登録日:2026/04/13 Mon 11:50:02
更新日:2026/04/20 Mon 17:46:57
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ディック・マードック(Dick Murdoch/本名:Hoyt Richard(Dick) Murdoch)は米国のプロレスラー。故人。(1946年8月16日〜1996年6月15日(享年:49歳))
テキサス州エリス郡ワクサハチー出身。
主に70年代〜80年代にかけて名だたるテリトリー、団体で活躍した名選手であり、その才能はプロレス史上で見ても屈指のものであったとして評価されている。
……しかし、当人の欲のない性格からか世界王者の地位には就けなかった(就こうとしなかった)“無冠の王者”と呼ぶに相応しい燻し銀の実力者であった。
日本でも新日本プロレスと全日本プロレスの両方で実力を認められると共に重宝され、多数の名勝負を残している。
しかし、プライベートでもリング上の印象通りで日常的に大酒をかっ食らう豪快な生活ぶりを貫いた結果、現役当時から痛風などの持病に悩まされていた。
当人は、それでも生活を改める気もなく気にする素振りすら見せていなかったものの、流石に年齢を重ねてからは無理が効かなくなっていったのか、90年頃を境に徐々に表舞台からはフェードアウトしていった。
それでも現役は引退しておらず、晩年は故郷にて小さいながらも自前の団体を構えて後進の育成に当たっていた他、日本のインディー団体にも度々に姿を見せてくれていた。
最後の来日となったのは96年5月に親交のあった藤原喜明と対戦した藤原組5周年大会のメインベイトで、往年のキレのある動きを見せてファンを喜ばせてくれていたものの、奇しくもそれが最後の輝きだったかのように翌6月に心臓麻痺による訃報が届けられた。
【人物】
予てからプロレスビジネスが根付いており、自身を含めて多数の名レスラーが輩出されたテキサスの生んだ天才型の“リアル”なプロレスラーと評されている。
父フランキー・マードックもプロレスラーであり、幼い頃からプロレスビジネスを間近に見て育ち、長じる中で必然的に自身もプロレスの道へと進んだようである。
レスリングの他、ボクシングと(アメリカン)フットボールと、これまたテキサスの風土らしいスポーツでも活躍していたとのことで、リアルな方での“喧嘩の強さ”でも恐れられた一人である。
正式にプロとなったのは1965年に近所にあったドリー・ファンク・シニアが主宰する「ファンク道場」に入門してからだとされるが、経歴を考えるとビジネスやルールの基礎を学びにいき、働き口を世話してもらったような感覚であったのかもしれない。
実際、日米を股にかけて活躍していた“ファンクス”こと、シニアの息子達であり「ファンク道場」の看板選手であったドリー・ファンク・ジュニアとテリー・ファンクとは幼馴染みで、幼少期の頃から可愛がられていた関係であったという。(ジュニアは5歳上、テリーは2歳上。)
尚、ファンクスや同じく道場出身のスタン・ハンセンなどと同じくウェスト・テキサス大学にてアメフトの選手として活躍していた……ものの、マードックの場合は近所の好で勝手に出入りしていただけで実際には入学してはいなかったらしい。
そのため、3歳下のハンセンや同年のダスティ・ローデス、ブルーザー・ブロディとは同じチームでプレイした経験はあるようなのだが、マードックの場合は公式には名前が残っていない可能性が高い。
何れにしても、ハイスクール卒業後はレスラーとしてデビューしつつも勝手に大学のフットボールチームに出入りするなど地元で気楽な生活をしていたようなのだが、その特異な才能は早々に世間の注目を浴びるようになっていったようである。
デビュー時は地元の名レスラーであるドン・カーソンの弟というギミックで登場したそうだが、その後に広いテリトリーで活躍するナチスギミックのトップヒール(売れっ子悪役)として知られていたキラー・カール・コックスとタッグを組む機会を得る。
そして、この時にコックスより直接に最大の必殺技であるブレインバスター(元祖ブレンバスター/(真の)垂直落下式ブレンバスター)の極意を伝授されることとなり、マードックにとってもブレインバスターは自身最大の代名詞にして必殺技として磨きをかけられていくことになった。
また、ブレインバスターと並ぶマードックの必殺技としてはカーフブランディング(仔牛の焼印押し)も有名。
……実は、厳密にはこの技もマードックは元祖(開発者)では無いのだが、同技を“カーフブランディング”の名前で使用すると共に知らしめたのはマードックが初であった。
何れにしても、世界的にも通じる(出すだけで観客が沸き、どの団体でも通じる)必殺技を身につけたことでトップレスラーへの道を確実なものとしたマードックは程なくしてテキサスのみならず更に広いテリトリーへ、そして日本にも活躍の場を広げるようになった。
