#203
/999 資料室
★タイトル (QAA11022) 92/ 3/ 9 15:33 (200)
オウム真理教>説法>在家の修行者と解脱、オウムの救済活動
★内容
在家の修行者と解脱、オウムの救済活動
1987年7月26日 東京本部道場にて
麻原です。えー、今日はですね、まあ皆さんにとって、最も、えー、益になるね、
ためになる話を一つします、先に。
これはね、心というものの働きについて、まあ皆さんに話したいと思うんだけど
も、まあ皆さんもよく知っている『阿含経典』の中にね、お釈迦様がこういうこと
を言ってらっしゃる。わたしたちの心というものは、水に例えることができると、
ね。もしわたしたちが、嘘、ね、つまりこの嘘ということを比喩的には苔というふ
うに表現していらっしゃるんだけども、その透明な水の上に、ね、苔が、苔が乗っ
かったら、苔で覆われたらどうなるかと、ね。その水にもし、他の人がだよ、顔を
映したとき、その水面には正確に相手の顔が映るだろうかと、ね。
同じように、例えばここに透明な水があって、これに絵の具を何種類か入れたと。
要するに色付きの水です。この場合はどうだろうかと。この場合は、これはとらわ
れのことですね。執着のことです。そしてもう一つは、沸騰した、ね、水というか、
沸騰したお湯だね、沸騰したお湯に、もしだれかが顔を近付けて、そのお湯に、お
湯の沸騰の状態、沸騰の状態でね、自分の顔を確認したとしたら、いったいその人
は自分を正確に見ることができるだろうか。これは怒りのことです。
つまり、何を言っているかというと、わたしたちの心というものは、水に例える
ことができると。そして、わたしたちがこの世の状態を正確に見つめるためには、
いいですか、正確に見つめるためには、まずタマスね、嘘で覆われた生活をしちゃ
いけないよと。それから、怒りの想念を持ってはいけないよと。それから、人を色
付きの目、とらわれてはいけないよということを言ってらっしゃるわけだ。これは
ね、簡単な理論なんだけども、みんなが知らないこと。そして、もしわたしたちが
この三つの要素から離れたならば、わたしたちの心は透明になります、ね。
それによってだよ、どういうことが起きるかというと、まず非常に記憶力が良く
なると。記憶力というものは、要するにここにわたしたちの心があって、それを、
ね、外的、外的情報が入ってきて、ね、それを単に反射したに過ぎない状態。それ
からもう一つは、他人を正確に見ることができるから、人生において狂いがないと。
これはわかるね。つまり透明な鏡だから、今の自分の状況、他人の状況というもの
を、ね、正確に見つめることができると。だから人生において狂いはないと、ね。
もう一つは、恋愛なんかについてもそうだね。愛着していないから相手のいい点、
悪い点を正確に映し出していると。だから、将来においてしまったということはな
いと、ね。つまり、わたしたちは心さえ浄化すれば、心さえ透明にすれば、幸せな
人生というのを歩くことができるんだということなんだ。これが、今日のね、わた
しのあなた方に対するプレゼントです。
まず、えー、釈迦牟尼が入滅なさって二千五百年になります。そして、五百年区
切りで、まあ、今、正、えー、末法の時代だといわれています。五百年区切りで末
法の時代ということはどういうことかというと、そろそろまた正法の時代が来なき
ゃいけない。そして、これが五百年続いて、また二千五百年後には末法の時代が来
るということになるわけだね。で、なぜ正法から末法に至るのかということについ
て、みんな疑問を持つかもしれない。例えばだよ、今オウムというものは社会的に
信用がありますかといったら、信用はない。そうですね、まだ。ところが、これが
ね、例えば今、ケイマが成就したとかいう状態で、成就者がどんどん出てきて、成
就者が出てくるということは、それは灯明となるわけだから、つまりあなた方の苦
悩の原因というものを照らしてくれて、くりょ、苦悩を取り除くわけだから、いい
ですか、当然オウムという組織は大きくなっていくでしょう。そして、これが五年、
十年と経つうちに、おそらく日本でも一、二を争う教団になるだろう。二十年、三
十年と経つうちに、おそらくオウム以外の宗教はあり得ないという形までなるかも
しれない。いいですか。
そうなった段階で次にオウムに入信してくる人たちは、オウムに対しての信用は
もちろんあります。しかし、いいですか。例えば、今あなた方みたいに真剣さはあ
るだろうかと考えたら、ないだろうね、当然。そして、オウムを動かしている人た
ちも、例えばわたしが死んだ場合、その後の後継者たちはどうかというと、もうあ
ぐらをくいて、組んでても生きていけるから、そして真理だといって、わたしのね、
例えば書いた『イニシエーション』あたりを振り回して、これが真理だよと言って
ればいいわけだから。修行もしなくていいと、いうことが出てくるわけだね。そし
て、正法は廃れていって、末法になると。ね。で、当然末法になったならば、また
正法を展開しなきゃなんないわけだ。
まず、今集まってる皆さんは、ほとんどが前生で縁のある方だと考えてよろしい。
そして、それは何のための縁かというと、正法を流布するための展開をしていかな
きゃなんない人たちだね。
今それぞれが、それぞれの個人的な悩みを持っている。それはそれで、ね、大変
なことだと思う。しかし、あなた方があなた方の悩みに対して立ち向かえば立ち向
かうほど、あなた方は解脱に近づくわけだし、あなた方は解脱したのちに、あなた
方は苦しんでる人の気持ちがよくわかるはずだ。そのためにあなた方は苦しんで、
オウムに飛び込んで来たんだとわたしは考えている。そして、それがわたしの言う
とこの「苦ありて信あり」だね。いいですか。
そして、まず、えー、在家の修行から入ろうかね。というのは在家の修行からオ
ウムの修行、オウムの修行から解脱、そして、解脱後の救済という展開になるだろ
うから。
在家の修行者には二つのパターンがあると思います。それは今生で既に社会的に
ね、かなり信用を得ていて、そして、その信用から抜け出せないと。抜け出すと周
りに多大な迷惑をかけると。そういう人はおそらく今生で解脱をする機会に恵まれ
ないだろう、ね。しかしだよ、それに対して、例えば在家の修行者は悲しんではい
けないし、それに対して、ね、卑屈になる必要もない。
それは、なぜかというと、『阿含経典』には、このように載っている。釈迦牟尼
の一番の在家の信者である、ピン、えー、ピンディカ長者ね。ピンディカ長者とは
何かというと、要するに祇園精舎をお建てになったお金持ちの方だ。この方は、釈
迦牟尼に会うまでは大変豪華な生活をしていらっしゃった。ところが釈迦牟尼に会
われて、釈迦牟尼に、の説法を聞かれて、ぼろ布をまとうようになられた。しかし
だよ、仕事は仕事として続けてられた。そして、それは、仏教教団を支えるという
ことが一つであるということと、それから自分に付いてきてる人たちを、ね、豊か
にすることがわたしの使命であるというふうにお考えになったわけだ。いいですか。
そして、お釈迦様がね、まあ、彼に与えた持戒ね、持戒というのは、殺してはいけ
ないよと、盗んではいけないよと、ね、あんまりたくさんの女性とセックスしては
いけないよと、それから嘘をついてはいけないよと、お酒を飲んではいけないよと。
そして、あなたはわたしに布施をしなさいと、ね。それを実践なさった。そして、
彼はあなた方が知ってる祇園精舎をおたけ、お建てになって、ね、そして天界に行
かれた。ね。それが『阿含経典』第四巻の「天使相応」の中に出てくるわけだ。
いいですか。そして、そういう人がいなかったならば、逆にいえば正法の展開は
あり得ない。みんなが修行者になってごらん、今の日本で。だれが修行者を助ける
んだ。そうでしょう。だから在家の人たちはだい、在家の人たちの今生での役目が
ある。そしてそれをわたしは素晴らしいことだと考えてるね。
逆に、お釈迦様の弟子たちをね、分析すると、だいたい二つのパートに分かれる
わけだ。一つは大金持ちのお坊ちゃん、お嬢さん。これは良家の子という言葉で表
現されている。もう一つは悪党だ。ね。良家の子というのは、もうカルマは良すぎ
てこれ以上何もやることはないと。だから解脱できると。今度は、悪党はね、どう
かというと、要するに縛り首に合うわけだ、修行しないと。だから必死になって修
行すると。そして解脱したと。両方とも解脱してしまえば、まあ、仏陀とは言わな
いね、阿羅漢だね、アラハット。ね。しかしだよ、この悪党が成就してもあんまり
たいした供養は受けらんないと。ところが、良家の子が成就したら、供養は受けら
れるわけだ。解脱しても、ね、し、真解脱しても、供養というのは残っているわけ
だね。で、それじゃかわいそうだといって、ね、その悪党たちを供養なさったのが
先程言ったピンディカ長者なんだよ。そして、彼はその功徳によって天界に行かれ
たわけだ。
だからね、何も無理をして解脱する必要はない。もちろん解脱できるチャンスの
ある人はやるべきだ。そして、わたしは在家の修行というものは素晴らしいと思う。
それはなぜかというと、まず心を透明にしてくれる。言い方を換えれば、心を豊か
にしてくれると言った方があなた方の知ってる言葉だね。正確に言うと透明にして
くれると。そして、周りを豊かにする。それは、物質的にも、精神的にも豊かにす
ると。これがオウムの、いや真理を実践する者の在家の修行者の生き方だ。そして、
真理を学ぶ。真理を実践する。瞑想できる人は瞑想する。ね。これが在家の修行者
のあり方です。
そして、それではもの足りなくなった人は、もし、だよ、例えばここに奥さんが
いて、奥さんを捨てても奥さんは生活できると。例えば、子供さんはきちんと教育
できるという条件があるならば、捨てればよろしいと。ね。そうじゃなくて、もし
そこに周りに対して苦を生じさせるようだったら捨ててはならない。いいですか。
もし仮にだよ、捨てたとして、その上に解脱できなかったらどうなるかわかるか。
来世はだいたい逆転します。来世は妻として生まれて、夫が捨てます。これは間違
いがない。ね。しかもだよ、この世は嫌だから、解脱の修行の方が楽だからといっ
て解脱に入ったら、もう最悪だ、これは、ね。
そして、そうじゃなくて、ちゃんと解脱のプロセスに入れる人が解脱のプロセス
に入って解脱したら、これは最高だね。というのは、先程言ったとおり、解脱とい
うものは、サットヴァのエネルギーなんだね。つまり、いろんな人の苦しみを照ら
し出してあげて、あなたの苦しみの原因はこうですよと、ね、そして結果はこうで
すよということを教えてくれる、ね、教えることができる。そうすると、世の中の
苦しみというものは、一つずつ、一つずつ消滅していくわけだ。どうなるかな、そ
うすると。この世はどんどんどんどん透明になっていくね。そして、今はオウムで
しか真理じゃないといわれているものが、ね、もう、例えば日本中で真理だと言わ
れるようになってくるだろう。
ねえ、そうなったらしめたもんだ。そうなったら、例えば高級車を一台買うのと、
ね、例えば修行するのと、ね、あるいはお布施をするのとどっちが価値があるかと
いって、「いや、わたしは高級車に乗って楽々の方がいいんだ」という人はいなく
なる、ね。そうすると逆に、少し怠け者の人間は、まあ結婚前のだよ、もちろん、
条件つきね、修行してやろうと、そしておれも供養を受けて、一つ、ね、安穏に暮
らそうじゃないかと考え出す。それが第二期の釈迦牟尼の弟子たちなんだよ。
この第二期の釈迦牟尼の弟子たちとはどういうことかというと、お釈迦様が亡く
なった後ね、釈迦牟尼の弟子の一人が嘆いている。「今から数十年前の釈迦牟尼の
生きてた時代は素晴らしかった」と。「今の弟子たちは何だ」と、ね。おそらくオ
ウムもそうなるだろう。でもそれはね、時の流れなんだ。だからその時の流れとい
うものを否定してはいけない。逆の言い方をすれば、それぐらいの組織力、それぐ
らいの真理が展開できないようだったら、オウムの救済活動は失敗するだろうね。
じゃあ、いったいオウムの救済活動とは何かといったら、まずは真解脱者、アラ
ハットを三万人出すことだ。この三万人という数字は直感的なものであって、ね、
証明のできる数字ではない。なぜ三万人かという数字は、非常に説明しづらい。し
かし、わたしは三万人必要だと考えている。そして、三万人が世界に散ったならば、
そのサットヴァのエネルギーによって、ね、例えば核兵器を持つことが無意味であ
るとか、例えば、他の、ね、宗教理論の中に矛盾があるだとかいうことがどんどん
どんどん暴露されてこよう。そして、つぶされよう。そして、真理は一つになるは
ずだ、ね。そうなったらしめたもんだ。みんなが同じ宗教を学んでいるのに、同じ
宗教を学んでるものたちが核戦争をするわけはない。そうでしょう。つまり、心の
よりどころを、一つに、ね、一つしかない国同士がだよ、戦争するわけないんだよ。
だから、そこまでいけたらなあというふうにわたしは夢想している。これは、わた
しにとっては幻影だよ。なぜ幻影かというと、結果が出てないから。しかし、可能
性はあるなと考えている。それは、もう既に二人の真解脱者が出て、オウムのね、
修行システムも変わりつつある。それは、わたしがそれを読んで、え、三つのコー
ス、ヨーガタントラ、シッディ・コース、それからポア・コースと作ったと。で、
今スタッフたちもその二人の成就者のサットヴァのエネルギーによって自分たちを
理解し出している。自分たちの長所と欠点を理解しだしている。そして、性格を改
造して早く解脱しようとしだしている。だから今後の解脱のスピードというものは
アップするだろうから、三万人は夢じゃないと考えている。そうすると、三万人解
