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#73/999 資料室
★タイトル (MQM47158)  92/ 1/23  13: 3  ( 89)
オウム真理教>13段階の救済計画   ウパティッサ
★内容

  このように私は聞いた  麻原彰晃尊師より

   オウム真理教ネットにおいて

◎帰依信男女

 ここで、帰依信男、帰依信女について触れておかなければならない。

 この帰依信男、帰依信女とは、もともと真理勝者の在家の弟子で、一生懸命
法を学び、実践している魂を指す。つまり、真理勝者が現われて、その真理勝
者に対して信は持っているのだが、あまり実践しない魂も当然存在するのであ
る。そうではなくて、信を持ち、しっかりとその教えを実践している在家の信
者、これが帰依信男であり、帰依信女なのである。

◎普通の人と外道

 ところで、この十三番目の下に、何が存在しているのか。それは、普通の人
と外道なのである。

◎大完全煩悩破壊の意義

 ところで、この初めだけなぜ大完全煩悩破壊でないのか、つまりなぜ現世大
煩悩破壊なのかについて説明をしなければならない。これは、大変重要なこと
である。
                        、、
 もし、一番目が、現世大完全煩悩破壊だとするならば、人間の世界に生存す
るだろうかということなのである。つまり、現世大煩悩破壊とは、わざわざ人
間として生きていくための、生存するための煩悩を残した状態で生き続けてい
る、しかし、ほとんどの煩悩は止滅しているということを表わすのである。ま
さにサキャ神賢がこれだったのである。

 では、なぜ五番目の経験の構成がない完全煩悩破壊において、同じように大
完全煩悩破壊できないのか。これは、この魂は徳は徳として、喜びとして感じ
ている魂なのである。よって、この徳が尽きるまでは、大完全煩悩破壊しない
のである。つまり、ある程度の煩悩が破壊された状態で、徳を形状界において
楽しんでいる魂ということになるのである。そして、最終段階で、大完全煩悩
破壊するのである。










    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    ・現世大煩悩破壊       ・                    ・
    ・・・・・・・・・・・・・・・・                    ・
    ・大完全煩悩破壊       ・    供養値魂の     ・
    ・・・・・・・・・・・・・・・・                    ・
    ・中完全煩悩破壊       ・       果 報    ・
    ・・・・・・・・・・・・・・・・                    ・
    ・減少完全煩悩破壊      ・                    ・
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    ・形状界にて経験の構成がなく、・供養値魂に向かう段階・
    ・功徳の果報を受けつつある  ・                    ・
    ・完全煩悩破壊        ・  不還の果報   ・
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    ・形状界にて経験の構成があり、・          ・
    ・真理の実践による完全煩悩破壊・          ・
    ・・・・・・・・・・・・・・・・ 不還に向かう段階 ・
    ・上流となり、超越童子天へ至る・                    ・
    ・魂             ・                    ・
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    ・愛欲界に一度だけ再生する魂 ・ 不還に向かう段階  ・
    ・                            ・愛欲界に一度だけ再生・
    ・                            ・する果報      ・
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    ・一種者           ・愛欲界に一度だけ再生・
    ・                            ・することに向かう段階・
    ・                            ・真理の流れに入る果報・
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
    ・徳の高い家から家へと転生する・          ・
    ・者             ・                    ・
    ・・・・・・・・・・・・・・・・                    ・
    ・最高七回流転者       ・真理の流れにはいるこ・
    ・・・・・・・・・・・・・・・・とに向かう段階    ・
    ・法則に従う者        ・                    ・
    ・・・・・・・・・・・・・・・・                    ・
    ・信に従う者         ・                    ・
    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
         十三段階の救済計画







#74/999 資料室
★タイトル (MQM47158)  92/ 1/23  17:19  (148)
オウム真理教 解脱に到達するための三つの魂  十の能力者
★内容

 このように私は聞いた  麻原彰晃尊師より



  オウム真理教ネットにおいて


                      解脱へ到達するための三つの魂

◎解脱へ到達するための三つの魂のタイプ

 解脱へ到達するためには、三つの魂のタイプがある。それは、到達真智運命
魂、独覚、多学の向煩悩滅尽多学男女の三つである。

◎到達真智運命魂

 まず、到達真智運命魂とは、生というものを修行の場と考え、そして自分自
身で真理勝者の教えや、あるいは経典の教えを体現しながら、生を繰り返し繰
り返し行ない、それによって、大いなる善にのっとった修行、大いなる功徳に
のっとった修行、大いなる寂静にのっとった修行、大いなる法則にのっとった
修行を行ない、輪廻転生を続け、最終的には真理勝者となる魂である。

◎独覚

 次は独覚である。独覚とは、経典をもとにその教えを実践し、煩悩破壊する
が、その教えを広めることがない魂のことである。

◎向煩悩滅尽多学男女

 では、多学の向煩悩滅尽多学男女とは、どのような魂であろうか。これは、
真理勝者が登場したとき、そこで真理勝者の教えを多く学び、そして煩悩破壊
に向かっている魂ということになる。


                               十の能力者

◎供養値魂のステージ

 次は、供養値魂のステージということになる。この供養値魂のステージを南
伝仏教においては、「十の能力者」という言葉で表現している。では、この十
の能力者とは、どのようなものであろうか。

 まず、その言葉から検討しよう。供養値魂、最上正覚者、智徳成就者、最上
善逝〈さいじょうぜんぜい〉、世間解〈せけんげ〉、無上士、丈夫調御者、天
人師〈てんにんし〉、覚者、世尊、これが十の能力者の十の名前である。そし
てこれは、供養値魂からスタートし、世尊ですべてを終了するのである。

 では、供養値魂から世尊までの内容について検討しよう。

◎供養値魂

 供養値魂とは、光を絶えず放つ者を指している。そして、この供養値魂に対
して、布施、奉仕、あるいは教えの実践等を行なった者たちは、その果報を供
養値魂の力によって得ることができる。つまり、供養値魂でない者を供養して
も仕方がないが、供養値魂を供養することこそが最も最高の供養であり、最も
功徳の返りの早い供養なのである。

◎最上正覚者

 第二段階の最上正覚者とは何であろうか。これは、これ以上にない正しい現
象における理解をした者ということになる。つまり、この供養値魂の段階では、
いろいろな認識における差があるのである。しかし、その次の段階、最上正覚
者に入ると、認識においては全く一致する。これ以上の認識は存在しないとい
う認識まで、認識を得るようになるのである。

◎智徳成就者

 第三番目は智徳成就者である。この智徳成就者とは、この三界において智慧、
あるいは徳が完全に成就した状態である。この智慧の成就とは、一切の現象を
完全に把握し理解している状態、徳の成就とは、一切の願望をかなえることの
できる状態ということになる。これが第三番目の智徳成就者の状態である。

◎最上善逝

 次は最上善逝である。最上善逝とは、これ以上高い世界に転生することはな
い状態に到達した者ということである。これは、三界の構造を見ていただいた
ら、真理勝者が超越童子天を貫き、四非形状界を貫き、その上に認知経験滅尽
という最終段階に到達していることがおわかりになるであろう。つまり、これ
以上のものは存在しないのである。これ以上の存在も存在しないのである。

◎世間解

 次は世間解である。世間解とは、世の中の一切の現象を完全に理解した状態
ということになる。それは、物理、化学、数学、天文学、生物、医学、政治、
経済、法律、哲学、宗教、歴史、言語、文学、心理学、音楽、美術、他の芸術
等、すべてを完全に理解している者ということになる。

◎無上士

 次は無上士である。無上士とは、これ以上の魂は存在しないということなの
である。つまり、それは王を超越し、あるいはすべての宗教家を超越し、すべ
ての政治家を超越した魂ということなのである。

◎丈夫調御者

 次は丈夫調御者である。この丈夫調御者とは、迷妄に悩む現実主義の普通の
人を、法則によりしっかりと調御し、そして、ちょうど暗闇に明かりを灯すよ
うに真理の現象を正しく指し示し、そして一つの方向、つまり上流、煩悩破壊
へと至らしめることのできる魂ということを表わしているのである。

◎天人師

 そして、天人師である。この天人師とは、実際にこの肉体を有し、あるいは
化身によって天界へと至り、そして天の神々に対して法則を指し示し、天の神
々を教え示すことのできる魂のことなのである。

◎覚者

 そして、覚者である。この覚者とは完璧な六神通を有してる者ということに
なる。

◎世尊

 そして、最終段階で世尊なのである。世尊とは、この世の中で最も尊ばれる
魂ということになる。

 これらの順番で力が充実し、そして供養値魂から世尊へと至っていくのであ
る。

                ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
                ・      供養値魂       ・
                ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
                ・          最上正覚者       ・
                ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
                ・           智徳成就者       ・
                ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
                ・            最上善逝       ・
                ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
                ・             世間解               ・
                ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
                ・             無上士        ・
                ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
                ・           丈夫調御者       ・
                ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
                ・       天人師               ・
                ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
                ・       覚者               ・
                ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
                ・              世尊        ・
                ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


                             十の能力者







#75/999 資料室
★タイトル (MQM47158)  92/ 1/23  23:20  (188)
オウム真理教 世尊の定義      ウパティッサ
★内容

このように私は聞いた
 麻原彰晃尊師より


  オウム真理教ネットにおいて


                             世尊の定義



◎世尊の定義

 「十の真理勝者の能力」「四つの完全な自信」「四つの分析」「六つの証智
」「六つの覚者の法則」、このすべての法則を完全に自分のものとし、内在し
ている魂、これがバガヴァントである。

