シルフィーヌ二世はその日、順調に書類仕事が進んでいた。シグルとエイダにいろいろと手伝ってもらっていたからである。彼女が二人に直接命令したわけではない。当の本人たちから手伝いの申し出があったのだ。シルフィーヌとしては正直なところ、親しくなったとはいえ部外者である二人にエルヴン帝国の内情を知らせるのもどうかと思っていたのだが、
「少しでも人手が増えれば仕事が早く終わるしシルヴァのおじいちゃんに怒られることもなくなるよ?」
エイダが放った言葉には抗えなかったのだ。シルフィーヌとていつまでもシルヴァに怒られ続けたいわけではない。結果、シルフィーヌはシグルとエイダに書類仕事を手伝ってもらうことにしたのだった。効果は意外にも早く出てきた。エイダは一通り説明を受けただけでシルフィーヌが見ても丁寧だと評する出来でどんどん書類を片付けたのだ――――――一方シグルは慣れない仕事に初挑戦であったこともあり苦戦していたが――――――。最終的には彼女がシルフィーヌとシグルに仕事の支持を出す始末であり、その事実にシルフィーヌはかなりへこまされることとなった。そんなわけで書類仕事を早く終え関係各所への提出と割り振りを期日より早く提出できた。これにはアルボス・シルヴァとステンナをはじめとした皇族派の面々は驚かされることとなり、それを見ていたエイダは得意げな笑顔を浮かべていた。そんな時であった。
「ほう、何やら楽しげな様子ではないか? シルフィーヌよ」
予定にない来訪者が『宮殿』にずかずかと入り込んできたのだ。来訪者は褐色の肌、エルフのようにとがった耳、そして美形と評されるほどに整った顔立ち、それなりに質素だが一目で相応の立場だと分かるような衣装で隠せないほど鍛えられた肉体の持主であり、『宮殿』内に集まっていたエルフたちの大半が怯えを見せるほどの人物であった。近くに褐色の肌の女性を引き連れている。彼らはいわゆるダークエルフと呼ばれる魔族であった。
そして『宮殿』まで堂々と来訪してきた人物の名は――――――。
そして『宮殿』まで堂々と来訪してきた人物の名は――――――。
「…………テルミドール……!」
アルボス・シルヴァが敵意を隠さず来訪者の名を口にし、周囲にいたウッドエルフや皇族派のエルフたちは一斉に恐慌状態に陥る。彼らにとって恐怖の対象そのものなのだ。
そしてそれはシルフィーヌも同様であり恐怖で表情をこわばらせがくがくと身を震わせている。
そしてそれはシルフィーヌも同様であり恐怖で表情をこわばらせがくがくと身を震わせている。
「相も変らぬいい敵意だ、シルヴァとやら。そこらの根性無し共もお前を見習うべきだ」
「何をしに来たのだ貴様は!? 何の用があってここに来た!!」
「何をしに来たのだ貴様は!? 何の用があってここに来た!!」
怒りと敵意が入り混じる形相でテルミドールを睨みつけるシルヴァ。それを飄々と躱しながらテルミドールは口を開いた。
「何用だと? 決まっている。先日の求婚の返事を問いただしに来た。待ち続けるのも退屈なのでな」
その言葉にテルミドールの傍で控えていた女性は歯噛みし、シルヴァはさらに表情を歪め、そしてシルフィーヌは恐怖の色を強める。
「シルフィーヌよ。お前だってわかっているのだろう? エルヴン帝国とやらに勝ち目等ない。余の国の精鋭たちに磨り潰されるのがオチだ。そうなる前にこの国のエルフたちを皆助けてやろうという余の気遣いなのだぞ?」
その言葉を投げかけられた途端、シルフィーヌの表情に迷いが生じるのをシグルは見逃さなかった。
「お前は一国を潰した愚かな皇帝として歴史に名を遺すつもりか? そのような破滅願望に他者を巻き込むとはいい趣味とは言えんなぁ。せっかくの余の善意を無碍にするのは構わぬがな? だが考えても見よ。お前が両親から、先祖代々受け継がれてきたこの国を、そこに住まう民達を、この国の歴史を、お前のわがままですべて吹き飛ばしても良いのか?」
そこで一息区切り、
「お前が慕っていた姉、セレーネ殿に申し訳ないと思わぬか? シルフィーヌよ」
