#21/999 資料室
★タイトル (MQM47158) 92/ 1/13 19:12 ( 89)
オウム真理教 神聖天 ウパティッサ
★内容
神 聖 天
Holy Heavens
では、十七上位形状界の一つ一つの名前を説明しよう。
まず、慈愛の四上位形状界である。これは、まず第一に、神聖衆愛欲神天、
第二番目が神聖代議愛欲神天、三番目が神聖臣天、第四番目が大神聖天であ
る。
この大神聖天は、千宇宙にただ一つ存在している魂である。そして、この大
神聖天をサポートする大臣の神々、これが神聖臣天である。そして、重要な問
題が生じた場合、それに対して討議するときに集まる神々、これが神聖代議愛
欲神天である。そして、これら三つの神々に支配されている神々、これが神聖
衆愛欲神天である。
そして、イエス・キリストは、この神聖天界へすべての魂をいざなおうとし
たのである。
この世界の住人は、二つのタイプに分けられる。一つは性欲を滅し、食欲は
若干残っているが慈愛のある魂、もう一つは性欲も食欲も滅しているが、慈愛
のない魂である。そして性欲も食欲も滅し、慈愛も兼ね備えた魂が、大神聖天
なのである。
ここで気を付けていただきたいのは、単に食欲と貪りとは違うということで
ある。貪りがあってはこの世界へいくことは出来ない。
この宇宙の虚空期には、愛欲界と一緒にこの神聖世界もなくなってしまう。
そして宇宙の創造期に、またこの世界が造られ、その後一人の神が光音天か
らこの世界へ生まれ変わる。光音天とは、光天と美天を総称した呼び名である。
当然この神聖世界は非常に幸福な世界ではあるのだが、まだ一人しかいない
ため、彼は寂しさや孤独を覚える。そして、「私の仲間がこの世界へ生まれて
きますように」と祈るのである。
その後、続々と光音天から神聖天へと魂が落下してくる。これは、光音天で
功徳をすり減らして落ちてくるのである。そして彼らは、いちばん最初にこの
世界に生まれ変わっていた神を、創造主と錯覚し、崇め奉るのである。そして
彼自信も自分を創造主であると錯覚する。彼は光音天にいる期間が一番短かっ
たから、功徳の減りも少なく、最も強い光を放ち、寿命も最も長い。そして彼
こそが、大神聖天なのである。
人間界において、修行者が宿命通で前世を思い出すとき、この神聖天までは
思い出すが、その前の光音天までは思い出せないことがある。すると、この修
行者は自分が大神聖天を創造主と崇め奉っていたことを思いだし、今生でも同
じ様に大神聖天を創造主として崇め奉るようになる。これがインドのブラフマ
ン信仰の始まりである。キリスト教の創造主もこの大神聖天を指していると思
われる。
現代のインド・ヨーガの最終地点への到達はアートマン(真我=自己の本質)
とブラフマン(神聖天界)の合一である。
ここに生まれ変わるためには瞑想が必要であり、その瞑想の中に歓喜、喜、
静寂、楽の少なくとも一つが含まれていなくてはならない。
一般的に、在家で頑張った場合、その限界がこの神聖天である。
布施を為し
持戒を守り
第一サマディに至るとき
私は神聖天になる
参考文献 創世期
原始仏典講義一
マハーヤーナ
蓮華の心
キリスト宣言
タターガタ・アビダンマ 第一誦品
超越神力PART2
前生を知れ!死生智の秘密
えんじょい・はぴねす
#22/999 資料室
★タイトル (MQM47158) 92/ 1/14 1:59 ( 44)
オウム真理教 光天 ウパティッサ
★内容
このように私は聞いた。オウム真理教ネットより
光 天
Heaven of Light
聖哀れみの上位形状界
第二番目は、偉大な聖哀れみの天界、ここには三つある。下から順に、光愛
欲神天、少光愛欲神天、無量光愛欲神天の三つである。
この聖哀れみの三つの天界の特徴は、この世界からは、まず壊れないという
ことである。魂が落下することはあったしても、この世界が壊れるということ
は存在しない。しかし、その前の慈愛によって形成された四つの上位形状界の
天界、つまり、神聖衆愛欲神天、神聖代議愛欲神天、神聖臣天、大神聖天は、
これはカルパの終わり、つまり還元期には壊れるのである。
ここで、みなさんは不思議に思われるかもしれない。なぜ下の天界が「光」
で、その上が「少光」なのかと。これは、光愛欲神天というのは、光を放って
いるということを表わしているのである。そして、少光愛欲神天とは、光を放
っている、しかしその光が少ないと。それは何に対して少ないのかというと、
三番目の無量光愛欲神天に対して少ないのだということなのである。つまり、
光、少光、無量光の順に光が大きくなってくるわけである。そこをしっかりと
理解しておかなければならない。
そして、他の魂に対して聖哀れみを実践すること、これはわたしたちの心の
光を増大させるのである。
参考文献 タターガタ・アビダンマ 第一誦品
真理
蓮華の心
創世期
滅亡から虚空へ
#23/999 資料室
★タイトル (MQM47158) 92/ 1/14 4: 8 ( 26)
オウム真理教世界観 美天 ウパティッサ
★内容
美 天
Heaven of Beauty
聖称賛の上位形状界
第三番目のカテゴリー、聖称賛、ここには四つの天界が存在している。これ
は下から順に、美愛欲神天、少美愛欲神天、無量美愛欲神天、総美愛欲本質神
天の四つである。
この美愛欲神天、少美愛欲神天、無量美愛欲神天の考え方は、前出の聖哀れ
みの光、少光、無量光の考え方と全く同じである。
そして、最後の総美愛欲本質神天というのは、この世界はもうすべてが完全
な美しい世界で形成されているから、この総美愛欲本質神天という形がついた
のである。そして、この総美愛欲本質神天が、総美愛欲本質神天というふうに
うたわれているのは、もともとわたしたちの愛着の本質が、美しさから生起し
ていることを表わしているのである。
参考文献 タターガタ・アビダンマ 第一誦品
#24/999 資料室
★タイトル (MQM47158) 92/ 1/14 8:29 ( 37)
オウム真理教世界観 聖無頓着の上位形状界 ウパティッサ
★内容
オウム真理教ネットより
聖無頓着の上位形状界
そして第四番目のカテゴリー、これは前にも述べたとおり、聖無頓着によっ
て行く天界であるが、下から順に、偉大果報愛欲本質神天、超空間愛欲神天、
超燃焼愛欲神天、善安楽愛欲神天、善現象愛欲神天、超越童子愛欲本質神天の
六つである。そして、この超空間愛欲神天から超越童子愛欲本質神天の五つを
清潔居住天という表現を使っている。これはどういうことかというと、一切に
おいてけがれのない天界という意味である。
では、この一つ一つを説明しよう。まず第一番目の偉大果報愛欲本質神天は、
これは偉大なる果報によって、愛欲の本質、つまり美しさが、そして世界の美
しさが、与えられた天界ということになる。そして第二番目の、超空間愛欲神
天、この空間に心の内在する魂は、空間を超えて生きることができるのである。
つまり、テレポーテーションが自在だということになる。下から三番目は、超
燃焼愛欲神天、この空間に心が固定されると、一切の火によって焼かれること
がなくなる。そして下から四番目の善安楽愛欲神天は、ここに心が固定される
と、すべての現象が喜びとそして安楽だけになるのである。そして第五番目の
善現象愛欲神天になると、すべての言葉、すべての行為、すべての心の働きが
すべて善として現象するのである。
そして、最後の超越童子愛欲本質神天になると、一切歳を取らない身体を得
るのである。
つまり、この最終の聖無頓着によって生じる世界は、前出の三つと違い、よ
りわたしたちを本質的な喜び、本質的な自由、本質的な歓喜へと導くわけであ
る。
参考文献 タターガタ・アビダンマ 第一誦品
#25/999 資料室
★タイトル (MQM47158) 92/ 1/14 11: 5 (151)
オウム真理教世界観 上位非形状界 ウパティッサ
★内容
上位非形状界
The Realm of Non-Form
それでは、次に上位非形状界の説明に入ろう。
最初に、よくいわれる無と空について説明しておきたい。
日本の仏教など、無と空を混同しているようなところがあるが、それらは全
く違う状態である。
無というのは、低位非形状界に入ってしまったときの状態で、功徳を積まず
に、行のみを一生懸命やった場合などに起こる。そこは真っ暗で何もないとこ
ろである。
それに対して、空の方はこの上位非形状界に入った状態である。そこは、ま
さに光の海である。光しかないから空という表現がぴったりなのである。おわ
かりかと思うが、こちらは無などと比べものにならないほど、修行ステージが
高いのである。
上位非形状界には四つの世界が存在している。下から順に、空間無辺境、識
別無辺境、無所有境、非認知非非認知境である。これらは順に、心の実態の世
界ということができる。
四 上 位 非 形 状 界
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・ 非 ・非認知非非認知境 ・計算不可能 ・
・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・ 形 ・無所有境 ・6万カルパの寿命 ・
・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・ 状 ・識別無辺境 ・4万カルパの寿命 ・
・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・ 界 ・空間無辺境 ・2万カルパの寿命 ・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
空間無辺境
Infinite Space
まず、空間無辺境は心の広がりが無辺である世界である。わたしたちの心と
いうものは、ちょうど空気のように自由に広がったり、あるいは自由に縮まっ
たりすることができる。そして、その状態を体験した魂が、そのカルマによっ
て徐々に空間を大きく大きくしていくとこの世界へと内在するわけである。つ
まり、これは四無量心における発展的段階ということができるわけである。
例えば、ある人たちが慈愛の実践をしているとしよう。しかし、その人たち
の慈愛の段階は違うわけである。それは何に影響を与えるかというと、この空
