登録日:2026/11/01 Sun 22:44:08
更新日:2026/11/02 Mon 10:25:22NEW!
所要時間:約 35分で読めます
ハイセイコーとは、1970年生まれの日本の元競走馬・種牡馬。
地方から中央に殴り込んで数々の強豪と渡り合い、ドラマチックな馬生、強さ、そして何より絶対的な強さというより、どこか人間味感じるひたむきな個性から競馬の枠を超えた社会現象といえる人気を獲得。第一次競馬ブームの立役者となった元祖国民的アイドルホースである。
◆もくじ
データ
誕生:1970年3月6日
死亡:2000年5月4日
享年:30歳(旧表記31歳)
父:チャイナロック
母:ハイユウ
母父:カリム
生産者:武田牧場
馬主:(株)王優→ホースマンクラブ
調教師:伊藤正美(大井)→鈴木勝太郎(東京)
産地:北海道新冠町
獲得賞金:2億1956万6600円
通算成績:22戦13勝[13-4-2-3]
主な勝鞍:'72青雲賞、'73皐月賞、'74中山記念、宝塚記念、高松宮杯
特記事項:'73菊花賞2着、'74有馬記念2着
血統
父チャイナロックはイギリスの競走馬で、中長距離で活躍し25戦7勝で繁殖入り。イギリスで1シーズンのみの併用後日本に輸出されるとここで産駒ガチャ大爆発。ハイセイコーやタケシバオー、メジロタイヨウ、アカネテンリュウら八大競走勝ち馬を輩出してリーディングサイアーも獲得し、日本馬に大きな影響を与えた名輸入種牡馬として現在でも知られている。父にして名種牡馬ロックフェラの血の力は伊達では無かった。
母ハイユウは地方競馬で16勝、レコードを3度記録した名牝。その父カリムは短距離で活躍した馬であり、産駒も短距離マイル寄りの馬ばかり。代表産駒としては快速の逃げを武器に桜花賞、スプリンターズS等重賞5勝を達成した『美少女』タマミ、スピードで劣るアングロアラブ種でありながらサラブレッドをシバきレコードで重賞を制した『アラブの魔女』イナリトウザイがいる。母父としてもハイセイコーの他に、あのニホンピロウイナーと渡り合った名マイラーハッピープログレスなんかを生み出した。
その生涯
デビューまで
1970年3月6日、サラブレッド生産を始めたのは17年前程度でありながらキタノオーやキタノオーザ、キタノヒカリらを送り出してきた武田牧場にて誕生。生まれた時点で他馬を優に超える骨太な馬格を誇り、その良質な血統もあって生産地では既に期待の素質馬と見られており、キタノオー以来の「武田牧場の最高傑作」として話題となるのに時間はかからなかった。
ある時、雑誌『家の光』のサラブレッド特集にて当歳時の本馬の画像が載せられることになった時、牧場場長の武田隆雄氏はカメラマンにこう語ったそうだ。
「ダービーに勝つ馬とは言わないですよ。ダービーに出られるくらいの素質があると言ってるんですよ」
気になった人は『ハイセイコー 家の光 写真』とでも画像検索してみよう。同郷のオカプリンスと共に写ったやつが見つかるだろうが、それを見れば頭1つデカいのが分かるはずだ。
当歳時点からこれほどの期待を持つのも、あのゴツさを見れば仕方ないのかもしれない。
そんな感じで話題となれば当然中央からも引き合いがあったのだが、最終的には母ハイユウの縁もあって大井の伊藤正美厩舎で管理されることになる。
ただ、武田は売買時点で「大井でそこそこ走ったならば、中央入りさせてダービーを目指させてあげてほしい」と条件を盛り込ませていたが。
まぁそんなこんなで、新進気鋭のエリート候補は北の大地から遠く離れた大井競馬場でデビューをすることになる。
3歳の大井時代〜怪物の目覚め〜
旧表記の3歳、現在なら2歳時に7月12日のダート1000m戦で辻󠄀野豊を鞍上にデビュー。ただでさえ大きな馬体は更なる進化を遂げており、この時点でなんと507kg。当時としては規格外の体躯であり観客を驚かせたそうな。
そしてレースでは2着に8馬身をつけ、ヒカルタカイのタイム1:0,3を1秒近く上回る59.4で走破。コースレコードをいきなり更新するド派手なデビューを決める。しかも鞍上からはほとんど追われることすらなくこの記録を叩き出したのだ。圧巻のパフォーマンスは新星誕生を予感させるに十分なものであった。
その後も土の上で圧勝に次ぐ圧勝。次走は同じ1000mでありながら、スプリント戦にあるまじき16馬身の大差で逃げ切ると、その後は7馬身、11馬身、7馬身と大差続きで3連勝。怒涛の勢いで挑んだ初重賞のマイル戦青雲賞……今はハイセイコー記念と呼ばれるそれもまた7馬身差&レコードで完勝。ちなみにタイムは1:39.2なのだが、未だにレースレコードとして残っている……どころか、他で1分40秒を切った馬すらいないという突出ぶり。高速化が進む大井競馬場で、この記録が未だに更新されないというのはド派手におかしい。
(参考までに、2歳馬のみで行われる同距離のGⅠ級競走全日本2歳優駿の2025年のタイムが1:44.2である……川崎競馬場で行われる競走なので単純比較は全く意味を成さないが)
これで6戦6勝、2着につけた合計着差は56馬身、レコード3回となった。相手が弱かっただけじゃないの?と思う方もいるだろうが、それは誤りである。例えば4戦目で11馬身千切ったゴールドイーグルは大井競馬場初の中央地方交流競走にて並み居る中央勢に6馬身差で圧勝、その後中央に移籍して産経大阪杯やマイラーズカップを制する、紛れもない大井出身の英傑の一人である。
これほどの相手にこれほどの戦績を残していれば、「大井に怪物がいる」と話題になるのは当然のことだろう。マスコミが本馬のことを大々的に取り上げ中央移籍を求める世論が醸成されると、元々中央行きは既定路線だったこともあり、とうとう本馬が4歳になった頃に中央移籍が決定、東京競馬場の鈴木勝太郎の厩舎へと移動することになる。
この移籍もまた大々的に報道され、この辺りから『ハイセイコー』の名は競馬の枠を超えて知られ始める。第一次競馬ブームが始まったのだ。
4歳前半〜怪物の名を背負って〜
そんな訳で、中央にやってきたハイセイコー。狙いはもちろん、期待されてきたクラシック。
後輩の様なヘマはせず無事にクラシック登録を終えると、早速皐月賞の前哨戦として東京4歳ステークス……という案もあったが結局は弥生賞へ。
