登録日:2025/08/19 Tue 22:29:00
更新日:2025/08/19 Tue 22:30:10NEW!
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<概要>
シネクドキー(英:synecdoche)は修辞技法のひとつで、「部分で全体を」「全体で部分を」言い表す表現方法である。日本語においては「提喩(ていゆ)」と呼ばれることもある。名称の由来はギリシア語の “synekdoche(共に理解すること、包含を示すこと)”。修辞技法の世界では歴史深く、古代修辞学の段階から体系化されてきた。「提喩」という別名もある。
一見するとただの「比喩」の仲間に見えるかもしれないが、メトニミーやメタファーと異なり「一部分を通じて全体を言い表す」あるいは「全体を通じて一部分を表す」という、特定の置換ルールがある点で一線を画す。
文学や詩だけにとどまらず、政治・広告・日常会話など広範な場面で自然と使われている。たとえば、子どもが「みんなSwitch買ってる」と言う時の「みんな」は学校の一部の生徒を示す。また、「顔を揃える」の顔は参加者全員を一括りにしている。言わなくても分かるでしょ、と言わんばかりの論理の飛躍こそがシネクドキーだ。
<古典的背景>
シネクドキーを扱った最初期の理論家は古代ギリシアの修辞学者たちである。アリストテレス『弁論術』においては比喩(メタファー)の一類型として言及されている。ラテン語圏においてはキケロやクインティリアヌスなどが詳しく議論し、つまり「メトニミー」や「メタファー」と並ぶ基本技法として整理された。
やがて中世ラテン文学、説教、修辞学ハンドブックを経て、ルネサンス期には「四つのトロープ」の一つとして数えられる。現代言語学ではロマン・ヤコブソンがメタファーとメトニミーの二分法を提示したが、その延長線でシネクドキーを「メトニミー的操作の一種」と位置付ける学説もある。
<シネクドキーの分類>
シネクドキー自体は抽象的に見えるが、いくつかのパターンに分類できる。以下に代表的な型と用例を紹介する。
部分 → 全体型
ex)「足を運ぶ」=実際には体全体もある地点に移動する。足だけが運ばれるわけない。そんなの不気味だ。
全体 → 部分型
ex)「コメント欄が荒れてる」=実際に過激なコメントを書いているのは一部のユーザーだけだが、コメント欄全体が乱れているという錯覚を生み出す。
種 → 属型
ex)「社長が訊く」=任天堂が過去に発行していたゲームの開発者にインタビューを行うコラムの名称。実際に聞き手は岩田聡氏一人だけを指すが、このタイトルは敢えて大きな属性名を借りてインパクトを強化。
属 → 種型
ex)「人間は死ぬ」=全人類を対象に述べることで、個人個人が最終的に行き着く運命をも暗に示している。
分類の仕方によって呼称は異なるが、いずれも高校の数Ⅰで習うような包含関係を前提にした応用であるのが共通点だ。
<文学や詩での用法>
シネクドキーは文学表現でしばしば利用される。具体的対象を通じて抽象全体を暗示することで、読者の想像力を喚起できるためだ。
例えば「全米が泣いた」という謳い文句があるだろう。これは文字通り解釈して、アメリカ国民が全員泣いたということではない。アメリカ国民が全員泣くくらい感動するストーリーだ、というメッセージを伝えたいがために少しオーバーな表現を行っているのだ。
このように、シネクドキーは「詩的圧縮」とも呼べるパワーを持つ。一部分を示すだけで、文脈の広がりを一挙に連想させることが出来るのだ。
<シネクドキーとメトニミーの違い>
しばしば混同されるのが「メトニミー(換喩)」という修辞技法である。メトニミーは「因果」「隣接関係」による置換だ。例としては、「コップ3杯飲んだ」という表現が挙げられる。(コップがコップの中身の飲み物を指し示す。)この二つの境界線は学者によって見解が分かれる。
両者は重なり合うケースもあるため、現代言語学では「シネクドキーをメトニミーの下位分類とする」立場が一般的だ。とはいえ文学批評では独立して扱われることも多い。
<シネクドキーとメタファーの違い>
シネクドキーとメタファー(暗喩)も誤認されやすい。メタファーは「類推」によって2つのものの類似性を発見する修辞技法だ。例えば、ニーチェの「神は死んだ」という有名な台詞が思い浮かぶ。ニーチェは、神という唯一無二の超越した存在と生物の定めである死をかけ合わせることで絶対的な価値観が失われたことと新しい価値観の必要性を示したのだ。
シネクドキーは既に分類の中で含まれているもののどうしを入れ替えることで成立するのに対し、メタファーは全然関係の無いものと結びつけているので論理的な飛躍が大きい。意味を理解すると気持ちが良いが、知らないと一瞬頭に「?」が出てしまう。
<感覚情報におけるシネクドキー>
実は言語に限らず、視覚情報からもシネクドキーは見受けられる。例えば「お花見をする」という表現。お花見=桜を見ることを示すのだ。
また聴覚情報では各国の歌などが挙げられるだろう。例えば北朝鮮の歌曲「コンギョ」は北朝鮮という国自体の力強いイメージを物語っているはずだ。
<余談>
- 読書猿氏が執筆した「独学大全」では「シネクドキ探索」という技法が紹介されている。この技法はシネクドキの下位概念から上位概念へ移行するという特性を調べ物に活かすというものだ。(ただし、ここで使用されているシネクドキは比喩的な用法で厳密なシネクドキの定義とは異なる)たとえば「アンコンシャス・バイアス」について調べるする。このとき、アンコンシャス・バイアスは何の一種か?と問うのだ。(→A.認知バイアス)そして問答を繰り返す。(Q.認知バイアスは何の一種か? A.心理学用語)こうして得られた上位概念や下位概念は自分の目的に応じて調べるツールを選定するのに役立つのだ。そもそも認知バイアスが何であるかが分からない人は諸々の百科事典にあたった方が良いし、認知バイアスを既に知っている人は認知バイアス辞典などを読んだ方が良い。私達は入れ子構造がある分類システムの中を自由に動き回れるほど先人の知恵を効率的に吸収することが出来る。
- 図書館の分類システムにもシネクドキーは反映済だ。日本十進分類法を対象にすると0〜9までの番号にそれぞれの分野が対応されていて、更にその番号から細かく小分野に分けることができる。例えば1は哲学分野に、13は西洋哲学にあたるといった具合だ。
追記・修正は言葉遊びが好きな人がお願いします。
最終更新:2025年08月19日 22:30