アットウィキロゴ

PCV5-1

 


#176/999 資料室
★タイトル (MQM47158)  92/ 2/25  17:22  (133)
オウム真理教 六つの徹底 3 ウパティッサ
★内容


十戒

1.殺生をしない

2.窃盗をしない

3.愛欲における邪悪な行為をしない。

出家の場合は在家と違って、たとえ愛している人との性的行為でもダメです。

4.虚言をしない

5.中傷をしない

向煩悩滅尽多学男達よ、中傷を行ない、修習し、何度も繰り返して実践
するならば、地獄に導かれ、動物界に導かれ、餓鬼界に導かれる。そして、
中傷の結果、たいへん速やかに、人間は友人との仲たがいへと導かれるの
である。

「ダーナ・ヴァッガ」

この中傷においては、必ず嫉妬心というものが、心の背景にあります。また、
嫌悪というものも背景にあります。ということは、どんどんどんどん自分の世
界を小さくしていくことになります。それは、嫌悪というものは、自分の周り
に壁を作るからです。ということは、この中傷は、人と人とを仲たがいさせ、
それと同時に自分の世界も小さくしていき、最終的には自閉症になるというわ
けです。

ところが、人と人とを和合させる言葉の実践をなすならば、心が豊かになり、
壁が取り払われ、多くのいろんな人と交わることが出来、そしていろろなこと
を学び、魂が成長するということになります。


6.悪口を言わない

向煩悩滅尽多学男達よ、悪口を行ない、修習し、何度も繰り返して実践
するならば、地獄に導かれ、動物界に導かれ、餓鬼界に導かれる。そして、
悪口の結果、たいへん速やかに、人間は快くない声へと導かれるのである。

「ダーナ・ヴァッガ」

これは、殺生と同じです。つまり、悪口を放つことにより、相手に苦しみを
生起させる。そして、その苦しみのヴァイブレーションは、自分の心に返って
くる。

ということは、悪口を話さず、人に優しい言葉を語るということは、それだ
けで私たちに大きな恩恵があるのである。

仏典で、悪口により地獄に落ちたという例があるが、これはまさにそれです。
つまり、この悪口とは、形態は違うが殺生と同じ要素の蓄積の返り方をするわ
けです。


7.軽薄語を言わない


向煩悩滅尽多学男達よ、軽薄語を行ない、修習し、何度も繰り返して実
践するならば、地獄に導かれ、動物界に導かれ、餓鬼界に導かれる。そし
て、軽薄語の結果、たいへん速やかに、人間は喜ばしくない言葉へと導か
れるのである。

「ダーナ・ヴァッガ」

先ほども書いた通り、言葉とアストラル界とは密接な関係があります。軽薄
な、意味のない言葉ばかり話していると、軽薄な、意味のないアストラル界が
形成されます。そしてそれは現象化し、実際の現象においても、その人の周り
では、軽薄な、意味のないことばかり起こるようになります。

  また、アストラルに心と関係のない、いらぬものがたくさん生じることによ
って、心で思ったことが現象化せず、屈折を生むようになる。ということは、
この軽薄語は、私たちがものを達成していく上において最も大きな障害という
ことになります。


ということは、虚言・軽薄語・悪口・中傷というこの言葉の行為は、私たち
を不幸に陥れるものであり、真実を語り、必要のない言葉を語らず、人に優し
い言葉を語り、人と人とを和合させる言葉を語るということは、私たちの心の
病を取り除き、私たちの心を広大にしていくということになります。


8.愛著を持たない

これから三つは心の戒めです。


9.邪悪心を持たない


10.迷妄であってはならない

 

 


布施にしろ持戒にしろ、光を強める「観照」の部分と、心を沈める「寂静」
の部分とがあります。例えば布施は、功徳を積むという観照の部分と、愛欲を
止滅するという寂静の部分とがあります。例えば不殺生の戒は、生き物を殺さ
ないことによる寂静の部分と、慈愛を持って生き物に接することによる観照の
部分とがあります。他の戒めについても同様です。

 

五戒の詩
作詞・作曲 麻原彰晃尊師

戒め守って高い世界へ 私は進む道を取る
遥かな過去から過ちを 犯し続けて今気づく
自己の苦しみは自己の因

魂守って生きること それは天へと至る道
殺生せずに生きるなら 体の痛みは消え失せる
自己の苦しみは自己の因

人に施し生きること それは豊かな人生を
ちゅう盗せずに生きるなら 貧苦の生活越えられる
自己の苦しみは自己の因

見返り求めず真愛を 振りまくならば幸せに
邪淫をせずに生きるなら 楽しい交友待っている
自己の苦しみは自己の因

真実語って生きること それは願望叶う道
妄語をせずに生きるなら 正しい選択待っている
自己の苦しみは自己の因

正しい生活営むならば 正しい選択身に宿る
飲酒をせずに生きるなら 過ち犯さず幸せに
自己の苦しみは自己の因

 

 

#177/999 資料室
★タイトル (MQM47158)  92/ 2/25  18:46  ( 82)
オウム真理教 六つの徹底 4 ウパティッサ
★内容

忍辱の徹底

布施と持戒の徹底をクリアすると、その人は周りからカルマを落とされるよ
うになります。この段階に来ると、修行者は周りからひどいことをされたり、
言われたりします。それにひたすら堪えることによって、強靭な意志力を培う
と同時に、自分一人では落とすことのできない過去の悪業の浄化を行なうので
す。

 

精進の徹底

そして、精進の徹底に入ります。徹底的に解脱へ向かっての激しい修行を行
ないます。

そしてこれは、七科三十七道品の二正断二正勤を指しているということもで
きます。

 

                            正サマディの徹底

  この正サマディの徹底は、私たちが布施の徹底から二正断二正勤の徹底に至
るまでの実践を行ない、それを実際に究竟の瞑想によって理解するプロセスで
ある。

ここでいう究竟の瞑想とは何かというと、無思考の状態に入り、そして私た
ちのバルドーが一体どのような形成状態にあるのか、要するに、それまでの布
施の徹底が出来ているのか、持戒の徹底が出来ているのか、忍辱の徹底が出来
ているのか、正精進の徹底が出来ているのかということを見ること、これが第
五番目の正サマディの徹底である。

例えば例を挙げるならば、最終の解脱をすると、形状界の光と、愛欲界の光
が絶えず自分自身を包んでいる。そして例えば形状界の黄色い光が自分を包ん
でいる場合、

「私はまだ貪りのカルマが強くて布施の心が出来てない。もっと布施の徹底を
やるべきである。」

と証智する。

あるいは例えば上方の光が白い光であるならば、

「私はヴァジラサットヴァの功徳は積んでいるがまだヴァイローチャナには至
っていないんだ」

と証智する。

あるいは、この愛欲界や形状界の光のバックに黒い光が存在すれば、

「私の非神秘力は、まだ完全に滅されたわけではないんだな」

と証智する。これが正サマディの徹底である。

しかし実際、慣れないうちは、光の意味を見誤る可能性もある。似たような
光で違う意味を持つ光が多数存在しているからだ。

その場合は、光の段階でその意味合いを判断するのではなくて、さらに集中
することによって、光が実は無数のドットの集まりであることに気付く。そし
てそのドットが、最終的にはヴィジョンに変わっていく。そのヴィジョンを見
て判断すべきである。

また、尊師はこの力を他に対しても用いることが出来る。弟子の発する光を
見ることによって、弟子の煩悩状態を把握できるのである。

智慧の徹底

そして、自分自身の修行を正サマディによって修正し、最終的には叡智の徹
底ということになる。この叡智には二つの意味合いがある。第一の意味合いは
神秘的な力を有するということである。その基本は六神通である。そして第二
の叡智は、素晴らしい思索力。つまりすべての現象を見抜き、それを動かすと
いうことである。

 

参考文献 仏教真理・六波羅蜜

真理

真理の芽

 


#178/999 資料室
★タイトル (MQM47158)  92/ 2/26  17:23  ( 83)
オウム真理教 七つのプロセス
★内容
七つのプロセス


私たちが成就をする場合、テーラヴァーダでは七科三十七道品、大乗仏教で
は六波羅蜜を説いている。そしてタントラ・ヴァジラヤーナ(真言秘密金剛乗)
においては七つのプロセスを説いているのである。


礼拝

まず、第一の条件は礼拝である。これは例えば五体投地(オウム真理教の立
位礼拝はオウム真理教流の五体投地である)、あるいは礼拝・帰依の瞑想をす
る、マントラを唱える。

礼拝のない修行というのはありえないのである。例えば、以前のチベット仏
教においては、十万回の五体投地というのは、これは単なる第一の条件であっ
た。しかし今では、チベット仏教の宗派によってはそれを必要としていない。
密教の第一の課程が出来ないわけだから、当然第二第三もできないということ
になる。

ちなみに、オウム真理教の出家者においては600時間の立位礼拝というの
が課せられています。

 

供養

第二の通過点は供養である。これは、例えば奉仕をするだとか、あるいは実
際に物を布施するだとか、あるいは瞑想によって供養を行なう。何もなく、た
だひたすら供養を行なう。そこに自己の目的というものはない。

懺悔

第三の通過点は懺悔である。謙虚な心を持ってグルに対して懺悔をするとい
う心が大切である。

これは心の汚れをそのままにしておいてはいけないわけだから、本当に心に
悔いたものに対して、本当に心に引っかかっているものに対して懺悔をする。
そして、それをグルに取ってもらう。「お願いしますよ」という気持ちで懺悔
をするのである。

賛嘆

第四の通過点は賛嘆である。これは、いかにグルが偉大であるか、いかにシ
ヴァ大神や諸々の覚者方が偉大であるか、いかに我々の法友が偉大であるか、
いかに真理というものが素晴らしいか、いかに我々が偉大な功徳の持ち主であ
るかを賛嘆するのである。

つまり、グルに対して、真理に対して、徹底的に誉め称えることによって、
もっと縁を強くしようとするのである。そこには否定はない。すべてが肯定で
ある。例えば、先輩の修行者に対して、色々な嫌な点が目についたとしても、
自分より優れた点を探す。そうすると、必ず修行の進んでいる人は、自分より
優れた面をたくさん持っていることに気付くはずである。それについて眼を向
け、賛嘆するのである。ということは、これは真理との縁を強めるだけではな
く、心の成熟も促すことになる。なぜならば、これは四無量心の中の聖称賛に
あたるからである。

懇願

第五の通過点は懇願である。これは、グルに対して、どうぞ私に対して素晴
らしい法則を説いて下さい、素晴らしい修行法を伝授して下さい、私は解脱し
たいんだと、私のすべてを差し上げますからどうか加護下さいと懇願する。

祈願

グルというのは、というよりも成就者というのは完全煩悩破壊してニルヴァ
ーナに入ることが出来る。しかし、グルがニルヴァーナにはいると成就しづら
くなるから、そして世界が暗くなるから、どうぞニルヴァーナに入らないで下
さいと、この現象界に、苦しいでしょうけどお残りになって、真理の法則を展
開して下さいと、大変でしょうけど、お残りになって、真理の法則を展開して
下さいと、祈願する。

回向

これは、封印である。自分の修行の結果が、自分のために向かうことなく、
すべての生命体のために向かいますようにと封印をしてしまうのである。つま
り、自分の為した修行そのものが、あるいは自分が成就することそのものが、
自分のためではなく、他のために、他を利するためにあるんだということであ
る。

参考文献 マハーヤーナ

 

 

#179/999 資料室
★タイトル (MQM47158)  92/ 2/27   0:25  ( 65)
オウム真理教 五つの障害 ウパティッサ
★内容

五つの障害

  瞑想の妨げとなる心を覆う五種の煩悩がある。これと対象的なのが七つの覚
醒段階である。


愛欲の興奮による障害

これは、足るということを知らず、絶えず貪り求める心の働きのことで、心
が充実することなく瞑想もできない。

害心による障害

害心があるとき、意識は自分が害心を感じる相手や物に集中してしまうし、
大切な熱エネルギーが体外に放出されてしまうので、瞑想できなくなってしま
うのだ。


頑固と愚鈍による障害

これは「ボッジャンガ・サンユッタ」においては「不快・倦怠・あくびと飽
食・心の退縮」と表現されているが、心が沈うつな状態と眠気という妨げのこ
とを指している。心の退縮とは、打ちひしがれたり、あるいは悪いことを行な
ったりして、心が退縮してしまった状態である。

 

興奮と後悔による障害

興奮も後悔も、心を安静にさせない煩悩だ。興奮とは、状況を逸脱した願望
によって心が騒ぐ状態だと考えていいだろう。例えば、「大金持ちになったら
いいな」とか、「明日の競馬で大穴を当ててやるぞ」とか、「明日、あの人と
会える」と心が浮くとか、頭の中でそんな想いがグルグルグルグル回転してい
る状態だ。

後悔は、「あのとき、ああいう態度を取らなかったら、もっとうまくいった
のに」などという後悔によって、心が不安定になっている状態である。


疑念による障害

真理に対する疑いは本質を追求させない障害となる。

 


参考文献 マハーヤーナ

 

 

 

 

 

 

 

 

 


#180/999 資料室
★タイトル (QAA11022)  92/ 2/27  12:42  (189)
オウム真理教>説法>今 なぜオウム真理教か?
★内容

原始仏教と原始ヨーガの体系を取り入れた
矛盾のない教義と完成された修行体系
現代の腐敗した形骸宗教を打ち破る真理の光
今 なぜオウム真理教か?

