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SCP-511-JP

登録日:2026/11/01 Sun 09:56:56
更新日:2026/11/02 Mon 02:59:49NEW!
所要時間:約 31 分で読めます




注意:この記事を読んでいる最中に何か嫌な感覚を覚えた場合は、すぐにページを閉じてください。


我が子を可愛がるのは親の道理。


SCP-511-JPは、シェアード・ワールド「SCP Foundation」に登場するオブジェクトである。オブジェクトクラスはSafe。メタタイトルは『けりよ』。

連作の一つ、「依談」に属する作品。また、「似たものコンテスト」、及び「棍棒よ、汝いずこへ」(いずれも個人コンテスト)参加作品でもある。

ここではセットとして書かれたTale『しんに』についても解説する。



概要

SCP-511-JPは、とある民家で見つかったビデオテープである。発見場所は福岡県鞍手郡。当該民家の一家が唐突に失踪していた折、調査のために派遣されたエージェントによって回収された。

内容は中年女性とその娘と思われる子供を撮影したものが主で、数分おきに時系列に沿って切り替わるようになっている。劣化がひどく断定はできないが、民家に住んでいた「皮田シズ(失踪当時37歳)」と「皮田結名(当時8歳)」を映していると考えられている。

コイツの異常性は再生することで生じる。再生中、ビデオの映像や音声にランダムなノイズが発生したり、画像や音の断片が挿入される。これが再生するたびに異なる内容やタイミングに変わるのである。なお、他の記録媒体にダビングするとノイズは発生しない。

この画像と音声を同時に視聴してしまうと、幻聴・幻覚を体験しはじめ不安障害を発症する。症状は統合失調症に似ているが、薬は効きにくく、逆にEMDR*1、ECT*2、そして記憶処理は効果が高い。なので側頭連合野・海馬のような記憶領域に影響を与えていると考えられている。

例によってビデオテープは経年劣化以外の磁気情報の変化が見られず、なんでこんな事が起きるのかは不明。現状はダビングをしたものを見るか、音声と画像を同時に見ないことで対処している。逆に言えば見なければ何の影響もないので、特別収容プロトコルも「ロッカーに保管してね。研究したいなら許可を得てね。」と非常に簡素である。

ノイズの内容

SCP-511-JPのノイズ音を解析する作業が1993年7月27日に行われ、その中に高確率で人の声らしきものが混在していると分かった。ただ、不明瞭すぎる上に毎回内容が変化するので内容や声の主の特定はできていない。

以下のファイルは同じ日に解析された、09:07~09:08までの約一秒間のノイズを解析したものである。なお原音ではなく、解析チームによって加工されている。
https://scp-jp.wdfiles.com/local--files/scp-511-jp/きご

+ CC BY-SA 3.0に基づく表示
出典:https://scp-jp.wikidot.com/scp-511-jp
ソース: https://soalunashosya.jimdofree.com/%E5%B0%91%E5%A5%B33/
ライセンス: CC BY-SA 3.0
タイトル: きご
著作権者: すぱらんど様
公開年: 不明

非常に不明瞭ではあるが、女の子の声に近いものが読み取れる。

また、ノイズと共に毎回変化する画像の内容が以下の通り。なお、通常時の映像はビデオカメラのものと思わしき撮影日時が表示されるのに対し、これら画像にはそれがない。

  • 床の間のような場所で正座し、合わせ目が逆になった着物を着て微笑している老婆。
  • 布団に寝かされた成人男性。目と口を大きく開いて笑っている。
  • 笑顔の子供。両方の手の甲を打ち付けるようにして拍手している。(これが最も多い)
  • 和室の欄間に結び付ける形で吊るされた白提灯。その房は一般的な総角結びではなく、縦方向の蝶結びに結われている。
  • 畳の上に置かれた、来迎図の描かれた屏風。屏風は上下逆に立て掛けられており、その向こうには僅かに布団の端のようなものが見える。
  • 床の間に立てられた姿見。鏡面ではなく、背面を向けている。

…もしかしなくても、いわゆる「葬送儀礼」(死装束、裏拍手、縦結び、逆さ事)に基づいた画像であることが分かるだろう。

中山博士の記録

SCP-511-JP発見時の調査に同行していた中山博士による記録が残っている。ちなみに、彼は九州地方の民俗学の専攻である。

あの場所に対しての違和感の様なものは、麓で車を降りたときから感じていた。
元々その家の位置している集落自体が山あいに在るのだが、その中でも特に……殆ど「隔離されている」と言っても差し支えないような、立地や往来の不便さといった面でも其処に家を建てて住まうという事自体に違和感を覚える場所に、その家は建っていたのである。
(中略)
まず手前側に、小さな鳥居。高さは170cmくらいだろうか、神明鳥居といわれる直線的で装飾の少ない形をしたもので、貫がやや低い所に取り付けられていることを考えると大人は多少屈まなければ潜ることは難しいであろう。苔生して多少は風化していると思われる石造りの鳥居は、しかし著名な神社にあるような立派なものではなく、所々にでこぼことした突起があり、仮漆の塗装もされていないのか或いは既に剥がれてしまったのか、石質はざらざらとしていた。そして、その鳥居を潜った三、四歩先には。

