#191
/999 資料室
★タイトル (QAA11022) 92/ 3/ 6 21:44 (198)
オウム真理教>説法>今、なぜオウム真理教か? その2
★内容
この人生をどのように生きたらいいか、その答を見いだすのが
真の智慧あるものの生き方である。
では、自分という壁を乗り越え、わたしたちに本当の喜びと
自由を与える教えはあるのか?
今、なぜオウム真理教か? その2.
《 89・3・19 仙台ポア・セミナーにて 》
はい、それでは、今日の講話に入りましょう。
今日はね、いったい何をもって正しい宗教とするのかと、そして、何をもって
正しい教えとするのかについてね、話したいと考えます。
この地球上にはたくさんの宗教がある。たくさんのおしえがある。そして、
この日本に数万とも数十万ともいわれる宗教が存在している。わたしたちが、
その中のどの法を採るか、----まあ、これは、仏教の、七覚支と言ってね、解
脱にいたるための補助的な技法の中の一つの中の択法覚支、つまり、どの法を
選択するかという一つの修行法があるわけだけども、それに相当する、今日の
話なんだね。
まず、ここにひとりの凡夫、いまだ真理を知らないものがいたとしようと。
しかし、この人はある程度の知性の持ち主で、ある程度の正しい判断ができる
条件を備えていたと。まずこれが前提条件になると。なぜならば、もし見る側
がまったく正しくものを見られない状態であったならば、この択法覚支の話と
いうものは、存在しないからであると。
そして、ここにある程度ものを正しく判断できる凡夫がいて、----この凡夫
というのは、どういう意味かというと、まだ真理は知らないと。要するにふつ
うの生活をしている人という意味だね----何等かで困ったと。あるいは精神的
に行き詰まったと。そして、さあ、わたしは何かの教えにすがろうと、あるい
は何かの教えを実践しようと考えたと、ね。
このとき、まず出てくるもの、まず考えなきゃね、なければならないものは
何かといったら、それは教義、つまり、いろいろな教団の持っている、あるい
は、いろいろな人が持っている教えの中に矛盾がないかということになると。
ところが、例えば、これはオウム真理教だって矛盾があるじゃないかという
人がいると。なぜならば、以前はニルヴァーナ、゚ク槃を最高としていたにもか
かわらず、今はマハー・ニルヴァーナという言葉が登場していると、ね。とい
うことは、オウムも矛盾があるから真理ではないのかという質問をする人がい
るかもしれないと。
しかし、そうではなくて、これは仏陀釈迦牟尼が今から二千五百年前に登場
したときもそうだったように、まずはヒナヤーナ、つまり小乗を説いたと。個
人の解脱を説いたと。次にマハーヤーナ、ね、他を救済する大乗の教えを説い
たと。そして、最後にタントラ・ヴァジラヤーナを説いたと。つまり三乗を説
く場合、順番があると。それはちょうど、小学生がまず足し算、引き算から学
び、次はかけ算を学び、そしてわり算を学んで行くのと同じようなものである
と。これは、したがって教義の矛盾ではないと。
ではいったい、教義の矛盾とは何かといったら、例えばここではAというの
は肯定されていて、ね、Bのときには、それが否定されるような教えであると。
例えば、ね、これはあの、阿含宗の話だけども、阿含宗で以前は、大日如来
を奉っていたと。ところが、二月の講話では、大日如来は拝んではいけないと。
仏陀釈迦牟尼以外のものを拝んでは行けないと言っていらっしゃると。そして、
例えば求聞持聡明法ね、求聞持法、これは虚空蔵求聞持法と言って、実際には、
虚空、ね、その、虚空蔵菩薩を本尊とするわけだけども、それに対して、虚空
蔵菩薩を拝んで、その求聞持法を獲得するわけだけども、それは、虚空蔵菩薩
という名前は出さないで、求聞持法だけを出して、それは法であると言ってい
ると。これは矛盾だね。
もう一度言うよ。例えばここに、以前は大日如来の系統の、その密教系統を
崇拝していたと。そして、今は阿含宗という名前の由来によって、仏陀釈迦牟
尼以外のものを拝んではいけないと言っていると。そして言っていながら、例
えば求聞持法をやらせていると。と、その求聞持法の本尊は虚空蔵菩薩、仏陀
釈迦牟尼じゃないわけだね、これは。であると。これは、例えば教義上の矛盾
であると。
ね、今わたしは阿含宗の名前を出したけども、阿含宗だけではなくて、これ
は、ね、例えば百あるうちのほとんどの教団に矛盾があるだろうと。そして、
矛盾のない教団もあるかもしれないと。だからもし、矛盾がないとするならば、
それはOKであると。つまり、択法覚支の第一段階、教義においての矛盾とい
うものは存在しないということになるね、これは。
そして、じゃあ麻原と、教義だけ矛盾がなければいいのかといったら、そう
ではないと。次に、その教義にかかれていることを体得した人たちがどの程度
いるんだろうかと。例えば、法華経というのは、宇宙と、ね、あ、まあ、梵我
一如という言葉があるけれども、要するに宇宙と我とが一体となると言う教え
があると。そして、その法華経を実践している者の中に、どの程度その梵我一
如という考え、ね、体験をした人がいるかということが次の問題になってくる
と。
例えば、オウムの場合は、いろいろ「マハーヤーナ・スートラ」に書かれて
いるとおり、解脱のシステムがあると。そして、一つずつ成就していけば、そ
れにたいして、いろいろな体験が加わってくると。
これは、地図に例えることができると。例えば、ここに宝の地図があったと
して、その地図をいまだだれも使ったことがないと。あることはわかっている
と。地図も読むことができると。しかし、それを使ったことがないのと、そう
ではなくていままでその他からの隠されている地図をね、得て、使って、ね、
宝を掘り出した人がたくさんいるというのと同じであると。だから、例えば解
脱を説くと、あるいは悟りを説く場合、あるいは霊能を説く場合、その経験を
どの程度した人がいるのかということが問題になってこようと。これが第二の
条件であると。
そして、第三の条件は、その地図を使いこなす、ね、ことのできる----正し
い地図があるとしてだよ----使いこなすことのできる、あるいは、その地図を
つかって指導することのできる人がいるかどうかであると。例えばそれはグル
と呼ばれるし、あるいは先生と呼ばれていると。そのグル、あるいは先生が存
在しているかどうか、これが次の条件になってくると。
なぜならば、どんなにすばらしい地図があったとしても、ね、それをまだ経
験したことのない人がここにいて、その地図の使い方がわからなければ、正し
くない道にはいるかもしれないと、ね。その場合、あなたちょっとそこのみち
を進むと、崖っぷちからおっこちてしまいますよと。あるいは、その道をまっ
すぐ行くと、落とし穴がありますよと、ね。あるいは、ああ、その道をまっす
ぐ行きなさいと。必ず目的地へ着きますからと。これが、正しい、ね、指導者
の存在であると。そして、正しい指導者の存在、これが第三の条件であると。
そして、第四の条件は、正しい教えがあり、正しい地図がありね、指針があ
りね、そしてそれを使いこなす先生がいて、グルがいて、そして、どれほど多
くの人がその道を歩いたかと。つまり経験者がいるかということだね。この四
つの道が、四つの条件が揃っているもの、これをわたしは、正しい法だと考え
ていますと。
そして、この四つのなかで、一つでも欠けているとするならば、例えばどん
なに偉大なグルがいたとしても、その人の経験は、特殊な経験であると。教義
的にまとまりがないとするならば、多くの人を一気に救済することはできない
だろうと。もちろん、その場合、マンツーマンの指導を受けて、一対一の指導
を受けてね、最終地点に到達することはできるだろうと。しかし、例えばそれ
が十人になり、五十人になり、百人になったときに、そのひとは指導できなく
なるだろうと。
次に、もし素晴らしい教義があったとして、そして、その教義をまとめた、
ね、指針図みたいなものがなければ、いったい自分は今、どこらへんを歩いて
いるのか、これが理解できないだろうと、ね。理解できないということは、次
に何をやっていいのかわからないと言うことになると。そして、もし、ね、教
義がしっかりしていて、指針図があったとして、先生がいなかったならば、ね、
今自分は教典ではこのへんにいるのはわかっていると、ね。そして、次に何を
やって、何をやったらいいかわかっているけれども、果たしてそれでいいんだ
ろうかと。自分は、本当にこの地図上のここに存在しているんだろうかと、ね。
わたしの向かっている道は、間違っていないんだろうかと。間違っているんじゃ
ないだろうか、というところでひっかかってくると。
そして最後に、もし経験者がいなかったとしたならば、この教義は矛盾がな
いと。この指針図も矛盾がないと。あるいは、この先生が言っていることも何
となく素晴らしいと。しかし、本当はこれは幻影じゃないかと。なぜならば、
いままで三十年、五十年、百年と続いてる、ね、教団で、誰一人としてまだそ
の教義のすべてを経験した者がいないと。あるいは、誰一人としてその指針図
をちゃんと歩いた人がいないとするならば、いったい何を信じるのかと言うこ
とになってくるよね。
ところが、先輩がいるならば、あるいは高弟達がそれを経験しているならば、
あっ、あのひとたちは今この辺を経験しているんだと。あるいはここまでおわっ
ているんだと。だとするならば、今自分の歩いている道は正しいということに
なると。
そして、もし、この四つの条件を備えた宗教にね、あるいは真理に巡り合う
ことができるとするならば、その人はどんなに貧乏したとしても、その人はど
んなにこの人間の世界において、現世において苦しんだとしても、あるいはそ
の人はどんなに病で苦しんだとしても、その人を最高のカルマの持ち主である
と、素晴らしいカルマの持ち主であると、これは仏教やヨーガでは言っている
んだね。なぜならば、それはね、次の例えに値するんだ。
人生の現世的な、ね、苦しみと言うのは、車を買ってはずれたときのような
ものであると。そのひとは、その車に乗っているときは、ブレーキの効きが悪
い、あるいはハンドルが重たい、ね、あるいはアクセルやクラッチが重たいと、
ね、あるいは車内が狭いと感じるかもしれないけど、それを脱ぎ捨てたとき、
つまりその車から降りたとき、ね、その車の影響というものをまったく受けな
いと。現世の喜びも、現世の苦しみも、良い車に巡り会ったときと、あるいは
悪い車に巡り会ったときと同じであるといわれてるんだね。
ところが、真理に巡り会うということは、そうではなくて、ドライバーのテ
クニックを磨くと、ドライバーの心を強くするのと同じだから、ね、もちろん
悪い車に乗ったとしても、ドライバーのテクニックがうまければ、うまく操縦
して行けるだろうし、あるいは心が強ければ、その車から降りた後も、ね、素
晴らしい生き方ができるだろうと。
ところがね、現世利益を考えている人たちと言うのは、その車と、それから
その中の運転手、つまりドライバーとを混同してしまうんだね。そして、良い
車あるいは素晴らしい車にのろうとすると。もちろんいい車、あるいは素晴ら
しい車、これは乗れたら乗れたに越したことはないと。しかし例えば、ここに
免許とりたての人がいて、その人はあまり運転がうまくないと。その人が素晴
らしい車に乗った場合と、心も強いし、運転技術の発達している人、この人が
中程度、あるいは余り良くない車に乗ったとして、果たしてどちらがうまく目
的地につけるだろうかと考えたらよくわかるよね。
そして、仏教やヨーガではそのドライバーを磨くと、運転の技術を高めると
いうこと、高める機会に巡り会ったということ、それを最高の功徳だと言って
いるんだ。
ところがね、いま日本の宗教的なものを観ると、わたしはどうもそのように
見えないんだね。どうもその車、あるいは、ね、たとえば家、ね、このような
自分と本質的には関係ないもの、これで徳を評価しがちじゃないのかなと。
例えばね、仏陀釈迦牟尼のね、----お釈迦様のことだね----の前生には、盲
目の女性というのがあるね。そして仏陀は、その数生後に仏陀になっているわ
けだ。で、これを考えるとおかしいなと。というのは、目が見えないというこ
とは徳がないはずだと。なのに、なぜ彼は仏陀になったんだと、ね、真理を知
らない人は考えるかもしれない。ところが仏陀は、そのときも、目が見えなく
ても一生懸命修行なさって、大いなる徳をお積みになって、そして数生後にね、
仏陀釈迦牟尼として、人類を済度なさった訳だね。
そしてここにいるみなさんは、その四つの柱を持っているオウム真理教と、
強い強い、大きな深い縁によって結ばれている人たちだということができると
おもいます。なぜならば、オウム真理教が動き出してわずか四年、まだオウム
真理教を知ってる人は少ない。ところが、ここにいらっしゃる方々は、既にオ
ウム真理教を知り、ね、まず矛盾のない完璧な教義というものを学ぶことがで
きると。そして解脱のシステム、悟りのシステム、あるいは天界へ生まれ変わ
るための道というものを学ぶことができると。そしてグル、あるいは大師が、
あなたがたが困ったときには親身の指導をしてくれると。あるいはエネルギー
の移入をしてくれると。そして、あなた方には、先輩の信徒の方、たくさんの
霊的な経験、心の経験、あるいは病から解放された経験を持ってらっしゃる方、
あるいはそれより一歩進んで、スワミ、大師、ガッパ、尊者のね、霊的体験、
あるいはマハームドラーの成就の体験、あるいはマハーヤーナ・ヨーガ、大乗
のヨーガのね、成就の体験をあなた方は生きているうちにみることができると。
そして、今あなた方は全力で修行することによって、その大いなる恩恵に預か
ることができると。これは、最高の素晴らしいカルマのもちぬしであると、ね、
あなたがたをわたしが称賛した所以なんだね。
今日、これを境に、自分の持っている最高の徳というものを、もう一度称賛
し、かみしめ、ね、真理の実践を行い、素晴らしい運転手に、素晴らしいドラ
イバーにね、生まれ変わりましょう。そして今生だけではなく、今生例え余り
いい車に乗っていなくても、うまく操縦して、最終地点まで導き、そしてそれ
から降りたらね、徳によって次はもっといい車に乗る。しかもその車にこだわ
らないで、自分の運転技術を磨くように、ね、ドライバー・センスを磨くよう
に努力しようではないですか。
オウム真理教ネットより転載
聖称賛磨蔵
#192
/999 資料室
★タイトル (QAA11022) 92/ 3/ 6 21:52 ( 69)
オウム真理教>説法>今、なぜオウム真理教か? その3
★内容
今 なぜオウム真理教か? その3.
なぜ今この日本にオウム真理教が必要なのか?
他の宗教団体とは違う、オウム真理教の持つ四つの柱とは何か?