<< 麻原彰晃尊師説法 89/3/18 札幌ポアの集いにて >>

世の中には、それは、日本だけではなく、世界全てを含めて、たくさんの宗教
が存在している。そして、その宗教の1つ1つをね、わたしたちは最も正しいと
言っていると。ではね、何をもって正しいとするのか、あるいは何をもって真理
とするのか、何をもって全ての人たちを幸福にしてくれるね、宗教とするのかに
ついて、今日は話したいと考えます。
まず、宗教とはいったい何ぞやと。わたしたちは、なぜ宗教を実践しなければ
ならないのかと。これから語らなければならない。
宗教とは、霊的な、つまり内側の世界の開発、そして、心を安定させ、平和にし
ていくことということができるでしょう。そして、何のためにその宗教を実践し
なければならないかというと、それは、この現象界、人間の世界だけがわたした
ちの世界ではないということだね。
それは、どういうことかというと、わたしたちはせいぜい生きたとしても、百
歳まで生きることしかできない。しかしわたしたちは、日々の生活の中で、今日
はまだ死なないだろうと。明日はまだ死なないだろうと、ね。あるいは、わたし
は六十歳、七十歳ぐらいまでは生きられるだろうと思って生きている。
ところがね、ここに一匹のもぐらがいて、このもぐらが畑をほり始めると。そ
して、その畑の上に一軒の家が建っていると。そのもぐらを見つけた人は、なん
だ高々一匹のもぐらかと考えて放っとくと。ところが、そのもぐらはすごく働き
もので、毎日せっせせっせと穴を堀ったと。そして、その家の基礎の下も、ね、
もぐらによって穴ぼこだらけになったと。そして、ある日突然、地震がきたと。
もちろん、その家はその地震でつぶれてしまったと。
これと同じように、わたしたちは毎日毎日正しくない情報、つまりもぐらさん
がね、私たちの内側の世界、心の世界を一生懸命穴を掘っているわけだ。そして、
それが一日二日三日と、ね、始めのうちはたいした影響はないと。しかしそれが、
一週間過ぎ、一ヶ月過ぎ、一年過ぎていったならば、そして、ね、何かのきっか
けで、例えば病、例えば事故によってね、命を捨てなければならない時、その時
は、先程のね、家ともぐらの関係と同じように、私たちの基礎である心はガタガ
タになり、そして苦しみの世界へ生まれ変わってしまうと。
それをね、越えるためには、二つ道があると。一つは、いかなるね、もぐらが
穴堀りをしたとしてもつぶれないような、頑丈な基礎を築くと。そして、安定し
た家の状態でいるならば、いかにもぐらが穴を掘ったとしても、私たちの心とい
うものは不動であると。そうすることによって、私たちは高い世界へ生まれ変わ
ることができると。これが一般的に言われている功徳なんだね。
そして、この功徳は私たちを、人間界、あるいは、人間界以上の、阿修羅の世
界だとか、あるいは神々の世界に生まれ変わらしてくれると。
それから、もう一つは、もともと家なんか無ければいいんだと。つまり、家に
執着するから、そこで家が壊れたときに、心はガタガタになるんだと言っている、
ね。家から心を引き離し、家に執着しないと。そうすると、例えば死ぬとき、家
が壊れたとしても、私たちの心というものは平静でいられると。これが、悟りだ
ね。
そして、この2つこそ、私は真理だと考えている。もちろん悟り、もう一つ解
脱というものがあるわけだけど、今日の内容にはね、今日今聞いている人たちに
はあまりそぐわないから、解脱については今日はやめておこう。


そして、この悟り、あるいは高い世界、天界へ生まれ変わる道、この二つを持
っている宗教、これが本当の宗教なんじゃないかなと私は思います。でも、麻原
と。どこでも、悟り、あるいは高い世界へ生まれ変わりますよと言っているぞと。
では、次には、何を目安として正しい宗教、あるいは正しくない宗教というもの
を選択したらいいんだと。これはたいへん難しい問題だね。しかし、難しいから
といって放っとくわけにはいかないから、ここでみんなに分かりやすいように説
明をしょうと。
それはね、まず宗教というものには、必ず教義というものがある。教義という
のは何かというと、この教団では、例えばオウム真理教では、これをもって解脱
といいますよと。あるいは、これをもって悟りと言いますよと。そしてそれは、
このようなパース、ね、道を歩くならば結果は出ますよと。これが、まず第一の
目安。これは仏・法・僧の中の法だね。
じゃあ、しかし法は秘儀とさていて、一般的には公開されないと言っている教
団もあるよと。それは出版物に目を通して、よくよくお読みになるならば、正し
い判断が出来るはずであると。なぜならば、教義というものは矛盾があってはい
けないからであると、ね。しかしそんなことを言っても、麻原と。お前は、以前
ぱク槃と言っていたものが、今はマハー・ニルヴァーナということに変わってい
るじゃないかと。つまりニルヴァーナがマハー・ニルヴァーナに変わっているで
はないかと、ね。例えば真理教の信徒の方でも、このようにお聞きになる人がい
らっしゃるかもしれない。まあ実際にそういう質問があるわけだけど。それは、
同じ系統の体系をどんどんどんどん幅広くしていった場合、言葉における置き換
えというのはなされるわけだね。しかし、その本質を指しているものは同じであ
ると。
ところがそうではなくて、教義そのものがもしでたらめだとするならば、つま
りいつも教義が変わっている、あるいは教義がもしいいかげんだとするならば、
それはその教祖、あるいは教団そのものが、その法について、あるいは教義につ
いてね、理解できていないということになるんだ。だから入信をする前、よくい
ろんな本をお読みになって、そして検討なさるべきであると。しかもそれは、い
ろんな角度から本をお読みになるべきだろうと。そして次は、疑問を、ね、ぶつ
けてみるべきだね。これが第一であると。教義であると。
そして第二には、果たしてその世界が経験できるのかということだね。これは
オウム真理教ではあなた方の先輩がね、あなたがたより少し前に私と縁の生じた
者達が、修行によっていろんな経験をしているから、よく分かると思うけど、要
するに経験できるかどうかだ。
つまりね、教義というのは何かというと、道なんだね、これは。地図なんだよ。
地図。地図の中の道なんだよ。だから例えば、北海道からどのようにいけば、青
森に達すると。そしてそれから、ね、どういう道を使って行けば東京へ行けると。
これが教義だね。
しかしだよ、例えばある教団が円盤があると。その円盤で札幌から東京までだ
ったら2分で行けるよと、言ったとしようと。しかしそれは、誰もいまだかつて
経験してないとしたならば、ね、その修行体系、教義そのものは正しくないと言
うことになるよね。ところがそうではなくて、ここに一枚の地図があって、この
道をこのように歩いて行くならば、ね、最終的には東京へ到達できると。ここで
いう東京と言うのは、あなた方が幸せな、ね、そして安心できる人生、それだけ
ではなくて安心できる死後の世界という意味だね。
その多くの人たちが、私は青森まで行ったんだと。私は仙台まで行ったんだと。
あるいは、私は福島まで行ったんだと。あるいは、わたしは、ね、茨城までは行
ったんだと。あるいは、私は東京まで行ったんだと。こういう沢山の経験がある
もの、これが本当の宗教なんじゃないかなと。その二番目なんじゃないかなと思
うんだね。つまり経験している者がいるということだね。


そして第三番目には、例えば入信した場合、そのあときちんと指導できるグル、
あるいは先生が存在しているかどうかになると。
もし地図があり、あるいは経験できた人がいたとしても、例えば指導する人が、
もう今既に亡なければね、それはやはり同じように絵に書いた餅であると。そし
て、絵に書いた餅をいくら実践しても仕方がないと。だから、ね、第三番目の条
件はあなた方を幸福の世界、あるいは安心立命できる世界へと誘う先生、あるい
はグルがいるのかなということになると。
そして、これは付け足しだけども、現代人は大変忙しいと。例えば、修行とい
うのは一日二時間とか三時間が限界であると。それくらい短い修行時間でも、あ
なた方を修行者としてね、霊的に進化させるだけのシステム、ね、方法、メソッ
ドね、これを持っているのかなと。これはでも付け足しだね。例えば十年かかっ
てでも、二十年かかってでも到達できるんだったら、それでもいいと。しかしも
ちろん、早く到達できるんだったら、それはそれに越したことはないと。これが、
付録としてのイニシエーション、つまりあなた方を早く高い世界へ誘うための方
法が存在しているのかなと。あるいは研究されているのかなと。
そしてこの四つのきちんとした柱がある教団、これは最高の教団ではないかな
と、わたしは思っているんです。なぜならば、いくらここに綺麗事を並べた教え
があったとして、その教えをいまだだれも経験していないと、ね。そうすると、
こんなものはあってもしょうがないわけだね。なぜならば、少し文章のうまい頭
の良いは人は、それくらいの教義を作り上げることができると、ね。
だから、ここに法があり、その法を、今先程の言葉を言い換えるならば地図だ
ね。ここに地図があり、その地図をね、今まで使って、目的地に向かった人がい
て、そしてちゃんとその目的地の方向に向かうことができると証明される、それ
だけの豊富な体験がなければならないと、ね。そして、それを道案内してくれる、
ね、例えば道に迷ったとき、電話一本かければちゃんと元の道に戻してくれる、
正しい道に戻してくれる先生、あるいはグルが存在していることと、ね。
そして、例えば乗っている車があまりにもポンコツで、スピードが出なければ、
ね、ちゃんと修理をしてくれて、そして早いスピードで目的地まで連れてってく
れる、そういうイニシエーション、秘儀ね、特殊な方法を持っていると。これぞ
最高の宗教だと、わたしは考えているんです。
そして、この四つの柱に巡り合うことのできる魂というのは、素晴らしい、偉
大なるカルマを持っているんだなと。なぜならば、ね、地球に今、六十億とも七
十億ともいわれている魂が存在していて、その中で果たしてどれほどの人が内側
の世界を経験できるだろうかと。あるいは、どれほどの人が正しい道を歩くこと
ができるだろうかと。そして、どれほどの人が解脱、悟りに到達することができ
るだろうかと。あるいは、どれほどの人が高い世界へ生まれ変わることができる
だろうかと考えるならば、これは仏典でもいわれているとおり、あるいはこの現
象界、人間の世界を正しく見つめるならば、ほとんどの人が、ね、それに巡り合
うことができないと。
ことろが巡り合うことのできた人、この人たちはいったいどういう功徳によっ
て、ね、どうゆう善業によって、ね、この真理に巡り合うことができたんだろか
と考えるならば、きっとそれは前生の一つの生で、素晴らしい功徳をお積みにな
ったか、あるいは(その)真理に対して帰依をなさっていたかなんだろうね。そ
して、今ここに集まっていらっしゃる方は、その素晴らしい功徳をお持ちだとい
うことになると。
今、わたしが述べたこと、それはオウム真理教と他の教団との違いなんだね。
例えば、ある教団は法華経を掲げていると。例えば、ある教団は維摩経を掲げて
いると。例えば、ある教団は『聖書』を掲げていると、ね。いろんな法というも
のが混在している、この中でだよ、果たしてどれほどの人が心の体験、あるいは
内側の体験をしたかというと、ほとんどしていないわけだね。
ところが、京都の、「ボディーサットヴァの会・蓮華の会」の会長の中山浩子
さんが、クンダリーニー・ヨーガの成就を三日前になさったと。これも在家の方
だね。
そして今、在家でもくもくと修行している人が、あと一、二、三、四、五・・・・、
七名くらいいらっしゃるのかな。そしてその中で、スワミに、えーと、ンガッパ
だね、ンガッパ、つまりラージャ・ヨーガの成就をなさったのが、京都の中山さ
ん、旦那さんだね、これは。そして、もう一人、静岡のね、山本君というのが、
まあラージャ・ヨーガの成就をしたわけだけど、確実に、修行を続けていれば、
アストラル、あるいはコーザルの経験ができますよと。これがオウム真理教なん
だ。
ただね、仏教の中で、貪・瞋・癡というものがあると。癡というのは何かとい
うと、光のない状態と。真理に対して否定する心の働きと。今までいろんな宗教
にだまされていらっしゃる方、あるいはもともと、ね、あまり真理を実践なさら
なくて、疑いというものが心にはびこっていらっしゃる方は、今日のわたしのこ
の話を聞いたとしても、なんとなくピンと来ないということになるだろ。修行と
いうものはね、キャッチボールなんだね。いろんな教団が、いろんなボールを投
げると。そしてそのボールの、どれを受け取るかというのはね、これはあなたが
た次第なんだ。
ただね、今日の講話の最後に一言言っておきたいこと、それは正しく法を選択
しなさいよと。そして、正しく宗教を選択しなさいよと。そして、正しい先生に
つきなさいよと。この三つをもし間違わなければ、たとえオウム真理教以外に真
理があったとして、それを実践なさったとしても、素晴らしい結果を招くことが
できるだろうと。
旬子が、”口受の学はわずか三寸ばかり”と言っている。口受とは何かという
と、要するに耳で聞いたね、講話をそのまま口で伝えるということだ。そうでは
なくて、耳で聞き、目で読んだ法というものを実践すると。そしてそれが、本当
に体からにじみ出るようになったとき、その言葉というものは多くの人の心を打
ち、あるいはその心の働きというものは、その人を絶対的な安らぎの世界に誘う
ことでしょう。
はい、それでは講話をこれで終わります。

オウム真理教ネットより転載

聖称賛磨蔵

 

#181/999 資料室
★タイトル (MQM47158)  92/ 2/29  11:17  ( 77)
ガティーカーラ経1 ウパティッサ
★内容

 

