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キリストの生誕

登録日:2025/12/25 Thu 04:06:36
更新日:2026/08/10 Mon 14:25:43
所要時間:約 20 分で読めます




諸君、12月25日は何の日だろうか?


そう、キリスト生誕の祝日である。



キリスト生誕を祝う日である(大迫真)
断じてクリスマス一人ぼっちで寂しいから強調してるんじゃないもん




ここではイエス・キリスト生誕にまつわるあれこれとクリスマスとの関係について解説する。

▼概要

キリスト生誕のエピソードについて、サブカル文化の題材にされやすい事もあって何となく知っているという人も多いかもしれない。
キリスト教に詳しくない人でも、「ヨセフとマリア夫婦のもとに生まれた」「マリアが受胎告知により処女懐胎して産まれた神の御子」「馬小屋で産まれた」「東方の三博士が訪れて祝福した」といった内容は聞いたことがあるだろう。

現在一般に知られるこれらキリスト生誕のエピソードは、新約聖書における記述に基づいた物となっているのだが、実は新約聖書にはキリスト生誕について記述された部分は2つある。
「マタイによる福音書」と「ルカによる福音書」の2章だ。

■福音書とは

ざっくり言うとキリスト教の聖典である新約聖書のうち、イエス・キリストの生涯と言行録について記した章の事。
現在一般にどのキリスト教の宗派でも概ね正典(カノン)として扱われる福音書は全部で4つあり、それぞれの著者とされる人物の名前を取って「ルカによる福音書」「マタイによる福音書」「ヨハネによる福音書」「マルコによる福音書」と呼ばれている。
キリスト生誕について記述されているのは「ルカによる福音書」「マタイによる福音書」だが、これらは著者の性質の違いのため、それぞれ別々の視点でキリストの生誕を記述している。

  • 「ルカによる福音書」
    • 同じ新約聖書の章である「使徒言行録」の著者でもあると考えられているシリア人の医者・歴史学者のルカが著述したとされている福音書。*1
      ルカはキリスト教の聖人であるパウロ*2の弟子だったとされる人物で、ルカによる福音書はルカが歴史学者でもあった経緯からギリシア人などユダヤ人以外の民族向けにキリストの生涯について広めるといった観点で記述されている。
      キリストの生誕に関しては主にマリア側の視点で描かれており、ローマ帝国の歴史的背景やユダヤ人の文化習俗などについて記載した歴史書的な性質のあるものとなっている。

  • 「マタイによる福音書」
    • イエス・キリストの十二人の弟子の一人であるマタイが著述したとされる福音書。*3
      こちらはどちらかと言うとユダヤ人が読むことを前提にキリスト教の布教を図る観点から記述されている内容がメイン。キリストの生誕に関しては主にヨセフ側の視点でキリストのユダヤ民族としての出自について記述するものとなっている。

▼時系列順に見るキリスト生誕の経緯

以下は2つの福音書から読み取れるイエス・キリスト生誕の経緯である。
特に理由がない限り、聖書の本文に関しては今日最も一般的に新約聖書の翻訳として採用されている、新共同訳から引用するものとする。*4

■ルカによる福音書 第1章


●ザカリヤへの受胎告知


天使は言った。「恐れることはない。ザカリア、あなたの願いは聞き入れられた。
あなたの妻エリサベトは男の子を産む。その子をヨハネと名付けなさい。」(ルカによる福音書1章13節)


ヘロデ王*5の時代、ザカリヤという老司祭がいた。妻はエリザベトといい、どちらも敬虔なユダヤ教徒だったが、老境にあって子供がいない事が長年の悩みだった。
ある時ザカリヤは神殿管理の当番だったため*6、神殿の香壇で香を焚いていた。するといきなり大天使ガブリエルが香壇の右に現れたのでザカリヤは驚愕。するとガブリエルが「お前の妻のエリザベトがこれから男の子を産むから、産まれたらヨハネと名付けろ*7」と言ったのでまたしても仰天する。
子供を産むと言っても自分もエリザベトももう老人だし、そんなバカなことがあるはずが…とザカリヤは反論するが、神託を疑ったのでザカリヤは罰としてヨハネが生まれるまで口を聞けなくされてしまった。

+ 補足
  • 老齢のエリザベトが男児を身ごもったことは、後にマリアが自身の身に起きたことが神の計画であることを悟るためのサインであると解釈されている。

  • このとき受胎告知のために現れた天使はガブリエルだが、ガブリエルは宗派問わず固有名を持った正当な天使として扱われる数少ない存在の一人*8で、概ね何かしら神の計画を人間に伝えるときの使者役として登場することが多い。

●マリアへの受胎告知


天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。」(ルカによる福音書1章35節)