脱者がいれば、サットヴァのエネルギーも今の三万倍なんだから、ね。三万倍の光
のりょ、量になるから、当然真理というのはどんどん出てくるだろう。ね。
そうするとどうなるかというと、ね、核を打ち込むような馬鹿なことはしない。
そして、個人的な問題でいうならば怒ったり、嫉妬したり、妬んだり、ね、あるい
は独占したり、こういう馬鹿なことはしなくなる。素晴らしい世の中ができるんじ
ゃないかとわたしは考えてるんだよ。それがわたしの遠大なる計画だね。
じゃあ、どのようにしたら解脱できるんだという問題が出てくるね。まず、在家
の人たちは、今言った通り「布施」の実践から入ると。そして、「持戒」の実践か
ら入ると。ね。それができたら次は「忍辱」の実践に入ると。忍辱の実践とは、例
えば人に悪口を言われてもじっと耐えるとか、例えば一つのことをし続けるとか、
そういう実践に入っていくと。ね。で、例えばその後の「精進」に入った段階で、
まあオウムに来たとしよう。オウムに来たならば、わたしがいろんな人に対して、
これはやっちゃいけないよ、これをやんなさいよという指令を出す。そうするとそ
れはあんまり楽しいことじゃないからストレスになる。そ、ストレスに対して闘い
が始まる。ね。なぜ、ストレスになるかというと、エゴというものは拡大欲求があ
るわけだね。先程言った通り、あれも欲しい、これも欲しい、怒りたい、愛情も欲
しい、ね、気持ち良くなりたい。こういうのはだいたいエゴだ。そうすると、オウ
ムに来てからの修行というものは、それを封じ込められ出す。つまり、内側に向か
えという指令が出てくるわけだ、ね。そうすると、外側に向かうエネルギーと内側
に向かうエネルギーがきっ抗しているときはいいんだけれども、内側に向かうエネ
ルギーが強いときは、その人はもうおかしくなってくる。で、おかしくなった段階
で、“独房”に入れるわけだ。そうすると外側に向かうことが物理的にできなくな
るわけだから、ね。極厳修行というものは、例えば、あめが食べたいといってもあ
めはないし、ね、例えば愛する人に会いたいといっても愛する人はいないし、ね、
怒りたいといってもその対象物はないと。そうなると、どんどんどんどん内側に向
かってくるわけだ、ね。そして最後はセルフ、つまり真我に知ると。それはヴィジ
ュアル的に知った場合、見た場合は「解脱」と言うし、あるいは直観的に悟った場
合「悟り」と言う、ね。それがオウムの解脱のシステムだ。そして、その人たちが
三万人になったならば、先程も言った通り、そのサットヴァのエネルギーによって、
地球を照らし出して、煩悩を滅して、ね、戦争をもちろん回避するだけではなくて、
みんな仲よくやろうよと、そして、本当の意味での真理の道場を築こうよと、ね。
これがわたしの計画です。
ねえ、ちょっと、えー話がいろいろ飛んだけども、じゃあ、それについて少し質
問を取って終わりにしようか。
以上 オウム真理教ネットより転載
#204
/999 資料室
★タイトル (QAA11022) 92/ 3/10 8:43 (191)
オウム真理教>説法>今後のオウムの動き1
★内容
今後のオウムの動きと、それと関連する原始仏教の内容について
1987年10月 セミナーにて
えーと、まずあの、解脱特別修法、それから、えー永代幸福祈願ですね、こ
の二つに、えー、何かお返しができないかということで、えー、オウムでです
ね、まあ、いろいろ考案しまして、で、実際、えー、わたしがエジプトへ行っ
たときの経験をもとにして、えー、プルシャというものを作ったわけです。プ
ルシャというものは何かというと、えー、粘土と、それから、ある、えー元素
を混ぜまして、で、それを、まあ、焼き上げて、セラミックを作るわけですね。
で、それ、あの、その作っていく過程で、まあだいたい二日間ぐらい念力を加
えたもの、エネルギーを込めたもの、まあ、これをプルシャといってるわけで
すけども。で、まあ、えー、この効果というのは、まあ、すごい、えー、もの
で、えー、『マハーヤーナ』NO5のエジプト紀行の中に出てきますけどもね、
要するに、わたしたちが悟りに必要な、潜在意識があらわになったとか、ある
いは、まあ、えー、この社会生活を営んでいて、いろんな人からの、その悪い
影響があるわけだけども、それをブロックするだとか、まあ、そういう働きが
あるわけですね。まあ、実物というのは、えー、これはわたしも実際付けてい
るわけだけども、こういうものなんですね。これがプルシャなんですけれどね。
で、えー、まあ、あの、わたしの弟子だとか、あるいは、えー、これを実際に
お持ちになった方の感想を聞くと、えー、トゥモが自動的にお、起きるみたい
だね。トゥモというのは、みんなもご存じのとおり、熱のヨーガといわれて、
えー、体が熱くなると。で、えー、ステージの低い人は、まず火の洗礼、水の
洗礼から、えー始まるという、起きるというか。それが、あの自動的に起きる
みたいです。で、そうだね、今後とも、あの、わたしの考えとしては、皆様が、
例えば功徳というものをなした限りにおいては、それを曖昧な形でお返しする
んではなくて、何らかの形でね、はっきりした形で、えー、しゃ、修行を進め
る、あるいはえー、幸福になってもらうということでね、お返ししたいと考え
ています。えーですから、あの、皆さんも、今後いろいろと期待なさってくだ
さい。では、あの今から今日の説法に入りたいと思います。これ、ちょっと引
いといてくれるか……。
えー、今日はね、えー、今後のオウムの動き、それから、えー、まあそれと
関連する、その原始仏典の内容についてね、えー、少し、えー、話をしたいと
思います。
まあ、オウム真理教というふうに名前を変えたのが七月と、でそれからわず
か、えー、八、九と、十と三カ月しか経ってないわけだけども、えー、今、今
後オウムの土台となるものは一応預流向と言いましてね、これは預というのは
預金の預、流というのは流れ、向っていうのは向かうと。要するに、そのまあ
一般でいうところの準会員みたいな制度を作ろうかという検討を始めておりま
す。で、これはどういうことかと言うと、えー、『阿含経典』にある、えー、
「四向四果」というのがあるわけですね。四向四果とは何かというと、四つの
向かう、そして四つの結果と。これ何かというと、えー、まず預流向があって、
そして預流の果があると。そして一来向があって一来の果があると。不還向が
あって不還果があると。そして阿羅漢向があって阿羅漢果があると、ね。
で、本当は釈迦牟尼はここまでしかお説きになっていらっしゃらなかったん
だね。しかし、これは一つのステージにすぎないわけだね、阿羅漢果というの
は。この阿羅漢果から、またステージがあって、例えば『ラージャ・ヨーガ』
のプロセス、『クンダリニー・ヨーガ』のプロセス、『ジュニアーナ・ヨーガ』
のプロセスね。それから大乗の、ね、えー、仏陀の入口のステージ、それから
『アストラル・ヨーガ』の成就、そして、えー、『コーザル・ヨーガ』の成就
と、そしてマハーヤーナと。
これが全ステージです。これ以上のステージはあり得ないということになる
わけだね。つまり、預流向というのは、えー、何かというと、その入り口と、
全ステージの入口という意味なんだ。
で、いったいこの預流向というのは正確な意味は何なのかというとね、要す
るに聖なる、ね、神聖なる流れに身を委ねて、神聖なる流れにそって、ね、そ
の次のステージにと向かうという意味なんだね。神聖なる流れに向かうという
意味なんだね。
じゃあ、その、神聖なる流れと、これいったい何かというと、ね、ここに如
来があり、ここに仏陀があり、ね、これは同一だね。そして、その法がありね、
法というのは真理があり、ね、そしてそれを実践する集いがあると。これをソ
ウギャという、僧のことね、仏・法・僧だね。この仏・法・僧の流れに入ると
いうことだね。もちろん仏教とて、大きなヨーガの流れの、ね、一部にすぎな
いわけだから、これを言い方を換えれば、ここに、成就者がいて、その成就者
が法を持ち、その法に集う者、ね、これに帰依をすると。これが預流向という
意味なんだよ、ね。
で、あなた方は預流向ではない。ね、あなた方は何かというと、あなた方自
身が、今修行しているわけだから、ね、もう預流向ではなくて、預流果、ある
いは一来向、あるいは一来果、あるいは不還向、不還果と。あるいは阿羅漢向、
阿羅漢果となるわけだね。いいですか。
じゃあ、その、預流から始まって阿羅漢までのステージをね、まあ簡単に説
明すると、こういうことになるわけだ。
今言ったとおり、預流というのは、その仏陀と、それから仏陀の説く真理と、
ね、そしてえー、ソウギャね、サンガね、つまり、その仏陀の教えを実践して
いる人たちに帰依をする。ね。これが要するに、えー預流向なわけだ。そして、
帰依の実践が始まると。ね。そして、完全に帰依できた段階で、ね、帰依でき
た段階というのはどういうことかというと、例えば、一日中グルのことを考え
る、法のことを考える、ね、あるいは、ね、その集っている人のことを考える
というわけではない。ね。少なくとも他の宗教ではなく、真理というもの、仏
陀の教えというものに帰依しましたよという段階だ。ね。これを預流向という
わけだね。そして、それが完全にできた段階を、預流果というわけだ。ね。つ
まり、聖なる流れに身を任せることができましたという段階を預流果というわ
けだ。ね。
そして、当然その人たちは、いろんな説法を聴くわけだ、ね。いろんな説法
を聴くわけだからどうなるかというと、ね、もう一回、この現象界、欲六界に
降りてきて、修行をすれば、ね、次はどうなるかと。不還向の段階へ入ってい
くわけだね。不還向っていうのはは何かというと、ね、アストラルの世界、微
細な世界に、今度は生まれ変わって、そこで簡単に修行して、マハーヤーナに
入っていくと。ニルヴァーナに入っていくだな、申し訳ない。ニルヴァーナに
入って行くと。これが不還だ。不還というのは、この欲六界に再生しないとい
うことを言う、ね。いいですか。
そして、不還、まあ、その前の一来、ね、もう一回降りてきたと。これを一
来向だね。そして、そこで修りょう、修行した結果、一来の結果が出てきて、
そして不還向に向かって、なるね。それはアストラル世界だ。で、不還向になっ
た段階で、一生懸命修行すると。
そうすると、当然そこで結果が出てくるよね、そうすると、その人は、次は
アラハットになるわけだ。ね。アラハットというのは、別に、この粗雑次元で
アラハットになる必要はないわけだから。ねえ。そして、アラハットになった
ら、ニルヴァーナに入る資格を得たということになるわけだね。
で、釈迦牟尼は一応、そこまでしかお説きにならなかった。ねえ。ところが
だ。実際はそれは入口。阿羅漢は入口であるとわたしは説く。ね。じゃあ、何
の入口なんだと。これはラージャ・ヨーガの入口だ。ね。
わたしが、俗に言うところの「四つの極限」があるね。まず、布施から始まっ
て、ね、持戒、そして意志の強化と、そして修行と。この次にくるの第一ステー
ジがラージャ・ヨーガの成就だ。ね。ラージャ・ヨーガの成就によって真解脱
があると。そして、ラージャ・ヨーガの最終解脱があった段階で、次にクンダ
リニー・ヨーガのプロセスに入るんだよ。ね。
このラージャ・ヨーガというものは、背景にあるのは意志だ。ね。強靭な意
志の持主でなきゃなきゃなんない。ね。じゃあ、クンダリニー・ヨーガは何が
必要なんだということになってくる。ね。クンダリニー・ヨーガというものは、
その強靭な意志、プラス何だと思うか。エネルギーだ。生命力だね。上昇のエ
ネルギーだ、ね。
そして、その上昇のエネルギーが、ね、完全に突き抜けたとき、その人の、
いいですか、力、エネルギーと智性が合一するわけだ。ね。力と智性が合一し
た段階で、その人はスーパー・マンになるね。スーパー・マンっていうのは、
その人の頭脳は明析であると。ね。そういう意味でのスーパー・マンだよ。だ
から、この段階では、偉大なる科学者になることもできよう、当然。
そしてだ、このクンダリニー・ヨーガが成就する、真解脱があって、最終解
脱があると。ね。このプロセスが完璧にできた段階で、ジュニアーナ・ヨーガ
のプロセスに入っていく。もともとジュニアーナ・ヨーガというものは、ね、
表層意識を、この、で遊んでいる、ただ、単に公式を当て、当てはめて、解い
ていくものではない、実際には。実際には、潜在意識にアプローチして、潜在
意識で原因と結果を考えると。これがジュニアーナ・ヨーガの本当のやり方だ
ね。そして、そのジュニアーナ・ヨーガの、ね、原因、結果、その背景にはク
ンダリニーのエネルギーと、ね、知能とが結びついたという条件があるよ。こ
れで完璧に、ね、そのジュニアーナ・ヨーガができるようになった段階で、真
解脱が起き、最終解脱が起きると。ね。
そうすると、次にだ、「四つの無量心」を背景とした、大乗のヨーガが訪れ
てくる。ね。このジュニアーナ・ヨーガのプロセスでは、背景となっているも
のは明らかに個なんだよね。わたし自身なんだよ。自己というものを中心とし
て解析している。ところが、次の大乗のヨーガに入ってくると、ね、いったい
何が起きるんだということになってくる。それは、個の原則を変えた、超えた
ね、宇宙的な原則というものが登場してくる。そして、救済と、本当のいう、
本当の意味での救済という意味合いがわかってこよう。ね。
そして、ここでの修行というものは、自と他との区別を完璧になくしてしま
うことだ。ね。
そして、この大乗のヨーガが成就したと。ね。大乗のヨーガが成就したら、
当然ここでも真解脱と最終解脱がありますよ。次に登場するのが、アストラル・
ヨーガだ。ねえ。このアストラル・ヨーガとはいったい何だということになっ