今 なぜオウム真理教か (91年)
帰依信徒の皆さん、皆さんはなぜ今この日本にオウム真理教が必要なのか、
しっかりと認識し、理解していらっしゃいますか。
オウム真理教と他の宗教団体との違いは、それはオウム真理教に四つの柱が
存在しているからです。ではその四つの柱とは何でしょうか。
まず第一にしっかりとした教義のたい、体系が存在している。このオウム真
理教の教義の体系は、今から何十万カルパ、何百万カルパ、何千万カルパの昔
から存在している覚者方の流れの教えの体系なのです。そしてそれは原始ヨー
ガの流れに、あるいは原始仏教の流れにエッセンスを認めることができます。
したがって他の教団と違い、その教えは深淵、そして絶対確実なものと言わざ
るを得ません。
では第二の柱とは何でしょうか。第二の柱とは、そこへ到達するポイントポ
イントにおいて、イニシエーションが存在しているということです。このイニ
シエーションとは、わたしたちが法を聴いたり学んだりするだけでは理解する
ことのできない神秘的な部分に対してエネルギーの移入を行なったり、あるい
は意識をチェンジさせる特別な技法です。このエネルギーを移入したり、ある
いは意識をチェンジさしたりする特別な技法、これは今日本でオウム真理教だ
けが持っている方法です。
そして三本目の柱、これは何でしょうか、これは信徒の皆さんの道筋にそれ
ぞれの段階において成就者が存在しているということです。一般に成就者をみ
た場合、その成就者は普通の人と何ら変わらないかのように見えます。しかし
その人の知っている世界は、一般の人とは全く違いますし、また使える身体も
この肉体だけではなく、多次元の身体を有しているわけです。そしてこの成就
者の最終地点には、絶対自由、絶対幸福、絶対歓喜という状態が存在していま
す。
ではこの絶対自由、絶対幸福、絶対歓喜とは何でしょうか、これはまず絶対
自由とは、この私たちの意志と反して病にかかり、老い、そして死んでいく身
体と違い、心の本性が作り出す身体を自由に操り、そして自由に創造し、そし
てまた自由にそれを元の状態に戻すと。つまり身体を有して経験したいときは
経験し、あるいはその身体が邪魔なときは、その身体を死滅することのできる
状態、これが絶対自由です。
では絶対幸福とは何でしょうか、すべての真理の法則を完全に悟り、そして
一切の苦悩を排斥した状態、一切の苦しみを取り除いた状態、止滅した状態、
滅尽した状態、破壊した状態、これが絶対幸福の状態です。
では絶対歓喜とは何でしょうか。これは私たちの内側に存在している善法、
徳が増大することにより、私たちが行為を行なうことなく身体が歓喜の状態で
絶えずいられる状態、これが絶対歓喜なのです。
そして、この三つの状態は心の本性とも、あるいは真我ともいわれるものの
有する三つの状態なのです。そしてこの状態に少しずつ近付いている成就者た
ちが存在してるということは、それは皆さんが道場に通い、師、あるいは正悟
師、正大師等とお話をなさることによって、あるいはおそばに行かれることに
よって体感することができるはずです。
では、第四番目の柱とは何でしょうか、それは根本グル、そして根本的な経
典を有しているということです。そして、この第四番目の柱、根本グル、根本
経典、これを完全に有し、その存在が今あり、そしてその法の、法則が実践で
きる皆さんは、大変素晴らしい功徳のある方だと言わざるを得ません。そして
この四本柱を完璧に有している、それは今のところ日本においてはオウム真理
教しか見い出すことができません。ですから皆さんは、オウム真理教の信徒と
して確信を持って日々の学習、そして日々の実践、そして日々の宗教的行事に
励んでいただきたいと思います。そこにいくら素晴らしい法則があったとして
も、それをもし実践しなければ、それは絵に書いた餅にすぎません。そこにい
くらおいしい食べ物があったとしてもそれを食べなければ、その本当の味わい
を理解することはできません。
さあ皆さん。このよっ、四つの柱を皆さんの土台とし、そしてしっかり日々
の修行に励んでいただきたいと思います。
オウム真理教ネットより転載
聖称賛磨蔵
#193
/999 資料室
★タイトル (QAA11022) 92/ 3/ 7 9:35 (194)
オウム真理教>説法>修行の目的とプロセス
★内容
1987年5月 集中セミナー説法より
麻原です。今日は、まず第一に修行の目的、そして修行のプロセス、いいで
すか、そして成就というもの、この三つについてね、今から語りたいと思いま
す。
まず、わたしたちの人生において、この世が楽だと考える人は、それは修行
者向きではない。いいですか。それは、まだ、根本無智のね、中に入っている
人ということができるからだ。いや、言い方を換えようか、真我が――真我と
いうのは、わたしたちの根本的なものだ――真我が三つのエネルギーの状態、
これは、わたしたちの功徳、それから悪徳、ね、そして行動、この三つね、こ
の三つの中に入り込んでいってるプロセス。いいですか。つまり、真我が、言
い方を換えますよ、三つのグナ、グナというのは、先程言った、功徳、悪徳、
それから行動ね、アクション、この三つに干渉されて、この世に生まれ出てき
ている、あるいはどんどんどんどん執着してきているプロセスの人は、この世
を楽だと考える。あるいは、この世を絶対だと考える。いいですか。
わたしたちの魂というものはね、同じ時期に三つのグナに干渉されて、入っ
てきたわけではない。いいですか。若干のずれがあります。その後、その真我
の経験の度合い、何を経験したかによって、ああ、もうわたしたちの生存、つ
まりこの粗雑な世界にね、生まれ変わることの苦しさ、無意味さを痛切に感じ
るようになるわけです。そのいい例が、例えばここにおいしいものがあるとし
ようね。おいしいものという表現は合わない。例えば、ここに、オレンジがあ
るとしよう。オレンジ----もしオレンジを食べたことのない人がオレンジを食
べたら、初め「ああ、なんておいしんだ」と思うだろう。もちろん、好き嫌い
はあるかもしれない。しかし、初めに、なんておいしいんだろうと思った人が
だよ、一日五個、十個、二十個、三十個と食べていってごらん。毎日毎日それ
を続けてごらん。必ず飽きる。そうじゃないか。
それと同じように、すべての経験においてね、いいですか、すべての経験に
おいて、今の公式は成り立つわけだ。これは、男性と女性の恋愛関係について
も同じです。ね。あるいは、地位、名誉、これも同じだ。金も同じだ、ね。い
いですか。
そして、その経験、この世での経験が激しければ激しいほど、その経験が多
ければ多いほど、この世に対して苦だと感じるようになる。そして、苦だと感
じたら、この世は本物ではないんだ。この世はわたしたちに苦のみを与える。
あるいは、この世は幻影にすぎないと考えるようになってくるんだ。そこで、
この世から抜け出したい、いや、苦しみの世界から脱け出したいと考えるよう
になってくる。ねえ。
じゃあ、いったい苦しみの世界から脱け出すのにどうしたらいいんだ。ね、
そうでしょ。それは、わたしたちのこの肉体から、まず解放されるしかない。
つまり、わたしたちのこの肉体と、ね、わたしたちの魂とは別個であると感じ
るしかないんだよ。いや、感じるんじゃない。経験するしかない。ね。
次は、わたしたちの夢の世界と、わたしたちの魂とが、別個であることを理
解するしかないんだ。最後には、わたしたちの心とわたしたちの魂とが別個で
あると認識する。いいですか。
認識する背景には、『理論的に認識する方法』と『経験として認識する方法』
と、二通りの方法がある。ね。そうでしょ。そして、その両方が必要だ。
経験として認識する方法は解脱です。論理的に認識していく方法は悟りです。
いいですか。ね。じゃあ、どうしたら、その悟り、あるいは解脱をね、わたし
たちは得ることができるんだろうか。ここに愚昧な者と智者と、二通りのタイ
プ、タイプの者をね、想定しよう。いいですか。
愚昧な者は、例えばここでオレンジを一個買う。食べる。ね。おいしかった。
そして、また次の日も二個三個四個と買っていって、飽きるまで食べる。ね。
そして、次は、もうオレンジは飽きた、おいしくない。次はリンゴにしよう、
ね。リンゴも同じことを繰り返す。次はバナナだ。バナナだ。ね。
このプロセスにおいて引っかかる人は、非常に解脱まで時間がかかるだろう
ね。
ところがここに智者がいた。まずオレンジで、愛着するものは飽きるもので
あるというね、いいですか、わたしたちの愛着するものは飽きるための条件で
ある。理解した人がここにいたとしようね。そこで、その人は考える。「なぜ
私はオレンジに飽きたんだろうか?」と。「待てよ、今わたしはリンゴを食べ
たいと思っている。ひょっとしたらリンゴにも飽きるんじゃないか」と。「そ
のときの心のプロセスをできるだけ客観的に見ていこうじゃないか」と。いい
か。そう思った智者は、リンゴに挑戦する。そして、食べていきながら、個数
を増やしていきながら、ね、心のプロセスを理解していく。
そうするとねえ、オレンジ、あるいはリンゴ、これくらいで飽きる経験はす
んでしまうわけだ。次のバナナまでいかないわけです。いいですか。これは大
きな違いとなる。ね。前者は、同じことを繰り返す。ほら、輪廻の輪、ね。わ
たしたちは輪廻転生を繰り返している。ね。この輪廻の世界も、あるいはこの
世も、あるいはあの世も、すべてわたしたちの真我が、ね、作り出した世界だ。
いや、言い方を換えるならば、迷妄に巻き込まれた世界です。いいですか。
そうなるとだ、先程のミカンの話と、オレンジの話と、この輪廻の理論的な
根拠というものは同じでなきゃんないわけだね。いいですか。じゃあ、言い方
を換えるよ。もし、オレンジ、リンゴ、バナナのプロセスをね、きちんと理解
していたら、わたしたちはこの苦界に生まれ変わる可能性を少なくすることが
できるわけだ。ね。すべては、対象となっている事物が変わっているにすぎな
いわけだ。それはね、リンゴ、バナナ、オレンジ、これがね、例えば車に変わ
るかもしれないよ。ね。わたしは車の名前あまり知らないけども、例えばブル
ーバードね、例えばスカイラインね、例えばシビックだ。初めにブルーバード
に乗ってて、飽きて次はスカイラインに乗って、飽きて次はシビックだ、例え
ば。これと、オレンジ、リンゴ、それからバナナのプロセスは全く同じだ。
あるいは、異性についても同じだ。A子さん、B子さん、C子さんに心が移っ
ていくプロセス、これも全く同じだ。ね?
わたしたちは、だから、もしオレンジでものを学んだならば、次は車に対し
て、あるいは異性に対して、惑わされることはないだろう。そしてそのとき、
おのずと悟りが訪れます。
この世を、いや言い方を換えようね、わたしたちの心の動きを、あるいは真
我がどのようにして闇の中に入っていくかをね、わたしたちが客観的に理解で
きるようになったならば、わたしたちはもうその世界に入らないわけだ。いい
ですか。これが、悟りのプロセスだよ。ね。
例えば、ここに百万円のお金があるとしよう。まあ、現代では、百万円のお
金なんてのはね、ほとんど価値がないけども。ここに百万円のお金があって、
ああこれで好きな本がこれだけ買える。あるいはいい洋服がこれだけ買える。
ね。そう考えていた人がいたとしようね。もっと、欲しい。……出てくるね、
次は。もっと金が、金があれば、もっといろんなものが買える。次は、二百万
欲しい、三百万欲しい、そして一千万。ところが、先程と同じように、一千万
仮に得たとしても、次は一億欲しくなる。ね。そして、とめどもなく不満足な
状態で、気付いたときには死だ。これがわたしたちの人生だよ。ね。いいです
か。
ところが、あなた方が悟ると、それはジュニアーナ・ヨーガによって悟ると、
ね、あなた方は、あなた方が今、何をなさなければならないか、この人生とい
うものは何であるか、ね、それを理解できるようになってくる。いいですか。
そうすると、お金儲け。お金は、まあ生きていくためには必要である。しか
し、さしてわたしたちのね、人生に影響はない。例えば、ある人が二十万の背
広を着ていて、自分が五千円のね、ジャージであったとしても、トレーニング
ウェアであったとしても、そういうことはさして問題でなくなってくる。例え
ばある人が、ね、五百万のプレジデントに乗ってて、ね、ある人が七十万のファ
ミリアに乗ってたとしても、大した問題ではなくなってくる。ね。例えば、あ
る人が美女と歩いていて、例えば自分がそんなに美人じゃない人と歩いていた
としても、大した問題ではなくなってくる。ね。
そういうことよりも、今日一日一日をだ、いかに充実して生きるか、ね。で、
充実して生きるとは何か。いかに、真我が本当に欲求している絶対自由、絶対
幸福、ね、そして歓喜、これを求めて生きるか。これに、少しずつ、少しずつ
焦点がしぼられてくるだろうね。そしてそれがあなた方のね、修行の目標です。
いや、そうじゃないよ、麻原と。わたしは、例えば今、何々の病気で苦しん
でるんだと。わたしは今経済的な問題で苦しんでるんだと言う人がいるかもし
れない。あるいは、恋愛で苦しんでるんだと言う人がいるかもしれないね。そ
れは、それで結構だ。例えば、それはそれで、わたしの提唱する修行を実践し
なさい。ね。それによって、例えば健康を得なさい。例えば、経済的に安定し
なさい。ただし、欲張らないで。例えば、幸せな恋愛、結婚をしなさい。しか
し、その背景は、先程言った哲学的なヨーガだ。きちんと自分の状態を把握し
て、乗り越えていくということを前提としてね、やりなさい。
オウムの修行というものは、非常に効果がある。ね。だから、例えば、プラ
ーナーヤーマ二分、三分とクンバカできるようになったならば、相手を自由に
コントロールできるようになるよ。欲しいものはすべて手に入るようになるよ。
逆にそのときに、それを自分のためだけに還元したならば、それはカルマとな
ろう。ね。だから、今言ったとおり、この世はあくまでも仮の住まいであると
いうことを認識して、ね、そして、あなた方に必要な分だけ取ったら、あとは
還元しなさい、周りに。いいですか。
それをするならば、あなた方の今の苦しみも当然乗り越えられるだろうし、
来世も約束されるだろうし、ね、そして、何よりも安定した平和な気持ちでね、
人生を歩くことができると思うんだ。
よし、それではこれが悟りのプロセスと、なぜ悟らなければならないかとい
うね、ことだ。
次に、解脱について少し語ろうか。これは、私の周りの人たちをいろいろ見
ているとね、まあ、弟子、あるいは会員の中でもよく来る人たちをいろいろ見
ていると、わたしは次のことに気付いたんで、ここでね、皆さんに一つプレゼ
ントしよう。
