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ランディ・サベージ

登録日:2026/08/27 Thu 11:10:09
更新日:2026/08/27 Thu 11:21:41NEW!
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Oooh Yeah!!
━━BGM『威風堂々

“マッチョマン”ランディ・サベージ(“Macho Man” Randy Savage)は米国の元プロレスラー。故人。(1952年11月15日-2011年5月20日)享年58歳。
本名:ランダル・マリオ・ポッフォ
父アンジェロ・ポッフォ、弟の“ザ・ジニアス”ラニー・ポッフォもプロレスラーである。

【概要】

80年代を代表するアメリカンプロレスのカリスマ中のカリスマの一人であり、同じくアメプロの象徴にしてカリスマであるハルク・ホーガンとのライバルストーリーと確執。
初代マネージャーであり実の妻でもあったエリザベスとの愛と確執はガチのスキャンダルであると共にプロレス上でのストーリーとしても展開されるという虚々実々のファンタジーでもファンを魅了した。

余りにも出で立ちだけで完成されすぎていることから=としてショーマンシップレスラーの極致として特に日本のファンには侮られる傾向にあったものの、実はその特異にして計算され尽くされたプロレスはクリス・ジェリコやショーン・マイケルズの様な名人級のレスラーからも賞賛を受けている程である。

実際、組まれた当初は余りのミスマッチぶりに「試合が成立するのか!?」とすら疑われたレスリングサミットでの天龍源一郎との対戦は未だに名勝負として名高く、玄人目線の日本のファンをも唸らせた程。

ニックネームともなっている“マッチョマン”の異名通り、鍛え上げられた均整の取れた肉体美と抜群のセックスアピールによりカリスマ的な人気を得た。
また、一見するとパワー系かと思わせておきながら、実際には高い身体能力からリングを縦横無尽に駆け回る独特のスタイルが持ち味で、特に必殺のダイビングエルボー・ドロップはプロレス史上でも1、2を争う使い手とされている程。*1

【来歴】

本名はRandall Mario Poffoで、イタリア系の家系に生まれる。
本来の出身はオハイオ州コロンバスなのだが、プロフィール上では当時の居住地であったフロリダ州サラソータとしていた。

実は、元々は父アンジェロ同様に野球選手であり、メジャー昇格には至らなかったものの高校卒業後の1971年から1974年まではプロ野球選手としてセントルイス・カージナルスやシンシナティ・レッズ傘下のタンパ・ターポンズにてプレイしていた。
ポジションは捕手で、外野手にも挑戦していたが肩の負傷などもあってか野球選手としての活動は約4年で見切りを付けている。

■プロレスデビュー〜CWA

プロレスラーとしてのデビューは1973年11月で、当初は野球のオフシーズンの副業であった。
しかし、翌年には野球選手を廃業したことからプロレスに専念するようになりジョブボーイ(メインイベンターの引き立て役となる見栄えのいい若手)としてNWA傘下の各テリトリーを転戦。
因みに、この頃に武者修行時代の長州力や藤波辰爾とも対戦経験がある。

そうしてキャリアを積んだ後の1977年後半からリングネームを“ランディ・サベージ”と改める。
サベージ(野蛮/残忍)の異名通りに当初は後のイメージに反して極悪ヒールであり、テネシーのミッドアメリカ地区に定着するとメインイベンターとしてタイトルも獲得する。

1979年からは実父アンジェロがケンタッキー州レキシントンに旗揚げしていた独立団体ICWに弟のラニーと共に迎え入れられて参戦。
この頃から代名詞となる“マッチョマン”をリングネームに冠するようになり、実弟ラニーとはタイトルを巡り抗争も繰り広げた。
ICWには他にもボブ・オートン・ジュニアといった有力選手も参戦していたのだが経営悪化により5年程で解散。
解散後の1983年12月からは、かつて同じサーキットを回っていた先輩レスラーのジェリー・ジャレット(ジェフ・ジャレットの実父。後のTNA共同設立者。)が古巣であるミッドアメリカ地区を吸収して設立していたCWAにラニーと共に誘われ、ICWと同じくトップヒールとしてメインイベンターを務め上げる。
CWAではシングル戦線のみならず弟ラニーとのコンビでタッグ戦線でも活躍。
人気団体となったことから更にサベージの高名も上がることとなり、遠征したプエルトリコのWWCでもタイトルを獲得している。
1984年12月に後にマネージャーとしてビジネスパートナーともなるエリザベス・ヒューレットと結婚。
1985年6月には抗争相手であった“ザ・キング”ジェリー・ローラーの敗者追放マッチに破れてCWAを去るが、これは更に大きなテリトリー(というかプロレスビジネスの場である)WWF(現:WWE )登場までの下準備であった。