マリアは言った。「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」そこで、天使は去って行った。(ルカによる福音書1章38節)


ザカリヤのもとに天使が現れてから半年後、今度はガリラヤ地方の町、ナザレに住む女性マリアのもとに天使が現れる。マリアはダビデ王の遠い子孫にあたるヨセフと婚約して結婚を間近に控えていた。
天使はマリアが神の力によって受胎しており、男の子を産むことを告げるが、それを聞いたマリアは真っ青になる。*9
自分はまだ結婚前で純潔の身、そんな事が起こり得るはずがないとマリアは反論するが、天使はマリアの親戚のエリザベトにも同様の奇跡がくだったこと、この奇跡は神の思し召しである事をマリアに伝え、産むように説く。
神託が下った事を悟ったマリアは「(ユダヤの民である以上)私は主の従僕であり、その神意に従います」と天使に告げ、天使は去っていった。
その後、自分が見たものが幻でないことを確かめるために親戚のエリザベトのもとを訪ねるが、果たして天使の言っていた通り既に老境のエリザベトが身籠っており、マリアは自分の身に起きたことが紛れもなく現実である事を確信する。

+ 補足
マリアが真っ青になった理由だが、これは当時のユダヤ律法における不義密通の罰は石打ちによる死刑だったからである。またユダヤ教の律法は契約を非常に重視しており、婚約という形で交わされた契約は実際の婚姻とほぼ同等の非常に重いものだった。
既にヨセフと婚約していたマリアも、当然ながらヨセフの子でない子を身ごもっていることが発覚すればそれを免れ得ない身だったため、「神意に従う」という宣言は破戒による自らの死をも厭わない決死の覚悟で発した言葉だったのだ。
この際に発した「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」という言葉はキリスト教において非常に重要な祈りの文言として扱われている。

■マタイによる福音書 第1章


●ヨセフへの告知


夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。
このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。
「マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」
このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。
「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(マタイによる福音書1章19-23節)


当然マリアの受胎はヨセフの知るところになったわけだが、当のヨセフは頭を抱えていた。ヨセフは「正しい人」だったので、本来ならば戒律に従ってマリアを不義密通で告発して処断するのが正しいのだが、マリアに情があったヨセフは秘密裏に離縁して表沙汰にせずに終わらせようとした。
が、その夜夢枕に天使が現れて「マリアの懐胎は地上の人間に救世主を遣わさんとする神の計画によるもので、生まれた男児に「イエス」と名付けて育てよ(意訳)」と告げる。目を覚ましたヨセフは天使のお告げ通りにマリアの出産を見守ることを決意。マリアを正式に妻とすることを決める。

+ 補足
  • この章の冒頭にはずらずらと大量の人名が書き連ねてあるが、これは先述した通りダビデ王の遠い子孫であるヨセフまでの一族代々の人物の名を、アブラハムからダビデ王まで、ダビデ王からバビロン捕囚(移住)まで、バビロン捕囚からキリストまでの3つに分けて記載したものとなっている。

  • この節で言われている「預言*10」とは旧約聖書のイザヤ書第7章14節にある文言「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」のことを指す。
    これは預言者イザヤ*11が当時北朝イスラエル王国とアラム(シリア)人の連合軍に追い詰められて大国アッシリアの軍事支援に頼るつもりでいた南ユダ王国*12の王アハズに告げたもの。「インマヌエル」とは「神は我々と共にあり」という意味の言葉で、預言を要約すると「近い内に処女が身ごもって子供が一人生まれる、それが神が人々を救ってくれるっていう意味のサインです=わざわざ証拠まで用意して神様が救ってくれるっつってんだからアッシリアみたいなロクデナシに媚び売ってないで祈らんかい!!」といった感じ。ちなみにこのあと預言通り北朝イスラエル王国はアッシリアに滅ぼされてしまう。くわばらくわばら…*13
    このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。」というのはつまりこの預言が(マリアが救世主イエス・キリストを産むという文字通りの意味で)かれこれ800年越しに神意によって再び成就するぞという意味であり、つまり「アハズ王を神が助けてくれたみたいに困ってるときはちゃんと神様が助けを寄越してくれる(=インマヌエル)から安心してちょ」といった意味でもある。


■ルカによる福音書 第2章


●国勢調査



そのころ、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に、登録をせよとの勅令が出た。
これは、クィリニウスがシリア州の総督であったときに行われた最初の住民登録である。
人々は皆、登録するためにおのおの自分の町へ向かった。
ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、
ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。(ルカによる福音書 2章1-4節)


