KV-2

登録日:2019/7/3(水) 13:00:00
更新日:2024/04/10 Wed 20:43:56
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KV-2(ロシア語: КВ-2:カーヴェー ドヴァー)は、第二次世界大戦中にソビエト連邦で開発されたバ火力重戦車である。

◇開発経緯

冬戦争でフィンランドに侵攻したソ連軍は、凍てつく天然要塞と化した山々に築かれた防御陣地と、
それを守るチート揃いで有名なフィンランド軍に大いに苦戦を強いられ、
前線からは「もっと火力のある車両をよこしてくれ!」という要望がひっきりなしに届いていた。
そこでソ連軍は既に防御力の高さを実証して正式採用されたばかりのKV-1に152mm榴弾砲M-10を搭載することを決定した。
152mm砲を装甲で覆ってKV-1の車体にポンと乗っけるという突貫工事でわずか2ヶ月で試作車を完成させ、翌月には前線に投入するというスピード開発であった。


◇怪物の誕生とその後

とにかく特徴的なのは2頭身みたいなその見た目。
それまでの戦車砲の常識をかなぐり捨てた152mm砲を搭載した結果、砲塔は人の背丈程の高さになりまるでKV-1の車体に金庫か冷蔵庫を乗せ、
そこから砲身が突き出ているという異様な見た目と化した。
ソ連軍にはドレッドノート、ドイツ軍からはギガント(巨人)と呼ばれたその巨体はインパクト抜群である。
当然、その急な開発故に問題が次々に浮き彫りになった。タダでさえ足回りに難があったKV-1にこんなゲテモノ砲搭載したもんだから重量は52トンに達し、
さらに足回りの信頼性と機動力の低下を招いた。その見た目故に重心が高く転倒したり、バカでかい砲塔のくせに手動旋回だったため旋回速度も遅く、
傾斜地では砲塔が重すぎて旋回出来なくなるという戦車に有るまじき欠点まであった。
当時まだ手動旋回が主流だったとは言えこれはあんまりだ。肝心の砲撃も巨砲故に砲弾と装薬を分ける分離式にせざるを得ず、必然的に発射速度も遅かった。

そしてこの152mm砲がクセモノだった。
軍団砲として使うには射程が短く、師団砲として使うには重くて機動力も低かった。
そしてかなり高価で、なんと T-34の1/4。つまりこの砲4門でT-34が1両作れてしまう のだ。

しかーし!そこまでして手に入れた防御力と152mm砲の破壊力はそれらのデメリットを打ち消してお釣りが来るほどの、もはや革命的なものだった。
装填速度と砲塔旋回速度が低いという欠点も相手が陣地等の定点目標ならばあまり気にならず、
投入された試験車両の2両はそのシルエットでフィンランド兵を驚愕させた。
砲塔で110mmとKV-1をさらに上回る装甲は37mm対戦車砲を全く寄せ付けず、48発もの砲弾を全て跳ね返し車体には支障も無かったという。
そして攻略目標であった陣地を152mm砲で吹き飛ばし、期待に見事答えて見せたのだった。
この活躍にソ連軍は気を良くし、早速KV-2を正式採用、量産するよう指示した。


……ところまではよかった。
続いて勃発した独ソ戦。その時点でKV-2は200両生産されていたが、
ソ連軍は何を思ったのかこの戦車を対戦車戦闘が主任務のKV-1と何の区別もせずにごちゃ混ぜにして配備するというかなりずさんな管理で運用していた。
KV-2が活躍できたのは上記の欠点があまり影響しない陣地突破に投入したからである。
対戦車戦闘に必要な要素をほとんどかなぐり捨てたKV-2にそんな運用が務まるはずもなく、
高い故障率と低い機動力、その重装甲と大火力を十分活かせない戦場にバラバラに投入されたこともありあっという間に消耗していった。
そうした状況では追加生産の話もウヤムヤとなり、結局ソ連重戦車としては珍しいほどの短期間運用で終わってしまった。おいおい……

似たような車両のドイツのシュトルムティーガーを始めとする突撃砲戦車一家が効果的な運用でアメリカ軍を大いにビビらせたことを考えるとかなりもったいない話である。
ただし1941年型ソ連重戦車大隊の編制であるKV-1重戦車中隊2個(大隊長車を含めて21両)及びKV-2重戦車中隊1個(10両)という連携を前提にしていた構成は、
ドイツ突撃砲大隊(定数は7.5cm砲型22両及び10.5cm砲型9両)の編成と遜色が無く、初戦の混乱で逐次投入を余儀なくされた末の不本意な結果だった可能性もある。