解脱というものは、わたしたちの執着、ね、これを物理的に解消してしまう
プロセスである。いいですか。例えば、おなかが空いたときにはどこで感じる
か。おなかで感じるね。性欲はどこで感じるか?このスヴァディスターナ・チャ
クラで感じますね。怒りは、ムーラダーラ・チャクラからの熱だ、これは、ね。
ところが、凡夫はそのエネルギーの行き場を持っていないんだ。いいか?だか
ら、例えば空腹感がきたら、それに、その空腹感がおさまるまで食べなければ
ならない。性欲が起きたら、我慢して精神的におかしくなるか、あるいは漏ら
すかしなければならない。ね? 瞋りの感情なんていうものは、到底コントロー
ルすることはできない。これが凡夫だね。
ところが、これはすべてストレスのエネルギーなんだよね。いいですか。だ
から、もし、あなた方のスシュムナー管、言い方を換えるよ。先程の食欲の、
ね、食欲のストレスの流れ道、性欲のストレスの流れ道、あるいはエゴから出
てくる怒りのストレスの流れ道が、もし開いたならば、それはなくなろうよ。
ね。
例えば、性欲が起きて、スシュムナー管が開いていたら、性欲というものは
スシュムナー管を通って上昇します。そして、頭頂に集まる。ね。食欲も同じ
です。瞋りも同じ、これは。いいかな。だから、わたしたちは、背中の中心に
あるスシュムナーをね、開かなければならないんだよ。いいね? そして、そ
れを、ストレスからの解放、解脱と言っている。
そして、サハスラーラ・チァクラが崩壊すると、その前に、もし上昇したエ
ネルギーが抜けなかったらどうなるか。これは、大変なことになるよ。そうだ
ろう。ここのストレスが、ここに移行したにすぎないわけだ。だから、例えば、
ね、性欲の塊の人間は、アストラルの世界で、微細な世界で性欲を満足させる
ようになるだろう。ね。例えば、怒りに浸ってる人は、アストラルの世界で闘
争するだろう。わたしは…そのタイプだ…。いいかな。そして、食欲、あるい
は無智の人は、ね、いつも眠たくなるだろう。寝てばっかしいるだろう。いい
かな。ところが、上昇したエネルギーがサハスラーラ・チァクラを崩壊させる
とだ、いいですか、ツァンダリーが起きる。ね。初心者の方は、『生死を超え
る』を読んでくださいよ。
そのツァンダリーが起きると、上昇したエネルギーは、次は下降します。同
じ道を辿らないで身体の中央を降りてくる。そこで、まあ、いろんな神通力が
起きるわけだけれどもね、超能力が起きるわけだけども----私達の食欲、性欲、
あるいは瞋りというものがね、循環するようになるわけだ。いいですか。そう
すると、何が起きるか。例えば性欲が瞬間的に起きても、それはもうその瞬間
ツァンダリーのエネルギーと変わる、ね。私達は、全くストレスを持たない状
態になるわけだ。それどころではないよ。この食欲にしろ性欲にしろ怒りにし
ろね、私達の大脳をいろんな形で振動させるわけだ。興奮させて、喜ばせてく
れるわけだ。だから快感状態に浸ることができる。自然に、何もしないのに、
いつも気持ち良い状態でいられる。----これが解脱です。いいですか。
そうでしょ。私達がこの世に生まれているのは、先程も言ったとおり、いろ
んな煩悩があるから生まれているわけだ。ところが、わたしたちが煩悩から解
放されたならば、私達はこの世にはいない。それが解脱なんだよ。
だから、理論的追求をした場合「悟り」が起きる。物理的ちゅう、追求をし
た場合、「解脱」が起きる。ね。もちろん、この「悟り」と「解脱」を合わせ
てしまえば、最高の状態になります。いいですか。
そして、その悟り、あるいは解脱、この背景となっているものは、六つの波
羅蜜だね、みんな知っているとおり。まず、布施から入って、持戒、精進、忍
辱、そして禅定、智慧だね。今日は、この六波羅蜜については話さないよ。そ
れは、明日以降話すことにしよう。はい、では説法これで終わります。
オウム真理教ネットより転載
聖称賛磨蔵
#194
/999 資料室
★タイトル (MQM47158) 92/ 3/ 7 15:54 (174)
シャンティー大師成就記事1 ウパティッサ
★内容
「解脱--光輝く真実の道へ」
, --------- シャンティー大師 クンダリニー・ヨーガの成就 ---------
シャンティー大師……本名 大内早苗 1987年七月、クンダリニー・
ヨーガで成就。現在はマハー・ムドラーの成就へ
むけて修行中である。(オウムで修行を始めるまでの
経緯については、『マハーヤーナ』NO4を参照のこと)
※現在はソーナー師として活躍中です。
--手記初出『マハーヤーナ』NO4
《シャンティー大師--独房修行プログラム》
六月五日~十七日--[第一回目]
ヴァヤヴィヤ・クンバカ・プラーナーヤーマ 六時間
瞑想(ツァンダリー) 十時間
七月二日~十二日--[以降第二回目]
ヴァヤヴィヤ・クンバカ・プラーナーヤーマ 六時間
クリヤ・ヨーガ 二時間
瞑想(ツァンダリー) 十二時間
七月十三日~三十一日
ヴァヤヴィヤ・クンバカ・プラーナーヤーマ 三時間
ツァンダリー(プラーナーヤーマ) 三時間
クリヤ・ヨーガ 二時間
瞑想(ツァンダリー) 十二時間
(基本時間は表の通りであったが、瞑想中、雑念がわいてきたときには、随時
ツァンダリーのプラーナーヤーマを行なうこととした。)
彼女には、結局二回にわたって独房修行を経験させた。それは、一回目の独
房で既に三昧に入り、肉体を捨ててもよいという意識が出てきたため、私が危
険なので中止させたのである。したがって、二回目の独房修行では、もっぱら
心のプロセスの浄化が中心となったのである。インドでは三昧をもって解脱と
するところもあるんだけどね。
なお、一回目の独房修行については、拙著『超能力・秘密の開発法』(増補
版)に体験談を載せてあるので、興味を持たれた方はそちらも併せて読んでい
ただきたい。
(麻原彰晃尊師談)
▼シヴァ神との約束--輪廻の橋を渡る
毎日ザンゲするように言われました。腐っている、と先生に言われまして。
瞑想しなくてもいいからザンゲしろ、と。最初は、生まれてから今までのこと
を全部言い尽くして、で、まだ残ってないかって先生に言われて、考えるとま
た出てきました。最初は形だけのザンゲでしたが、最終的には、本当の腐って
いる部分、エゴ、さみしさ、嘘、と真に迫ってきましたね。
◎七月二日(木)
今日三十歳を迎えた。リトリートの初日に誕生日を迎えて、これからどんな
人生が待っているのだろう。昨年はシャクティーパットをしていただきました。
今年は解脱、悟るための独房修行のチャンスを与えていただきました。何か無
上の幸せです。
◎七月三日(金)
セクシャルな夢を見る。今までの自分なのか本性なのか。現実には、いじめ
られることを知っているから臆病になる。もっと明るくと思っても、暗い心が
邪魔をする。与えられたチャンスも無痴ゆえに逃してしまう。ヴァヤヴィヤ・
クンバカのとき泣いている。
何度同じことで苦しんでいるのだろう。そしていつも、救いはただひとつ。
シヴァ神様と約束したもの。一緒に輪廻の橋を渡ってグルのもとへ行く、と…
…。
◎七月六日(月)
グルはどうして私の心の中をご存知なんだろう。今日はずーっと思っていた
ことを、これからノートに書こうとしていたことをズバリ言われてしまった。
私の心の中にあるものは、美しいもの、やさしさ、愛、清らかなもの、平和、
善……これだけはどんなことがあっても、誰にも手をふれさせなかったもの。
愛し合っていても、これは私の中の愛と同じだろうか。言葉でさえも、これ
は私の中にある美しい、清らかなものと同じだろうか。いつも選択している。
そして、そうでないときは、捨てる、逃げる、やめる。これが私の不幸の原因
だ。これは無痴、そして真実ではない。
本当に心の中にあったものは、ものすごいエゴ、ものすごいプライド、もの
すごい無痴だったのではないかと思う。私が私としてかろうじて存在してこれ
た心の中の大切なものが、真実だと信じてきたものが、価値のあることだった
ものが、今崩れていく。
何の為に私は存在していたのだろう。いえ、日々幻影の中で、私は私の心が
作った六道を輪廻していた。グルはおっしゃる。私がこの世に存在していない
ことに気付くはずだ、と。
◎七月八日(水)
瞑想。前半は、両鼻にスーッと頭頂より風が吹いたように気持ち良くなった。
意識が目覚め、座法も安定し、約五時間は楽に瞑想が続けられることができた
と思う。ただ心臓が痛い。呼吸が浅く短いので、時々何度もせわしく息を吸っ
てみたりするが、特に変わらないのでそのまま続ける。
光がアージュニァーかサハスラーラか、光り続け、まぶしい。はじめ瞑想に
入ったとき、たくさんの光の帯に包まれ、なぜか黒っぽい意識のかたまりが飛
んでいた。そして、どんどんその汚れが帯の中でとれていき、光の中へ消えて
いった。
後半はひたすら時間との戦い。おとといまでは、体がシビレて気持ち良いと
いう感じだったが、今日は熱のクンダリニーが右半身を熱っぽくし、頭にエネ
ルギーをどんどん集中させていくようで苦痛。意識も苦しんでいる。ほとんど、
人間を早くやめたいという感じ。意志も弱い。でもこのまま独房から出ても使
いものにならないだろうし、進む以外に道がない。
◎七月十日(金)
まだエゴも滅せない。「私の世界」もある。泣いてばかりで、自己を守って
いてもしかたがない。ありのままの自分をさらけ出し、グルにザンゲしよう。
今日はそんな気持ちになった。身も心も汚れ、無始の過去より積み続けた悪業
の数々、どうか清め、とりのぞいて下さい、と真剣にお願いする。アナハタ・
チァクラがはちきれそうになる。外側へ開いていくような感じで、意識と肉体
とアナハタが分離しそうだ。前世を次々と思い出し始める。
▼“うらみ”を持って生まれた
独房修行中、三回ほど挫折したことがありました。一回目は、宿命通がつい
て、前世を知ったときです。私は、過去世で毒蛇だったり、虎だったりしてい
るんです。こんなとんでもない前世だったことを思い出して、一回死のうかな
って思ったんです。
二回目は、私がこの世に生まれてきた理由を知ったときです。瞑想中、自分
が人間に転生してくるのをヴィジョンで見たんですよ。で、先生にそのことを
お話ししたんです。そうしたら先生に、お前の生まれてきた理由は“うらみ”
だ、と言われたんです。
前世でも愛情で引っ掛かっていて、愛情の裏返しで、情にからんだうらみが
原因で生まれてきたらしいんですね。それをみんなのいる前で言われて、プラ
イドがめちゃめちゃに傷ついたんです。本当に苦しかったですね。
先生はそのへんをわかっていて、カルマを落とすためにわざとおっしゃった
のですね。
◎七月十二日(日)
恥ずかしい。実際やってきたことだから、全て告白し、ザンゲしよう。苦し
い。どうして苦しいのだろう。つぶれてしまいそう。でもいい、つぶれた方が。
つぶれてしまえばいい。エゴなどいらない。
体、熱い。熱っぽい。胃、痛む。心臓、痛い。頭にエネルギーが昇っていく。
アナハタが盛りあがる。オウムを唱えると意識が広がって、光が輪になって中
央の光がせまってくる。
結局、私さみしい人。プライドの高さ、見栄っぱりがすべての行動パターン。
ザンゲしているうちに、生きていてごめんなさい、と思ってしまう。生きてい
ることが悪業を積むことだったりして。この世もアストラルも幻影。過去もこ
の世なのだから、幻影なのかしら。本当の世界はどこにあるのだろう。
うらみ(愛情の裏返し)がこの世に再生した原因。先生にそのように言われ
た。先生のおっしゃっていることが少しわかるような気がする。心がしだいに
静かになっていく。精神が異常かもしれないが、肉体をどんな形でも今なら捨
てられる。そんな思いがわいてきた。
肉体は火が噴き出しそうにクンダリニーが昇っているのがわかる。もう少し
なのだろうか。もう少し耐えれば、もっと心も肉体も浄化し尽くせたら、私は
解脱、悟ることができるのだろうか。先生、どうかシャンティーをお見捨てに
ならないで下さい。
#196
/999 資料室
★タイトル (MQM47158) 92/ 3/ 7 16:14 (164)
シャンティー大師成就記事2 ウパティッサ
★内容
▼アナハタ・チァクラの爆発
◎七月十四日(火)
瞑想中、両鼻が通り、スーッと意識が鮮明になると、上から白い光、下から
エネルギーがアナハタ・チァクラに入った。お腹には五仏が宿り、アストラル
オレンジ、赤(バラ色)、青、緑と順に身体が上へつきぬけていく。サハス
ラーラ・チァクラより、白い光の帯が大きな白い楕円形に黒い穴のある軽石の
ような光体につながり、自分がその中に入っていく。一二三五年、……年、一
五……年、一九八七年という年代が出てくる。
私は真実のイメージを求めている。幻影はいらないと強く思う。透明な水が
上からこぼれてくる。すると、
「グルは真理です。」
と、その光体が私に教えた。そして突然、グルに対する本当の帰依の心がわい
てきた。このとき、自分ともうひとりの自分がはっきり分かれた。
暗い中に、金色の光のつぶが輝いている。白銀色の輪の中央に白っぽいかた
まりがある。そしてそれに包まれてしまう。
マントラを唱え、意識をグルの意識の中にとけこませようとした。すると、
白い光がアナハタ一杯に満ちてきて、アナハタが一気に爆発した。白っぽい意
識が広がった。
◎七月十八日(土)
瞑想に入ると、頭上よりベルが鳴り響き、体がしびれ出す。瞑想空間は広く
なってゆくばかり。アストラル・ボディができた、と意識の中で強く思ってい
る。心が軽い。
遅ればせながら、大乗の道を私は歩んでいきたいと思う。今まで本当にシヴ
ァ神とグルに帰依していたであろうか。私のエゴの満足の為に、私というもの
は存在していたという気がする。
もういらない。エゴも形も見栄も捨てた。真実の帰依ができるように、これ
から本当に修行する。極限の功徳を積む。こんな気持ちになっている。
◎七月十九日(日)
最後の二時間の瞑想はおかしい。自分が自分であるような、ないような状態。
肉体が意識できないわけでもない。深く入っているという感じでもない。少し
イライラする。考えているからだろうか、エゴのこと。
光も、音楽も、熱いクンダリニーも風のような甘露も、もうあたりまえのよ
うに私の体を通り過ぎてゆく。でも、フワッとする、この感覚は何だろう。突
然どこかへ飛び出してゆくような、引き込まれるような感覚だ。
◎七月二十日(月)
アナハタ・チァクラからエネルギーが吹き上がる。光の状態は、だんだん同
じイメージで強くなってきている。始め白銀色の光がアージュニァー・チァク
ラ全体に広がってゆき、金色のキラキラ光るツブがたくさん現われる。
遠くの方から白く光る球体がせまってきて、顔面でリングを作ったりして消