てくる。これはね、アストラルの世界で、自由にすべてを創造し、ね、そして
自己のカルマにおいて、それを破壊すると。これを繰り返していくわけだ。ね。
で、完璧に、そのアストラルの世界の中で、自己の欲求、あるいは自己の今ま
での誤ち、これを完全に、ね、生起させて、形を作って、それを破壊してしま
う。これが、アストラル・ヨーガだ。これで、ほとんどの煩悩が、もうなくなっ
てしまう。完璧になくなってしまう。ね。
じゃあ、次に何が起きるんだと。次は今度はコーザルのヨーガが起きる。ア
ストラルのヨーガとコーザルのヨーガの違いは、アストラル・ヨーガにおいて
は、まだボディーを持っているよ、微細なボディーを。ところが、コーザルの
ヨーガにおいては、ボディーはない。ね。光の中に没入して、その光の中に情
報を読み取り、ね、自己に関するカルマを今度は完璧に滅却してしまうわけだ。
ねえ。ここで真解脱が起きるね、本当の意味での。ね。コーザルのヨーガで、
全体の流れの中の真解脱が起きる。そして、いいか、次にくるのが、マハーヤー
ナに至る道だね。
そして、完全にこのコーザルを、コーザル世界を浄化し切ったならば、ね、
あとは、その人はもう、完全なマハーヤーナの状態になる。これが、全プロセ
スだ。
もう一度いくよ。わたしは今までいろんな形であなた方に説いてきたけども、
それは、ね、セミナーを重ねるたんびに一歩一歩ね、情報を、新しい情報を提
供することを、ね、考えていた。だから、いきなりすべてをね、あなた方に提
供、提供することはなかった。ね。しかし、これを細分化することはあっても、
これ以上のものはないと考えなさい。
いいか。もう一度いくよ。まず預流向がある。よる、預流向っていうのは何
かというと、聖なる流れに身を預けようとした段階、ね。それで、それが結果
を結んだ段階が預流果であると。で、これはいったい何に対して、ね、身を預
けたのかというと、それは、ここに如来がましますと、ここに仏陀がまします
と、その真理の法がありますと、ね、そしてその真理の法を実践している人た
ちがいますと。いいか。これに対して身を預け、他のよこしまなものに見向き
もしなくなった状態、これが預流果だ。ね。そして、その預流に入ったならば、
次の生でもう一回降りてきなさいと。ね。降りてきた人たちは、今度は修行に
入ります。ね。そして、その生で一生懸命修行したならば、その結果、一来果
という状態になるね。この人が入滅したならば、もう粗雑次元に生まれ変わる
必要はない。次はアストラルの世界だ、ね。そして次は、アストラルの世界に
入っていくと。これが、不還向だ。ね。そして、いいですか。アストラルに入っ
たならば、そこで今度は修行をすると。ね。そして、結果が出てくると。これ
が不還果だ、ね。次は、もう粗雑次元にも微細次元にも生まれ変わらなくてい
いような状態、阿羅漢向という状態が出てくる。ね。そして、阿羅漢果のニル
ヴァーナだ。ということになる。
しかし、このニルヴァーナというのは、先程も言ったとおり、ラージャ・ヨー
ガのプロセスだね。マハーヤーナに入るためには、ラージャ・ヨーガの成就が
必要であると。ねえ、これは強靭な意志の持主でなきゃなんないと。現に今成
就している人たちは、ねえ、二十時間ぐらいのだいたい修行をこなす。ね。一
日二十時間ぐらいの修行をこなす。これぐらいの強靭な意志があれば、阿羅漢
向になれる。そして、成就したならば、阿羅漢果ということになるね。いいで
すか。
(つづく)
#205
/999 資料室
★タイトル (QAA11022) 92/ 3/10 8:45 ( 86)
オウム真理教>説法>今後のオウムの動き2
★内容
次に、その人が功徳というエネルギーを十分に持っていたならば、生命エネ
ルギーを十分に持っていたならば、その人はクンダリニーのプロセスに入って
いくだろうと。ね。そして、そのクンダリニーを完全にコントロールし、ね、
下降のエネルギーがなくて、すべて上昇のエネルギーになったならば、その人
の力と、それから智慧ね、つまり下部から上昇したエネルギーが、大脳を振動
させ、ね、普通の人と違った大脳の働きをかもし出すわけだ。ね。いいですか。
この状態まできた段階で、ジュニアーナ・ヨーガに入っていく。ジュニアーナ・
ヨーガというものはね、知識でできるものではない。純粋智性がないとね、純
粋な識別の智性がないとできないんだ。いいですか。ジュニアーナ・ヨーガの
プロセスに入った人は、そこで徹底的にすべてを解析してしまう。そうすると、
そこで、彼は一つの疑問に引っかかる。それは、自と他の区別というものは、
どうしてあるんだろうかということだ。自己が苦しんでいるということを、こ
の苦しみは、他も苦しんでるはずではないかという。ね。そして、自己が偏愛
しているものは、正しくない愛ではないかということ、ね。自己が優越性を持
っている、この感情というものは、真実ではないということに気付くと。ね。
こういうことをベースとしてだよ、次の大乗のヨーガが始まってくる。ね。
これはチァクラでいったら、アナハタだ。このアナハタがものすごく大きく
なる。ね。そして、このアナハタ・チァクラが、この大乗のヨーガが完成する
と、もう今生では、この人のなすべきことはなくなってくる。ね。
次は、アストラルの世界の浄化に入らなきゃなんない、完璧な、ね。それは、
ここに座って、ね、この肉体を意識しながらやるものではない。アストラルの
世界で、実際に行なわなきゃならない。ね。そして、アージュニャー・チァク
ラのコーザル世界、ね、光のヨーガの段階に入ってくる。いいですか。このと
きには、今度は身体はない、自己の意識だけしかない。ね。意識がいろんな情
報を読み取り、そしてそれを正しい、正しくないと。必要、必要でないという
ことを判断して落としていく。で、これが完璧に終わったならば、この人は何
もなくなってしまう。カラッポになってしまう。ね、無ではないよ。無という
のは何もないということ。ね。ここでは情報を入れる器だけが残っているんだ
よ。この器の中には、透明な水が入っていると考えなさい、ね。そうすると、
もうこの人はいつでもマハーヤーナに入れると。これがすべてのプロセスだ。
いいですか。
今わたしの弟子衆の中で、こういう人がいる。「私は解脱したいんだ」と、
ね。ところがだ。私の与えた戒すら守れない。ね。ある人間はわたしの弟子か
ら会員に落ちた人もいる。そして、「私は解脱したいんだ」と言っている。
できるわけがなかろうが。考えてごらん。ここに布施のベースがあって、持
戒のベースがあって、そして意志のベースがあって、ね、そして精進のベース
があるよ。持戒が守れなくて、ね、何で意志のベースが守れるんだ? 何で精
進のベースが守れるんだ? だから、わたしは、その人達に、こういう言い方
をしている。「あなた方は、今生で解脱することはあきらめなさいと。ね。来
世にかけなさい」と。「ただ、聖なる聖なる流れから外れることだけはしては
いけないよ」と。と。あなた方の機根が満ちて、ね、すべてはカルマだから、
善行が実を結んだ段階で、持戒を守れるような状態がやってくる、ね。そして、
その持戒が守れるよう、ようになった段階で、次は強靭な意志を身につける段
階がやってくる。ね。そして、次は、その強靭な意志というものを背景として、
ね、修行だ、精進のプロセスがやってくる。ね。そして、ね、先程言ったラー
ジャ・ヨーガの成就、ね、徳のある人は、その上にクンダリニー・ヨーガの成
就、ね、そしてクンダリニー・ヨーガで飽き足らない人は、ジュニアーナ・ヨー
ガの成就、大乗のヨーガの成就、アストラル・ヨーガの成就、コーザル・ヨー
ガの成就、マハーヤーナというプロセスになる。ねえ。簡単だね。何が簡単かっ
て、これだけわかりやすいものはないだろう。すべてのステージが入ってるよ、
ほら。ね。そして、入り口は何か、出口は何かまではっきりと示してある。だ
から、あなた方は、このシステムに沿って、ただ修行すればいい。あとは、ね、
時期がきたら、マハーヤーナに到達していよう。
近ごろ、東京、大阪、ね、福岡を中心としてね、ものすごく土地が跳ね上がっ
ている。ね、これは俗に言うところの地上げ屋という人が動いてるみたいだが、
その背景には君たちは何があると思うか。もう近ごろ堂々と新聞、あるいはテ
レビで、三井、住友銀行ね、三井銀行、住友銀行、こういう大手銀行がバック
アップをしているということをうたっているね。そして、一般の人たちが手の
届かないような土地の値段になってきている。ね。わたしはこう考えるんだ。
この地も、この天も、ね、空気も、水も、すべては、わたしたちの修行のため
に与えられたものであると。ね。もし、これが単なる汚いことをして儲けたお
金持ちのために、ね、その土地がけがされだよ、そしてその人たちに、その土
地が集まった段階で、いいか、この日本は滅びるだろう。それは簡単なことだ。
自然の理に反している。ね。
わたしは今、合間を縫って徹底的に修行を始めている。わたしなりの修行を。
それはなぜかというと--もちろん特別イニシエーションはあるよ、ね、シャ
クティーパットはあるよ、セミナーはあるよ、原稿はあるよ。しかし、ねえ、
私がやらなきゃなんないことは、それだけではない。あなた方にきちんと予言
をし、あなた方に真理の道を説かなければならない。
だから私は今、寸暇を悔しんで修行している。ね。そして、おそらく十月の
終わりぐらいには、あなた方に今後四、五年のね、もっと小さな緻密な予言を、
予言書をね、手渡すことができるんじゃないかと考えています。その中に、ま
あ、あなた方が信じる信じないは別にしても、ゾッとするような内容も含まれ
るでしょう。それをね、あなた方が、直に、一所懸命修行すればね、私と同じ
ようなヴィジョンを見ることができるはずだ。いいですか。
だから、先程も言ったとおり、流れというものは、もう決まっているよ。預
流向から始まり、マハーヤーナに至る流れというものは決まっている。ね。だ
から、あなた方も一生懸命修行をして、できるだけ邪悪な想念を切り、ね、で
きるだけ、この日本というね、素晴らしい修行環境を残そうではないか。
以上 オウム真理教ネットより転載
聖称賛磨蔵
#206
/999 資料室
★タイトル (MQM47158) 92/ 3/10 13: 9 (101)
麻原尊師説法 四乗とテーラヴァーダ、そして四無量心の瞑想1
★内容
四乗とテーラヴァーダ、そして四無量心の瞑想
一九九二年一月二十六日 上九一色村教学センターにて
一九九二年の一月も、もう少しで終わります。わたしたちは一九九七というタイ
ムリミット、そして二〇〇一から二〇一四という、偉大なるこの地上の変革、これ
らの真っただ中に身を置きながら、それらの現象にいっさいとらわれることなく、
自己のなさなければならないことをしっかりと見つめ、そして正しく優れた輪廻転
生を繰り返し、最終的に大いなる煩悩破壊によって、いかなる世界へ生存しようと
も、あるいは生存を完全に断絶しようとも、それらの世界において完全なる幸福、
自由、歓喜という三つの状態を得る、そのために、もしわたしたちが日々の瞬間瞬
間の出来事に対して、集中し、そして対象に対して正確に分析し、その分析によっ
て大いなる精通を得ることができるとするならば、それこそ真の意味での到達真智
運命魂、つまりボーディサットヴァということになります。
修行には、ヒナヤーナ、マハーヤーナ、タントラヤーナ、ヴァジラヤーナ、そし
てテーラヴァーダの教えが存在しています。一部では、小乗、イコール、テーラヴ
ァーダというふうに考えますが、実際そうではなく、テーラヴァーダの教えの中に
よく隅々まで検討すると、四つの修行、つまり善の修行、徳の修行、そして法則の
修行と寂静の修行、これらの初めから終わりまでの具体的な、かつ実践的な方法が
述べられています。そして、これらは、この四つの修行はすべて、四つのヤーナ、
つまりヒナヤーナ、マハーヤーナ、タントラヤーナ、タントラ・ヴァジラヤーナの
四つの実践体系を表わしていることになります。
したがって、テーラヴァーダの教えの中には、この四乗は既に含まれているとい
うことができるでしょう。しかし、このテーラヴァーダは、あくまでも全体的、か
つもともと仏教的、あるいは真理に対して特性の優れた人の行なう修行法です。も
し、特性が優れていなければ、自己の特性を見つめ、自分に合った修行法、これを
確立していくべきでしょう。
では、ヒナヤーナ、マハーヤーナ、タントラヤーナ、ヴァジラヤーナについて、
一つずつ簡単に説明しましょう。
ヒナヤーナとは、隔絶された空間で、自己の心を止滅する。寂静へと向かうと。
これがヒナヤーナの教えの根本です。したがって、この教えは大変一人に強く、ま
た外的刺激の多い環境においては、逆にもろさが生じます。よく、あの人は現世的
に徳がないんだが、なぜ修行しているんだろうと。そして、なぜ神秘的な体験をす
るんだろうと。その人はあまり人付き合いがないという、このような人は、まさに
このヒナヤーナの道を歩く素質を有しているということができるでしょう。
では、第二のマハーヤーナ、このマハーヤーナというのは、わたしたちが、この
現実の世界において、大いに徳を積み、善をなし、そして教えを広めるといったこ
とが、修行の根底に存在しています。したがって、この人たちは大いに人から好か
れ、社会的にも高位高官に昇ることは間違いありません。しかし、もし、この人が
ヒナヤーナの土台、つまり個人、一人になることに対する弱さを含んでいるとする
ならば、結局それは死のときに、積み上げた徳のすべてを昇華した形での輪廻転生
というものは不可能となるでしょう。
では、次はタントラヤーナです。このタントラヤーナの教えは、まさにこの人間