増沢末夫を背に単勝1.1倍の圧倒的1番人気に支持された本馬。今回の中山競馬場には噂の怪物、野武士とやらを一目見ようと12万3000人もの観客が集まり場内はぎゅうぎゅう詰めに。皐月賞でも有馬記念でもないただの重賞で、である。ハイセイコーがパドックからコースへ移動する際にはあまりの人込みに苦しくなった一部の観客が仕切りを乗り越えてコース内に溢れ出るほどに混雑しており、それだけの数の人間からの注目を集めていたのがハイセイコーなのだ。
猛烈な歓声によりイれ込んでしまいゲートに近づこうとしなくなるハプニングもありつつ、何だかんだで出走。先行する3頭に3,4馬身差で追走する。しかし、大井の時の走りと比べると明らかに反応が悪い。増沢騎手の手はずっと動いているし、3コーナーでは鞭も2発入ったが、それでも3番手に上がる程度。この手応えではもう無理か……と思われた。
だが、この馬の底力はこんなものでは無かった。
直線で馬場の中央に持ち出され、鞭の連打が入る。すると今まで経験したこともないような押しに応えて急加速。ハナを守っていたベルロイヤルを振り切って内で先頭に立ったニューサントを急襲し、すんでのところで差し切って1着。中央デビューを見事に重賞勝利で飾ってみせた。これには場内も大湧きで、大地を揺らす歓声と共にハイセイコーの勝利と、新たなスターの誕生を祝福した。
しかし、振り返ってみればとても怪物とは言えない勝ち方だったのも事実。最低でも7馬身はつけていた着差は1馬身3/4に縮まり、タイムも1:50.7、上がり3ハロンは38.8と大して評価できる内容ではないとする者は多くいた。実際、このデータだけ見れば並の弥生賞馬と言ってもいいレベルである。
ただ、ハイセイコーにとっては初の芝、コース、輸送、距離であり、更に直前でイれ込んでいたことも加味すれば見た目以上の圧勝だとする声も見られ見解は二極化。そしてハイセイコー陣営は……前者についた。
レース内容を不満に思った彼らはハードな日程になるのも、既に皐月賞への出走権はあるのも承知で中2週のスプリングステークスに出陣。そして結果は1着。スタートはややもたつくも慌てず先行馬の直後につけ、勝負所で抜け出すと鞭も入れず横綱相撲で完勝。着差も2馬身半に伸ばした。
ただ、これでも陣営とファンの皆を満足させきるには足りない。皆が望むのは大井時代の様な分かりやすい強さであり、芝重賞2連勝しても結局二極化継続は避けられなかった。増沢騎手も2着クリオンワードの騎手に弱音を吐いたり、「負けた騎手のインタビューのよう」と評されるくらいの表情でインタビューに応じる羽目に。彼はハイセイコーのこれまでにない人気の高まりを感じており、「勝てなかったら何を言われるか分からない」と重圧ばかりを募らせていたのだ。
そして、不安と疑念と無垢な期待が渦巻く中で迎えた皐月賞。当日は雨が降っての重馬場。この不安要素がハイセイコーにどう影響するかといったところで、16頭立てで2.7倍の1番人気。
やれるだけのことはやった。この2戦で発見されたハミ受けが悪くなっているという点はハミ吊りで矯正した。調教過程だって悪くない。後は馬と騎手を信じるだけ……そんな気持ちで送り出した1戦。
出ムチまでくれたスタートは良好。その後前に馬が殺到し前が壁状態になりかけたが持ち直し、外めの7番手につけて追走。ほぼ一団の馬群で極端に飛ばす馬もいないが、1000m通過は62.7秒。時代と芝の質、そして馬場を考えると速いとすら言えるペースの中、行きたがった本馬はむしろジワジワと位置を上げていく。やや折り合いを欠いている、とも言える状態だったが増沢は………抑えない。
そしてなんと3コーナー時点でもう先頭。貴重な一冠がかかったレースでこんな強気の競馬をして本当に保つのか?怪物らしい走りが出来るのか?そんな思いが頭を駆け巡った人は決して少なくないはずだ。
そんな予感を間接的に示すように、1000m通過時に前にいた8頭はハイセイコー除き全頭後退する中未だ粘っていた本馬だが、彼も4コーナーで外に膨らみ、一瞬インを突いてきていたシャダイオーに先頭を明け渡してしまう。しかしすぐに奪い直すと外を回って直線に突入、それどころか加速してゆく…!真ん中を突き進む本馬にカネイコマとホウシュウエイトが肉薄してくるが…
怪物、皐月賞制覇。
これにて無敗の9連勝。2馬身半を叩きつけてのクラシック一冠を遂に達成した。
これまでも地方出身馬が中央の重賞、中には八大競走を制することはあったが皐月賞制覇は初。更に増沢騎手は本競走を以て三冠競走全てを制覇した史上5人目の騎手となった。
そして、この大一番で見事に勝ってみせたことでハイセイコーの大衆人気は更に向上。競馬やスポーツ関連以外での媒体でも盛んに取り扱われる存在となり、もはや知らない国民はいないというレベルにまでなってしまった。マスコミは日夜彼を「三冠確実」「日本史上最強馬」と祭り上げ、いつしか『都会のエリートを叩き潰して成り上がりに来た、名もなき地方出身の野武士』に仕立て上げた。エリート達にも劣らない十分な良血で、著名な牧場育ちの本馬をである。そして何も知らない人々はそれをいとも容易く信じた。当時は高度経済成長の影響で田舎から都会に移り住んできた人が多く、それ故ハイセイコーは彼らから同じ境遇の存在として自己投影され、夢を託されたのだ。
こうしてハイセイコーはマスコミと多くの地方出身者に支えられ、いわば『雑草育ちから頂点に成り上がる英雄』として人気を更なるものとしていく。
さて、話が長くなったがここで話は戻る。皐月賞を勝ったのはいいが、やはり陣営が最も欲しい冠は日本ダービー。すべての馬とホースマンにとっての最高の栄光。
しかし、ハイセイコーは東京競馬場、もっと言うなら左回りを走った経験が無かった。そのためローテ的にはまたも厳しくなるが、陣営は前哨戦としてNHK杯出走を決断。5月6日、東京競馬場には朝から観客が押し寄せ、午前11時前には国鉄と私鉄の駅に東京競馬場へは入場できない旨の掲示がされた。最終的な観客数は16万9174人…当時の中央競馬史上最多数の観客の前に、あの雄大な馬体が現れた。
単勝支持率83.5%の圧倒的1番人気だったが、それとは対照的にレースでは道中苦労していた。内のポジションを取れたのだがずっと包まれぎみで、外に出そうとしても出せない。図体が大きい本馬に一瞬の隙を突いてスルスル抜け出すなんて器用な真似も出来そうにない。
そして直線に入ると馬群はバラけるがそれでもなおやや被され気味。更に、5番手から伸びてこない。鞭を連打されても伸びがない……!