数十……いや数百といった数で、所狭しと地蔵が転がっていた。高さは異なるが大体は大人の膝くらいまでで、体格としては三頭身にも満たない程度のものである。微笑を浮かべたその表情は一つ一つばらつきがあり、恐らくはこちらも手作りであるようだった。勿論高度な彫刻作品といった印象ではなく、切り出された大きな石に顔の造形だけを彫ったといった感じの、寝袋を着た人のような造形である。
通常、地蔵には地蔵墓といわれる薄い板の様な墓石を附ける。例えば戒名などを彫る際、そのまま地蔵に文字を彫るわけにはいかないため、また別の石を用意してそちらに戒名や真言といったものを刻み付けるのだ。しかしそれらは違った。
よしこ、けいた、ゆき、じろう、まゆこ、ゆうじ、そういった名前が、お世辞にも上手とは言えない平仮名で、地蔵の胴の辺りに直接彫りつけられていた。
我々が呆然と立ち尽くしていると、それまで先導していた住民の方が、皮田はこの先に見えますあちらの家です、この仏さんは大丈夫なものですけん上ば歩いてってください、では私はこれでと言い残して山道を下りて行った。我々もここに居ては埒が明かないと先へ進むことにしたが、私の申し出で鳥居を潜って直線的な道のりで家まで向かうのではなく、周囲にある竹林の中から回り込むようにして歩いていくことになった。

地面にぎっしりと転がった地蔵を踏み越えて進むことは道義的に、そして単純に足場としても危険であったこともだが。あれらを見たとき、私がそれまで感じていた違和感が一気に膨れ上がり、少なくともあの鳥居は潜らない方が良いと直感的に判断するに至ったからである。

すなわち、人が通ることを想定しているとは言えない鳥居の先に、あまりにも罰当たりな作法で作られた地蔵が転がっていたことを示している。
あまつさえ、地元の住民はその地蔵の上を歩くことを推奨するような、にわかには信じがたい発言を残して去っていった。もちろん調査員たちは地蔵どころか鳥居まで避けていったが。

「注連縄」……拝殿や鳥居に掛けられる、あの絡み合った二本の縄の出自を知っているだろうか。起源は日本神話においての岩戸隠れ、天岩戸から出た天照大神が再び岩戸に籠ることの無いように結界を張った謂れであるとされているが、民俗学的には所謂蛇(カガチ)信仰*3、一対の蛇の交尾を表わしたものとも考えられている。北東の方角、つまりは鬼門(ナメラスジ)*4で結び目を作り、不浄なものとの結界を形作る。
最初は、鳥居に右綯えの注連縄が掛かっているのだと思っていた。しかし、それをよく見た時……正直に申し上げると、私は戦慄した。

結び目は燃やされ、ぞんざいに貼り付けられた紙垂は向きが逆*5になっており、そして。
二本の縄だと思っていたものは赤茶けた髪の毛だった。

…もう何も言わずともとんでもなく不浄なことが行われていたことが分かる。

ケースの紙片

SCP-511-JPは市販のビデオテープケースに入れた状態で発見された。その中にはテープと共に一枚の和紙が収められていた。これ自体に異常性はなく、資料として保管されている。この和紙には油性ペンで書き殴りがされており、おそらく九州地方に住んでいた人間の字だと考えられている。身元の特定にはやはり至っていない。

以下にその内容を書き起こす。●は塗りつぶしを示す。また、下線を引いた部分は元画像では二重線になっている。

いつも はらかいた のは あちのこと だのに、
そうやって もんくばかり ゆうのわ だめだ●ないか
けっきおくわ、かわたのゆな が、●ほがされた.
ねまとったと、わめきちらして、あとわ、なんでも
こちにくるので、しかたもないとおもう

これには中山博士の注釈がされており、「はらかいた」とは福岡の方言で「腹を立てる」、「ほがす」とは九州地方では「穴を開ける・穿つ」*6を意味する。
「ねまとった」は不明。ただ、九州では「腐る」ことを「ねまる」、「腐っていた」を「ねまっとった」と表現するといい、中山博士は促音が抜かされている文章ゆえに「ねまっとった」が変化したものと考察している。

また、「かわたのゆな」は前述の「皮田結名」のことなのか、「カワタ*7の湯女*8」のことなのかは不明。

ビデオの内容


ビデオ自体の内容を以下に引用する。

[00:01]: (映像は桜並木を映している)

[00:06]: 声1: はあい、もう恥ずかしがらないの、出てきて。お母さんに見してよ。

[00:10]: (一本の桜の木の向こうからランドセルを背負った女児が現れ、カメラに向かって歩み寄る。)

[00:14]: 声1: ふふ、よくできました。ゆうちゃん、初めてランドセルしょったけど、どう?

[00:21]: 声2: なんかねえ、思ったよりおっきくて、びっくりした。

[00:26]: 声1: あはは、そっかあ。

[00:30]: 声1: ゆうちゃんお友達出来そう?頑張れる?

[00:37]: 声2: うーん、わかんない。でもねえ、よしちゃんもゆきちゃんも、まゆちゃんもいっしょのクラスだったからねえ、いっぱい遊ぶの。

[00:48]: 声1: そうなの、みんな一緒のとこだったんだねえ。でもね、知らないお友達とも、沢山お話ししないとだめだよ?