える。肉体的には、汗線が開いてきている。皮膚呼吸が盛んなように感じられ
る。体が非常にだるい。
◎七月二十一日(火)
ボワーッと抜け出てしまいそうな感じで瞑想に入る。五回ほど体、あるいは
意識がガクッという感じになり、そのたびに深い瞑想にはいっていく。
頭上では、ベルの音や金属的な音楽が聞こえる。左耳の方からは、ハープの
ような弦の音楽がいやに明るく響いてくる。
光の状態は昨日と同じだが、金色に光る川のようなものが現われて、体がと
けてその川に入ってしまいそうな感じになる。
▼三回目の挫折
この頃、心の中で大乗の修行者としての自覚が少しずつできかけていたんで
す。ところが先生に、お前は小乗で行け、何も卑下する必要はないから、と言
われたんです。そのことを先生に言われて、私が大乗の道を歩くには限界があ
るんじゃないだろうかとがっかりしてしまったのです。これが三回目の挫折の
原因になりました。
◎七月二十三日(木)
どうしたら解脱できるのだろう。いくらなまけものの私でも、いくら無痴な
私でも、いささかこのままでは、と思うようになってきた。もういやだと思う。
幻影の中で、暗闇の中で、もがいて苦しんでいるのはもういや。
私は、いつも光の中にいたい。人をうらんだり、シットしたり、暗い生き方
はイヤ。私は自由でいたい。幸せでいたい。
◎七月二十四日(金)
前日ザンゲ。グルのお話によれば、すべて自分であるから肯定するように、
ということでした。今日ザンゲ。かなりいいところまできているとか。楽を滅
すること。今までの人生が妥協の人生だったはず。それがプラスかどうかを考
えるように、とのこと。
今日の状態は本当に“喜”。うれしさがこみあげて、笑っている。何日ぶり
だろう。こんなに笑ったなんて。体が軽い。心も軽い。すべてグルのエネルギ
ーとして感じられる。この満ち足りた気持ち。ずーっと続けばいいと思いなが
らも、いけない、ここで満足したら解脱はない、という気持ちにもなる。
解脱はもっとすごいだろうと思う。今までの暗い気持ちが吹き飛んでいく。
なんてばかな生き方をしてきたのだろう、と思うと又おかしくなる。ほとんど
気でも狂ったのかと思いながら笑っている。
朝、意識が二度飛ぶ。一回目はグルが現れて、二回目は白銀色の赤ちゃんが
純粋意識です、とか言っている。グルにお話するとよい体験だそうです。まだ
限界までやっていないとか。
▼すべてをグルに差し出す
先生にエネルギーを入れていただくと、霊的なステージはぱっとあがって解
脱に向かうんですね。でも心は浄化されていないから、それについていかない
んです。“喜”の状態に入って、喜んではいるんだけど、それでも後で空しく
なってしまいましたね。
◎七月二十五日(土)
光がアージュニァー・チァクラに集中する。まぶしい光、金色のつぶつぶ。
そして、白い光が輪をつくる。何度も繰り返され、どんどんまぶしさが増して
くる。白い光は中央に、始めはぼやっとした感じで、遠く小さく輝いているが、
しだいにアージュニァーに近付いてくるうちに大きくなり、色が白ではなく、
黄色の太陽のような光になってきた。
自分はその中に飛び込んでいくようで、なんだか恐い。心臓もあえいでいて、
体がしびれている。アージュニァーが痛い。しだいに光は頭頂より入ってくる
ような、包まれてしまったような状態で明るい(自分が光なのかも知れないな、
と思う)。
アシュビニ・ムドラーが勝手に始まり、又あえいでいる。が、すーっとおさ
まる。音楽が聞こえている。羽毛のような白い雪の結晶のようなものが見えた。
十分くらいかと思ったら、三時間十五分もこんなことをしていた。
◎七月二十七日(月)
二十時間修行する。クタクタ。グルは十八時間平気で修行できるようになっ
たら、そのときは解脱しているとおっしゃった。
途中、サハスラーラにエネルギーが集中しだし、ミシミシと痛くなる。その
ままエネルギーが頭頂から抜け出す。同時に上から別のエネルギーが入ってく
る。あとはずっと明るい光が見え続け、アージュニァーにもエネルギーが入り
続ける。
この前に、また“喜”の状態に入って笑い出す。だんだん狂ってきているの
ではないかな、私。自分が歩いてきた人生。ザンゲで言っている内容。何もか
もおかしくって泣きながら笑っている。なんでこうも無痴なんだろう。他人に
気を使って、よくもこんなに心を汚してきたものだ。結局さみしくって、だれ
かにかまってほしかった。いつもいつも。
“喜”の状態を過ぎてから真剣にザンゲする。もう私もいらない。何もいら
ない。生きるのも死ぬのももういらない。すべてグルに差し出す瞑想をした。
#197
/999 資料室
★タイトル (QAA11022) 92/ 3/ 7 16:17 (187)
オウム真理教>説法>オウム真理教の由来と、今後のオウムの動向
★内容
オウム真理教という名前の由来と
今後オウムがどういうふうな方向に行くか
ということについての説法です。(87年)
麻原です。えー、今日は、えー、まず、オウム真理教というね、まあ、非常
に古めかしい名前にオウムがなった由来、それから、今後オウムがどういうふ
うな方向に行くかということについて、皆さんに話してみたいと思います。
まず、真理教というのはね、これは、考えてみると簡単なことなんだね。そ
れは何かと言うと、要するに真理の教え。そうすると、皆さんの頭の中にはね、
教が付くから古いとか、まあ、こういうお叱りの手紙をね、送ってくれた人、
あるいは、教というのはもう宗教っぽくて嫌だとね、こういう、まあ電話ある
いは手紙の人、これは、まあ数名だけどいました。
しかし、わたしはこれに対してはね、矛盾を感じているんだよ。それはなぜ
かと言うと、この真理教の教というのは、例えば教科書の教だ、ね。あるいは
聖書などの教典の教だよ、ね。つまり、教というのは単なるこれは教えという
意味だ。つまり、わたしたちは今真理の教えを実践しているわけだから、真理
教でおかしくはない。
しかもだよ、今からオウムが展開していく動きというものは、例えば運命学
にしても非常に科学的だ、ね。科学ということは、先程言ったとおり、この教、
ね。真実の教えというものにつながってくる。あるいは医学にしても、真実の
教えというものとつながってくる。そして、世界でね、ただ一つスピーディー
な解脱システムを持ってるオウムにとってはだよ、ね、真理教しかなかったわ
けだね。
そして、まあ、だいたいシヴァ神からサインがくるときというのはね、その
後の変化というのは目まぐるしい。非常に激しい。現に、真理教にして、わた
しにきたサインというのは、まずケイマを悟らせなさい解脱させなさいという
ことだった、ね。ケイマというのは、今、オウム真理教の中心でもあるけども、
もう一つ、出版とか、あるいはオウムを動かしているね、中心でもある。だか
ら、今こもってもらっちゃ困るわけだ。しかし、こもらさなければならなかっ
た。そして三日前に、要するにセルフ・リアライゼーションというね、悟りの
究極の状態を得ました。いいですか。そして、今、この三日前からずっとわた
しは彼女に付いているんだけども、おととい意思鞘と理知鞘の霊視をずっとさ
せて、それから、順番からいったら、その次は五大エレメントに入るんだね。
で、五大エレメントをすべて霊視してしまったら最終解脱に入ります。そして、
その中のまず地元素が終わって、水元素が終わって、ね、それから今日、火の
元素ね、が終わって風元素の状態に入ってきている。ということは、あとはも
う何回もセミナーにね、出たことのある方だったらわかると思うが、風、空、
ね、そして最終解脱だ。ね。ということは、言い方を換えるならば、今彼女は
ラトナサンヴァバの解脱、それからアクショブヤの解脱、そしてアミターバの
解脱を行ったことになっている。ね。そして、アモガシッディ、ヴァイローチャ
ナと、そして最終解脱だ。
じゃ、なぜいきなりそこまで進んだのかと言うと、シヴァ神の意思が、もう
世の中の真理というものはないよと麻原。それを、ね、あなた方が体験しなきゃ
いけないんだよということでね、そのためにはオウム神仙の会では生ぬるいと、
名前は少し古いかもしれないが、真理教でいきなさいと、ね、いうことで、真
理教になった。
そしてだよ、もう一つの変化は、わたし以外だれも三昧に入れなか、入れな
かったんだけどもね、シャンティーが三昧に入るようになった。これは、一時
間、二時間だけどね、まだ、短いけども。いいですか。三昧ということは、『
生死を超える』を読んだことのある人は、どうでしたか。まず、苦ありて信あ
りと、信ありてクンダリニーの覚醒ありと、ね、クンダリニーの覚醒ありて悦、
悦ありて喜ありと、喜ありて軽安ありと、ね、軽安ありて楽ありと、そして三
昧でしょ。で、三昧でいろんな世界を体験して、遠離、離貪、解脱の状態だね、
がくるわけだ。そのように、難しい状態の三昧まで入れるようになったという
ことは、後は解脱は時間の問題だということになる、ね。
他に、真理教になって、いろいろと変化が出だしている。これは何かという
と、名というものはね、名前というものはその団体の本質を表わす。いいです
か。そして、オウムは真理の教えを実践していこ、いこうではないかと、真理
の教えを体得しようではないかということで、ね、真理教という名前になった
んだよ。そして、あなた方もいずれ、解脱に向かっている人はわたしのそばに
来て、ね、わたしからイニシエーションを受ける。あるいは、最終解脱をした
者からイニシエーションを受けなきゃなんない。ね。
前回のセミナーでわたしは、三名ぐらいの成就者を今年中に出すと言ったけ
ども、今の状態だと、おそらく、ね、あなた方が協力してくださってるから、
五名、七名のね、超能力者、いや最終解脱者を出す、出すことができるだろう。
そして、いずれあなた方も最終解脱の恩恵をね、受けることができると思いま
す。だから、わたしと、それから、まだオウムのスタッフは若いけども、スタッ
フを信じて付いてきてほしい。
またね、システムの改善について。これはね、わたしが法を説き出して一年
半になります、ね。そして、その一年半の中でもっとこうした方がいいなと、
ね、いやこうしなきゃいけないなというようなことがね、随所に見られ出した
わけだ。
例えば、ね、単に現世的に楽に生きたい人、あるいは自分は超能力だけでい
いよと。麻原の言っている解脱はわかるけども、今のわたしにとっては、ね、
解脱は魅力がないと言う人。あるいは、わたしは一日も早く最終解脱したいん
だという人、ね。この三つにオウムの人たちはわかれるわけだよ。そうすると、
この三つのグループの人をだよ、一同に集めて、例えば今みたいなグルヨーガ・
イニシエーションみたいなね、やり方で、セミナーを開くとだ、当然矛盾が出
てくるわけだね、これは。そうでしょう。わたしの頭の中には、皆さんを最終
解脱の状態と、マハーヤーナに入れてあげたいという気持ちがあるから、どう
してもヨーガ・タントラのね、修行中心になってくる。と、それと、ね、布施
はしなさい、法施はしなさいと、持戒は守りなさいと、ね、忍辱しなさいと、
そして精進して、その後に禅定、それから無上の智慧がくるんだよと言ってい
る。
そうするとだ、そんなことは問題ないよと、とにかく今シッディが欲しいん
だと、ね、今超能力が欲しいんだと、あるいは今幸せになりたいんだと考えて
る人はだ、それには付いてこれない。というよりも、ね、わたしみたいなアホ
しか解脱に対する修行はしないわけだから、ね、今オウムの会員は八百名はい
るけども、その中でおそらく四割から五割の人が、ね、あるいは三割かな、初
めから解脱をしたいと思って集まった人だと思うんだ。そうすると、残りの人
たちに対して、残りの人たちのニーズに対してね、オウムは応えられなくなっ
てくる、ね。
じゃ、オウムはそれだけの力はないかと、あるいは、それだけの内容を持っ
ていないかというとそうではない。そこから、今回のシステム改善というね、
動きが始まったわけです。ですから、決してこれは改悪ではなくて、改善です。
それからね、もう一つ、これはある会員の手紙にあったんだけどもね、オウ
ムが組織的に大きくなるということは、他の宗教団体と変わりがないわけだ。
ね。だから、組織もこのままの大きさを維持して、麻原がわたしたちのための
麻原であってほしいと彼は言った。わたしはそのときね、まだ会員には、この
程度の人間しかいなかったのかと思った。そうでしょう。わたしはセミナーの
最中何と言ってるか。わたしたちの修行の目的というものは、エゴを滅するた
めにある。そして、より多くの人に真理をもって知ってもらう。これが、わた
したちの修行の目的だ。ね。もちろん今入会している人たちに対しては、満足
してもらえるような修行体系を取ろう。それから、成就者との直接のね、対話
を持たせるようにしなきゃならない。そのために、わたしもオウムのスタッフ
もね、毎日毎日、ほとんど寝ない状態で動いている。だからね、成就者が今年
中に五名から七名できるんだよ。そうするとね、例えば七名できたら、今八百
人に対しては、わたし一人、一人で十分だ。これが、七名になったら、五千六
百人に対してね、オウムが耐えられるようになるんだよ。
ところが、エゴの固まりの人は、あるいは真理の見えない人は、こう考える。
そんな最終解脱なんか、ね、簡単になせるものではないと。しかし、それは、
無智から出た考え方だ。釈迦牟尼如来が現われたとき、二千人の成就者を出し
たよ。ということは、十六万人の、ね、本当の意味での会員に対して、耐えら
れるだけの成就者がいたということになる。いいですか。今からわたしが考え
ていることは、わたしと同じ、すべてを知った人間をいかに多く出すかだ。そ
して、それをあなた方のためにね、いかに提供するかだ。わかりますか。
今日わたしは声が出ない。これは、ケイマに対してシャクティーパットをこ
の三日ぐらいでね、八時間ぐらい、九時間だね、八時間から九時間ぐらいずっ
と入れ続けている。だから、身体のエネルギーがない、ほとんど。だから、今、
あまり声が出ない。しかし、それは彼女が成就することによってね、あなた方
がより一層身近に成就者をね、一人持つことができるというメリットのために
やっている。
いいですか、もう一度繰り返すよ。システム改善にしろ、それから教勢の拡
大にしろ、それから成就者と、ね、会員の比率にしろ、オウムは決して崩れる
ことはない。これは、わたしがこの世にいる限り、そのバランスというものを
崩すつもりはない。だから、皆さんもその点については、確信を持って修行し
てほしい。いいかな。そして、いずれは、解脱を目指してる方は最終解脱をな
さって、法を説いてほしい。シャクティーパットをしてほしい。ね。イニシエー
ションをしてほしい。これはわたしの願いです。それしかないんだよ。そうだ