 このバガヴァントとは、「世尊」と訳すことができる。つまり、この世にお
いて最も尊ばれる魂ということである。そして、この「この世において」とい
う意味はどういうことかというと、これはこの人間界だけではなく、天界、形
状界の神々、非形状界の神々のすべてを通して、最も尊ばれる魂ということな
のである。

◎真理勝者と世尊

 真理勝者と世尊の違いは、これは表と裏の違いということができる。では、
どのように違うのであろうか。

 つまり、真理勝者とはグルなしに、最上の悟りを得た者、十の能力を有して
いる者という意味である。つまり、真理によって勝利した者ということなので
ある。

 では、世尊とはどういう意味であろうか。これは、その十の能力を持つがゆ
えに、先程も述べたとおり、周り、つまりこの世界だけでなく、愛欲の天界、
形状界、非形状界を通して、すべての魂がその真理勝者を尊ぶ、つまりこの三
界すべての魂が尊敬する。よって世尊なのである。


                           十の真理勝者の能力

◎十の真理勝者の能力

 では、世尊の定義を一つずつ説明していこう。

 まず第一は、十の真理勝者の能力である。この十の真理勝者の能力について
は、少し難しくなるが、『大獅子吼経』の原文を入れて、それについて一つず
つ解説することにしよう。

◎神聖天の輪

「サーリプッタ(次に来る子供)よ、真理勝者にはこれら十の真理勝者の能力
があり、その能力を具足した真理勝者は、指導者の地位を公言し、集団の中で
獅子吼してほえ、神聖天の輪を発生させるのである。十とは何であろうか。」

 まず、この真理勝者が神聖天の輪を発生させるといっているわけであるが、
これは明らかに、この十の能力によって神聖世界の輪、つまりサハスラーラ・
チァクラを開くということをいっているのである。
 では、その十の能力の説明に入ろう。

◎原因と結果を見抜く能力

「サーリプッタよ、ここで真理勝者は、原因から道理を、原因でないことから
道理でないことを如実に認識し理解する。サーリプッタよ、真理勝者が原因か
ら道理を、原因でないことから道理でないことを如実に認識し理解すること、
サーリプッタよ、これは真理勝者の真理勝者の能力であり、その能力のゆえに、
真理勝者は指導者の地位を公言し、集団の中で獅子吼してほえ、神聖天の輪を
発生させるのである。」

 この第一番目の真理勝者の能力は、すべての現象の原因をしっかりと見つめ、
そして、その原因と結果を見抜く力があるということをいっているのである。
つまり、ある現象が存在したとして、その現象の原因をしっかりとらえる。そ
して、結果がどうなるかを導き出す。逆に、その現象と関係のない原因という
ものは、決してとらえないのだということをいっているわけである。

◎要素の蓄積の結果を理解する能力

「サーリプッタよ、そしてまたさらに、真理勝者は過去・未来・現在の要素の
蓄積の記憶実践の結果を、道理により原因により如実に認識し理解する。サー
リプッタよ、真理勝者が過去・未来・現在の要素の蓄積の記憶実践の結果を、
道理により原因により如実に認識し理解すること、サーリプッタよ、これは真
理勝者の真理勝者の能力であり、その能力のゆえに、真理勝者は指導者の地位
を公言し、集団の中で獅子吼してほえ、神聖天の輪を発生させるのである。」

 第二番目の真理勝者の能力は、この要素の蓄積の結果、つまり、わたしたち
が過去世においてなした、あるいは過去においてなした、身における行為の善
業および悪業、言葉における善業および悪業、そして心における善業および悪
業、これについて、また、現在の身における、行為における善業と悪業、言葉
における善業と悪業、心における善業と悪業について、そして、未来に生じる
であろう身における行為の善業と悪業、言葉の善業と悪業、心の善業と悪業に
ついて、その要素の蓄積の結果がどのような形で現われるかを、はっきりと完
全な形で理解できるということをいっているのである。

◎三界に至る方法を理解する能力

「サーリプッタよ、そしてまたさらに、真理勝者はあらゆる場所に至る方法を
如実に認識し理解する。サーリプッタよ、真理勝者があらゆる場所に至る方法
を如実に認識し理解すること、サーリプッタよ、これは真理勝者の真理勝者の
能力であり、その能力のゆえに、真理勝者は指導者の地位を公言し、集団の中
で獅子吼してほえ、神聖天の輪を発生させるのである。」

 この三番目の「真理勝者はあらゆる場所に至る方法を如実に認識し理解する」、
これはどういうことかというと、この愛欲界・形状界・非形状界、この三界の
どこの世界へ行くためにはどのような修行をすればいいかということを、完全
なはっきりとした形で理解しているということなのである。

◎三界を完全に経験し尽くす能力


「サーリプッタよ、そしてまたさらに、真理勝者は多くの要素と様々な要素の
世界を如実に認識し理解する。サーリプッタよ、真理勝者が多くの要素と様々
な要素の世界を如実に認識し理解すること、サーリプッタよ、これは真理勝者
の真理勝者の能力であり、その能力のゆえに、真理勝者は指導者の地位を公言
し、集団の中で獅子吼してほえ、神聖天の輪を発生させるのである。」

 そして、真理勝者は、この愛欲の世界、そして形状の世界、非形状の世界、
これらの世界のすべてを完全に経験し尽くしているのである。

◎生命体の傾向を理解する能力

「サーリプッタよ、そしてまたさらに、真理勝者は種々の生命体の様々な傾向
を如実に認識し理解する。サーリプッタよ、真理勝者が種々の生命体の様々な
傾向を如実に認識し理解すること、サーリプッタよ、これは真理勝者の真理勝
者の能力であり、その能力のゆえに、真理勝者は指導者の地位を公言し、集団
の中で獅子吼してほえ、神聖天の輪を発生させるのである。」

 これは、どのようなカルマによって、つまりどのような身・口・意の善業、
悪業によって、どのような形状-容姿を有するのか、つまり、どのような形に
生まれ変わるのかということを、真理勝者は、はっきりとした形で、完全な形
で理解できるということをいっているのである。

◎他の深い意識状態を理解する能力

「サーリプッタよ、そしてまたさらに、真理勝者は異なった生命体、異なった
魂の潜在性以上を推し測ることを如実に認識し理解する。サーリプッタよ、真
理勝者が異なった生命体、異なった魂の潜在性以上を推し測ることを如実に認
識し理解すること、サーリプッタよ、これは真理勝者の真理勝者の能力であり、
その能力のゆえに、真理勝者は指導者の地位を公言し、集団の中で獅子吼して
ほえ、神聖天の輪を発生させるのである。」

 これは、他心通と関係があるわけだが、真理勝者の六番目の能力としては、
真理勝者以外の魂の潜在意識、本人が認められない、本人が理解できない深い
意識状態を、真理勝者は、はっきりとした完全な形で理解できるのである。な
ぜならば、真理勝者の真我は心の本質をも超えたところに存在しているから、
最も深い部分を真理勝者は理解できるわけなのである。



◎瞑想の結果を理解する能力

「サーリプッタよ、そしてまたさらに、真理勝者は、静慮・離解脱・究境のサ
マディ・生起のサマディの不純物・洗い清め・出罪を如実に認識し理解する。
サーリプッタよ、真理勝者が静慮・離解脱・究境のサマディ・生起のサマディ
の不純物・洗い清め・出罪を如実に認識し理解すること、サーリプッタよ、こ
れは真理勝者の真理勝者の能力であり、その能力のゆえに、真理勝者は指導者
の地位を公言し、集団の中で獅子吼してほえ、神聖天の輪を発生させるのであ
る。」




 この七番目は大変重要である。つまり、どのような瞑想を行なったら、どの
ような結果を招くかということをはっきりと理解しているわけである。

◎不純物・洗い清め・出罪の瞑想

 そして、この「不純物」「洗い清め」というのは、これは対比された概念で
ある。つまり、瞑想には二つのタイプの瞑想があるのである。

 その第一のタイプは、煩悩を増大させる瞑想、例えば、ああなりたい、こう
なりたいというような願望の瞑想、もう一つは、自己の今までなしてきたカル
マを捨断する瞑想の二つである。そして、前者は不純物の瞑想といわれ、後者
は洗い清めの瞑想といわれる。そして、その原因と結果をはっきり理解し、そ
の原因を思索によって、もし捨断することができるならば、それは出罪の瞑想
ということができるのである。

◎静慮、離解脱

 ところで、この静虜、離解脱というのは、何を意味しているのか。

 この静慮というのは、四段階のサマディのことである。で、離解脱について
は、これは完全に煩悩から真我が切り離された状態を表わしているのである。

 そして、そこに到達するための二つのサマディのタイプが、究境のサマディ
と生起のサマディなのである。そして、その究境のサマディと生起のサマディ
においての正しい方法、これが洗い清めの方法であり、そして出罪の方法なの
である。




#76/999 資料室
★タイトル (MQM47158)  92/ 1/24   6:36  (149)
オウム真理教 真理勝者の能力   ウパティッサ
★内容





    このように私は聞いた
        麻原彰晃尊師より










 オウム真理教ネットにおいて


◎宿命通の能力

「サーリプッタよ、そしてまたさらに、真理勝者は様々な前世の生き様を思い
出す。つまり、一生、二生、三生、四生、五生、十生、二十生、三十生、四十
生、五十生、百生、千生、十万生、多くの還元期、多くの再生期、多くの還元
再生期を、