また、個人のみならず米国と国際、新日本プロレスでは同郷のダスティ・ローデスとの名コンビ“テキサス・アウトローズ”としての活躍でも知られる。
日本には68年に日本プロレスに来日したのを皮切りに国際プロレス、 全日本プロレス、新日本プロレスにも来日している。
通算来日回数は54回にも達し、銀座の裏通りに行きつけの焼鳥屋を見つけていたなど飲みのエピソードも豊富であった。
新日本プロレスの実況として選手からも親しまれていた古舘伊知郎の自叙伝によれば、散々に飲み食いした後で締めとしてうどんを所望したが流石に閉店しており、代わりに見つけた屋台にてラーメンを4杯……それも生卵を2個ずつ落としたものをペロリと平らげていたなどの話が伝わっている。
しかし、そんな生活をしていたこともあってか当時(80年代前半なので30代半ば)にして既に痛風などを発症しており、試合前には自ら薬を打っている有り様だったともいう。
【選手として】
公証で190cm/126kgもの恵まれた体格と優れた運動能力の持ち主。
昔のレスラー特有のビール腹で筋トレなどはしていなかったものの、何もしなくても重いバーベルを軽々と持ち上げてみせるなどナチュラルな怪力とも呼ぶべき力強さを持っており、更には幼少期からレスリングに接してきたこともあってか大柄ながら細かなテクニックや一流選手に通じるプロレスの細かい所作もお手の物といった、非常に懐の深さのある選手であった。
前述の通りでレスラーとしては無欲なこともあってか、関係者からも“世界王者(ベルトを預けて広い地域で試合をさせるの)に相応しい選手”として評価されていたものの、前述の当人の呑気な性格もあってか、流石に小さいテリトリーでトップ(看板選手)になることを断りはしなかったものの、メジャー以上の団体ではタイトルを獲ってもタッグ止まりで、世界王者や看板王者となると挑戦者止まりに留める仕事人ぶりを徹底していた。
しかしながら、見る人が見れば解るというか、その
ガチンコの強さも有名であり、新日本プロレスに来日していた当時に
前田日明が此れ迄のプロレスの範疇を越えるような技を持ち込んで外国人選手の間から不満が噴出した時には、マードックが直々に前田をつかまえて
「お前、プロレスがやりたいのか喧嘩がやりたいのかどっちなんだ?」と警告を与えたという話がまことしやかに伝えられている。
この、当時の前田に纏わる話として、伝説のアンドレとの不穏試合(調子に乗った前田を潰すために新日上層部がアンドレにセメントを仕掛けさせようとしたと言われる試合)について、コーチでもあった山本小鉄は「有り得ない」とした上で「本気で前田を潰すのならマードックにやらせている」との見解を残している。
【人種差別に纏わる疑惑と話題】
項目内の情報だけでも窺える通りで無欲で朴訥な性格の持ち主として知られており、日本人と日本の文化に対しては親しみすら抱いていたものの、生まれた土地柄(テキサス)や世代もあってか黒人に対する差別意識だけは消えなかったと囁かれている。
事実、日本プロレス崩壊後は外国人招聘ルートが引き継がれた全日本プロレスの方に最初に参戦していたものの、看板選手となっていたアブドーラ・ザ・ブッチャーとの関係の悪さから馬場も注目シリーズであるチャンピオン・カーニバルや世界最強タッグリーグ選手権でのマードックの起用を断念したと言われている(同世代で同じテキサス出身のハンセンも若い頃には黒人のブッチャーがトップとして扱われていることに反感があったと告白している)。
結局、新たに世話になることになった新日本プロレスではアドリアン・アドニスやマスクド・スーパースターといった気軽に組める白人選手が居たので、こちらでは普通にMSGリーグ戦に出場するなど看板選手として扱われていた。
なので、全日本プロレスにて“師匠”とも呼べるコックスとの“ブレインバスター合戦”が行われた名勝負なども存在しているものの、活躍としては新日本プロレスでの方が印象に残っていると言われる。
実際、当時からエンタメ的な意味では間口の広かった新日本プロレスでは既に両者共にトップレスラーとなっていた時期に、本国ではヒールとベビーの立場から組ませることが難しくなっていたローデスとの“テキサス・アウトローズ”の復活を実現させるなどしている程なので尚更か。
尚、マードックの人種差別に纏わる疑惑について、元柔道メダリストで当時を代表する黒人トップレスラーであるアレン・コージ(バッドニュース・アレン)は「マードックは生涯を通じてk.K.K.のメンバーだった」とまで語っている。
【得意技】
マードック最大の必殺技で、前述の通りで若手時代に開発者であるキラー・カール・コックス自身に直々に伝授されたことで身につけた技である。
いわゆる垂直落下式ブレンバスターではあるのだが、現在の受け身の取りやすい“スライド式”ではなく、腰を落とすようにして相手の脳天をマットに打ち付けていく本物の垂直落下式と呼ばれる形であり、それ故にブレインバスターと呼ばれるのである。