間、心の空間に影響を与えるわけである。より偉大な慈愛の実践をしている人
は、より偉大な心の空間を所有するのである。これが、この空間無辺境の意味
合いなのである。
識別無辺境
Infinite Discrimination
次は、識別無辺境である。わたしたちの心は経験により、例えば対象に対し
て邪悪心を抱いたり、あるいは迷妄を抱いたり、あるいは愛著を抱いたりする。
この愛著とはとらわれのことである。
しかし、偉大なる四無量心の実践を行なっている魂は、その愛著、迷妄、邪
悪心といったものがどんどん弱められ、識別の力が弱められるのである。よっ
て、苦しみを苦しみと感じなくなったり、あるいは悲しみを悲しみと感じなく
なったりするのである。この識別無辺境はその終点ということができる。つま
り、この境地に達した魂は完全に苦楽を捨断しているのである。
無所有境
No Possessing
第三番目の無所有境である。わたしたちは何かに対してとらわれて輪廻を繰
り返している。しかし、この無所有境に到達すると、とらわれ、外的とらわれ
というものが存在していないのである。しかし、存在はしていないが、過去の
経験からまだこの魂は身・口・意の働きというものを完全に止め切っているわ
けではない。あくまでもこれは、サマディに入っているときのみ、その無所有
境の境地へ入るのである。
非認知非非認知境
Neither Cognition Nor Non Cognition
第四番目の非認知非非認知境は、これはすべての対象に対して一切の認知を
しない状態ということができる。つまり、非認知とは認知にあらず、非非認知
とは認知にあらざることがなしという意味なのである。つまり、どの世界へい
てもこの状況になると一緒なのである。
認知経験滅尽
The Extinction of
Cognition and Experience
そして、これらの上位非形状界の四つのステージを通過した後、最終の解脱
へと至る。これが、認知経験滅尽、つまり大完全煩悩破壊界へと至ることなの
である。
オウム真理教において最高の世界を表わす場合、マハー・ボーディー・ニル
ヴァーナ、マハー・ニルヴァーナ、ニルヴァーナの三つに分ける場合と、マハ
ー・ボーディー・ニルヴァーナとマハー・ニルヴァーナを一緒にして、二つに
分ける場合と、全部ひっくるめてニルヴァーナといってしまう場合とがある。
ここでは、三つに分けた場合の、それぞれの意味合いについてご紹介しよう。
◎ニルヴァーナ Nirvana
例えば認知というものは個人個人によって違う。小さな世界しか知らなけれ
ば、その認知も当然少ないわけだし、あるいは小さな経験しかできなければ当
然経験も少ないわけである。しかし、その魂が自分の経験やあるいは認知を滅
尽したとするならば、その魂はその瞬間大平安の境地へと至るであろう。これ
がニルヴァーナなのである。
◎マハー・ニルヴァーナ Maha Nirvana
ところが、ここに偉大なる魂がいて、その偉大なる魂の認知は全宇宙に及ん
でいる。偉大な魂の経験は全宇宙に及んでいると。この魂が完全にそれらの認
知や経験を滅尽した場合どうだろうか。これは、偉大な認知、偉大な経験の滅
尽ということになる。これが、マハー・ニルヴァーナなのである。
◎マハー・ボーディ・ニルヴァーナ Maha Bodhi Nirvana
では、ここにより偉大な魂がいて、この偉大な魂は生、つまり生きることそ
のものを、完全なる真の智慧へ至る実践として生きていたとしよう。この魂の
経験、この魂の認知は、すべて真智に到達するための認知ということになる。
よって、大到達真智完全煩悩破壊界(マハー・ボーディ・ニルヴァーナ)へ到
達するのである。
つまり、真の叡智、真の悟り、真の神秘、真の解脱は、救済を始めるまでは
開かれないのである。
参考文献 タターガタ・アビダンマ 第一誦品
マハーヤーナ
#26/999 資料室
★タイトル (MQM47158) 92/ 1/14 13:56 (161)
オウム真理教 人間の構成要素1 五大エレメント・五種の気
★内容
このように私は聞いた
オウム真理教より
人間の構成要素
The Constituents of Human Beings
五大エレメント
The Five Elements
では、次に人間を構成するものに入っていこう。人間を構成するものにおい
て、まず知っておかなければならないのは五大エレメントである。
この五大エレメントとは何かというと、地・水・火・風・空を指す。で、ま
ずこれには粗雑な地・水・火・風・空と微細な地・水・火・風・空が存在して
いる。
◎地元素 The Earth Element
粗雑な地・水・火・風・空については、まず地とはこの肉体、肉のことであ
る。例えば骨は地元素に属し、あるいはこの筋肉は地元素に属すといったよう
な形で固定的な形を持ったもの、これが地、つまり地元素なのである。
この地元素の色は黄色である。そして、この黄色の地元素が見えだすと、わ
たしたちは、わたしたちを構成している肉体の外枠というものが取れて、瞑想
時には、それが崩壊した状態になる。それは意識の拡大とも違う。ちょうど肉
体がつぶされて広がったような状態になる。
◎水元素 The Water Element
では、水とは何であろうかと。これは、例えば血液、精液、胆汁といった水
分に属するものを水元素と呼んでいる。
水元素の色は、慣れないと白に見える。しかし実際はスカイ・ブルーである。
そして、このスカイ・ブルーが見え出すと、本当の意味でのアストラル(形状
界)と、この三次元世界とがつながる。そして、例えば眠りにつく。まわりの
音が聞こえる。しかし自分は眠っている。こういうことが起き出す。あるいは
瞑想する。深い意識状態に一つの意識はあって経験している。それと同時に、
まわりの世界の音も全て聞こえている。これが水元素のステージである。
◎火元素 The Fire Element
では、火元素とは何であろうか。これは、わたしたちの体温を形成している
ものである。ということは、これは当然、酸素の燃焼というふうにとらえても
いいと思う。
火元素の霊視は、バーッと、自分の体が燃え上がっている。これは赤が見え
たとか、青が見えたとかいう世界ではない。体が燃え上がっている。強烈な、
燃え上がるような赤が、私達の体を取り囲む。
このときに私達は、「静寂」の段階に入る。実際には固定が始まる。そして
全身がしびれる。この痺れというのは、私達にとって悪くはない。そして、見
ているヴィジョンが非常に明るくなる。しかし、これはまだすべてディアーナ
と呼ばれている。つまりまだ瞑想状態であり、サマディにいたっているわけで
はない。
◎風元素 The Wind Element
では、風元素とは何であろうか。風元素とは呼吸である。つまり、わたした
ちは外界から酸素を吸収し、それを燃焼させる。高いエネルギーである酸素が
肉体に入り、ヘモグロビンと結合し、そして使われ、二酸化炭素となって排出
される。この前段階の空気の取り入れ、これを表わしている。これが、風元素
である。
この風元素のステージでは、私達を若干ブルーの入ったグリーンの帯が包む。
そして、体験としては、心地よい冷たいクンダリニーが上がり、グリーンの帯
が見える。これは「楽」の状態である。この状態になると、修行者は何時間で
も修行できるようになる。しかもほとんどエネルギーのロスをしなくなる。
◎空元素 The Space Element
では、空元素とは何であろうか。これは空間である。例えば、鼻の穴、ある
いは口の中といった空間が存在している。
この空元素のステージは白銀の世界である。まず一種の虚脱感に襲われる。
そして、心臓の鼓動が異常に速くなる。そして、サマディに入るのである。
そして、わたしたちの肉体はこの五大エレメント、地元素・水元素・火元素
・風元素・空元素によって構成されているのである。
これと同じように、この宇宙のすべての要素が、この五大元素によって明ら
かにされる。例えば、地イコール土であると。水イコール水であると。火イコ
ール、例えば太陽の発する熱などすべて、この火元素に属する。そして風イコ
ール、これは火元素を昇華した形でのエネルギーである。これは先ほどの呼吸
とどう関係があるか。それは例えば私たちは空気中の酸素を吸収し、それによ
って熱エネルギーを生産しているわけだが、それと同じように、この風元素、
例えば核融合によって生じたエネルギーというのは、火元素の比ではないほど
のエネルギーを発する。そしてそのうえに空が生じている。この空というのは
ブラック・ホールだと考えるべきである。
そして、この小宇宙(人体)と大宇宙の粗雑な元素、これと心の働き、そし
てもう一つ、私たちが夢で使うような身体、この三つを合わせて、この現象界
の構成要素であると言っている。それは、今私たちが住んでいる、この現実と
いわれるものである。
そしてここからもう一段階深い意識状態に入ってくると、心の要素と、形状
-容姿だけになる。これは私たちが夢で経験しているもの、これがもっともっと
実際リアルな世界が存在するわけだが、その世界では粗雑な五大元素ではなく、
微細な五大元素が存在している。
そしてその形状、つまり姿・形を完全に止めてしまった状態が、心の本質の
世界、つまり非形状界である。そしてこの心の本質を完全に止めた状態で三界
から離脱する。
◎微細な五大エレメント The Five Subtle Elements
では、微細な五大エレメントとは何であろうか。これは、粗雑次元から微細
次元へ移行する、エネルギーの低い次元から高い次元へ移行することを表わし
ている。
例えば、固体を加熱するとどろどろの液体になる。液体を加熱するとそれが
炎となり、プラズマ化される。そして、それにもっとエネルギーを加えるとそ
れが核融合を起こし、そしてそれに対してもっとエネルギーを加えると、それ
は純粋な光へと昇華すると。
これは何を意味するかというと、地元素から水元素、水元素から火元素、火
元素からから風元素、風元素から空元素へとエネルギーが昇華していることを
意味している。つまり、微細な五大エレメントとはエネルギーのことなのであ
る。
五種の気
The Five Vayus
次に、五種の気について説明しよう。身体を動かしているものに、五種の気