『わたしはそこでは、このような名前であって、このような家系であって、こ
のような容色であって、このような食物であって、このような苦楽を経験し、
このような寿命の最期であった。そして、わたしはこれから死んで、そこに転
生した。

 わたしはそこでも、このような名前であって、このような家系であって、こ
のような容色であって、このような食物であって、このような苦楽を経験し、
このような寿命の最期であった。そして、わたしはこれから死んで、ここに転
生した。』

と、このように状態を伴い説明を伴う、様々な前世の生き様を思い出す。

 サーリプッタよ、真理勝者は様々な前世の生き様を思い出す。つまり、一生、
二生、三生、四生、五生、十生、二十生、三十生、四十生、五十生、百生、千
生、十万生、多くの還元期、多くの再生期、多くの還元再生期を、
『わたしはそこでは、このような名前であって、このような家系であって、こ
のような容色であって、このような食物であって、このような苦楽を経験し、
このような寿命の最期であった。そして、わたしはこれから死んで、そこに転
生した。

 わたしはそこでも、このような名前であって、このような家系であって、こ
のような容色であって、このような食物であって、このような苦楽を経験し、
このような寿命の最期であった。そして、わたしはこれから死んで、ここに転
生した。』

と、このように状態を伴い説明を伴う、様々な前世の生き様を思い出すこと、
サーリプッタよ、これは真理勝者の真理勝者の能力であり、その能力のゆえに、
真理勝者は指導者の地位を公言し、集団の中で獅子吼してほえ、神聖天の輪を
発生させるのである。」


◎死生智の能力

「サーリプッタよ、そしてまたさらに、真理勝者は、清浄であって人間を超越
した天眼によって、種々の生命体が死に転生するのを見て、種々の生命体が要
素の蓄積に従って達し、卑しかったり高貴であったり、器量が良かったり醜か
ったり、幸福に向かったり悲痛に向かったりするのを認識し理解する。

『尊者よ、確かに、これら生命体は、身における悪行を具足し、言葉における
悪行を具足し、意識における悪行を具足し、聖人を非難し、誤謬見解があり、
誤謬見解の要素の蓄積の記憶実践がある。彼らは身体が破壊し、死後、離別で
あり、悲痛に向かうことであり、破滅である激苦地獄に転生した。

 尊者よ、また確かに、これら生命体は、身における善行を具足し、言葉にお
ける善行を具足し、意識における善行を具足し、聖人を非難することなく、正
見解があり、正見解の要素の蓄積の記憶実践がある。彼らは身体が破壊し、死
後、幸福に向かうことである天の世界に転生した。』

と、このように、清浄であって人間を超越した天眼によって、種々の生命体が
死に転生するのを見て、種々の生命体が要素の蓄積に従って達し、卑しかった
り高貴であったり、器量が良かったり醜かったり、幸福に向かうことであった
り悲痛に向かうことであったりするのを認識し理解する。

 サーリプッタよ、真理勝者は、清浄であって人間を超越した天眼によって、
種々の生命体が死に転生するのを見て、種々の生命体が要素の蓄積に従って達
し、卑しかったり高貴であったり、器量が良かったり醜かったり、幸福に向か
ったり悲痛に向かったりするのを認識し理解する。

『尊者よ、確かに、これら生命体は、身における悪行を具足し、言葉における
悪行を具足し、意識における悪行を具足し、聖人を非難し、誤謬見解があり、
誤謬見解の要素の蓄積の記憶実践がある。彼らは身体が破壊し、死後、離別で
あり、悲痛に向かうことであり、破滅である激苦地獄に転生した。

 尊者よ、また確かに、これら生命体は、身における善行を具足し、言葉にお
ける善行を具足し、意識における善行を具足し、聖人を非難することなく、正
見解があり、正見解の要素の蓄積の記憶実践がある。彼らは身体が破壊し、死
後、幸福に向かうことである天の世界に転生した。』

と、このように、清浄であって人間を超越した天眼によって、種々の生命体が
死に転生するのを見て、種々の生命体が要素の蓄積に従って達し、卑しかった
り高貴であったり、器量が良かったり醜かったり、幸福に向かったり悲痛に向
かったりするのを認識し理解すること、サーリプッタよ、これは真理勝者の真
理勝者の能力であり、その能力のゆえに、真理勝者は指導者の地位を公言し、
集団の中で獅子吼してほえ、神聖天の輪を発生させるのである。」

◎漏尽通の能力

「サーリプッタよ、そしてまたさらに、真理勝者は、種々の漏を破壊すること
によって、無漏の心の離解脱や智慧の離解脱を、この世界において、自ら証智
し現証し達成してとどまる。サーリプッタよ、真理勝者が、種々の漏を破壊す
ることによって、無漏の心の離解脱や智慧の離解脱を、この世界において、自
ら証智し現証し達成してとどまること、サーリプッタよ、これは真理勝者の真
理勝者の能力であり、その能力のゆえに、真理勝者は指導者の地位を公言し、
集団の中で獅子吼してほえ、神聖天の輪を発生させるのである。」


 この宿命通、死生智、漏尽通については、十二の条件生起の段階を参照して
いただきたい。

 これが、十の真理勝者の能力なのである。しかし、これだけでは世尊には至
らないのである。





   十の真理勝者の能力

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ・原因と結果を見抜く能力       ・
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ・要素の蓄積の結果を理解する能力   ・
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ・三界に至る方法を理解する能力    ・
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ・三界を完全に経験し尽くす能力    ・
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ・生命体の傾向を理解する能力     ・
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ・他の深い意識状態を理解する能力   ・
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ・瞑想の結果を理解する能力      ・
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ・宿命通の能力            ・
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ・死生智の能力            ・
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ・漏尽通の能力            ・
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・






#77/999 資料室
★タイトル (MQM47158)  92/ 1/24   8:56  ( 98)
オウム真理教 四つの完全な自信     ウパティッサ
★内容
 このように私は聞いた   麻原彰晃尊師より





          オウム真理教ネットにおいて










              四つの完全な自信

◎最上正覚についての完全な自信

「サーリプッタよ、真理勝者には、これらの四つの完全な自信があり、その完
全な自信を具足する真理勝者は、指導者の地位を公言し、集団の中で獅子吼し
てほえ、神聖天の輪を発生させるのである。四つとは何であろうか。

『最上正覚者であるとあなたは公言するが、これらの法則は現正覚されたもの
でない。』

と、そこで確かにわたしを、出家修行者や祭司や愛欲神や破滅天や神聖天やだ
れもが、世界において法則を示してとがめるという、サーリプッタよ、この兆
候をわたしは認めない。わたしは、この兆候を認めないで、安らぎに達し、安
心に達し、完全な自信に達してとどまるのである。」


 次は、「四つの完全な自信」について説明をしよう。

 まず、最上正覚である。最上正覚とは、これより上のない最も正しい覚醒と
いう意味なのである。そして、これはこの人間界だけではなく、愛欲神や、あ
るいは破滅天や、あるいは神聖天のいかなる魂も、この真理勝者の覚醒、正し
い覚醒については非難できないということをいっているのである。それほどに
完璧な覚醒なのである。


◎漏の破壊についての完全な自信

「『漏が破壊されたとあなたは公言するが、これらの漏は完全に破壊されては
いない。』

と、そこで確かにわたしを、出家修行者や祭司や愛欲神や破滅天や神聖天やだ
れもが、世界において法則を示してとがめるという、サーリプッタよ、この兆
候をわたしは認めない。わたしは、この兆候を認めないで、安らぎに達し、安
心に達し、完全な自信に達してとどまるのである。」



 第二番目は、真理勝者の漏は破壊され、つまりエネルギーの漏れが全くない
のであって、だれもとがめることができないことを表わしているのである。こ
のだれもというのは、先程述べたこの人間の世界、そして愛欲神、破滅天、神
聖天のことである。


◎障礙の法則についての完全な自信
「『障礙をもたらす法則がいわれたが、それを実践する者に、実に障礙がある
ことはない。』

と、そこで確かにわたしを、出家修行者や祭司や愛欲神や破滅天や神聖天やだ
れもが、世界において法則を示してとがめるという、サーリプッタよ、この兆
候をわたしは認めない。わたしは、この兆候を認めないで、安らぎに達し、安
心に達し、完全な自信に達してとどまるのである。」


 三番目は、真理勝者が「これは障礙をもたらす法則である」と言う場合、い
かなる人が、「いや、それを実践したとしても、それは障礙をもたらすもので
はないんだ」と言ったとしても、それは明らかに障礙をもたらすのだというこ
とをいっているわけである。要するに、そうした非難はあり得ないのである。
そして、これはこの世界だけではなく、愛欲神や破滅天や神聖天ですらも、そ
の法則を壊すことができないことを表わしているのである。



◎法則についての完全な自信

「『そのために法則が指し示されたが、それは、それをなす者を苦しみの破壊
へと正しく輪廻から脱却させることがない。』

と、そこで確かにわたしを、出家修行者や祭司や愛欲神や破滅天や神聖天やだ
れもが、世界において正しく非難するという、サーリプッタよ、この兆候をわ
たしは認めない。わたしは、この兆候を認めないで、安らぎに達し、安心に達
し、完全な自信に達しとどまるのである。」

 まず、この「そのために法則が指し示されたが」というのは、「輪廻から脱
却するための法則が指し示されたが」ということの省略である。そして、「そ
の法則によっては、輪廻から脱却できないんだ」という非難は、この世界の祭
司やあるいは愛欲神や破滅天や神聖天も何人も否定できないのだということを
いっているのである。