残り200m時点でもまだ5番手。観客がどよめき、実況が「ハイセイコー負けるか、あと200だ、あと200しかないよ!」と悲痛な叫びをあげる。
残り100mでまだ出てこない。これでは流石に間に合わない!誰もが脳内に"敗北"の二文字を浮かべ、絶望しかけるが……ここからが漢ハイセイコーの真骨頂だった。
そこから一気に加速。ニューサント、サンポウ、ディクタボーイを一気に抜き去り、更に粘るカネイコマをアタマ差し切ったところでゴール板通過。ギリッギリの苦しい戦いだったが、それでも確かに制して無敗の10連勝とした。何とか16万人の期待に恥じない走りは出来たと言えよう。勝てそうにない所から勝ちきったことから尚更ダービーひいては三冠への期待が高まる1戦であった。
しかし、この戦いから増沢は左回りは不得意なのではないかと考え、更に未知の2400mとあって、「ダービーで負けるのではないか」という思いに取り憑かれてしまう。中2週で本命のダービー行きという強行軍なのもその不安をますます増幅させる。実際NHK杯後の尿検査では体調の低下、疲労の蓄積が判明し、とても本調子ではないと言える状態だった。
それでも、かつてないほど高まったハイセイコー人気とそれに伴う圧力を裏切れず、断腸の思いでダービー出走を決意、三冠路線を進むことになる。
そして5月27日、運命の日本ダービー。
NHK杯の教訓を活かして入場制限が行われたがそれでも会場には13万人が詰めかけ、地方の雑草生まれが日本の頂点に立つ光景を今か今かと待ち望んでいた。27頭立てでありながら単勝支持率はダービー史上最高の66.6%を記録し、売り上げもそれまでのレコードを7億ほど更新。またフジテレビ、NHKの視聴率はそれぞれ20.9%、9.6%をマークし、ざっくり言えばTVを持つ国民の3割がダービーを観ていた。とても日曜午後の競馬中継とは思えない数字である。
既に国民的な関心事となっていたハイセイコーのダービーは、こんな状況下で始まった。
しかし、スタートは出遅れ気味かつ他の出走馬が前を横切るように走行した影響で最初は内の10番手にまで落ち、出鼻を挫かれる形に。NHK杯の様な終始包まれる展開は回避したい増沢騎手、向こう正面で外に出し、徐々に位置取りを上げていく。
だが、そんなことをしている間に最前列は大混戦。序盤からボージェストやホワイトフォンテンら逃げ馬が競り合ってガンガン飛ばし、先頭が頻繁に入れ替わる苛烈なハナ争いの結果1000m通過は59.6。当時基準では中々のハイペースであり、ちょうど前へ前へ行っていたハイセイコーにも当然この皺寄せが来る危険な流れだった。
そんな流れに逆らうように3コーナー付近で早くも先頭付近にまで進出した本馬、最後の直線に差し掛かり先頭のニューサントらと激しい競り合いを展開。手応えはやはり鈍い、それでも持ち前のド根性を以て残り300mで競り落とし先頭に。東京競馬場が歓声に包まれた。
後方から、ピンクと黄色のメンコをつけた2頭が抜き去ってくるまでは。
歓声が悲鳴に変わる中、彼らはあっという間にハイセイコーを置き去りにした。NHK杯の様な逆転劇は無い。もうそんな芸当が出来る力は残っていない。
ハイセイコーは3番手!ハイセイコーは3番手!
ちょっと届きそうにありません!
……日本競馬の祭典の日に相応しくない、異様な感じのざわめきが東京競馬場を支配した。主役を敗者に追いやったのはよりにもよって9番人気と12番人気の伏兵コンビ……タケホープとイチフジイサミであった。しかもタケホープに至っては弥生賞で9着に下した相手である。勝者タケホープがダービーレコードで駆け抜けるのを5馬身と1/4後ろから眺める3着敗戦。幼少期から期待され、今となっては誰もが望んでいたダービー戴冠を取りこぼす最悪の結末となってしまったのだ。
先行馬殺しのハイペースで、後方に控えて末脚に賭けた2頭を、直線の長い府中で先行馬が凌ぎきれる道理は無いだろう。疲労が溜まっていたのも分かってたじゃないか。いや、そもそも距離が長かったのでは………敗因は多々あったし、こんな風に沢山議論された。
しかし、明確な理由が1つあるとするなら……それは「ハイセイコーは怪物などでは無かった」ということだろう。不利など覆して勝利してこそ怪物なのだから。
そう思った人も決して少なくなかった様で、これまで散々煽り立てていたマスコミは揃って手のひらを返し「"敗"セイコー」「馬脚を表した元怪物」「偶像が虚像になった」とおもっくそ叩きまくったし、一般人からしてもまた、ハイセイコーは地方から来た無敵のヒーローでは無くなってしまったのだ。
こうして、悪夢の日本ダービーが終わる。
………ところが、最後に1つ、良い意味で意外な事態が起こる。
ハイセイコーが「地方の生まれながら鼻持ちならない中央のエリートを倒していく立身出世の物語」の元で人気を得ていたのは恐らく事実だ。本来なら、今回の敗戦で彼の名声は地に落ちるはずだった。
しかし彼の人気は衰えることなく、むしろ高まっていったのだ。陣営にはかえって多くの手紙や電話が届く様になり、ハイセイコーを労ったり、「応援が足りなかったんでしょうか」と自分を責める手紙が来ることすらあった。
そう、ここからが第一次競馬ブームの最盛期にしてハイセイコーという馬の真骨頂である。
確かに『怪物』でも『雑草育ちの英雄』でも無くなった。しかしそれと同時に人々は彼のことを『頑張り屋で、応援したくなるようなアイドル』として見なすようになったのだ。
『元祖アイドルホース』ハイセイコーの誕生である。
4歳前半〜君は完璧で究極ではない、だからこそ愛されたアイドル〜
ひとまず上半期のクラシックを終えたハイセイコー、普通なら夏は北海道にでも行って休養なのだがこの馬は違った。タフさを見込まれ、夏の猛暑も苦にしないと判断されたのだ。この選択、一歩間違えれば体調を崩し今後の予定を棒に振りかねないものだが、実際本馬は3日間調教を休む程度で夏を乗り越えた。
タフって言葉はハイセイコーのためにある。
秋初戦は菊花賞を見据えて京都新聞杯に出走。因縁のタケホープも出てくる中1番人気に支持されるも、大きく外を回したのが響いてかトーヨーチカラとの競り合いに負け2着。とはいえタケホープには大差で先着したので借りは返す形になった。
ちなみにこのレース中、実況の杉本清が
京都競馬場の白鳥もうっとり、これが噂のハイセイコーです