■WWF時代

実際、同月にWWFに登場すると「史上最高のフリーエージェント」と喧伝されて期待の新星として迎えられ、当時の名だたるヒール陣営の大物マネージャー達が挙ってパートナーシップを申し出るというシチュエーションが演じられたものの、ここでサベージが自ら選んだマネージャーとしたのが実でもあるエリザベス(ギミック上の名前は“ミス・エリザベス”)であった。
そして、WWFへの登場に伴いサベージは磨いてきた“マッチョマン”のイメージに+して、若手時代に目撃していたアルゼンチン出身のパンピロ・フィルポのパフォーマンスを真似た決め台詞の「Oooh Yeah!!」を取り入れるようになり、更に増した存在感とカリスマ性により瞬く間に団体のトップレスラーにまで駆け上がることになった。

当初はヒールとしてティト・サンタナやリッキー・スティムボートと抗争を繰り広げていたものの、レッスルマニアⅢにてスティムボートとの激闘の末に破れてIC(インターナショナル)王座を失ったのを機にベビーフェイスに転向。
当初は団体のエース格であるハルク・ホーガンとは敵対していたのだがストーリーの中で共闘を見せるようにもなり、レッスルマニアⅣではホーガンに代わり主役に抜擢。
WWF王座決定トーナメントを制してタイトルを獲得し、名実共に団体の頂点へと立った。

1988年後半からはリング外での活動が一段落して戻ってきたホーガンと“メガ・パワーズ”を結成して活躍。
しかし、アングルとして(ギミック上は恋人関係となっていた)エリザベスを巡る三角関係が取り沙汰されるようになり、レッスルマニアⅤでの直接対決にて破れてタイトルとエリザベスを同時に失うことになってしまった。

その後はセンセーショナル・シェリーを2代目マネージャーとして再びヒールターンするとホーガンと抗争を開始。
当時“キング”を名乗っていたジム・ドゥガンを倒してからは“マッチョ・キング”を名乗るようになりダスティ・ローデスやアルティメット・ウォリアーと抗争を開始。
この間の1990年4月13日の日米レスリングサミットにて初来日。
天龍源一郎と予想外の名勝負を繰り広げ、敗退こそしたものの日本のプロレスファンを驚かせる。
続くレッスルマニアⅥではウォリアーとの敗者追放マッチに挑むも30分以上もの激闘を繰り広げるも敗北。
試合後にマネージャーであったシェリーに攻撃されるも、観客席から現れたエリザベスが救出に入り(ギミック上の)復縁を果たした。

その後は巷でのアナボリックステロイドや薬物の蔓延疑惑について槍玉に挙げられると共に渦中に居たホーガンが現場から遠ざけられていたこともあってかベビーフェイスに戻り活躍。
8月のサマースラムではエリザベスとギミック上の結婚式も挙げた。

レッスルマニアⅦではリック・フレアーを破り再びWWF王座を獲得。
フレアーとは抗争を継続し、約半年後にタイトルを奪い返されたり、11月のサバイバーシリーズではミスター・パーフェクト(カート・ヘニング)とのコンビでフレアー&レイザー・ラモン(スコット・ホール)を破るなどしていたものの私生活では9月にエリザベスと離婚。
それを機にエリザベスが表舞台から去っていたのに合わせてか、サベージ自身もカラーコメンテーターとしての仕事が主になるなど試合から遠ざかるようになっていった。

■WCW時代

ホーガンが去った後のWWFにて“ヒットマン”ブレット・ハートやショーン・マイケルズ、ディーゼル(ケビン・ナッシュ)等が台頭してきていた中で、ライバルで友人でもあるホーガンがWCWを新天地としたのを追うようにしてサベージも契約金600万ドルで移籍。

そして、(ネイチの場合には)出戻っていたフレアーを破りWCW王座を獲得。
1996年4月には提携していた新日本プロレスの東京ドーム大会に出場。
当時、飛ぶ鳥を落とす勢いの若手であった天山広吉と対戦して老獪なインサイドワークにより完全勝利をしている。

その後、ホーガンがWWFから移籍してきたケビン・ナッシュ&スコット・ホールとnWoを結成するとサベージも参加。
ギミック上だがエリザベスも復帰してパートナーシップを復活させてダイヤモンド・ダラス・ペイジと抗争した。
スティングからWCW王座を奪うなどnWo内でもトップ級の選手として存在感を見せるも、ホーガンとの不和からたった1日で王座を剥奪されてしまうなど抗争に発展。
同じくホーガンに反旗を翻したナッシュのnWoウルフパックに加わり抗争を繰り広げるも負傷欠場となってしまい、離れている間にnWo同士の抗争はグダクダで終わっていた。

1999年4月に新マネージャーのゴージャス・ジョージ(女性)を連れて復帰するとヒールともベビーとも言えない独自の路線を開拓。
7月にはナッシュを破り4度目のWCW王座を獲得、8月にはNBAの問題児として知られると共にプロレスデビューもしていたデニス・ロッドマンを倒すなど存在感を見せつけた。
また、7月にはチャック・ノリス主演の『炎のテキサス・レンジャー』シーズン7にゲスト出演。
ノリスと大迫力の金網デスマッチを繰り広げて大きな話題を呼んだ。