 そして、これが四つの真理勝者の完全な自信なのである。


番号またはコマンド<FM>(M,S,F,H,Q,RBn,SCn,+n,-n,W,RP,RV,RT,TLn,AP,PF,J)=RB101-150


#101/999 資料室
★タイトル (MQM47158)  92/ 1/27  17:10  (100)
オウム真理教 四つの分析   ウパティッサ
★内容
  このように私は聞いた

       麻原彰晃尊師より。





      オウム真理教ネットにおいて


               四つの分析

◎四つの分析

「四組において、四つの分析は、まさしく意義などにおいて細分することに至
った四つの精通なのである。そして、こう言われている。

『意義における精通は、意義の分析である。法則における精通は、法則の分析
である。そこで、法則の言葉による検討の討論における精通は、言葉による検
討の分析である。種々の精通における精通は、会得の分析なのである』と。

 そこで、意義とは、要約すると、この原因の果報の象徴物である。というの
は、原因の果報は原因に一致して、移り変わり、習得され、納得させられるの
で、したがって意義といわれるのである。

 さて、細分することから、経験によって引き起こされたことは何でも・煩悩
破壊・話の意義・結果・行動という、これら五つの法則が意義であると理解し
なければならない。ここで、それを考察することによって、その意義において
細分することに至った精通が、意義の分析なのである。

 法則とは、要約すると、この条件の象徴物である。というのは、条件はそれ
ぞれのものを配置し、発生させ、達成することを与えるので、したがって、法
則であるといわれるのである。

 さて、細分することから、果報が生じられたこと・原因・聖なる道・話の善
・不善という、これら五つの法則が法則であると理解しなければならない。そ
の法則を考察することによって、その法則において細分することに至った精通
が、法則の分析である。

 まさにこの意義が、極めて大切な法則にある。

『苦しみにおける精通は、意義の分析である。苦しみの生起における精通は、
法則の分析である。

 原因における精通は、法則の分析である。原因の果報における精通は、意義
の分析である。

 種々の法則が成立し、生まれ出て、実を結び、再生され、生じたが、これら
の法則における精通は、法則の分析である。これらの法則から、種々の法則が
成立し、生まれ出て、実を結び、存在するようになり、再生され、生じたが、
これらの法則における精通は、法則の分析である。

 老死における精通は、意義の分析である。老死の生起における精通は、法則
の分析である。老死の滅尽における精通は、意義の分析である。老死の滅尽に
至る方法における精通は、法則の分析である。

 出生における精通、生存における精通、とらわれにおける精通、渇愛におけ
る精通、感覚における精通、接触における精通、六つの感覚要素と対象におけ
る精通、心の要素-形状-容姿における精通、識別における精通、種々の経験の
構成における精通は、意義の分析である。経験の構成の生起における精通は、
法則の分析である。経験の構成の滅尽における精通は、意義の分析である。経
験の構成の滅尽に至る方法における精通は、法則の分析である。

 ここで向煩悩滅尽多学男は、法則を、経・散文韻文混合経・回答・詩句・狂
喜句・「このように覚者はおっしゃられた」という経・輪廻転生談・格別な法
則・聖典の寄せ集めをわかっている。これが、法則の分析といわれるのである。
彼はまさに、それぞれの話の意義をわかっている。これが意義の分析といわれ
るのである。

 どのような種々の法則が、善であるか。

 愛欲の領域である善の心を生じ、幸福と共にあり、精通に結びつき、形状-容
姿の対象の固定があり、あるいは声の対象の固定があり、あるいは香りの対象
の固定があり、あるいは味の対象の固定があり、あるいは接触の対象の固定が
あり、それぞれに着手するとき、そのとき、接触があり、…(略)…平穏があ
る。これらの法則が善である。これらの法則における精通が、法則の分析であ
る。これらの結果における精通が、意義の分析である。』

 このように同様に、分別して実感させるのである。

 そこで、法則の言葉による検討の討論における精通とは、その意義と法則と
における状態を有している言葉による検討であり、失敗のない定義の共通なや
り方である。それが検討され、説かれ、発せられるとき、その話、口を利いた
こと、発せられたことを聞き、『これは状態を有している言葉による検討であ
る。これは状態を有している言葉による検討ではない』と、このようにその熟
知された法則の言葉による検討であり、状態を有している言葉による検討であ
る、すべての生命体の根本語であるマガダ(太陽の祭司のいる)に属する言葉
を細分することに至った精通は、言葉による検討の分析である。

 というのは、言葉による検討の分析を勝ち取った者は、『接触は、感覚は』
と、このような発言などを聞き、『これは状態を有している言葉による検討で
ある』と気づく。また、『接触の感覚は』と、このような発言などを聞き、『
これは状態を有している言葉による検討ではない』と気づくのである。

 種々の精通における精通とは、あらゆる場所で精通を対象の固定となし、考
察することによって、精通を対象の固定とする精通であり、あるいは前記のよ
うな、それらの精通における思索範囲の限定やなされるべきことなどを伴うこ
とによって、詳細にという精通であり、会得の分析であるという意義である。」




#102/999 資料室
★タイトル (MQM47158)  92/ 1/27  21:40  (188)
オウム真理教 精通に至る四つのパート    ウパティッサ
★内容

  このように私は聞いた。      麻原彰晃尊師より。







 オウム真理教ネットにおいて


◎精通に至る四つのパート


 真理勝者の四つの分析は、この『清浄の道』という経典の記述に沿って説明
しよう。


 四組において、四つの分析は、まさしく意義などにおいて細分することに至
った四つの精通なのである。そして、こう言われている。


 まず、分析には四つのパートがある。そして、その四つのパートの分析は、
結果的にはその現象の意義、つまり現象の意味合い、この現象の意味合いを分
析することによって精通に至るということが目的なのである。そして、この精
通に至ることのできる魂が、真理勝者なのである。


「意義における精通は、意義の分析である。法則における精通は、法則の分析
である。」

 まず、意味合いを分析すること、つまり現象の意味合いを分析することは、
現象の精通に通じる。

 そして、法則の意味合い、大宇宙の法則の意味合いを分析すること、それは
大宇宙の法則の精通に通じるのである。

 この後者は、科学者の取っているスタンスと全く同じである。例えば、もし
科学者が大宇宙の法則を分析しなければ、その法則に対して精通することはで
きない。これと同じように、もし真理の実践者が大宇宙の法則を分析すること
ができなければ、その精通に到達しないということをいっているのである。

「そこで、法則の言葉による検討の討論における精通は、言葉による検討の分
析である。」


 そして、法則を言葉によって検討し、それを討論し精通に至るということは、
結局それは、法則を言葉によって検討し、そして討論によって分析するという
ことと同義語であるということをいっているのである。


「種々の精通における精通は、会得の分析なのである」

 そして、諸々の現象に対して精通するためには、それは諸々の達成されたも
の、この達成されたものを分析することによって生じるということをいってい
るのである。


◎意義の分析

「そこで、意義とは、要約すると、この原因の果報の象徴物である。というの
は、原因の果報は原因に一致して、移り変わり、習得され、納得させられるの
で、したがって意義といわれるのである。」


 ここで意義といっているのは、先程も述べたとおり、その現象の意味合いと
いうことになる。


 そして、この現象の意味合いは、当然原因があり、その原因の果報を表わし
ていることはいうまでもない。ここでは、そこを説明しているのである。そし
て、この原因をしっかりと分析することができるならば、その原因の変化によ
って当然結果が変化する。また、原因が同じだとしても、途中の条件が変化し
たことによって当然結果は変化するということをいっているのである。


◎意義の分析のための五つのカテゴリー

「さて、細分することから、経験によって引き起こされたことは何でも、煩悩
破壊・話の意義・結果・行動という、これら五つの法則が意義であると理解し
なければならない。」


 つまり、ここで述べられている五つの現象、――経験によって引き起こされ
たすべての現象が第一、二番目は煩悩破壊、三番目が話の意味合い、四番目が
結果、五番目が行動――、この五つのカテゴリーに、すべての現象の意味合い
というものは、分類することができるのである。これは、それを述べているの
である。

「ここで、それを考察することによって、その意義において細分することに至
った精通が、意義の分析なのである。」


 そして、これら五つのカテゴリーにまず分析し、その一つ一つをより細かく
検討する。より細かく検討することによって、その一つ一つの意味合いが、つ
まり、経験のすべて、煩悩破壊、言葉の意義、結果、行動、これらの五つの意
味合いが正確に理解できるようになる。この正確に理解できるようになること
を精通といっているのである。


◎法則の分析

「法則とは、要約すると、この条件の象徴物である。というのは、条件はそれ
ぞれのものを配置し、発生させ、達成することを与えるので、したがって、法
則であるといわれるのである。」

 これは、大変素晴らしい真理の法則だといえる。つまり、法則イコール条件
であると、この教えはいっているのである。

 では、なぜ法則イコール条件といえるのか。例えば、ここに種があったとし
て、その種に対して、土の条件や養分の条件や水の条件、あるいは日光の条件、
これらの条件がそろって、初めてこの種というのは、花になったり、あるいは
木になったりするわけである。そして、この種が花や木になるのか、あるいは
枯れてしまうのか、あるいは全く芽を出さないのか、それはすべてその法則、
つまり条件で決まるということを考えれば、ここでいわれている内容がよく理
解できよう。