がある。この五種の気とは、アパーナ気、サマーナ気、プラーナ気、ウダーナ
気、ヴィヤーナ気のことである。
◎アパーナ気 Apana Vayu
アパーナ気は、へそから足の裏にかけてあり、色は煙色である。身体のけが
れを取り去り、排せつ物を下降させたり、興奮状態を静め、精神安定や安眠を
もたらすといった働きがある。
◎サマーナ気 Samana Vayu
サマーナ気は、心臓からへそにかけて働いている。色は赤である。食物を消
化し、養分を体中に巡らせるといった働きがある。
◎プラーナ気 Purana Vayu
プラーナ気は鼻先から心臓にかけてあり、色は黄金色である。プラーナ(宇
宙エネルギー)を呼吸とともに体内に入れる働きをする。
◎ウダーナ気 Udana Vayu
ウダーナ気は、鼻先から頭にかけてある。色は青紫であるが、他の色に変化
することもある。エネルギーを上昇させる働きがある。そのため、気分が沈ん
でいるときに、ここに精神集中をすると気分が高揚する。
◎ヴィヤーナ気 Vyana Vayu
ヴィヤーナ気とは、全身にわたって身体を守っている「オーラ」のことであ
る。
#27/999 資料室
★タイトル (MQM47158) 92/ 1/14 15:28 (144)
オウム真理教 人間の構成要素2 三体質と四つの体質・五行と六
★内容
三体質と四つの体質
◎三体質
では次は、わたしたちの体質について説明をしよう。わたしたちの体質は、
胆汁、粘液、風の三つに分類することができる。
粘液とは、例えば粘膜に付着しているどろどろしたものであり、あるいは唾
等である。そして胆汁とは、これは明らかに胆のうから出ている消化剤である
胆汁である。そして、風とはわたしたちの七万二千本のナーディーをかけ巡っ
ているエネルギーを指すのである。
これらの粘液、胆汁、風は、これは、タマス、ラジャス、サットヴァと関係
しているのである。
◎粘液 Phlegm
つまり、粘液質が強くなると当然わたしたちの水元素が強化され、そして粘
りが強くなるがゆえに現象が動かなくなる。それにより病にかかると。例えば
例を挙げるならば、知覚鈍麻だとか、あるいは健忘だとか、あるいは動きその
ものがスローモーだとかいうことである。
◎胆汁 Bile
そして、この第二番目の胆汁体質は、これは火元素と関係があり、わたした
ちを活発に動かす力である。しかし、この粘液と胆汁のバランスが狂うと当然
活発化はするわけだが、その火の影響によってわたしたちの身体を焦がしてし
まう。例えば、熱の病などが、あるいは炎症などがこの胆汁の障害によって起
きると考えられている。
◎風 Wind
そして、三番目はサットヴァと関係する風の働きである。この風は、わたし
たちの意識を動かすエネルギーであるともいわれている。この風の働きが阻害
されると、わたしたちの智慧は低下し、頭痛、吐き気、あるいは痛み等にさい
なまなければならないのである。
なぜ風の働きが乱れると痛みが出てくるのかと。それは、これを考えてほし
い。ここに一本のホースがあったとして、そのホースの一部分を締め付けたと。
すると、水を流したとしてもその締め付けられている部分を通るとき、ものす
ごく大きな抵抗があるはずである。この抵抗こそが痛みの根本なのである。
◎ルン・トラブル Lung Problem
そして、これがルン・トラブルである。ルン・トラブルとは、エネルギーの
障害によって起きる様々な苦痛のことである。
◎ヒポクラテスの四つの体質
それでは、参考までに、ここで三体質と大変似ているヒポクラテスの四つの
体質を検討してみよう。
ヒポクラテスは、紀元前四百六十年~三百七十年ごろに存在した偉大なる医
者であった。彼は人間の体質を四つに分類した。第一は多血体質であり、第二
は粘液体質であり、第三は胆汁体質であり、第四は黒胆汁体質である。そして、
当然この多血体質が風と関係あることは、読者の皆さんもおわかりであろう。
五行と六淫
◎五行 The Five Phases
次は、五行について説明をしよう。
五行とは、木・火・土・金・水を指す。この木・火・土・金・水とは何かと
いうと、これは、エネルギーの相生、あるいは相克、あるいは比和を指すので
ある。
◎相生
例えば、木から火が生じ、そして、その木と火によって土が生じ、その途中
には当然、その土の塊である金属が生じる。そして、金属を熱で熱すると、ド
ロドロとした液体が生じる。これが、木・火・土・金・水の流れである。そし
て、この液体は、次にまた木の養分として使われる。これを相生という。
◎相克
そして、相克とは、例えば木は土を抑えると。これは、木が土の中に生存す
ると、当然その土は養分を失い、力を失うということから表現されている。ま
た、ここに例えば、貴金属やあるいは宝石の鉱石があったとして、その鉱石や
貴金属を強烈に熱するとそのものが熔け出し、そして全く価値をなさなくなる。
例えば、ダイヤモンドなんかはその典型で、高熱で熱すると炭素となって消え
てしまうと。このような考え方が相克である。
◎五つの臓器
そして、これらの木・火・土・金・水の五行の考え方が身体に当てはめられ、
肝・心・脾・肺・腎という五つの臓器における機能を表わすカテゴリーとして
分類される。
そして、例えば、肝機能を強めれば心臓機能が強まるだとか、心機能を強め
れば脾臓の機能が強まるだとか、あるいは、逆に肝機能が強まりすぎると脾臓
が弱まるだとかいう理論がそこから出てくるわけである。これは、現代医学的
な考え方とも一致している面が多い。
これらの五行の理論を理解することによって、わたしたちはより優れた肉体
を構築することができるようになるのである。
◎六淫 The Six Evils
では次に、どのような条件によって病にかかるのであろうか。これは、東洋
医学の根幹の一つをなす中国医学に目を向けることによって、はっきりとその
原因を理解することができる。
これは、特に六淫論によって見ることができるのである。では、六淫とは何
であろうか。これは、風邪、火邪、暑邪、寒邪、湿邪、燥邪の六つに分けるこ
とができる。
◎風邪
これはどういうことかというと、まず風邪とは、例えば風に当たると風邪を
ひくだとか、例えば風に当たると脱水を起こす等なのである。
そして、この風邪は、風の働きによって神経等に痛みが出る場合、あるいは
エネルギーの障害等を指す場合もある。
◎火邪
そして、火邪とは、例えばやけど等を挙げることができる。
◎暑邪
暑邪とは、暑いところにいるとそれによって脱水を起こす等である。
◎寒邪
そして、寒邪とは、例えば寒いところにいると体が冷えて冷えの病を起こし
たり、あるいは体に痛みが出たりする。これが寒邪である。
◎湿邪
そして、湿邪とは、例えば湿り気の多いところにいるとむくみの病等にかか
りやすい。これが湿邪である。
◎燥邪
燥邪とは、乾燥しているところにいると、神経に痛みが出てくる。これが燥
邪である。
これらの病の原因によって、わたしたちは病を起こすのである。
#28/999 資料室
★タイトル (MQM47158) 92/ 1/14 21:57 (192)
オウム真理教 人間の構成要素3 クンダリニーとチャクラ
★内容
私はこのように聞いた。 麻原彰晃尊師より
オウム真理教ネットにおいて
クンダリニー、チァクラと五つの身体
それでは、わたしたちが修行に入ると、どのようなプロセスによって修行が
進んでいくのだろうか。
まず、わたしたちの尾てい骨にある神秘的なエネルギー、クンダリニーが覚
醒する。
◎クンダリニー Kundalini
では、わたしたちの下向と上向についての話をしよう。下向とは三悪趣を指
し、上向とは天を指す。そして、このキーポイントとなるエネルギー、それが
クンダリニーなのである。
一体、クンダリニーとは何であろうか。クンダリニーとは、わたしたちの尾
てい骨のところに眠っている内なるエネルギーである。しかし、この内なるエ
ネルギーはわたしたちの身体に大きな影響を与えることができる。つまり、内
なるエネルギーは単なる精神的エネルギーだけではなく、肉体的エネルギーだ
ということもできるのである。
では、このエネルギーがもし眠りから覚めたらどうなるのだろうか。当然そ
れは、わたしたちの背骨に沿って存在するスシュムナーというクンダリニーの
道を上昇し、サハスラーラへと到達する。このとき、七つの霊的センターであ
るチァクラを貫いて上昇するのである。
そして、クンダリニーには三つのステージがある。第一段階は熱、第二段階
はヴァイブレーション、第三段階は光である。
まず、下位のチャクラが開き出す。そしてナーダ音が聞こえる。光が見える。
この三つの現象が起きてくる。肉体的には、体が異常に熱い。背骨がいろんな
形で揺れる。光がパッパッとする。この三つのステージに分けられる。
一般にクンダリニーの覚醒は、非常に難しく、また独習で覚醒させた場合、
非常に危険であるとされる。よって、正しいグル(霊的指導者)につかなけれ
ばならないということが定説になっている。
しかし、正しいグルになどそう簡単に巡り会えるわけがない。また、例え正
しいグルがいたとしても、力の無いグルであったらどうしようもない。よって、
正しく力のあるグルに巡り会えて初めて、安全かつスピーディーにクンダリニ
ーを覚醒させることができるということになる。しかし、正邪含めて世界に星
の数ほどもいるグルの中で、そのようなグルに巡り会うのは至難の業である。
逆に言えば、オウム真理教に於いてこれだけ多くの人が短期間でクンダリニー
を覚醒させ、しかも一度も失敗例(気が狂う、廃人になるなど)が報告されて
いないという事実は、麻原尊師が如何に優秀なグルであるかの証明になるので
ある。
さて、クンダリニーは尾てい骨にとぐろを巻いた蛇の形で眠っているとされ
るが(霊視するとそのように見える)、これが覚醒すると背骨にあるスシュム
ナー管を上昇していく。人間の体には七万二千本のナーディー(気道。生命エ
ネルギーの通り道。)があるとされるが、その中でも最も主要な気道が、この
背骨を通るスシュムナー気道である。クンダリニーがスシュムナー気道を上昇
して頭頂に達すると、その強烈なエネルギーによって頭蓋骨が変形する。何
だか 恐い話だが、正しいグルについていれば別に問題はない。変形の仕方は
人によって違うようだが、これがうまく行くと頭頂が山のようにきれいに盛り