◇麻原彰晃尊師解説

この経について、いくつかポイントとなる箇所を指摘しておこう。まず、
自分の雨期の住居で過ごして欲しいというカーシ王キキーの申し出を世尊
カッサパが断るところがある。何故ここで断ったかというと、世尊カッサ
パには既に決めていた雨期の住居があったからである。つまり、覚者とい
うのは一度決めたことはそれが損であっても変えないのである。それは、
その前に約束していた人を裏切ることになるから絶対変えないのだ。ここ
に損得という発想はないのである。


そして、この経からは世尊カッサパがガティーカーラ工を完全に信頼し
ているということがわかる。それは、世尊カッサパが、わざわざガティー
カーラ工の家に訪れ、自ら供養を受けにきて下さるというところである。
これは、もう一つ徳を積ませてあげたいという、まさにその対象となって
いるのだ。ひたすら徳を積ませたいと、供養させてやろうという、そうい
う気持ちがありありと出ている。そういう見方をすれば、この後のつじつ
まが全部合うのである。一般的には、布施した方が損だという発想が日本
人にはあるのだが、全く逆で、布施させてもらってありがたいというのが
仏教の教えで、しかもわざわざその布施を受けにきて下さるというのは、
もう最高の功徳といえるのである。
最後に、世尊カッサパがガティーカーラ工の家の屋根をはぎ取るのだが、
これは『布施品』にあった、まさにタイミングのいい布施に当たる。つま
り、屋根が雨漏りしているというチャンスがあるとき、誰に徳を積ませる
かというと、やはりガティーカーラ工に功徳を積ませようと考えられるの
である。別に世尊カッサパにとっては、雨漏りなど大したことではないの
だが、そういうチャンスを見計らって功徳を積ませられるわけである。

 

 

ガティーカーラ経(ガティーカーラ・スッタ)

このようにわたしは聞いた。

あるとき、世尊は大向煩悩滅尽多学男出家教団と一緒に、コーサラ(十分な貯蔵
室)国を動き回って生活しながら旅行しておられた。そのとき、世尊は道から離れ、
ある場所で明らかにほほ笑まれた。そこで、高弟アーナンダ(快楽)には、これが
ふと心に浮かんだ。
「どのような原因とどのような条件があって、世尊は明らかにほほ笑まれたのであ
ろうか。原因がなければ、真理勝者が明らかにほほ笑むことはおありにならないで
あろう」と。

そして、高弟アーナンダは、左肩に衣をかけて、世尊に対して合掌し、世尊にこ
う申し上げた。
「尊師よ。どのような原因とどのような条件があって、世尊は明らかにほほ笑まれ
たのでしょうか。原因がなければ、真理勝者が明らかにほほ笑むことはおありにな
らないでしょう。」
「アーナンダよ、その昔、この場所にヴェーバリンガ(分別された特質)という名
前の村町があった。その村町は繁栄し、富に富んで、数多くの人々があり、人々で
満ちあふれていた。アーナンダよ、そのヴェーバリンガの村町に近い場所に、供養
値魂・最上正覚者であられる世尊カッサパ(太陽の保護者)がとどまっておられた
のだ。アーナンダよ、ここに、供養値魂・最上正覚者であられる世尊カッサパの大
庭園があったのである。アーナンダよ、そして、供養値魂・最上正覚者であられる
世尊カッサパは、まさにここに座って、向煩悩滅尽多学男出家教団に忠告なさった
のである。」

そこで、高弟アーナンダは、正装衣を四重に折ってきちんとし、世尊にこう申し
上げた。
「尊師よ、それでは、世尊はお座りください。この地の場所こそ、二人の供養値魂
・最上正覚者が(時を)費やされた場所となりましょう。」
そして、世尊は用意された座にお座りになった。座ると、世尊は高弟アーナンダ
にこう呼びかけられた。

「アーナンダよ、その昔、この場所にヴェーバリンガという名前の村町があった。
その村町は繁栄し、富に富んで、数多くの人々があり、人々で満ちあふれていた。
アーナンダよ、そのヴェーバリンガの村町に近い場所に、供養値魂・最上正覚者で
あられる世尊カッサパがとどまっておられたのだ。アーナンダよ、ここに、供養値
魂・最上正覚者であられる世尊カッサパの大庭園があったのである。アーナンダよ、
そして、供養値魂・最上正覚者であられる世尊カッサパは、まさにここに座って、
向煩悩滅尽多学男出家教団に忠告なさったのである。

 

#182/999 資料室
★タイトル (MQM47158)  92/ 2/29  11:24  (180)
ガティーカーラ経2 ウパティッサ
★内容

アーナンダよ、ヴェーバリンガの村町に、ガティーカーラ(専心している奉仕者)
という名前の焼き物師があり、彼は供養値魂・最上正覚者であられる世尊カッサパ
の奉仕者であり、最上の奉仕者であった。アーナンダよ、また、焼き物師ガティー
カーラの同好の友であり、快い同好の友である、ジョーティパーラ(光の守護者)
という名前の青年男子がいた。アーナンダよ、そこで、焼き物師ガティーカーラは、
青年男子であるジョーティパーラにこう呼びかけた。

『君、ジョーティパーラ、ここに来いよ。供養値魂・最上正覚者であられる世尊カ
ッサパに会いに行こうではないか。かの供養値魂・最上正覚者であられる世尊にお
会いするのは素晴らしいことだと、いつも思っていたんだ。』

アーナンダよ、このように言われたとき、青年男子であるジョーティパーラは、
焼き物師ガティーカーラにこう言った。

『もうたくさんだ、君、ガティーカーラ、あのにせの出家修行者坊主に会って、何
の意味があろうか。』

アーナンダよ、再び、焼き物師ガティーカーラは、青年男子であるジョーティパ
ーラにこう呼びかけた。

『君、ジョーティパーラ、ここに来いよ。供養値魂・最上正覚者であられる世尊カ
ッサパに会いに行こうではないか。かの供養値魂・最上正覚者であられる世尊にお
会いするのは素晴らしいことだと、いつも思っていたんだ。』

アーナンダよ、再び、青年男子であるジョーティパーラは、焼き物師ガティーカ
ーラにこう言った。

『もうたくさんだ、君、ガティーカーラよ、あのにせの出家修行者坊主に会って、
何の意味があろうか。』

アーナンダよ、三たび、焼き物師ガティーカーラは、青年男子であるジョーティ
パーラにこう呼びかけた。

『君、ジョーティパーラ、ここに来いよ。供養値魂・最上正覚者であられる世尊カ
ッサパに会いに行こうではないか。かの供養値魂・最上正覚者であられる世尊にお
会いするのは素晴らしいことだと、いつも思っていたんだ。』

アーナンダよ、三たび、青年男子であるジョーティパーラは、焼き物師ガティー
カーラにこう言った。

『もうたくさんだ、君、ガティーカーラよ、あのにせの出家修行者坊主に会って、
何の意味があろうか。』

『それなら、君、ジョーティパーラ、体をこするための粉と水浴粉を持って、水浴
をしに川に行こうじゃないか。』

『君、わかったよ。』

と、アーナンダよ、青年男子であるジョーティパーラは、焼き物師ガティーカーラ
に承諾した。
アーナンダよ、そこで、焼き物師ガティーカーラと青年男子であるジョーティパ
ーラとは、体をこするための粉と水浴粉を持って、水浴をしに川に行った。アーナ
ンダよ、そして、焼き物師ガティーカーラは、青年男子であるジョーティパーラに
こう呼びかけた。

『君、ジョーティパーラ、この近くに、供養値魂・最上正覚者であられる世尊カッ
サパの大庭園がある。君、ジョーティパーラ、ここに来いよ。供養値魂・最上正覚
者であられる世尊カッサパに会いに行こうではないか。かの供養値魂・最上正覚者
であられる世尊にお会いするのは素晴らしいことだと、いつも思っていたんだ。』

アーナンダよ、このように言われたとき、青年男子であるジョーティパーラは、
焼き物師ガティーカーラにこう言った。

『もうたくさんだ、君、ガティーカーラ、あのにせの出家修行者坊主に会って、何
の意味があろうか。』

アーナンダよ、再び、焼き物師ガティーカーラは、青年男子であるジョーティパ
ーラにこう言った。

『君、ジョーティパーラ、この近くに、供養値魂・最上正覚者であられる世尊カッ
サパの大庭園がある。君、ジョーティパーラ、ここに来いよ。供養値魂・最上正覚
者であられる世尊カッサパに会いに行こうではないか。かの供養値魂・最上正覚者
であられる世尊にお会いするのは素晴らしいことだと、いつも思っていたんだ。』

アーナンダよ、再び、青年男子であるジョーティパーラは、焼き物師ガティーカ
ーラにこう言った。

『もうたくさんだ、君、ガティーカーラ、あのにせの出家修行者坊主に会って、何
の意味があろうか。』

アーナンダよ、三たび、焼き物師ガティーカーラは、青年男子であるジョーティ
パーラにこう言った。

『君、ジョーティパーラ、この近くに、供養値魂・最上正覚者であられる世尊カッ
サパの大庭園がある。君、ジョーティパーラ、ここに来いよ。供養値魂・最上正覚
者であられる世尊カッサパに会いに行こうではないか。かの供養値魂・最上正覚者
であられる世尊にお会いするのは素晴らしいことだと、いつも思っていたんだ。』

アーナンダよ、三たび、青年男子であるジョーティパーラは、焼き物師ガティー
カーラにこう言った。

『もうたくさんだ、君、ガティーカーラ、あのにせの出家修行者坊主に会って、何
の意味があろうか。』

アーナンダよ、そこで、焼き物師ガティーカーラは青年男子であるジョーティパ
ーラの帯状の布をしっかり握って、こう言った。

『君、ジョーティパーラ、この近くに、供養値魂・最上正覚者であられる世尊カッ
サパの大庭園がある。君、ジョーティパーラ、ここに来いよ。供養値魂・最上正覚
者であられる世尊カッサパに会いに行こうではないか。かの供養値魂・最上正覚者
であられる世尊にお会いするのは素晴らしいことだと、いつも思っていたんだ。』

アーナンダよ、そのとき、青年男子であるジョーティパーラはその帯を解いて、
焼き物師ガティーカーラにこう言った。

『もうたくさんだ、君、ガティーカーラ、あのにせの出家修行者坊主に会って、何
の意味があろうか。』

アーナンダよ、そこで、焼き物師ガティーカーラは青年男子であるジョーティパ
ーラが洗った頭髪をしっかり握って、こう言った。

『君、ジョーティパーラ、この近くに、供養値魂・最上正覚者であられる世尊カッ
サパの大庭園がある。君、ジョーティパーラ、ここに来いよ。供養値魂・最上正覚
者であられる世尊カッサパに会いに行こうではないか。かの供養値魂・最上正覚者
であられる世尊にお会いするのは素晴らしいことだと、いつも思っていたんだ。』

アーナンダよ、そこで、ジョーティパーラには、これがふと心に浮かんだのであ
る。

『本当に不思議なことだ。本当に驚くべきことだ。身分の卑しい、あの焼き物師ガ
ティーカーラが、わたしの洗った頭髪をしっかり握ろうと考えるなんて。これは確
かに、普通でないに違いない』と。

そして、焼き物師ガティーカーラにこう言った。

『君、ガティーカーラ、あなたは本当にそう考えていたのか。』

『君、ジョーティパーラ、本当だとも。まさにそのとおりだよ。かの供養値魂・最
上正覚者であられる世尊にお会いするのは素晴らしいことだと、いつも思っていた
んだ。』

『それなら、君、ガティーカーラ、(手を)解き放ってくれ。行ってみよう。』

アーナンダよ、そして、焼き物師ガティーカーラと青年男子であるジョーティパ
ーラは、かの供養値魂・最上正覚者であられる世尊カッサパの所に行った。行くと、
焼き物師ガティーカーラは、供養値魂・最上正覚者であられる世尊カッサパに敬礼
して、そばに座った。青年男子であるジョーティパーラもまた、供養値魂・最上正
覚者であられる世尊カッサパとお互いに親しいあいさつを交わし、友情のこもった
丁寧な談話を交わして、そばに座った。そばに座って、アーナンダよ、焼き物師ガ
ティーカーラは、供養値魂・最上正覚者であられる世尊カッサパにこう申し上げた。

『尊師よ、これは、わたしの同好の友であり、快い同好の友であり、青年男子であ
るジョーティパーラでございます。世尊はこの青年に法則を指し示してください。』

アーナンダよ、そこで、供養値魂・最上正覚者であられる世尊カッサパは、焼き
物師ガティーカーラと青年男子であるジョーティパーラを法則の話によって、悟ら
せ、鼓舞し、目覚めさせ、ほめたたえられた。アーナンダよ、そして、焼き物師ガ
ティーカーラと青年男子であるジョーティパーラは、供養値魂・最上正覚者であら
れる世尊カッサパの法則の話によって、悟らされ、鼓舞され、目覚めさせられ、ほ
めたたえられ、供養値魂・最上正覚者であられる世尊カッサパの話に喜びを見いだ
し、感謝して、座から立って、供養値魂・最上正覚者であられる世尊カッサパに敬
礼し、右回りの礼をして去ったのである。