◎修行者の生き方の細分化

「さて、細分することから、果報が生じられたこと・原因・聖なる道・話の善
・不善という、これら五つの法則が法則であると理解しなければならない。そ
の法則を考察することによって、その法則において細分することに至った精通
が、法則の分析である。」


 この細分されたこと、これは何を細分したのか。それは、仏道修行者の生き
方を細分したということになるわけである。そうすると、まず果報が生じられ
たこと、そして原因、聖なる道、そして話の善、それから不善、これらの五つ
について徹底的に分析する。そして、徹底的に分析することによって精通が得
られる。精通が得られることによって、そこから修正する。これが修行者の態
度なのである。


◎苦しみの精通

「まさにこの意義が、極めて大切な法則にある。

『苦しみにおける精通は、意義の分析である。苦しみの生起における精通は、
法則の分析である。」

 まさにこの現象の意味合いは、極めて大切な法則の中に存在しているのであ
る。では、それを一つずつ説明することとしよう。

 第一番目、苦しみ。苦しみという現象の意味合い、これはその苦しみについ
ての徹底的な分析によってのみ、その精通が生じる。

 例えば例を挙げるならば、人間が生まれる。生まれるということに対して、
その変化を観察し、結局はそれは苦しみであると答えを出すわけであるが、そ
の場合、その現象の真の意味合い、つまり生まれるということの真の意味合い
を十二の条件生起の段階によってしっかり理解していないと、この生まれると
いうことに対する精通は存在しない。つまり、第一番目の項目は、このような
パターンのことをいっているのである。

 第二番目のパターンは、苦しみの生起。これは、まさに法則の分析をする必
要がある。では、なぜ法則の分析をする必要があるのか。それは苦しみという
ものがそこに存在していて、それを生起、つまり働かせることもできれば、働
かせないこともできる。そこにおいて存在するのは条件なのである。

 先程も述べたとおり、いくら種が存在していたとしても、その種が土に植え
られていなかったり、養分が与えられていなかったり、水が与えられていなか
ったり、日光が与えられていなかったりするならば、当然それは種のままであ
る。つまり、苦しみというものは存在しても、苦しみの生起は存在しない。

 よって、この苦しみの生起、苦しみがどのようにして条件によって生じるの
かというためには、その苦しみの生じる条件について分析をしなければならな
いということをいっているのである。


◎原因の精通

「原因における精通は、法則の分析である。原因の果報における精通は、意義
の分析である。」


 次に出てくる「原因における精通は、法則の分析である」――、これはどう
いうことかというと、例えばここに一個の種があったとして、この種がどうな
るかというとは、法則、つまり条件の設定を変えて、初めて結果が得られるわ
けである。つまり、原因がいくらそこに存在していても、その後に来る条件と
いうものが、もししっかりと分析されていなければ、結果は見られない。よっ
て、原因における精通は、法則における精通といっているのである。

 次は、結果における精通である。結果というのは、そこから先に現象を発展
させないから、まず結果イコール現象の意義ということになる。この現象の意
義をしっかりと分析すること、現象の意味合いをしっかりと分析すること、こ
れによってのみ、その結果の精通が得られるのである。




#103/999 資料室
★タイトル (MQM47158)  92/ 1/28   3:26  (175)
オウム真理教 再生の法則の精通    ウパティッサ
★内容

   このように私は聞いた   麻原彰晃尊師より。
   オウム真理教ネットにおいて













◎再生の法則の精通

「種々の法則が成立し、生まれ出て、実を結び、再生され、生じたが、これら
の法則における精通は、法則の分析である。これらの法則から、種々の法則が
成立し、生まれ出て、実を結び、存在するようになり、再生され、生じたが、
これらの法則における精通は、法則の分析である。」

 これらの条件によって変化している場合、当然これはその条件、つまり法則
を分析することによって、その精通へ到達するということをいっているのであ
る。次の行も同じことをいっている。

 つまり、この第一番目の「成立」。これはその生のカルマが終わり、次の生
のカルマが完全に成立したことを意味している。

 第二番目の「生まれ出る」。それは、その成立の段階から、次に条件生起の
段階に従って動き出した状態を表わしている。

 そして、第三番目の「実を結び」。「実を結び」というのは、実際に六つの
感覚要素と対象における感覚が完全に生起し、渇愛、愛著のプロセスが成立し
ていることを意味している。つまり、これはそのカルマの成立、カルマが成立
した結果、次の生との結びつきが成立したことを意味しているのである。

 そして、生存の世界へと再生され、そして生じることを意味しているのであ
る。

 当然、これらの流れは、その流れに対する分析によってのみ結果が得られる
のである。

 第二のパターンは、一つのものから次のものへ移行する――、つまり第一番
目のパターンは、これは真我と三グナの干渉を表わしており、第二のパターン
は、明らかに前生と次の生の関係を表わしているのである。


◎老死の精通

「老死における精通は、意義の分析である。老死の生起における精通は、法則
の分析である。老死の滅尽における精通は、意義の分析である。老死の滅尽に
至る方法における精通は、法則の分析である。」



 この部分は大変わかりやすい。つまり、老死という意味合い、現象の意味合
い、これに精通するためには、その意味合いを分析すればいいということをい
っているのである。

 また、老死の滅尽という意味合い、現象の意味合い、これに精通するために
も、その現象の意味合いを分析すればいいといっているのである。

 同じように、老死の生起については、その老死が生起するに至る流れ、つま
り条件、法則について分析することによって、老死について精通することがで
きるといっているわけである。

 同じように、老死の滅尽に至る方法についても、その滅尽に至る方法におけ
る法則、あるいは条件について分析することによって精通が生じるといってい
るのである。


◎条件の生起の精通

「出生における精通、生存における精通、とらわれにおける精通、渇愛におけ
る精通、感覚における精通、接触における精通、六つの感覚要素と対象におけ
る精通、心の要素-形状-容姿における精通、識別における精通、種々の経験の
構成における精通は、意義の分析である。」

 出生における精通、生存における精通、とらわれにおける精通、渇愛におけ
る精通、感覚における精通、接触における精通、六つの感覚要素と対象におけ
る精通、心の要素-形状-容姿における精通、識別における精通、種々の経験の
構成における精通――、これらは、すべて現象の意味合いについて理解しなけ
ればならないから、当然この現象の意味合い、つまり意義について分析する必
要がある。現象の意味合いについて分析する必要があるわけである。それによ
って精通が生じるのである。


◎経験の構成の精通

「経験の構成の生起における精通は、法則の分析である。経験の構成の滅尽に
おける精通は、意義の分析である。経験の構成の滅尽に至る方法における精通
は、法則の分析である。」


 経験の構成の生起における精通――、つまり経験の構成が生起する、過去の
経験が生起する、そのような条件、その条件が生起する法則、これを理解する
ためには、当然その条件生起の分析をする必要がある。それによって、精通が
生じるのである。


 同じように、経験の構成の滅尽、これは経験の構成の滅尽という現象の意味
合いをとらえなければならないから、当然現象の意味合いを分析しなければな
らない。それによって、精通が生じるということである。

 経験の構成の滅尽に至る方法については、この滅尽に至る方法という条件、
あるいは法則、これを分析することにより精通が生じるといっているのである。

◎向煩悩滅尽多学男の条件

 ここで向煩悩滅尽多学男は、法則を、経・散文韻文混合経・回答・詩句・狂
喜句・『このように覚者はおっしゃられた』という経・輪廻転生談・格別な法
則・聖典の寄せ集めをわかっている。これが、法則の分析といわれるのである。

 そして、向煩悩滅尽多学男、つまりビックの条件とは何かというと、それは
ここに挙げられる九つのパターンのすべてに対して、しっかりとその法則を理
解しているということである。もしこの法則が理解できていなければ、それは
向煩悩滅尽多学男と呼べないのである。

 ところで、オウム真理教においても、同じように説法体系のすべてを理解し
た者を向煩悩滅尽多学男と呼んでいる。これは、ただ単に出家しただけでは、
向煩悩滅尽多学男と呼べないのである。

 では、この向煩悩滅尽多学男と出家修行者の違いは何であろうか。まず、出
家修行者はサマナという。そして、この出家修行者の中で、これらの九つの経
典群についてしっかりと理解している者、これを向煩悩滅尽多学男と呼ぶので
ある。

 そして、この九部は、パーリ仏典のものすごい量の経典があるわけだが、そ
れをこの九つに分類することができるということを表わしているのである。


◎話の意義の理解

「彼はまさに、それぞれの話の意義をわかっている。これが意義の分析といわ
れるのである。」

 次に、真理勝者が説かれた話の意味合い、これを理解すること、これを意味
合いの分析、つまり意義の分析というのである。


◎五感の精通

「どのような種々の法則が、善であるか。

 愛欲の領域である善の心を生じ、幸福と共にあり、精通に結びつき、形状-容
姿の対象の固定があり、あるいは声の対象の固定があり、あるいは香りの対象
の固定があり、あるいは味の対象の固定があり、あるいは接触の対象の固定が
あり、それぞれに着手するとき、そのとき、接触があり、…(略)…平穏があ
る。これらの法則が善である。これらの法則における精通が、法則の分析であ
る。これらの結果における精通が、意義の分析である。』」

 ここで表現されていることは、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、これらにつ
いて、ここからどのような形で対象が固定され、そして安らぎに至るのかとい
うことについて、この分析は説いている。

 そして、「これらの法則は善である」といっているのは、これはどういうこ
とかというと、これらの法則、そこにとらわれることそのものが善、つまり喜
びであるといっているわけである。そして、これらの法則に精通すること、イ
コール法則を分析することなのである。