シルフィーヌにとってこの場で一番名前を出してほしくなかった人物の名をテルミドールの口から出されてしまった。彼女の中で迷いが深くなっていく。テルミドールの物になることなどシルフィーヌにとって非常に嫌悪するべきことだ。しかし、エルヴン帝国を守る力が自分にないことも承知している。領土であるこの森を、そこに住まう者たちを彼らテネブル=イルニアス軍団国に焼き払われる様を見過ごすこと等出来るはずもなく。
「さあ、返事を聞かせてもらおう。シルフィーヌよ。この国を守りたければ我が花嫁になるとこの場で宣言すると良い」
答えは一つしかなく。テルミドールの求婚に応えようと口を開きかけ――――――シルフィーヌが答えるより早くテルミドールめがけて巨大な火球が放たれた。テルミドールは一瞬驚愕し、すぐさま表情を変え巨大な火球を魔法で防ぐ。そして火球を放った人物へ視線を送る。
「これが答えだよバーカ。可愛い女の子を脅してんじゃないわよこのクソ野郎」
火球を放った人物――――――エイダ=トルーヴはシンプルな罵倒を口にしながら無表情でテルミドールに杖を向けていた。それをテルミドールは興味深そうな表情で見つめ――――――
「貴様!! 陛下に何たる無礼を!!!」
傍で控えていたダークエルフの女性――――――名をルネという――――――は怒りで表情を歪め、エイダめがけて突撃し――――――エイダとシルフィーヌの前に出てきたシグルに蹴り飛ばされテルミドールの足元まで吹き飛ばされた。
「エイダに先越されちまったけど一応俺も仕事は出来たな」
何の感慨もなくテルミドールとルネに顔を向けながらシルフィーヌを庇うように立ちはだかるシグル。エイダもシグルの隣まで出てきてダークエルフ共に杖を向ける。それをシルヴァとエルフたちは驚愕しながら見ていた。
「お前達はこの国がどうなっても構わぬのか? それがシルフィーヌの望むことだと?」
「生憎、俺達は魔族には従わないって決めてるんでね。お前たちが何をしてこようと全部守れば済む話だ。だからお前たちの言葉は聞かない」
「紳士の欠片もないような奴が良心に訴えかけて来てんじゃないわよ。それにシルフィーヌ様の姉として眼鏡にかなわない相手は焼き尽くすと決めてるのよ」
「生憎、俺達は魔族には従わないって決めてるんでね。お前たちが何をしてこようと全部守れば済む話だ。だからお前たちの言葉は聞かない」
「紳士の欠片もないような奴が良心に訴えかけて来てんじゃないわよ。それにシルフィーヌ様の姉として眼鏡にかなわない相手は焼き尽くすと決めてるのよ」
テルミドールの問いに迷わず答えるシグルとエイダ。その目に迷いの感情も敵意も殺意も隠す様子も一切なく。それがテルミドールに歓喜の情を引き起こさせた。テルミドールは狂笑した。『宮殿』内に声を響かせながら。その様子にルネは困惑し、エルヴン帝国のエルフたちは一層恐怖を煽られ、シルヴァは警戒する。
「お前達、名は何という」
ひとしきり笑い、二人に名前を問いかける。
「エイダ=トルーヴよ。紳士の欠片も見られないクソ野郎」
「シグル=トルーヴだ」
「シグル=トルーヴだ」
エイダは罵倒を含め、シグルは端的に名乗る。それにテルミドールはさらに笑みを深めた。楽しげな様子を隠そうともせず、まるで期待するかのような目で。
「エイダ=トルーヴにシグル=トルーヴか……。なるほど、このような弱小な国にも見どころのある者はまだいるということか」
そう呟き、テルミドールは身を翻す。
「今日のところはここまでとしてやろう。ルネよ、引き揚げるぞ」
名を呼ばれたルネはすぐさま立ち上がりテルミドールの傍に再び控える。そしてテルミドールはルネを引き連れ『宮殿』を後にした。楽し気な笑みを浮かべたまま。シグルとエイダはテルミドールの姿が見えなくなるまで警戒し続けていた。『宮殿』内のエルフたちはテルミドールが引き上げたことに安堵の感情を浮かべ、そして二人に守られたシルフィーヌは誰にも悟られぬよう一人俯き、悔しげな表情を浮かべていた。無力な自分を呪うかのように。