あがる。いわゆる肉げいである。お釈迦様の頭の盛り上がりもこれである。
この尾てい骨から頭頂までの間には、七つの”チャクラ”と呼ばれる霊的セ
ンターが存在している。チャクラとは、「車輪」を意味する言葉である。霊視
するとチャクラは車輪のように見えるのである。クンダリニーのエネルギーに
よってこのチャクラが開発されていくと、修行者はさまざまな能力を身につけ
ていくのである。人間は誰でも七つのチャクラを持っているのであるから、修
行をせずにそれを眠らせたままにしておくのは、まさに宝の持ち腐れというこ
とができよう。
このクンダリニー覚醒と前後して、「火と水の洗礼」と呼ばれる現象が起き
る。先程述べたスシュムナー管とともに重要な管として、イダーとピンガラと
いう管がある。これはスシュムナー気道の左右を交差する形で存在しているの
だが、この両管の浄化のために”洗礼”が起きるのである。
ピンガラ気道が開く課程では、太陽の磁場の影響で霊体は火に包まれる。そ
のため、肉体にもそれが伝わり、熱病・炎症・視力の低下などが現れ、まさに
火に焼かれるがごとく苦しまねばならないのだ。反対にイダー気道が開く過程
では、月の磁場の影響で、水に浸されるがごとく、冷え・しびれ・無力感・寒
さに耐えなければならなくなる。一般には男性はイダー気道、女性はピンガラ
気道がそれぞれ先に通るわけだが、例外もあるようである。
◎三悪趣へ、天界へ
もし、この霊的センター、チァクラが覚醒せず、わたしたちが悪業を積み続
けていたら、どこへ至るのだろうかと。それは、三悪趣へ至るのである。では、
三悪趣とは何かというと、これは地獄、動物、餓鬼という三つの苦しみの世界
を指すのである。
もしわたしたちがクンダリニーを覚醒させ、そしてクンダリニーの道をしっ
かりと修行していったならば、どこへ至るのだろうか。それは、当然天界へと
至ることができるのである。
◎神
では、神とは何であろうか。
この神というのは、大変な曖昧語である。しかし、神を定義するならば、意
識堕落天から、非認知非非認知境までの間に住んでいる魂ということになる。
これらの魂は、前生における素晴らしい功徳の蓄積によって、わたしたちより
高い世界へ生まれ変わり、そこで生命活動を営んでいるのである。もちろん、
神というものは徳の力によって、わたしたちより偉大な力を有している。
◎チァクラ The Chakras
クンダリニーが覚醒することによって、ムーラダーラ・チァクラ、スヴァデ
ィスターナ・チァクラ、マニプーラ・チァクラ、チャンドラ・チァクラ、スー
リヤ・チァクラ、アナハタ・チァクラ、ヴィシュッダ・チァクラ、アージュニ
ァー・チァクラ、サハスラーラ・チァクラを一つ一つ解放していく。そして、
この九つのチァクラはそれぞれの世界へと通じているのである。
チァクラとは、人間の身体にある霊的なセンターで、だれでもそれぞれの場
所に持っている。しかし、普通の人はそれが眠った状態で働いていない。修行
によるクンダリニーの上昇と共に開発されていくものである。
主なものは、ムーラダーラ、スヴァディスターナ、マニプーラ、アナハタ、
ヴィシュッダ、アージュニァー、サハスラーラの七つである。チャンドラとス
ーリヤは、この七つのチァクラに比べると五分の一程度の大きさしかない。チ
ァクラは身体の下部に位置するものに比べ、上部へ行くほど次元が高くなって
いる。
◎ムーラダーラ・チァクラ
それぞれのチァクラについて簡単に述べよう。
ムーラダーラ・チァクラは、霊視をすると暗い赤色で逆三角形をしている。
◎スヴァディスターナ・チァクラ
スヴァディスターナ・チァクラは八枚の花弁を持っている。花弁の中心は半
月形が見える。色はオレンジ色で絶えず振動している。
◎マニプーラ・チァクラ
マニプーラ・チァクラの形は四角形で、色は輝くような藍色である。
◎チャンドラ・チァクラ
チャンドラ・チァクラは、白い満月のような色と形である。
◎スーリヤ・チァクラ
スーリヤ・チァクラは小さな太陽のような形で燃えるようなオレンジ色をし
ている。
◎アナハタ・チァクラ
アナハタ・チァクラは三つあり、一つは右乳頭、もう一つは左乳頭で、残る
一つは左右の乳頭を結ぶ線と正中線が交わる点にある。左のチァクラは黄金色
で、正中線上にあるものはスカイ・ブルー、右は深紅である。形はそれぞれ、
左が十二花弁を持った六角形、中心は十枚の花弁を持った五角形、右は花弁を
持たない円である。一般には、左のアナハタしか知られていない。
◎ヴィシュッダ・チァクラ
ヴァシュッダ・チァクラの色は灰色。十六枚の花弁を持っていて円形である。
◎アージュニァー・チァクラ
アージュニァー・チャクラの花弁は大きく分けて二枚である。そして、それ
ぞれが四十八枚に細分化されている。色は白銀、形は長円である。
◎サハスラーラ・チァクラ
そして、サハスラーラ・チァクラは球状の薄いブルーの入った白銀である。
◎秘密チァクラ
このチャクラについては、秘儀に属するのでここで説明することは出来ない。
◎チァクラの解放
では、この九つのチァクラが解放されると、どのようなわたしたちの煩悩が
止滅していくのであろうか。
まずムーラダーラ・チァクラが解放されると、わたしたちの邪悪心が止滅に
向かう。スヴァディスターナ・チァクラが解放されると、わたしたちの性欲が
止滅に向かう。マニプーラ・チァクラが解放されると、わたしたちの食欲が止
滅に向かう。チァンドラ・チァクラが解放されると、わたしたちのイメージに
よるけがれが止滅に向かう。スーリア・チァクラが解放されると、わたしたち
の怒りが止滅に向かう。アナハタ・チァクラが解放されると、わたしたちの卑
屈さが止滅に向かう。ヴィシュッダ・チァクラが解放されると、わたしたちの
嫉妬心が止滅に向かう。アージュニァー・チァクラが解放されると、わたした
ちの現世の願望が止滅に向かう。そして、サハスラーラ・チァクラが解放され
ると、わたしたちは解脱するわけである
では、次はそこから現われる身体について説明をしよう。
#29/999 資料室
★タイトル (MQM47158) 92/ 1/15 1:33 (100)
オウム真理教 人間の構成要素4 チャクラと五法身
★内容
このように私は聞いた。 麻原彰晃尊師より
オウム真理教ネットにおいて
◎五つの身体
まず、身体には五つの身体が存在している。しかしこれは、派によって三つ
という場合もあるし、あるいは七つという場合もある。しかし、ここでは原則
的に、五つの身体を挙げておこう。
その五つの身体とは、変化身、法身、報身、本性身、金剛身の順番である。
◎変化身
まず変化身は、マニプーラ・チァクラから現われる。低位形状界の天界から
地獄界までを体験することができる。また、愛欲界にも姿を現わすことができ
る。修行が進んでいる人が使える身体なので、感情もあまり動かない。救済者
が人間界へ降りるときもこの身体を使う。
◎法身
法身は、アナハタ・チァクラから現われる身体である。中位非形状界と下位
非形状界で活動する。
◎報身
報身はヴィシュッダ・チァクラから現われ、上位形状界で活動する身体であ
る。
◎本性身
本性身は、アージュニァー・チァクラから現われ、上位非形状界で活動する
身体である。
◎金剛身
そして、サハスラーラ・チァクラから現われるのが金剛身で、純粋真我の状
態である。
チャクラの別の角度からの特徴の説明をしたいと思います。
ムーラダーラ・チャクラ 地元素、健康
スヴァディスターナ・チャクラ 水元素、詩的センス、肉親及び異性に対する情
マニプーラ・チャクラ 火元素、学問、才能
チャンドラ・チャクラ 霊障
アナハタ・チャクラ 風元素、プライド、名誉、肉親及び異性以外の情、
ヴィシュッダ・チャクラ 空元素、地位、権力、闘争心
アージュニャー・チャクラ 自己満足
チャクラと世界
チャクラと世界の関係については、二つの分け方がある。
何故二つの分け方があるのかについては、以前、尊師が説明して下さったのだが、
難しくて理解できませんでした。すみません。
ムーラダーラ・チャクラ 地獄界 または 地獄・餓鬼
スヴァディスターナ・チャクラ 動物界 または 動物・人間
マニプーラ・チャクラ 餓鬼界(低級霊域) または 意識堕落天・戯れ堕落天
アナハタ・チャクラ 人間界 または 愛欲界を超えた世界
ヴィシュッダ・チャクラ 意識堕落天 または 愛欲界を超えた世界
アージュニャー・チャクラ 戯れ堕落天 または 愛欲界を超えた世界
各チャクラが司る超能力
ムーラダーラ・チャクラ ダルドゥリー・シッディ
スヴァディスターナ・チャクラ 低次元の霊視・霊聴、多くの異性に愛される、
不老長寿
マニプーラ・チャクラ 宿命通、念力、低次元の願望成就、他人の体内に入り込む、
黄金等の貴金属を製造する
アナハタ・チャクラ 右 心を浄化する
左 他心通、相手の心を動かす
中央 空中浮揚、空中歩行、透視、遠聴
ヴィシュッダ・チャクラ 天耳通、動植物と会話ができる
アージュニャー・チャクラ 天眼通、高次元の願望成就
サハスラーラ・チャクラ 漏尽通(解脱)
#30/999 資料室
★タイトル (MQM47158) 92/ 1/15 4:47 (197)
オウム真理教 人間の構成要素5 チャクラ
★内容
このように私は聞いた 麻原彰晃尊師より オウム真理教ネットにおいて
さて、表ばかりでも退屈だろうと思うので、もう少し詳しくチャクラについ
て述べてみよう。
まず私たちが健康に引っかかると、要するに無気力であると。それから活力
がないと。そして、肉体的に体力がないと。こういうものを打破したいと考え
ている場合、その人はまだ修行者の流れに入っていないと言える。
なぜ修行者の流れに入っていないかと言うと、それを担当しているのがムー
ラダーラ・チャクラだからである。アナハタ・チャクラのステージで無気力に
なることもあるが、その場合、その人は体力は抜群に持っている。やればでき
るんだけど、精心的なものでできない。これがアナハタ・チャクラの引っかか
りである。
そうではなくて、ムーラダーラ・チャクラの引っかかりというのは、要する
に体力がない、気力がない、活力がない、そして精神的には真っ暗と。これが
ムーラダーラ・チャクラの働きである。
しかしこのムーラダーラ・チャクラが開いてくると、逆三角形の炎が見え出
すと、その悩みというものは取り除かれる。それはなぜか?