[00:54]: 声2: わかったあ。

[00:58]: 声1: はあい、いいお返事。ねえ、これからどこいこっか。今日はお祝いだからね、何か美味しいもの食べに行く?

[01:06]: 声2: ほんと?じゃあねえ、ハンバーグがいい。

[01:11]: 声1: ええ、またあ?もうお母さん、またゆうちゃんが食べきれないって言っても食べてあげないよお。

[01:18]: 声2: あれはまだちっちゃいときだもん、もうお姉ちゃんだからそんなこと言わないもん。

ここまでは微笑ましい普通のホームビデオである。もう既に違和感に気づいた方もいるかもしれないが、一旦スルーしてほしい。

ちなみに、00:23を切り取った画像が添付されている。

+ CC BY-SA 3.0に基づく表示
ライセンス: CC BY-SA 3.0
タイトル: わくごっく
著作権者: Pear_QU
公開年: 2020

言うまでもなく皮田結名の姿である。

[01:37]: (画面が切り替わり、日本家屋の居間と思しき場所を映す。1カメラは机上に置かれた小さなフルーツケーキとその上に立てられた「8」という数字の形をしたキャンドル、その後に向かい側の椅子に座る女児を映す。)

[01:42]: 声1: ゆうちゃん、準備はいい?

[01:45]: 声2: うん、いいよお。

[01:49]: 声1: よおし、お母さんが歌ったげる。

[01:53]: (カメラが机上に置かれる。声1の主が、手拍子をしながら「ハッピー・バースデイ・トゥー・ユー」を歌う。)

[02:11]: 声1: ハッピバースデートゥーユー。おめでとおー。あ、待って待って。

[02:19]: (カメラがぶれ、再び元のアングルに戻る。)

[02:21]: 声1: はい、いいよお。消して。

[02:24]: (向かい側に座る女児が、キャンドルの火を吹き消す。)

[02:28]: 声1: わー(拍手の音、同時にカメラがぶれる)、おめでとう。

[02:35]: 声2: ねえ、食べていーい?

[02:38]: 声1: うん、いいよお。

[02:40]: (女児がキャンドルを皿の外に置き、ケーキを食べる姿を映す。)

[02:51]: 声1: おいしい?

[02:53]: 声2: うん、おいしい。お母さんにもあげるー。

[03:02]: 声1: え、本当?嬉しい。じゃあさ、あーんってして食べさせてよ。

[03:08]: 声2: えー、わかったあ。じゃあお母さん、あーん。

[03:14]: (女児がテーブル越しに、ケーキの欠片を乗せた子供用スプーンをカメラの方向に向けて差し出す。カメラが一瞬大きくぶれ、天井を向く。)

[03:17]: 声1: あーん。んー、美味しい。ゆうちゃんありがとう。

[03:22]: (カメラは暫くの間、ケーキを食べる女児を映す。03:51以降から時折、鼻を啜る様な音が聞こえ始める)

[04:15]: 声2: あれ、お母さんどうかしたの?お腹痛いの?大丈夫?

[04:26]: 声1: いや、大丈夫。大丈夫だよ。ごめんね。

[04:36]: 声2: ほんとに?

[04:38]: (声1の返事は無く、啜り泣き、しゃくりあげる声のみを漏らしている。)

[04:59]: 声1: ねえ、ゆうちゃん。

[05:03]: 声2: なあに?

[05:11]: 声1: ごめんね。

[05:16]: 声2: いいよ。

[05:20]: (カメラが再び机の上に置かれる。声1のくぐもった泣き声が一層大きくなる。)

[05:54]: 声2: お母さんのせいじゃないもん。

恐らく結名の8歳の誕生日を祝うパーティーを映した映像だと思われるが、途中までは幸せそうなのにシズが突然泣き出している。一方、結名の方はどこか悟ったような態度である。

[06:13]: (画面が切り替わる。撮影場所は神社の中であると思われ、葬場祭らしき儀礼が執り行われている様子を俯瞰視点で映し出している。ただしその参列者らは喪服を着ているものの一様に笑顔を浮かべており、何処からか節を付けた祝詞らしき詞と「越天楽」*9と思われる雅楽が聴こえる。)

[06:40]: (カメラが動き、参列者ではなく前方にある祭壇と棺、神主を映す。神主の姿はカメラからは背面しか映らないが、祝詞奏上*10の儀を行っているように見える。)

[06:59]: (カメラが棺と祭壇の方向にズームする。祭壇に遺影は無く、本来遺影が置かれる場所には玉串*11が置かれている。玉串に複数結びつけられた紙垂には全て文字が書かれているが、映像の劣化からその判読は困難である。)

[07:13]: (画面が切り替わり、SCP-511-JPの発見場所である家屋の外観を映し出す。)

[07:15]: 声1: ここが、今日からのお家だよ。

[07:20]: 声2: うん。

[07:24]: 声1: 意外と綺麗な見た目だね。もっとぼろぼろなのを想像してたけど、意外と何とかなるのかもね。

[07:36]: 声2: うん。

[07:40]: 声1: 入口の準備はしたし、お世話になった方々の挨拶にも行ったし、皆の分のお地蔵さんも置いたし、これでもう大丈夫だよ。

[07:49]: 声2: うん。

[07:53]: 声1: みんな、笑って送り出してくれたもんね。ちっちゃい頃からゆうちゃんと仲良しだった3人も、学校で新しくお友達になったけいちゃんもじろうくんもゆうくんも、みんな、頑張ってねって、言ってくれたもんね。

