「・・・冷えるな」
ロイドリッツは、両腕を抱え込むようにして、大げさに震えた。
第七教区、‘法王庁直轄地 ボケニア陵墓’。
一つの街程の広さをもつ、広大な墓地。
法王庁異端審問局第三課課長ロイドリッツは、司祭服の上からコートを着込み、震えていた。
太陽は、山間に沈むにはまだ時間がある。
それでも、寒さは分単位で増しているように思えた。
ロイドリッツは、コートのポケットから取り出した煙草を咥える。
墓石にマッチをこすり、火をつける。
「・・・禁煙したはずではなかったのですか、ロイドリッツ司祭?」
若い男の声が、背後からかかる。
丁寧で、かつ柔らかい声色だ。
その一声だけで、寒さが一段と増した。
「弔い酒、ってやつがあるだろ?
大切な人間を偲び、清める。
俺には、酒より煙草の方が大事でね。・・・同じ理由さ」
ロイドリッツは味わうように、ゆっくりと煙草を吸う。
だが、吹き付ける秋風がロイドリッツの結った長髪を乱し、急かす様に煙草の火を早める。
「・・・尊敬する人の死を、二度も味わう事になるんだ。
今日くらい一服してもいいだろう?
なあ、イルドルフ司祭?」
ロイドリッツは煙草を吐き捨てると、背後に立つ長身の若者、逆十字団No1‘紋章官’イルドルフに笑いかけた。
「イルドルフ司祭が、ここに居ると言う事は・・・」
風が、ロイドリッツのコートの裾をたなびかせる。
揺れる裾に紛れ込ませ、僅かに半歩、左足を前進させる。
「‘鉄翼鷲’は、やられちまっとのか。
・・・昔の友人を斬るってのは、どういう気分かね?」
「悪いものではない」
‘イルドルフ’は、静かに答えた。
「古びた自責の念に縛りつけられた友を解放したんだ。気分はそう悪くは無い」
ロイドリッツは肩を竦める。
おどけた態度をとったのは、更に増した寒気に対するせめてもの虚勢だ。
平然とした受け答えの裏に潜む、圧倒的な自信と存在感。
澄み切った瞳に宿る、冷徹な光。
これが。
これが、歴代最高の人格と謳われたイルドルフだと言うのか?
「退いてはくれないか、ロイドリッツ司祭?」
‘イルドルフ’は、静かに、そして丁寧に語りかける。
「ライナスと違って、貴方は僕と戦う理由がない。
・・・退いてくれ。
僕が、やりたい事を済ませた後で、法王庁を再建させるには、貴方の才能が必要だ」
「・・・買いかぶりも甚だしいな」
「隠した才能は、出会った頃から気づいているさ。
僕等の世代では、‘第一課に最も近い’と評されたロイドリッツ・ヴァレンタインの天才的な才能はね。
貴方のリーダーとしての才能を発揮すれば、法王庁がどのような状態になろうとも、再建できる」
「・・・だから、買いかぶりだと言っている」
苦笑に似た笑いを、ロイドリッツは漏らす。
同時に、袖の間から、カードを取り出す。
テーブルゲームに使われる、53枚のカードだ。
「俺の‘才能’は・・・」
ロイドリッツはカードを持つ手を僅かに緩める。
落ち葉のように、数枚のカードが風に舞う。
「・・・‘人殺し’にしか、役に立たないのさ」
自虐的に笑い、風に飛ばされたカードがイルドルフに接触する寸前に、カードの内側に込められた殊方印を開放する。
周囲の墓石を吹きとばす爆風が、ロイドリッツの長髪を乱す。
「‘戦う理由はない’、と言ったか、イルドルフ司祭?」
残ったカードをシャッフルしながら、ロイドリッツは歩を進める。
「第三課課長ロイドリッツ・ヴァレンタインはここに居る。
そして、‘異端者’もここに居る。
・・・戦う理由はそれだけで十分じゃないか、‘イルドルフ司祭’」
広大な墓地に53枚の司文符が舞う。
墓地の中央に佇むロイドリッツは、静かに腕を振る。
火炎、水弾、風撃、岩塊。
ロイドリッツの動きに呼応して、各々の符が封印されていた呪力を解放する。
イルドルフは、墓石を足場に目まぐるしく疾走する。
右手に握った光剣で、司文符から放たれる攻撃を切り払う。
必殺の一撃は、まだロイドリッツには届かない。
光剣を振るいながら、イルドルフは思う。
「・・・これが、`天奏司文符’」
‘天奏司文符’。
黄昏の時代の旧跡から発掘され、性能が解明されたA級AFでありながら、`使いこなす事は不可能’とまで言われた
幻のAF。
53に分かれたのカード状の分離型放術機によって構成されながら、あくまで一つのAF.