世界の法則に精通し、そしてこの人間世界の法則にのっとって修行を行なうと。も
ちろん、チベットのタントラヤーナの教え、これは代表的なものですが、これと対
比した形で、『旧約聖書』における教え、これもタントラヤーナの教えを多分に含
んでいるとわたしは考えています。つまり、タントラヤーナの教えとは、この人間
の世界において、いかに風(ふう)の働きを上昇させるかということが狙いです。
では、ヴァジラの道、ヴァジラの乗り物、ヴァジラヤーナとは何であるかと。こ
れは、わたしたちが、この現実世界における現象に頓着することなく、心の本質を
知り――この知るというのはね、下に日のつかない知るだけども――そして、しっ
かりとその心の本質にしたがって、この人間世界を生きていくと。これがヴァジラ
ヤーナの教えです。したがって、この場合、現象を見ただけでは、その人の本質的
な修行レベルというものは理解できないと。
そして、このタントラヤーナやヴァジラヤーナの教えは、別の言い方をするなら
ば、「狂気の悟り」といわれています。なぜ狂気なのかというと、一般的に見て、
これが本当に修行だろうかというようなことを行ないながら修行をしていくからで
す。
では、例えば、これらのタントラ・ヴァジラヤーナの教えと、テーラヴァーダの
教えの共通性を一つ、二つ紹介し、考えてみましょう。
例えば、ミラレパがマルパの命によって、建物をいくつも建てては壊され、建て
ては壊されしたという話があります。これらはまさに、テーラヴァーダにおける忍
辱の修行であるといわざるを得ません。つまり、いかなる環境であろうとも、心を
いっさい動かさない訓練をすること。これをミラレパは実践させられたのです。
あるいは、マハーモッガラーナの前生において、あるびっこの在家の者を教化し
たという話があります。これは、そのびっこと全く同じ変化身をとり、そして教化
したという話があるわけですが、この話はまさにヴァジラヤーナの教えであるとい
わざるを得ません。
このような形で、チベットのタントラヤーナや、あるいはヴァジラヤーナの教え、
それとテーラヴァーダの教えが、本質的には共通であるということを認識するなら
ば、テーラヴァーダの修行を実践していく上において、わたしたちは大いに北伝的
な修行についても、参考として生きていくことができます。
そしてね、この一九九二年は、まず皆さんに何としてでもテーラヴァーダの全体
系、パーリ仏典の翻訳を完成したいと。そして、皆さんにぜひとも読んでいただき
たいと考えています。この経典を読むことによって、日本に初めて、仏教の全体系
が伝わるんだなと考えているからです。
わたしたちは、日々、瞬間瞬間を生きています。この日々瞬間瞬間を生きるとい
うことは何を意味するのかというと、つまり身の行ない、言葉、そして心の働きと
いう三つ、これを絶えず行為として積み続けているわけです。そしてね、これらの
身・口・意の集積こそが、来世を決定します。
#207
/999 資料室
★タイトル (MQM47158) 92/ 3/10 13:14 (153)
麻原尊師説法 四乗とテーラヴァーダ、そして四無量心の瞑想2
★内容
では、わたしたちは、どのような生き方をすればいいのかと。例えば、ある人が
家に閉じ込もり、経典を読んだと。そして、教えについて考えたと。そして、言葉
において沈黙の行をなしたと。これはヒナヤーナにおける、最高の修行法の一つで
あるとわたしは考えます。
しかし、それよりもっと優れた方法、それはカルマの現象化しやすい空間に自分
を置き、その空間の中で自己のカルマを認識し、それを教義にのっとり捨断すると。
これをなすならば、もっと素晴らしい修行法となるのです。
例えば、例を挙げましょう。ある人が街を歩いたり、あるいは喫茶店に入ったり、
あるいは電車に乗ったりすると。そのとき、どこへ行っても、例えば文句を言われ
ると。そうすると、この人は、こう考えなければならない。わたしは、文句を言わ
れるカルマがあるんだと。きっとわたしは今の生において、人に多くの文句を言っ
たに違いないと。では、自分の言葉についてよく見つめてみようと。そして、もし、
この人が自分の他人に対して文句を言うカルマを認識することができるならば、そ
れは一冊の経典を記憶するのと同等の、大いなる価値が存在するのです。なぜなら
ば、その人は、それを捨断することにより、二度と他人から文句を言われる環境へ
と身を置くことがないからです。
例えば今、大乗の成就者、あるいはマハー・ムドラーの成就者たちが、アンダー
グラウンド・エアータイト・サマディ、あるいはアンダーグラウンド・サマディと
いった修行を行なっています。これも、まさに同じで、食事のない状態、あるいは
水のない状態、あるいは酸素のない状態で、いったい自分自身の心はどうなるのか
と、どのような苦しみが生起するのかと、そしてそれらを生起させることによって、
自分のけがれを認識すると。そして、自分のけがれを認識し、捨断することによっ
て、その人はいかなる環境においても苦しみがなくなると。つまり、地獄に落ちた
としても、地獄での苦しみは生じないと。これこそが、まさに大乗の修行の本質で
す。
そして、大乗の修行の完成をなすためには、わたしたちは四つの無量心の実践を
しなければなりません。その四つの無量心とは、聖慈愛、聖哀れみ、聖称賛、そし
て聖無頓着です。皆さんが、この四つの無量心をしっかりと実践するならば、皆さ
んは偉大なる、大きな、優しい、そして柔軟な心を完成し、最高の世界へと、ある
いはいかなる世界においても最高の魂となることでしょう。
モーセが二回目の結婚を行なったとき、モーセをイスラエルの民は非難しました。
しかし、そこで、ヤハゥエは、そのモーセを非難した人たちに大いなる病を振りか
け、降り注ぎ、そして心を悔い改めさせました。なぜならば、モーセほどの慈愛の
持ち主が存在しなかったからです。それほど、この大乗の修行、四無量心の一つで
ある聖慈愛だけを取っても、その心を培うことができるならば、その魂は大いに形
状界、あるいは非形状界の神々の祝福を受けることとなるでしょう。
それではね、まず四無量心の瞑想、初めは聖慈愛の瞑想をいたしましょう。これ
は、皆さんが、皆さんの周りにいる人たち一人一人を意識し、その人たちがすべて
真理と巡り合ってほしいな、そして大いに高い世界へ生まれ変わってほしいな、あ
るいは真の意味で苦しみから解放されてほしいな、真の意味で四つの絶対的真理、
苦しみ、苦しみの生起、苦しみの滅尽、苦しみの滅尽に至る方法を知り、理解し、
記憶し、実践してほしいなと、そう考えることです。はい、それではこれから二分
間、しっかりと瞑想しましょう。
はい、それでは、次は聖哀れみの瞑想をしましょう。この聖哀れみは、いまだ真
理を実践していない人、あるいは真理を知っているのに実践できない人に対する大
いなる哀れみです。なぜならば、真理を実践しなければ、その人たちがこの人間の
世界から低級霊域つまり餓鬼の世界や、動物の発生、あるいは激苦地獄へと輪廻転
生することが間違いないからです。それは、先程も述べた経験の蓄積、経験の構成
を見ると、例えば殺生を喜び、偸盗を喜び、邪淫を喜び、妄語を喜び、あるいは軽
薄な言葉を喜び、悪口を喜び、あるいは仲たがいさせる言葉、中傷を喜び、心にお
いて嫌悪、つまり邪悪心、そして無智、迷妄ね、そして愛著といったものを修習す
ることにより、それが起きるわけです。
ですから、それから完全に捨断させるための道、絶対の真理、つまり煩悩、煩悩
の生起、煩悩の滅尽、煩悩の滅尽に至る方法、これを説き明かす真理、オウム真理
教との縁ができてほしいなとしっかり考える。この瞑想ができるかどうか、これは
大変ね、重要な問題です。はい、それでは、聖哀れみの瞑想、あなた方の周りにい
る、迷妄に悩む魂に対する哀れみ、これをこれから瞑想しましょう。二分間です。
はい、これら偉大な二つの心は、わたしたちよりも真理と縁が遠い、あるいは徳
がない、あるいは善の実践に乏しいと、あるいは法則の修行ができていないと、こ
ういう対象に対する瞑想です。しかし、これらの対象に対する瞑想は、確かに下に
対する縁、つまり自分より身分の低い者、徳の少ない者に対する縁はできますが、
自分よりも徳の上の者、あるいは優れた霊性や智慧の持ち主との縁はできません。
では、これらの、自分より上の者と同等になっていくための道、あるいは上の世
界の魂と縁をつなぐ道、それはいったい、どういう瞑想でしょうかと。どういう実
践でしょうかと。それは、三番目の聖称賛の瞑想です。したがって、皆さんは、自
分より修行の進んでいる人、霊的に進化した人、あるいは心の成熟した人、あるい
は徳の修行を実践している人、あるいは善の修行を実践している人、あるいは心の
平静な人、これらの魂に対して、大いに称賛する。それは、今まであなた方が生ま
れ、そして生きている間のいろいろな現象を思い出し、その人たちに対する称賛の
心を培いましょう。はい、それでは、二分間行ないます。
わたしたちが根気、あるいは記憶の継続、記憶修習、これらを正しく実践するた
めには、無頓着の心構えが必要です。では、なぜ無頓着の心構えが必要なのでしょ
うか。わたしたちが、もし、わたしは善をなしたと、あるいはわたしは徳を積んだ
という心が生起していたとして、今の環境が、もし、苦しい環境であるとしたなら
ば、こう考えるはずです。わたしは、これこれの徳を積んだ、これこれの善をなし
たのに、なぜ、今苦しい環境でなければならないんだと。
しかし、今、苦しんでいること、これは過去における、あるいは過去世における、
自己の悪業の結果であると。今、喜んでいること、今楽しいことは、過去における、
あるいは過去世における善業の結果であると。これらを認識するならば、わたした
ちは今の苦しみや喜びに対しては、全く頓着する必要性を感じないし、逆に頓着す
ることそのものが、わたしたちにとって不利益になるんだなということが理解でき
るはずです。
したがって、淡々と目の前にあることを一つ一つ消化すること、これこそが最高
の心なのです。よって、四無量心の最後にくる聖無頓着とは、いかなる現象に対し
てもこだわらないと。
例えば例を挙げるならば、昨日まで転輪聖王であった者が、自分の死期が近づく
と、頭を剃り、そして出家すると。そして、托鉢修行によって生きると。これこそ
は、まさにその典型的な実践だと思われます。つまり、自分のいい状態にも、ある
いは托鉢によって生きなければならない状態になったとしても、その点、その点で
ベストを尽くす。これこそが無頓着なのです。
そして、最高の無頓着の心の実践は、いまだ真理と縁のない魂に対して、真理と
の縁を結びつけると。そして、例えば罵倒されたり、嘲笑されたりすると。あるい
は、冷淡に扱われると。このような相手方の態度に対して、いっさい心を乱さない
こと。そして、それは自己のカルマ落としであると考えること。そして、黙々と努
力をし続けるなら、奮闘努力を続けるなら、その修行者は北伝における大乗の四つ
の土台、布施、持戒、忍辱、精進を既に確立し、そしてサマディ、智慧という在家
における解脱・悟りの道を達成する、準備ができたことを表わしています。
つまり、この無頓着の心、これを完成することこそ、わたしたちが在家において
解脱する道なのです。それでは、今まで真理施、その他のいろいろなあなた方にと
って苦しみ、これを思い出しながら、それに対して、「ああ、あれはわたしにとっ
ての試練である」と。「わたしにとっての無頓着の修行の試練だったんだ」と、そ
れを考えましょう。これから、二分間です。
ところで、オウム真理教のシステム、これはこれから大いに改変されていくと思
います。では、いったい何のために改変するのかと。それは、皆さんの修行ステー
ジを、よりいっそう早く引き上げるために、そして確実にするために、どのように
したらいいのかということを狙いとして改変されていくわけです。
例えば、これは、まあ二月、あるいは三月ぐらいから信徒の皆さんにね、毎月定
期的に極厳修行をプログラミングするとか、あるいはサマナにおいては、今までの
クンダリニー・ヨーガの師と違い、教学、そしてオウム真理教で説き明かすイニシ
エーションの中で、特に小乗のツァンダリー、グルヨーガ・マイトレーヤ・イニシ
エーション、大乗のツァンダリー、グルヨーガという四つのイニシエーション、お
よびその瞑想をしっかりと確定させる――まあ、これはオウムでは正師と呼んでい
るわけだけど――これらをしっかりと達成させて、その後皆さんの人生における悩
み等の相談、あるいは霊的な指導、あるいは瞑想指導、あるいはその他の諸々の指
導に当たらせたいと考えています。
なぜならば、今、皆さんの状態を見ると、どんどんステージを上げていっている
と。当然サマナ、そしてビック、ビックニーは、皆さんの指導的立場に立たなけれ
ばならないと。皆さんの指導的立場に立つ、ただ一つの方法は、彼らが偉大なる瞑
想体験、あるいは偉大なる神通体験を行なう以外に方法はないわけです。
したがって、九二年は大いなる改革の年、オウム真理教にとって大いなる改革の
年にしたいと考えています。
#208
/999 資料室
★タイトル (QAA11022) 92/ 3/10 13:39 (126)
オウム真理教>説法>これからの救済とステージの科学的実証1
★内容
これからのオウムの救済活動と、
オウムでいうステージを科学的に実証します。
1987年8月23日 東京本部道場にて
今日は皆さんの温かい励ましによって、やっと私達のね、魂の殿堂であるオ
ウム東京本部道場を開設することができました。
実はね、私は八月二十一日までエジプトに行ってたんだ。私がエジプトに行