その一方でKV-2に運悪く遭遇してしまったドイツ軍はこの戦車に散々苦しめられている。
師団砲や軍団砲クラスの152mm砲を前線でポンポン撃ち込まれてはたまったものではないからだ。
実際、KV-2を保有するソ連第2戦車師団と遭遇したドイツ第1装甲師団は戦車40両と多くの火砲を撃破される大損害を被り反転する羽目になっている。
しかもKV-1にさえ手を焼いていたのにさらに有り得ない程の重装甲のKV-2を撃破するのは困難を極め、
それこそ付近の友軍の手を借りて全力で迎撃する必要があった。


◇街路上の怪物事件

KV-2を語る上で欠かせない1つの事件がある。
ソ連に侵攻したドイツ軍が占領したリトアニアのドゥビーサ川近くのラシェイニャイで発生した街路上の怪物事件である。

1941年6月、ソビエト侵攻作戦バルバロッサ劈頭、リトアニアになだれ込んだドイツ第6戦車師団は、そこでKV-1に護衛された多数のBT快速戦車に遭遇する。
ドイツ軍の主力の35(t)と短砲身のIV号戦車でKV-1を撃破するにはかなり苦労したがなんとか退けることに成功し、続いてラシェイニャイの街も占領した。
そして、ドイツ軍は本隊が駐留するラシェイニャイからさらに前進した川沿いに2箇所の橋頭堡を確保する。
もちろんソ連軍もこの状況を黙って見ているはずもなく、ある作戦を実行に移す。
ドイツ軍が占領したラシェイニャイと2箇所の橋頭堡を結ぶ街路上の分岐点にたった1両のKV-2を送り込んだのだ。これが街路上の怪物事件の幕開けである。
KV-2は分岐点が一望できる場所にどっかりと居座り、橋頭堡に砲撃を開始した。

翌朝、ラシェイニャイから橋頭堡への増援を乗せた輸送トラック12台が出動する。
ところが、トラックは運悪くKV-2に遭遇し、あっという間に粉砕されてしまった。
橋頭堡側も50mm対戦車砲を設置し何発も砲弾を浴びせたがその重装甲の前では全く効果がなく、反撃され一門撃破、残りも損傷した。
このままでは橋頭堡が全滅してしまいかねない。ドイツ軍はアハトアハトを枝や草でカモフラージュし、トラックで牽引してKV-2へ接近を試みた。
だがKV-2もこの動きを予測しており、このアハトアハトも破壊されてしまった。

その夜、ドイツ軍は闇に紛れて工兵を送り込み、KV-2に爆薬を仕掛け破壊する作戦に打って出る。
設置は成功し、爆破するがKV-2があまりに頑丈だったため履帯と泥除けの1部を破壊しただけに留まり、砲塔も旋回可能で戦闘力は失われていなかった。
これでも普段の倍以上の爆薬が使われたらしいが…

翌朝、35(t)戦車が執拗にKV-2を撃ちまくっていた。
当然既に旧式化しつつあった35(t)でKV-2を撃破できるわけではなかったが、これはドイツ軍がアハトアハトを設置する時間を稼ぐための決死の囮行動だった。
そして設置に成功し、即座に火を吹いたアハトアハトはKV-2に実に6発もの命中弾を与えた。並の戦車なら跡形も無くなっていいはずである。
35(t)の乗員が戦果を確認しようと近づいたところ、KV-2の砲塔が突如動き出した。
確かに6発命中したが、その内 貫通したのは2発だけ だったのだ。
しかも重傷だったと思われるKV-2の乗員は戦意を失っておらず、アハトアハトに反撃しようと砲塔の旋回を始めたのだ。
驚いた工兵が手榴弾を被弾孔に投げ入れ、KV-2の車内で爆発させようやく沈黙した。
たった1人でドイツ軍を翻弄させた鉄の巨人はついに倒れたのだった。

ドイツ軍の進軍を1両で食い止めた、と言えば聞こえはいい。
だが、この作戦自体がKV-2がなんぼ重装甲、高火力を誇るとは言えたった1両で敵戦車師団が支配する街に送り込むという、
悪く言って雑、良く言っても無謀としか言いようがない。
実際、最期まで戦い抜いたKV-2の乗員の名前の記録すら残っていないと言うから酷な話である。
しかし、知恵を絞りあらゆる手段で撃破を試みたドイツ軍と、
死の瞬間まで任務を全うした名も無きソ連戦車兵たちの決死の戦いは、現在においてなお語り継がれているのである。





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最終更新:2024年04月10日 20:43