……とはいえ、マードックの高い技術と身体能力もあってか、相手によっては怪我をさせないように(実際に相手の身体がマットや床に接しないように)落としている場合も多く、その辺は流石は一流選手といった所。……勿論、信用のある相手ならば容赦なく身体がくの字になるような勢いで脳天を叩きつけている。
技を仕掛ける前に型を作りながら「ブレインバスター!!」と叫ぶパフォーマンスも定番であった。
基本的に一撃必殺で試合を終わらせるサインとなる技だが、前述の全日本プロレスにて実現した“師匠”コックスとの一戦ではブレインバスター合戦の末にノーコンテスト(無効試合)となっている。
ブレインバスターと並ぶ代名詞で、相手をコーナーポストに追い詰めた後に自分もコーナーポストに登り、相手の後頭部に片膝を押し当てた状態から勢いよく前方に倒れ込みつつ顔面をマットに叩きつけていく。
尚、前述の通りでこの技を“カーフブランディング”という名前で広めたのはマードックだが、技そのものを開発したのはカナダ出身でナチスギミックで活動していたワルドー・フォン・エリックで、エリック自身は“プロシアン・バックブリーカー(ドイツ式背骨折り)”と呼んでいた技であった。(技名からも元々は背中に乗る技だった可能性もあるが。)
此方は直接には伝授されたという話は聞かれないものの、つまりはマードックの2大必殺技は典型的なヤンキー(陽性アングロサクソン)キャラだったマードックと敵対するポジションに置かれることが多かった、ナチスギミックの先輩レスラー達を元祖とする技だったということになる。
伝統的なプロレスを基本としていたことから各種のエルボー(肘)攻撃も得意としていたが、特に効果的に使用していたのが真正面から相手の脳天や眉間に打ち込まれたエルボー・スタブ(スタッブ)で、奇しくも脳天に打ち込まれるエルボーも“ブレイン・バスター”として恐れられた。
相手にヘッドロックを仕掛け、馬鹿力で振り回しておいてから相手の顔面にパンチを見舞う。
余談だが、この技自体は定番の反則技として現在でも見られる技なのだが、大抵の選手は相手の額の辺りを狙ってパンチをするだけの、実際のダメージソースとしては大して効果的ではない、形だけ、おざなりのポーズに近い技として繰り出されることが殆どなのだが、マードックの場合は本当に眉間……つまりは両目の中心で鼻骨の始まりとなるポイントの急所を狙って正確にパンチを打ち込んでいたそうで、これは本当に痛くて嫌がる選手も多かったようである。
プロレスがショーマンシップに根付いているとはいえ、源流は本物のレスリングや格闘技術に根付いて基本が作られていたことを実感させられるエピソードである。
テキサス出身とあってか、この技も得意技の一つ。
主に藤波との試合での定番ムーブで、場外から先にリングに戻ろうとした時にタイツを掴まれ真っ白いデカ尻を丸出しにされるというもの。
観客を沸かせる為の伝統芸であり、同世代のリック・フレアーも21世紀に入っているのに中継が無い大会では忘れずに尻を丸出しにされていた。
【余談】
漫画『キン肉マン』に登場するザ・テリーマンは名前や正統派のキャラ付け、アイドル的な人気からも(若い頃の)テリー・ファンクがモデルとされているものの、実は容姿や使用する技に関しては寧ろディック・マードックに似ているというのがマニアからの意見となっている。
流石にテリーマンはハンサムでビール腹ではないものの、かと言って肝心のテリー・ファンクには似ておらず、マードックを痩せさせたなら丁度テリーマンに似るだろうということである。
実際、テリーマンの技の中でも最大奥義と呼べるブレインバスターとカーフブランディングはテリー・ファンクではなくマードックの必殺技であったという事実は紛れも無い事実である。
追記修正はブレインバスター!を決めてからお願い致します。
- 僕ならマードックぶつけますよ -- 名無しさん (2026-04-13 12:23:36)
- レスラーとしては無欲だけど、客が何を求めてるかはよくわかっていたレスラーって感じ 全日本の永源のツバと新日本のマードックの尻は昭和プロレスのお約束 -- 名無しさん (2026-04-13 19:47:17)
- ブレーンバスターじゃなくてブレインバスターなのは意図しての事なの? -- 名無しさん (2026-04-14 10:52:19)
- マードックがNWA王座にあえて就かなかったのは、当時高い権威があったNWAでは王者はスーツ姿でサーキット移動することを義務付けられておりマードックはそれを嫌がってチャンピオンにならなかったとか。紙のプロレスRADICALのテリー・ファンクインタビュー記事でこのことについて尋ねたら「その話、嘘じゃないぜ(笑)」と肯定していたのが印象に残っている。 -- 名無しさん (2026-04-14 12:43:32)
- バッドニュース・アレンはアンドレとも差別をめぐって揉めていたな -- 名無しさん (2026-04-20 10:23:10)
最終更新:2026年04月20日 17:46