ろ。
ここにキリスト教の教典がある。ここに仏教の教典がある。しかし、それを
だれもね、解明することができないんだよ。真実を知らないから。例えば、わ
たしがこれが真実だと言ったとしてもね、だれがそれを証明できるんだ。
しかし、最終的に成就した人たちが、千人かもしれない、一万人かもしれな
い、三万人かもしれない、十万人かもしれないけどね、その人たちがだよ、す
べて同じ点を指して、これは真実だと言ったならば、しかも、その人たちは人
格的に尊敬できると。そして、スーパーシッディを持っていると。その人たち
が、宇宙の構成というものは、ね、まず、粗雑次元においては熱が優位である
と。ね、夢の次元、微細な次元、アストラル次元においては、ヴァイブレーショ
ン、音のヴァイブレーションが優位であると。ね。精神的次元については、光
が優位であるということを示せたらそれは真実となろうよ。そうでしょ。
この中で、たくさんの本を読んでる人がいる。しかしだよ、もし、その本が
間違っていたら、あなた方は間違った教えを真理として受け取り、そして、間
違った世界へ入っていくだろう。それを食い止めるためにはね、真の成就者を
たくさん出すしかないんだ、これは。
そうだね、例えば、ここにいらっしゃっる方、これはシヴァ神の。チベット
密教では、グヤサマジャといわれている。これは、何を意味していると思うか。
ね。日本の感覚から言ったら、とんでもない淫らな絵だ。男と女が愛し合って
いる。しかし、実際はそうではない。例えば、この中央のブルー、これはわた
したちの執着を表わしている。霊視するとこの色になる。それから、左側の白、
これはわたしたちの曖昧さを表わしている、ね。これは。そして、右側の赤、
これはわたしたちの怒りを表わしている。そして、これは、ピンガラ、スシュ
ムナー、イダー、ね。そして、この上に……、これパールヴァティーでもいい
し、あるいは、ダキニでもよろしいが、この交接というものは、わたしたちが
グルヨーガで演じているように、わたしたちのアストラル・ボディーを作るた
めの神聖なる結合だ、これは。陰と陽の結び付きだ。ね。そして、ヴァジラ、
それから、曲刀、ね、ベル、経典、これは何を意味しているかわかるね、もう。
ヴァジラはアクショブヤ、功徳を表わしている。ね。そして、ラトナサンヴァ
バの曲刀は意志を表わしている。ね。深い意味合いについては、イニシエーショ
ンでやるよ。
こういうふうにしてだよ、真理を教えるときに、一つ一つの、例えばわたし
が絵た、絵解きをしたとして、いや違うね、例えば、この絵をあなた方が何も
知らないで見たとして、ね、性欲をそそられることはあるかもしれないが、神
聖な気持ちにあなた方がなることはない。しかし、このマンダラの意味合いを
あなた方が一つ一つ理解したならば、あなた方にとっては、このマンダラとい
うものは、あなた方を救済してくれる最高の仏様に見えるだろう。このように
して、たとえ、一つのものも、ね、真理の目で見た場合と、凡夫の目で見た場
合と違うんだ。それを表現するためにはね、それをあなた方にアピールするた
めには、それはわたしだけではどうしょうもないんだ。ね。そうだろ。わたし
はあなた方のカリスマになるつもりはありません。あなた方がわたしと同じス
テージに入り、そしてね、真の仏陀になることをわたしは望んでいるし、そし
て、そのために、わたしはいるんだよ。それから、これから成就してくるケイ
マもそうだし、ね、今予定されている六人もそうだ。そのために存在している
んだよ。だから、オウム真理教というね、非常に古い名前だが、実際には全く
新しい教えに付いてきてほしい。そして、実践してほしい。そしてね、絶対幸
福になってほしいんだ。絶対自由になってほしいんだ。いいですか。
今日はね、まあ、あの少ないけども、えー、システムの改善あるいは、えー
疑問点について今から聞きますので、質問があったら聞いてください。
オウム真理教ネットより転載
聖称賛磨蔵
#198
/999 資料室
★タイトル (MQM47158) 92/ 3/ 7 16:18 (158)
シャンティー大師成就記事3 ウパティッサ
★内容
▼悟りの日--偉大なグル
先生に、
「お前と同じように苦しんでいる者がいるじゃないか。」
「その人に言葉をかけてあげることができるじゃないか。」
って、いわれたときに、はっと気がついたんですよ。こんなに汚い、こんなに
嘘つきの私でも、私と同じ人がいたらね、こうだよって言ってあげれるわ、っ
て。まわりの人も救えるかもしれないな、お手伝いできるんじゃないかなって
思ったんです。
◎七月二十八日(火)
瞑想中、又苦しくなる。イヤダイヤダ。辛い。先生にはあきれられているだ
ろうし、エジプトへ行ってしまわれる。どうしたら解脱できるのだろう。この
心。私はいったい何なのだろう。何かすべてがイヤになってきてどうしようも
なくなる。
ところが突然、離れてみようという気持ちになって、パッと心を離したとた
ん、今までの苦が苦でなくなった。手のひらを返したような、この自由感。食
べたいものは、供物として捧げよう。
グルに自分の汚い部分をさらけ出した私。嫌われていても、好かれていても、
このような小さな枠のなかにグルは存在していらっしゃらないのだ。
そうだ、救済の仕事をするのだ。私と同じように苦しんでいる多くの人達を
わかってあげられるだろう、とグルはおっしゃった。苦しんでいる人はたくさ
んいるのだ。
蓮華座を組む。誓願をたてた。
午後一時半、グル来訪。今日のことをお話しした。
「悟ったな。」
と、グルは短く言われた。
「シャンティー、あとはお前に教えることは何もない。 見守るだけだ。エネ
ルギーが綺麗になった。」
(先生、申し訳ありませんでした……。)
私はそれしか言えなかった。喜びはあとからあとからあふれるばかりに私を
満たしていく。グルの御顔を見上げた。
この瞬間を私は永遠に忘れない。そこにましましたのは、やさしくほほ笑ま
れた慈愛にあふれ、まばゆい光を放たれたマハーグルデーヴァであられた。心
がどんどん透明になり、素直になっていく。悟りに至るプロセスは苦しい。し
かし、すべてを失い、苦の極限を越えたとき、絶対自由な世界が訪れた。そし
て、ここまで導いて下さいましたのは、目の前にいらっしゃるグルであられる
のだ。
今生でめぐり会えて本当によかった。私はグルとシヴァ神に完全に帰依した。
▼解脱--救済の道
◎七月三十一日(金)
午前中、白銀の光の中に飛んだ。ツァンダリーのプラーナーヤーマのとき、
クンバカ中、腰にエネルギーが広がってゆき、保息時間が長くなればなるほど
辛さが腰にくる。
瞑想中、体がフワフワして、だるくてたまらなくなる。急に寒くなったり、
熱くなったりする。エネルギーは自由に上昇させることができるようになった。
午後十一時、セクシャルなヴィジョンを見る。自分だけれど、もうひとりの
自分が見ているという感じ。実際に性欲はありますかと聞かれれば、もう肉体
次元の行為はしたくないような気がする。精力は、なぜか最近回復してきたの
だけれど。
光がまぶしくなってきた。ブラフマランドラにエネルギーが入ってくる。し
かも、かなり強く体の中に入ってくる。体が浮くのでは、という上昇感もある。
シャクティーパットをしていただいたような感じだ。
エネルギーが上がっていって、ピョンとはねてしまう。
ケイマ大師来訪。
「解脱したのではないですか。」
とのこと。
解脱したということは、その後先生に確認していただいてわかりました。そ
の前から兆候はあったんです。心臓や背骨の一本、一本を霊視したり、金色の
つぶつぶとして、『意思鞘』も見ていました。
三昧にはずっと入っていたんですが、赤、黄色、白銀、金色とかの波、うね
りを何度も見ていて、それに飛び込まないようにしようと思っていました。こ
れは光の世界で、想念だっていうのがはっきりわかりました。
この後、一週間ほどさらに修行を続けて、独房を出ました。
◎八月九日(日)
とうとう、私はこの部屋を出ることになった。ケイマ大師が、
「今日はいつもと少し違いますね。瞑想しましょう。」
とおっしゃる。私は、なぜか最近ご一緒の瞑想がうれしくてたまらない。
電気を消された。ケイマ大師のまわりをうすいブルーがかった白銀色が包ん
でいた。クンダリニーのエネルギーが上昇していらっしゃるのが見えるようだ。
おもわず、ニッコリとほほ笑んでしまった。
透明な時間。三六〇度の瞑想ができるようになった。
すべては与えられる 何と深い意味だろう
グルの本当のお姿を私は知った
そして、自分がいかに多くのカルマを積み、心を汚してきたかを知った
すべてはマーヤ(幻影)なのだということも知った
信の大切さ 帰依の喜び
極限だったからこそ、与えられた喜びは大きい
マハー・グルデーヴァ麻原尊師様
今生でめぐり会えて本当によかった
ありがとうございます
今生のすべてを捧げ、大乗の道を歩み、ご恩返しをしたい
そして、私と同じように苦しんでいる多くの人が一日も早くグル麻原尊師に
めぐり会 え、マハーヤーナへ入れるように願いたい
《シャンティー大師の成就について》
拙書『イニシエーション』や『生死を超える』でも紹介されていたが、彼女
の修行の持続力は驚異的だった。
彼女の体験談にも、宿命通によって前世を思い出したり、すべてが幻影であ
ることを悟るといった、クンダリニー・ヨーガの特徴がよく現われている。そ
して、今では「すべての人が同じに見える」と言う。正確なインスピレーショ
ン、ジュニアーナ・ヨーガの土台となる平等心を身に付けつつあるのだ。また、
彼女は会う人の病気をたちどころに治してしまう神通力の持ち主としても有名
になっている。
ケイマ大師の場合と同様、愛情欲求と食欲が成就の邪魔をしていたが、成就
してからは完成に向かって順調に進んでいる。今では人に接してもエネルギー
のロスが少なくなり、安定してきている。あと一、二ヵ月でジュニアーナ・ヨ
ーガへ入って行けるのではないだろうか。
ちなみに、彼女が瞑想中にヴィジョンを見るときには『変化身』を使ってい
る。これはケイマ大師も同様である。
#199
/999 資料室
★タイトル (QAA11022) 92/ 3/ 7 20:24 (200)
オウム真理教>説法>占星術とオウムの予言
★内容
1987年6月 セミナーにて
えー、今日はまず会員の皆様にお知らせがある。それはね、えーやっとケイ
マが、えー解脱の中の一つの解脱、真解脱をしました。ま、ちょっと最後てこ
ずったんだけども、えー特別なイニシエーションが効いたみたいで、えー最終、
えーこれから先彼女の場合、えーあと落とすプロセスが残ってるんだね、落と
すプロセスてのは納得するプロセスともいわれてるんだけども、私が解脱をし
て、それから最終的な段階に入るまで、そうだな半年から一年ぐらいかかって
います。と、おそらく彼女もそれぐらいの時間はかかるんじゃないかと思う。
じゃ、真解脱と最終解脱との違いとは何かというとね。要するに真解脱とい
うのは、この粗雑次元から微細次元に入って、ね、そしてコーザル次元に入っ
てくわけでしょ。原因、原因次元に入ってくわけだね。そしてそれを突き抜け
た状態、これを真解脱と言います。そして最終解脱というのは過去世からいろ
んなカルマを積んできた、それがあとはボロボロと落ちていくんだね自動的に。
で、その落ちた段階を最終解脱と言う。
だから真解脱、即最終的なことだとは言えない。しかし、もう例えば、いろ
んな超能力ね、ま例えば、あの私がやっているようなシャクティーパットぐら
いのことはできるだろう、おそらく。ですからま、皆さんにとってもね、えー、
一人信頼のできる、まあ魂というものができたと、そういうふうにお考えくだ
さい。そして、それを励みとしてね、皆さんも必ず解脱してほしい。
それでは、えー今日の話に入ります。今日は、まずこれからオウムがいった
いどういう展開をして救済するのか。それからね、何から救済するのか。ねえ、
まず、これについて語りたいと思うね。そして時間があったら、もう一度修行
システムというものをね見直してみよう、ね。そして、どうして、――時間が
あったらだよ、ケイマは解脱できたんだ、で、解脱できたかということについ
てね、皆さんに話したいと思う。
まず、今オウムの取りかかっている事業というのは一つは予言です。正確な
予言です。というのはね、私がシャクティーパットを始めるまでの予言という
のが百発百中できてるんだよ。そして、シャクティーパットを始めて、濁りが
生じ出している。だからおそらく来年の十二月以降の、ね、予言に関しては、
また百発百中でいくだろう、これは。しかし、それまでの、ね、期間じゃあど
うしたらいいかというと、どうすることもできないと、ね。そこで今扱ってい
るのが、ま新しい成就者を出して予言させるということ、それからもう一つは
占星学によってね、実際の星の運行によって、正確な予言をしようじゃないか
と、ね、そういう試みに入っているわけだ。そこで、ま、村井さんを中心、と
言っても、まあ村井さんが一人でやってたわけだけれども、を村井さんに、そ
の、えー、正確に占星学のデータを作っていただいて、そしてまあ、私と山田
君とね、それに対して検討しているっていうのが今のオウムの状況です。
で、この中で未来に対して関心をお持ちの方がね、かなりいらっしゃるだろ
うから、少しお話をすると、まず一九九九年にね、これは八月、七月の終わり
ぐらいからかな、八月にかけて、火星がさそり座に入るんだ。でね、この火星
とそれから太陽、そして新しく発見された冥王星、海王星というのがスクウェ
アつまり九十度を組んでるんだね、これは。そして第二次世界大戦の終わり。
原爆を打ち込まれたときもスクウェアを組んでるんだよ。ね。
で、大切なことはここなんだけども、例えば、占星学のものの考え方という
ものは、いやヨーガのものの考え方というものは、もしそれについて全く干渉
しなかったならば、私達はその被害あるいは恩恵を受けることはないといわれ
ている。これはどういうことかというと、プラティヤーハラの状態に入ったな
らば、いかなる熱エネルギーに関しても、あるいはいかなる破壊的エネルギー
に関してもね、我々は干渉を受けないといわれてるんだよ。
そしてそれを証明するかのようにね、占星学のものの考え方で実証されたわ
けだ。それは何かというとね、例えば天王星が現われた後に飛行機が現われた
と。で、占星学者達は天王星が現われて、「あ、じゃあ間もなく、まあ空に関
するもの、ね、それが現われるだろう」と予知したと。そして、飛行機が現わ
れたと、ね。山田君、海王星が現われて何が現れたか。
山田「えー石油です。」
そうだね、海王星が現われて石油が現れた、ね。もう一つ、じゃあ冥王星が
現われたら何が現われたか、山田君?