ちょうどその頃、ユダヤ民族を支配していたローマ帝国では、皇帝アウグストゥス*14の勅命により国勢調査が行われ、属国人も含めて支配下の臣民は全員住民登録をすることとなった。
ヨセフもその対象になっていたので、身重のマリアを引き連れてナザレの南にあるベツレヘムに向かうことになった。


+ 補足
  • 前述の通りヨセフはダビデ王の末裔である。この時行われた国勢調査では先祖の出身地の町(本籍地)で住民登録を行うというルールであったので、ヨセフはダビデ王の出生地であるベツレヘムに向かうことになったのである。
  • ちなみにベツレヘムにはナザレから130kmほども荒野を南下して向かう必要があったため、当時基準ではかなり過酷な旅路だった。おまけに臨月間近で身重のマリアを引き連れ、ロバに旅の荷物、特に長旅で必須になる飲み水や食料を満載しての旅とあってはその過酷さは推して知るべしである。
    ベツレヘムへのルートだが、大きく分けて2つのルートがあった。
    一つはサマリアの山岳地帯を突っ切る中央ルートだが、距離こそ最短経路であるものの、このあたりを住処とするサマリア人は先程ヨセフへの告知の補足で述べた経緯からも分かる通りユダヤ人と非常に仲が悪く、旅人に対する追い剥ぎ強盗なども頻発する危険地帯だったため、ユダヤ人の旅人は基本的にはここを避けてもう一つの迂回ルートを通ることが多かった。
    もう一つは一旦東のヨルダン川方面に向かって山岳地帯を迂回し、その後南下して低地のエリコに向かったあと南西のベツレヘムに向かうルートで、山岳を避けるためかなり平坦かつ当時ローマ帝国による街道整備の手が及んでいたこともあり、エルサレムに向かう巡礼者なども多くはこのルートを辿っていた。問題はエリコから標高700mほどの高地にあるベツレヘムまで急峻な坂道を登っていく必要があった点だが、前述の通りそれを避けるルートは危険極まりない険しい山道であるため、現在ではヨセフ一行もこちらのルートを通った可能性が高いと考えられている。ちなみにこのエリコという町、ヘブライ人がパレスチナに定住した際先住民であるカナン人の住民を赤子まで含めて鏖殺し、何百年も経て再建された際も再建者の長男と末っ子が神に呪殺されたという、聖書屈指の呪われた町である。一応,先住民虐殺はエリコだけでなく、他に30もの町でも行われたのだが、この中にはエルサレムやヘブロン等後世ではヘブライ人の主要都市となった町も含まれており、再建時すら神罰が下ったのはエリコだけである。


●キリスト生誕



ところが、彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、
初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた。
宿屋には彼らの泊まる場所がなかったからである。 (ルカによる福音書 2章6-7節)


四苦八苦しながらベツレヘムについたヨセフ一行だったが、宿屋はヨセフたちと同じように住民登録に訪れた人々でごった返しており到底宿が取れるような状況ではなかった。
しかも折悪くマリアが臨月を迎えて産気づいてしまい、ヨセフはとにかくその日泊まれる場所を確保することを迫られてしまう。
そしてなんとか住人と渡りをつけて貸してもらったのは洞窟に作られた馬小屋だった。そしてイエス・キリストを産んだマリアは馬槽(牧草桶)に生まれたばかりのイエスを横たえる。

+ 補足
  • 先述の受胎告知のシーンと合わせて数多の宗教芸術の題材になってきた有名なワンシーンである。実際にこんな事があったかどうかは大いに疑問だが…
    というのもこのシーンは「尊い救世主様が馬小屋の、それも家畜の餌入れなどという最底辺の場所に降臨した=神は最底辺の貧しいものまで分け隔てなく救ってくれる」という意味の宗教的メタファーのゴリッゴリに盛られた描写であり、かなり後世の脚色が入った内容だからである。
    聖書の該当箇所には「宿屋がいっぱいだったため、たまたま借りられた馬小屋で生まれた」と書かれているが、ルカによる福音書の原文には訳文の「宿屋」に該当する言葉として「καταλυμα(カタリュマ)」という表現があるのだが、これはざっくり「泊まれる場所」を幅広く意味する言葉で、要は「客間」くらいの意味である。また当時のユダヤ人の家は「客間」と「家畜の囲い」が同じ建物内にある構造が一般的だった。つまり実際には「親戚の家の客間が空いてなかったので余裕のあった家畜のいるスペースを間借りして泊めてもらった」といった感じで、普通に客人として手厚くもてなされていた可能性が高いと見られている。