[08:11]: 声2: うん。

[08:16]: 声1: ゆうちゃん。

[08:21]: (カメラが右方向を向く。恐らくは「ゆうちゃん」であるとみられる女児がカメラの方向を向いている様子が映し出される。女児は髪を全て剃り落としている。)

[08:28]: 声1: あ、恥ずかしがらないね。ああ、もうお姉ちゃんだもんね。ゆうちゃんは、偉いねえ。まあ、お母さんもおんなじだもんね。お母さんも、もう大丈夫だよ。

[08:42]: (「ゆうちゃん」が微笑する。カメラがぶれ、再び家の方向を映す。)

[08:50]: 声1: それじゃあ、行こっか。早くしないと来ちゃうかもしれないし。

[08:56]: 声2: ねえ、お母さん。

[09:00]: 声1: ん、何?ゆうちゃん。

[09:07]: 声2: うしろ、もう

[記録終了]

そして最後の2つの映像は明らかに異質。まず葬式の作法で何故か祝うような儀式がされており、そして参列者全員が笑っている。この映像、そして次の映像についても、撮影者はシズであると考えられる。
その次の映像では、おそらく結名と思われる女児が髪を全て剃り落としている様子が映され、シズもまた同じだと言う。さらに、結名と友達になった人物の名前は、おおむねあの鳥居の先で雑に転がっていた地蔵の名前と同じである。

そして新生活が始まるような口ぶりでありながら、「早くしないと来ちゃう」という発言があり、さらに結名が「うしろ、もう」と何かに気づいた素振りを見せる。映像はそこで終わっている。

亥鳴ノ村ニ傳ヘラル逢魔ノ亊

郡制によって再編された福岡県鞍手郡では、1916年に郡長が「郡史記錄編纂委員會」を設置し、地方の民俗誌を編纂する事業を発足した。当時は言わずと知れた柳田國男の影響で民俗研究が盛んであり、郡史は3年で完成して刊行された。

その刊行された「鞍橋紀要」から抜粋した記述が以下である。

亥鳴ノ村ニ傳ヘラル逢魔ノ亊

西方ナル亥ノ子塲ニテハ、山神ノ類在リト云フ。山譽(ヤマボメ)*12トハ異ナリテ、人人ハ手作(タヅクリ)ノ罠ヲ用ヒテ神ヲ捕フルトゾ傳ヘラル。

賽ノ河原ニテ悲泣シタル水子地藏ヲ荒(スサマ)シク穢シ、其ノ泣聲ヲ聞タル山神ハ地藏ノ許ヘ行クガ故、誘(オビ)カルゝ其ノ者ヲバ封ズルニ能フト云フ。

すなわち鞍手郡の犬鳴谷村(亥鳴ノ村)では、「賽の河原で苦しむ水子地蔵を粗雑に扱って穢し、その泣き声を聞いて怒って降りてきた山の神様を捕らえる」、というあまりにもあんまりな儀式が伝えられていたことが分かる。

しんに

+ CC BY-SA 3.0に基づく表示
ライセンス: CC BY-SA 3.0
タイトル: のろい
著作権者: Pear_QU
公開年: 2020

[注: この文章を読んでいる際、突然に心身の不快や不調を感じた場合は、すぐに文章の繙読を中断してください。]

さて、ここからはTale『しんに』の解説に移る。できれば本文を先に読んでおくことをおすすめする。ただ注意書きの通り、変な感覚を覚えたらすぐに中断してほしい。

この文章は上記の画像と注意書きから始まり、

職業柄というものなのかは判りませんが、各地の民話や伝承、或いは俗に「怪談」と謂われるものを集めていると、時として「これは話してはいけない、誰にも言わず心の中に留めておかなければならない」と直感的に感じるような話に出くわす事があります。

という出だしに続く。曰く、その類の怪談というのは「こうしないと災いが来る」とか、「話を聞いたことで何人もの死者が出ている」とか、そんなものではなく、本能の方が「危険」と判断するようなそんな話だと言う。
さらに、原初の人間とは「死への恐怖」から始まって、社会性を得て、様々な感情及び恐怖を獲得・進化させていったと続ける。だが、「語ってはいけない怪談」とは、そういう心の中にあるものと照らし合わせるような恐怖とは違い、「聞いてはダメだ」と無意識に自覚してしまうという。
そしてこう続ける。

これから書くのは、私が以前に聞いたそんな禁忌のうちのひとつ或いは複数を、出来る限り希釈して描写したものであると思って下さい。勿論、ここで書いた個人が特定されたり、それこそ何らかの影響が読み手側に出ることの無いように幾つかの嘘やぼかしを交えつつ書いていきます。この文章を書く前に大まかな構成と内容について何人か私の信頼できる方にチェックを入れてもらい、了解を頂いておりますので、恐らく読んだだけでは何の影響も無いと思います。
ただ、万一これを読んでいる途中で何かを感じ取ってしまった場合には、すぐに読むのをお止め頂くことを推奨します。先程も言った通り「読んだ人に明確な災いが降りかかる」といったものではありませんし、そもそも霊障とはそんな単純なものではありませんので、読むのを止めて頂ければそれだけで大丈夫です。