アーナンダよ、そこで、青年男子であるジョーティパーラは、焼き物師ガティー
カーラにこう言った。

『君、ガティーカーラ、君は今、この法則を聴いたにもかかわらず、これに反して、
家庭生活の快適さを捨て、家なき状態になり、禁欲生活を送らないのか。』

『君、ジョーティパーラ、君は、わたしが目の見えないの老いた父母を扶養してい
ることをわかっているじゃないか。』

『それでは、君、ガティーカーラ、わたしは家庭生活の快適さを捨て、家なき状態
になり、禁欲生活を送ろう。』

アーナンダよ、そして、焼き物師ガティーカーラと青年男子であるジョーティパ
ーラは、供養値魂・最上正覚者であられる世尊カッサパの所に行った。行くと、供
養値魂・最上正覚者であられる世尊カッサパに敬礼して、そばに座った。そばに座
って、アーナンダよ、焼き物師ガティーカーラは、供養値魂・最上正覚者であられ
る世尊カッサパにこう申し上げた。

『尊師よ、これはわたしの同好の友であり、快い同好の友である青年男子であるジ
ョーティパーラでございます。世尊は彼を出家させてください。』

アーナンダよ、こうして、青年男子であるジョーティパーラは、供養値魂・最上
正覚者であられる世尊カッサパの面前で、教団に入る許可を得て、出家者としての
義務・責任を伝授されることを得たのである。

 

 

#183/999 資料室
★タイトル (MQM47158)  92/ 2/29  11:33  (186)
ガティーカーラ経3 ウパティッサ
★内容
さて、アーナンダよ、出家者としての義務・責任を伝授されて間もない青年男子
であるジョーティパーラが、出家者としての義務・責任を伝授されて半月が経った
とき、供養値魂・最上正覚者であられる世尊カッサパは、ヴェーバリンガに存分に
とどまり、バーラーナシー(剣の城壁)に向かって動き回って生活しながら旅行し
出発し、規則正しい順序で動き回って生活しながら旅行し、バーラーナシーに入ら
れた。アーナンダよ、そこで、供養値魂・最上正覚者であられる世尊カッサパは、
バーラーナシーのイシパタナ・ミガダーヤ(尊い人が降りた鹿の公園)にとどまら
れたのである。
アーナンダよ、そして、カーシ国王キキー(ルリカケス)は、『供養値魂・最上
正覚者であられる世尊カッサパは、バーラーナシーに到着し、イシパタナ・ミガダ
ーヤにとどまっておられる』と聞いた。そこで、アーナンダよ、カーシ国王キキー
は、これ以上にない高級な乗り物を用意させ、高級な乗り物の一つに乗り、これ以
上にない高級な乗り物を伴い、大王の王者の威厳の力によって、供養値魂・最上正
覚者であられる世尊カッサパにお会いするために、バーラーナシーへと向かった。
そして、乗り物の道がある限りは乗り物で行き、その後、乗り物から降りて歩い
て行き、供養値魂・最上正覚者であられる世尊カッサパの所に行った。行くと、供
養値魂・最上正覚者であられる世尊カッサパに敬礼して、そばに座った。アーナン
ダよ、そこで、そばに座ったカーシ国王キキーに、供養値魂・最上正覚者であられ
る世尊カッサパは法則の話によって、悟らせ、鼓舞し、目覚めさせ、ほめたたえら
れた。
アーナンダよ、そのとき、カーシ国王キキーは、供養値魂・最上正覚者であられ
る世尊カッサパの法則の話によって、悟らされ、鼓舞され、目覚めさせられ、ほめ
たたえられ、供養値魂・最上正覚者であられる世尊カッサパにこう申し上げた。
『尊師よ、どうか翌日、世尊は向煩悩滅尽多学男出家教団と一緒に、わたしの食事
に応じてください。』
アーナンダよ、そこで、供養値魂・最上正覚者であられる世尊カッサパは、黙っ
てそれに応じられたのである。アーナンダよ、そのとき、カーシ国王キキーは、供
養値魂・最上正覚者であられる世尊カッサパがこれに応じられたのを知って、座か
ら立って、供養値魂・最上正覚者であられる世尊カッサパを敬礼し、右回りの礼を
して去ったのである。
さて、アーナンダよ、カーシ国王キキーは、その夜が過ぎてから、極妙な硬い食
べ物と軟らかい食べ物、もみ殻部分から取り出した灰色が全面に行き渡った玄米の
米と、多くのスープと多くの料理を、自分自身の居所に用意させて、供養値魂・最
上正覚者であられる世尊カッサパに、(食事の)時をお告げした。
『尊師よ、食事の用意ができました。時間です。』
アーナンダよ、そこで、供養値魂・最上正覚者であられる世尊カッサパは早朝、
正装し、上衣と鉢を持って、そのカーシ国王キキーの居所にお出になった。行くと、
向煩悩滅尽多学男出家教団と共に用意された座にお座りになった。そして、アーナ
ンダよ、カーシ国王キキーは、覚者を長とする向煩悩滅尽多学男出家教団に、極妙
な硬い食べ物と軟らかい食べ物を、自らの手で満足させるまで存分におもてなしし
た。
さて、アーナンダよ、カーシ国王キキーは、供養値魂・最上正覚者であられる世
尊カッサパが食べてしまって、手で鉢を置かれたとき、ある低い座を取って、そば
に座った。そばに座って、アーナンダよ、カーシ国王キキーは、供養値魂・最上正
覚者であられる世尊カッサパにこう申し上げた。
『尊師よ、世尊はバーラーナシーにおいて、わたしの雨季の住居を受け取っていた
だけないでしょうか。出家教団には、このような奉仕がございましょう。』

『実に、大王よ、わたしには住んでいる雨季の住居があるのです。』

アーナンダよ、再び、カーシ国王キキーは、供養値魂・最上正覚者であられる世
尊カッサパにこう申し上げた。
『尊師よ、世尊はバーラーナシーにおいて、わたしの雨季の住居を受け取っていた
だけないでしょか。出家教団には、このような奉仕がございましょう。』

『実に、大王よ、わたしには住んでいる雨季の住居があるのです。』

アーナンダよ、三たび、カーシ国王キキーは、供養値魂・最上正覚者であられる
世尊カッサパにこう申し上げた。

『尊師よ、世尊はバーラーナシーにおいて、わたしの雨季の住居を受け取っていた
だけないでしょうか。出家教団には、このような奉仕がございましょう。』

『実に、大王よ、わたしには住んでいる雨季の住居があるのです。』

アーナンダよ、そのとき、カーシ国王キキーは、『供養値魂・最上正覚者であら
れる世尊カッサパは、バーラーナシーにおいて、わたしの雨季の住居を受け取って
くださらない』とまさに意見の食い違いが生じ、落胆が生じたのである。アーナン
ダよ、そこで、カーシ国王キキーは、供養値魂・最上正覚者であられる世尊カッサ
パにこう申し上げた。
『尊師よ、わたしよりあなたさまに奉仕する者が、他にだれかいるのでしょうか。』
『大王よ、ヴェーバリンガという名前の村町がある。そこに、ガティーカーラとい
う名前の焼き物師がいる。彼はわたしの奉仕者であり、最上の奉仕者である。大王
よ、あなたは、「供養値魂・最上正覚者であられる世尊カッサパは、バーラーナシ
ーにおいて、わたしの雨季の住居を受け取ってくださらない」とまさに意見の食い
違いが生じ、落胆が生じたのである。しかし、焼き物師ガティーカーラには、その
ようなことはなく、またこれからもないであろう。
大王よ、焼き物師ガティーカーラは、覚者を救いとして活用し、法則を救いとし
て活用し、出家教団を救いとして活用しているのである。
大王よ、焼き物師ガティーカーラは、殺生を自制し、窃盗を自制し、愛欲におけ
る邪悪な行為を自制し、虚言を自制し、放逸な状態を続けさせるものである蒸留ア
ルコールやアルコールや(麻薬やタバコなどの)酔わせるものを飲むことを自制し
ているのである。
大王よ、焼き物師ガティーカーラは、覚者に対して絶対の浄信を具足し、法則に
対して絶対の浄信を具足し、出家教団に対して絶対の浄信を具足し、聖人が愛する
戒を具足しているのである。
大王よ、焼き物師ガティーカーラは、苦しみにおいて不信がなく、苦しみの生起
において不信がなく、苦しみの滅尽において不信がなく、苦しみの滅尽に至る方法
において不信がないのである。
大王よ、焼き物師ガティーカーラは、一日に一回食事をとる者であり、神聖行を
なし、戒を持す者であり、素晴らしい法則を持つ者である。
大王よ、焼き物師ガティーカーラは、黄金と水晶を放棄して、金貨銀貨から離れ
去ったのである。
大王よ、焼き物師ガティーカーラは、こん棒や自らの手で地を掘ることはない。
もし、斜面が崩壊したもの、あるいはネズミが掘り起こしたものがあれば、快く取
得し、陶器になして、このように言うのである。
「米粒や緑豆やひな豆を物々交換したい人は、ここに置いて、お望みのものをお持
ち帰りください」と。
大王よ、焼き物師ガティーカーラは、目の見えない年老いた父母を扶養している
のである。
大王よ、焼き物師ガティーカーラは、五つの下位に結び付けるきずなを完全に破
壊することによって、随意の再生をし、かの所で完全煩悩破壊し、あの世界から(
この愛欲界に)還らない法則の人なのである。
大王よ、わたしはあるとき、ヴェーバリンガの村町にとどまっていた。大王よ、
そのとき、わたしは早朝、正装し、上衣と鉢を持って、焼き物師ガティーカーラの
父母の所に行った。行くと、焼き物師ガティーカーラの父母にこう言ったのである。
「さて、あの陶芸家はどこに行ったのですか。」
「尊師よ、あなたさまの奉仕者は出かけました。ですから、つぼからご飯を取り、
大なべからスープを取って、お召し上がりください。」
大王よ、そこで、わたしはつぼからご飯を取り、大なべからスープを取り、食べ
終わってから、座から立って帰ったのである。
さて、大王よ、焼き物師ガティーカーラは父母の所に行った。行くと、父母にこ
う言った。
「つぼからご飯を取り、大なべからスープを取り、食べ終わってから、座から立っ
て帰ったのは、だれですか。」
「息子よ、つぼからご飯を取り、大なべからスープを取り、食べ終わってから、座
から立ってお帰りになったのは、供養値魂・最上正覚者であられる世尊カッサパな
のです。」
大王よ、そのとき、焼き物師ガティーカーラには、これがふと心に浮かんだので
ある。
「わたしにとって、確かに利益である。わたしにとって、確かにこの上ない幸福で
ある。供養値魂・最上正覚者であられる世尊カッサパが、このように信頼してくだ
さるとは」と。
大王よ、そして、焼き物師ガティーカーラは半月間、父母は七日間、喜楽がやま
なかったのである。
大王よ、また、わたしはあるとき、まさしく同じヴェーバリンガの村町にとどま
っていた。大王よ、そのとき、わたしは早朝、正装し、上衣と鉢を持って、焼き物
師ガティーカーラの父母の所に行った。行くと、焼き物師ガティーカーラの父母に
こう言ったのである。
「あの陶芸家はどこに行ったのですか。」
「尊師よ、あなたさまの奉仕者は出かけてました。ですから、容器から粥を取り、
大なべからスープを取って、お召し上がりください。」
大王よ、そこで、わたしは容器から粥を取り、大なべからスープを取り、食べ終
わってから、座から立って帰ったのである。
さて、大王よ、焼き物師ガティーカーラは父母の所に行った。行くと、父母にこ
う言った。
「容器から粥を取り、大なべからスープを取り、食べ終わってから、座から立って
帰ったのは、だれですか。」
「息子よ、容器から粥を取り、大なべからスープを取り、食べ終わってから、座か
ら立ってお帰りになったのは、供養値魂・最上正覚者であられる世尊カッサパなの
です。」
大王よ、そのとき、焼き物師ガティーカーラには、これがふと心に浮かんだので
ある。
「わたしにとって、確かに利益である。わたしにとって、確かにこの上ない幸福で
ある。供養値魂・最上正覚者であられる世尊カッサパが、このように信頼してくだ
さるとは」と。
大王よ、そして、焼き物師ガティーカーラは半月間、父母は七日間、喜楽がやま
なかったのである。
大王よ、また、わたしはあるとき、同じヴェーバリンガの村町にとどまっていた。
大王よ、ところでそのとき、部屋が雨で濡れた。大王よ、そこで、わたしは向煩悩
滅尽多学男たちにこう呼びかけたのである。
「行きなさい、向煩悩滅尽多学男たちよ。焼き物師ガティーカーラの居所でわらを
発見してきなさい。」
大王よ、こう言われたとき、向煩悩滅尽多学男たちはわたしにこう言った。
「尊師よ、焼き物師ガティーカーラの居所にはわらがありません。ただし、彼の居
住の場所はわらの屋根です。」
「行きなさい、向煩悩滅尽多学男たちよ。焼き物師ガティーカーラの居住の場所の
わらを取りなさい。」
大王よ、そこで、彼ら向煩悩滅尽多学男たちは焼き物師ガティーカーラの居住の
場所のわらを取ったのである。大王よ、そのとき、焼き物師ガティーカーラの父母
は、向煩悩滅尽多学男たちにこう言った。
「わが居住の場所のわらを取るのはだれですか。」
向煩悩滅尽多学男たちはこう言った。
「ご両親、供養値魂・最上正覚者であられる世尊カッサパのお部屋は、雨で濡れて
いるのです。」
「尊者たちよ、どうぞお持ち帰りください。その顔が神の恩恵をもたらす人たちよ、
どうぞお持ちください。」
さて、大王よ、焼き物師ガティーカーラは父母の所に行った。行くと、父母にこ
う言った。
「わが居住の場所のわらを取ったのはだれですか。」
「息子よ、向煩悩滅尽多学男たちだ。供養値魂・最上正覚者であられる世尊カッサ
パのお部屋が、雨で濡れているのです。」
大王よ、そのとき、焼き物師ガティーカーラには、これがふと心に浮かんだので
ある。
「わたしにとって、確かに利益である。わたしにとって、確かにこの上ない幸福で
ある。供養値魂・最上正覚者であられる世尊カッサパが、このように信頼してくだ
さるとは」と。
大王よ、そして、焼き物師ガティーカーラは半月間、父母は七日間、喜楽がやま
なかったのである。
大王よ、そしてまた、彼の居住の場所は、まる三カ月間屋根がなかったのに、雨
が降り込むことはなかったのだ。大王よ、焼き物師ガティーカーラは、このような
人なのである。』