  • ちなみに「厩戸皇子」こと聖徳太子も「超自然的な存在(観音菩薩)によって受胎し厩の前で生まれた」という伝承があり、それが名前の由来ともなっているのだが、これに関して当時キリスト教がシルクロード経由で中国に伝わっており(ちなみに当時伝わったのはネストリウス派キリスト教で、「景教」と呼ばれていた)、そこからキリスト出生の逸話を借用したのではという節が唱えられたことがある。が、この「超自然的存在が救世主としてこの世に受肉して生まれてくる」という伝承自体インドのヴィシュヌ神のアヴァターラであるクリシュナや釈迦生誕の逸話などの例があり、世界的に見ても別に珍しい伝承ではないということもあって現在では否定されている。


●羊飼いへの告知



その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。
すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。
天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。」
「あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」
すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。 「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」(ルカによる福音書 2章8-14節)


同じ頃、ベツレヘムの近くで夜通し羊の番をしていた羊飼いたちの前に天使が現れて「ベツレヘムで救世主(メシア)が生まれる」「お前たちは馬小屋で産着に包まれ牧草桶で眠っている救世主(メシア)を見つけるだろう。今言った通りのことがそのまま起こるのでそれが神の奇跡であることの証拠だ」と告げた。
突然の出来事に混乱する羊飼いたちだったが、とにかく天使様のお告げの通り行ってみようということでベツレヘムの町に急行。するとお告げ通りにイエス・キリストが牧草桶で眠っていたので羊飼いたちはイエスを崇め、自分たちの体験を町の人々に触れ回った。

+ 補足
  • なぜ羊飼いが奇跡の目撃者に選ばれたのかというと、これにはいくつかの理由がある。
    まず一つは当時のユダヤ社会において羊飼いはいわゆる被差別階級の存在だったことだ。基本的に当時の牧羊というものは牧場に定住して行うものではなく、牧草地を求めてさすらう根無し草のような仕事だった。また従事者も社会的に身分の低い者、例えば前科者や逃亡奴隷といった脛に傷持つ者であることも多く、また住所も不定で納税もきちんと行わない者がいるなど羊飼いはユダヤ人社会からは疎外された存在だった。
    また日々の生活と羊を管理する仕事が不可分である彼らはユダヤ教の重要な戒律である安息日(シャバット)を十分に守ることが難しく、宗教的に穢れた罪人であるとも見做されていた。
    そのため、この描写には被差別階級である羊飼いと同等の低いところに生まれ、罪人であっても見捨てずあまねく人類を救う救世主であることを印象付ける宗教的な意図があると考えられている。
    加えて人々を羊、キリストをその羊飼いに見立てることで救世主としての性質を二重に強調しようとしたと考えられている。
    ちなみにこのシーンの様子を歌った讃美歌がかの有名なクリスマスソングである「牧人ひつじを」と「神の御子は」である。

  • 「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に(Gloria In Excelsis Deo)適う人にあれ。」という一節はこれまたキリスト教における極めて重要な祈りの文言として今日まで伝わっている。おそらくキリスト教に詳しくない人でもこの一節が引用された讃美歌「荒野の果てに」はクリスマスソングとして聞いたことはあるのではないだろうか?


■マタイによる福音書 第2章


●東方の学者たちの訪問


「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」
これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。
王は民の祭司長たちや律法学者たちを全員集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。
彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。
『ユダの地、ベツレヘムよ、お前はユダの指導者たちの中で決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、
わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」
そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。
そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。 (マタイによる福音書 2章2-8節)


イエス生誕からしばらくして*15、占星術の学者が東方からやってきてヘロデ王に謁見し、「(ユダヤの王が生まれるという証の)星が見えたので来ました。その方は何処にいますか?」と尋ねる。
ヘロデ王はギョッとして大慌てで律法学者や司祭その他をかき集め、預言書を精査させたところ、「ベツレヘムで指導者が生まれる(意訳)」という預言を発見。ヘロデ王は自身の権力が脅かされるのではと疑心暗鬼に陥り、当時のエルサレムの住人の間にも動揺が走る。*16
兎にも角にも預言成就が事実らしいことを察したヘロデ王は、学者たちから星の見えた時期を聞き出すと、意外にも快く預言の地がベツレヘムであることを教え、「もし見つかったら自分も拝みたいから是非教えてくれたまえ」と彼らをベツレヘムへと送り出す。
…無論この王がそんな殊勝な心がけなどするはずがなく、見つかったら即刻殺させるつもりだった訳だが。