どうだハイセイコー、この淀のコースの走り心地はどうだ
と発言したのが大きな反響を呼び、彼の実況スタイルが「杉本節」として有名になるきっかけにもなっている。ちなみに、関西で走った時は基本的に杉本氏が実況を担当している。
そして準備万端で
菊花賞にやってくる。元々ダービーの2400mですら距離長い疑惑が出ていたのもあって単勝支持率は大きく下がったが、それでも1番人気。ここにはタケホープの他イチフジイサミも来ていたので、お礼参りの絶好の機会だった。
レースではサチモシローが先頭を取ると、1000m通過65.2秒の超スローペースに落とし込んで推移。今度は先行馬優位の流れの中、稀代のアイドルは見限らず自分を見てくれるファン達に力強い走りを見せる。最終周回の淀の下り坂でなんと早めに仕掛けて先頭に立ったのだ。
ゆっくりと、ゆっくりと、ゆっくりと、下らなければなりません
そんな杉本氏の実況…というより当時のセオリーそのものにも逆らって加速、後続との差を5,6馬身に広げて直線も独走態勢、そのまま押し切りにかかる。
しかし後続から1頭、別格の脚色で抜けてくる馬がいた。憎きタケホープである。ダービーは展開に恵まれたフロックと見なされ、実際前走の京都新聞杯でも8着に敗れていたこと、そして直前で武邦彦へ乗り代わっていたことから6番人気に落ちていたのが、この大一番で蘇ってきたのだ。
内のハイセイコーに外のタケホープが襲い掛かり、ほぼ同時にゴールイン。
写真判定の結果………タケホープのハナ差先着が認められ、タブーを破ったことのツケを払うハメになった。だから勝ち切った
シービーが有名な訳だしね。まぁイチフジイサミには3馬身差で先着出来たのでこちら側もまたリベンジを果たせた立場なのだが。
ダービーに続いて菊花賞でもハイセイコーを破ってみせたタケホープだが、それでも世間はハイセイコーの味方だった。ここの勝利でそれは決定的となり、ここから彼は『主人公の躍進を阻むライバル』としてヒール役を担うことになる。
陣営も彼を強く意識し、以降タケホープが出走するレースには必ずハイセイコーを向かわせる様になった。そして、9戦にも渡って世間を沸かせた生涯のライバル関係が、ここに幕を開けたのである。
そんな感じでクラシック三冠路線を終えたハイセイコー、ファン投票ではやはり1位に支持されて年末の有馬記念に出走。タケホープが出走を回避したのもあり堂々の1番人気で、オッズ上では天皇賞秋を制覇した先輩古馬タニノチカラ、去年の天皇賞春を勝っておりその後低迷していたが、直近の目黒記念でタニノチカラを破って復活を果たしたベルワイドで三強を形成する構図だった。しかしレースではこの3頭がお互いを警戒しすぎ、誰も動かなかったせいでマイペースに逃げたニットウチドリをみすみす放置することに。失策に気づいた頃には既に遅く、人気馬が皆揃って撃沈する大波乱で終わった。勝者はまさかのこれまで重賞未勝利馬ストロングエイト。この馬だけが積極的に仕掛けにいったが故の名誉の有馬戴冠だった。
さて、1年が終わって年度代表馬選考の時期である。順当に行けば二冠を達成したタケホープが堅いところだが、「ハイセイコーの競馬への貢献は無視できないのではないか」「この年を代表する馬はハイセイコーと言ってもいいはずだ」と異論がでた。協議の結果、年度代表馬は予定通りタケホープに与えられたが、ハイセイコーには代替として『大衆賞』が与えられ表彰された。こんな賞は今までに無かったのだが、この後もテンポイント、モンテプリンスの様な名馬達に名を変えて、不定期で与えられる様になり、現在まで続いている。
………勘の良い方はお気づきだろう。何を隠そうこの賞、今でいう『JRA賞特別賞』の前身なのだ。こんな風に生まれた賞であるというのを知らなかった人も多いのではなかろうか?
5歳前半〜頑張れ頑張れハイセイコー〜
めでたい年明け、まずは打倒タケホープの心持ちでアメリカジョッキークラブに臨む……が、結果は1着タケホープから大差遅れを取ったブービー。ただ、レース後に軽度の肺出血が判明したため、これに関しては流石に仕方ないだろう。大事にならずに帰ってきたことを喜ぶべきだ。
じっくり休養を取り、連戦の疲れを癒やして中山記念へ。ここでも対タケホープだったが、今度は久々の2000m以下の距離で、不安要素は芝の不良馬場のみ。復活のお膳立ては揃っていた。1番人気に推され、ダッシュ良く飛び出した本馬はトーヨーアサヒを2番手でぴったりマーク、4角で先頭に立つと後は差を広げるばかり。
独走ハイセイコー!面目躍如、お客さん大喜び!
ハイセイコー優勝、ぶっちぎった!
で、最後はタケホープに大差をつけかえして圧勝。皆からの期待に今度こそ応えてみせ、怪物と呼ばれていた時代を思わせるパフォーマンスで10カ月ぶりの勝利の美酒を浴びた。
タケホープもコテンパンにしたし、次は気分良くビッグタイトルだ!と意気込んで天皇賞春へ向かうが……結果は折り合いを欠いての無念6着。またもタケホープの優勝を後ろから見守ることになってしまった。
距離が長すぎたな……次はもっと短い所で!との思惑の元次走は京都競馬場開催の宝塚記念。しかし事件発生、なんとここまで17戦連続1番人気に支持され続けてきたハイセイコーが初めて1番人気から陥落したのだ。しかもタケホープにならまだしも、その座を譲ったのはストロングエイト。有馬と天皇賞春で先着された相手であった。
この屈辱の出来事にキレたかハイセイコー覚醒&逆襲のランを披露。1000m通過59.3、1マイル通過1:37,0。玉砕的とすら言えるインターベルトの逃げが生み出すハイペースにも余裕を持って2番手で、行きたがる素振りも見せず冷静に進めていく。
3コーナーでベルワイド、マチカネハチローが襲ってくるのを皮切りに流れは激化していき、インターベルト撃沈と共にハイセイコー4角先頭で直線に。そこからなんと更に加速し、一旦迫ったベルワイドらも再度引き離し始める……!中団からクリオンワードも抜けてきたが時すでに遅く、最後は5馬身差圧勝。しかも京都の宝塚記念で記録されていたエイトクラウンのレコードを一気に2秒1縮める驚異的なものだった。さらに2000m通過タイム2:00,8に至っては当時のコースレコードを0.7秒上回る始末である。そして、それだけのハイペースで2番手追走していたはずのハイセイコーの上がり3ハロンは聞いて驚け、なんと35秒9の豪脚!
