公的に記録される最後のフローレンシア伯にして、「帝国アハト刑」を受けた最後の人物。名前を記録に残すのも憚られて『大罪人』と称されることもある。
その生涯は単純。フローレンシア城にて当時高齢だった父ヴィットーリオ三世と後妻の下に、長男として産まれた。先妻はなかなか子供を産まなかったため、ヴィットーリオ三世が一方的に離縁した。
そうして唯一の子供として丁寧かつ大事に、甘やかされて育ったヴィットーリオ四世はお世辞にも善き君主とは言えなかった。
他の諸侯に窘められても聞き流し、自領の統治に興味はなく、帝都の方で遊び呆けるばかりであった。
たまに帰ってきたかと思えば、城の金庫に手をつけるか美術品を買うのみ。
そうして唯一の子供として丁寧かつ大事に、甘やかされて育ったヴィットーリオ四世はお世辞にも善き君主とは言えなかった。
他の諸侯に窘められても聞き流し、自領の統治に興味はなく、帝都の方で遊び呆けるばかりであった。
たまに帰ってきたかと思えば、城の金庫に手をつけるか美術品を買うのみ。
そんなヴィットーリオ四世はある日、こう言った。
「豪商どもが私より良い絵を持つのが気に食わん」と。
翌日、ヴィットーリオ四世は布告を出した――「商人達に課す税を増やす」と。
火はトリアからフローレンシアに、フローレンシアから北イルニア各地に飛んだ。花達の革命の始まりである。
彼はフローレンシア市にてデモが起こるのを見て、持てるだけの財産と共に帝都に『戻った』。
「豪商どもが私より良い絵を持つのが気に食わん」と。
翌日、ヴィットーリオ四世は布告を出した――「商人達に課す税を増やす」と。
火はトリアからフローレンシアに、フローレンシアから北イルニア各地に飛んだ。花達の革命の始まりである。
彼はフローレンシア市にてデモが起こるのを見て、持てるだけの財産と共に帝都に『戻った』。
花達の革命の最中の動きは不明だが。戦後に行われた、とある裁判記録のみが残されている。
罪状は「皇帝の称号と帝室の権威を破壊し、帝国を辱しめた罪」「貴族に相応しくない振る舞いを続けた罪」「不当に農民を虐げた罪」「帝国と皇帝に嘘の申告を行った罪」等々、明らかにでっち上げも混じったものであった。
そうして彼に下った判決は「帝国アハト刑」であり、彼は服の所有権も認められぬので全裸の状態で自身の葬式を見せられたあと、帝国の土地に居れぬので遠い大地に流された。
その後の彼の足取りは不明である。
罪状は「皇帝の称号と帝室の権威を破壊し、帝国を辱しめた罪」「貴族に相応しくない振る舞いを続けた罪」「不当に農民を虐げた罪」「帝国と皇帝に嘘の申告を行った罪」等々、明らかにでっち上げも混じったものであった。
そうして彼に下った判決は「帝国アハト刑」であり、彼は服の所有権も認められぬので全裸の状態で自身の葬式を見せられたあと、帝国の土地に居れぬので遠い大地に流された。
その後の彼の足取りは不明である。