+ 補足
  • ヘロデ王はエドム人家系*17の出身で純粋なユダヤ人ではないことやユダヤ人の意志を無視してローマ帝国の元老院に任命された王だったことから非常に嫌われていた。また妹のサロメ*18からもドン引きされるような虐殺をたびたび働いた猜疑心の強い暴君でもあった。*19
    実際ヘロデ王は妻のマリアムネと息子3人を当時対立していたエジプトのクレオパトラと密通して謀反を企てたとして処刑しており、エルサレムの住人は救世主への期待以前に「ヘロデ王がまた爆発して血の雨が降るんじゃないか」という恐怖で気が気じゃなかったのだ。そしてこの危惧は最悪の形で現実のものとなってしまう

  • いわゆるクリスマスの説話では、イエス生誕の夜に東方の三博士が空に現れた不思議な明るい星に導かれ、イエス生誕の場に立ち会うというストーリーが描かれることも多く、広く知られるクリスマスのイメージでも先述の羊飼いたちと一緒に描かれていることが多いが、実際にはイエス誕生から半年ないし2年ほど経ってから来たというのが有力説である。
    また「東方の三博士」と言われることも多いが、実際には「占星術の学者たち」と書かれている通り複数人いたらしいことは確かであるものの、具体的な人数までは明言されていない。

  • 東の方から来た学者たちだが、原文では「Magoi(マゴイ)」と表記されている。「Magoi(マゴイ)」とはゾロアスター教における司祭階級を指す言葉であり、彼らは占星術などを修める学者でもあった。そのため現代では彼らは東方のペルシャからやってきたゾロアスター教の司祭だったのではないかと考えられている。
    また後述する通り彼らは3つの贈り物を持参するわけだが、そのうちの乳香と没薬はアラビア半島の特産品だったため、当時その地を支配していたナバテア王国出身なのではないかという説もある。なお、これらの説が事実であったとするなら、彼らは遠路はるばる1500kmほども旅してエルサレムにやってきたこととなる。

  • 件の預言は旧約聖書のミカ書5章1節に書かれている。引用に当たって若干省略されているが、要するに強大国アッシリアの脅威にさらされていたイスラエルの民に対し、将来、ダビデ王の故郷であるベツレヘムから、真の統治者が現れるという形で激励する内容である。当時はまだ旧約聖書などという便利なものは成立していなかったので、預言の内容を確認するためには学者たちを招集の上古文書を徹底的に洗う必要があった。なにせこの預言が書かれたのは紀元前8世紀~7世紀頃、当時から更に遡ること700年程も前の話だったのだから。


●イエスとの邂逅



彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。
家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。
ところが、「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので、別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。
占星術の学者たちが帰って行くと、主の天使が夢でヨセフに現れて言った。「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデが、この子を探し出して殺そうとしている。」
さて、ヘロデは占星術の学者たちにだまされたと知って、大いに怒った。そして、人を送り、学者たちに確かめておいた時期に基づいて、ベツレヘムとその周辺一帯にいた二歳以下の男の子を、一人残らず殺させた。 (マタイによる福音書 2章9-16節)


学者たちがベツレヘムに向かうと、件の星がまた現れて学者たちを導き、イエスがいる家の上で止まったため、学者たちは家に入ってイエスを参拝し、持参した宝箱から黄金・没薬・乳香の3つの宝を取り出して捧げた。
その後世を明かす学者たちの夢枕に「ヘロデ王のところに帰るな」というお告げがあったため、学者たちはそれに従って帰国した。またヨセフの夢枕に天使が現れ、ヘロデ王がイエスの命を狙っていることを告げてエジプトに逃げるように促したため、ヨセフはそれに従ってマリアとイエスを引き連れて一時エジプトに避難することとなる。彼らがその後ガリラヤのナザレに帰郷するのは、ヘロデ王が死んだあととなった。
まんまと学者たちに担がれたことに気づいたヘロデ王は大激怒し、ベツレヘム近辺で生まれた2歳以下の子供を皆殺しにするが、その頃には既にヨセフたちはエジプトに向かったあとだった。

+ 補足
  • 先述の通り、イエスの下を訪れた学者の人数は3人と明言されていないのだが、捧げた宝が3つだったのでそれぞれに対応する人物が1人ずつ当てはめられた*20結果、「東方の三博士」というイメージが成立してゆくこととなる。
    この学者の名前は、欧米だと「メルキオール」「バルタザール」「カスパール」であるとする見解が一般的だが、この見解は8世紀頃までには既に存在していたらしいことがわかっており*21、中世ヨーロッパの聖書写本にもその名を見出すことが出来る。
    一方エチオピア正教会では「ホル」「カルスダン」「バサナテル」の3名であるとされており、宗派によって違いがある。
    また「タルシシュや島々の王が献げ物をシェバやセバの王が貢ぎ物を納めますように。すべての王が彼の前にひれ伏しすべての国が彼に仕えますように。(詩篇72章10-11節)」という旧約聖書の預言に基づいた解釈により、三人の学者ではなく。タルシシュ(イスパニア)、シェバ(アラビア)、セバ(エチオピア)の3つの国からやってきた王であるとする説*22もあり、その事もあってか三博士の誰かが黒人(エチオピア人)もしくはアラブ人の姿で描かれるケースがしばしば見られる。