山田「えっと、原子核のエネルギー」
そうだね、原子核のエネルギーが現われた。
つまり、冥王星、それから海王星・天王星というものは、もともとあったわ
けだね。ところが人間が知るところとなって、その、それと感応して、飛行機
が現われ、石油が現われ、そして、ね、冥王星の象意、原子核・原子力が現わ
れた、ね。
そして、第二次世界大戦後、いいですか。ここは大切なところだ。さそり座
のある星にね、強烈なX線を出す星があるそうだ。これは、まだ正確な情報で
はないから、正確な情、あることは事実だよ。そして、それがどういうふうに
関連するかということが、正確な情報ではないから、ね、今参考程度に聞いて
いてほしい、いいですか。そして、それが一九九九年の八月、ね、そのX線を
強烈に放射しているさそり座に火星が入ると、ね。そして。X線の、ね、働きっ
てのはわかってると思うけど、放射ですこれは。そして火星というのは戦争だ
よ、ね。そうするとノストラダムスが言っている一九九九、七の月と、ね、そ
こには軍神が云々という一節があるね。軍神ってのは火星のことを現わしてる
わけだけれども、その、ね、火星の最も強く出るさそり座に、ね、X線を強烈
に放射するエネルギー体があって、そのエネルギー体が火星を通じて増幅して
地球に影響をしたならば、おそらくここで核戦争だろうと、いうことになるわ
けだ、ね。予知とか予言ってのはこういうふうな形でやっているわけだ、ま、
オウムではね。
で、例えば、飛行機事故に関してはだいたい九〇パーセントぐらいの確率で
今、当たっています。これは、あの、そうだね九月ぐらいに一冊の本として出
すつもりでいるけども、今のところ九〇パーセントぐらいの確率で当たってい
ます、これは。で、戦争に関しても、だいたい確実にきてるね。
それからもう一つあるんだよ、うれしい話がね。これは、もうみんなも知っ
てると思うけど、この日本というのは三つのプレートによって、あの圧迫され
てるのは知ってるよね。で、その中心が富士山であると。で、私が二年前に書
いた、二年前、正確に言うと、えーと、去年、一昨年の、えー、十月か、まだ
出版されてないんだけども、十月に書いた予言書があるんだよ。その予言書の
中に、日本沈没について詳しいデータがあるんだけども、どうもそれが一つの
プレートのね、その日本を乗っけている一つのプレートの何らかの変化によっ
て起きるんではないかと。そしてそれがもし起きるとしたら、富士山の爆発と
連動するんじゃないかと、ね、いうことになるわけだ。
じゃあだよ、起きなければいいけども、ね、もう起きてしまったらしょうが
ないと。で、皆さんあきらめますか一緒に。ね。
そして、わたしはシヴァ神とコンタクトを取った、どうしようかと。ね、ま、
この前堤条件について少し曖昧な点があるから、それについては会員の皆様に
はね、近日中に、ま、近日中といっても二カ月ぐらいかかるかもしれないけど
も、正確な情報を提供するつもりでいます。いいですか。
そして、シヴァ神とコンタクトを取った私は、富士山に道場を作らなければ
ならないという示唆を得た。ところがだよ、これは一番危険な場所なんだよ、
ね。なぜ危険かわかるよね。今言ったとおり、三つのプレートの、ね、ぶつか
り合いによってできたのが富士山なんだから。そうなると、三つのプレートの
一つが、もし崩れたとき、富士山はどうなるかわかるだろう。しかし、逆の言
い方をするならば、それだけエネルギーの強い場所でもあるわけだね、これは。
つまり、世界に対して強烈な影響を与える場所でもあるわけだ、この場所って
いうのは、ね。いいですか。
そして、もし仮にその富士山から神聖なヴァイブレーションを発することが
できたならば、そしてもう一つの前提条件はヨーガ理論のいうところの真我の
オーダーによってこの宇宙ができているんだったならば、私達は救済に成功す
ることができるだろう、ね。しかしもし、ね、ま、道場はできたとしても、神
聖なヴァイブレーションを聖なるヴァイブレーションを発することができなかっ
たならばね、私達は救済に失敗するだろう。簡単なことだ、これは。ね。
そして、それがあなた方が、ま、あなた方の中の、ね、大部分だと思うが信
頼してくださっている、ね、グルである私がだよ、今から先の救済の計画の根
幹となっている部分だ、これは。そしてあとは五月のセミナーにも言ったよう
に、主要な都市にね、あるいは神聖なる山にね、オウムの道場を持ったり、あ
るいはオウムの支部を持ったりして、そして一つの、ね、新しい文明を築こう
じゃないかと。それは今やっている、ね、天界からあるいは高位の世界から引っ
張り出してきた音楽や、あるいは絵画や、ね、あるいは科学や、こういうもの
をベースとした、ね、神聖な文明を作ろうではないかと考えているんだ。ちょっ
と誇大妄想だね、これは。しかしだよ、今の文明を考えてみるとだ、これぐら
いの誇大妄想家が一人いて。ねえ、現代の文明に立ち向かってもいいじゃない
かと考えているんだよ、私は。そして。どういうわけかこのアホな私にね、協
力をしてくれる優秀なスタッ、スタッフがオウムに集まりつつあることは事実
です、これは。ね。
もう少し言及しようかね。私の書いた予言書の中では、例えば、岩手は沈む
とか、北海道が危ないとかいろいろ書いてます。ね。現に見てごらん、今の地
震の震源地はその場所に非常に近いよ。ね、しかも頻発してるよ、ねえ。それ
からもう一つ、私が五月に予言したとおり、今年の夏は旱魃だよ。ね。まあシャ
クティーパットをやってかなり暗性にはなっているが、それでもまだかなりの
部分は的中してるね。
そういうことを引っくるめて考えるとだ、私達が、もし私達だけの人生を考
えて今後生きるとしたら、ね、私達は私達自身のために破滅へ向かうだろう。
そこで、ね、あなた方ボーディーサットヴァの力が必要となってくる。ボー
ディーサットヴァとは何かと言うと、もちろんあなた方の本懐である真解脱そ
して最終解脱これをしなければならない。しかし、それと同時にね、皆さんに
真理の目を開いて頂いて、そして真に幸福な、自由な社会を実現するように、
努力しなければならないと私は考えている
たしかにだよ現代はどんどんどんどん冷え切ってるよ。だからオウムみたい
なね、修行をやると、現代生活とそれから修行との間に大変なギャップが出る
かも知れない、ね。しかし、例えばだよ、みんなが猛毒を食らってバタバタと
死んでいってると。で、自分も猛毒食わないと仲間外れにされるときだ、あな
た方は猛毒を食べるか、ね。食べる人もいるかも知れない。しかし、それは菩
薩向きではない、ね。周りから非難されようと、その猛毒を食べないで、周り
に対して、あなた方が食べてる物は猛毒であると。だからそれは食べてはいけ
ないと。言い切るぐらいのね信念を持ってほしいと私は考えている。そして、
そのあなた方の行動の裏付けとしての理論の展開や、あるいは科学的証明、ね、
あるいは神聖なヴァイブレーションをオウムは作るであろうし、そしてあなた
方を応援するであろう。
もうあんまり時間はないよ。これがまず、今日の話の第一点、救済について
だ。
次、第二点目、なぜケイマが成就できたかと真解脱ができたかと。そして、
ね、それとオウムのシステムとはどういうふうに関係があるかということにつ
いて、少し話したいと思うね。
ケイマが私について、かれこれ三年になります。まあ、昔はね、本当に来て
も十名ぐらいの小さな道場で、ま、その頃私は成就してなかった。そしてハタ
ヨーガと精神的な話を中心としてね、彼女達を導いていたわけだけども、ま、
その中でも彼女は真面目な生徒の一人だった。そして、二年半ぐらい前から本
当に私を完璧にサポートする立場で、ね、彼女の生活は始まった。そしてね、
一年半ぐらい前から彼女の修行というものはほとんどできない状態、ね、それ
はちょうど、今のオウムが動き出した時期だ。じゃ彼女は何をやったかと。た
だひたすらバクティーだ。ただひたすらお手伝いだ、ね。しかも、それについ
て一切の不満を言うどころか、ね、まだオウムというのは小さな組織で経済的
にも苦しかったから、ね、会社で得た給料を布施するということによってオウ
ムを支えてくれた。
そしてインドにいったとき、聖者達にね彼女は一カ月ぐらいあれば成就する
と言われたんだよ。それは今の真解脱のことだけども。うん、私も素質を見て、
ま、それくらいで成就するだろうなと考えた。しかし、これは私のエゴによっ
てね、エゴというのはこれから先の救済計画によって、ずっと彼女を引っ張っ
てきたわけだ。もちろん、修行しないでバクティーだけをやってるわけだから、
霊的なブレはあったよ、そのとき。ね、いつも安定してるわけじゃなかった。
それは、私達の心をコントロールしてくれるプラーナヤーマをするわけでもな
いし、ね、座法を固定するためのアーサナをするわけでもない。ところが、今
年の五月ね、あなた方に説法をするちょっと前だ。シヴァ神から示唆があって、
もうケイマはこれ以上バクティーをやらせてはならないと、成就させなさいと
いうサインが下ったんだね。それで時期を見計らった。ところが面白いことに
ね、それまではオウムの中心だったケイマの仕事をね、いろんな人が分担して
くれて、彼女は修行に入れる状態ができたわけだ、ね。つまり熟した果物がね、
落ちると、落ちるのと同じように、彼女が天から解脱というものを授かる時期
だったんだね、これは。そしてこもって今日でちょうど十日目だね。で、真解
脱まで至った、ね。
これは私の提唱する六つの極限とね、完全に一致してるんだよ。つまり、布
施から始まって、ね、この布施の中には奉仕も入るが、戒を守り、そして忍辱
し、ひたすら耐え、ひたすら修行し、ね、この修行というものは形がない。そ
して最後に、禅定、瞑想に入って、ね、解脱していく。これが六つの極限のね、
本当の意味合いなんだ。だから。皆さんがね、皆さんのエゴで、これは私はや
りたくないとか、これは私はやりたいとか言ってるうちはまず解脱はこないと
考えなさい。もちろんオウムのシステムは素晴らしいから、超能力といわれて
る部分はいろいろ付くだろう、ね。だから、そこで安住する人、満足できる人
はそれはそれで構わないよ。しかし、この中で解脱を目指している人がいたら、
最後はエゴをね、いかに崩壊するかいかに任せ切るかということになってくる。
そして、それが完全に行なわれたとき、その人には解脱がきます。はい、それ
では今日の講話はこれで終わる。
オウム真理教ネットより転載
聖称賛磨蔵
#200
/999 資料室
★タイトル (QAA11022) 92/ 3/ 7 23: 8 (198)
オウム真理教>偉大なるグルの肖像4
★内容
以前、BD7に掲載した「偉大なるグルの肖像」の続きを、アップさせてい
ただきます。
今回は、マイトレーヤ正悟師です。
-------
●マイトレーヤ正悟師
エリートコースを捨て、1987年5月に出家。同年9月、クンダリニー・
ヨーガをスピード成就して伝説の未来仏の名を授かる。89年12月にはマハ
ー・ムドラーを成就。胸に抱いた救済への意欲はさらに強まる。
論理的な思索力、天才的な修行者ぶりは周知のとおり、尊師の信頼も厚く、
ひたすら菩薩たらんとする正悟師の姿は信徒・サマナの良きお手本である。
◎天才
私は修行者としての尊師の偉大さをお話ししたいと思います。それは、私自
身が修行者であり、尊師は私にとって、というよりもすべての修行者にとって
具体的な目標だからです。
尊師はその修行体験において、ヨーガ的な体験も仏教的な体験も、経典に書
かれている記述どおり、そのまま経験されています。私達が二年、三年、四年
と修行をしても、なかなか尊師の体験の百分の一とか、千分の一に達するのも
難しいと思います。尊師は八年くらいで、そういう体験を全部なさっているわ
けですから、そういう意味では本当に----変な言い方ですが----天才でしょう
ね。
「天才」というのは、過去世からの積み重ねがあるから、今生は天才のよう
に見えるわけです。普通の魂が何千回も転生して修行しなければいけないとこ
ろを、尊師の場合は記憶を再生するような形で、今生のごく短期間で終えてい
らっしゃいます。そういう意味では本当にうらやましいですね(笑)。うらや
ましいというと、私自身が過去世で尊師くらいの努力、修行をしていれば結果
が出るわけですから、うらやましがってはいけないんですけれど、やっぱりで
も、うらやましいですね。
◎自身を持てる
- 「うらやましい」、この言い方はちょっと変かもしれないけれど、「う
らやましい」の裏には、つまり私自身も尊師のようにならなければいけないと
いう思いがあるわけです。やっぱり、そういう経験が自己の内側にあれば、自
信を持って、真理から外れずに進んでいけると思うんですよ。逆に体験がない
と自信も持てなくて、真理の道を進のが困難になると思います。
もう少し具体的に言うならば、尊師の場合は「六ヨーガ」の中の「バルドー
のヨーガ」一つ取っても、すべての世界の転生を経典どうり経験されています。
私達が、空や土や川や家や町を見るのと同じくらい定かなものとして、地獄か
ら餓鬼、天界に至るプロセスを経験されているわけでしょう。私達もそういう
経験があれば、「死後の世界はあるんだ、輪廻転生もあるんだ、修行するしか
ない、功徳を積むしかない」と容易に考えることができるわけです。
その上の「夢見のヨーガ」になると、現象界もアストラル界も同じように幻
で、かつ同じように現実だ、という体験をします。「夢見のヨーガ」を完璧に
体験された尊師にしてみれば、地獄・餓鬼・動物・人間・阿修羅・天、そして
現象界・アストラル界・コーザル界、これがすべて「夢の世界」なんだろうな
と思います。----ですから、この人間界も尊師にとっては夢の一つであると。
夢と言ってもピンとこないならば「幻影」と言い換えてもいいと思います。や
はり、そういう体験があれば、「唯一絶対の世界であるマハー・ニルヴァーナ
へすべての魂を導こう」と、自信を持って修行に没頭できるわけですよ。
ですから、修行者として、このような経験・・・・、経験というよりも「能力」
と言った方がふさわしいと思いますが、それを本当に「素晴らしい」と思いま
すね。
◎決断力
尊師の場合は今言ったような世界観・価値観を持ってらっしゃるわけですか
ら、いつでもどんなときでも修行、そして救済に価値を見いだされるわけです。
そして、いくら現世的に正しいと思われることでも、真理に基づいて考えた場
合にマイナスになるんだったら、それはあっさり「バサッ」と切り捨てるとい
うことができるわけです。
実際の救済活動において、オウム真理教では「出家修行」というのがかなり
強固に打ち出されていますから、それに対して、かなり反対者がいるわけです。
社会との摩擦を起こしたりして。だけど、多くの魂を出家修行の制度の中に導
くということが、どんなに大切かわかっていらっしゃるから、あれだけ自信を
持ってやれるわけです。どんなに叩かれようが「ここで救わなければ、彼らは
輪廻で苦しむんだ」ということをご存じですから。
ところが、現実中心の価値観・世界観を持っている人というのは、それだけ
世間に非難があるんだったら「やめようか」と考えるわけですよ。あるいは、
頭では「オウムが真理だ」とわかっていても、やっぱり妥協して、オウムの今
のやり方を曲げてしまうと。そして最終的には真理がなくなって堕落してしま
う----。今、他の宗教団体においては仏教が腐敗した形になっていますが、も
し尊師のご勇断がなければ、オウムもそんな感じになってしまうと思いますね。
◎真の偉大さ
さて、「修行者」としての尊師の偉大さということでいろいろお話ししてき
ましたが、今度は少し別の角度から尊師の偉大さについて言及したいと思いま
す。
漏尽通によってカルマを見極め、ケース・バイ・ケースで最もふさわしい選
択肢を採る----尊師がお持ちの神通の中でも、私はこの「漏尽通」が最高に素
晴らしいものだと思います。なぜならば、それによって私達は安心して尊師に
ついていくことができるからです。しかも、尊師が意思されることは常にシヴ
ァ大神がご意思されることであり、ひいては、すべての魂を救済することにも
つながるのです。