くというと皆さんの中にはね、「えっ、麻原はインドに行くんじゃないのか」
と、それは仏教やヨーガの発祥の地がね、インドだから、エジプトには何しに
行ったんだろうと、ね、観光旅行に行ったんじゃないかと、そういうふうに考
える人もいるかもしれない。
しかし、実際にはそうではなかった。私がエジプト行きを決めたのは七月の
中旬、大阪のシャクティーパットをね、やっている最中、ホテルで瞑想してい
るとき、シヴァ神からエジプトへ行きなさいと言われたんだよ。そして私の内
なる魂、真我はそれを大喜びしてた。そして、実際エジプトに行ったわけだけ
ども、まあエジプトに出発したのが七月二十九日だ。予想に反して、まあ、エ
ジプトという国はとんでもない国だったわけだ。そのとんでもないとはどうい
うことかというと、今、イスラム教がね、エジプトの大勢を占めていて、ま、
このイスラム教というのは、とにかくお金持ちからはだましてでも物を取り上
げなさいと。そして、それは罪ではないというような宗教なんだね。もちろん、
そのコーランの書き方にも問題があったんだろうけど、今はとにかくそういう
国だ。そして、まあ、いろいろ約束を違えられたり、あるいはだまされたり、
ね、あるいは知らないことを知ってると言って、まあ、そこですいぶん時間の
ロスをしたりしていたわけだ。
しかし、私の中には確信があったわけだね。ここで、私に大変な贈り物があ
るはずだと。ところが、それがあったんだよ。それはなぜか、何かというとね、
世界史に詳しい方はご存じだと思うけども、エジプトの古王朝が始まったのは、
今から五千年前だ。そして、密教の起源を五千年前のインドと言っているわけ
だね。五千年前のインドだよ。ところがそれよりも二千年前の先王朝の時代に
ね、既に、いいですか、これは大切なとこだよ、イダー、ピンガラ、スシュム
ナーを国旗としたね、南の王朝と北の王朝が存在してたんだ。そしてそれと関
係して、クンダリニーの絵がたくさんあったわけだ。チァクラの絵だとかクン
ダリニーの絵だとか。ところがそれは、ヨーガを知らないと、それは何を書い
てあるかわからないと。単に蛇に映ったり、単に花に映ったりするわけだね。
ところが、きちーんとした象徴でやってるわけだ。
つまり、インドの歴史は五千年だと言ってるね。それよりももっと深い、もっ
と古い時代に、いいですか、もっと古い時代、七千年前、八千年前には、エジ
プトにヨーガ文明が成立してたわけだ。
そして、その七千年、八千年前の文明の系統を受けたものが、ピラミッドな
んだね。そしてそのピラミッドというのは、これは現代の物理学をやってる人
はわかると思うんだけど、現代で作ろうとしてもなかなか大変な代物だ。
そして、そこでまあいろいろとイニシエーションの仕方だとか、秘儀の伝授
を受けてきた。といっても、もともと私の、ね、転生の一つであるから、それ
は私の古里にかえっ、帰ったようなもんなんだけども。
そして、まあ、今回私と一緒に行った村井君とね、私のたどってきたステー
ジと、現代の物理学との共通性というよりも、まあ私のステージの科学的実証
みたいなものをそこでいろいろとやったわけだ。それをね、今日は君達に話し
たいと思ってる。
そうすると、君達が、解脱というものは何であるかということを、今までは
曖昧に考えてたことがね、よーくわかるはずだ。
まず、私達はね、といっても、菩薩とそれから凡夫は違うが、ま、いずれに
しろ凡夫の場合を例にとると、夜摩天という神様がいて、その人が私達の善業
と悪業というものをほうり込むわけだ、その網の中にね。いいですか。網の中
にほうり込んで、心もそれと一緒に固定されるわけだ、ね。自分では自分でと
び、飛び込んだつもりの世界が、実際は夜摩天に仕組まれた世界だったわけだ
ね。そしてそこで固定が起きると。それが私達の身体です。そして、身体に心
も固定されます。いいですか。これを凡夫の状態と言います。
そしてその、網目が少しずつ、少しずつ取れてくるんだね。そして、取れて
くるということはどういうことかというと、私達の固定というものがなくなっ
てくるわけだ。そしてね、これは現代の物理学をやってる人だったらよくわか
るけども、その固体というものは熱を加えていけば、必ず液体になるんだ。そ
して、気体になっていくわけだね。いいですか。これが、固体から液体になっ
て流動していく状態、ね、液体、気体も含めてだよ、これを「水のステージ」
と言ってるんだよ、「水のステージ」と。
そして、その分子運動が盛んになってくる、ね、分子運動が盛んになってく
ると、強烈な熱を持つわけだ。いいですか。そしてそれと同時に、持戒という
上昇しかさせない枠組みを作ってるわけだね、新しい。そうすると、エネルギー
は一方方向に運動するようになる。そして、ねえ、プラズマ状態になるわけだ。
解脱のある段階にくると、必ずバチッ、バチッ、バチッという火花が散ります。
プラズマの状態が起きていくわけだね。これが「火のステージ」です。ただし、
この「火のステージ」の段階ではだよ、まだ分子のレベルにアプローチはでき
ない。だから、この「火のステージ」ではまだ、例えば劣等な金属を黄金に変
える技術とかはできないわけだね。
ところが、その「火のステージ」から「風のステージ」に入っていくと、風
というものは熱エネルギーを超えたエネルギーだから、まあ言い方、言い方を
換えるなら核融合だと考えてください、ね。この段階では爆発音が起きてくる
んだよ、ボン、ボン、ボンと。まあそれを昔は、昔の経典では、太鼓をね、大
きな太鼓を打ち鳴らすような音とかいう表現で使われている。しかし実際は、
内なる世界では、そこで核融合とか、核の拡散とか行なわれているわけだね。
いいですか。これが「風のステージ」だ。
そして、鉄を中心として、それより質量、質量の重たいもの、質量の重たい
ものというよりも原子番号の多いものと言っとこうか、それがタマスです。そ
して、鉄を中心として、それよりも原子番号の小さいもの、これがサットヴァ
なんだね。いいですか。
じゃあ、このタマスと、それからサットヴァの違いは何かということになっ
てくるよね。これは何かというと、原子番号というものは、中心に原子番号の
多い少ないでまあ決まると考えてください。その中心は鉄だと言ったのは、人
間の、ね、ヘモグロビンのヘムが鉄でできてるからなんだけども、これはまだ
曖昧というよりも、もう少し裏付けが欲しいから、今ここでは一応の比喩とし
て考えてほしい。比喩だよ、あくまでも。
そして、まずタマスのね、原子番号がどんどんどんどん落ちてくるわけだよ、
修行によって。そのとき何が起きるかというと、魔境に入ります。それはなぜ
かというと、要するに、暗い世界だから、執着の多い世界だから、カルマの多
い世界だから、ここで魔境に入るわけだ。そして、これが、タマスが落ちてき
て鉄のレベルまでくると、この鉄は比喩だよ、今は。いいね、今研究中だから、
これについては。鉄のレベルになると、やっと普通の人になります。そしてそ
れから、ここまではだから光が非常に暗い。そしてそれからどんどんどんどん
過ぎていって、最後の水素の状態になると、つまり太陽と同じ状態になると、
本当の意味でのコーザル世界の最高の、黄金の光を見ることができるわけだ。
太陽を見ることができるわけだね。で、これが「風のステージ」の最後だ。い
いですか。
そしてすべてのエネルギーは、いいですか、それから、空の世界に還元され
ます。その空の世界とは何かというと、ブラックホールだね。
だから、今私が話していることというのは、単なる私の思い付き、インスピ
レーションに過ぎないよ。ただ、このインスピレーションというものの裏付け
がもうかなり取れてきている。いいか。そしてこれをね、もっともっと正確に
裏付けをしたら、君達に一つの形として提供したいと考えている。
で、何を言いたいかというと、そこまでばらばらにカルマを分解したならば、
どうなるか。逆に言えば分解できるということは、再生できるわけだ。そうだ
ね、これは。再生できるということは分解できるわけだ、ね。
だから、私達は自由にアストラルの世界で生きることもできるし、コーザル
の世界で生きることもできるし、あるいはこの現象界で生きることもできるし、
あるいは一切を離れてマハーヤーナで生きることもできる。これが解脱なんだ。
いいですか。
そうすると、私の言うところの絶対自由という意味はわかるよね、そこで。
つまり、一切のカルマ、カルマ、イコール、ね、今は一つの置き換えとして分
子という言葉で置き換えたよ。そしてその分子のレベルだと、まだ私達は完全
に執着を離れることができないから、ね、粉々にすることができないから、原
子のレベルで分解し尽くしてしまうと。そうすると、その原子を、まあ光子の
レベルまでに分解し、し尽くしたら、それは最高だね。その段階で、私達の修
行は終わるわけだ。
(つづく)
#209
/999 資料室
★タイトル (QAA11022) 92/ 3/10 13:42 (122)
オウム真理教>説法>これからの救済とステージの科学的実証2
★内容
じゃあね、私と同じように完璧に悟った釈迦牟尼が、同じような比喩を使っ
てないかなと考えると使ってるんだ。どういう比喩を使ってらっしゃるかとい
うと、ここに一本の大木があると。この大木というものは、例えばね、上だけ、
枝だけ切っても葉っぱだけ落としても、生き続けると。じゃあ、どうしたらい
いかと。幹を切りなさいと。これでも生き続けると。じゃあ、どうしたらいい
かと。引っこ抜きなさいと。引っこ抜いて、まずその木をね、細かく刻みなさ
いと。細かく刻んだ後にどうするかというと、火で燃しなさいと。完全に火で
燃して灰にしてしまいなさいと。そして、灰にしたならばそれを川に流しなさ
いと言ってらっしゃるんだよ。
この説が同じでしょう。何が同じかというと、まず、木という分子があると。
それをばらばらにしなさいと。ばらばらにした後に、火を加えて、ね、木の元
の形よりもう一つ別のものにしてしまうと。炭化してしまうわけだね、炭にし
てしまうわけだ。そして、それだけでは飽き足らないと。それを川に流してし
まいなさいと。そしてその状態が、私達が完全に煩悩を滅尽した状態、最終解
脱の状態だよ、と言ってらっしゃるんだ。
それを科学的に置き換えると、私が初めに話したような内容になる。まあ、
私は科学音痴だから、若干言葉に間違いがあるかもしれない。しかしそれにつ
いては、もっと論証を加えて、あなた方に解脱というものはどういうものであ
るか、そして最高の修行とはどういうものであるかということをね、いろんな
形で加えていきたいと思う。教えていきたいと思う。
じゃあね、なぜ今まで精神的にしかアプローチできなかったものが、こうい
う形で別の角度で、つまり現代の科学的な角度で、見られるようになったのか
という問題が出てくる。これは功徳なんだね。
私んに、私が功徳を積むとしたならば、ただ一つの功徳しかないんだ。それ
はなぜかというと、「救済」しかないわけだ。つまり、より多くの人を解脱さ
せること。解脱させることによって、私はどういう功徳、どういう恩恵を得る
ことができるかというと、その成就した人達の光と、私の光とを合わせて、今
まで不鮮明だったものをよりいっそう明るく照らして見ることができるんだよ。
明るく照らして見るというのはどういうことかというと、いいですか、ここに
物があると。その物をAという表現では表わすことができるけども、それ以外
では表わすことはできなかったとしよう。それを別の透明な光を加えることに
よってね、もっと明るくなるわけだから、Bという表現、あるいはCという表
現で表わすことができると。
例えば、私が科学というものをね、武器として使い、あなた方に真理とはこ
ういうものですよという話をしたとしよう。そうすると、それは例えば物理に
通じている人は、私の話を理解することができよう。つまり、私とその人との
間に、共通の観念というか、概念というものがあるわけだから。そしてそれが、
説法自在、方便と言われるもんなんだね、本当の意味での。
例えば、音楽を私が使うことによって、音楽と、音楽に精通している人と、
同じように話すことができよう。例えば、ね、絵画を使うことによって、絵に
精通している人と、私は法について話すことができよう。法を説くことができ
よう。これが方便という意味合いなんだ。方便というのは嘘という意味じゃな
い。ごまかすという意味ではない。いろんな比喩をね、その人の世界の言葉に
合わせて説き明かす。これが方便なんだ。
そして私は、今新たなる方便のね、一つの形として、科学というものを、あ
るいは音楽というものを、ね、あるいは絵というものを、ね、シヴァ神から与
えられて使う立場になってきている。それが私に対するシヴァ神の功徳のお返
しなんだね。お前は次はこういう形でも説きなさいと。ああいう形でも説きな
さいと、そういう形でも説きなさいと、ね。
しかしだよ、それを例えば研究する場所、あるいは、その私が説いたものを
実践させる場所が今までなかったわけだ。渋谷はわずかに、ねえ、八坪、九坪
の状態、ね。上町は五十坪ぐらいあったけども、皆さんが修行するにはあまり
にも狭い場所であった。そして、松原に移ってきた。松原は、上と下を合わせ
ると、八十畳ぐらい、四十坪から四十五坪ぐらいね、皆さんの修行のために使
えるスペースがあるんだ、ね。
しかしだよ、今の皆さんの修行の熱意、あるいは入会のスピードを考えると
だ、まだまだ足りない、ね。今、私達はやっと法を点火するための、ね、すべ
ての人にマハーヤーナの光を照らすためのね、わずかに第一歩を歩いたに過ぎ
ないんだよ。
私は今月の二十五日、福岡に行きます。そして福岡支部の場所を探してこよ