中山記念時の様な怪物的走りで芝重賞を2度も勝利。さらに2000mを超える距離帯での初勝利。得る物が大きかった1戦で、調教助手の鈴木康弘氏が「タケホープが出てきてくれたらボッコボコにできたのに残念だなぁ!あ〜あ!(意訳)」と嘆くほどの会心の走りであった。
これらの勝利で勢いづいた本馬、名古屋のファン達にも姿を見せてあげたいという陣営の意向と、体調が良かったのも後押しして同月の高松宮杯に急遽参戦。ただ、この頃から夏負けの症状を見せ始めていたらしく、僅かに不安の残る状態であったが……結果は好位につけての抜け出しで完勝。当時の中京競馬場史上最多の入場者数となった6万8469人のファンに恥じない見事な走りを見せたばかりでなく、本競走の勝利で獲得賞金は1億9364万5400円となり、メジロアサマの記録を抜いて中央所属馬の中での歴代賞金王に輝く快挙を成し遂げた。
だが、そんな栄光づくめの日をファンは心から喜ぶことは出来なかった。
ハイセイコー、年内での引退示唆。
日本中の皆を虜にして離さない大スターとも今年限りでお別れになるかもしれないという重い事実。
ファンは動転し、騒ぎ、泣き……それでも、最後には覚悟を決める。出来ることは1つ、笑顔で見送ることだけなのだから。
陣営も真剣に愛馬の出走レースを吟味し、そして最終的に天皇賞秋→有馬記念でラストランという流れを決定する。この選択の目的は3つ。
1つ、天皇賞の制覇。以前6着の無念を晴らし、ファンの期待に応えるために。
2つ、有馬記念の制覇。1年を締めくくるこの競走の勝利を以ての大団円で競走生活を終えるために。
そして、何より大事な3つ目………最後の戦いとなるであろう中山2500mの舞台で、宿命のライバルと雌雄を決するために。
さぁ、後悔は残さない様に。
1974年下半期、日本で最も愛された馬の引退ツアーが始まる。
5歳後半〜ありがとう友よ〜
10月13日、京都大賞典。秋初戦に選ばれた本競走は天皇賞馬のタニノチカラ、そのタニノチカラを前走で破って重賞初制覇のスカイリーダ、日経新春杯、オープン競走を連勝してきたホウシュウエイト、アサマユリ系として始めて重賞を制したメジロ牧場からの刺客メジロスイセイなど好メンバーが揃っていた。そんな中でもトップの斤量62kgを背負い、休養明けで太め残り、何より2400mでの勝ち鞍が無い本馬は2番人気にとどまる。1番人気はホウシュウエイト、しかし彼は一度とてハイセイコーに先着したことのない馬であった。
ミスターサラブレッド・ハイセイコー、これが関西最後の雄姿です
そしてとうとう発走。杉本氏の実況と関西中のファンに見送られ、京都のターフを駆けていく。
しかし、諸々の不利に抗うことは出来ず4着敗戦。タニノチカラの圧勝を後ろから見届け、ホウシュウエイト、スカイリーダにも始めて先着されることとなってしまった。
不本意な形で関西最後のレースを終えてしまったが、大目標はあくまでも天皇賞秋、有馬記念。そのため天皇賞秋のステップレースとして11月のオープン戦に急遽参戦。ここには秋初戦として休養から復帰してきたタケホープもおり、思っていたより早く両雄の対決は実現することに。人気でも両馬が1番人気、2番人気に支持され、順当にいけば最後はライバル対決で決着と思われた。
しかし、このレースの勝者は彼らでは無かった。
ヤマブキオー。『オープン大将』の異名を取る彼はハイセイコー、タケホープの2大巨頭を抑え込み、まさかの大番狂わせを演出。クラシックにも八大競走にも縁のなかった彼は、こんな形で自分の強さを証明したのである。
そして惜しくも2着となったハイセイコーだったが、彼の体を蝕んだのは敗北の悔しさだけでなかった。
レース後の鼻出血の発覚。当時のルール「競走中に外傷性のものではない鼻出血を起こした競走馬は、当該競走から起算して発症1回目は1ヵ月間競走に出走できない」に抵触し、15日後の天皇賞秋には出走出来ないこと、そして天皇賞の名が勝ち鞍に刻まれることは未来永劫無くなることがこの瞬間確定してしまったのだ。
尚、この天皇賞秋を勝利したのは同世代のカミノテシオ。これまでの重賞勝ちは京成杯のみ、流石に世代トップレベルとは言えないはずだった馬が見事に栄光を掴んでみせた。尚、彼もまたハイセイコーに先着したことはない馬であった。
そして、舞台はラストランの有馬記念へ移っていく。
さらば、ハイセイコー
12月15日、中山競馬場。曇り空、馬場は稍重。
この年を締めくくる最高のグランプリ、そして何より名馬達のラストランに相応しい計9頭の豪華メンバーが揃った。
・京都大賞典、オープンを連勝し、過去一ノリに乗っている天皇賞馬タニノチカラ
・昨昨年の天皇賞春、セントライト記念や昨年の目黒記念を制してきたベルワイド
・今まで掲示板外に落ちたことは無く、大競走以外では8勝2着6回の全連対を叩き出す安定性を誇るホウシュウエイト
・59キロの斤量ながら逃げ切りで鳴尾記念を勝ち、天皇賞春でもタケホープの2着に入った前年覇者ストロングエイト
・ハイセイコー、タケホープと共にクラシック三強として並び称されたイチフジイサミ
・中〜長距離の重賞を3勝、正確なラップ刻みでの逃げを売りとする「走る精密機械」にして花の47年組の刺客トーヨーアサヒ
・74年クラシック世代からの挑戦者にして、弥生賞で後のダービー馬コーネルランサーを破るなど素質は見せつつも怪我で三冠レース全てを棒に振った悔しさを晴らさんとするカーネルシンボリ
この中でも、やはり最も注目を浴びたのは皆のアイドルハイセイコーだ。オッズ上では3番人気で、単純な人気、実績、距離の壁諸々を込みにして調和を取った現実的なレベルに落ち着いたが、ファン投票では貫禄の1位に輝き、パドックでは最後に見る姿となる530kgの雄大な馬体に誰もが拍手と熱視線を送った。
彼の枠番は1枠1番。やや望み薄なのは分かってる。それでも願わくば、もう一つの"1"が並ぶことを信じて、現役最後のゲート入りを見届ける。
このレースで見納めなのは彼だけではない。そこから4つ離れた枠番に入るのは、赤と黄色の縞模様の勝負服を乗せた鹿毛の馬体……タケホープ。
ダービーと菊花賞の二冠を始めに重賞を4勝した、紛うことなき名馬。彼もまた、この有馬がラストラン。
実に1年と9ヶ月前の弥生賞から始まった2頭の因縁の関係も、今日ここで終わりを迎える。
なら最後に、このライバル対決を制すのはどちらなのか?
正しい形で決着がつくこともまた、ここに来た皆の望みだった。
「どんな結末を迎えようと、最後まで見届けよう」そんな雰囲気の中ゲートは開いた。
先頭に立ったのは明確な逃げ馬トーヨーアサヒ……では無く、タニノチカラ。有力馬を警戒しすぎて仕掛けが遅れた前年の様なヘマはしない、競りかけられるもんならやってみろ、とでも言うかのような積極策だ。
トーヨーアサヒは僅かに控えて2番手、ハイセイコーはそこから3番手で追従。タケホープは後方集団の一角でじっと見る形となった。最初の500m通過は30.8、早いペースで力強く後続を牽引するタニノチカラだったが、ここからはペースを落としゆったりとした流れで進んでいくことになる。
動きがあったのは向こう正面。後方に控えていたタケホープが追い出しを開始し、一気にポジションを上げに行ったのだ。そしてハイセイコーも第四コーナーで加速。一気に単独2番手にまで上がってタニノチカラを捕まえにかかる。そんな彼に外から襲いかかるのは、昔から変わらないあのピンクのメンコ。図らずも負けたダービーや菊花賞の様な構図だった。
そして、最終直線。ホウシュウエイトら後続も上がってくるが脚色の差は歴然。彼らとの差をむしろ離しながら中山の坂を駆け上がっていく。
さぁ、白熱の1戦が始まる。粘るハイセイコーか、追い込むタケホープか。タケホープの方が間違いなく速いがハイセイコーもまだ落ちない…!
