東郷重位(剣豪)

登録日:2009/11/25 Wed 07:03:50
更新日:2025/03/16 Sun 22:45:45
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1561年生~1643年没

名前の読み方は「ちゅうい」、または「しげかた」。

薩摩の生まれ。
若い時に新陰流の流れを汲むタイ捨流を学び、その腕を見込まれて島津家に仕えた。

1587年に、島津家が豊臣秀吉による九州征伐軍に敗北・降伏し、主君と家臣らと共に京へ上洛。
ここで天寧寺という寺の和尚・善吉に会い、彼の卓越した剣術を見て弟子入り。二年間修業を積む。
帰郷した後も修業を重ね、善吉和尚の剣術『示顕流』とタイ捨流を融合させた剣術の開発に勤しんだ。

そして1599年、島津家の御前仕合でタイ捨流の剣術師範を破り、島津家の剣術指南役として400石で召し抱えられる事となる。
この時、仕合で師範に勝った所、面子を潰されて怒った主君に斬りかかられたが、扇子一本で打ち負かしたという。


【示現流】

基本的な型は、大上段の構えを肩の位置までスライドさせたような構え(蜻蛉の構えという)から、
雄叫びを上げながら全身全霊の力を以って振り下ろす、というもの。
回避される事や、反撃を許す間もなく、とにかく全身全霊を掛けて、相手の攻撃より先に叩き斬る、という剣法である。

実際に示現流で殺害された人物は、どれも無惨な姿になると言う。
示現流の一撃を受け止めようとして、受けた刀が額にめり込み死んだ者もいたとか。

究極たる奥義は『雲耀の太刀』と呼ばれ、その技は始祖である東郷重位しか実現出来なかった、とされる。
(雲耀とは1脈拍の1/8000の速さの事で、示現流独自の単位)
また東郷は『碁盤斬り』も有名で、滑る上にぶ厚い碁盤を紙のように斬る事が出来たという。

弱点としては縦に大きくスペースが必要になる為、狭い室内では『横蜻蛉』という構えにシフトせざるを得なくなるのがやや難点である。

ちなみに構えは蜻蛉、横蜻蛉しか存在しない。

稽古が激烈な事で有名な流派でもある。
丸太に木刀で打ち込む稽古をひたすら繰り返すのだが、慣れてない人間が一日続けると手の皮どころか肉まで剥ける。
ちなみにスーツ着用でも稽古が可能。
いつ刺客に襲われても良いように、らしい。


【薬丸自顕流との混同について】
……という事で示現流について猿声や一撃必殺寄りの剣技が取り沙汰される事が多い物の実はその辺りの一部は
分家派生流派である「薬丸自顕流」との混同も少なくない。
薬丸自顕流自体は東郷重位の高弟でもあった薬丸家が野太刀剣術なども組わせて作った派生流派で
本家の示現流に有った細かい技(示現流には二の太刀、三の太刀の技法は有るが薬丸自顕流には無い.etc)などを減らしより一撃の攻撃に特化している。



余談だが雲耀の太刀はスパロボのゼンガーさんも使っている。
全く違う技になっているが気にしたら負け 。



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