ムーラダーラ・チャクラは地元素に属している。地元素の根本的なもの、こ
れがムーラダーラ・チャクラなのである。
ムーラダーラ・チャクラが開いてくると、この地元素が強化される。それに
より、健康になったり、筋力が付いたり、体力が付いたりする。
ところが、この地元素というものは、最も次元が低い。だから逆に、ムーラ
ダーラ・チャクラが開いた場合、この現象界に於いて、トラブルを起こし安く
なることも事実である。先ほども書いたように、ムーラダーラ・チャクラとい
うのは逆三角形の炎である。そしてこのムーラダーラ・チャクラというのは、
ヨーガ的な考え方を借りるならば、ラジャス(動性)優位である。ラジャスと
いうのは、この世を構成している三つのエネルギーの一つである。他の二つは
タマス(暗性)とサットヴァ(善性)である。これらはそれぞれ熱・音・光と
対応している。つまり、ムーラダーラ・チャクラというのは熱優位の世界とい
うことができる。そして、この熱優位の世界、これが開けてくるわけだから、
当然その人は、ぼーっとしてくる、そして怒りっぽくなる。
例えば修行していて、それまで穏やかだった人が突然非常に怒りっぽくなる。
そして頭はぼーっとしている。これは確かによくない状態である。対人関係が
悪化する場合もあるだろう。しかし、通過しなければならない点であることは
間違いない。これを通過しなければ、次のスヴァディスターナ・チャクラには
進めない。
次はスヴァディスターナ・チャクラである。これは性器が担当しているわけ
だが、実際に瞑想するときには、へそ下三センチの丹田と呼ばれる部位に精神
集中すると開くと言われている。このスヴァデイスターナ・チャクラというの
は、水元素中心のチャクラである。また、このチャクラは菜食と関係があり、
玄米菜食をやるとこのチャクラは開くといわれています。
このチャクラが開き出すと、全てのものを遅らせたがるようになる。また、
この現世が嫌になってくる。
いい方向で開いたならば、詩的センスが付くとか、色々な人に愛情をもたれ
るようになるとか、あるいは性欲をコントロールできる等の働きがある。
このような状況がでてきたら、気をつけなければならない。「私は今後魔境
に入るかも知れない。」と。
その魔境というのは、低位のアストラルの情報を真実と思い、そこで錯覚を
起こして、精神の分裂をきたすかも知れないということである。じゃあ、そう
ならないためにはどうしたらいいかというと、今の状況というものは、あくま
でも功徳というものを背景として起きていることであるから、これには無関心
でいようと。異常にもてるようになったからといって気にしないと。詩的セン
スが磨かれたからといって、気にしないと。使うことは自由だが、それをもっ
と功徳によって支えようと。もし、こう考えたならば、この人のスヴァディス
ターナ・チャクラは閉じてしまうだろう。せっかく開いたチャクラを閉じてし
まうのはもったいないと考えるかも知れないが、これは次のマニプーラ・チャ
クラを開くためのエネルギーに転換されるわけである。
チベット仏教では、スヴァディスターナ・チャクラではなく秘密チャクラと
言っている。がしかし、実はこのスヴァディスターナ・チャクラと秘密チァク
ラは別物なのである。秘儀に属するので、ここでは言及しないが。
次のマニプーラ・チャクラは、火元素優位の世界である。そして学問、才能
の世界であるということができる。つまりマニプーラ・チャクラが開いている
ならば、その人は学問的に優れている。あるいは優れた才能を持っているとい
うことになる。マニプーラ・チャクラが開いてきて起こる現象としては、今ま
でなかった才能が急に生じる、あるいは知識、学問、研究、こういったことで、
進歩が生じる。
じゃあ、マニプーラ・チャクラの魔境とは何かといったら、例えばここに絵
描きがいたとして、その人が最高の絵を描いたならば、その人はそこで満足し
てしまう。これがマニプーラ・チャクラの世界である。ところが自分だけが満
足して他が見えなくなってしまう。自己は満足しているから、他のことが気に
ならなくなる。そこで、他の人とのあつれきみたいなものが強くなる。
そして、その魔境が長ければ長いほど、その人の環境というものは悪化する。
そしてその人がマニプーラから抜け出したとき、満足から抜け出したとき、周
りの環境が一変していることに気づき、しまったと思うわけである。よって、
この世界もできるだけ早く抜け出さなければならない。
じゃあどうしたら抜け出せるのか。そこで生じてきている学問や才能は、本
来個のためにあるのではなく、他のためにあるんだと考える。それが理解でき
て、マニプーラ・チャクラを完全に開いて、それを使いこなして昇華しきった
人は、次のステージのアナハタ・チャクラに進むことになる。
次のアナハタ・チャクラが開くと、その人には高貴さが備わってくる。そし
て瞑想中も透明に近い光が見えてくる。
ではこのアナハタ・チャクラの魔境とは何かといったら、プライドである。
そのプライドというのはどういう形で出てくるかというと、例えばここに真実
があって、その人はそれを真実だと理解しているとする。しかし、真実である
と理解していながら、今の自己の立場上、それを表現するのは不利であると。
プライドが許さないということで、プライドの行使に出ると。これがアナハタ
・チャクラの魔境である。そうするとだいたい周りの評価というものは、あの
人は頭もいいし、仕事もできると、しかし、一つ間違ったらおかしくなると、
自己の気に入らない者に対してはいい態度をとらないと、いうことになる。こ
れが繰り返されていたら、やはり個の世界に没入してしまうことになる。
もちろんこの人は、学問についても、あるいは才能についても、愛情につい
ても、詩的センスについても、そして肉体的健康についても、相当にパワーを
持っている。功徳としても力を持っている。しかし、この人はプライドの世界
で引っかかっている。例えばこの人の特徴というのは、よく自と他を区別する。
あるいは、自と他を比較する。
そしてこのプライドというものは、私たちに恩恵を与えてくれるものではな
くて、不幸を与えるものである。
確かに、もうこの世界に入っている人は、一人でも生きて行ける。しかし、
次のヴィシュッダ・チャクラのステージに入るには、周りを巻き込んで、周り
に対して功徳を積まなければならない。
よって、私はプライドが高いんだと。このプライドをどうしても捨てられな
いんだという人は、それを超える努力をしない限り、ヴィシュッダ・チャクラ
以上のステージには行けないということになる。
もしあなたが解脱というものを考えているとしたら、このプライドというも
のはいち早く捨てるべきである。成就というものに比べれば、それは本当に爪
の垢の様なものでしかないからである。
次のヴィシュッダ・チャクラのステージにおいては、高貴さに加えて、この
世において高い位に昇る。それはある人は政治的に高い位、ある人は経済的に
高い位、ある人は宗教的に高い位かも知れない。
そしてもう一つの意味合いは、アストラルの最高の位の図書館に出入りする
ことができる。ここには宇宙の真理というものが納められている。
もちろん、ここで止まってしまえば次のアージュニャー・チャクラの世界へ
はいけない。自己の地位というもの、自己の権力というもの、自己が他に比べ
て優れた立場にあるというもの、これをもしエゴのために使ったならば、その
人はヴィシュッダ・チャクラより高いステージにはいけないということになる。
真理勝者の偉大さの一つはそこにある。真理勝者がこの世に降りてくる場合
は、自分のために降りてくるわけではない。例えば高い位に昇っても、それは
他のために高い位に昇っているのである。ということは、その人の意識状態は
ヴィシュッダ・チャクラではないわけだ。
次のアージュニャー・チャクラでは、願望成就が起こる。願望成就と言って
も、普通の願望成就ではない。一つは悪として、この世を支配するか、もう一
つは救済者としてこの世を救済するか、この二つしかない。仏典で言っている、
この世が思いのまま、願望がすべて叶うというのは、このアージュニャー・チ
ャクラの世界である。それは世界的、地球的かも知れない。あるいはその人の
功徳によって、カルマによって地方的かも知れないが、少なくとも、このアー
ジュニャー・チャクラが開いた人は相手の精神状態をすべてコントロールでき
る。そして、聖なる流れにいれて行くか、あるいは悪なる流れで支配するか、
どちらでもできるようになる。
さあ最後はサハスラーラ・チャクラだ。ここまでの講義で、一口にチャクラ
と言っても色々な角度から色々な意味合いがあるということに気づかれたと思
う。そしてまた別の角度から述べるならば、今まで説明してきた六つのチャク
ラは、六つのエネルギーをロスする放出口ということができる。この六つは漏、
漏らす働きがある。つまり、これらのチャクラを使うことは、言い方を返れば
エネルギーを漏らしているということができるのである。
例えば、心が邪悪心に支配されているとき、私たちは第一のチャクラを使う。
例えば、心が愛著に支配されているとき、第二のチャクラを使う。例えば、心
が迷妄に支配されているとき、第三のチャクラを使う。例えば、心が執着に支
配されているとき、第四のチャクラを使う。例えば、心が闘争に支配されてい
るとき、第五のチャクラを使う。例えば、心が自己満足の世界に支配されてい
るとき、第六のチャクラを使うということになる。
あるいは、嗅覚にとらわれ匂いを追っかけているとき、第一のチャクラを使
う。味の愛著にとらわれているとき、第二のチャクラを使う。視覚的なものに
とらわれているとき、第三のチャクラを使う。触覚的感覚にとらわれていると
き、第四のチャクラを使う。美しい音にとらわれているとき、第五のチャクラ
を使う。心に浮いてくる色々なイメージに支配されているとき、第六のチャク
ラを使うということになる。
そして、このチャクラを使うということは、それぞれエネルギーを漏らして
いると。そして、エネルギーを漏らしているということは、ジャンプする力を
なくしていると。ジャンプする力をなくしているということは、低い世界に落
ちるということである。
つまり、この六つのチャクラを完全に使いこなせるようになり、そしてそれ
に対していっさい頓着をしなくなった状態、これが解脱である。
そしてそのとき、第七番目の門、サハスラーラの門が開き、そこから抜け出
すことになる。そして、サキャ神賢(釈迦牟尼)はこれを漏神通といっている。
つまり、漏らすことを尽くす状態、一切漏れのない状態である。
あなた方が六つのチャクラを完全にコントロールし、そして第七門を開き、