ダービーの様な無様な走りはしない!さぁ来い!とでも言うかのように。まるで、ファンの期待に、声援に最後こそ応えたいと馬自身が思っているかの様にやすやすと差を縮めさせない。自分には長い距離で、タケホープの土俵で走っているというのに。本来なら既に負けていて当然だというのに。
今までのように、いや今まで以上に気迫に溢れて見えるその走りに、皆が幸福な夢を見た。
…………そして、その夢は結実する。
後続を7馬身以上突き放し、驚異の足を見せたタケホープ。その猛追を怪物でも無く、アイドルでも無く、勝ちたいと願う1頭の競走馬として凌がんとしたハイセイコー。2頭のゴールインはほぼ同時。しかし、どちらが勝ったかは誰が見ても明らかだった。
クビ差、たったそれだけ、ハイセイコーが宿命のライバルを振り切っていた。
最後のライバル対決を、最後の戦いを、最高の舞台で制して大団円。後世にまで語り継がれる伝説の1戦の勝利を以て、波乱に満ちた競走生活を締めくくれる…………
………………………はずだった。
その5馬身先を駆け抜けていた、タニノチカラさえいなければ。
強い競馬を見せた2頭を、タニノチカラは更に楽々と上回った。他の現役最強クラスの馬達を、最後流す余裕まで見せて一蹴するほどの化け物染みた強さを見せて初のグランプリ制覇である。
ハイセイコーは2着敗戦。秋は全敗で、最後を有終の美で飾ることはとうとう叶わなかった。
……それでも、皆の視線と称賛はハイセイコーに向けられた。
観客は独走するタニノチカラでは無く2頭のライバル同士の競り合いに注目していたし、ハイセイコーが2着でゴールした際にはスタンドから拍手が湧き起こり、『さらばハイセイコー』(詳細は後述)が凱旋歌の様に流される中、場内は歓声で満たされた。テレビ中継のカメラはハイセイコーを大写しにし、ニュースではタニノチカラへの言及もそこそこにハイセイコー対タケホープの結果を大きく報道し、「二着を死守した名優」と讃えている。更に両陣営もレース後は勝ち馬よりも、お互いの着順についてコメントしていた。特にハイセイコー陣営の雰囲気は「まるで勝者」と表現されるほどのものだったらしい。
実際、帰ってきた増沢騎手には、ダービーや菊花賞の敗戦時の様な落ち込みや絶望は無かったどころか、どこか爽やかさすら感じる様であった。
対タケホープとの戦績は今回の有馬を加算して、通算9戦5勝4敗。
「試合には負けたとしても、本当に大事な勝負にだけは勝ちきれた」ということなのだろう。
結局、どんなレースでも、勝っても負けても、そこの主役はいつもハイセイコーだった。
引退式は翌年の1月に東京競馬場で執り行われた。通例なら500m程度走って済ませるところを、コースを一周までして、最後の走りを皆の目に焼き付けてみせる。多くのファンに見送られながら、そうやって最高のアイドルはターフを後にしたのだった。
誰のために 走るのか
何のために 走るのか
恋に別れが あるように
この日が来るのが 怖かった
ありがとう 友よ
さらば、ハイセイコー
引退後
明和牧場に繋養され、種牡馬デビューしたハイセイコー。クラシックに強い良血を持ち、自身もまた皐月賞を制していたことから期待され、最初は72頭の繁殖牝馬と交配したが、ただでさえ内国産馬冷遇の時代であるというのに、小柄な産駒が多く生まれたり出来不出来の差が激しかったため人気は落ち、交配頭数も種付け料も下がっていった。
しかし、初年度産駒からクラシック制覇を含め数々の活躍馬が出たことで人気はV字回復。その後訪れたノーザンダンサー系の蹂躙にも負けず活躍馬を定期的に輩出し続け、最後まである程度の存在感を示し続けた。1990年には地方競馬のリーディングサイアーも取っており、種牡馬としてもまた彼は一流だったと言えよう。産駒の傾向としては芝、ダートやコース、馬場を問わず活躍馬が出るがどちらかといえばダート馬寄りか。また、父チャイナロックやハイセイコー譲りのタフで故障しにくい子が生まれやすいのもまた関係者にとっては嬉しい点だろう。
そして2000年、新たな時代が幕を開けたこの年に放牧地で横たわっている姿が発見され、死亡が確認された。死因は心臓麻痺、享年30歳での大往生であった。
……かくして、日本を熱狂の渦に巻き込んだ張本人は舞台を降りる。しかし、彼が競馬界に残したものは大きかった。
かつては「汚い」「ただのギャンブル」と悪印象を持たれがちだった競馬に対する世間の目は、ハイセイコーの活躍のおかげで格段に優しくなった。引退と共にブームが沈静化しても尚、競馬場の入場人員は増えていき、1975年には史上最多の年間動員数を記録。その翌年にはTTGと呼ばれるスター達が降臨し、競馬界の盛り上げに一役買ってみせた。その後も綺羅星の様に名馬達が現れては去っていき………
1985年3月27日の深夜、北海道の稲葉牧場にてある馬が生まれた。一人で立つことすらままならなかったその馬は立派な牡馬へと成長し、やがてかつてのハイセイコーの様に世間の注目を競馬界へ引きずり込んでいく。
代表産駒
カツラノハイセイコ
79年クラシック世代。初年度産駒にして最高傑作。父が惜しくも取れなかった競走を勝利し、その冠を父に捧げた孝行息子。最初は小柄でバランスの悪い体格ゆえ期待されておらず、デビュー後もしばらくは未勝利戦、条件戦で勝ちきれず燻っていたが4歳で覚醒。怒涛の三連勝をあげスプリングステークス、皐月賞でも僅差2着に入る大健闘でファンを沸かす。そして本番の日本ダービーではリンドプルバンをハナ差凌いで制覇。ハイセイコーの時代がまだ記憶に新しかったファンたちから歓声とともに迎えられる最高の勝利であった。その後にも父が勝てなかった天皇賞を勝ち、父の無念を果たしてみせた。
尚、八大競走を2つ以上勝った産駒は彼以外存在しない。
ハクタイセイ
90年クラシック世代。無敗……では無かったが父と同じように連勝から皐月賞を制した傑物。デビュー戦は2着、その後4回目の未勝利戦で勝つとそこからGⅢのきさらぎ賞を含む怒涛の5連勝。クラシックの有力候補に名乗りをあげ、3番人気に推された皐月賞では逃げるアイネスフウジンをクビ差差し切って皐月賞父子制覇となった。
ダービーでは悔しい5着、更にその後骨折、屈腱炎のクソコンボ発動で長期休養に突入。復帰の目処が立ったところで追い打ちの繋靭帯炎を発症と、前世で何をしたんだと嘆きたくなるほどの目に会うことに。流石に現役続行は無理で引退してしまった。
後のダービー馬を破るなど素質は間違いなくあったために、つくづく惜しい馬であったろう。
サンドピアリス
89年クラシック世代。みんな大好き、あの『2度あることはサンドピアリス』の万馬券馬である。
騎手馬共に重賞未勝利、それどころか馬側は芝レース未勝利、2000mでの最高戦績はGⅢの9着。その他あらゆる点から見ても買える要素は無く、残当の最低人気に支持された所からエリザベス女王杯を勝った伝説の馬である。
尚、産駒で牝馬限定のGⅠを制したのは彼女のみ。
ライフタテヤマ
85年クラシック世代。恐らくダート部門での最高傑作。芝のデビュー戦では大きく離され完敗の2着だったが、ダートの新馬戦では逆に7馬身差で完勝。その後は芝でもシンザン記念を勝ったりと最低限の適性を見せるが、やはり彼が輝くのはダートだった。ダート時代の札幌記念やウィンターステークス等の重賞でも勝ちっぷりは変わらず、1986年の最優秀ダート馬に輝く。最後は脚部不安で引退したがダートでは6戦無敗、合計着差22馬身、フェートノーザンら強敵も意に介さないと最後まで圧倒的で、無敵のダート王とすら呼ばれた。
中央に行ってもダート路線を止めなかった父というIF路線を体現した存在だったのかもしれない。
キングハイセイコー
84年クラシック世代。ライフタテヤマに並ぶかもしれないダート部門産駒。浦和でデビューすると圧勝続きで無傷の9連勝を飾り、黒潮盃で初めて敗北するも次走の羽田盃ではステートジャガーにリベンジ。そして東京ダービーでは大井の雄ロッキータイガーを倒して南関東二冠馬となった。
その後は勝ち負けしたものの勝つ時は圧勝、負ける時も唯一の芝レース安田記念を除いて掲示板外に飛ぶことはない強さを誇り、間違いなく浦和の王者と呼ぶに相応しい優駿だった。
第一次競馬ブーム
上記の様に、ハイセイコーの活躍によって社会現象とすら言えるブームが生み出された訳だが、これは単に『かつて人気な競走馬が1頭いた』で済むものでは無い。大きな影響を後世にまで与えたものである。
ハイセイコー出現前までは競馬というのは、『中年男性ばかりの汚いギャンブル』という認識が当たり前であり、それはコダマやシンザンの様なスターホースが出てきてもそう変化は無かった。
それがハイセイコーの出現によって
『エンターテイメントとギャンブルの両側面を併せ持つ大衆娯楽』へと変貌したのである。その結果とも言えるのが女性ファンの存在だ。今でこそ黄色い声援を飛ばしているのが各地で見られる彼女達の姿もハイセイコー以前には無かったのである。
また、競馬=悪というイメージからJRAも大規模な宣伝は自粛していたが、ハイセイコー以降は大手を振っての報道が可能となったし、胸を張って競馬ファンが自身を競馬ファンと言える様にもなった。
これらの功績を打ち立てたハイセイコーはやはりJRAからも特別待遇であり、顕彰馬制度が始まった当年の1984年にセントライト、クリフジ、トキノミノルら9頭と共に初年度選出。受賞理由はもちろん、『競馬の大衆人気化への大きな貢献』である。死後にも3つ銅像が制作され、それぞれ道の駅サラブレッドロード新冠・中山競馬場・大井競馬場にて見ることが出来る。更に、記念すべき
ヒーロー列伝が最初に作られた馬でもあるのだ!