  • 東方の三博士を導いた星の正体については複数の説が提唱されている。
    一つは彗星説で、紀元前12年頃に地球からハレー彗星が観測できた時期があったらしいことが確認されている。また中国の漢書にも紀元前5年頃に空に彗星が現れたことが記録されており、彗星の尾があたかも方角を指し示したかのように見え、またこれまでになかった新たな星が突如現れたように見えたのではないかと考えられている。
    2つ目は「星合」説で、これは2つの惑星が天球上で地球から見て一直線に並ぶ現象である。天文学的な計算によると、紀元前7年頃にうお座の方角で土星と木星が3回も最接近する「三重合」という極めて稀な天体イベントが発生したらしい事がわかっている。これは発生すると重なった2つの星が非常に明るく大きな一個の星に見える他、土星は占星術的には「安息日(ユダヤ人)」、木星は「王権」、うお座は「終末・救済」と関連付けられているため、これらの兆候を占星術師が救世主の出現と解釈したのではないかというものである。
    3つ目は超新星爆発説である。最近はベテルギウスがそろそろ爆発するのではないかと騒がれた時期もあったが、巨大な終末期の恒星がその寿命を終えると超新星爆発と呼ばれる大爆発とともに激しいガンマ線バーストが放たれ、距離によっては地球からでも分かりやすく観測できる非常に大きな光が天球上に出現することとなる。中国や朝鮮半島の古文書にも紀元前4~5年頃に観測された東方の非常に明るい星についての記述が残されており、激しく輝いたあとゆっくり減光してゆくこの現象を目撃した占星術師が何かの兆候ではないかと考えたとしてもおかしくはないだろう。

  • 学者たちは黄金・乳香*23・没薬*24の3つの宝を捧げたとあるが、これらはそれぞれがイエスの救世主(メシア)としての3つの有り様を象徴する宗教的なメタファーとなっている。
    黄金は富、つまり王権の象徴であり、すなわち「地上の王」たる有り様を、乳香は神に捧げられるものであるためイエスが神の子であり、神そのものであることを、そして死者への手向けとしてその体に塗る没薬は、イエスがいずれその身に原罪を背負って死ぬことを隠喩しているとされている。

▼キリストの生誕を題材にした絵画

聖書的モチーフとしては非常に有名で広く好まれた題材であり、各時代の超有名画家、芸術家によって数多くの絵画が作成されている。

■ジェンティーレ・ダ・ファブリアーノ「東方三博士の礼拝」(1423年)





  • ジェンティーレは14~15世紀頃にかけて活躍したイタリアの画家。この絵は作者がフィレンツェにいた頃、地元の教会に飾るための絵として制作したもの。
    キリストを礼拝する3人はよく見ると王冠をかぶっており、3人の王説に基づいて描かれていることが分かる。また真ん中の王は明確に褐色の肌で描かれており、アラブ人あるいはエチオピア人としての特徴が盛り込まれている。

■レオナルド・ダ・ヴィンチ「受胎告知」(1475年)



※画像はwikipedia記事「 受胎告知 (レオナルド・ダ・ヴィンチ) 」から引用


  • 『万能の人』、レオナルド・ダ・ヴィンチによる作品。ガブリエルの受胎告知のシーンを描いた絵としては恐らく世界で最も有名な作品の一つ。駆け出し時代のダヴィンチとその師匠であるヴェロッキオが共同で制作したものと見られている。
    ガブリエルが手にしているのは百合の花で、宗教学的には純潔の象徴として良く芸術作品のモチーフに引用されている。

■ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ「羊飼いの礼拝」(1609年)



※画像はwikipedia記事「 羊飼いの礼拝 (カラヴァッジョ) 」から引用

  • 言わずと知れたバロック芸術期の大天才画家、カラヴァッジオ*25作の絵画。羊飼いの来訪のシーンを描いている。子羊は過越の祭*26における神への生け贄であり、将来のキリストの犠牲を表現する際のモチーフとして頻繁に登場している。


