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和田豊

登録日:2026/10/31 Sat 02:10:00
更新日:2026/11/01 Sun 15:08:06NEW!
所要時間:奈々、約 7 分で読めるよ。





今の戦力にほんの少しのスパイスを加えれば十分優勝争いできる。




和田(わだ)豊(ゆたか)とは、日本の元プロ野球選手及び元プロ野球監督及びプロ野球コーチ。2027年シーズンは阪神タイガース二軍監督に就任予定。




【プロフィール】

生年月日:1962年(昭和37年)9月2日
年齢:64歳
出身地:千葉県松戸市
愛称:『スパイス』
身長:174cm
体重:72㎏
投打:右投右打
ポジション:内野手(メインポジションは二塁手だが、三塁や遊撃も守れる)
プロ入り:1984年ドラフト3位
血液型:O型
経歴:我孫子高校→日本大学
選手歴:阪神タイガース(1985~2001)
一軍監督歴:阪神タイガース(2012~2015)
コーチ歴:阪神タイガース(2002~2011)→(2023~)
背番号:6(現役時代)→ 86(首脳陣時代)
通算成績:現役17年、1713試合出場,1739安打、打率291,29本塁打,403打点,93盗塁
主な獲得タイトル:最多安打1回(1993)*1、ベストナイン2回(1992,1994)、ゴールデングラブ3回(1992~1994)


【概要】


現役時代は阪神タイガース一筋で活躍した内野手。

1980年代後半~1990年代の暗黒時代の阪神において新庄剛志(現・北海道日本ハムファイターズ一軍監督)と共に主力としてチームを支え、
引退後は一軍監督にも就任した。現在は阪神タイガース二軍監督。



【来歴】


  • アマチュア時代

1962年9月2日に千葉県松戸市生まれ。高校は我孫子高校に所属し、1年時には夏の甲子園にも出場している。
高校生の同級生にはクレヨンしんちゃんの野原ひまわり役で有名な声優のこおろぎさとみ、機動戦士ガンダムF91の主人公シーブック・アノー役で有名な同じく声優の辻谷耕史がおり、辻谷とは同クラス経験ありで仲も良かったという。

大学は日本大学に進学し、東都大学一部リーグでもベストナインを2回受賞するなど活躍し、1984年のロサンゼルス五輪野球日本代表としても出場し金メダル獲得に貢献。この実績が認められ、1984年オフのドラフト会議で阪神から3位指名を受け入団。
前年限りで引退した生え抜きのスター選手である藤田平がつけていた背番号『6』を与えられるなど、球団からは藤田の後継者として大いに期待された。


  • 現役時代

1985年から一軍で39試合に出場し、同年の日本一にも立ち会っている。だがチームはこの2年後の1987年~2001年まで15年に渡る長き暗黒時代の沼にハマることになる。

1988年に当時の村山実監督から中野佐資(さとる)、大野久と共に『阪神タイガース少年隊』として売り出され、レギュラーに定着し、同年には当時のシーズン最多犠打記録56を記録している*2。

1990年にはキャリアハイの8HRを記録し、1988年~1990年までは二桁盗塁を記録した。

1992年~1994年は3年連続ゴールデングラブ賞を受賞し、1992年と1994年はベストナインに選ばれ、1993年には最多安打を記録するなど、当時のセ・リーグを代表する巧打&堅守の二塁手として活躍していたが、1992年に2位を記録する以外はチームはBクラスがデフォの暗黒時代の沼から抜け出せずにいた。

90年代後半からは更にチーム状態は酷くなり1995年~2001年までの7シーズンで5位1回、最下位6回と当時の阪神ファンは『和田の打率を見るのだけが楽しみ』と自嘲する程であった。

1997年は開幕から24試合連続安打も記録。1998年が現役最後の規定打席到達シーズンとなり、1999年が現役最後のシーズン100安打到達となった。

2000年以降は加齢による衰えもありプレーに精彩を欠いていき、2001年はコーチ兼任で現役を続行したが打率132に終わるなど、選手としては限界でこの年限りで引退。

和田の引退をもって1985年の日本一戦士は現役選手としてはNPBから全員姿を消した。2002年からは阪神コーチに就任。


  • 阪神首脳陣時代

2002年~2011年までは一軍打撃コーチや内野守備走塁コーチ、二軍総合コーチなど様々なコーチ職を経験し、2011年限りで退任した真弓明信の後を継いで、2012年から阪神第32代一軍監督に就任した。

就任会見ではカレーでも作るかのように冒頭のセリフを口にし、意気込みを語った。
しかし、就任1年目の2012年シーズンは交流戦まではなんとか持ちこたえていたが、交流戦後は大幅に負けがこみ優勝争いから完全に脱落。当時暗黒時代で最下位が指定席であった横浜DeNAのお陰で辛うじて最下位は回避したが、借金20で順位は5位と散々な結果となった。