 そして、これらにとらわれた結果というものがある。その現象の意味合い、
結果、これをしっかりと分析すること、これが現象の意味合いの分析というこ
とになる。


◎精通による分別

「このように同様に、分別して実感させるのである。」

 そして、この分析から生じる精通、これによってこれは利益になる、これは
利益にならないということを分別して、そして「実感させる」ということを、
ここではいっているのである。




#104/999 資料室
★タイトル (MQM47158)  92/ 1/28  10: 6  (184)
オウム真理教 言葉による検討の分析 ウパティッサ
★内容

       このように私は聞いた

            麻原彰晃尊師より。
       オウム真理教ネットにおいて


◎言葉による検討の分析
「そこで、法則の言葉による検討の討論における精通とは、その意義と法則と
における状態を有している言葉による検討であり、失敗のない定義の共通なや
り方である。」

 まず「言葉による検討の討論における精通」。ちょっとまどろっこしい日本
語になるが、要約すると、言葉によって例えば二人、あるいは多数の者が検討
し、そしてそれを討論する。そしてそれによって、その法則やあるいは現象の
意味合い、意義といったようなものを正確に分析する。そして、その正確に分
析することこそが、現象を理解する上において、最適な方法ということを意味
しているのである。

 そして、現に修行の中にグルとの討論というのが存在している。つまり、理
解できないことはグルに聞き、グルがその理解できない部分を正確に教えると
いう役目を果たしているのである。

 そして、このことから、それぞれが心の中に有している精通、これを共同の
ものとして引っ張り出し、そして定義する。これによってのみ、失敗のない定
義ができるということなのである。

 例えば例を挙げよう。ある人がある体験をした。それは、どのステージに当
たるのか。これは言葉によって、その体験を表現する以外に方法はない。そこ
で、その人より、より高い経験をしている人がそこにいて、「あなたのこの経
験は、その前にこういう状態があったんじゃないか」、あるいは「今このよう
な状態になろうとしているんじゃないか」という確認をする。すると、その人
はまさにそのとおりであるならば、その人はそのステージに到達したことを表
わしているし、そうじゃなければ別の状態を表わしているのである。

 つまり、言葉によって失敗のない定義を生じさせるというのは、そのような
ことなのである。

◎神聖な言葉による分析

「それが検討され、説かれ、発せられるとき、その話、口を利いたこと、発せ
られたことを聞き、『これは状態を有している言葉による検討である。これは
状態を有している言葉による検討ではない』と、このようにその熟知された法
則の言葉による検討であり、状態を有している言葉による検討である、すべて
の生命体の根本語であるマガダ(太陽の祭司のいる)に属する言葉を細分する
ことに至った精通は、言葉による検討の分析である。

 「それが検討され、説かれ、発せられる」というのは、先程も述べたとおり、
まずその状態をしっかりと検討する。例えば先程いったとおり、「あなたはそ
の前にこういう体験をしてるかどうか」、あるいは「その体験と同時に、この
ような体験をしているんじゃないか」というような形で検討される。そして、
その内容の全貌というのが説かれる。つまり、完全な形で理解される。そして、
それが言葉として発せられるのである。

 「熟知された法則の言葉による検討」、これは先程も述べたとおり、よりス
テージの高い者が、言葉によってその人の状態を検討することを表わしている
のである。つまり、もし先程の例に述べたとおり、あるステージを経験してい
なければ、それは言葉による状態の検討とはいえないし、もしそうであるなら
ば、言葉による状態の検討といえるということを言い換えているのである。

 そして、太陽の祭司が存在しているものに属する言葉、つまり最も神聖な言
葉によって、この分析がなされるということをいっている。

 つまり、言葉の検討による分析とは、マガダ語を細分化し、精通することで
ある。そして、マガダ語を細分化し、それに精通するということは、状態を有
している言葉を検討することを意味しているのである。つまり、要するに、マ
ガダ語を徹底的に細分化し、それを検討し、分析しなさいよということをいっ
ているのである。

◎瞑想して発される言葉
「というのは、言葉による検討の分析を勝ち取った者は、『接触は、感覚は』
と、このような発言などを聞き、『これは状態を有している言葉による検討で
ある』と気づく。また、『接触の感覚は』と、このような発言などを聞き、『
これは状態を有している言葉による検討ではない』と気づくのである。

 これは大変興味深い。

 つまり、前者の「接触は、感覚は」と、すべての十二の条件生起の法則にの
っとって発される言葉については、この対象の発している言葉は、状態を有し
ている言葉の検討である、つまりしっかりと瞑想して言葉を発しているという
ことを表わしており、逆に「接触の感覚は」などという言葉を聞くと、この人
はしっかりと瞑想しないで言葉を発しているんだということに気づくというこ
とをいっているのである。つまり、後者は曖昧にしているということをいって
いるのである。

◎会得の分析
「種々の精通における精通とは、あらゆる場所で精通を対象の固定となし、考
察することによって、精通を対象の固定とする精通であり、あるいは前記のよ
うな、それらの精通における思索範囲の限定やなされるべきことなどを伴うこ
とによって、詳細にという精通であり、会得の分析であるという意義である。」

 ここでいう会得とは達成である。そして、ここは大変わたし(麻原尊師)に
とってわかりやすい文章なのである。

 つまり、諸現象に対して一つ一つの現象を正確に固定し、そしてそれに対し
て分析する。分析によって精通が生じる。これは、いかなる場所においても、
いかなる時においても、しっかりと対象を分析し、そして精通に至る。しかも、
例えばその静慮、熟考に入るとき、当然対象を固定化するわけであるが、その
ときに必ず思索範囲の限定というものが必要になってくる。

 では、この思索範囲の限定とは何を意味しているのか。それは、教義を背景
として思索をしなさいということを、ここではいっているのである。そして、
それによって、すべてを会得することができるといっているのである。

◎真理勝者の四つの分析
 そして、これらの四つ、これが真理勝者の四つの分析といわれている。

 では、もう一度簡単に説明するならば、第一は意義、つまり現象の意味合い
の分析である。第二番目は法則、つまり条件の分析である。第三番目は言葉に
よる検討の分析である。そして、第四番目は会得の分析である。これら四つの
分析が達成できている者、これこそが真理勝者なのである。

                 六つの証智
◎六つの証智
 六つの証智。これは六つの神通に同じである。

 では、なぜ証智というのであろうか。これは第一静慮から始まり、第四静慮
まで達成した者が必ず明かさなければならない、つまり証明しなければならな
い智慧のことなのである。つまり、この六神通の生じていない者は、第四静慮
まで到達してないことを意味しているのである。

               六つの覚者の法則

◎六つの覚者の法則
「すべての身の要素の蓄積は精通に費やされる。

 すべての言葉の要素の蓄積は精通に費やされる。

 すべての意識の要素の蓄積は精通に費やされる。

 過去において、覚者世尊の苦しみから解放する精通がある。

 未来において、覚者世尊の苦しみから解放する精通がある。

 現在において、覚者世尊の苦しみから解放する精通がある。」

◎身の精通
 次は、六つの覚者の法則である。

 覚者の六つの法則とは、まず身において、この身をしっかりと観察する。そ
して、それによって精通を生じさせる。

 では、この身とは何であろうか。これは粗雑な四大元素の集まり、つまり地
・水・火・風の集まりであると見るということなのである。

 では、この地・水・火・風とはどのようなことであろうか。それは、地イコ
ール固体成分、つまりこの肉、骨などがそれに当たる。水イコール体液成分、
つまり血液、精液、あるいはリンパ液等がこれに当たる。火イコール熱成分、
つまりこれは体温を司っているいろいろなもの、例えば消化の炎などがこれに
当たる。そして第四番目が風成分、これは呼吸である。これらの四大元素を根
本として、この肉体を、この身を正確に観察する。つまり、医者的な観察をす
る。これが第一番目の条件なのである。

◎言葉の精通
 第二番目の条件は、言葉である。この言葉も同じように、どのような言葉を
発すればどのような結果が返ってくるか、これをしっかりと自分だけではなく、
周りの人の言葉の因と果について精通すること、これが覚者の第二番目の精通
なのである。

◎意識の精通
 覚者の第三番目の精通とは何であろうか。これは意識についてである。この
意識についても同じように、どのような意識を生じさせれば、どのような世界
に転生するだとか、あるいはどのような意識を生じさせればどのような世界を
形成するだとかということに対する精通を有している、これが覚者の第三番目
の条件なのである。

◎過去における覚者世尊の精通
 では、第四番目の条件とは何であろうか。

 ここで、はっきりと覚者と世尊とが分類されている。つまり、覚者とは覚者
世尊の教えを信奉する、悟れる魂を表わしているのである。よって、ここで過
去世における覚者世尊の苦しみから解放する精通に対して熟達する。

◎未来における覚者世尊の精通
 そして、未来に生じるであろう覚者世尊の、同じように苦しみから解放する
教えに対して精通する。

◎現在における覚者世尊の精通
 三番目は、現在生きていらっしゃる覚者世尊の苦しみから解放させる教えに
対して、徹底的に精通する。

 これが、覚者の六つの条件といわれるものなのである。

            参考文献  タターガタ・アビダンマ 第二誦品



#105/999 資料室
★タイトル (MQM47158)  92/ 1/28  16:11  ( 65)
オウム真理教 四つの修行   ウパティッサ
★内容

               このように私は聴いた。
  麻原彰晃尊師より。
               オウム真理教ネットにおいて

                                解脱への道程

                                  四つの修行

◎真理の魂が実践しなければならない四つの修行

 この真理の魂が実践しなければならない修行には、四段階ある。その第一段
階は、善にのっとった修行である。第二段階は、功徳にのっとった修行である。
第三段階は、寂静にのっとった修行である。第四段階は、法則にのっとった修
行である。