▼余談


■イエスの生誕の時期

えっ、西暦元年の12月25日じゃないの?と思ったあなたはまずは一旦落ち着いてほしい。

実はこれまで解説してきた聖書のエピソードの時系列には非常に大きな矛盾がある。
それはヘロデ王在位の時期と、ローマ帝国による国勢調査の時期のズレだ。
まずヘロデ王だが、彼の在位時期は紀元前73~4年で、歴史家フラウィウス・ヨセフスによれば在位最後の年の紀元前4年に死亡したとされる。…あれ、イエスまだ生まれてないじゃん!!
マタイによる福音書の記述によればイエスはヘロデ大王の在位時期の頃に産まれたはずなのでのっけから盛大に矛盾してしまっている。もしヘロデ大王の在位時期の頃に産まれたという記述が事実であるとするなら、イエスは紀元前4年よりも前であるはずなので、どのみち西暦元年生まれというのはほぼ確実に間違いということになってしまう。
一方のルカによる福音書の記述によると、「クィリニウスがシリアの総督であったとき」の「最初の住民登録」の際にベツレヘムで生まれたということになっている。…が、クィリニウスがシリアの総督であったときの最初の住民登録」が行われたのは西暦6年ごろである
つまりこの住民登録が行われたのはヘロデ大王が死んでから10年も後になってからということになり、マタイによる福音書の記述と矛盾している。
現在ではルカによる福音書に記載された住民登録に関しては別の時期に行われたものと混同した結果ではないかと考えられており、マタイによる福音書の記述のほうが信憑性が高く、実際の生年は紀元前6~4年ごろではないかという見解が有力視されている。

じゃあ西暦元年って何なんだよと言うと、6世紀のローマの神学者ディオニシウス・エクシグウスが当時の暦から計算したもの。
当時の暦の精度が低かったことや誤った知識から算出された数字であった。

■じゃあ12/25って何の日なんだよ



キリスト生誕を祝う日である(大迫真)
キリストの誕生日とは言ってない

根本的な話をすると聖書にキリストの誕生日は書いていない。
そもそもパレスチナの12月は極寒の上に雨季であるため、羊飼いが外で夜通し羊の番をするなどということは土台無理な話である。というわけでもっと温暖になる2~3月頃の出来事ではないかと考えられている。
真面目に説明すると、12/25は元々ローマ帝国で冬至を祝う祭日と同時にアウレリアヌス帝が定めた「不敗の太陽神(ソル・インウィクトゥス)」の誕生日が12月25日とされていた*27ため、それを祝う祭典だった。
それがローマ帝国でキリスト教が受容され国教とされてゆく中で、キリスト教から見て異教の祭典であるため教義的にNGなものとなってしまう。
そこで祝福の対象を不敗の太陽神(ソル・インウィクトゥス)からイエス・キリストにすげ替えてキリスト教の祭典として取り込んでしまう事になったのである。

■カトリックとプロテスタントのマリアの扱いの違い

イエス・キリストを産んだ聖母マリアであるが、その扱いはカトリックとプロテスタントとでかなり異なっている。
伝承や伝統信仰を重要視するカトリックでは、聖母マリアは神がイエス・キリストを宿す器として特別に清く聖別した存在であると扱われており、原罪を免れた特別な存在として崇敬の対象になっている。
一方のプロテスタントは非常に厳格に聖書の記述に則った解釈を行うストイックな方向性で、マリアに関してもあくまで信仰のメインは神でありイエス・キリストであるため、「イエスを産んだ人」以上の扱いは基本的にはされず、その他大勢の登場人物とほぼ同じような扱いとなっている。




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最終更新:2026年08月10日 14:25

*1 ただし近年はルカが著述したという説について疑問視する見方も出てきており、聖書自体複数の人物が別々の時代に書いた書物の集合体である事もあって正確な著者の断定は不可能なのではないかという意見もある。

*2 パウロの回心の逸話で有名な人物。

*3 例によってこの事に対しても歴史的にかなり疑問視されており、現在では使徒のマタイと福音書著者は別人説が有力となっている。

*4 一応書いておくが、原文にあたる文書がパブリックドメインであっても、その翻訳文に関しては翻訳者に別個の財産権が生じる。それは新共同訳聖書に関しても同様である。新共同訳聖書は公式の声明により「著作権法で言われる引用の範囲内に留め(目安としては250節以内)」、「無償で提供される」ことを条件に本文の引用が許可されているが、念の為追記の際は必要以上の引用は行わないよう気をつけていただけるとありがたい。