使用者は、53枚のカードの解放条件の全てを把握するだけではなく、実戦にて臨機応変の対応を要求される。
‘才能ある’異端審問官が悉く継承を試み、悉く放棄した‘主なきAF’。
「・・・それを、ここまで」
見事に使いこなしているただ使うだけでなく、四系統・十三階位に分かれたカード
を組み合わせ、複合的な攻撃を行う。
イルドルフが攻撃に意識を向ける前に、己が移動する事で間合いを取り、地形と風を利用し、アドリブ的な対応をとる。
カードから攻撃が放たれる際の光と解放音は、複雑かつ流麗な流れを生み出す。
`芸術’と言ってもいい、53枚のカードによる勇壮なるハーモニーに、戦闘中である事も忘れ、一瞬、心が奪われる。
「これが`天奏司符’。
・・・なるほど、どれだけ優秀な異端審問官でも使いこなせないはずだ」
途切れぬ事なき攻撃を回避し、あるいは光剣で受け止め、イルドルフは感嘆に似た呟きを漏らす。
「・・・必としたのは、大楽団を束ねる指揮者の才か。
見事だ。‘神楽士’ロイドリッツ」
「・・・嫌になるな」
‘天奏司文府’を扱いながら、ロイドリッツは自嘲に似た笑いを頬に浮かべる。
「・・・‘マトレイヤの少年’
・・・‘名も無き聖女’事件の中心人物か」
27年前の‘失われた聖女事件’の際、ロイドリッツは14歳の審問官見習いであった。
当然、事件に関与する機会は無かった。
だが、‘マトレイヤの少年’の噂は何度も耳にした。
曰く、
『‘マトレイヤの紋章’を使いこなす少年が現れた』
『これで法王庁の未来は安泰だ』
法王庁の上層部は、少年に多くの期待と責任を背負わせた。
結果として、‘マトレイヤの少年’は、大切な物を失い、紋章の力の大部分を失う。
法王庁上層部は大いに落胆し、事件そのものが歴史の闇に葬られる。
「・・・全く」
ロイドリッツは、おどけた溜息を吐くと身を屈める。
直後、頭上を光の刃が通過する。
‘天奏司文附’の連撃の合間に、イルドルフが光剣の刃を飛ばしていた。
イルドルフが手にしているのは、C級AF‘金刃枝’。
聖堂工房でも生成を行っている量産AFだ。
通常の短剣に、十六幾何学により設計された‘サテイル炉’が装填されている。
刃をエネルギー性の光で包む事で、切れ味の上昇が施されている。
ただ、それでけだ。
本来であれば、イルドルフが見せているような雷撃や風撃を‘切る’能力も、付与されていない。
刃を飛ばす能力もない。
だが、イルドルフの右腕に浮かび上がった‘紋章’も前では、あらゆるAFは常識を越えた性能を発揮する。
「・・・お偉いさん方が、期待しちまう訳だ。
同情するぜ、‘紋章官’殿」
「・・・さて」
ロイドリッツは僅かに笑う。
その瞬間、正面に配置した三枚の符から、雷撃が放たれる。
僅かな時差をおいて放たれた三条の雷撃は、互いに収束し、一本の巨大な奔流となり、イルドルフへ向けて加速する。
イルドルフは、神父福の裾を翻し、急速なステップを刻み雷撃を回避する。
背後では、墓石の群が、青紫の奔流に飲み込まれ、爆散する。
「大した威力だが・・・」
必殺の大技。
故に生まれる、一瞬の隙。
連撃に次ぐ連撃のため、並の戦士であれば、深く呼吸をするだけで終了してしまう、僅かな手持ち時間。
イルドルフは、その隙を見逃さず、ロイドリッツに向けて切り込む。
「迂闊だぞ、ロイドリッツ司祭!」」
イルドルフは光剣を握る右腕に力を込める。
右手に刻まれた‘紋章’が輝き、光剣の刃が倍加する。
「・・・だろうな」
疾風を思わせる速度で切り込んで来るイルドルフに、ロイドリッツは感服する。