『尊師よ、焼き物師ガティーカーラにとって、利益であります。尊師よ、焼き物師
ガティーカーラにとって、この上ない幸福であります。世尊がこのように信頼なさ
るのは。』

 

#184/999 資料室
★タイトル (MQM47158)  92/ 2/29  11:35  ( 19)
ガティーカーラ経4 ウパティッサ
★内容

アーナンダよ、そこで、カーシ国王キキーは焼き物師ガティーカーラに、五百台
ほどの米粒の二輪荷車と灰色が全面に行き渡った米に対応するスープを送ったので
ある。アーナンダよ、そして、その国王の召使いは、焼き物師ガティーカーラの所
に行って、こう言った。

『尊者よ、五百台ほどの米粒の二輪荷車と灰色が全面に行き渡った米に対応するス
ープは、カーシ国王キキーがあなたに送るのです。尊者よ、これを受け取ってくだ
さい。国王は数多いなされるべきことと、数多いなすべきことがあります。実に、
ともかくわたしの国王なんですよ。』

アーナンダよ、『そのときの青年男子であるジョーティパーラは、きっと別の者
だろう』と、君は判断するだろうか。アーナンダよ、しかし、これはそのように見
てはならない。そのときの青年男子であるジョーティパーラは、わたしだったので
ある。」


このように世尊はお説きになった。大喜びした高弟アーナンダは、世尊の話され
た教えを承り、それを実践しようと心から決意した。

 

#185/999 資料室
★タイトル (QAA11022)  92/ 2/29  17:22  (196)
オウム真理教>波野村関連1 聖称賛磨蔵
★内容

「真理の弁護士がんばるぞ!」(青山吉伸著)の第三章より、住民票不受理
に関することを、ここにアップさせていただきます。
また、2の後半には「戦え!真理の戦士達」第四回の「無法地帯」を、付け
加えさせていただきました、文はヤソーダラー正大師(当時、正悟師)です。


法なき村----波野

現代のキリシタン狩り


昨年の秋、『サンデー毎日』が皮切りとなって始まったオウムバッシングは、
坂本弁護士失踪事件でさらにその激しさを増した。そして、今、この熊本県波
野村において、マスコミ・県・警察・村、すべてをひっくるめた大がかりなオ
ウムバッシングが行なわれている。----いや、もうバッシングなどという生易
しいものではない。完全なる「宗教弾圧」である。実際、熊本県下でのオウム
真理教の扱われ方を見ていると、江戸時代のキリシタン狩りを思わせるものま
である。
私はここに、その実態を明かしたいと思う。どうか、最後まで読んでいただ
きたい。


◎嫌な予感

今年の五月の下旬、富士山総本部道場にいた私のところに数枚のファックスが
送られてきた。五月二十二日付けの読売新聞と毎日新聞の記事である。
両方の新聞にさっと目を走らせると、次のような言葉が目に飛び込んできた。
「(オウムが)村興し構想に合わない」「好ましくない」「宗教団体では何のメ
リットもない」等々。波野村議会と村長がオウムに対してコメントをしている記
事だったのである。
私は読んでいて、暗然たる気持ちになった。なぜなら、オウムはこのとき内弟
子用の修行道場として、神聖な土地を探しはしていたが、まだ実際に波野村の土
地を取得もしていないし、住んでもいない。つまり、実際には村では何の行動も
起こしてないのだ。にもかかわらず、この発言。
「もしかたら、困ったことになるかもしれない・・・・。」
----何か、そんな嫌な予感がしたのである。

◎役場のスタンプが押された「回覧板」

果たして、私の予感は見事に的中した。五月末にFさんという方が波野村の土
地をオウムに贈与してくださり、現地での工事に入ってから、一気に”オウム排
除”の動きが活発化し出したのである。
そして、その引き金の一つとなったのが、六月に波野村で回されたこの「回覧
板」である。


あなたの町や村がねらわれている
オウム真理教の阿蘇進出を住民パワーで絶対阻止しよう!


いま波野村に、あの「オウム真理教」が約15町歩もの原野を取得し、住
もうとしている。
彼らは、すでに新聞・テレビ・週刊誌等の報道でたびたび取り上げられて
いるあの「反社会的」な宗教団体で・・・(中略)・・・彼らは全然仕事をしない
のである。
このように異様な人々がうろつけば、阿蘇はもちろんのこと、私の村や町
でも女性や子供は一人では歩けず恐怖の毎日をすごさなくてはならなくなり
ます。
すでに、山梨県では人がこなくなり、観光業者の死活問題に発展していま
す。わたしたちは、自然豊かで静かな観光地阿蘇を「オウム」の住家にして
はならないのです。
すべての人々が団結して立ち上がり、オウム真理教の進出を阻止するしか
阿蘇の、そしてあなたの「ふるさと」を守る方法はないのです。

みんなの力でオウム真理教を追い出しましょう。

阿蘇を守る会
〒869-28 熊本県阿蘇郡波野村**********


この回覧板には、右記の文章に、週刊誌などの中傷記事をいろいろと集めてコ
ピーしたものがくっ付けてあり、上の方には、「回覧」とわざわざスタンプまで
押してある。しかも----このスタンプは、なんと村役場で使っているスタンプで
あり、村当局によって押されたことを物語っている。つまり、役場の人間が、こ
のようなことを行なっていることになるのだ。
そして、その後、この「阿蘇を守る会」というのは、「波野村を守る会」と名
前を変えた。
それからである、まるで怒゚キのごとく様々な事件が発生したのは。小さな事件
まで一つ一つ取り上げていれば、本当にきりがないぐらいである。だから、ここ
には代表的なものの中から特に二つだけを選んで記したいと思う。
住民票不受理の一連の事件と、警察の不当逮捕の件である。
(取り敢えず、前者の住民票不受理のことだけ、書かせていただきます。)


受理されない住民票

◎調査を拒否する課長

六月二十六日、私は、公認会計士の柴田さんと平田さんと共に、波野村の役場
に行った。
柴田さんは数日前に、平田さんは当日、住民票の転入届を提出したが、住民票
の謄本を請求しても、担当の女性はそれを拒んだのである。
「転入届は受理されていませんので、住民票の謄本は出せません。」
「弁護士の青山と申しますけど、住民票が受理されていない理由をお聞きかせ願
えませんか。」
サッと受け付けの人の顔色が変わった。
「ちょっとお待ちください。」
そう言うと、足早に奥の方に歩いていき、デスクに座っていた住民課長に慌てて
何かを伝えている。話を聞き終わると、課長は、カウンターまでゆっくりと歩い
てきた。やや、緊張した感じである。
「弁護士の青山です。オウム真理教の者の住民票がなぜ受理されないのか、その
理由をお聞きしたいんですけど。」
と、私は聞いた。
実は、六月の二十二日から六十名ものオウムの者が波野村に住民票の転入届を
提出したのだが、村側は何の法的根拠も示さないまま、これを拒否し続けていた
のだ。
「住民としての確認が出来ていないからです。」
と、課長は説明した。
「では、ここに本人がいますので、いろいろと質問をされて、実際に住んでいる
かどうか確認をしていただけませんか。」
と、私は課長に提案した。
普通転入届というものは、何も聞かれないでスムーズに行くか、「もう引っ越
しはすんでいますね」程度の質問をされて、「はい」と答えればそれで受理され
るものなのである。

「・・・・・・。」
課長は、目をそらして答えない。
「どういう確認をされるつもりですか。」
「現地での調査を希望しています。」
「では、いつどのように調査されるんですか。」
「・・・・・・。」
「調査をすると言われるけど、いつ調査をするとも答えられないのはおかしいん
じゃないですか。こちらは早く住民票が欲しいんです。必要性が高いものですか
ら。現地での調査を望まれるなら、今日にでも案内しますから、実際住んでいる
ところを確認してください。」
私は、淡々と主張した。本当に困っているのだ。住民票が手に入れられなくて。
皆さんはあまりピンとこないだろうが、参政権が得られない、国民健康保険が
使えない、重要な取り引きができない、図書館などの公的施設の利用ができない、
パスポートが取得できないなど、住民票が得られないことによる不利益というの
は、本当に計り知れない。
----その質問にも答えず困ったように首をかしげると、急に課長はクルッと向き
を変え、奥にある村長室に入っていった。
「こちらは急いでいますので、早くお願いしますよ。」
私は、カウンターから彼に呼びかけ、その部屋から出てくるまで待つことにした。
だが、何故か五分経っても、十分経ってもなかなか戻ってこない。
----どうしたんだろう。
いぶかしげに思いながらも、じっと私達は待っていた。すると、三十分ほど経っ
たときである。ようやく村長室のドアが開いて、課長がおもむろに出てきた。足
元を見つめながらゆっくりとこちらの方にやってくると、
「調査には行けません。」
と、言う。
「なぜ行けないんですか。理由を説明してください。」
私は、彼に問いただした。
普通、現地の立ち入り調査などというものは、住民票を受理する際に必要とさ
れるものではない。各家庭に立ち入り調査をして、風呂場をのぞいて確認したり、
押し入れにフトンが入っているのを確かめたりしなければ住民台帳に記載しない
というのは、日本人のだれが考えてもおかしなことである。
だがしかし、それを承知で----あまりにも不益が大き過ぎるので----こちらは
立ち入り調査まで申し出ているというのに、拒否する理由がどこにあるというの
か。
「・・・・・・。」
----沈黙、である。
「どうして答えられないんですか。」
何度も同じ言葉を繰り返したが、それでも彼はじっと黙ったまま何も答えない。
しばらくして、突然ふっと後ろを向くとつかつかと奥の方に歩いていく。そして、
自分のデスクに着くと、なんとそこに腰を降ろして座り込んでしまったのである。
「課長さん!」
私は、あっけにとられてしまった。
「こちらは急いでいるんです。」
デスクに座って何をしているのかと言うと、特に忙しい風もなく、ただボーッと
している。
「こちらが調査してくれるよう申し出ているのに、役場側は拒否するんですね!」
いくら呼びかけても、何の反応もない。完全な無視である。
「もう仕方ないですね。」
私も柴田さんも平田さんも、完全に呆れてしまい、これ以上いても無駄だと思っ
たので、その日はあきらめて帰ることにした。

◎「転入届通知書」を提出

私は、波野村に対して、不作為違法確認請求と損害賠償請求を熊本地裁に提出
した。むろん、住民票の件に関してである。
そして、だんだん時が経つにつれ、健康保健がないため虫歯に悩むサマナが歯
医者に行けない、パスポートが取れないため海外出張に行けないなど、住民票が
取得できないことによる、私達の被害は増大していった。
この間、オウム側は、その後も何度も文書などで立ち入り調査を許可するとい
うことを申し入れたのだが、いずれも無視されたのである。
仕方がないので、七月二十五日に「転入届通知書」を村に提出することにした。
これはつまり簡単に言うと、「二十六日、あるいは二十七日に手続きに行くから、
受理してください。現地調査が必要だというなら、ただちにそれに応じます。な
お、届け出後、三日以内に現地調査が行なわれないなら、『立ち入り調査の意思
がない』ことを公式に意思表示したものとみなします」というものである。
ところが----おそらくこれで村側も困り果てたのだろう。全く信じられないよ
うな行動に出たのである。

◎妨害

通知書において約束していた、二十六日と二十七日に、私達は結局転入届を出
すことができなかった。出しに行けなかったのではなく、”出せなかった”ので
ある。
では、なぜ出せなかったのだろうか、いったいこの二日間に何があったのだろ
うか。

(つづく)

聖称賛磨蔵

 

#186/999 資料室
★タイトル (QAA11022)  92/ 2/29  17:27  (200)
オウム真理教>波野村関連2 聖称賛磨蔵
★内容
七月二十六日
柴田と他四名が、約束どうり転入届を持って役場に行く。昼頃に着くと、驚い
たことに、ずらっと役場の周りを取り囲むようにして、村人と右翼が百数十人集
まっている。入り口の門のところに三列に並んで座り込み、「転入届を出しに来
たので入れてくれ」と言ってもいっこうに動かない。何とかしてもらおうと、中
にいた役場の人に呼びかけたが、単にニヤニヤ笑っているだけで、そのうち窓を
閉められてしまった。