うと考えている。これが君達に対する第二の約束だからね。第一の約束は東京
本部道場の開設、第二の約束は福岡道場の開設、ね。今オウムの経済からいく
と、そこまではできるようになってきている。そして次は、静岡の本部道場の
開設だ。それと並行して、ニューヨークの、ね、アメリカ道場の開設だ、ね。
そして、君達が私と共に真理の法を展開することによってだ、いったい何が
君達に返ってくるか。それは、サットヴァのエネルギーだ。そして、この動き
を待ち望んでいたシヴァ神をはじめとする、マハー・グル達がね、君達にマハー
ヤーナのエネルギーをどんどん注ぎ込んでくれよう。いいですか。それが君達
に返ってくる最高の功徳だ。
いや、あるいはね、私はシッディ・コースだと。私はマハーヤーナのエネル
ギーはいらないと、私は念力がつけばいいんだという人もいるかもしれない。
そういう人はそれを念じなさい。必ずそれが返ってくるから。いいですか。
今日のね、最後の説法として、皆さんが疑問に思っていることを一つだけお
答えしようね。それは何かというと、例えば、この粗雑次元の世界があると。
粗雑次元のサカイ、世界から、微細次元の世界に入っていって、どうして悪い
世界があるんだと。つまり、粗雑より微細というものは、レベルが高いはずじゃ
ないかと。これはどうだ、ね。しかし、私は『イニシエーション』で、そう書
いてるね。アストラルの世界には、神々になるプロセスと、悪魔になるプロセ
スと、仏陀になるプロセスがあるんだと書いている、ね。これについてね、話
しておくから、皆さんよーく理解してほしい。
粗雑次元というのは先程言ったとおり、分子のレベルなんだよ。だからその
結合の仕方によって、一つの世界ができてるわけだ。粗雑な世界ができてるわ
けだ、ね。例えば、CO2というんだったら、これ二酸化炭素だし、ね、例え
ばH2Oだったら水だし、ね。
じゃあ、例えばそのCO2とH2Oのレベルとだよ、例えば水素のレベルと
比較してごらん。あるいはプルトニウムのレベルを比較してごらん、ね。これ
は分子とそれから原子のレベルだね。分子結合と原子結合のレベルだね、言い
方を換えれば。いいですか。
例えば、プルトニウムというのは、非常に執着の多い原子だ、これ。それに
比べて、例えばCO2、二酸化炭素というものは、ね、執着が少ないんだ、こ
れ。その少ない多いについてはね、ちょっと時間がかかるから、あの今度詳し
く書くから、あるいは詳しく話すから、待ってほしいんだけどもね。
つまり、分子では分子の粗雑な世界がたくさんあるわけだ。展開されてるわ
けだ。そして、原子では原子のたくさんの世界が展開されてるわけだ。で、分
子の世界を粗雑な世界と言っている。原子の世界を微細な世界と言っている。
だから、微細な世界にも大変悪い世界から、大変いい世界まであるわけだ。
しかし、レベルとしては、微細な世界の方が上なんだね、これは。いいかな。
そしてその、もう一つ詳しく言うならば、その原子をもっと分解したときの、
まあ、光子ね、その原子はもう一つ分解できるわけだけども、それもまた、高
い低いというよりも、幅があるわけだ。いい世界、悪い世界という幅があるん
だよ。
だからね、例えばアストラルの世界へ入ってから、入ったからといって、安
心してはいけない、ね。コーザルの世界へ入ったからといって、安心してはい
けない。大切なことは、そのエネルギーが、私達を幸福にしてくれるエネルギー
か、あるいは不幸にするエネルギーか、あるいは幸福にも不幸にもしないエネ
ルギーかっていうことの方が大切だ。いいですか。
そして皆さん、私も今から、また初心者として、功徳をね、どんどん積んで、
たくさんの成就者を出したいと考えている。皆さんも、じょう、今生で成就で
きる人は、徹底的に修行なさり、成就してください。できない人も、オウムを
信じ、功徳をお積みになって、必ずや天界へ帰ってください。いいですか。
そして、今日、この道場の開設をきっかけとして、サットヴァの透明な光、
光をね、全世界へ広げていこうではないか。そして、本当の意味での幸福、平
和というものをね、みんなで味わおうじゃないか。
それではこれで、話、終わります。
以上 オウム真理教ネットより転載
聖称賛磨蔵
#210
/999 資料室
★タイトル (QAA11022) 92/ 3/10 19:54 (199)
オウム真理教>説法>秘儀伝授--マハーヤーナに至る宇宙観
★内容
ついに明かされた秘儀--宇宙の構造
そして、その一つ一つの成立過程を説き明かす
よし、始めましょう。えー、今日はですね、まず私達がどのようにしてこの人間
界に生まれてきたか、そして本当の意味でのね、リアリティーの世界、どういうこ
とかと言うと、この現象宇宙を含んだ宇宙がね、どのような構造を持っているかと
いうこと、ね、そしてもう一つ、それで働く身体、まあ「五法身」と言われている
わけだけども、その身体がいったいどのようなものであるかということ、またどの
世界で働いているかということ。今日はメモしないと損だからね。そして最後にだ、
皆さんの最もよく知っている霊障について話そうと考えている。必ずメモをしてく
ださい。いいですか。いいかな。
じゃあ始めましょう。まず、ここで話すことは、まあ本来ポアセミナーで話す内
容ではない。なぜかというと、あまりにも高度だし、それから秘儀に属するもので
す。だからここで断っておきたいのは、私が今から話すことに関して、ね、許可な
くして他言しないように。まあ、霊障の話とか、例えば五法身の一部については話
しても構いません。しかし宇宙の構造、あるいは、ね、その一つ一つの成立過程と
いうものについては、決して話してはいけない。
それはあなた方が体験して話すべきことであって、体験するまでは話してはいけ
ない。それから、もう一つ、これは今このけがれた三次元宇宙の、地球というね、
場所にいて、もちろんヒマラヤを中心としたね、聖地で修行している人たちの中で
は、それを直観的に知っている人はいる。しかし、このけがれた世の中で、この宇
宙観を正確にあなた方に話すことができるのは、おそらく私だけだと考えています。
ですから、あなた方がいかなる経典を引っ張り出そうともこれは出てこない。そし
て今から私が話すことを、あなた方が理解し、例えば阿含経を読んでごらん、それ
がスパッと理解できる。いいね。
まずリアリティーの世界の構造は、ね、仏教的な言葉を借りるならば、いいです
か、欲界、ね、それから色界、それから無色界という曖昧なカテゴリーの、カテゴ
リーによってね、成立しているということができよう。いいですか。しかし、この、
欲界、色界、無色界というものは正確にその形、あるいは働きを意味しているもの
ではない。いいですか。はい、ヨーガの言葉に置き換えるよ。欲界イコール、ね、
現象界。色界イコール、アストラル界、ね、アストラル世界。無色界イコール、コ
ーザル世界ということができる、ね。ま、ここまではみんなよく知っているだろう。
ところがだ、これも真実ではないよ。何が真実ではないかというと、いいですか、
まずコーザル世界というものは、ね、「純粋コーザル」という最も高い次元のコー
ザル世界があります。これには、アストラルも、それから欲界もありません。いい
ですか。次に、ね、一般的にいわれているコーザル世界は二つのパートに分けるこ
とができる。ね。その上位のパートは純粋アストラルの世界の裏側にあるわけだ。
いいですか。そして、一番次元の低いコーザル世界は、ね、この現象界の裏側にあ
る下位アストラル界の、もう一つ裏側にあるわけだ。つまりこの現象界というもの
は三つの要素によって成立しているわけです。それは下位コーザル世界、ね、それ
から下位アストラル世界、それから、この現象界という三つだ。いいですか、ここ
を押さえておかないと、今から私の話すことはあなた方にはチンプンカンになるよ。
次に純粋アストラル世界の裏側にあるコーザル世界、中位コーザル世界ね。これ
は一つのカテゴリーです。しかし、これは、この現象界のような粗雑な物質はない。
いいですか。そして最後には、純粋コーザルの世界があります。ね。
でだ、まずマニプーラ・チァクラに宿る「変化身」は、いいですか、変化身、変
化の変に化けるだよ。変化身は、ね、現象界の裏側にある、ね、下位アストラルの
世界で働く身体です。押さえてくださいよ、ちゃんと。いいですか。次に、ね、ア
ナハタ・チァクラに固定されている「法身」、法律の法だね、法身は、ね、下位お
よび中位のコーザル世界で働いている身体です。いいですか。それから、ヴィシュ
ッダ・チァクラにある、ね、「報身」、これは報いる身体、電報の「報」ですね。
報身と書くけども、これは純粋アストラルの世界、あるいは上位アストラルでも良
かろうね、の世界で働いている身体です、ね。そしてアージュニァー・チァクラに
固定されている「本性身」は、ね、本性というのは、本当の「本」に性質ですね。
本性身は、いいですか、純粋コーザルの世界で働いている身体です、ね。そしてサ
ハスラーラ・チァクラで働いている身体が「金剛身」、これを真我ということがで
きます。これが密教の五法身の考え方だ。いいですか。
そして一般的に言われている禅の「無」、それから密教やあるいはヨーガで言わ
れている「空」の違いとはこれは、何かと考えるとね、いいですか。禅の無という
ものは、この欲界を、ね、横にぶち抜いた状態だ。現象界を横に、つまり下位アス
トラル、下位コーザルをぶち抜いた状態。この下位コーザルの世界は真っ暗だ。だ
から無なんだよ。ね、いいですか。ところが仏教徒、真の意味での仏教徒だよ。こ
れは功徳を背景とした、四つの、『六つの極限』を背景とした修行者は、功徳に満
ちあふれているから、だいたいにおいて第四天界の、第四天界というのはね、先程
言った現象界の、現象界を六つに分けるわけだね。これはみんな知ってるとおり地
獄、餓鬼、動物、人間、阿修羅、神々のね、天という六つに分けるわけだ。この天
をまた六つに分けるわけだけども、その六つの中の下から四番目、上から三番目の
兜率天をぶち抜いて行くわけだ。だから、この真の仏教徒には、ね、光に満ちた世
界をぶち抜くから無がなくて、空なんだ。いいですか。あるいはヨーガでは、これ
は失敗したら最悪だけれども、最も高い第六天界をぶち抜いていくから、もちろん
同じように空ということができる。ね。
いや、いきなり来て、例えば、やれ現象界だと、あるいは、やれね、アストラル
世界だ、やれコーザル世界だという言葉で戸惑っている人がいるかもしれないけど
も、それをもっと言い方を変えるならば、コーザル世界イコールね、データの世界
であると、ね。そしてアストラル世界イコール、ね、微細な世界、あるいはイメー
ジで作り上げた世界であると。ね。そしてこの現象界イコール、粗雑な物質で作り
上げた世界であると、ね、あるいは現実の世界であると言うことができる。いいで
すか。そして私たちはアクションを起こすとき、この現象の世界からアストラルの
世界、コーザルの世界へ入っていってると勘違いをしているんだが、実際はそうで
はないわけだ。実際はコーザル世界にある、あなた方の煩悩のデータによってイメ
ージが作り上げられているわけだね。そして、そのイメージによって、この粗雑な
世界であなた方はワークをしているわけだ。働いているわけだ。
じゃ、なぜそう言い切れるかというと、いいですか。ヨーガの修行、あるいは仏
教の修行を考えてごらん。まず、この現象界の感覚を全部潰してしまえと、つまり、
あなた方の働きをね、心の働きを現象界から遠ざけなさいと言っているよ。ね、面
白いだろう。現象界から遠ざけたら次、何が出てくる。その人の功徳によって、あ
る人は下位アストラル、ある人は上位アストラルの世界に入るだろう、ね。それは
先程言ったとおりね、コーザルのデータによってアストラルがイメージされている
わけだから、その人がもし、ものすごく高い精神レベルだったら、当然高位アスト
ラルに入るだろう。その人の次元が低ければ、例えば性欲に支配されたり、例えば
食い物に支配されていたら、そのデータによって当然下位のアストラルに入るだろ
う、ね。
そしてアストラルの身体の経験すらストップしたならば、その人はどこに行くか
というと、次はデータだけのコーザルの世界に入るわけだ、ね。だから例えば、そ
の人が、もし功徳が悪ければ当然一番下の暗い世界に入るだろう。真っ暗な世界に
入るだろう。そこは無だ。ね。あるいは少し功徳があれば、ボンヤリした世界に入
るだろう。そこは光に満ちていると表現をするだろう。そして最も功徳が高ければ、
純粋な光、透明な光の中にその人は入っていくだろう。それで、その人はそれを空
だと表現するだろう。わかりますか、これが無と空の違いである、ね。そして、こ
れが私が実践し体現したことだ。あるいは私の弟子たちが実践し体現していること
だ。いいですか。
そして、あなた方がもし、この世界観というものをね、理解し、あなた方の今の
ステージがどこにあるかを理解したならば、あなた方は上昇の道、マハーヤーナに
至る道、最終解脱への道に入ることができるだろう、ね。しかし、そうではなくて、
単なる行に走り、単なる霊能力を求め、単なる超能力を求めたならば、先程言った
通り、あなた方は禅のミス、あるいは今一般に言われている日本の仙道のミスを同
じように繰り返し、真っ暗闇に入っていくだろう、ね。あなた方が、どの世界に入
るかは、あなた方の行と、それからあなた方の功徳で決定するわけだ、ね。
よし麻原、じゃあ一応はその世界観というものは理解できたよと、ね、あなた方
はおっしゃるかもしれない、ね。しかしだよ麻原と、巷にいる霊能者たちが、ある
いは教祖たちが、あなたには水子霊が三体ついているとか、あるいはあなたには、