つまり、誰を指しているか分かりづらくしたうえで、こちらに影響が出ないように配慮して文を書いていると話す。

SCP-███-JPを御存じでしょうか。御存じでない方に簡単に説明すると、福岡県鞍手郡という所に住む、失踪した或る母娘のビデオテープに纏わるSCPで、このビデオテープに記録された映像には不定期なタイミングでノイズが入り、不明瞭な音声のようなものと良く分からない画像が挿入されます。異常性はこれを視聴した人がそのノイズに類似した幻覚と幻聴に悩まされるというもので、報告書には”記録███-JP_(番号)”という形式でこのSCPに関する様々な調査資料が添付されています。
以下は私の知る、SCP-███-JPに纏わる話である、という事にします。

ここで黒塗りにされているSCP-███-JPは、説明を見てわかる通りSCP-511-JPのことそのものである。ただし、語り手はこの点はあいまいにしている。

語り手は続けて、10年前から福岡県の民話について調べ始めたと続ける。研究というよりは怪談のネタ探しにと、民族語彙の収集から始め、さらに神社や民俗資料館への訪問に続いていった。
そんな中で、地域の人々から色々な話や、神社の書物を提供されていったという。

その一人に、小さな神社の神主がいた。好々爺らしいその人物から上機嫌に地域の民俗話を聞かせてもらい、そのうち彼の身の上話となっていった。
彼は数十年前に妻を亡くし、子供もいないまま独り身で神社を管理しているという。

神社は個人経営のような形態で、彼もまた家系によって神社を継いだ身であると話す。国から認められたものではないため彼と結婚するにあたっては家族から猛反対を受け、最終的に駆け落ち同然で結婚したという。
だが結婚生活も長くは続かず、妻を喪ってからは再び一人で神社を切り盛りしているらしい。

その時、彼は手元に持っていた「鞍橋紀要」をめくり、「取返歌ノ亊」という項目を見せた。

こいが、とりかえしのうたっちゅうとよ。あっちゃん行ってしもうた女房を、一遍だけ呼び戻しゆる歌って事たいね。

見れば、それは降霊術の一種の様でした。といっても狐狗狸さんのようなものではなく、どちらかというと生口や沖縄地方のユタに似ているように思えました。しかし。
とりかえしの、ですか。そう私は問いました。取り交わしの歌、だったら覚えがあったのです。福岡地方に伝わる婚姻儀礼の一種で、両家の親睦を深めたり嫁入り道具を収受する時に歌われる祝い歌の事を指してこう言います。”こがん荷物ば受け取るからにゃ、まんご末代帰しゃせぬ”。両家の大黒柱が音頭を取って、酒宴で赤ら顔になった家族がそう歌う様子は、福岡に何人か親戚が居る私も良く知っていました。
ですが老人は、いんにゃとりかえしのうたよ、と返します。そして、その歌について詳しく語り出しました。

すなわち、一度だけ冥界の妻を呼び戻せる儀式のようなものであると言う。

ここでもう一度釘を刺しておきますが、この文章には幾つもの嘘やぼかしが混ざっています。今から言う事を正確に再現しても、まず何の成果も得ることは出来ません。

それが出来るのは未亡人に限るのだそうです。ここでいう未亡人とは今のように夫に先立たれた妻を指す意味ではありません。その意味だけを指すのではありません、といった方が正確です。要は夫婦のうちどちらかに先立たれた人という意味で、文字通り未だ亡くならない人の事を表します。
その未亡人は儀式に先んじて、何年か髪を切らずに伸ばし続けます。頃合い、つまり取返すに足る毛量になったらそれを全て剃り落とし、取返しの儀式のために使用します。
長く伸びた髪の毛を二本の毛束に分け、これを縄に見立てて注連縄を綯っていきます。

先立たれて独身となった者が、まず髪を伸ばしてそれをしめ縄にするという。ざっくり言うと、女性を呼び戻すなら反時計回り、男性を呼び戻すなら時計回りに結う。

そこまで聞いた語り手は、神主の不自然に禿げ上がり、剃り跡のついた頭を見た。
さらに神主は続けて、故人の墓石や遺骨を用いて簡素な鳥居を作り、鬼門の方角にしめ縄を結んで燃やし、歌を謡うと言う。

“あがんみまけばたまよびするにゃ、けりよけりよとつんぼがみ”
この謡を行うとその人の中に配偶者の御霊が憑依し、様々な幻覚や幻聴といった形で自らの意思を示すのだといいます。これを行うことが出来るのは人生に一度きりであり、仮にここで憑依に失敗した場合でも二度目は無いのだそうです。

私はこれを聞いた時、彼に二つの質問をしました。一つ目は、この詞に関する事でした。
この、けりよという語を私は存じ上げないのですが、どういった意味なのかを教えて頂くことは出来るでしょうか。
先程までと変わらないにこやかな調子で、老人はすぐに答えて下さいました。それは漢字を当てると「帰依」であり、そのまま神への帰依を表すのだそうです。帰依(かえりよる) が転訛して、けりよになったのだと。