仕方がないので、柴田が外から役場に電話をかけ、
「約束どうり来たのに、これでは入れない。入れてください。」
と言う。この間、ボックスを右翼がガンガン叩いて邪魔をする。こちらが無視を
すると、今度はボックスの横に車をつけて、スピーカーでがなり立てる。
騒ぎがだんだん大きくなるので、静めるために、今度は警察に電話する。
しばらくすると、一の宮警察の次長がやってきて、一応役場にきちんと指示し
てくれる。
村人は、
「オウムの味方すっとか!」
と、警察に向かって怒る。
役場は警察の注意により、村人を整理するため、順番に並べる。オウムはなぜ
か一番最後にさせられる。
結局その日は、牛の歩みのようにほとんど進まず、オウムの順番は回ってこな
かった。 役場は、最後に番号札を配り、
「明日はこの順番から始めます。」
と言う。オウムの番号は、百八十番くらいであったのだが、帰りがけ、ふとある
村人から七十一番の札をもらう。

七月二十七日
昨日のように入り口はふさがっていなかったので、柴田が急いで中に入る。中
には、十五人くらいの村人と右翼がいる。役場の人に、
「順番に並べてください。」
と言うと、村人から、
「ぬしゃぁー関係なかろが!」
と罵倒される。
柴田は、壁にあった登記の手数料の一覧表を写し始めた。すると、右翼がよっ
てきて、肩でどんどんと押しながら、
「お前ら、早く出ていかんか。最近、お前は臭くなった。臭い、臭い。
オウムは早く出ていけ。麻原は来とるんか。」
などとうるさく言うので、写せなくなる。
そこへ、塩田他一名のサマナがやってきたときに、役場の窓口では村人が騒ぎ
始めた。七十一番という異常に早い札を持っていたので、村人が驚いたのであろ
う(言い合っているときに、もう一名のサマナが入ってくる。)
そして、おそらく村側は、「このままでは、この牛歩作戦が駄目になってしま
う」と思ったのだろう。右翼と村人が、肩でどんどん押しながら、引っ張ったり、
振り回したりして、オウムの人間をすべて強制的に役所の外に出してしまう(こ
のとき、オウムの者は全員暴行を受ける。)
追い出された後、村人数人と右翼が、
「オウムの信徒に暴力を振るわれた。」
と、とんでもないことを言い出す。険悪な雰囲気になり出したので、危険を感じ、
オウムの者が警察を呼んでくる。警察を呼んだということで、少しその騒ぎが静
まった。
もちろん、このまま引き下がるわけにはいかないので、外から、
「番号札があるのに、ちゃんと並べないのはおかしいんじゃないか。」
と抗議する。
そのとき、突然一人の老人が出てきた。
「七十一番の札なら、わしも持っとるぞ。」
周りの村人が、待ってましたと言わんばかりに、
「お前の持っているのはニセモノじゃねーか。」
と、ワーワーわめく。その老人の札を見ると、真っ白の新品で、マジックの字も、
他のものとは違って細い。
柴田が、その老人に聞いた。
「その番号札は何時もらったのですか。」
「七十一番の番号札は、”今朝もらったんだ”。」
老人は、大声で堂々と、二回こう言う。
周りの村人は、大慌てで、
「そうじゃなかぞ。」
と、口々に言うが、後の祭りで、柴田はその言葉をしっかりと手帳に書き留めた。
そこへ警察が来て、事情聴取ということになる。
事情聴取は三時まで続き、三時半頃役場に戻ると、
「七十一番は保留。」
と言われ、結局この日も転入届を出すことができなかった。

◎住民票が受理されるのはいつか?

まるで、”子供だまし”のような話だと、皆さん思われるのではないだろうか。
私も、実は柴田さんからこの話を聞いたときは、思わず苦笑してしまった。数名
の人間が暴行まで受けているのだから、もちろん笑い事ではないのだが、あまり
にも----バカバカしいと言えば、バカバカしい。
ここまでして、なぜ住民票の受理を拒み続けなければならないのか。
それは、村と県の一部の上層部達の保身のためだと、私は考えている。実際、
この波野村の村長は、前回の村議選で、対立候補とたったの百五十票差で初当選
している。そのため、新しい住民が多量に入ってくれば、それだけでせっかく手
に入れた地位が危うくなってしまう。だから、オウムが波野村に住むのを恐れて
いるのだ。これは推測ではあるが、この尋常ではない妨害の仕方を見ると、そう
思われても仕方がないのではないか。

六月の下旬から始まったこの住民票不受理の問題は、今もまだ続いている。村
側の主張は、オウムが森林法・国土法・農振法に違反しているから、住民票を受
理しないんだとしているが、これはおかしなことである。実際は、森林法などに
は違反していない。しかも、仮に違反していたとしても、それが住民票不受理の
理由にはならない。なぜなら、それらは軽微な取締法規について行政側が一方的
に嫌疑をかけ、こじつけているにすぎないからである。例えば、重大な犯罪を犯
した者が、適正な手続きを経て禁固以上の刑に処せられるなど、法定の要件を満
たしてはじめて選挙権の行使を制約できる。しかし、波野村はオウム真理教の信
者であるというただそれだけの理由で、一切の参政権のみならず、住民としての
すべての人権を剥奪しているのである。
いずれ、この件に関する裁判が始まると思われるが、私は負ける可能性という
のはほとんどないと考えている。もし万が一負けたとしたら----この日本に、も
はや法はないと言わざるを得ないだろう。

(ここからは、「戦え!真理の戦士達」第四回「無法地帯」です。)

ここ二ヵ月あまり、新聞を読むことをやめていました。以前は尊師に、”活字
中毒”と評されるほど、何かしらお読まずにはいられなかった私ですが、ある日
ふと、新聞から得る情報などなければないですんでしまうということに気付いた
のです。もとより、見ることと聴くことはあまり得意でないがために、テレビや
ラジオは遠ざけており、これで一切の世の中の動きに関する情報は遮断されたこ
とになります。
それで不自由はないのか、と思われる方もいて当然でしょう。しかし、何一つ
不自由は感じませんでした。むしろ、そういうものに目を向けるよりは、瞑想し
た方がよっぽど私にとって意義あるものであるという確信が持てました。
第一、この日本に、あるいは世界に流されている情報のどれだけが真実である
か、疑問に思うところです。一連のオウム叩きの渦中にあってみて、特にそれを
身に染みて感じました。
例えば、”オウム真理教信者と波野村村民が衝突した”と報道された事件の夜、
私は現場に居合わせ、それを目の当たりにしました。したがって、状況もよく知っ
ています。
ところが、新聞もテレビも正確な報道をせず、オウムが悪者になるように仕組
んでしまっているのです。 それは原因からして曲げられていました。一般に”
大型車通行止めの道路に、オウムが無理やりバスを入れようとしたため、それを
阻止しようとした村民との間に衝突が起こった”とされていますが、その表現は
全くもって不正確であるとしか言いようがありません。
どういうことかというと、村側がオウムに何の事前の通告もなく突然工事を始
め、他に迂回路を持たないオウムの車両の通行妨害を企てたのです。それは、さ
したる必要のない工事であるばかりでなく、通行止めは公安委員会の承認さえ受
けていないというもの。ですから、バスが通りたかったら別に通っても構わない
わけで、通行を実力で阻止するなどと息巻く村民の方が違法行為を行っているこ
とになるのです。
それなのに、村民は乳児を含む女性や子供だけが乗ったバスの前に立ちはだか
り、非暴力の実践者であるサマナ(出家した弟子)に殴る蹴るの暴行を加え----
あげくの果てには、病院へ運ばれようとしているケガ人を救急車から引きずり降
ろすなど、我が目を疑うような光景が繰り広げられたのでした。
無法地帯! この日本にこんな無法地帯が存在していただなんて・・・・。地元の
警官も、村民の暴行を見て見ぬふり。それどころか、村民と一緒になってサマナ
に暴力を振るう警官までいるのですから、そのひどさが知れようというもの。つ
いに、暴力警官の写真を取ろうとしたサマナが、反対に逮捕されてしまいました。
もちろんこれは、現行犯逮捕の要件が全く存在していない不当逮捕でしたので、
サマナは間もなく何の取り調べもないままに帰されてきました。とんだ茶番劇で
す。しかし、警官が自らの権力を過信しているということを思うと、笑いごとで
はありません。
この一件で、オウムは村民も警察も告訴しました。が、これまでに何の進展も
ありません。他の暴力事件にしても、村がオウム関係者の転入届を受け付けない
という違法行為にしても、同じように進展はありません。その間にも、オウムに
関するありもしないようなニュースが流れたり、いろいろな方面で有形無形の妨
害をされ続けたりしているのです。
心ある人は、「おかしい」ということに気付かれておられると思います。しか
し、大多数の人は偽情報によってオウム真理教を誤って受け取り、オウム真理教
が今こうして弾圧を受けていることなどにも全く気が付かないままなのではない
でしょうか。そうしておいて、オウム真理教を抹殺する----これこそ影の大きな
力が狙っていることであるに違いありません。
麻原彰晃尊師は、宗教新聞社のインタビューに答えてこうおっしゃっています。

----法を説いていくためには、ここで妥協はできない。例えば叩かれようと、あ
るいは殺されようとも、法を捨てるわけにはいかない。これがオウム真理教の取っ
ている立場なんです。そして、それこそが本当の意味での慈悲だし、本当の意味
での愛だと考えます。当然、為政者や政治的な立場に立つ者にとっては、オウム
真理教は厄介なものだと思います。それは国家的価値観と違った価値観を持つグ
ループが存在したわけですから。これは早くつぶさなければならないと躍起にな
るでしょう。しかし、私達が今、すべての魂にアピールしなければならないこと
は、今の生き方をしていたら、あなた方は次の生で大変ですよ、あるいは、とん
でもない破局が起きるかもしれませんよと。それを改め、とにかく瞑想しなさい
よ、そして、実際に正しい生き方をしなさいよ、と。それをアピールするために、
今叩かれているわけですね。----

影の大きな力は、行政・警察・マスコミ----とあらゆる方面からオウムを叩き
つぶしてゆこうとしています。しかし、私達はどんなことがあろうとも法を捨て
ることはないでしょう。そしてそれは、自分のためだけでなく、すべての魂のた
めでもあるのです。
----私が新聞から離れている間に、日本は大変な局面を迎えていました。他で
もない、第百十九回臨時国会の最大の焦点となっている「国連平和協力法案」の
ことです。これは、つまりは武力行使の目的を持つ国連軍に自衛隊を参加させよ
うという動きであり、イラクのクウェート侵攻に端を発したペルシャ湾岸危機が、
わずか二ヵ月でこんなにもエスカレートしてしまおうとは思いもよりませんでし
た。
自衛隊の存在そのものが違憲であるという論争に決着も付けないまま、政府は、
なし崩し的に日本を世界でも有数の防衛予算を持つ軍事国にしてきました。その
うえに、最後の歯止めともなってきた”自衛隊の海外出動禁止”という一九五四
年の平和憲法に基づく国会決議までもが、もはや歯止めではなくなろうとしてい
るのです。
このままでは、いずれこの日本が戦争への道を突き進んでいってしまうことは
避け難いものとなってしまうでしょう。
一九八七年に尊師が予言されていたことが、ここにきて鮮やかに適中してきて
いることに戦慄します。尊師は、日本が平和を享受しているさなかにこういう予
言をされていたのです。

----日本は、アメリカ・ヨーロッパとのね、経済摩擦をきっかけとして、少しず
つじり貧の生活に入っていくだろう。その本当の口火が切られるのは一九九〇年
だ。九三年に再軍備だよ。いいですか。そして、一九九九年から二〇〇三年まで
に確実に核戦争が起きる----

既に経済摩擦が表面化しています。そして、一九九〇年、つまり今年、日本は
暴走を始めるか始めないかという瀬戸際に立っています。もし、暴走を選択して
しまったなら、次に来るものは間違いなく再軍備。
日本人が、為政者が都合の良いように流す情報に左右されて真実を見失い、考
える能力をマヒさせられてしまったまま世紀末を迎えるのなら、そこにはただ、
破局があるのみなのです。
しかしながら、曇りなき眼を持って見ていただけるならば、歴史を動かそうと
している影の力が何をもくろみ、オウム真理教がいかにそれを阻止しようと真理
の戦いを続けているのかが見えてくることでしょう。

聖称賛磨蔵

 

#187/999 資料室
★タイトル (MQM47158)  92/ 3/ 1  18:31  (145)
ナンディヴィサーラ輪廻転生談 ウパティッサ
★内容
ナンディヴィサーラ輪廻転生談(ナンディヴィサーラ・ジャータカ)


◆--喜ばしいことのみを言いなさい。

これは、尊師がジェータ(勝利者)林にとどまっておられたときに、六人で
集団をなしている向煩悩滅尽多学男の侮辱する言い方に関して講演なさったも
のです。


そのとき、六人で集団をなしている者たちは喧嘩をし、友好的な向煩悩滅尽
多学男たちを罵り、軽蔑し、悩ませ、十の毒舌の根拠について毒づきました。
向煩悩滅尽多学男たちは、世尊にお告げしました。世尊は六人で集団をなして
いる者たちを呼びにやり、お尋ねになりました。
「向煩悩滅尽多学男たちよ、それは実際に本当か。」
「本当です。」
と申し上げたので、お叱りになりました。
「向煩悩滅尽多学男たちよ、悪口というものは、動物でも愉快なことではない。
前世においても、一匹の動物が、自分自身を乱暴に攻撃した者に対して、金千
個を負けたことがあるのだ。」

このように言って、物語をお話しになったのです。

その昔、ガンダーラ(香料を所有している)王国のタッカシラー(宝石のよ
うな見解の都市)に、ガンダーラ国王が君臨しておりました。
到達真智運命魂は、牛の子宮に生じました。そして、幼い子牛のとき、一人
の祭司が牛の布施を施す人たちの面前に行って、雄牛を得て、ナンディヴィサ
ーラ(広大な喜悦)と名付けたのです。そこで、子供のいる場所で大切にし、
親切に扱い、お粥の食事などを施して扶養しました。到達真智運命魂は、青年
に達して思念しました。