ね、先祖霊が五体ついているとか言ってるじゃないかと、それをどう解決するんだ
と、あなた方はおっしゃるかもしれない。
実はね、十月、秩父のセミナーに高校一年生の女性が参加したわけだ、ね。で、
私に問うた。先生、実は母親に連れられて霊能者のところに行きましたと。そした
ら、あなたには水子霊が三体ついていると、ね。しかしだよ、その子は、私は先生、
まだヴァージンなんですよと。どうして水子霊が生じるんでしょうかと、ね。わか
りますか。あるいは、まだおばあちゃんが死んでいないのに、おばあちゃんの霊が
ついていると言われた人もいる。
じゃあいったいそれは何なんだというと、いいですか。ここに修行者がいて、こ
の修行者は霊能者でもよかろう、あるいは教祖でもよかろう、ね。この人が、ある
ものを透視したとしようじゃないか。ね。透視したということは、その人の肉体を
通してアストラル、コーザルを透視したんだったらミスはない。しかしね、それは
少なくとも瞑想、あるいは三昧の状態に入って、相手のアストラル世界を経験しな
い限り真実はわからない、ね。
ところが現代でいわれている霊能者、あるいは教祖方は目の前に座ったら、あな
たの前世はこうだと言い切る、ね。じゃあ彼らは嘘っぱちを言ってるのかと、何も
見てないのかというと、たしかにそういう人もいるかもしれないが、そうではない。
じゃ、その人達は何を見ているんだというと、先程私が言った、その人達の作り上
げたアストラルの世界、あるいはコーザルの世界を見てるわけだ。
だから例えば、その人たちの次元が低ければ当然水子が見えるだろう。当然苦し
み、のたうちまわっている、ね、アストラルの住人が見えるだろう、ね。あるいは
その人が憑依されたとき、口走ることは当然、罵りあるいは苦しみだろうというこ
とになる、ね。それはなぜか。それは行にだけ走って、おそらくそういう人たちは
前生から行にだけ走っている人だけども、行にだけ走って、功徳というものを積ん
でないからだ。つまり、いいですか、ここに現象界があって、下位のアストラルが
あって、下位のコーザルがあって、人間界は下から四番目だ。その四番目を斜めに
ぶち抜いたらどうなるかと。つまりこれは動物界を見ることになる、ね。平行にぶ
ち抜いたら人間界のアストラルを見ることになる、その人は、ね。もう少し下位に
ぶち抜いたならば餓鬼の世界を見ることになろう。最も、ね、急角度に斜めにぶち
抜いたならば地獄の世界を見ることになるだろう。ね。そして、その人達は、その
人達の経験している、体験した自己の世界観をあなた方に話すだけだ、ね。
そうするとあなた方は、ここは大切なとこだよ、生まれてこのかた、たくさんの
嘘をついてきている。だから、あなた方は当然だまされるカルマがあるわけだ、ね。
だからそういう霊能者や教祖のところに行ってだまされなければならない。私もた
くさんの殺生をしたし、盗みをしたし、ね、それから邪淫もやったと、嘘もついた
と、このカルマによってあちこちでだまされた、ね。だからあなた方もそのカルマ
によってだまされるわけだ。いいですか。そしてあなた方には真実でない情報がい
ろいろと入ってくる。それによって、あなた方はこの現象界を真剣に生きることが
できなくなり、ね、その霊の世界にとりつかれるようになる。そして少し悪いこと
が起きると、これは先祖霊の影響だとか、これが、これは水子霊の影響だとか、ね、
あるいは、ね、これは祟りだとか考える。そして本質的には今生でね、例えば今あ
なた方が行なっている仕事もすべてそうなんだけども、真剣に立ち向かわなければ
ならないにもかかわらずだ、あなた方はそれを放棄し、すべて霊のせいにしてしま
う、ね。
そうすると、あなた方の行く世界は、次はどこなんだというと、少なくともどれ
ほど多く見積もっても無智の世界、曖昧な世界だ。じゃ、この曖昧な世界は何だと
いったら、前回「ポア・セミナー」に出た人はよくわかっているだろうが、動物の
世界ということになるんだ、ね。だからあなた方は真理を実践しない限り、来世は
動物だということになる。いいかな。そしてもし、その曖昧さの上に貪欲さ、ね、
があったならば、あなた方は餓鬼に落ちるだろう。もしあなた方が、その上に、殺
生を平気で行ない、それを喜びとしたならば、あなた方は地獄に落ちるだろうとい
うことになる、ね。
私にはまだ父も母も生きている。そして私は、母は餓鬼道に落ちるだろうと、父
は地獄道に落ちるだろうと考えている。これは、いかに私が成就をしていても、ど
うすることもできない。それはなぜか。ね。それは彼らが真理の実践をせず、いま
だかつて殺生を続け、ね、現代の欲楽にふけってるからだ。ね。今私にできること
は、合間を見て『マハーヤーナ』を送ってあげることぐらいだ。ね。これは会員で
あるあなた方にも私は言うことができよう、同じことを。そして、あなた方の両親
や、子供さんにも言うことができよう、ね。今までなした膨大なカルマを消滅する
ためには、私達には二つの道しか残されていない。それは、今までなした膨大な悪
業を消滅するための膨大な功徳を積むか、あるいは、ただひたすらこの膨大なカル
マが落ちるのを待つか、二通りしかないんだ、ね。そのどちらを選ぶかは、それは
あなた方次第なんだよ。ね。
この話を聞いて、俺は信じらんないと、俺は霊障によって苦しんでるんだと言う
人がいるかもしれない。たしかにその人は霊障によって苦しんでいると言えよう。
それはなぜならば、その人のカルマが悪いがために、ね、下位のアストラルの霊障
を担当している世界とつながっているから霊障で苦しんでいるんだ。その人がひた
すら功徳を積めば、霊障から解放されよう、ね。あなた方はどちらを選ぶかだ。真
理を実践し、ね、未来際において、ある人は救済者となり、ある人は小乗でもニル
ヴァーナに入るか、それとも迷いの生を何回も何回も繰り返し、ね、地獄道、餓鬼
道、動物道に生まれ変わるか、それはあなた方次第なんだよ。
以上 オウム真理教ネットより転載
聖称賛磨蔵
#211
/999 資料室
★タイトル (MQM47158) 92/ 3/11 0:37 (166)
麻原尊師説法 四預流支--不死に至る四つの実践
★内容
四預流支--不死に至る四つの実践
1990年8月2日 阿蘇シャンバラ精舎にて
一切は無常である。シャモン諸君は、この無常という意味について熟考したこと
があるであろうか。今、オウム真理教とそしてこの日本の社会とのぶつかり合いの
背景にあるもの、それは宗教上の違いということができる。では、いったい、何が
違うのか。それは、今の日本の社会は、唯物的自由主義と。あるいは、無常を目隠
しし、常と見、この人間の世界において、いかに快楽を享受するか、五妙欲を満足
させるかということが、この日本の社会を形成している根本となっているものであ
る。そして、逆にオウム真理教は、原始仏教とあるいはタントラ密教をミックスし
た、無常を背景とした宗教ということができる。
これは、わたしの修行動機でもあるし、あるいはいにしえの仏陀方の修行に入ら
れた動機でもある。それは、この無常の世界を出離したいと、そして本当に壊れな
い、安定した、不変のものを勝ち取りたいと。あるいは、この病多き肉体、老い、
死というものを超越した、ビビッドな、そして永続性のある意識状態に到達したい
と、つまり不死に到達したいと願うこと。そして、その実践、そして実際にその到
達。これがオウム真理教の教えである。
そして、これは今、組み立てられている、オウム真理教の修行システムを確実に、
一歩一歩、歩を進めていけば到達できる、だれにでも手の届く世界なのだというこ
とを、シャモン諸君は理解しなければならない。
ではいったい、何をなせばこの不死に到達するのか、あるいは何をなせば死に到
達するのかということについて考えなければならない。この不死と、死という点に
ついては、死についてまず語った方が早いから、死について語ろう。
この形成されている私達の肉体、あるいはイメージ、あるいは感覚、意識、ある
いは意志といった、この五つの集まり、この集まりの存在こそが、わたしたちを死
に至らしめる因である。そして、この五取蘊を完全に止滅することこそ、わたした
ちが不死に到達するただ一つの道である。そこには、純粋な、広大な、光り輝く、
真我しか存在しない。そして、それをマハー・ニルヴァーナと呼ぼう。あるいは、
大いなる空性と呼ぼうと。これが、約束事なんだ。そこでの至福の状態、そこでの
平安の状態、そこでの絶対的な安定の状態というものは、そこへ到達したもの以外、
理解することはできない。
では、不死とは何であろうか。不死とは、五取蘊を超越し、その後で出てくる、
最終の意識状態ということができる。では、なぜこれをふしきと、不死というのだ
ろうかと。それは、意識が連続しているからである。例えば、君たちが多くの食べ
物を食べると。眠たくなると。あるいは、邪淫を行なうと。眠たくなると。そして、
実際寝ると。そのときは、ほとんど覚えてないと。一種の気絶状態であると。これ
が死である。この短い時間の状態ではなく、長い時間の状態、そしてそこでのカル
マの入れ換えが起き、新しい五蘊を形成する過程、これが死と誕生である。そして、
不死に到達したものは、この、死、そして生というものをはっきりと覚え、自由に
コントロールすることができる。そして、最終的には、この五つの取蘊を止滅させ、
そして永遠に生じない、永遠に滅しない、永遠に増えない、永遠に減らない、永遠
に綺麗とも言えない、永遠にけがれてるとも言えない状態に到達すると。そして、
これが般若心経の空のすべてである。
では、この空、あるいは絶対的な不死の状態へ到達するためには、何をなせばよ
ろしいのかと。それは、不放逸を根本としている。不放逸とは何かと言ったら、そ
れは耐えず、精神集中をし続け、気を配り続けるということである。
では、何に対して気を配るのかと。それは、グルの意思、グルの教え、それに対
して気を配るということだ。そして、諸君の身・口・意、この三業が完全にわたし
と合一したとき、そのとき君たちは不死を得ることができる。
では、そのためには、どのような実践方法があるのかと。それは、まず、しっか
りと、グル、あるいはシヴァ大神、諸々の仏陀に対して、確信を持つと。強い、信
心を起こすと。けがれない心によって、強い信心を起こすと。わたしたちが救われ
る道は、ただひたすらグル、シヴァ大神、諸々の仏陀にすがることであると。その
教えを実践することであると。これ以上の道はないんだと確信を持つこと。そして、
グルの説く法、あるいは、わたしの提供する諸々の教えというものがシャモン諸君
を不死へ到達させるんだという自覚を持つこと。そして、先を歩いているスワミ、
あるいは大師が、あるいは師が、あるいは正悟師が、あるいは正大師が、自己の道
しるべであると確信を持つこと。そして、与えられた戒律をしっかりと守ること。
これが、第一の条件である。
それで第二は、多くの説法を聴く。揺れたときに、自己のけがれた心によって考
えるのではなく、教えにのっとり考えられるくらいの多くのデータを入れる。暇が
あればひたすら説法を聴き、本を読む。これが第二の条件である。
そして、第三の条件は、その教えにのっとり、考える。周りの人をみ、見る。例
えば、揺れてる人を見たら、この人は、どの煩悩で引っ掛かっているんだろうかと。
ああ、この人は、例えば地獄へ落ちるなあ、餓鬼へ落ちるなあ、あるいはこの人は、
一生懸命まじめに真理に取り組んでるから、いずれ天へ生まれ変わるなあ、あるい
は解脱するなと。そのような目で、耐えず観察する。つまり、四諦を背景として観
察する。これが、第三の条件である。
そして、第四の条件は、その教え、そのものを自己に体得する。すべての教えを
自分の中に内在させる。これが第四の条件である。そして、この第一から第四の条
件を絶えず繰り返し修行している者は、必ずや悟るであろう。必ずや、仏陀になる
であろう。必ずや如来へ到達するであろう。そして、神秘的ないろいろな力を有す
ることになるであろう。
例えば、こういう例がある。これはCSIの話だが、千五百ボルトの電流が、電
圧が、数秒間流れた者がいる。普通だったら、完全にショックを受けて死ぬはずで
ある。ところが、ちょっと、その部分が焦げただけですんでしまったと。これは、
真理の実践によって、異常に意識がショックに強い状態を作り上げていると。
似た話がある。これは、カール・リンポチェのグルである、カルマパという偉大
なるグルがいたが、この人が亡くなったとき火葬したと。ところが、心臓だけが全
く焼けず出てきたという話がある。
そして、君たちは今、今生で、この人間を超えなければならない。今生で人間を
超えられない者が、来世、死を境に天へ生まれ変わることはあり得ない。君たちの
死の前の状態が、どれだけ天へ向かってるか、あるいは解脱へ向かってるかによっ
て、来世は決定される。そして、時はない。なぜならば、いつ死が、死の大群が襲
ってくるかわからない。今、ここで、貴重な修行のできるシャモンの皆さんの、こ
れからの精進、そして修行に対する欲求を期待して、今日の講話を終わりたいと思
う。
最後に、瞑想とワークについて少し付け加えておきたい。例えば、十波羅蜜の第
一の布施波羅蜜について、諸君も知ってのとおり、自己のプライド、あるいは生命
をも布施してしまうという修行法がある。そして、そこへ到達するために、多くの
いろいろな身を供養する瞑想が行なわれるわけだが、君たちはどう思うか。この多
くの瞑想を行なっている者が、実際身を捨てることができなかったとしよう。もう
一方は、平気で身を捨てたとしようじゃないか。どちらの方が十波羅蜜の第一であ
る布施波羅蜜の達成ができてると思うか、どうだ。そのとおりだ。ワークもそれと