また、地方競馬からも、地方競馬の発展に特別な貢献があった馬としてNAR特別表彰馬に選出されている。
そして、このブームの火付け役となったハイセイコーの人気も当然凄まじく、数多くの数値データ以外にも数々の逸話を残している。
・ファンレターや応援メッセージが時期問わずあらゆる場所から届く。中には「東京都 ハイセイコー様」としか書かれていない、普通届くわけない手紙や「あなたがいたから自殺を思い留まれた」なんて内容のもの、「これでニンジンでも買ってあげてください」と現金が封入されたものもあるなど多種多様で、それら全てが愛に満ちていた。
・少年マガジン、少年サンデー等の競馬が全く関係ない雑誌の表紙に抜擢される。
・夏休みに数多くの人が厩舎まで出向いてくる。中にはブラシについたたてがみでもいいから欲しいとねだる者も。実際にアレを持ち帰った人もいるらしい…
・ギャンブル嫌いで知られた漫画家が作中でハイセイコーを取り上げる。
・牧場に移送する前日に、宇都宮市の少年から「いつハイセイコーの馬運車は宇都宮を通るのか」と電話がかかってくる。
・ハイセイコー移送後の明和牧場が年間数万人が訪れる屈指の観光スポットになる。ちなみに、馬産地と競馬ファンを結びつけた初めての馬であるともされる。
・新冠町がハイセイコーの名を冠したブランドで特産品を売ったところ、爆発的な売り上げを記録。
・これまで音楽活動とは無縁だったはずの増沢騎手がハイセイコーについて歌っただけの引退記念ソング『さらばハイセイコー』がオリコンにも乗る大ヒットシングルになる。最終的に50万枚前後ほどの売り上げを記録し、以後ハイセイコーを代表する一曲に。
・引退後の大井競馬場でハイセイコー関連のイベントを開催したところ、東京ダービーや東京大賞典でも見られないとすら言われるほどの人数が殺到。
・第二次世界大戦終結から29年後、フィリピンの孤島からようやく帰国した軍人小野田寛郎氏が「ハイセイコーは知っている」と発言する。
……たぶん他にも探せばあるだろうが、こんなところだろうか。
また、「競馬ブームの立役者」「とんでもない人気者」「地方の出から成り上がるサクセスストーリー」という点から
オグリキャップと並んで語られたり比較されることがよくある。
しかし、細かい所を見ていけば違いに気づくだろう。まずハイセイコーは言ってしまえば「たまたま地方でデビューしただけのエリート」であり、決して「雑草育ち」では無い。将来的に中央に行くことになるのもデビュー前からほぼ確定していた、期待の大きい馬だったのだ。
中小牧場の生まれで、血統的にも強く期待されてはいなかったオグリキャップとはその点で異なっている。
また、ハイセイコーは中央移籍直後からとんでもない人気があったのに対し、オグリは勝ちを重ねて堅実に評判を上げていき、タマモクロスや平成三強らライバルとの激動の戦いを通して大スターに至ったという点でもまた違う。加えて、これは主観なのだが"当時求められていたもの"も違う気がするのだ。ハイセイコーは「健気に頑張り、皆に勇気を与えるアイドル」として、オグリキャップは「全てを蹴散らしていく芦毛の怪物でありヒーロー」として人気を博したように思える。オグリを負かしたスーパークリーク陣営に凶器が仕込まれた脅迫状が届いたり、2度続けて惨敗した時に「もう引退させてやれ」という声が多く上がったことからもそういうものを建て主は感じた。
どちらがより人気だったか?という問いに関しては人によって意見が別れる話だ。ハイセイコーが上回るという声もオグリの方が人気という声もどちらも聞く。時代も状況も違うし、単純に数字だけで比較するのも意味を成さないだろう。
確かなのは、どちらも時代に必要とされた『国民的アイドルホース』であり、ただ強いだけでは成し遂げられない偉業を達成し、そしてお互い以外に比較対象が居ないほど愛された。それだけである。
余談
- 中央移籍からしばらくは「怪物」という二つ名で呼ばれていたが、『完全無欠の最強馬』から『完璧じゃない、だからこそ愛される馬』へ変わっていくに連れて、「怪物クン」という愛称に変わっていった。彼らしい、良い名前だ。
- 三大欲求に関わる話が豊富な馬であり、例えば食生活に関しては「ニンニクを食べる話」が有名か。いつも2〜3個ほど刻んで飼葉に混ぜていたらしい。しかし実際には好物はリンゴで、ニンニクは好きでも嫌いでも無いくらいだったそうだ。
性に関してなら、出典は不明なのだが実はド性豪だったという話がある。種牡馬になる前からその一面が顔を覗かせており、常日頃から腹を器用に使って
一人遊びに勤しんでいたらしい。おかげで厩舎の部屋の一角はいつも白濁液で汚されていたそう……
ちなみに父チャイナロックは噂などではないガチモンの大性豪であり、生涯で1334回種付けした他、ご立派なアレがデカすぎて牝馬のアレに入らない、相手を発情させるのに当て馬を必要としないなど、数々の逸話が残っている。
睡眠欲に関しては……聞いたことないな。
- 巨漢ながら生涯通して故障は無く、クソローテも疲れこそ見せても完遂しきるタフネスの持ち主だったが、そのタフさ、強さは内臓にも及んでいた。年を取っても若馬と同じ量を食べれたり、心拍数が他馬と比べても少ないなどそれを示す話は多く存在している。
- 元々神経質なサラブレッドの中でも一際慎重な性格で、初めて来る場所は用心深く足で感触を確認する動作を徹底していた。この性質のせいで基本的に初コースではパフォーマンスを落としがちなので、大レース前に同コースでの前哨戦を挟む傾向にある。ただ、裏を返せば警戒心と注意力に優れた頭の良い馬でもあったということでもあった。
- ハイセイコー、タケホープらが有名な1973年クラシック世代。この世代、彼ら以外にも見どころがある名馬達が揃ったかなりの良世代である。
例えば……
・大井時代にハイセイコーと争い、中央移籍後は7歳という高齢でありながら産経大阪杯やマイラーズカップを好メンバーを抑えて制覇、TTGのTGが争った春天にも出走した『最強の九州産馬』ゴールドイーグル