これがSCP-511-JPのメタタイトル『けりよ』と関係しているのは明白である。

ありがとうございます。それで、もう一つの質問なのですが。
奥さんはあなたに何と言ったのですか。

老人は。
小面の能面のような、とてもおそろしい笑顔で、私に言いました。
「くるな」

成程、分かりました。有難うございます。私は多分、そんな事を言ったと思います。
日の暮れた神社を後にする直前、老人は最初の時と変わらない笑顔で、私に言いました。
なあ、また爺さんの話し相手になってくれや。
はい、またいつか、こちらに来たら会いに行きます。

それから私は、あの老人とは一度も会っていません。

というのが、語り手の知るSCP-███-JPに関する話とされる。

続いて、なぜこの話をしようと思ったのかという動機が語られる。神主からこの話を聞いた数年後、さらに九州地方の民俗学を本格的に研究するようになった語り手は、『けりよ』という言葉の違和感を追求していた。民俗学の文脈に、そんな言葉はないからである。

そして帰依は仏教用語だからと調べ、成果を得られなかったと同時に、その違和感の正体に気づく。なぜ神道の者が仏教用語を用いた儀式をしたのか。

さらに宗教学の講師から以下のような話をされたという。

「取返歌だっけ。そもそも神道の考え方に、その儀式はそぐわないよ。そもそも日本の霊魂観では、幽霊や怨霊っていうのはホラー映画みたいにただ怖がって忌避するものじゃない。畏敬して、遠ざけるものじゃん。ましてやそんな御霊をわざわざ此岸から、それも神主が呼び出すなんて、有り得ないよ。それ、本当に神社の人?」

そのため、もう一度語り手は神社を訪ねることにした。と言っても遠巻きに見る気で行ったという。

しかし、その場所には今も、昔も、神社などあったことなどなかった。

これが、先ほど言った「進展」の、一つです。本当はここで筆を置く予定だったのですが、実はつい数日前に、もう一つ大きな進展がありました。
先述のように、依然行った筈の住所には、神社もそしてあの老人もありませんでした。しかし。
その住所から私の家に、大きな封筒が送られてきたのです。
かなり悩んだ末に、私はその封筒を開けることにしました。
中には。
一本の、ビデオテープが入っていました。

というのがことのあらましである。語り手は続けて、ここまでの話には虚構が様々に含まれていると念押しし、あまり考えすぎないよう忠告する。

しかし、さらに続けて「読んでくれた感謝の気持ち」として、特に大きな虚構の一部を提示すると話す。今までの文章の本筋とは関係なので読まなくてもいいと言いつつ。

もしこのまま閲覧を継続するつもりの方には、以下に三つほど私から注意点を書かせて頂きます。

一つ目は、この文章の元となった話は紛れも無く、一番最初に書いたような「語ってはいけない類の怪談」であるという事です。そんなことが無いように細心の注意を払って書いてはいますが、もしあなたが考察の末に何かを感じ取ってしまった場合には、何度も書いていますが、それ以上の詮索は御遠慮下さい。

二つ目は、私が今から示すのは私がついていた嘘の「一部分」である、という事です。まず「○○と書いていましたがそれは嘘で、本当は××です」といった丁寧な文章ではありません。そういったものを期待されている場合には、その御期待には沿えない可能性が高いです。

三つ目は、今から示す情報は少なくともこれまでの文章の本筋とは全く関係ないものである、という事です。閲覧は本当に自己責任であり、見ても見なくても今までの文章の根幹が変わる事はありません。
以上の三点を理解された上で閲覧を希望される方は、このまま閲覧を続けてください。

原文では、ここから改行が続く。そして。








死ね













+ CC BY-SA 3.0に基づく表示
ライセンス: CC BY-SA 3.0
タイトル: しんに
著作権者: Pear_QU
公開年: 2020

考察

さて、ここまでで十分考察のしがいがある怖い・不穏な要素のオンパレードだろう。しかし、この2つの記事の意図を理解するには、ある”大きな2つの虚構”に気づく必要がある。ここに、一つの解釈として考察を置いておく。先に言っておくと、ここまで読んだ時点であなたは既に手遅れである。

表層の真相

まず背景として、福岡県鞍手郡の集落「亥鳴ノ村」で何が起きたのかを整理する。
一言で言えば、村人たちは「山神を捕らえる儀式」と「死者の魂を憑依させる儀式(取返歌)」を掛け合わせた、極めて悪質な呪術を行っていた。

古文書『亥鳴ノ村に伝えられる逢魔の事』にある通り、この村には「水子地蔵を粗雑に扱って穢し、その泣き声を聞いて怒って降りてきた山神を捕らえる」という儀式があった。
村人たちは、集落内で立場の弱かった皮田シズ・結名の母子を生贄(道具)として利用した。ビデオテープに同梱されていたメモ(記録511-JP_5)に書かれた平仮名の方言「けっきおくわ、かわたのゆな、がほがされた」とは、「結局は、皮田の結名が穴を開けられた(=片目を抉られた)」という意味であると考えられる。