自在に使えるようになったとき、今あなた方が抱えている苦悩から完全に解放
されることになるだろう。
#31/999 資料室
★タイトル (MQM47158) 92/ 1/15 8:38 (159)
オウム真理教 人体の構成6 管・風・心滴 ウパティッ
★内容
このように私は聞いた 麻原彰晃尊師より オウム真理教ネットにおいて
管・風・心滴
◎管・風・心滴
わたしたちが、タントラ・ヴァジラヤーナの修行を行なう場合、三つの要素
を昇華・浄化することによって解脱を速やかに得ることができるのである。そ
れが、管・風・心滴である。
まず管とは何かというと、七万二千本のナーディーを指すのである。この管
の中をエネルギーが流れている。このエネルギーが風なのである。そして、そ
のエネルギーに乗って動いているわたしたちの意識、これを心滴と呼んでいる。
◎管・風・心滴の浄化
では、管の浄化とは何か。管の浄化とは、わたしたちの今までの経験におけ
るけがれ、これを止滅することである。
では、風を上に向け、強めるとは何か。これは、わたしたちが善行や徳の修
行、あるいは法則の修行を行なうことにより、より高い意識状態へ意識を向け
ること、これが風を上に向け、強めることなのである。
では、心滴の浄化とは何か。これは、わたしたちが寂静の修行を行なうこと
によってのみ、心滴は浄化されるのである。
◎三つの管
この七万二千本の管は、特に重要な三つの管を有している。この三つの管と
は、中央のスシュムナー、左側のイダー(チャンドラ)、右側のピンガラ(ス
ーリヤ)である。
◎イダー管
尾てい骨の左側から各チァクラを通過して、アージュニァー・チァクラの左
側へと通っているのがイダー管である。この管は、迷妄のエネルギーを通す。
つまり、この管が通っているとき、その人は迷妄に覆われるのである。
◎ピンガラ管
同じように尾てい骨の右側から各チァクラを通過し、最後にアージュニァー
・チァクラの右に至っているのが、ピンガラ管である。ピンガラ管は、わたし
たちの邪悪心のエネルギーを運ぶ管である。この管が通っていると、わたした
ちの身体は熱くなり、そして邪悪な心に支配される。
◎スシュムナー管
そして、中央にあるのがスシュムナー管である。このスシュムナーは、わた
したちの愛著を通過させる管である。愛著とは、とらわれのことである。例え
ば性的なことに対する愛著、食べることに対する愛著、こういうストレスのエ
ネルギーがクンダリニーとなってここを上昇すのである。したがって、ここが
通っていないと、クンダリニーの上昇は見られない。そして、愛著を招く。愛
著を取り除くにはこのスシュムナ管ーを浄化する以外にはないのである。
◎三つの菅の浄化
スシュムナー管を浄化すれば、愛著が消える。イダー管とピンガラ管に関し
ては、迷妄のエネルギーと邪悪心のエネルギーが入っているときに、迷妄と邪
悪心が表われる。だから、この両管はどちらも詰まってエネルギーが通らない
のが良いのかといったらそうではない。むしろ詰まっているのは最低である。
なぜなら、それは低次元の迷妄、あるいは邪悪心を意味しているからである。
例えば、スヴァディターナ・チァクラで邪悪心のエネルギーが止まっていた
ら、その邪悪心は性欲に関係した邪悪心ということになる。一つ上のマニプー
ラ・チァクラで止まっていたら、これは学問や才能に関係した邪悪心というこ
とになる。つまり、このエネルギーは上へ行けば行くほど、質が高度になるの
である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・ ・迷妄(イダー) ・愛著(スシュムナー)・邪悪心(ピンガラ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・ムーラダーラ・ 本来敵でないも・ カルマが終わりに近・ 嫌悪、殺生。 ・
・.チャクラ ・のを敵と考え、味・づいている、あるいは・
・ ・方でないものを味・終わっているのに嫌悪・
・ ・方と考える心。 ・を記憶修習し続ける。・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・スヴァディス・ 自己に利益を与・ 性的快楽を貪り続け・ 異性をとられると・
・ターナ・チャ・えないものに対し・る。 ・られないとい
・ クラ ・て与えるものと考・ ・妬心。
・ ・え、利益を与える・ ・
・ ・ものに対して与え・ ・
・ ・ないものと考える・ ・
・ ・。 ・ ・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・マニプーラ・・ 自己の利益にな・ 学問を貪る。 ・ 学問・才能を自
・チャクラ ・らない学問を利益・ 食べ物を、体を害す・の邪悪な心を完成
・ ・になると考える。・るまで貪ってしまう。・せるために使う。
・ ・ 自己の体を害す・ ・ 食べ物
・ ・る食べ物に対して・ ・する独占、そ
・ ・害さないと考える・ ・ける排斥。
・ ・。 ・ ・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・アナハタ・チ・ 自分を迷妄の深・ 対象の認識をしっか・ 利益と絡む、ある・
・ァクラ ・みに入れていくも・りせずに愛著し続ける・いは下心のある愛著・
・ ・のに愛著し、自分・ことにより、心が対象・。
・ ・を迷妄から解放す・と一致した状態になっ・
・ ・るものに愛著しな・てしまう。 ・
・ ・い。 ・ ・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・ヴィシュッダ・ 嘘、軽薄語 ・ おべっかなど ・ 悪口、中傷。
・・チァクラ ・ ・ ・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・アージュニァ・ 漠然と、情報に・ 願望の成就が無常で・ 生命体を利さない・
・ー・チァクラ・よって願望を成就・あるにかかわらず、そ・、生命体を害する願・
・ ・したいと考える心・れを無常と見ずに愛著・望。
・ ・の働き。 ・する。 ・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
では、どうすればいいのか。修行のプロセスとしては、まずイダー、ピンガ
ラの両管を完全に通して、迷妄も邪悪心も最高の質にまで高めてしまわなけれ
ばならない。そうした後、そのエネルギーをスシュムナー管へ移動して、愛著
のエネルギーへと変えてしまう。ここで執着、つまり精神集中の出来る状態が
生起してくる。
そして、精神集中が出来る状態が生起し、スシュムナーをエネルギーがどん
どん上がるようになり、サハスラーラの崩壊が始まると、そこから三つの管の
浄化が始まる。この三つとは、前面の気道、前面から三分の一の気道、真ん中
の気道の三つである。
それと同時に、次は左の気道の浄化が始まる。左の気道は、左のムーラダー
ラからスタートして、左の気道を上がり、そして中央の管に入る。
そして、右の気道は、右のムーラダーラからスタートして、垂直に上昇し、
アージュニャー・チャクラから前面の気道に落ちる。
中央管は、サハスラーラの崩壊と同時に、どんどん浄化されていく。
左の気道の完全なる崩壊によって迷妄が止滅し、叡智が生ずる。
右の気道の完全なる崩壊によって邪悪心が止滅し、完全なる至福が得られる。
中央管の完全なる崩壊によって、愛著が止滅し、完全なる自由が生じる。
参考文献 タターガタ・アビダンマ 第一誦品
マハーヤーナ
実践真理
尊師、聖地インドを行く
麻原彰晃のあっ、ガンが消えた!
#32/999 資料室
★タイトル (MQM47158) 92/ 1/15 10:45 ( 85)
オウム真理教 魂の落下と上昇1 真我と三グナ
★内容
このように私は聞いた 麻原彰晃尊師より オウム真理教ネットにおいて
魂の落下のプロセス
真我と三グナ
◎真我の特性
魂の落下には二つのプロセスがある。
もともとわたしたちの本質である真我(アートマン)は、無始の過去におい
ては、そのものは自由で、幸福で、歓喜であった。この、まず真我の特性につ
いてお話ししよう。
◎絶対自由
真我の特性の絶対自由とは何かというと、これは、非形状界、形状界、そし
て愛欲界の三つの世界に対して、自在に身体をつくり、現われることもでき、
あるいは、そこから自在にまた元の世界へ返ることができたという意味におい
て自由だったのである。
当然、この自由は、死の自由を意味し、また生の自由を意味した。これはど
ういうことかというと、つまり、例えば愛欲界に身体を創造し、その身体が必
要がなくなると、自分の意志によってその身体を捨て、そしてまた元の完全煩
悩破壊界へ返ることができるという意味において自由だったのである。
◎絶対幸福
そして、第二番目の絶対幸福だが、これは、一切のカルマの制約を受けない
ということにおいて幸福だったのである。
この愛欲の世界、あるいは形状の世界はカルマの法則から脱却することはで
きない。このカルマは、わたしたちをがんじがらめに縛り、そのカルマの力に
よってわたしたちは幸福を奪われているのである。例えば、わたしたちが好も
うと好むまいと、病の制約を受けることは事実だし、老いの制約を受けること
は事実だし、あるいは過去の経験から来る苦しみ、悲しみ、哀愁、愁い等の経
験をさせられることも事実である。
近ごろの若者たちが、ギャグっぽく生きているという実態がある。これは、
明らかにギャグのデータをたくさん入れているがために自分の人生をギャグ化
して生きているのである。
つまりこのように、情報からわたしたちは自由ではないのである。そしてこ
れは不幸なのである。
ところが、真我の特性は、一切の情報の影響を受けないのである。確かに、
瞬間瞬間経験はしているのだが、この経験が根付かない。根付かないことによ
って、一つ一つの行為や言葉や心の働きだけが存在し、過去の経験からいろい
ろな感情が動くということはないのである。つまり、真我の特性の幸福とは不
幸でないという意味において幸福なのである。
◎絶対歓喜
では、絶対歓喜とは何であろうか。歓喜とは何かというと、もともとわたし
たちの真我は、喜びのエネルギーというものを内在しているのである。そして、
この喜びのエネルギーを漏らすことによって願望をかなえていく。つまり、願
望がかなうということは喜びのエネルギーが減っていくということである。そ
して、喜びのエネルギーが減る代わりに、苦しみのエネルギーが増大してくる。
これが、わたしたち人間なのである。