 では、これらの四つの修行について一つ一つ詳しく検討してみよう。


◎善にのっとった修行


 まず、善にのっとった修行だが、この善にのっとった修行というのは、一般
的にいういいことを指す。例えば、周りの人を安らがせてあげるとか、あるい
は、電車に乗っていて前におばあちゃんが立っててつらそうだったら席を替わ
ってあげるとか、そういうことが善にのっとった修行に入るのである。

 そして、善にのっとった修行というのは、平行条件にある者、あるいは下の
者に対する善行を指す。つまり、親に対する善行とか、あるいは子供に対する
善行とかが、これに当たるのである。


◎功徳にのっとった修行

 二番目は、功徳にのっとった修行である。この功徳にのっとった修行という
のは、仏教的な所作の修行である。

 そして、この功徳にのっとった修行というのは、心の成熟の度合における上
の者に対する功徳を指す。つまり、グルに対する布施や奉仕が、これに当たる
のである。


◎寂静にのっとった修行

 次は、心を静めるための修行、これを寂静にのっとった修行という。例えば、
経典を読んで心を静めるといった煩悩を静めていくことが、寂静にのっとった
修行に入るのである。

 そして、これによって透明な智慧、ちょうどそれは、鏡に映し出すような智
慧を生じることができる。つまり、現象に対するはっきりとした認識が生じ、
カルマの法則が理解できるのである。


◎法則にのっとった修行

 そして最後は、法則にのっとった修行である。これには、例えば瞑想とか、
マントラを唱えるといったものが入るのである。

 では一体、この法則にのっとった修行は何のためになすのかといったら、わ
たしたちを苦しめるこの愛欲界から、完全に出離、そして自由に再生できるよ
うなプロセスを作り上げていくということにある。

 そしてこれらは、善にのっとった修行、功徳にのっとった修行、寂静にのっ
とった修行、法則にのっとった修行の順で難しくなっていくのである。




#106/999 資料室
★タイトル (MQM47158)  92/ 1/28  19:18  (199)
オウム真理教 十のきずな   ウパティッサ
★内容

       このように私は聴いた

    麻原彰晃尊師より  オウム真理教ネットにおいて

                               十のきずな

◎十の転生の条件

 三つのきずな、五つの下位に結びつけるきずな、五つの上位に結びつけるき
ずな、これらは自己に蓄積された観念であり、どの世界へ転生するかの条件を
表わしたものである。よって、この条件をクリアすることこそが修行の目標と
なる。


◎三つのきずな


 では、まず三つのきずなから説明しよう。

 下位に結びつける三つのきずな、これは、有身謬見、疑念、戒誓のとらわれ
である。では、この有身謬見、疑念、戒誓のとらわれとは何であろうか。


◎有身謬見

 まず、有身謬見とは、「我が身これ我なり」という考え方である。つまり、
「この身体こそわたしである」という考え方なのである。この考え方にとらわ
れると、必ず祖雑な欲六界へ転生する。



◎疑念

 疑念とは、真理に対して疑いを持つ心ということである。

 では、なぜ真理に対して疑いを持つことは、下位に結びつけるのであろうか。
つまり、真理とは言い方を換えれば、上流、高い世界へ引き上げる教えという
ことである。その教えに対して疑念を持つわけであるから、その魂は当然下向、
下向きに生きることとなり、結局は悪趣へと転生するのである。

  疑念は対象に対して深く検討し、精通を為すことを怠るため、その曖昧さに
よって動物の要素の蓄積となる。



◎戒誓のとらわれ

 次は、戒誓のとらわれである。この戒誓のとらわれとは、真理の教えと反す
る教えの戒律に対してとらわれることを指す。あるいは、誓いに対してとらわ
れることを指す。これは、真理の教えではないものと強い縁を結ぶことにより、
その魂は低い世界へと転生するのである。

 言い換えれば、現世の利益のために霊的な力を使う事である。初詣等での祈
願。百度参り等も含まれる。



◎五つの下位に結びつけるきずな

 では次に、下の世界へ結びつける五つのきずなである。これには、先程の三
つに加えて、愛欲の興奮と、そして害心が加わる。では、この愛欲の興奮と害
心は、なぜ下の世界へ結びつける五つのきずなの中に入っているのだろうか。


◎愛欲の興奮


 まず、愛欲の興奮。これは、動物の世界と人間の世界に生じるカルマなので
ある。つまり、人間世界以上の魂は、愛欲において興奮しないのである。よっ
て、これは当然超えなければならない。



◎害心

 第五番目の害心。この害心、人を傷つける心、これは間違いなく意識堕落天
の心であり、これを修習することにより、自分自身の順調な能力の発達や智慧
の発達が見られなくなる。よって、この害心も捨断しなければならないのであ
る。

◎五つの下位に結びつけるきずなと転生

 有身謬見にとらわれると、地獄に転生する。なぜ有身謬見が地獄ということ
になるのであろうか。地獄の魂を見ていただきたい。どれだけ苦しくても、そ
こで死に、また生まれ変わる。必ず身を持つのである。これは、身に対すると
らわれが最も強いからである。もちろん、これは地獄だけを表わしているわけ
ではない。しかし、身に対するとらわれが最も強い魂こそが、この地獄へ転生
するのである。

 疑念、イコールこれは当然無智と置き換えることができる。つまり、根本無
智イコール、真理が理解できないわけである。よって、根本無智イコール、動
物の世界へと転生するのである。

 三番目、戒誓のとらわれ。この戒誓のとらわれによって、つまり正しくない
宗教の教えを実践することによって、形状界へと転生する。しかし、この形状
界は低位形状界であり、これは当然低級霊域と一致するのである。よって、戒
誓のとらわれ、イコール餓鬼の世界へと転生するのである。

 愛欲の興奮。これは人間が必ず転生するときに見るヴィジョンである。必ず
母親とのセックスや、あるいは父親とのセックスのヴィジョンを見る。そして、
その興奮によって、人間の世界へと転生する。よって、愛欲の興奮は、人間世
界の転生の源となるのである。

 害心。害心の背景にあるものは闘争本能、そして上を蹴落としたいと思う心
である。これは、意識堕落天の根本的な心の状態である。よって、害心イコー
ル意識堕落天への道なのである。


◎五つの上位に結びつけるきずな

 次は、五つの上位に結びつけるきずなについて、一つ一つ説明しよう。この
上位に結びつけるきずなも、さらに高い世界を目指す魂にとっては、障礙とな
るのである。

 では、上位に結びつける五つのきずなとは何であろうか。その第一が形状愛
著である。第二が非形状愛著である。第三番目が慢である。第四番目が興奮で
ある。第五番目が非神秘力である。

 では、この五つの意味合いは何であろうか。

◎形状愛著

 まず、形状に対する愛著。これは当然形状界へと転生させ、そこで固定させ
る。これは、言い換えれば美に対する愛著ともいうことができる。



◎非形状愛著

 非形状(美しい心)へのとらわれ。心でさえ無常=苦であるからとらわれては
いけないのである。

 これは非形状の世界へと転生させ、そこで固定させる。



◎慢

 第三番目の慢。これは、本来この三界には絶対的なもの、終わりというもの
がないのに、その慢が生じたがためにそこから抜け出せない、つまり上位の世
界へは到達するが、そこから抜け出せないことを表わしている。

 これは自己満足である。ある目的の成就により満足する事。有限の期間に条
件付けられていることに満足する事は無利益である。逆に、神々の経験を死ぬ
までにいかに蓄積するかにより、来世、天に到るか否かが決定するのである。
もし、死にゆくものが縁のある魂でも、実質的に低い世界のデータを多く取り
入れている場合は容易には高い世界へポアすることは出来ない。ポアというの
は、過去生のうち、最も功徳のある生に意識を移し換えるということだからで
ある。一旦慢に落ちいった魂というのは、あとは落下傾向、怠惰あるのみとい
うことになる。ところが、10億宇宙の内でただ一つの魂になる修行、それが
仏教なのである。





◎興奮


 第四番目は善である。しかし、この善と言うのは経典には現れていない。経
典には興奮となっている。これは、興奮をもししなければ現象を正しく見るこ
とができるのに、興奮したがために現象を正しくとらえられない状態を表わし
ている。そして、そこでエネルギーが漏れる。しかし、この興奮できるという
ことはエネルギーが強いのである。よって、これは第四番目に来る。

 別の言い方をすれば憤激。精神的爆発。いかに修行が進み高いエネルギーを
蓄えても、有=限定されるものであり、憤激によって漏れた場合減少する。

 例えば、キリストがいちじくの木に向かい「枯れろ」と言い、木が枯れた。
といった様な例である。






◎非神秘力


 第五番目の非神秘力。これは、もし神秘力があればすべての世界を見渡し、
このすべての世界から離解脱することができるのに、非神秘力が存在している
がために、この世界から抜け出すことができない。