日本民俗学において、片目(隻眼)や片足といった身体的特徴は、単なる障害や奇形ではなく、「神聖さの裏返し」あるいは「神と人間とを繋ぐ呪術的な依代」として捉えられてきた。あの祝詞が鳴り響く葬式も、そこに備えられていた玉串も、それが目的だろう。
結名は人に片目を潰されることで「依代」へと加工され、怒り狂う山神(あるいは山神と一体化した結名の怨念)ごとVHSテープに封じ込められた。

『しんに』で語られる「取返歌」とは、伸ばした髪を剃り落として注連縄を綯い、遺骨や墓石で作った小さな鳥居に結んで鬼門の結び目を燃やすことで、「生き残った者の脳内に死者の御霊を憑依させ、幻覚や幻聴の形で意思を示させる」という降霊術である。
SCP-511-JPの廃屋の玄関にあった「赤茶けた髪の毛の注連縄」「燃やされた結び目」「高さ170cmの手作りの鳥居」は、この取返歌の儀式跡に他ならない。また、テープに映っていた葬送儀礼の数々はすべて「生者の世界とあべこべになった死者の世界(あの世)」の風景である。

つまるところ、問題となったテープは単にノイズを吐くテープではなく「水子地蔵を穢されて激怒した山神」と「片目を潰されて生贄にされた皮田結名の怨念」を封じ込め、視聴した人間の脳内に強制憑依させるための呪物だった。報告書で「不安障害(幻覚・幻聴)」とされている症状の正体は、山神による憑依現象そのものである。

核心

ここからが本題である。

『しんに』の終盤、筆者はフェイクを入れたことを告白しつつ、最後にこう言い残している。

「その中でも特に大きな虚構の一部を、これから皆さんに示したいと思います。」
「これは、この文章だけでない他の部分にも関わる嘘」

この「他の部分」とは、間違いなく本家記事である『SCP-511-JP』のことを指す。では、両記事を貫く”虚構・嘘”とは何か。

SCP財団という存在

Tale『しんに』はのっけからおかしい。恐らくSCP財団に関係のない人間が、財団の内情を事細かに記述し、ビデオテープの事を語っているという異様な状況である。

財団は何をしているのか。結論から言おう。何もしていない。正確に言うと、財団など存在していない。

『しんに』の語り手は財団職員ではなく、「SCP財団という創作サイトが存在する現実世界(すなわち我々アニヲタと同じ世界)」に生きるただの怪談作家・民俗学徒である。
事の顛末は以下の通りだ。
  • 筆者は山奥の神社で「頭が不自然に禿げ上がり、剃刀の傷跡がある老神主」から取返歌の話を聞いたとしている。しかし、筆者は相手の笑顔を「小面(こおもて)の能面」に例えている。小面とは「若い女性」を表す能面である。つまり「老神主」というのは個人の特定を避けるための嘘であり、筆者が実際に出会ったのは「取返歌の儀式をし、テープを作るために自らの髪を剃り落とした女性(皮田親子のどちらかと考えられる)」だった。
  • その後、実在しない神社から送られてきたVHSテープを再生してしまった筆者は、取返歌の呪いによって山神(結名)に憑依され、呪いを拡散するための依代と化した。
  • 筆者は、多くの人間にこの呪いのデータを見聞きさせるため、「SCP財団のSafeクラスの報告書」というもっともらしい創作(嘘)に仕立て上げてWEB上に公開した。それが『SCP-511-JP』という記事そのものである。
SCP-511-JPに添付された不気味なノイズ音声のファイル名はきご(綺語)となっている。仏教における綺語とは、十悪の一つで「真実にそむき、巧みに飾り立てた言葉」を意味する。

報告書に書かれた「Safeクラスで安全に収容されている」「治療できる」「複製や片方だけの視聴なら無害」といった記述はすべて、読者の警戒心を解き、記事内の画像や音声(=呪いの媒介)を再生させるために語り手が飾り立てたフィクションの皮にすぎない。

注意書き

もう一つの巨大な虚構は、『しんに』の作中でしつこいほど繰り返される「影響がないように希釈した」「これを読んだだけでは何も起きない」という安全宣言である。

考えてみてほしい。すでに山神に憑依され、呪いを広めるためにSCP報告書(SCP-511-JP)まで作成した筆者が、わざわざ親切心で呪いを希釈するはずがない。
「危ないものだけど無害化してあるよ」「気分が悪くなったら読むのをやめてね」という言葉は、読者の警戒を解きつつ「そんなにヤバいものなのか」と興味を煽って最後までスクロールさせるためのカリギュラ効果(心理誘導)に過ぎない。

『しんに』の冒頭に置かれた図形(ファイル名:のろい)は、鳥居を模した呪符に見える。読者があの画像を目にし、「希釈してあるなら大丈夫だろう」と画面を下にスクロールした時点で、読者はすでに「髪の毛の注連縄が張られた鳥居」をくぐり抜けてしまっている。

逆さ事

語り手はなぜこんな回りくどい虚構・嘘を構成したのか。

テープに収められていた映像は、逆さ屏風、死装束、裏拍手、縦結び…と、すべて「生者の世界とあべこべになった”逆さ事”」であった。
この「正逆の反転」とも言うべき法則を『しんに』に当てはめてみよう。すると、嘘の”逆”に込められた意図が分かる。