・惨敗か勝利ばっかりな極端な戦績を持ち、その走りから「白い逃亡者」の名を賜りマニアから愛された『元祖個性派逃げ馬』ホワイトフォンテン
・クラシックからずっと実力は見せながらも勝ちきれない、惜しいレースを続けたが、7歳で迎えた春天で二冠馬にして現役最強馬キタノカチドキに勝利する快挙をあげた『遅咲きの主役』イチフジイサミ
・同世代の強者達に埋もれながらも戦い続け、出走が叶わなかったハイセイコーの仇を取るかのように秋天を勝利した他、東京競馬場で7戦4勝2着1回3着2回と高成績を叩き出した『府中の申し子』カミノテシオ
・シンザン産駒でありながら2000m以下で非凡な能力を発揮し、日本史上初めて2000mを2分切りで走破、さらに1400mの日本レコードも記録した『芦毛の快速馬』シルバーランド
- 優秀な成績を残し、牝馬クラシック最有力候補と目されたキシュウローレルら実力馬を下し牝馬二冠を達成、有馬記念では6番人気ながらストロングエイトと共にグランプリ史上初の万馬券だがの記録に一役買った『大番狂わせの天才』ニットウチドリ
- 出来たばかりのメジロ牧場産馬として送り出され、京都記念や阪神牝馬特別等の重賞を勝利し、牝馬の賞金王に輝くなど、メジロ牧場最初期の実績馬になった『伝説の嚆矢』メジロジゾウ
・6年もの間長く走り続け、オープン戦で7勝し「オープン大将」の異名をとった他、重賞も6勝、さらに芝ダート不問、馬場状態不問、斤量無問題の適性の広さを持ち、その中でも1800mは11勝と無類の強さを誇った。その戦歴の長さゆえ最終的に世代の賞金王に立ち、そして何より、今なお燦然と輝くJRA通算最多勝利記録(20勝)を持つ『裏の主役』ヤマブキオー
……などだろうか。これ以外にもホウシュウエイト、スカイリーダ、ボージェストなどなど様々な名馬達がいる。気になった方は是非調べて欲しい。きっとこの世代が好きになるだろう。
- ハイセイコーといえばやはりタケホープとのライバル関係が有名だが、そんな彼らを端的に表現したものとして、「人気のハイセイコー、実力のタケホープ」というのがある。これは広く知られている言葉だが、彼らの対戦経歴を見ていると意外なものが見えてくる。というのも、前述した通りハイセイコーは9戦5勝4敗でむしろタケホープに勝ち越しているのだ。これは一体どういうことだろうか?
簡単に言えば、ハイセイコーはタケホープ"には"勝っていても、そのまま1着になったレースは少ないのだ。反対にタケホープはハイセイコーに勝ったレースは必ず勝ち切っており、しかもそれらはダービー、菊花賞、天皇賞、アメリカンジョッキークラブカップと豪華。だからこそ、タケホープの方が強いという評判が定着したのだろう。
- 競走生活の大半を芝レースに費やしていた本馬だが、最初期の大井でのパフォーマンス、走行フォームやパワーが強いという特徴を見るに本質的にはダート馬であるという見方が主流である。芝でも馬場が重くなるほど好走しがちなことも裏付ける。
また、2000m以下のレースでは14戦中12勝2着2回の全連対であるのと対照的にそれを上回る距離では8戦中1着1回2着2回3着2回それ以下3回と見事なまでに両極端な成績を残しており、「2000までの馬」という評価も事実と考えて良いだろう。
これらの特徴を合算すると、ハイセイコーのベスト条件はズバリ、ダートの1600〜2000mあたりである!!
……いやちょっと待て、何菊花と'74有馬で2着、ダービーと'73有馬で3着に食い込んでんだ?
ここがハイセイコーの凄いところで、彼は適性条件から遥かに離れた舞台でも好走してしまう馬であった。恐らくはド根性によるものだろうか…?
実際ハイセイコーは持ち前の闘争心ゆえ競り合いに強い馬で、並べば抜かさせず、むしろ一伸びするような勝負根性の持ち主だった。NHK杯での逆転勝利なんかもこれに支えられたものなのだろう。菊花賞でハナ差負けたのも彼の勝負根性を見抜き、最後まで並ばないように動かした武邦彦の好騎乗と、タケホープのステイヤーとしての適性と実力が合わさってのものだった。
競馬にたらればは無いが、それでももし、中央転向後もダート路線を続けていたら………と考えずには居られない。
創作作品への登場
The Twinkle Legendsシナリオで非プレイアブルキャラのレジェンド枠で登場。担当声優は
丹下桜。
競走ウマ娘としての現役は退いたが今なお現役トップアイドルとして精力的に活動中である。
しかもまさかの聖子ちゃんヘアー。勝負飯はニンニクご飯、ニックネームは「怪物チャン」など、元ネタを知っている人達からすればクスッと出来る小ネタも。
また、シナリオ中に歌を披露するシーンがあるが、さらばハイセイコーを聴き込んでいる人はあることに気づける。歌詞を比較してみるといいだろう。
僕もあいつも、いつの日かヒーロー
石油ショックの世相のなかで、男たちはお前に傷む心をあずけていた。
かもめのジョナサンが飛び交う街中で、子供たちは女たちはお前に愛しき挨拶を贈っていた。
────強さだけがヒーローの条件では無い。
昭和48年、数百万人のアイドルとなった大いなる男、人読んで「怪物クン」。
忘れはしない、あの雄大な馬体。
忘れはしない、あの豪快なフットワーク。
あの時のお前の勇姿が、私たちにはどれほど愛しい存在に映ったことだろうか。
あれから8年。だがハイセイコー、お前は今も走り続ける。
わが胸の内を、そして明日という希望のために
追記・修正はあなたのアイドルに会えてからお願いします。
- 圧勝の皐月・中山記念にタケホープに勝った有馬(中山)、それから宝塚(阪神)パワー型なんやろなあ -- 名無しさん (2026-11-02 00:44:52)
- 寺山修司作の方のさらばハイセイコーも名文、ふりむくな後ろには夢がないの1節がとりわけて有名だけどそれ以外もパワーがある -- 名無しさん (2026-11-02 10:25:22)
最終更新:2026年11月02日 10:25