「`紋章官’殿なら、このタイミングで`攻め’に転じてくれるはずと、信じてたぜ」
ロイドリッツは、の五歩手前まで光剣が迫る。
「・・・罠?」
ロイドリッツの首を切り離す一歩前、イルドルフは異変に気づく。
「遅い」
ロイドリッツが呟くと、イルドルフの足下の石畳が火炎を伴った爆発に包まれる。
「地系七階位と火系五階位までの符の並列発動。
・・・俺も結構しんどいんだ。これで終わりにしようや」
爆炎に向かい、ロイドリッツは大きく息を吐く。
今の言葉は、まぎれもなく本心だ。
‘天奏司文符’を限界稼動は、心身ともに大幅な負担となる。
だが、その反面、ロイドリッツは自身の胸中に芽生える奇妙な感情を自覚する。
楽しい。
53枚の符の稼動は、優秀な楽器奏者の指揮を思わせる。
指揮者を無視し、楽器に導かれるように、勝手に演奏しようとする奏者達。
それを絶妙の境界で纏め、1つの‘演奏’として成立させる。
戦いの最中でありながら、まるで大楽団の前で指揮する感覚に錯覚する。
・・・一度も楽しめなかった‘殺し合い’だが。
ロイドリッツは、笑う。
子供のような、自然な笑みだ。
・・・今だけは、‘指揮者’冥利に尽きるな。
「・・・僕も同意見だ」
イルドルフの返答は、遙か頭上からだった。
爆発の瞬間に跳躍し、爆風に乗った。
ロイドリッツの頭上へと跳び、死角から極限まで光度を増加させた光剣を振りかぶる。
‘神楽士’相手に手加減はしない。
すれば、こちらの首が落ちる。
これは異端者と異端審問官の戦いだ。
「・・・これで終わりにしよう、ロイドリッツ司祭」
光剣を振り下ろす。
狙いは眉間。
頭蓋ごと粉砕する必殺の一撃。
「仰せのままに」
光剣がロイドリッツに迫った瞬間に、ロイドリッツは一枚のカードを掲げる。
手元に残した最後のカード。
「・・・終わりにするさ」
ロイドリッツの頭上に、イルドルフの身体を包囲する四本の光柱が伸びる。
極限まで封紋加圧された司文符の開放により、真空が生まれ、空気が軋む。
「‘天奏司文符 終楽章’」
鬼札(ジョーカー)から放たれた四元素複合撃が、イルドルフを飲み込む。
「かっ!ロイドリッツ!!」
イルドルフが吼える。
風斬。
氷刃。
火弾。
石礫。
四柱から放たれる全方位攻撃がイルドルフを襲う。
全身が切り刻まれ、体皮を焦がし肉を焼き、内蔵と骨まで砕く重撃に貫かれる。
‘紋章’により極限まで強化されたはずの光剣が、右手の掌で砕け散った。
重い音と共に、炭化したイルドルフの体が落下する。
「‘天奏司文符’の最終奥義。
使用者の頭上のみという限定技だが、威力はご覧の通り。
・・・お気に召しましたかな?」
そう言って、ロイドリッツは石畳に座り込む。
左目を抑える。
抑えた掌の間から鮮血が溢れる。
‘終楽章’に飲み込まれる直前に、イルドルフは光刃を放っていた。
光刃はロイドリッツの眉間を掠り、左目を抉った。
あと僅かでも‘終楽章’発動のタイミングが遅れれば、このまま頭部がスライスされていただろう。
「お代は確かにいただいたよ、イルドルフ司祭」
左眼を抉られた。
傷の痛みはある。
敬意を払っていたイルドルフを倒した。
胸の奥も疼く。
だが、奇妙な爽快さがあった。
全てを出し尽くした、安堵に似た達成感。
「・・・俺も、こんな気分になれるとはね」
「さて」
ロイドリッツは立ち上がる。
「異端審議長殿には、何て報告するか」
言い訳に似た内容を考えながら、ボケニア陵墓の奥へと歩き始める。
「ん?」
違和感を覚えた。
後ろに束ねていた筈の長髪が、頬にかかっていた。
いつの間に、ほどけた?