00年には復帰したホーガンやフレアー等と共にレジェンド軍であるミリオネアーズ・クラブを結成するもWCWが末期状態だったこともあってか程なくしてフェードアウト。
契約満了と共に表舞台から姿を消していた中でWCW自体が崩壊してビンス・マクマホンに買収されることとなった。


■以降の活動〜晩年

WCWに参戦していた多くのレスラーがベテランでも若手でも、また一時的でもWWF(WWE)に登場する中で古巣であるWWFへのサベージの再参戦も注目されていたのだが数年に渡り沈黙を貫き表舞台から姿を消していた。

しかし、そんな中で2002年に公開されて大ヒットを記録したトビー・マグワイア版『スパイダーマン』(サム・ライミ監督)にて、全くの予告無しのサプライズ出演を果たしてファンを喜ばせた。
Bone Saw McGrawを名乗り、原作再現の賭けプロレスの興行主にして選手として衰えない姿を見せつけ、ライミ監督のこだわりなのかピーター・パーカー(トビー)の前の相手役であるシコシス相手にダイビングエルボーを見舞うなど活躍。
スパイダーマンとなったピーターとの対戦でもプロレスラーの怖さを見せつけるなど端役にはとどまらない存在感を見せた。

2004年12月にはTNAに大物ゲストとして参戦して、当時のベビーのエース格であったAJスタイルズ&ジェフ・ハーディと組んでジェフ・ジャレット、ナッシュ、ホールと対戦。
このままの継続参戦を期待されていたが契約がまとまらずにこの一戦のみの参戦に終わると共にまたもや表舞台から姿を消した。

……そして、2011年5月20日の早朝にフロリダ州にてハイウェイを走行中に心臓発作を原因として木に激突するという交通事故を起こして緊急搬送されるも、入院中に容体を悪化させて逝去。享年58歳であった。
2015年にはWWE殿堂に迎え入れられ、インダクターをホーガンが務めた。


【得意技】


  • ダイビング・エルボードロップ
代名詞にして絶対的なフィニッシャー。
コーナーポスト上で両腕を挙げてアピールした後に見事なフォームで着地していくのが特徴。
余りの美しさから、後に多くのレスラーが模倣したがオリジナルであるサベージの高名が揺らぐことはない。

  • ダブル・アックス・ハンドル(ハンマー)
両掌を組み合わせてのプロレスお馴染みの打撃技で、サベージは特に名手として知られた。
特に、コーナーポスト上でダイビング・エルボーと同様のアピール付きで放たれるものは後のゲームでも必殺技として扱われている程。(実際には繋ぎ技)
上記の通りでコーナーポストからの一撃は場外の相手にも放たれるなど要所で使用されたが、優れた身体能力を誇っていたとはいえサベージの体格で飛び技を主体とするのが流石に負担が大きかったのか晩年には膝を痛めることになってしまった。

  • ラリアット(クローズライン)・テイクダウン
サベージのラリアット(クローズライン)は相手の喉元に腕を叩きつけた後で尻もちをつくように薙ぎ倒していくのが特徴。
いわゆる“ランニング(ジャンピング)・ネックブリーカー”に似たモーションなのだが、同技のように腕を叩きつける時点では飛んでいる訳ではなく、薙ぎ倒す際にスライディングするようなモーションから着地するという違いがある。
チェンジオブペースとして多用された。

  • サベージ式クローズライン
名称こそクローズライン(ラリアット)だが内容は全く別物で、相手の頭を引っ掴んだ後にロープに走り、そのままトップロープを飛び越えて場外に着地しつ相手の首をトップロープに打ち付けるという、中々にトンでもないインパクトのある技である。
全盛期のサベージはこんな大技をサラリと放てる程の驚異的な身体能力を誇っていたのだ。

  • ハイ(背面)・ニー・スマッシュ
サベージ独自の技の一つで、不意をついて相手の背後から接近して背中の真ん中あたりに飛び膝蹴りを叩き込み思い切り突き飛ばしていく技。
相手はリング外やコーナーポストまで吹っ飛ぶのが様式美。

  • ランニング・アックス・スマッシュ
相手にダッシュして脳天から眉間のあたりに立て肘を叩きつけていく。

【余談】


  • サベージと別れた後のエリザベスは、同じくトップレスラーのレックス・ルガーと交際していたものの2003年5月に薬物(鎮痛剤)とアルコールの過剰摂取を原因とする心臓発作で逝去している。




追記修正はOooh Yeah!!してからお願い致します。




この項目が面白かったなら……\Oooh Yeah!!/

最終更新:2026年08月27日 11:21

*1 以前は圧倒的に1位という評価だったが、カイリ・セインの全盛期に「カイリの方がヤバくないか?」と現役WWEスターをも巻き込んでの論争となった。