ちなみにこの年に長らくチームを支えてきた金本知憲*3が引退している。

この結果には世間の阪神ファンからも『はよスパイスかけろや』、『これはスパイシーですわ』と揶揄されることとなった。

しかし、同年オフのドラフト会議では、当時ドラフトの目玉だった大阪桐蔭所属の藤浪晋太郎をヤクルト、千葉ロッテ、オリックスとの4球団競合の中から引き当てる豪運を発揮。藤波はルーキーイヤーから先発ローテに定着し新人王こそ逃したが、二桁勝利を達成するなど超高校級の実力は本物であった。この一件には阪神ファンも掌を返し、和田を称賛している。

2013年はMLBから西岡剛と福留孝介を補強。福留は一年目は振るわなかったが、西岡は一番に定着し同年のベストナインに選ばれるなど大きな戦力となった。西岡、藤浪の加入もあり、チームは2位まで浮上したが、巨人の独走を止めることは出来なかった。
同年のCSで当時の左腕エースだった能見篤史を使わずに広島に連敗し敗退*4したため、この起用には批判の声が少なからずあった。

2014年は新外国人としてマウロ・ゴメス、韓国から呉昇桓(オ・スンファン)を補強。ゴメスは当初の期待は高くなかったが同年の打点王に輝き、呉も韓国での前評判通り39セーブを記録しクローザーに定着と両者とも大きな戦力となった。、この年もシーズン成績は2位だったがCSではファーストステージで広島を退け、巨人が待つファイナルステージへと駒を進め、戦前の巨人有利の予想を覆し『巨人相手に4タテし日本シリーズ出場』をする下剋上を達成*5。これには阪神ファンも相手が宿敵・巨人だったのもあるのか『光の中から現れた短期決戦の鬼(スパイス)』と絶賛した。だが、日本シリーズは2010年代の日本一の常連であるソフトバンクに1勝するのが精一杯で日本一は逃した。

2015年はシーズンを3位で終え、なんとかCSには出場したが、CSファーストステージで巨人に敗れ、この年限りで監督を退任し球団から去ることとなり、阪神入団の1985年から31年渡り着続けていたユニフォームを脱ぐことになった。

2016年~2022年は主にフロントの業務に携わり、野球評論家&解説者としても活動していたが、2023年から監督に就任した岡田彰布から『いつまでネクタイしとんねん』と二軍監督就任を要請されたことで、現場復帰を決意。一軍監督経験者が二軍監督に就任するのは阪神史上初めてのことだった。

2025年~2026年はヘッドコーチとして一軍監督の藤川球児を支え、2027年からは再び二軍監督として指揮を執る予定である。
コーチとしては、伸び悩んでいた中野拓夢を覚醒させるなど打撃コーチとしての評価も高い。


【現役時代のプレイスタイル】


巧打堅守の内野手。阪神の二遊間を長年支え、一発はないが、バント、カット打ち、流し打ちが得意で三振も少なく選球眼にも優れていた。
その反面、パワーが弱く単打が多いため平均OPSは7前後、併殺打数上位の常連でもあった。

足は遅いわけではないが、現役時代に記録した盗塁の半分以上は若手時代の1988年~1990年の3シーズンに記録したもので、通算盗塁成功率も57%と失敗も多く、最終的に通算100盗塁も届いていないなど、盗塁自体は得意ではなかった。

【コーチとしての指導スタイル】


引っ張り専門のパワーヒッターだったジョージ・アリアスやクレイグ・ブラゼルに『ワダサンスタイル』という逆方向へバッティングの技術を会得させ確実性を向上させ、また伸び悩んでいた関本賢太郎を巧打者に育て上げた。


【例の一件】


2012年までは星野仙一、岡田彰布といったキャラの濃い人物がなる傾向が強い阪神監督では、比較的真面目で地味な人物というイメージであった彼だが。




追記・修正は、女性から法外な金額を要求されても歯牙にもかけない漢の方にお願いします。

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最終更新:2026年11月01日 15:08

*1 当時は連盟表彰なし

*2 2026年現在のシーズン最多犠打記録は元ヤクルトの宮本慎也が2001年に記録した67。

*3 ちなみに和田がかつて着用していた背番号『6』の後任である。

*4 初戦は藤浪、二戦目はR,メッセンジャーが先発。能見は同シーズンは広島戦に強く広島キラーと呼ばれていた

*5 ちなみにその12年後の2026年は阪神は横浜DeNAから4タテを喰らい日本シリーズ進出を逃すという逆の屈辱を味わっている。

*6 七夕の日に生まれたことに由来する。