 非神秘力とは、自分の経験したものが全てだと考える事。つまり、経験は積
み重ねるがそれが全てだとは思わない様にしなければならない。




 よって、この五つを上位に結びつける五つのきずなというのである。






 以上の十のきずなを捨断することで、間違いなく最終解脱まで行ける。




#108/999 資料室
★タイトル (MQM47158)  92/ 1/30  13:19  (166)
オウム真理教  解脱へ至る四つの実践    ウパティッサ
★内容
   このように私は聞いた
     麻原彰晃尊師より     オウム真理教ネットにおいて






              解脱へ至る四つの実践


◎向煩悩滅尽多学男が解脱へ至る四つの実践

 向煩悩滅尽多学男は、四つの実践を絶えず行なわなければならない。この四
つの実践とは何であろうか。第一番目が証智である。第二番目が捨断である。
第三番目が現証である。第四番目が修習である。

 では、この証智、捨断、現証、修習とは何であろうか。




◎証智


 証智とは、自分自身の煩悩のけがれを、身の行為、言葉、心の働きによって
証し知ることである。では、具体的には、何を証智しなければならないのであ
ろうか。それは、五つのとらわれの集積である。

◎五つのとらわれの集積に対する証智

 ということは、この五つのとらわれの集積に対してしっかりと証智し、これ
に対してとらわれなくしていくことが、修行の目標となってくるのである。



◎捨断

 そして、この証智をなしたならば、次の段階で捨断しなければならない。捨
断とは、身の行為、言葉、心の働きのけがれを、自己の本質と見ないで捨て断
つことである。

 では、わたしたちが捨断しなければならないものとは、何であろうか。それ
は、非神秘力と生存渇愛である。



◎非神秘力

 では、まず非神秘力とは何か。非神秘力とは、要するに現実である。わたし
たちが「これはこうなんだ。これが現実なんだ。これはこうでなければならな
い」という、このようなすべての断定的なものの考え方、断定的な行動、断定
的な言葉、これらすべてが非神秘力なのである。

 例えば、「あの人は金持ちだから幸福だ」と考えたとしよう。しかし、いく
らお金があっても、無常感というのはつきまとう。実際問題として、無常を超
えない限り幸福ではないのである。例えば、大金持ちであればあるほど、死ぬ
ときの、その金から離れる苦しみというのは大きい。

 こういうことからわかるとおり、要するに、非神秘力というのは、この世界
に限定させる意識状態をつくり上げるものなのである。

 では、それはなぜかというと、要するに光がないからである。つまり、この
世だけに意識が集中し、本来わたしたちの持っている光というのを発すること
ができないのである。光を発することができれば、暗闇を照らし、この世だけ
ではなく、いろんな世界を照らすことができるから、この世は固定的なもので
あるということが理解できる。

 したがって、この非神秘力を捨断しなければならないのである。





◎生存渇愛


 では、もう一つの生存渇愛とは何か。生存渇愛というのは、要するに欲求で
ある。

 例えば、断食をして空腹になったと。この空腹のときは、何でもいいから食
べたいと考えないだろうか。あるいは、性欲の煩悩に振り回されてると、だれ
でもいいからおつき合いをしたいと考えるだろう。あるいは、寂しいときには、
だれでもいいから話をしたいと考えるだろう。これが生存渇愛なのである。

 よって、そういう生存渇愛の出るような修行を禁止する。これが仏教的見地
なのである。つまり、生存渇愛が生じるがゆえに、そこから欲求する。欲求す
るがゆえに、そこから正しくないものを追い求める。だから、捨断しなければ
ならないのである。



◎現証

 では、この非神秘力と渇愛を捨断したならば、次は現証しなければならない。
そして、現証しなければならないもの、この世界に証明し体現しなければなら
ないもの、それが神秘力と離解脱なのである。


◎神秘力

 この神秘力とは何であろうか。

 まず、わたしたちが神足通を経験することにより、この身体だけがわたした
ちの身体ではないんだということがわかる。よって、この人間の世界だけでは
なく、つまり他の多くの世界があるんだということを経験させてくれる神足通。

 次に、この人間の世界だけではなく、神々の世界があり、そこは声によって
交信できるという天耳通。そして、その人たちを司っているのは心であること
を理解するための他心通。そして、前生を知ることのできる宿命通。そして、
カルマによって、どの世界へ至るかということをしっかりと理解することので
きる死生智。そして最後は、すべてをしっかりと、五つのとらわれの集積の形
成を含めて知ることのできる、全智となるための漏尽通。

 これらの六つの神秘力を得ること、それを実際に経験すること、これがわた
したちが今生でなさなければならないことである。

◎離解脱

 そして、もう一つは離解脱である。つまり、そこに欲求の対象があったとし
ても、そこから全く離れた境地でいられること、それによって苦しみが完全に
止滅し、止滅することによって安楽でいられること、これをこの世で経験しな
ければならない。この世で実際に体験しなければならない。これが、三番目の
現証の段階なのである。

◎修習

 そして、四番目は修習である。修習とは、正確な修行法を習い、それを繰り
返し実践することである。では、修習しなければならないものとは何か。それ
は、寂止と正観である。

◎寂止

 寂止とは何であろうか。これは、心を平静、絶対に動じない状態にすること
である。

 では、なぜ心が動じるのかというと、それは五つのとらわれの集積によって動
じるのである。だから、最終的には、その五つのとらわれの集積の一つ一つを煩
悩破壊していく以外にないことになる。

◎正観

 では、正観とは何かというと、対象に対して正確に認識することであるとい
える。

 例えば、人間とは何か。例えば、対象に対して、ハンサムだな、あるいは、
美しいな、グラマーだな、スタイルがいいな等々の言葉が来るけれども、これ
は正しくない。

 人間とは何か。まず、表皮があって、真皮があって、脂肪があって、筋肉が
あって、腱があって、骨があって、内臓があって、脳があって、うんぬんと、
こういうことを探求する。そして、探求することによって、それらのものが無
常であると。無常であるがゆえに、そこから超越するということになる。

 このように、いろいろな現象に対して正しく観察すること、これが正観なの
である。


◎大完全煩悩破壊界へ至る四つの実践

 五つのとらわれの集積における証智、非神秘力と生存渇愛に対する捨断、神
秘力と離解脱に対する現証、そして寂止と正観に対する修習、これらの四つが
しっかりとなされるならば、わたしたちは間違いなく神になり、神を超え、絶
対自由・絶対幸福・絶対歓喜の偉大なる完全煩悩破壊界、あるいは大完全煩悩
破壊界、あるいは大到達真智完全煩悩破壊界へと至ることができるのである。
.



#109/999 資料室
★タイトル (MQM47158)  92/ 1/30  13:22  ( 99)
オウム真理教 覚者の段階      ウパティッサ
★内容
        このように私は聞いた
  麻原彰晃尊師より
   オウム真理教ネットにおいて



               覚者の段階

◎覚者の段階

 覚者には心の段階がある。それを順に表現すると、現世否定、離愛著、滅尽、
寂静、証智、正覚、煩悩破壊である。

◎現世否定

 では、現世否定とは何であろうか。この現実の世界をまず否定しなければ、
この現実の世界から離れることができない。よって、この現実の世界を否定す
るのである。

◎離愛著

 しかし、わたしたちの心には、あるいは言葉の習性には、行為には、愛著が
存在している。愛著とは、わたしたちがどうしてもそのような方向へ向かうこ
とを表わしている。例えば、ここにラーメン屋、そば屋、カレー屋があったと
して、もしカレーがラーメンやそばよりも抜きん出て好きであるならば、必ず
カレー屋に入るであろう。これが愛著なのである。

 そして、この離愛著というのは、このような愛著を離れる。離れることによ
って、対象を正確に見つめることを主眼としている。

 よって、この愛著を離れるがために、次は一つ一つの煩悩について、それを
弱めることができる。そして、弱めるがために、心は寂静となる。つまり、と
らわれない心が生じるわけである。



◎滅尽

 そして、今生で培ったいろいろなデータを完全に止めてしまう。これが次の
滅尽である。

◎寂静

 そして滅尽した段階で、その人は第一静慮から第四静慮へと到達する。そし
て、第四静慮の段階で寂静に至るのである。

◎証智

 そして、寂静に至った魂は、次に証智の段階に入る。つまり、六神通を経験
するわけである。

◎正覚

 そして、最後の六神通の漏尽の段階で、正覚へと到達する。

◎煩悩破壊

 そして、その正覚へと到達した段階で、何をなせば煩悩破壊できるのかをは
っきりと理解する。これが覚者の段階なのである。


            向煩悩滅尽多学男の五つの具足

◎向煩悩滅尽多学男の五つの具足

 向煩悩滅尽多学男の五つの具足。向煩悩滅尽多学男は、五つのものを具足し
なければならない。それは、戒、サマディ、智慧、離解脱、離解脱精通見解で
ある。では、この五つとは何であろうか。

◎戒

 まず第一は戒である。この戒により、堕落したわたしたちの心、言葉、そし
て行為をコントロールする。これが第一番目である。

◎サマディ

 次は、それによりサマディへと入り、高い世界の経験を始める。これが第二
段階である。

◎智慧

 第三段階では、それによって、いろいろな高い世界の神秘的な体験を始める。
これが第三番目の智慧である。

◎離解脱

 そして第四番目は、その智慧の最終地点において、漏尽精通智に至り、離解
脱へと至る。

◎離解脱精通見解

 そして、離解脱したがために、いろいろな真理を具足できる。つまり、離解
脱精通見解がそこで生じるわけである。

 そして、これら五つのものを具足しているもの、これを覚者というのである。


         参考文献  タターガタ・アビダンマ 第二誦品
最終更新:2016年05月28日 19:46