しかしこの漏尽通については、なかなか説明しにくいところがあるのです。
ですから、私の表現で皆さんに正しく「尊師の偉大さ」が伝わるかどうか、甚
だ疑問であると考えていますので、その点を皆さんも前もって承知していただ
いた上で、これについてお話ししましょう。
『イニシエーション』にも書かれているように、尊師はオウム真理教の----
そして日本の将来の動きに関して様々な予言をされています。しかも、尊師は
単に予言するにとどまらず、予言した上でそのカルマを見極め、最も”的確な”
選択肢を選んで進まれているわけです。----ここで付け加えておきたいのは、
尊師は未来を予知した際に、たとえ苦難に満ちた未来であっても、あえてそれ
を受けられることもあるということです。苦しみを乗り越えることによって心
を成熟させるために、あるいは弟子達を成長させるために・・・・。もちろん、苦
しみに耐え切れない場合は成長するどころか、逆にスポイルされる可能性もあ
りますが、そこを見極めるのが「漏尽通」なわけです。ですから未来を予知し
て、あるときは回避すると。あるときはあえて受けると。それを”的確な”と
表現したわけです。
例えば、マハー・ケイマ正大師の逮捕・勾留も、尊師は事前に予言されてい
ました。その際も、尊師は正大師のカルマをご覧になって、正大師に最も的確
な示唆をされたのでした。
「次は、お前が逮捕されるかもしれないが、逮捕されたらどう思うか?」
「やはり、逮捕はされたくありません。」
そう答える正大師に、尊師は次のようにおっしゃったそうです。
「いや、私はお前が逮捕された方がいいと思う。今のままだと、お前は功徳が
あるから来世は天界へ行くだろう。ここで、他の苦しみを背負う菩薩の修行、
菩薩のカルマを作っておいた方が、本当の意味でお前のためになる。」
つまり、正大師に天界のカルマを乗り越えさせるために、そして菩薩として
のカルマを強く根付かせるためにも「逮捕された方がいい」ということでした。
それが、そのケースにおいて、弟子の成長のための最もふさわしい選択であり、
弟子の成長を願う尊師の愛の表われであったわけです。一方のマハー・ケイマ
正大師は無実の罪で拘置所の中にいらっしゃるわけですが(編集部注・現在は
保釈されています)、「ここは功徳が減らなくていい」と平然と受け止めてい
らっしゃいます。正大師がこの経験によって、真の菩薩としてさらに大きく成
長を遂げられることは間違いありません。
◎プンナ正悟師成就
プンナ・マンターニプッタ正悟師がマハー・ムドラーを成就されたのも、今
回の勾留中の出来事でした。現世成就、それもヴァイブレーションがいいとは
お世辞にも言えない状況でのことですから、大変な快挙と言えるでしょう。
プンナ正悟師は以前からマハー・ムドラーの成就が近いと言われ続けていま
したが、あと一歩で成就には至れませんでした。逮捕される前には成就しなか
ったプンナ正悟師が、勾留中の修行によってマハー・ムドラーを成就したわけ
ですから、この逮捕・勾留に耐えることが正悟師にとって何よりの修行になっ
たのではないでしょうか(つまり、それでカルマが落ちたということなのでし
ょう)。
プンナ正悟師の逮捕も、当然予知されていたにもかかわらず、そのような苦
難多き未来をあえて受けたわけです。----ここでも背景には、尊師のカルマを
見極める力----漏尽通と、そして、弟子の成長を願う真の愛があったことは言
うまでもないでしょう。
◎真理の流れに集う魂
尊師を拝見していると、少しでも縁のある魂は救済しよう、と専心してらっ
しゃいますね。尊師が放射されている解脱者の特別な波動とか、エネルギーと
か、またはそれが言葉として表現されたもの、それに外部の人達もひき付けら
れて、次第にシンパになっていくんじゃないでしょうか。あるいは、少なくと
も興味津々としているんじゃないかと。つまり、彼らは真理に結ばれる一歩手
前にあるということだと思います。
「国土利用計画法違反事件」で逮捕者が出た頃からでしょうか、それまで、
ほぼアンチ・オウム一辺倒だったマスコミも、「あの人まで逮捕するのは、ち
ょっとおかしい」と、オウムに好意的な報道をするようになってきています。
中には、連載で好意的な記事を流すところもあります。「好意的」というのは、
マスコミ関係の方々が特にオウムをひいきしているとかいうんじゃなくて、彼
らにしてみれば、真実を報道することにジャーナリストとしての使命を感じて
いるのでしょう。
市民団体が立ち上がって人権擁護グループを形成したのも、一連の逮捕劇の
一週間から二週間後ぐらいのことでした。もちろんこのグループは、オウムの
教義が真理であるとか、どうであるとか、そういうことではなく、彼らの持っ
ている正しい理念に基づき、行動を起こしたのでしょう。しかし、私達にとっ
て大変うれしいことは事実です。
また、逮捕されたアパーヤージャハ正悟師に代わって、真理を守るべく、弁
護士の方々が集まってくるようになってきたのも、この頃からでした。今、こ
れだけ国家権力に不当な(尊師は「無法な」と表現されるほどです)扱いを受
けている私達にとっては、これほど心強いことはありません(一個人として彼
らマスコミ・市民グループ・弁護士の方々に感謝したいと思います)。
このように、一連の逮捕劇の後、結果として流れがオウムの方に向いてきて
います。これは、尊師の漏尽通の確かさ、選択の確かさの一つの表われとして
受け取っていいと思います。つまり----確かに逮捕者が出ること自体はマイナ
スですが----ひたすら苦難に耐え、ひたすらカルマが落ちるのを待ち、ひたす
ら理解者が現われるの待つ。この最も勇気のいる困難な道を選択されたという
ことは、やっぱり偉大なグルなんだなと思わざるを得ないわけです。もし、尊
師以外の人が私達の導き手だったとしたら、今、オウムが存続しているかどう
かも怪しいと思いますね。「真理」もろとも崩壊するか?あるいはオウム「真
理」教から「真理」が消えて、抜け殻だけが残るか? そのどちらかでしょう。
今、苦難を経験することには、もう一つの意味合いがあると思います。『イ
ニシエーション』にも書かれているように、これからの人類の行く手には大き
な試練が待ち受けているわけです。ですから、今私達が苦しんでいるのは、そ
れに備えているんじゃないでしょうか? つまり、苦しんでカルマを落とす、
あるいは苦しんで心を強くする----そういうプロセスに、今、いるんじゃない
でしょうか。それによって私達修行者は一歩一歩高い境地へと導かれていくわ
けです。ここにもグルの愛を感じますね。
◎帰依するのみ
こうしてみると、尊師のなさることは、すべてシヴァ大神が計画されている
遠大な救済計画に沿っているわけです。それを私達は見えていないから、「あ
あだ」「こうだ」と騒いでしまうと。
尊師は常に救済しか考えていらっしゃいません。その姿勢はまさに捨て身・・
・・と言ったら語弊があるかもしれませんが、ご自分の利益のことなど微塵たり
とも考えていらっしゃいません。私は、偉大なるグル麻原尊師に今生巡り合え
たという幸運に感謝し、このチャンスを逃さず修行に励み、力を振り絞って一
歩でも二歩でも尊師に近付きたいと思います。
最後に、これを読んでいらっしゃる皆さん、特に信徒の皆さんへ。私は信徒
さんのことは「同志」と考えています。瞑想・功徳・教学・イニシエーション
- 自分のできることからで構わないと思います。全力で頑張ってください。
*
「私は私のなすべきことをやります」----インタビューの途中、何度かこの
言葉をマイトレーヤ正悟師の口から聞くことができた。
修行に形はなく、帰依することが修行であり、救済することが帰依である。
論理的な口調の中にも、修行にかけるその熱意がうかがわれた。
グルのようになりたい!----これは紛れもなく、正悟師のグルに対する帰依
の表われである。そして、修行とは帰依の実践に他ならない。
以上 「真理の芽」No7より
#201
/999 資料室
★タイトル (QAA11022) 92/ 3/ 9 1:29 (182)
オウム真理教>説法>社会的な動き(予言)と幸福になる方法1
★内容
87/11/30 和歌山県・出張「真理の集い」にて
オウムの麻原です。えーと、今日はあの「幸福の集い」ということで、これ
から、あなた方の、えー、まず社会的な動き、それから、えー、どのようにし
たらあなた方が幸福になれるということについてえ、話したいと、話したいと
思います。
えーっと、わたしは実は一九八六年にね、いろいろと予言をしたわけだけど
も、それは、あの、天皇が死にますと。これは、あの、えー、天皇家の葬式が
あったからたぶん死ぬと思うよという話をして、これは外れた。これはちょう
ど、あの、今年の二月、えー、高松宮ですか、が、あの、亡くなるヴィジョン
ですけどね。で、あとのことについては、今のところ完全に的中しています。
じゃあ、何が的中したかというと、えー、例えば、えー、富士火山帯の爆発、
それから円がもっともっと高くなると、だいたい一九九〇年ぐらいまでには百
円代に突入するだろうという、そして、えー、日本の軍国主義化ね。まあ、あ
の、その他にもいろいろなことを言っているわけだけども、まあ、例えば近頃
では、三原山がまた噴火しますよと言ってて爆発したし。
で、まあこの中には食養をやってらっしゃる方もかなりいらっしゃるわけど、
だけど、えー、大変素晴らしいか、ことだと思いますね、わたしは。それは食
養というものは、えー、スヴァディスターナ・チァクラ、人間のあの、下から
二番目にある、この霊的センターを開発するんですね。そして浄化します。そ
して、ここのチァクラには動物界と人間界に生まれ変わるためのエネルギーが
込められています。だからあなた方が菜食をなさることは、また来世において
も人間界にね、生まれ変わる準備をしてると、そういうふうにお考えになされ
ばいいと思う。
で、ちょっと、あの、あなた方に聞きたいんだけども、今後、あの核戦争が
起こると思われる方はどれくらいいますか、ちょっと手を挙げてください。じゃ
あ、起きないと思う方は。わたしは二〇〇三年に確実に核戦争が起きると思っ
てます。そして、それを何とか回避するために、今オウムはあります。で、ど
のようにしたら回避できるのかと。まあ、みんなでワッショイワッショイやっ
て、戦争反対もいいかもしれないけども、それはもう以前からズーッとやり続
けているわけだね。
で、わたしたちはなぜ、その核戦争をしなければならないかというと、わた
したちが小さいときから植え付けられてきた、要するに観念というか、イメー
ジというものが、ね、自己の愛するものは守りなさいと、自己の利益は守りな
さいと、そして他の利益というものはどうでもいいんだと、そういう教育を受
けてるわけだね。まあ例えば、えー、小学校に入ってから、人よりも良い成績
を取ったら誉められると、ね、人、人より悪い成績を取ったら怒られると、ね。
例えば、そして良い中学に入り、良い高校へ入り、そして良い大学へ入ると、
そして良い会社へ入ると。ね。良い会社へ入ったならば、上の人の言うことを
聞いて、できるだけ出世をして、そして一生を終わると。あーあの人は立派だっ
たんだと、あの人はこの高校を出て、この大学を出て、この会社に入って、そ
してああいう大きな家に住んで、それで死んでいったんだと、ね。で、これを
あなた方は幸福だというふうに教え込まれているわけだ。
しかし、「本当に幸福なのか、それは」わたしは聞きたい。それは、わたし
は三世を見通す力を持っている。三世を見通す力というのは、例えばあなた方
が前生でどこで生まれ、どこで死んで、今生でどこで生まれ、どこで死んで、
来世どこで生まれ、どこで死ぬというね。「麻原、それは証明できるか」と。
わたしは前生において二つの証明をしている。一つはエジプトでわたしが大臣
だったときの、まあ、これはイムホテップと言われているね、何年の頃、わた
しはどういうことをやったと、それでそのときわたしは総理大臣で、こういう
事業をなしたんだよと、まあピラミッドをわたしはつくったわけだけども。そ
れから、もう一つの生はギリシャの王であったと。そのときわたしは戦争を回
避してどうこういうことをやったんだと。他にもいろんな生を思い出している
けども、証明のつくことだけを今、やっている。あなた方も同じように、前生
があり、それから今生があり、来世があるわけだ。
ところがあなた方が教えられているものは、今生でいかにいい生活をし、そ
して死のショックを受けて来世で地獄に落ちるかとか、餓鬼に落ちるかという
人生観を叩き込まれてるわけだね。
じゃあ、なぜあなた方が地獄や餓鬼や動物へ生まれ変わるんだと、ね、わた
しが言い切れるかというと、それはこの現象を見なさいよと。ね、この中には
いろんな方がいらっしゃるだろうけども、ね、五十年生きた方は五十年前と今
を見なさいと。四十年生きた方は四十年前と今を見なさいと。三十年生きた方
は三十年前と今を見なさいと。二十年生きた方は二十年前と今を見なさいと、
ね。あなた方は確かに物質的には豊かになったよ。しかし、あなた方は心がす
さんでいるね。
「いったい、じゃあなぜ麻原、すさんでると言えるんだ」と。例えばね、本
当にこの人は信用できるよと、わたしはこの人が大好きだよと、心をわって話
せる人が、いったい何人いるんだ、ね。いいですか。あるいは、本当に、ね、
わたしは幸せですよと、幸福ですよと、何にもいらないくらい幸せですよと言
える人が何人いるんだ。あなた方はどんどんどんどんそういうことが言えない
状態になってくるわけだ、ね。これは、あの最後には核戦争の話になるわけだ
けども、ちょっと待ってね。そして、例えば、物だけは集まったと。たっくさ
んの物に囲まれて、ね、わたしたちは死んでいくわけだよ。ところが死んだ段
階で、わたした、わたしたちの持っている、その大きな家もなくなるし、学歴
もなくなるし、ね、つまり、形によって尊敬していた人たちもなくなってくる。
何が残るんだといったら、わたしたちの魂しか残らないわけだよ、そこでは。
そして、わたしたちがいい高校へいくため、いい大学へいくため、それから、
いい会社へ入るための、ね、たくさんの悪いことをやったと、あるいは人を押
し退けたと、ね。で、会社に入って、いろんな悪いことをやったと。その悪い
ことだけが残ってくるわけだ。ね、それはカルマだ、それが。とすると、その
悪いことをやったならば、必ず悪いことは返ってくる、ね。すると、あなたた
ちは、何を持って来世へ行くのかといったら、膨大な、ね、悪業という借金を
持っていくわけだよ。と、そこは当然来世において、清算をしなければならな
いとね。
じゃあ、どうして、その今の話が核戦争と結び付くんだと、ね。わたしたち
日本は小さい国です。ね。しかし、日本人というものはすごく優秀な民族なん
だね。何が優秀かというと、それは、この現象界において、イメージしたもの
を現象界に現わす力と。これがすごく優秀なんです。だから、小国でありなが
ら、経済的にすごく豊かなんだね。それから、よく働くし、ね。しかし、資源
がないと。ね。資源がないがゆえにその資源を確保しようとして、まあ中国や、
ね、あるいは、え、今の韓国とか北朝鮮に行って、ね、戦争を仕掛けたのが始
まりでしょ、これは、ね。何を言いたいかと、先程の高校、いい大学、それで
いい会社のプロセスと全く同じことなんだね。つまり、自分たちが豊かになる
ためには、他国の人が苦しんでもかまわないという発想のもとに、ね、第二次
世界大戦は勃発したわけだ。大東亜共和圏なんていう変なあれを作ってね。そ
して、今の大国といわれてるソビエトも、ね、マルクス・レーニン主義という、
一つの宗教だね、これは思想と。思想と宗教は同じだから、一つの宗教を背景
として、その人たちの教えを広めた方が、この人たちは幸福になるんだという
エゴのもとに、強引に武力で介入していると。これがソビエトの実情、ね。
アメリカは同じように、自国の、その資本主義社会における優位な立場を保
つがために、やはり、同じように武力で介入していると。これも先程のいい高
校、いい大学、それからいい会社というプロセスと同じだよね。
そうすると、最終的にはどういうつけが回ってくるかと。悪業をなしたなら