そして、これらの三つの状態、本来これらの三つの状態に安住していること
が幸福であるはずなのに、三グナの干渉を受けることによって、そこへ巻き込
まれてしまったのである。
◎三グナ
三グナとは何であろうか。これは、ラジャス、タマス、サットヴァといわれ
ている三つのエネルギーである。ラジャスとは熱エネルギーを意味し、タマス
とは音のエネルギーを意味し、サットヴァとは智慧、光のエネルギーを意味し
ている。
これら三つのエネルギーが真我に干渉した。そしてこの三つのエネルギーの
ダイナミックな動き、美しさ、光に感応した真我は、その中へと没入する。そ
のとき、ものすごい大きな爆発が生じた。これが、現代物理学でいうビッグバ
ンなのである。
参考文献 タターガタ・アビダンマ 第一誦品
#33/999 資料室
★タイトル (MQM47158) 92/ 1/15 12:45 (151)
オウム真理教 十二の条件生起の段階(十二縁起の法) 1
★内容
このように私は聞いた 麻原彰晃尊師より
オウム真理教ネットにおいて
十二の条件生起の段階(十二縁起の法)
◎十二の条件生起の段階
宇宙は、何度も創造され、維持され、破壊している。一回目の経験をした真
我は、どんどんと高い世界から低い世界へと移行する。これを仏教では「十二
の条件生起の段階(十二縁起の法)」という形で表現している。
◎非神秘力(無明)→経験の構成(行)
つまり、まず第一に、非神秘力ありて経験の構成がある。この非神秘力あり
て経験の構成があるとは何かというと、内側の神秘的なもの、つまり絶対自由
・絶対幸福・絶対歓喜ではないものに対して向かうがゆえに、三グナと干渉す
る。そして、それは真我が独存位になる以前の経験の構成というものを生起さ
せるわけである。
◎識別(識)
そして、この経験の構成の生起が動きをかもし出し、そして識別作用が生じ
てくる。この識別作用とは、五つのとらわれの集積の項でも述べたとおり、例
えば美しいと醜い、あるいは強い弱い、良い悪い等の観念である。これは、す
べて経験によって裏付けされているのである。
◎心の要素-形状-容姿(名色)
この識別作用が生じるがゆえに、よりいっそう具体的な経験、具体的な欲求
を充足する方向に真我は動き出す。それによって、心の要素-形状-容姿をつく
り出すのである。しかし、このときの形状-容姿は、あくまでも形状界の形状-
容姿であり、粗雑な肉体を有しているわけではない。しかしこの形状-容姿には、
感覚、この肉体で感じる感覚よりずっと強い感覚が内在している。それと意識
が同時に存在しているわけだから、わたしたちがこの粗雑な世界で経験してい
る経験と同じレベル、あるいはそれ以上の経験をしているといってもよい。
この心の要素-形状-容姿とは、自と他の区別である。
◎六つの感覚要素と対象(六処)
この形状-容姿と心の要素は、六つの感覚要素と対象を働かせることになる。
この六つの感覚要素と対象というのは、眼識、耳識、鼻識、舌識、触識、意識
の六つである。この言葉をもっとわかりやすい言葉で表現するならば、視覚、
聴覚、嗅覚、味覚、触覚、そして意識ということになる。
◎接触(触)→感覚(受)
この六つの感覚の要素が対象と接触するようになる。つまり、このとき他の
真我も同じように落下のプロセスをたどっているわけである。それによって、
感覚が生起する。
◎渇愛(愛)
感覚が生起することによって、渇愛が生じる。つまり、その対象を求めたい
という心が生じるのである。
なぜ初めから求めたいという心が生じるのか。これはもう既に、十二の条件
生起の段階の説明を理解すればわかるとおり、その前の段階で経験の構成、そ
れから識別という作用をわたしたちは内在しているわけだから、その識別の中
でよいと思うもの、美しいと思うもの、あるいは感覚的に素晴らしいと思うも
のに対して渇愛が生じるのである。
◎とらわれ(取)
そして、渇愛が生じるがゆえにとらわれが生じるのである。
楽しみを何度も何度も修習することによって、貪りが生じる。そして、とら
われが生じるのである。
これは、例えばわたしの場合の例を挙げよう。わたしは、今生初めてコカコ
ーラというものを飲んだ。初めてコカコーラを飲んだとき、コカコーラはわた
しにとって大変刺激的な飲み物であった。決しておいしいという意識はなかっ
た。しかし、それを二度、三度と飲んでいるうちにそれをおいしいと思うよう
になり、飲みたいと思うようになった。これがとらわれなのである。
このとらわれが生じることによって、対象に対して、これは我がものである
と、よって、私の得ようとしている対象を傷つけるものは何人たりとも許さな
いと。ここで嫌悪が生起する。
◎生存(有)
そして、いよいよ低位形状界へと落ちていくことになる。つまり、より具体
的なものを求める状態が形成されてくる。そして、このとき対象に対してとら
われているから、もう既にわたしたちは自由ではなくなっているのである。こ
れが生存なのである。
◎出生(生)
そして、子宮に対して生存したがゆえに、そこから出生し、この愛欲界へと
転生するのである。
これが、十二の条件生起の段階である。つまり、十二の条件生起の段階とは、
十二のわたしたちを落下させる条件を生起させるものという意味なのである。
未熟な魂は、この生を楽しむ。楽しむというか、求め続けるのである。おか
しい、おかしい、私の求めている楽しみは一体どこにあるんだと。これでもな
い。これでもないといって楽しみ続ける。そしてその背景にある苦しみに少し
づつ気づくようになり、自分自身が楽しみだと思っていたものは、実際は苦し
みだったのだと気づくわけである。
◎苦しみ
では、この生存、出産、そして現実の生活での生活、これに対して真理の教
えではどのように考えているのだろうか。この生存は、そして出生は、わたし
たちにとって苦しみであると考えるのである。
では、なぜ苦しみなのか。それは、例えば形状-容姿と心の要素、つまり上位
形状界で生活していたころに比べて自由が存在しないと。例えば歓喜が存在し
ないと、幸福が存在しないと。そういうことをしっかりと知っている魂は、こ
の世が苦しみであると認識するのである。
◎死
なぜ苦しみなのか。それは、例えばわたしたちがこの世に生まれて、一体何
歳まで生きられるだろうか。現実問題として、八十歳、あるいは百歳までとい
った短い期間しか生きることができない。つまり、いかにこの愛欲の世界が楽
しくとも、死ななければならないのである。これは、よって苦しみであると。
◎老い
あるいは、若いころはスポーツ、レジャー、恋愛等で自由である。しかし、
歳老いてくると肉体は動かなくなるし、感覚器官は弱ってくる。思考力はなく
なる。よって不自由であると。つまり、老いという苦しみが存在すると説くの
である。
◎病
健康でいられるときは、わたしたちは快適な生活を送ることができる。しか
しいったん病んでしまうと、わたしたちはその病によって苦しまなければなら
ない。よって、病という苦しみは存在する。
◎悩み
そして心においても、不運な出来事、悲嘆、苦しみ、激痛、悩み等の悩みが
存在する。
もし、わたしたちが心の要素と形状-容姿の世界に安住することができるなら
ば、これらの要素はずっと減少するし、あるいは真我の独存位の世界である完
全煩悩破壊界に存在することができるならば、もっとわたしたちは自由で幸福
で歓喜でいられるわけである。
#44/999 資料室
★タイトル (TND19729) 92/ 1/15 20:13 (154)
オウム真理教 十二の条件生起の段階 2
★内容
このように私は聞いた 麻原尊師より
オウム真理教ネットにおいて
◎苦しみからの解放
よって、真理の実践者はその世界へ帰ろうと努力を始めるのである。では、
何を努力するのかと。それは苦しみからの解放である。そして、そのために真
理のいろいろな教えが存在し、そしていろいろな実践が存在しているのである。
ここでのポイントは、この苦しみであると認識した後、真我が独存位に即帰
れればいいのであるが、その前の十二のプロセスが弊害となり悪戦苦闘が始ま
る。そしてまず、苦しみを取り除くために、今まで落下した道の逆向きの道、
つまり求める方向から引っ込める方向へと思索が始まる。
そしてある人は仏教に、ある人は原始ヨーガへと傾倒していく。ここでしっ
かりとしたグルにつくことができるならば、真理の教えにのっとった修行が始
まる。
◎信
そして第一番目には、その真理の教えに対しての信を持つことから始まる。
つまり、苦しみありて信ありなのである。そして信を持つことにより、わたし
たちが高い世界を経験するためのクンダリニーの覚醒。これを導いてもらえる
ように、クンダリニーを覚醒してもらえるように、グルに対して帰依をするわ
けである。
◎歓喜
そしていろいろな修行法の伝授を受け、クンダリニーを覚醒する。クンダリ
ニーを覚醒することによって歓喜が生じてくる。これは、肉体的な部分で歓喜
が生じるわけである。
このエクスタシーは私たちをこの現象界へと縛り付けている、例えば味覚に
よる喜び、あるいは性的な喜びといったものよりも、強いエクスタシーを与え
る。よってまず、この性的な喜びや、あるいは食物を食べることによって得ら
れる喜びからの解放が生じる。
私たちはこの性的な喜びや、あるいは食物による喜びを何度も何度も修習し
ているから、瞑想によるエクスタシーがたとえ生じたとしても、その本当の価
値と、自分自身が抱いてきた幻影の価値との比較が正確に出来ない。
しかし修行が続き、クンダリニーが覚醒し、そのエクスタシーが頂点に達し、
体が痺れるような最高の喜悦の状態が生じると、私たちは性的な喜びや食物に
よる喜びから解放されるのである。
◎喜
そして、この肉体的な歓喜によって、心に喜が生じてくる。この喜というの
は、何もしないのに心が大変明るい状態を指すのである。普通魂は対象を得た
ときに喜びが生起するが、その対象がない状態で喜びが生起するということは、
もともとそれこそが本当の、私たちの求めていた一つの要件であったことに気
づくのである。
つまり、外的対象による喜悦より、内的エネルギーが生み出す喜悦こそが真
我の求めていた喜びだから、それによって本当の喜びは生起するわけである。
そしてそれにより、色々なストレスから解放される。なぜならば、ストレスは
対象と魂の間によって生じる一つのギャップによって、生じるからである。
◎静寂
そして、この心の喜びは心に静寂をもたらすのである。大変静かな心の状態
をもたらすのである。
ここで一つ注意をしておきたいことがある。よく外道の修行で寂静、ニルヴ
ァーナ、゚ク槃といっているのは、この心の静寂の状態を指している。しかし、