「なんだ、これ?」
違う。
違和感の正体は、背後から左胸を貫いた、手刀。
「すまない、ロイドリッツ司祭」
耳元で、イルドルフの声が囁く。
膝から力が抜け、全身に広がる。
ロイドリッツは膝から崩れ落ちる。
倒れ伏す際に僅かに首を動かし、背後に立つイルドルフの姿を確認する。
イルドルフの半身は、黒く焼け焦げていた。
黒の間を縫うように、赤い線が網の目状に走っている。
赤い線は力強く脈打ち、筋肉を、皮膚を再生する。
「貴方の命は、僕が背負う。
全てが終わった後に、全ての償いをする。
貴方の前で、誓おう
・・・憎んでくれて構わない」
再生を終えた胸部に刻まれていたのは、巨大な逆十字。
・・・超再生か。
・・・こりゃ、仕方がないな。
冷たい石畳の感触を覚えながらも、ロイドリッツはぼんやりと思う。
「じゃあ、お言葉に甘えて・・・」
薄れいく意識の中、ロイドリッツは口を動かす。
「憎むとするか」
その言葉を最後に、ロイドリッツの意識は闇に落ちた。
精一杯、悪ぶってみたものの、口元は笑っていた。
惚けるのは得意だが、本当の事を言うのは昔から苦手だった。
物言わぬロイドリッツの前で、イルドルフは静かに十字を切る。
短く祈りの言葉を捧げると、ボケニア陵墓の奥へ向かい歩き始める。
上半身に僅かに残った、焼け焦げた神父服を剥ぎ取る。
向かうは、ボケニア陵墓最奥部、地下墓所への入り口。
地下墓所の最深部に、イルドルフの目指す場所がある。
「・・・やはり、来たのは君か、イルドルフ司祭」
地下墓所へと続く石廊階段の前で、その男は立っていた。
五十を越えた年齢だが、背筋を伸ばした立ち姿からは、威厳と自信が感じられる。
神父服の上から羽織った、刺繍の刻まれたローブが、風になびく。
頬から顎先へと伸びた黒髭は、顔に刻まれた無数の傷を隠すものである事を、イルドルフは知っている。
「‘鉄翼鷹’の‘湖畔の英霊’も、‘神楽士’の‘天奏司文符’も‘マトレイヤの紋章’の前には敗れ去ったか」
男の腰には、片刃の長剣。
柄には儀礼用の装飾が施されているが、鞘は実戦を意識した簡素な造り。
‘聖ゲロニカの断頭台’。
三桁にも上る異端者の首を刎ねたA級AFの所有者の名を、イルドルフは知っている。
かつて次期異端審議長に最も近いと呼ばれた男。
課長時代、イルドルフ率いる第七課と幾度と無く衝突した第十課課長。
「次は貴方ですか、‘断絶公’ローフェルマルス司祭」
「いかにも」
イルドルフの言葉に、不敵な笑みが頬髯の下で蠢いた。