宝蔵院胤栄(兵法家)

登録日: 2009/12/12(土) 22:15:41
更新日:2020/09/12 Sat 11:10:31
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1521年生~1607年没

戦国~安土桃山時代の兵法家。


奈良興福寺の子寺・宝蔵院の院主。

32歳の時、旅の途中で奈良へと寄った剣聖・上泉信綱に出会い、友人の柳生宗厳と共に弟子入りする。

信綱の下で武芸を学び、特に槍術の扱いに関してめきめきと実力を付けていった。

信綱が帰郷した後、更に香取神道流槍術を学び、柳生宗厳らの協力の元、九つの型と六つの奥義を編み出し、自らの流派【宝蔵院流十文字槍術】を興した。


しかし胤栄は仏に仕える身でありながら殺人術を教える事に次第にジレンマを抱き、胤栄死去の際には一番弟子に武器や稽古道具を全て預けている。


だが胤栄の跡を継いだ息子・宝蔵院胤舜は宝蔵院道場を復興。

それ以来、宝蔵院流槍術は近年まで受け継がれる事になる。


【宝蔵院流十文字槍術】

従来の槍術では、真っ直ぐな素槍を使用するものが全てであった。

しかし宝蔵院流では槍に三日月形の鎌刀を付けた《十文字槍》を使用する。

『突く、斬る、掛ける』を一本でこなすこの槍は槍の革命と呼ばれる程の兵器であり、常識を覆す物であった。


また奥義は基礎が完成された時点で教える。早い段階で教える事により、十文字槍という武器に素早く順応させる事が出来るのである。

胤舜の開発したという裏奥義は失伝している為に不明だが、胤栄の残した六つの奥義は書物(皆伝目録)が現存する。


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最終更新:2020年09月12日 11:10