古くはエルニア帝国の時代から使われ続けている、巨大な街道。
(現状の共和国同盟の都市で言うところの)デューラン市とヴェネト市を結ぶ「北山街道」(ほくざんかいどう)、デューラン市からフローレンシア市までを繋ぐ「中部街道」、フローレンシア市からトリア市までを繋ぐ「海への道」が存在する。
(現状の共和国同盟の都市で言うところの)デューラン市とヴェネト市を結ぶ「北山街道」(ほくざんかいどう)、デューラン市からフローレンシア市までを繋ぐ「中部街道」、フローレンシア市からトリア市までを繋ぐ「海への道」が存在する。
エルニア帝国時代であれば、トリア市ないしヴェネト市から南イルニアへ繋がる航路を経て「南イルニア街道」という街道に繋がっていた――という説がある。
しかしながら、テネブル=イルニアス軍団国の支配によって南イルニア街道は放置された結果、今や南イルニア街道の真実を知るものはいない。
ただ南イルニア街道の痕跡として、エリュクス市からシカニ公の本拠を通り、大鎌要塞までを繋ぐ街道が存在する。
これが現在安全に調べられる唯一の南イルニア街道の痕跡である。
しかしながら、テネブル=イルニアス軍団国の支配によって南イルニア街道は放置された結果、今や南イルニア街道の真実を知るものはいない。
ただ南イルニア街道の痕跡として、エリュクス市からシカニ公の本拠を通り、大鎌要塞までを繋ぐ街道が存在する。
これが現在安全に調べられる唯一の南イルニア街道の痕跡である。