「この祭司は困窮しているのに、わたしを育ててくれた。そして、バラリンゴ
の大陸すべてにおいて、わたしと等しい積み荷雄牛は、他には存在しない。わ
たしは自分自身の能力を見せて、祭司に養育費を施そう。」

同じ日に、彼は祭司に言いました。

「行きなさい、祭司よ。牛を財産とする一人の裕福な商人の所に行き、
『わたしの雄牛は連結された百台の牛車を転がします。』
と言って、金千個で賭をしなさい。」

その祭司は裕福な商人の面前に行って、会話を始めました。

「この市で、だれの雄牛が力に恵まれているだろうか。」

すると、彼に裕福な商人は言いました。

「これこれとこれこれです。しかし、市すべてにおいて、わたしの雄牛と同じ
ものはありません。」

そう言うと、祭司は言いました。

「わたしの一頭の雄牛は、連結された百台の牛車を転がすことができます。」

裕福な商人である後援者は言いました。

「どこにそのような雄牛がいるのですか。」

「わたしの家にいます。」

と、祭司は言いました。

「それじゃあ、賭をしませんか。」

「素晴らしいことです、しましょう。」

と、金千個で賭をしたのです。
彼は百台の牛車に、砂・砂利・石を満たして、連続して設置し、すべてを車
輪の回転軸に縛っている牛車のくびきの綱で一つに縛って、ナンディヴィサー
ラを水浴させ、香料につけた足形を施し、のどの花飾りによって美しさを引き
立て、先行する牛車の積み荷に単独でつないで、自ら積み荷に座り、鞭を取り
上げ言いました。

「引っ張れ、大ぼら吹き。運ぶんだ、大ぼら吹き。」

到達真智運命魂は思いました。

「この者は、大ぼら吹きではないわたしを大ぼら吹きという言い方で攻撃して
いる。」

そこで、四本の足を柱のようにして、まさにじっとしていたのです。裕福な
商人はその場で、祭司の金千個を持ってこさせました。祭司は金千個を負けて、
雄牛を解き放ち、家に行き、不運な出来事に征服されて横になったのです。
ナンディヴィサーラは歩き回って近付き、不運な出来事に征服されている祭
司を見て行くと、言いました。

「祭司よ、どうして寝ているのですか。」

「金千個を負けたのに、どうしてわたしが睡眠をとれるんだ。」

「祭司よ、わたしがこんなに長い間あなたの家に住んでいるのに、陶器か何か
を以前に壊したり、何かを以前に押しつぶしたり、ところでまた、不適当な場
所で大便や小便を以前にしたことがありますか。」

「牛よ、したことはない。」

「それではなぜ、わたしを大ぼら吹きという言い方で攻撃したのですか。これ
はあなたの邪悪心であり、わたしの邪悪心ではありません。行って、彼と金二
千個で賭をしなさい。ただ、大ぼら吹きではないわたしを大ぼら吹きという言
い方で攻撃してはいけません。」

祭司はその言葉遣いを聞いて、行って金二千個で賭をして、以前のとおりに
百台の牛車を連結し、ナンディヴィサーラを飾って、先行する牛車の積み荷に
つなぎました。どのようにつないだのかというと、積み荷にくびきをしっかり
と縛って、一つの端にナンディヴィサーラをつなぎ、一つの端に積み荷の牛車
のくびきの綱を張って、くびきの端と車輪の回転軸の最下部の近くにつるつる
の木の棒をあてがい、その牛車のくびきの綱によって、しっかりと縛って設置
したのです。
実にこのようにして、くびきはあちこちに行くことなく、一頭の雄牛で引く
ことができるようになったのです。そこで、祭司はその積み荷に座って、ナン
ディヴィサーラの背中に触れて言いました。

「引っ張ってください、尊者よ。運んでください、尊者よ。」

到達真智運命魂は、連結された百台の牛車を一度にすばやい動作で引いて、
後ろにとどまっていた牛車を前方にとどまっていた牛車の場所にとどまらせま
した。牛を財産とする裕福な商人は負けて、祭司に金二千個を施し、別の者た
ちもまた到達真智運命魂に対し数多くの財産を施し、すべてがまさに祭司のも
のになったのです。このように、到達真智運命魂によって数多くの財産を得た
のです。

「向煩悩滅尽多学男たちよ、悪口というものは、だれにとっても愉快なもので
はない。」

このように、尊師は六人で集団をなしている者たちを叱責し、学問の基礎を
認識させ理解させ、現正覚した後、この詩句を唱えられたのです。

喜ばしいことのみを言いなさい。

決して喜ばしくないことを言ってはならない。

喜ばしいことを言う者のために、

重い荷を引き上げ、

彼に財産を得させ、

それによって大喜びした。

このように、尊師は喜ばしいことこそを言うべきなのだと言って、この法則
を説くことをもたらし、輪廻転生談に当てはめられたのです。


「そのときの祭司はアーナンダ(快楽)であり、そして、ナンディヴィサーラ
は、まさにわたしなのである。」

 

#188/999 資料室
★タイトル (MQM47158)  92/ 3/ 5  15:52  (141)
真実輪廻転生談 1 ウパティッサ
★内容

 

真実輪廻転生談(アパンナカ・ジャータカ)


さてこれは、覚者がサーヴァッティーの近くのジェータ林の大精舎にとどま
っておられたときに、真実の法則を説くことについてお話しになったものです。
それでは、だれについてこの話が生じたかというと、長者の仲間である五百
人の外道の多学の弟子についてです。
ある日、実にアナータピンディカ長者は、自分の仲間である五百人の外道の
多学の弟子を連れ、多くの花飾り・香料・化粧品ばかりではなく、油・蜂蜜・
糖蜜・衣服・衣類をも持たせて、ジェータ林に行きました。そして、覚者に礼
拝し、花飾りなどで供養して、医薬品だけではなく衣服をも向煩悩滅尽多学男
出家教団に贈り、六つの誤った座り方を避けて、傍らに座りました。
彼ら外道の多学の弟子も、真理勝者に礼拝し、尊師の満月のような輝かしい
顔、顕著な特徴と属性で飾られ、一尋の光に取り囲まれた神聖天の身、何重に
も円を描き、何重にも対になって広がっている重厚な覚者の光を見ながら、ア
ナータピンディカの近くに座りました。そこで、マノーシラー平原で獅子吼す
る若いライオンのように、とどろく雷雲のように、銀河を降ろすように、宝石
の花飾りをかけるように、八部分を具足し、耳に心地よく美しい神聖天の声に
よって、彼らのために様々な方法で彩られた甘美な法則の話を語られたのです。
彼らは尊師の説かれた法則を聞いて、浄信ある心となり、立って十力者に礼
拝し、外道に帰依するのをやめ、覚者に帰依するようになりました。それ以後、
彼らは絶えずアナータピンディカと共に香料・花飾りなどを手にして精舎に行
き、法則を聞き、布施をして戒を守り、戒誓行を行ないました。

 

 

そこで、覚者は再びサーヴァッティーからラージャガハに向かわれました。
ところが、真理勝者が行かれたとき、彼らは覚者に帰依するのをやめ、再び外
道に帰依して、自らの元の状態に戻ってしまったのです。

そして、覚者は七、八カ月過ごした後、再びジェータ林に戻ってこられまし
た。そこで、アナータピンディカはまた彼らを連れて、尊師のもとを伺い、香
料などを尊師に供養し、礼拝して傍らに座りました。彼らもまた、覚者に礼拝
して傍らに座りました。そこで、真理勝者が遊行に去られたとき、彼らが持っ
ていた帰依をやめ、再び外道に帰依して、元に戻ってしまう状態を覚者にお告
げしました。

覚者は、無限千万カルパもの間絶え間なく続けられた、言葉における善行と
威神力とによって、天の香りが集められ様々な香りに満たされた宝石箱を開か
せるように、紅蓮華の口を開き、甘美な声を出して、質問なさいました。
「聞くところによると、あなた方帰依信男は、三つの帰依をやめ、外道に帰依
したそうだが、それは本当か。」
彼らは隠すことができずに、
「覚者よ、本当です。」
と言いました。そこで、尊師はこうおっしゃいました。
「帰依信男たちよ、下は超期間地獄、上は神々の中で最も高い位置の生存を領
域とし、横は無量の世界の要素において、戒などの徳を備えた覚者と同じ者は
いない。どこに、より優れた者があるだろうか。」
そして、
「向煩悩滅尽多学男たちよ、諸々の衆生で、足のないもの、あるいは二本足の
もの、あるいは四本足のものに関しては、真理勝者がそれらの中で第一である
と宣言される。」
「この世でもあの世でも、どんな財産があろうとも。」
「浄信ある者たちにとって、まさに最上であるゆえに。」
などの経によって明らかにされた三宝の徳を明らかになさいました。
「このような最高の徳を具足している三宝に帰依している帰依信男や帰依信女
は、地獄などに生まれ変わる者とはならず、また出離に生まれた者は解脱して
天界に転生し、大いなる至福を経験するのである。それゆえに、あなた方がこ
うした帰依をやめて、外道に帰依したことは間違っている。」
ここで、解脱するために、最高のもののために、帰依した者は離別に生まれ
変わることがないことを明らかにするために、これらの経を示さなければなりません。

覚者の帰依処に達した人々はだれもが、
離別に行くことはなく、
人間の身体を捨断して、
神の身体を完全にするだろう。

法則の帰依処に達した人々はだれもが、
離別に行くことはなく、
人間の身体を捨断して、
神の身体を完全にするだろう。

出家教団の帰依処に達した人々はだれもが、
離別に行くことはなく、
人間の身体を捨断して、
神の身体を完全にするだろう。

恐怖に脅かされた人々は、
  山、林や、
園の神聖な樹といった、
多くの帰依処に行く。

まさにこれは安らぎの帰依処ではなく、
これは最高の帰依処ではない。
この帰依処によって、
すべての苦しみから解放されることはない。

覚者と法則と出家教団の
帰依処に達した者は、
正しい智慧によって、
四つの絶対的真理を見る。

苦しみ、苦しみの生起、
苦しみの超越と、
苦しみの寂静に至る、
聖なる八段階の道。

まさにこれは安らぎの帰依処であり、
これは最高の帰依処である。
この帰依処によって、
すべての苦しみから解放される。


尊師は、彼らにこんなにも多くの法則を説き示したばかりではなく、さらに、
「帰依信男たちよ、覚者の記憶修習に従う要素の蓄積の道理、法則の記憶修習
に従う要素の蓄積の道理、出家教団の記憶修習に従う要素の蓄積の道理は、預
流の道を与え、預流の果報を与え、一来の道を与え、一来の果報を与え、不還
の道を与え、不還の果報を与え、供養値魂の道を与え、供養値魂の果報を与え
る。」
と、このような方法で、また法則を説き示されました。そして、こうおっしゃ
いました。
「実に、あなた方がこうした帰依をやめるのは間違っている。」
ここで、覚者の記憶修習に従う要素の蓄積の道理が、預流の道などをもたら
すことについては、こうおっしゃいました。
「向煩悩滅尽多学男たちよ、一つの法則を修習して、真面目に行なうならば、
完全なる現世否定・離愛著・滅尽・寂静・証智・正覚・煩悩破壊に導くのであ
る。それでは、一つの法則とは何であろうか。それは、覚者の記憶修習に従う
ことである。」
こうした主要な経典によって説明されることでしょう。
このように、覚者は様々な方法で帰依信男に訓戒して、
「帰依信男たちよ、過去世において、人々は『帰依処ではないところを帰依処
とする』という、間違った見解にとらわれることと妨げにとらわれることによ
ってとらわれて、人間ではない者が出没する荒野で、人食い鬼神の餌食になり、
大いなる破滅に達した。しかし、真実の把握と明白な把握と妨げのない把握を
した人々は、実にその荒野の中でも、安全な状態に達したのである。」
と説き、沈黙なさったのです。そのとき、アナータピンディカ長者は、座を立
って覚者に礼拝し、称賛し、頭上で合掌して、このように申し上げました。
「尊師よ、今こそ、彼ら帰依信男たちが最高の帰依をやめ、間違った見解にと
らわれていることが、わたしたちに明らかになりました。しかし、過去世にお
いて、人間ではない者が出没する荒野で、間違った見解を持つ者たちが破滅し、
真実の把握をした人々が安全な状態であることは、わたしたちには隠されてお
り、あなた方にとっては実に明らかです。どうか覚者は、空に満月を昇らせる
ように、この原因を明らかになさってください。」

 

 


#189/999 資料室
★タイトル (MQM47158)  92/ 3/ 5  15:57  (148)
真実輪廻転生談 2 ウパティッサ
★内容


そこで、覚者は、
「長者よ、わたしは計り知れない時において、十の徹底を満たし、世界の不信
を取り除くために、実に全智の精通を洞察した。ライオンの脂で黄金の筒を満
たすように、注意深く耳を傾けて聴きなさい。」
と、長者に記憶修習が生起するようにし、吹雪に隠されていることを破壊して
満月を取り出すように、前生によって隠された原因を明らかになさったのです。

