために妻の事を無理矢理口実にしてるようにも見えるんだなあ。危ういバランスの上に成立している蜀漢の運営に、彼の存在で何か不都合があったのかも知れないが・・・ -- (名無しさん) 2022-11-27 21:15:53
  • 処刑理由がアレすぎるので全然糊塗になってないよ!裏事情そのまま言っちゃった方(君主を侮る行いがあった、とか)がまだ穏当だよ! -- (名無しさん) 2023-03-26 07:13:42
  • 無能の汚名が払拭されるのかと思ったらそんなことないのか…… -- (名無しさん) 2023-11-13 14:32:34
  • ⇡無能でないと言ったところで凡庸ぐらいが説得力的に限界じゃないかと。情勢次第じゃそれでも皇帝は務まっただろうが当時の蜀漢、特に諸葛亮の死後は厳しすぎた -- (名無しさん) 2024-01-05 00:57:40
  • ⇡同じくあまりの貶しに再評価兆候あるフランスのルイ16世が落ち着く処と被る印象 -- (名無しさん) 2024-01-05 08:56:06
  • 無能で蜀にトドメを刺した人だと思うけど、無能がトップに来た程度で傾くならそもそも蜀の政治体制自体に問題があったんじゃないかとも思う。 -- (名無しさん) 2024-04-07 22:56:12

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最終更新:2024年04月07日 22:56