同じである。いくら瞑想しても、実際に救済の側に立ってワークのできない者は、
その瞑想が根付いていないと言うことができる。逆にきちんと救済を意識し、グル
を意識し、シヴァ大神を意識して実践できる者は、瞑想ができてる者ということが
できる。つまり、それは、既にもう、心にその土台が根付いていて、そしてそれが
表現として、実際の行為として表現できる状態まで達成してるということである。
ということは、君たちがこのワークにおいて、いかに心を浄化するか、言葉を浄化
するか、あるいは行為をじゅ、浄化するかを意識しなさい。それが君たちにとって
最高の瞑想である。そして、その日その日の出来事において、自己の身・口・意の
統御について、達成されたかどうかを、この十時から十二時までの教学、および瞑
想の時間で解決しなさい。いいね。それを日々行なう者は、いいか、三年で達成さ
れるといわれるクンダリニー・ヨーガの成就、これを一年で達成できるだろう。そ
して、それを日々行なってる者は、二年以内には、マハー・ムドラーの成就が訪れ
るだろう。いいね。なぜならば、自己の五取蘊を、日々浄化してるからである。い
いね。だから、日々の修行、これを大切にしてほしい。
それから、今、ナンドゥッタラーの質問に対して、もう一つ付け加えておきたい
のは、クンダリニー・ヨーガの成就から、マハー・ムドラーの修行に至るまでの間
に、この『マハーヤーナ』というものは、必ず読ませます、すべての皆さんに。だ
から、その前に理解をしておけば、それだけ到達が早いということになる。もちろ
ん、説法テープについても必要かもしれないが、それは、まず、ね、テキストにな
っている『マハーヤーナ』を土台とし、それを理解した上で説法テープを聴くのと、
そうじゃない、ない場合とでは意味が違う。結果も違ってくる。だから、まず、与
えられたものに対して全力で取り組む。それを完全に消化した後に、次の修行に入
っていくと。これが原則である。いいね。
例えばだよ、君たちが、平気で、まあしゃぶっている飴、この飴をどれぐらいの
時間をかけて修法するかと。例えば、今日君たちが、ね、食べてる飴というのは、
今日の、そうだね、八時、九時ぐらいだったかな、九時ぐらいから十一時、ここへ
来る直前まで、ずっと修法し続けて、まあ、えー、トイレ一回、それから食事を取
って、取った以外は、ずっと修法し続けている飴だ。で、それは特殊な、まあ修法
をしてるわけだけども、これをわたしは、例えば、千万個、あ、ごめん、十万個、
まあ、瞑想に使おうとしている。まあ、実際には十二万ぐらい…行うことに…なる
だろうけどね、実際には。で、その修行のときには、他の修行は、補助としてはや
るが、やらないと。つまり、いかに一つの修行を達成することが大変であるかとい
うことだ。わかるね。欲張らないで、まず目の前にある修行、これを完璧にこなし
なさい。必ず、それを達成した後は、次の修行が待ってるはずだ。
もし、オウム真理教が真理で、しかも大師、あるいはグルが力があれば、君たち
が準備ができれば、次の修行へ放り込むはずだ。いいね。だから、しっかりと土台
を固めなさい。
#212
/999 資料室
★タイトル (MQM47158) 92/ 3/11 10: 7 ( 99)
胸ではって進む者輪廻転生談 1
★内容
胸ではって進む者輪廻転生談(ウラガ・ジャータカ)
◆――胸ではって進む者の老いた皮膚として
これは、尊師がジェータ(勝利者)林にとどまっておられたときに、息子を亡くし
た資産家に関して講演なさったものです。骨子は夫人を亡くし、父を亡くしたことと
まさに同じです。
ここに同一に、尊師は異なることなく彼の所へ行きました。彼が近づき、うやうや
しくあいさつして座ると、
「友よ、何か不運な出来事があったのか。」
とお尋ねになりました。
「はい、尊師よ、息子が死んだときから悲しんでおります。」
と申し上げると、
「友よ、壊される法則にあるものは、まさしく壊される。滅びる法則にあるものは滅
びる。そして、それは実に一人だけにあることではなく、また一つの村だけにおいて
あることではなく、したがって、無量の中央に完全無欠山があるすべての世界を支え
ている丸い面においても、三つの生存においても、死の法則がないことはまさしくな
いのである。それの状態によって、とどまり得る構成要素は一つもない。すべての生
命体は死の法則にあり、経験の構成は壊される法則にある。
大昔からの賢者もまた、息子が死んだとき、
『滅びる法則にあるものが滅んだ。』
と嘆き悲しむことはなかったのだ。」
このように言って、彼に懇願されたので、物語をお話しになりました。
その昔、バーラーナシー(剣の城壁)で、ブラフマダッタ(神聖賦与)が君臨して
いたころ、到達真智運命魂は城門の外にある村の祭司の家において存在するようにな
り、所帯を構え、耕す仕事によって生計を立てていました。彼には息子と娘の二人の
子がいました。彼は息子が青年に達すると、同じ一族から少女を家に連れてきました。
このように、女の奴隷を一緒にすると六人の人がいました。到達真智運命魂、夫人、
息子、娘、息子の嫁、女の奴隷です。彼らは和合し、親しいあいさつを交わし、快く
一緒に暮らしていました。到達真智運命魂は生き残っている五人にこのように忠告を
与えました。
「君たちは、したがって得たものに従って布施を施しなさい。戒を守りなさい。戒誓
行を行ないなさい。死の記憶修習を修習しなさい。君たちの死の本性に気づきなさい。
というのは、この種々の生命体の死というものは永続し、生命は永久的ではなく、す
べての経験の構成は無常であり、破壊の法則にあるからです。夜も昼間も怠惰でない
ようにしなさい。」
「わかりました。」
このように彼らは忠告を承り、怠惰であることなく、死の記憶修習を修習しました。
そしてある日、到達真智運命魂は息子と一緒に田畑に行き、耕していました。息子
はごみを寄せ集めて燃え立たせていましたが、そこから遠くない一つのアリ塚に毒蛇
がいたのです。煙がその目を痛めたので、彼は怒って、やってきて、
「こいつのためか。」
と、全部で四本の蛇の毒牙を食い込ませて、彼にかみつきました。彼は死に、倒れま
した。
到達真智運命魂は死んで倒れたのを見ると、雄牛をつないでおいて、こちらに来ま
した。彼の死んだ状態に気づくと、彼を取り上げて、一つの樹下に横たわらせ、整え、
泣き叫ぶこともなく、悲嘆することもありませんでした。
「壊される法則に従って壊された。死の法則にあるものが死んだ。すべての経験の構
成は無常だ。死という結末がある。」
このように無常の状態だけに気づいて耕していると、近所に住む一人の男が田畑の
近くを行くのを、彼は見ました。
「お隣さん、あなたは家に行くのですか。」
と尋ねると、
「はい。」
と言われました。
「それでは、わたしたちの家に同様に行って、
『今日は以前のように二人分持ってくるのではなく、一人分だけの食物を運んできな
さい。以前は女の奴隷一人だけが食物を持ってきた。しかし、今日は清潔な衣服で正
装し、香料と花を手にして、同様に四人で来なさい。』
と、祭司の婦人に話しかけてもらえませんか。」
「わかりました。」
と彼は行って、祭司の婦人に異なることなく伝えました。
「お隣さん、この伝言はだれによって与えられたのですか。」
「奥様、祭司によってです。」
「わたしの息子は死んだ。」
と彼女は気づきましたが、彼女には少しの感情の揺れでさえなかったのです。このよ
うに正しく修習した心に清潔な衣服で正装し、香料と花を手にして、残りの者と一緒
に田畑に行きました。一人も泣き叫ぶことなく、悲嘆することもありませんでした。
#213
/999 資料室
★タイトル (MQM47158) 92/ 3/11 10:11 (158)
胸ではって進む者輪廻転生談 2
★内容
到達真智運命魂は息子が横になった日陰に座って食べました。食べた後、すべての
者で薪(まき)を拾い集め、それの積み重ねを上に置き、香料と花で礼遇して燃やし
ました。だれもが一滴の涙もなかったのです。すべての者が死の記憶修習を修習して
いたのです。
彼らの気質の見事さによって、有能神の座が熱さの状態を実感させました。
「いったいだれがわたしを地位から失墜させようとしているのだろうか。」
このように彼は推論していると、彼らの本質の見事さによって、熱さの本性に気づ
き、浄信ある意識が生じました。
「わたしは彼らの面前に行き、獅子吼してほえさせ、獅子吼を終えたなら、彼らの所
を七宝でいっぱいにして帰ってこなければならない。」
と、そこで素早い動作で行き、火葬場のそばでとどまり、
「あなた方は何をしているのですか。」
と言いました。
「主人よ、わたしたちは一人の人を燃やしているのです。」
「あなた方は人を燃やしているのではなく、おそらく、一頭の獣を料理しているので
しょう。」
「そうではないのです、主人よ、わたしたちはまさに人を燃やしているのです。」
「それでは、まさに罪悪の人を燃やしているに違いありません。」
それで、到達真智運命魂は彼に言いました。
「主人よ、実は実の息子なのです。罪悪人ではありません。」
「それでは、まさに不快な息子だったに違いありません。」
「主人よ、とても親愛な息子でした。」
「それで、なぜあなたは泣き叫ばないのですか。」
彼は泣き叫ばない訳を主張して、第一の詩句を言いました。
一 胸ではって進む者の老いた皮膚として、
自分が所有する生身を捨て去る。
このように肉体が見限られ、
低級霊が逝くことを行なったときに。
二 焼かれている者は気づかない、
親族たちが悲嘆していることに。
この理由ゆえに、わたしはこれを悲しまない。
彼は彼の行くところに行った。
有能神は到達真智運命魂の言葉を聞いて、祭司の婦人に尋ねました。
「貴女(あなた)、あなたにとって彼は何でしたか。」
「主人よ、十カ月子宮に引き受け、母乳を飲ませ、手足をしっかりさせ、発達させた
わたしの息子です。」
「貴女、父は男であるから、泣き叫んではならないのでしょうが、母の心は穏やかな
ものです。あなたはなぜ泣き叫ばないのですか。」
彼女は泣き叫ばない訳を主張して、二つの詩句を言いました。
三 呼び寄せられていないのにそこから来て、
許可されずにここから行った。
来たときと同じように行った。
そこに何の悲嘆があるのか。
四 焼かれている者は気づかない、
親族たちが悲嘆していることに。
この理由ゆえに、わたしはこれを悲しまない。
彼は彼の行くところに行った。
有能神は祭司の婦人の話を聞いて、姉妹に尋ねました。
「貴女、あなたにとって彼は何でしたか。」
「主人よ、わたしの兄弟でした。」
「貴女、姉妹というものは兄弟に愛着を有するものです。あなたはなぜ泣き叫ばない
のですか。」
彼女も泣き叫ばない訳を主張して、二つの詩句を言いました。
五 もし泣き叫ぶなら、やせてしまうだろう。
そのために、わたしに何の果報があろうか。
親族や友や友達みんなを、
さらに多く不満足にするのではないだろうか。
六 焼かれている者は気づかない、
親族たちが悲嘆していることに。
この理由ゆえに、わたしはこれを悲しまない。
彼は彼の行くところに行った。
有能神は姉妹の話を聞いて、彼の夫人に尋ねました。
「貴女、あなたにとって彼は何でしたか。」
「主人よ、わたしの夫でした。」
「妻というものは夫が死んだとき、未亡人となり、貧しくなります。あなたはなぜ泣
き叫ばないのですか。」
彼女も泣き叫ばない訳を主張して、二つの詩句を言いました。
七 去っていく月を子が泣いて求めるように、
低級霊を悼むという、
まさにこのような、
取りついた観念がある。
八 焼かれている者は気づかない、
親族たちが悲嘆していることに。
この理由ゆえに、わたしはこれを悲しまない。
彼は彼の行くところに行った。
有能神は夫人の話を聞いて、女の奴隷に尋ねました。
「貴女、あなたにとって彼は何でしたか。」
「主人よ、支配者でした。」
「きっと、あなたはこの者によって、抑圧され、虐げられ、こき使われたに違いあり
ません。『この者はよくぞ死んでくれた』と、あなたは泣き叫ぶことがないのでしょ
う。」
「主人よ、そのように言わないでください。それは彼にふさわしくありません。殿方
は忍辱と慈愛と哀れみを獲得しており、胸で育てた子供のようでした。」
「もしそうならば、あなたはなぜ泣き叫ばないのですか。」
彼女も泣き叫ばない訳を主張して、二つの詩句を言いました。
九 壊れた水がめは二度と元に戻らないのに、
低級霊を悼むという、
まさにこのような、
取りついた観念がある。
十 焼かれている者は気づかない、
親族たちが悲嘆していることに。
この理由ゆえに、わたしはこれを悲しまない。
彼は彼の行くところに行った。
有能神はすべての人たちが法則を説いたのを聞いて、浄信を持ち、
「あなた方は怠惰でなく、死の記憶修習を修習しました。これからはあなた方が自ら
の手で仕事をしないように願います。わたしは有能神の王です。わたしはあなた方の
家に無量の七宝を製作しましょう。あなた方は布施を施しなさい。戒を守りなさい。
戒誓行を保持しなさい。怠惰でないようにしなさい。」
このように彼らに忠告を与え、家に無限の財産を製作して帰りました。
尊師はこの法則を説くことをもたらした後、種々の真理を説明し、輪廻転生談に当
てはめられたのです。(真理を完達したとき、資産家は真理の流れに入る果報を確立
しました。)
「そのときの女の奴隷はクッジュッタラー(より優れた小さい者)であり、娘はウッ
パラヴァンナー(青蓮華の色彩)であり、息子はラーフラ(絡み付くもの)であり、
母はケーマー(安らぎ)であり、そして、祭司は、まさにわたしなのである。」
最終更新:2018年01月06日 20:00