  • 男の老人(好々爺の神主)。頭が不自然に禿げて剃髪の跡もあるが、表情は「小面」と形容される。
→若い女(おそらく皮田シズ)。取返歌の儀式のため剃髪し、冥界の存在と化した。
  • 「くるな」(老人の最後の言葉)
→「こいよ」。生者を冥界に近づけるための言葉。
  • 「けりよ」=帰依。老人が「かえりよる」の転訛と説明した。歌も婉曲的な表現で、配偶者を口寄せするものとされる。
→「来りよ」=来てください。帰依とは反対に「けりよけりよとつんぼがみ」=「来てください、来てください、聾神様」と山神を誘き寄せるストレートな呪文。
  • 「出来る限り希釈して描写したもの」「読むのを止めて頂ければそれだけで大丈夫」
→「希釈などしていない」「最後まで読んで呪われろ」

この法則が最も明確に発揮されているのが、『しんに』の最後に示される注意点である。すなわち、その三つ目を反転させて翻訳するとこうなる。

  • 三つ目は、今から示す情報は少なくともこれまでの文章の本筋とは全く関係ないものである、という事です。閲覧は本当に自己責任であり、見ても見なくても今までの文章の根幹が変わる事はありません。
→三つ目は、今から示す情報はこれまでの文章の「本筋(真相)そのもの」である、という事です。見ようが見まいが、ここまで読んでしまった時点で「手遅れ」である事実は変わりません。

記事の正体

語り手の目的は、ネット上のテキストとメディアを通じて「デジタル版の取返歌(山神の強制憑依)」を読者の脳内で成立させることにある。

SCP-511-JPにおいて、呪いの発症条件は「映像と音声を同時に視聴し、人間の記憶領域(側頭連合野・海馬)でそれらが統合されること」と定義されていた(財団の存在は嘘だが、筆者が呪いのルールを説明するものとして混ぜたこのメカニズム自体は事実と考えられる)。

語り手はこの「映像と音声の統合」をネットの上で再現するため、あえて情報を『SCP-511-JP(けりよ)』と『しんに』の2つの記事に分割して配置した。

『SCP-511-JP』で不気味な画像や編集されたノイズ音声、謎めいた方言のメモを見聞きさせる。

『しんに』で「取返歌」の儀式や「あがんみまけばたまよびするにゃ、けりよけりよとつんぼがみ」という呪文の背景をインプットさせる。

これらは単体ではバラバラの断片に過ぎない。しかし、両方の記事を読んだ読者が「あれはどういう意味だろう?」「この要素とあの要素が繋がるのではないか?」と考察し、自らの脳内で点と点を結びつけて『意味』を見出した瞬間、側頭連合野・海馬のような記憶領域の中で「映像と音声の同時視聴」と全く同じプロセスが完了してしまうのである。

作者である梨氏の他作品にも通底する、「何もないところに意味を見出そうとすると、そこに何かが現れてしまう」という思想が、ここでは最悪の形で機能している。読者の「考察したい」「真相を知りたい」という知的好奇心そのものが、山神を自分自身の脳内に呼び寄せる(「けりよ=来りよ」と招き入れる)トリガーとして利用されているのだ。

だからこそ、すべての種明かし(意味の統合)が終わる『しんに』のラストには、SCP-511-JPの記事内で「普通の可愛い女の子の写真(ファイル名:わくごっく=惑業苦)*13」として偽装されていた写真の“本当の姿”が貼られている。

片目を潰され、もう片方の目も異様に歪んだ皮田結名が真正面からこちらを睨みつけるその写真のファイル名は、しんに(瞋恚=激しい怒り・恨み)。
そして、その画像のすぐ上に隠されたサイズ0の文字の一言。





死ね





それは、禁忌である呪いのビデオの中身を興味本位で覗き見し、考察によって自ら呪いを完成させてしまった我々読者に対する、山神(結名)からの純然たる殺意である。

追記・修正は、幻覚・幻聴が始まる前にお願いします。



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最終更新:2026年11月02日 02:59

*1 眼球運動を伴うPTSDの対処法

*2 電気痙攣療法

*3 蛇を豊穣の神として崇める農業に根差した信仰

*4 悪魔や魔物が通るとされる細長い一本の道のこと。ここに家や店を建てたり、近くで転んだりすると様々な災いに見舞われるとされ、強く忌み嫌われる

*5 紙垂は神の領域と人の世界を区切る役割があり、これが逆になると不浄とされる

*6 ただし、小笠原地方では「散らかす」という意味らしい

*7 皮革職人に根差す被差別階級の名称のこと。およそエタと同じであり、死語。

*8 江戸時代に銭湯で客の世話をした女性のこと。後に売春を兼ねるようになり、非公認の売春婦の名称となった

*9 最も有名な雅楽の一つ。初詣や例大祭など、普通はハレの日に演奏される

*10 祭典や参拝の際に、神職や参拝者が神様へ向けて祈りや感謝の言葉を声に出して読み上げる儀礼

*11 常緑樹に紙垂を括り付けたもの。神事においては非常に重要な供物であり、神霊を迎える依代とされる。

*12 正月、初めて山に入って木を伐る際、供え物をして山の神を祀る儀礼のこと

*13 仏教において人間が迷いや苦しみの輪廻(りんね)を繰り返す因果のプロセスを表す