実際この心の静寂は、まだ修行の途上なのである。ここにぱク槃は存在しない。
まだこれはある程度の悟りの段階ではあるが、゚ク槃ではない。
◎楽
そして、この心の静寂は心身に楽を与えるのである。この楽の状態に入ると、
煩悩が少しは生じるわけだが、その煩悩の量は普通の人に比べてずっと少ない。
それによって、この現象界で与えられるものは大きくなるわけである。
これはどういうことかというと、わたしたちの欲求が小さく、しかしこの現
象界で与えられる喜びが大きい、つまり、わたしたちの欲求しているものより
与えられるものが大きいわけだから、当然わたしたちは、それらの要素に対し
て満足し、そして心、肉体ともエネルギーに満ちあふれ、楽を経験するのであ
る。
この楽はわたしたちの真我をこの肉体から離脱させる方向へと向かってくる。
そして、サマディに至るのである。
◎サマディ
このサマディとは、五つのとらわれの集積に縛られている真我を解放するプ
ロセスである。そして、それには四つの段階があるのである。
◎第一サマディ
その第一段階のサマディは、種々の愛欲を遠離する、つまり愛欲から離れる
ことから始まるのである。そして、愛欲界の構成要素である不善の法則を遠離
し、思索し、煩悩を弱める。つまり、有熟考にして、有吟味にして、遠離から
わたしたちは大変な平安を生じるわけだが、この平安、これこそが第一静慮と
いわれているステージなのである。
◎有熟考、有吟味
この有熟考とは、対象に対して深く考えることであり、有吟味とは、対象に
対してそれを選択し、データとして内在させるか、あるいはそれを捨断する作
業である。
◎捨断
そして、捨断とは必要でない心のデータ、心の働き、言葉遣い、行為を完全
にやめ、二度と生じなくさせることなのである。
◎第二サマディ
サマディの第二段階に入ると、思索を完全に止めてしまう。また、逆の言い
方をすれば、思索が止まった段階、何も考えていないような状態、これが第二
段階のサマディなのである。このとき、雑念から完全に解放されているから、
心の中は落ち着き、そして精神は一点に集中するようになる。このときは真我
はより深い状態に入り、熟考、吟味を完全にやめてしまっている状態である。
この状態によって喜と楽が生起している状態、これが第二段階のサマディなの
である。
◎第三サマデイ
そして、第三段階のサマディは、心の喜びから離愛著することにより、諸現
象に対して無頓着となる。ただ、このときはまだ記憶修習のみが存在している。
そして、この記憶修習によっていろいろな世界を正しい智慧によって観察する。
そして、このときは完全に肉体がリラックスの状態に至る。
この状態に入った聖人たちは、一切の諸現象に対して無頓着である。ただそ
こには記憶修習のみしかなく、また、その記憶修習が心身にものすごいリラッ
クスを与えるのである。これが、第三サマディなのである。
◎記憶修習
この記憶修習について説明しよう。記憶修習とは、教えを記憶する段階から、
より深い意識へと、記憶したデータを根付かせるために繰り返し記憶する作業
なのである。
◎第四サマディ
第三サマディの次は、いよいよ第四サマディの段階に入っていく。これは、
感覚の生起のところでも説明したが、感覚というものは楽の裏側には苦しみが
存在する。よって、最終的には平坦な水、波立たない水のように楽を捨断しな
い限り、苦しみも捨断できないわけである。
よって、この第四静慮においては、楽と苦しみを完全に捨断することになる。
そして、楽と苦しみが捨断されたがゆえに、以前の幸福と落胆とを完全に全滅
することとなる。つまり、この段階において経験の構成が静止したかのように
見えるのである。
このときの意識の状態は不苦不楽である。不苦不楽なるがゆえに、完全なる
無頓着の状態が生じ、ただ記憶修習のみが存在している。そして、意識状態は
完全に純粋でピュアな状態を形成している。この状態が、第四サマディなので
ある。
#45/999 資料室
★タイトル (MQM47158) 92/ 1/16 3:40 (154)
オウム真理教 十二の条件生起の段階 3
★内容
このように私は聞いた 麻原尊師より
オウム真理教ネットにおいて
◎如実精通見解
そして、この第四サマディを通過すると、如実精通見解へと至る。では、こ
の如実精通見解とは何であろうか。これは、別名、五つの神通のことである。
◎神足通
第四サマディの最終段階では、頭頂から別の身体を抜け出すこととなる。こ
のときの身体は、幻影の身体ともあるいは化身とも呼ばれる身体である。そし
て、この身体はこの大地に足を付けることもできるし、大地から足を離すこと
もできるし、行きたいところに自由へ行くことのできる身体である。そして、
この形状-容姿を心の働きによって自在に変化させることのできる身体なのであ
る。
この身体の特徴は、一つの形がいろいろな形に変化したり、あるいはテレポ
ーテーションをしたり、あるいは城壁や塀や山やあるいはビルや、すべてのも
のを自在に超えることができるのである。そして、この身体は一切のものと接
触をしない。よって、例えば壁を通り抜けるときも、それはちょうど空間のよ
うな状態で通り抜けるのである。そして、この大地についても同じで、この大
地の中に潜ることもできるし、あるいは大地の上へ浮き上がることもできる。
これは、ちょうど水の上のような状態なのである。また、水上を歩くこともで
きるし、空中を自在に飛行することができるのである。また、この身体はその
世界に存在する月や太陽についても直接触れることができ、すべての世界に対
して、例えば形状界の世界に対してまでも自在に至ることができるのである。
これが、初めに備わる正精通なのである。
麻原彰晃尊師の場合も、まだ解脱前の渋谷コーポのときに、この状態を経験
した。実際に肉体の頭頂から身体が抜け出し、そしてドアを通り抜け、壁を通
り抜けるのである。また、行きたいところへ自在に行けるのである。
◎天耳通
次に生じる精通は、天耳世界の精通である。これは、その人の持っている表
象が完全に浄化されたときに起きる状態で、その浄化によってこの世界やある
いは天耳世界が完全にクリアとなり、天の神々や人間、あるいは近くや遠くの
いろいろな声をまさに間近で聞くことができるのである。
天耳通・体験談
_
ソーナー師 Sona
「まだ、私が信徒の頃、集中セミナーに参加させていただいたときの体験です。
当時、私の家族は、悪意のある他人の言葉を信じ、私が修行することに反対
していました。今までどんなときでも理解を示してくれていた両親や兄達は、
私がまだその真理について模索中にもかかわらず反対するのです。宗教上の偏
見と私に対する愛情とわかっていても、私の言葉よりも他人を信じ観念的に否
定され、わたしは、家族に対して深く失望していました。
おまけに、尊師がおかけになったマハー・ムドラー(グルが弟子に対して用
いるタントラ・ヴァジラヤーナの技法の一つ。本人の気づかない煩悩を権限化
させ、それによって、弟子の修行は著しく進み、後に大きな心の解放がもたら
されるという高度なテクニックである)によって、本当に些細なことで嫉妬や
闘争心や抑圧された汚い心が表面に現れ心が乱れてしまいました。
あまりにも辛いので散歩に出かけた私は、目に映る紫色の紫陽花の中で、こ
の世の無常を知りました。自分はなんて汚い人間で本当に自分を愛してくれる
人など誰もいないのではないか。カルマとはいえ、あまりの孤独感に絶望して
しまいました。
そして、しばらく歩んでいると目の前に崖の崩れた場所があり、
『このまま行けば、おちて死ぬだろう。』
それを冷静に受けとめながら、最後の一歩を踏みだそうとしたとき、大きな
声で、
『止まれ。』
という声が聞こえてきました。その声は、絶対前には進ませないという強い意
志を持ったお声でした。
それでもなお躊躇していると、この世の優しさとは比べものにならないほど
の慈愛のこもった声で、
『もういいから帰って来なさい。』
と言いました。
まるで、凍った氷の像を溶かすようなその暖かさは、素直な子供のようにわ
たしをもと来た道へと引き返させるのでした。
そして、戻ってくると残り火を前に、尊師が一人の弟子と話をしていらっし
ゃいました。なぜか、そこにおいでになるのは不思議でした。それにわたしが
戻ってきたのを確認されたかのように、わたしに聞こえるように、
『どれ、それでは休もうか。』
と言われ、お休みになられたのです。
尊師は、わたしが帰って来るのをずーっと冷え込む朝方まで待っていて下さ
ったのでしょう。言葉での会話は何一つありませんでしたが、弟子の危険な状
態を察知して止めて下さったのはグルであり、戻ってくるように言われたのも
グルであることは間違いありません。事実、数日経ってからそのことについて
尊師から指摘されました。
わたしは、グルと弟子の関係ということを本で知っていましたが、この現象
界を遥か超越した世界であるということを、このとき実感として理解できまし
た。」
ここで天耳通について、もう少し科学的に検証しよう。これは近ごろ麻原尊
師が完璧に悟り得たことなのだが、この天耳通の原理というものは七万二千本
のナーディーによるものと思われる。
◎ナーディー
わたしたちの身体には七万二千本のナーディー(気道)が存在している。こ
の七万二千本のナーディーとは何かというと、微細な身体を構成しているエネ
ルギーの流れ道なのである。
この七万二千本には二つの考え方があり、つまり血管等を含むという考え方
と含まないという考え方があるが、麻原尊師は含まないというふうに解釈して
いる。
そして、この七万二千本のナーディーは、外界のいろいろなヴァイブレーシ
ョンを受けることによって振動し、それを真我が受け止めるのである。つまり、
七万二千本の弦がこの身体に存在し、その身体の弦が外界のヴァイブレーショ
ンを受けることによって振動する。そして、その音を聞いているのである。
ところで、近ごろシンセサイザーで声のサンプリングができることを皆さん
ご存じだろうか。つまり、わずかに十二ぐらいのキーボードしかないのに、わ
たしたちの声を表現できるのである。ましていわんや、七万二千本という大量
の、ここに弦楽器が存在しているならば、いかなる音、つまり声をも再現でき
るのは当然のことと言わざるを得ない。
もし、この弦の五割でも六割でもが振動しなかったらどうだろうか。当然、
わたしたちはその声を正確に、あるいは音を正確にとらえることはできないの
である。よって、ナーディーを浄化すること、管を浄化することは、正確に外
界のヴァイブレーションを理解するために必要なことなのである。
最終更新:2016年05月28日 19:44