*5 紀元前73年〜4年頃にかけて在位したユダヤ王国の王。後述するがユダヤ人からはかなり嫌われていた。

*6 ダビデ王の時代に祭司職は24の組に編成され持ち回りでエルサレム神殿の管理を担当していた。ザカリヤは8番目のアビヤ組に所属する司祭だった。

*7 使徒の方のヨハネではなく、後にイエス・キリストに洗礼を授ける事になる洗礼者ヨハネの方である。

*8 旧約聖書、新約聖書に固有の名前が記述されている天使はガブリエル、ミカエル、ラファエルの3名のみだが、実はラファエルは名前の記載されたトビト記がプロテスタントとユダヤ教では現在正典として認められていないため、ラファエルを正当な天使として扱っているのはカトリックと正教会、そしてイスラムだけ。なお、よくサタンの別名とされるルシファーも実は明けの明星=金星を意味するラテン語であり、固有名ではなく堕落前の威光を形容した言葉だったりする。また三大天使に並ぶ存在として大天使ウリエルも挙げられる事が多いが、こちらも名前が出てくる第四エズラ書、エノク書は聖書外典として扱われているため、現在は正当な天使として扱われることは少ない。

*9 後述するが、当時のユダヤ民族の戒律に照らすとこれは非常にまずい事態だった。

*10 間違われやすいが預言は予言とは概念的に異なるもので、ざっくりいうともう神様的にこういうことがこれから起こると決まってるんでハイよろしくゥ!という内容を神が選んだ預言者経由で伝えさせることを意味する。

*11 紀元前8世紀後半から紀元前7世紀初頭にかけて、古代ユダ王国(南王国)で活動した人物。旧約聖書のイザヤ書は彼の預言を記録した言行録である。

*12 ソロモン王の死後、ユダヤ十二支族は内紛により分裂し、ユダ族とベニヤミン族は南朝ユダ王国、残る10支族は北朝イスラエル王国を立てて対立していた。

*13 ちなみに北朝がアッシリアに滅ぼされたあと生き残ったユダヤ人と流入してきた異民族の間に生まれたのがサマリア人である。南朝由来の純粋なユダヤ人がサマリア人を異邦人呼ばわりして差別したのはこのため。

*14 紀元前27年~紀元14年にかけて在位したローマ皇帝。カエサルの姪の息子で、カエサル暗殺後にその権力基盤を引き継いで皇帝になった。

*15 補足の項で述べるが、実は有名な東方の三博士はキリスト生誕の夜に立ち会っていない。

*16 王座を追われるかもしれないヘロデ王はともかくなんで預言の成就を待望しているはずのユダヤ人まで動揺しているのかに関しては補足の項で解説する。

*17 イスラエルの国名の由来になったヤコブの双子の兄エサウを祖とする民族。エサウは後のユダヤ人の祖となるヤコブに出し抜かれて長子の祝福を奪われたため激怒してヤコブを追放したため、エサウの子孫であるエドム人はユダヤ人とは兄弟民族ではあるがユダヤ人からは敵視されていた。

*18 紛らわしいが洗礼者ヨハネを斬首させた方のサロメ(オスカー・ワイルドの戯曲のモチーフになった人)とは別人。

*19 一方でイスラエル神殿の再建や商業振興政策など、内政的な観点から現在では再評価が進みつつある。虐殺に関してもキリストとの対比でヴィランとして描くために意図的に誇張されたのではという見方もあり、「実際は冷徹なリアリスト寄りの政治家」だったのではないかという説も浮上してきている。

*20 この説を提唱したのは西暦2~3世紀ごろの神学者であるオリゲネスであるとされる。

*21 6~8世紀頃のものと見られる年代記写本、Excerpta Latina Barbariの記述が現在確認できる記述としては最古のものになる。

*22 西暦2~3世紀頃の神学者テルトゥリアヌスらによって提唱されたとされる。

*23 ムクロジ目カンラン科ボスウェリア属の樹木から分泌される樹脂。これを配合した香はユダヤ教において伝統的に神への捧げ物として神殿で焚かれる。冒頭に出てきたザカリヤが焚いていたのもこれ。

*24 乳香と同じくムクロジ目カンラン科の植物の樹脂だが、コンミフォラ属のミルラという植物から取れたものを指す。伝統的に遺体の防腐に用いられてきた薬剤で、この「ミルラ」がいわゆる木乃伊の語源となっている。

*25 名がミケランジェロなので紛らわしいが、「最後の審判」で有名なルネサンス期の方のミケランジェロとは別人

*26 旧約聖書の出エジプト記12章に記されているモーゼに従いパレスチナを目指すユダヤ人たちを妨害しようとしたエジプトの王に対し、神が十の災いをもって攻撃した際、神のお告げに従い子羊の血を家の門柱と鴨居に塗ったユダヤ人だけは災いを免れたという逸話に由来する儀式。

*27 もっと古くはミトラ神という別の太陽神の祭日であったものが政治上の理由でソル神の祭日となったものである。12月25日は概ね冬至であり、これ以降は昼の時間が長くなる、つまり「太陽が力を取り戻す日」であるため、古くから太陽神の祭日とされていた。