ば、必ず悪業が返ってくる理論と同じように、ね、このソビエトとアメリカと
いうのはいずれ滅びるでしょう。しかも、それは今三十歳ぐらいの人だったら、
間違いなくソビエトやアメリカの滅びる、ね、その場面を見ることになるだろ
う。ね。
そして、日本も同じような状況になりつつある。それは第二次世界に、世界
大戦でいったん、ね、わたしたちは謙虚な気持ちになったと。そして、一から
やり直し、一所懸命働いて、昭和三十年以降の高度成長時代を迎えたと。とこ
ろがあまりにも、外国に対して、ね、経済的に侵略しすぎ、しすぎたがために、
ね、結局今みたいな状態で、貿易不均衡だと、ね。「もっとどうこうしろ」と
いう問題で、徐々に徐々に外国が壁を作ってきたと、ね。そして最終的には、
いいですか、あなた方も、ね、あと五年、そうだね、わたしは一九九三年と言っ
ているわけだけども、あと五年後に起こる、再軍備という形を取って、外国と
力でぶつかり、ぶつかり合うしかない状態まで追い込まれるだろうね。それは
だよ、例えば今一ドルが百三十、だいたい四円から七円ぐらいまでを行ったり
来たりしているね。これが百円になったならば、例えば日本からアメリカに輸
出する場合だよ、ね、三割以上の損失が出るわけだよ。そうすると、三割以上
の損失をして、利益が出、出るものがあるかというと、ほとんどないわけだ。
そうすると、まず日本はアメリカに頼っているわけだから、アメリカとの貿易
はダメであると、ね。で、後進国は防備が堅いというならば、わたしたちは作っ
たものが売れない状態がきます。そうするとね、作ったものが売れない状態が
くるということは、それを買わせるしかないわけだ。じゃあ、買わせるために
は何かというと、力によって買わせるしかないわけだね。それはちょうど、第
二次世界大、大戦と同じダラク(?)だね。
あるいは逆に、日本にはたくさんの金が余っているから、軍備という形によっ
て皆さんの金を引き出して、軍備をすると、ね、いうことによって、国家が潤
うというもう一つの方法論を取るかもしれない。まあ、方法論はこの二つしか
なかろう。
まあ、いずれにしろ一九九三年には再軍備だ。ね。そして、あなた方はどん
どんどんどん、ね、苦しい状態がきてだよ、ね、きたときに、いったいあなた
方に何が残るかという問題がある。今は物質でごまかされているよね。例えば
テレビを見て楽しむ、雑誌を見て楽しむ、あるいはマンガを見て楽しむ、ある
いはおいしいものを食べて楽しむと。いろんな楽しみがあるよ。その一時一時、
一瞬一瞬で、あなた方はそく、自分の心というものをごまかして生きてきてる
わけだ、ね。ところが経済的にゆとりがなくなってくると、物質的にゆとりが
なくなってくると、もう、ごまかす相手がいなくなるわけだよ。
それはちょうど、友達にたとえることができるね。百人の友達がいて、その
友達とトークしてるときには、ね、話は、話をしているときには、時間がつぶ
れると、ね。その百人いたものが五十人になり、三十人になり、二十人になり、
十人になり、ゼロになったときに、わたしたちは、その時間を持て余すように
なるわけだ、ね。そうすると、持て余したときに、わたしたちの心の中にいっ
たいどういうものが存在してるかというと、虚無しかないわけだね。空しい、
悲しい、寂しい、苦しい、しかないわけだ。ところがあなた方は、それに気付
かされないようにして、どんどんどんどん成長していっているわけだね。いい
ですか。つまり、考えないようにさせられているわけだ、ね。
考えないようにさ、じゃあ、なぜ考えないようにさせてるんだというと、あ
なた方が普通に考えることができたならば、まあ、これは今の日本の政府にとっ
ては、大変だからだ。それは、だって、今やっていらっしゃることは、まだ第
二次世界大戦前と同じように、国歌を歌いなさいよと、国旗を掲揚しなさいよ
と、それから修身をやりなさいよと言っているわけでしょ。それから、靖国神
社という一つの大きなこの宗教があって、この宗教にあなた方は傾倒しなさい
と言っているわけだよね。あなた方はそれを、新聞で別の形で見、テレビで別
の形で見、ね、印象付けられてるわけだ。それから、もう一方では、無宗教と
いうものは素晴らしいと、ね、いうふうに言ってるわけだね。で、一方では天
皇陛下のことが、いつもあちらこちらで出てくるわけだ。こう、こういう形で、
ね。
そうなると、あなた方の心の中には、しょっちゅう見ている情報の総量によっ
て、すべては決まるわけだから、例えば靖国神社とか、天皇陛下とか、例えば
修身とか、ね、あなた方が望むと望まざ、望まざるとにかかわらず、真理とか
け離れたものが、この情報として残ってくるわけだ。そうすると、最後は天皇
の一、一令によってね、号令によって、さあ、戦争をしましょうといわれたら、
誰も反対するものはいなくなるだろうと。
これが、俗に言うところの心理操作なんだね。そして、ま、原爆も同じだ。
国民みんなが反対して、そんなの絶対使っちゃいけないという心の状態だった
らいいわけだけども、例えばテレビを見てごらん。ねえ、ここに悪党がいて、
悪党をピストルで打つ場面がしょっちゅう出てくると。あ、悪い人間は殺して
もいいんだと、自分を害する人間は殺してもいいんだと、自分を排斥する人間
は殺してもいいんだという発想が出てくるでしょ。それをあなた方は、小さい
ときから植え付けられているわけだ。そうすると、日本は困ったと、もう日本
では生きていけないという段階になったときに、さあ、じゃあしょうがないか
ら、原爆でも打ち込もうかと言ったとき、だれが反対するかというと、だれも
反対しないよ、それは。あ、もう困ったから、それはこれしかないんだという
ことになってくるね。
(つづく)
#202
/999 資料室
★タイトル (QAA11022) 92/ 3/ 9 1:35 (139)
オウム真理教>説法>社会的な動き(予言)と幸福になる方法2
★内容
今ニューヨークに、わたしの教えの道場ができつつあります。で、ニューヨー
カーたちの反応というものは、すごく敏感だね。恐らく来年中には一万人ぐら
いになるんじゃないかと思う。それは何かというと、彼らはきちんと情報の選
択をしているわけだ。これは、真理ですよと、これは真理じゃありませんよと
いう情報の選択をしているわけだ。
ところが、あなた方は小さいときから、例えば真理であろうとなかろうと、
宗教というものは何とかであるとか、例えば政治というものは何とかであると
か、ね、そういう観念を植え付けられてきているから、あなた方に、真理とか
幸福という、とかいうものは、なかなか得らんないわけだね。わかりますか。
そして、あなた方が気付いたときには、もう終わってるわけだ、すべてが。そ
うでしょ。
じゃあ、なぜそう言い切れるんだといったら、昭和三十年代の安保闘争を考
えてごらんなさい。あの頃は戦争の、ね、まだ余韻が残っていたから、それは
だめだと、軍隊もだめだと、自衛隊もだめだと、そういう力があったよね。と
ころが、五年、十年、二十年かけて徐々に徐々にわたしたちの心は洗脳されて
きて、今では社会党ですら、自衛隊OKということを言おうとしているね。そ
れから、教育にしろそうでしょ。ね。
じゃあ、わたしたちにはどのようにしたら正しい道を歩くことができるか、
幸福になれるんだと。あるいは、どのようにしたら、わたしたちはその、ね、
マスコミュニケーションの膨大な情報の量から、選択することができるんだ正
しいものを、という問題点になってくると思うんだよ、ね。
わたしはそれは案外簡単だと思うんだな。それは何かというと、例えば二千
五百年前、釈迦牟尼が登場なさって、釈迦牟尼のお説きになった法があると、
ここに真理がある、ね。
例えば、普段の生活をしていて、ね、あなた方が苦しみがあって、その苦し
みを取り除くための何かの方法があったら、それにトライしてみると、ね。例
えば政治的に不満があったならば、その不満の原因を考えて、それを取り除く
ような行動を取ってみると、ね。こういうふうに、つまり、あなた方が今見よ
うとしていない部分に対して、目を向け、そしてあなた方がそれに対してトラ
イするならば、挑戦するならば、あなた方には必ず、ね、最終的な真理、ある
いは幸福というものがやってくるだろうね。しかし、そうではなくて、あなた
方が、ね、膨大なる情報によって、もし、押し流されたならば、あなた方はこ
の時流というものに押し流されてしまうだろう。
あなた方は知らないかもしれないけど、今の自衛隊のね、軍備力というもの
は、アジアではね中国を抜いたならば、ナンバーワンなんだよ。知ってますか、
これは。だから自衛隊というものはとんでもない、言葉のあれであって、実際
にはものすごい軍備を持ってます。だからそれはアセアン諸国などでは、よく
批判の対象になるよね、もうこれ以上軍備は持つなと。あなた方が知らないう
ちに、一歩一歩とこれは確実に、ね、軍国主義の波は押し寄せているわけです
ね。
近頃見てわかるでしょ、例えばあの共産党の盗聴事件に対しても、ね、国家
は堂堂と警察は何の処罰もしなかったよね。つまり、あなた方はなめられ出し
ているわけだな。そして、もう一つ、テレビを見てごらん。あなた方の大好き
な、食欲と、性欲と、暴力の情報しかない。いつもそうでしょ。あと、スポー
ツか。そして、あなた方の心を瞬間瞬間の享楽に結び付けることによって、心
を実際の世界から引き離している。これは、あのヨーガのテクニックでもある
わけだけどもね。すごい理論だとわたしは考えている、ね。いいですか。
このままいくと、必ず軍備、それから核戦争が起きるでしょう。それを救う
ためにはね、力が必要なんだよ。相手も力を持っている。だから、こちらもそ
れを食い止めるだけの力が必要なんだよ、ね。そして、力が充実した段階で、
戦争に反対しましょうよというやり方をしないと、すぐつぶされてしまうんだ
よ。そうでしょ。
例えばね、あなた方が見ている新聞の内容、あるいはテレビの内容の中で、
どれほど真実があると思うか。ニュースで流されてる内容の中で、どの程度真
実があると思うか。ね。
じゃあ、なぜ真実じゃないと言い切れるかというと、例えば、今中曽根首相
から、えーとだれだっけ…あの人は、えー、…竹下さんに移ったわけだけども、
あの中曽根さんの口で吐いたことと、実行を見てごらん、いつも嘘八百言って
て、それでも総理大臣というあなた方の象徴でしょ。しかし、あなた方はそれ
すら変えることのできない弱い立場にあるわけだよ。だからわたしは、日本は
民主主義ではないと思っているね。マスコミ主義だと考えている。でしょ。あ
なた方がもし、ね、十人のグループだとしてだよ、中曽根さんがいて、あなた
方はリーダーにしますか、彼を。しないでしょ。しかし、十人のリーダーにな
れない人間が国家のリーダーとしては成り立つわけだ。大嘘をついて、平気で
右と右で言っていることと、左とは違う。これが今の日本だよ。
で、その総理大臣のもとにマスコミというのは統制されてるわけだからね。
そうしたら、このマスコミが真実を言っているか、嘘を言っているかようわか
るよ。いいですか。
だから、わたしたちが真の幸福をつかむためには、まず気付かなければなら
ない。わたしたちの周りに真理はないかなと。そして、それに挑戦しなければ
ならない、ね。ある人は宗教に興味を持つだろう。ある人は政治に興味を持つ
だろうと、ね。ある人は文化に興味を持つだろうと、ね。いいですか。そして、
もう一度あなた方の心のプロセス、いったいわたしはいつも何を考え、どうい
うふうに行動しているのかなと。その行動パターンをよくお考えになって、そ
れが本当にあなた方の望んでいる行動パターンであるかどうかを解析なさった
ならば、あなた方には幸福が約束されるでしょう。
それはね、わたしは「死」というものが、全然怖くないんだよ。なぜ怖くな
いかというと、来世も知っているし、その次の生も知ってるし、ね。あなた方
も、真理を少なくとも三年から五年実践してごらん。来世がわかるし、前生が
わかるし、そして、この世に何のために生まれてきたか、自分はどうしたら本
当の意味で高い世界へ行けるかということがわかるはずだからね。
はい。でね最後にね、死後の世界について少し話そうかね。
わたしたちは肉体を捨てると、まあ五大エレメントに還元されるわけだけど
も、その五大エレメントというと難しいから、一般的にいわれてるわかりやす
い話をしましょうね。
まず、えー、五大エレメントに還元された後、黒いドットがドーッと押し寄
せてきます。これはカルマだね。それが引いた段階で、本当にクリアな状態が
きて、ね、それからしばらくは、なんかボーッとした状態が続くわけだ、一週
間ぐらい。まあ、あり、三日とか一週間とか言われているけど、わたしは一週
間説を採っています。それから二週間ぐらいは、あなた方にとってボーッとし
た状態か幸福な状態、あなた方の、だいたい功徳が現われてくる状態。そして、
これから次の二週間ぐらいは、あなた方の悪業、それはいわば恐怖のいろんな
ヴィジョンが出てきます、ね。それで、その後、まあ仏教でいうところの閻魔
大王が登場するわけだね。閻魔大王があなた方のカルマ量ります。ね。あなた
方が例えば宗教心があれば、そのときにあなた方の信じてる人がいらっしゃる
でしょう、ヴィジョンとして。例えば空海を信じていれば空海のヴィジョンが
出てくるでしょうし、ね、例えば新鸞を信じていてば新鸞のヴィジョンが出て
くるでしょうし、例えばイエスを信じていればイエスのヴィジョンが出てくる
でしょう、ね。ただしこの、例えばあなた方が信じていらっしゃる方が、正し
くなければ何も出てきません。そこであなた方は裁きを受けるわけです、ね。
そして、あるものは地獄の世界へ落ち、あるものは餓鬼の世界へ落ち、あるも
のは動物の世界へ落ちると。そして、あるものは人間の世界へ行き、あるもの
は阿修羅の世界へ行き、あるものは神々の世界へ行くというかたちになります。
これが、わたしたちの六道輪廻なんだね。
修行者はどうなるかというと、このボーッとした一番初めのね、死後一週間
の間に、だいたい欲界、ね、欲界とは何かというと、あの絶妙な磨りガラスみ
たいな物質でできた、綺麗な世界があるわけだけど、そこへ転生するか、ある
いはニルヴァーナに入るか、あるわけだね。いいですか。これが死後の世界で
す。
で、転生したら、また例えば人間界に生まれるとしたら、ね、そのちょうど、
えー、受精した時期に、あなた方の生命は宿ります。そして、もう分かってい
るよね。現代科学と同じように、その胎生を過ぎて、゚迫≠ェ終わって、゚迫≠ゥ
らこの世に誕生するというかたちをとるわけだ。ね。
だから、わたしたちが考えなければならないことは、わたしたちは必ず死ぬ
んだということ、ね。そして、生きているうちはできるだけ、たくさんの善い
ことをして、できるだけ争いごとをしないで、ね、世の中を平和にして、去っ
て行くと。これがわたしたちにとっての、最高のカルマなんだね。
はい、今日は、あの、ね、あのー、新会員の人ばっかしで、慣れない説法に
なってしまった。何を話していいかわからないというのもあるわけだ。という
のは、ある人は高度な話を望んでいるし、ある人はもっと、このベーシックな
話を望んでいるし、だから、わたしの予言と関係して、えー、話したわけだけ
どね。
最後に、来年の話をしておくならば、来年は、例えば経済については、もう
少し円が高くなるでしょう。百二十円代から百十円代に突入するはずです。そ
れから、年の後半に、富士山が爆発する可能性が出てくると(水中エアータイ
ト・サマディによって、富士の噴火は延期された。麻原彰晃)。それから、も
う一つは太平洋プレートね。これは福島とか岩手とか、この辺だけども、この
辺の地震がいっそう群発化して、沈没の準備を始めると。ね。それから、えー、
殺し・誘拐、ね、そういうものの頻度はもっと上がってくるでしょうと。国家
の締め付けはもっと厳しくなるでしょうと。警しゃの、警察の力ももっと強く
なるでしょうと。これがわたしの来年の予言です。はい、ではあの質問に移り
ます。
オウム真理教ネットより転載
聖称賛磨蔵
最終更新:2018年01月06日 19:59