その昔、カーシ国のバーラーナシーの街に、〈神聖賦与〉という名の王がお
りました。そのとき、到達真智運命魂は隊商指導者の家に転生し、やがて成人
に達して、五百台の荷車で商売をし、放浪しておりました。彼は、ある時は東
から西へ、またある時は西から東へと行きました。また、バーラーナシーには
別の隊商指導者の息子がおりましたが、愚かで無智であり、巧みな方法があり
ませんでした。
あるとき、到達真智運命魂は、バーラーナシーから高価な商品を乗せ、五百
台の荷車を満たし、移動の準備をしてとどまっておりました。その愚かな隊商
指導者の息子も同じように、五百台の荷車を満たし、移動の準備をしてとどま
っておりました。到達真智運命魂は考えました。

「もし、あの愚かな隊商指導者の息子が、わたしと共に行くならば、千台の荷
車が一緒に道を行くことになり、道は適さないだろう。人々にとっては薪や水
などが、また、牛たちにとっては草が得難くなるに違いない。彼かわたしのど
ちらかが先に行った方がいいだろう。」

そこで、彼は彼を呼びに行き、このことを告げて言いました。

「わたしたち双方が一緒に行くことはできないでしょう。あなたは先に行きま
すか、それとも後ですか。」

「わたしが先に行けば、多くの利益がある。荒れていない道を行くことができ
るし、牛たちは手を着けていない草を食べることができるし、人々には手を着
けていないスープの葉っぱや澄んだ水があるし、望みどおりの値段をつけて商
品を売ることができるだろう。」

こう彼は考えて言いました。

「友よ、わたしが先に行こう。」
これに対して、到達真智運命魂は、後から行った方が多くの利益があること
に気付き、こう考えました。

「先に行った者は、道のでこぼこな所を平らにするだろう。私は彼の通った道
を行こう。先に行った牛たちによって、生長しきって堅くなった草は食べられ、
わたしの牛たちは生えたばかりのおいしい草が食べられるだろう。人々にとっ
ては、葉っぱが摘まれた所から生えたスープの葉っぱはおいしいに違いない。
彼らは水のない所を掘って、水を生じさせるだろう。他の人によって作られた
泉で、わたしたちは水を飲もう。値段を決めることは、全く人々にとっては、
生命を奪うことに等しい。わたしは後に行って、彼らが決めた値段で商品を売
ろう。」

このように、彼はこんなに多くの利益があることに気付いて言いました。

「友よ、あなたが先にお行きなさい。」

「友よ、わかった。」

と、愚かな隊商指導者は荷車を用意して出かけ、やがて人間の住みかを通り過
ぎて、荒野の入り口に達しました。

  荒野には、盗賊の荒野・猛獣の荒野・水なしの荒野・人間ではない者の荒野
・飢餓の荒野という名の五種類があります。そこでは、盗賊たちが猛威を振る
った道が、盗賊の荒野と呼ばれ、ライオンなどが猛威を振るった道が、猛獣の
荒野と呼ばれ、゚迫≠オたり飲んだりする水がない所が、水なしの荒野と呼ばれ、
人間ではない者が猛威を振るった所が、人間ではない者の荒野と呼ばれ、根や
硬い食べ物などがない所が、飢餓の荒野と呼ばれているのです。

この五種類の荒野の中では、その荒野は、水なしの荒野と人間ではない者の
荒野でした。それゆえに、その隊商指導者の息子は、大きな大きなかめを荷車
に置いて水を満たさせ、六十ヨージャナ(約八百四十キロメートル)の荒野に
入りました。

そして、その荒野の真ん中に達するときはいつも、荒野に住んでいる人食い
鬼神は、

「その持ってる水を捨てさせて、弱らせて、あいつら全員を食ってやろう。」
と、純白の若い牛につながれた、心喜ばせる二輪車を神通力によって現わすの
です。そして、弓と矢筒と盾と武器を手にした、十や十二の人間ではない者に
囲まれて、青蓮華や黄蓮華を着け、濡れた頭と濡れた衣服で、人間の主人のよ
うにその二輪車に座って、泥まみれの車輪で、こちらにやってきました。取り
巻きの人間も、彼の前と後ろを歩き、濡れた髪と濡れた衣服で、青蓮華や黄蓮
華の花飾りを着け、紅蓮華や白蓮華の束を持って、蓮の若芽をかみ、水滴と泥
を滴らせながら進んできました。

  ところで、隊商指導者たちは、向かい風が吹くときは、二輪車に座り、前方
を侍者に囲まれて塵を防ぎながら前を進み、後ろから吹くときは、そうした方
法によって後ろを進むのです。そして、そのときは向かい風だったので、その
隊商指導者の息子は前を進みました。

 


人食い鬼神は、それがやってくるのを見ると、自分の二輪車を道端によけさ
せ、

「どこにいらっしゃるのですか。」

と、彼と親しみを込めた挨拶を交わしました。隊商指導者も自分の荷車を道端
によけ、荷車の進む場所を空けて傍らにとどまり、その人食い鬼神に言いまし
た。

「友よ、わたしたちは、今バーラーナシーからやってきたところです。ところ
で、あなた方は青蓮華や黄蓮華を着け、紅蓮華や白蓮華を手にして、蓮の若芽
をかみ、泥まみれで水滴を滴らせながらいらっしゃいました。あなた方が来ら
れた道には、雨が降っていて、青蓮華などに覆われている池でもあるのですか。

と尋ねました。人食い鬼神はその話を聞いて、

「友よ、なぜそんなことをお話しなさるのかな。あの青い林の連なりが見えま
せんか。あそこから森全体には、一面に水があり、絶えず雨が降っていて、谷
間は満水となっており、至る所に紅蓮華などに覆われた池があるのです。」
と語り、引き続き荷車を進めながら尋ねました。

「この荷車を持って、どこに行かれるんですか。」

「これこれの村なのです。」

「それぞれの荷車には、どんな商品があるのかな。」

「これこれの商品があります。」

「後ろから来ている荷車は、この上なく重たそうに来ていますが、あれにはど
んな商品があるのかな。」

「あれには水があるのです。」

「よそからこれだけの水を運んでくるとは、あなた方は好ましいことをなさい
ました。しかし、ここからは水を運ぶ必要はありません。前方には多くの水が
ありますから。かめを壊して、水を捨てて、楽にお行きなさい。」
と言い、さらにこう言いました。

「あなた方はお行きなさい。わたしたちは遅れてしまいました。」

そして、少しばかり進んで、彼らの見えない所に達してから、自らの人食い
鬼神の城塞に戻ったのです。
その愚かな隊商指導者は、自らが愚かであるために、人食い鬼神の言葉を真
に受けて、かめを壊させ、一すくいほどの水さえも残さずに、すべて捨てさせ
て荷車を引かせました。前方には少しの水もありません。人々は飲み水が得ら
れず疲れ果てたのです。

彼らは日没まで進むと、荷車を外して円形に並べ、牛たちを車輪に結びまし
た。牛たちの水も人々の粥の食事もありません。こうして、弱った人々は至る
所で横たわり、眠りに就きました。
そして真夜中のこと、人食い鬼神たちは人食い鬼神の城塞からやってきて、
牛たちと人々すべての命を奪い、肉を食べ、骸骨を残して去ったのです。
このように、一人の愚かな隊商指導者の息子によって、彼らすべてが破滅を
来たし、手の骸骨などが四方八方に散らばり、五百台の荷車は満載したまま残
されたのです。

#190/999 資料室
★タイトル (MQM47158)  92/ 3/ 5  16: 1  (138)
真実輪廻転生談 2 <Eパティッサ
★内容
さて、到達真智運命魂は、愚かな隊商指導者の息子が出発した日から、ひと
月半を過ごした後、五百台の荷車と共に街を出発し、まもなく荒野の入り口に
達しました。そこで、彼は水がめを満たし、多くの水を持つと、キャンプで大
太鼓を鳴らして人々を集め、こう言いました。

「わたしに尋ねないで、一すくいほどの水も使ってはいけません。荒野には毒
の木というものがあります。葉も花も果実も、今まで以前に食べたことのない
ものは、わたしに尋ねないで食べてはいけません。」

 


このように人々に忠告を与えてから、五百台の荷車は荒野に入りました。

彼が荒野の真ん中に達したとき、かの人食い鬼神は、前のやり方で到達真智
運命魂の反対の道に、姿を現わしました。到達真智運命魂は、彼を見て悟った
のです。

「この荒野には水がない。水なしの荒野というのはこのことだ。彼の赤い目は
恐れを知らない。その影も見えない。きっとこいつによって、先に行った愚か
な隊商指導者の息子は、水をすべて捨てさせて疲れ果てて、一行ともども食べ
られたに違いない。だが、わたしの賢さや巧みな方法を知らないはずだ。」

そして早速、彼に言いました。

「あなた方は立ち去りなさい。わたしたちは貿易商だ。別の水を認めないで、
持っている水を捨てたりはしない。水を認めた場所で捨てて、荷車を軽くして
行く。」

そこで、人食い鬼神は少しばかり進んで、見えない所に達してから、自らの
人食い鬼神の城塞に戻ったのです。人食い鬼神が去ったとき、人々は到達真智
運命魂に言いました。

「隊長、この人たちは、
『この青い林の連なりが見えますが、そこから先は、絶えず雨が降っています。』
と言って、青蓮華や黄蓮華の花飾りを着け、紅蓮華や白蓮華の束を持って、蓮
の若芽をかみながら、濡れた衣服と濡れた頭で、水滴を滴らせながらやってき
ました。
『水を捨てて、軽い荷車で早く行きましょう』と。」

到達真智運命魂は彼らの言葉を聞き、荷車を止めさせ、人々すべてを集めさ
せて、こう尋ねました。

「あなた方は『この荒野に湖や蓮池がある』と、だれかに以前聞いたことがあ
るか。」

「隊長、以前聞いたことはありません。水なしの荒野というのはこのことです。」

「今、ある人たちは、
『この青い林の連なりの向こうでは、雨が降っています。』
と言ったが、雨風というものは、どれくらいの所を吹くだろうか。」

「隊長、一ヨージャナほどの所です。」

「お前たちのだれかの体を、雨風がたたきつけていったことがあるか。」

「隊長、それはありません。」

「雲の頂というものは、どれくらいの所で見えるのだろうか。」

「隊長、一ヨージャナほどの所です。」

「お前たちの中でだれか、雲の頂をひとつでも見た者はいるか。」

「隊長、いません。」

「稲妻というものは、どれくらいの所で見えるのだろうか。」

「隊長、四、五ヨージャナの所です。」

「お前たちの中でだれか、稲妻が光るのを見た者はいるか。」

「隊長、いません。」

「雷鳴というものは、どれくらいの所で聞けるのだろうか。」

「隊長、一、二ヨージャナほどの所です。」

「お前たちの中でだれか、雷鳴を聞いた者はいるか。」

「隊長、いません。」

「あいつらは人間ではない。あいつらは人食い鬼神である。わたしたちに水を
捨てさせ、弱らせてから、『食べよう』とやってきたに違いない。先に行った
愚かな隊商指導者の息子は、巧みな方法がなく、きっと彼はあいつらによって
水を捨てさせられ、疲れ果てて食べられたに違いない。
五百台の荷車は、満載したまま残されているに違いない。今日、わたしたち
はそれらに出くわすだろう。一すくいほどの水さえも捨てずに、迅速に走りな
さい。」

と走らせたのです。
彼が進んでいくと、満載した五百台の荷車と、牛や人間の手の骸骨などが四
方に散らばっているのを出会いました。そこで、荷車を外させ、荷車の円形の
キャンプを張らせたのです。そして、いつもより早めに、人々と牛たちに夕食
を食べさせ、人々の真ん中に牛たちを寝かせ、自分で隊の指導者たちを率い、
刀を手にし、夜の三更の間、警備に当たったまま日の出となりました。
翌日の朝早く、すべての用事を終わらせ、牛たちに食べさせてから、もろく
なった荷車を捨てて、しっかりしたのを取らせ、安価な商品を捨てさせて、高
価なものを載せました。そして、ちょうど予定の場所に行って、二倍三倍の値
段で商品を売り、集団をすべて連れて、また自分の街へ戻ってきたのです。

尊師はこの話を語り、

「長者よ、このように、過去世において、間違った見解にとらわれた者たちは
大いなる破滅に達し、真実の把握をした者たちは人間ではない者の手から逃れ、
安全に望んだ場所へ行き、また自らの場所へ戻ったのである。」

と、二つの事を結び付けて、この真実の法則を説くために、現正覚して、この
詩句を唱えられました。

ある者は、真実の道理を語り、
間違った見解を持つ者は、劣ったことを語る。
頭の良い者はこれを悟り、
真実のものを取りなさい。

このように、覚者はその帰依信男たちに、

「六つの愛欲天界における三つの善の達成と神聖天界の達成を授け、最後に供
養値魂の道を授けるものは、真実の方法といわれる。また、四つの離別と五つ
の卑しい一族への転生を授けるものは、枝葉末節の方法といわれるのである。」

と、この真実の法則を説くことを表わし、さらに四つの真理を十六の状態によ
って明らかになさいました。真理を説き終わられると、その五百人の帰依信男
たちは、すべて預流の果報を確立したのです。


尊師は、この法則を説いて表わし、二つの事を語った後、関係を示して、輪
廻転生談に当てはめて表わされました。

「そのときの愚かな隊商指導者の息子はデーヴァダッタであり、その集団はデ
ーヴァダッタの集団であった。賢い隊商指導者の息子の集団は覚者の集団であ
り、また、賢い隊商指導者の息子は、このわたしなのである。」

 

こうして教えを終えられたのです。

 

 

最終更新:2018年01月06日 19:59