#137/999 資料室
★タイトル (MQM47158) 92/ 2/ 9 8:10 (190)
オウム真理教の修行と理念1 ウパティッサ
★内容
オウム真理教ネットより転載
オウム真理教の修行と理念
◆現代人の幸福感
幸福-はるかな昔からだれもが求めてやまない光。様々な価値観が存在し、それ
が認められている現代においては、この”幸福”という言葉の指すもの、それはま
さに千差万別です。
しかし、多岐にわたるように見える現代人の幸福感も、その根本を見るなら地位
・名誉・恋人・家・車・と「欲望の対象を手に入れ、それをいつまでも自分のもの
にしておくこと」という1つに集約することが出来るのではないでしょうか。つま
り、外側に何かを求め、それが満たされたとき幸せだと感じる、ということです。
自分の欲求するものすべてを得て、それをつなぎ止めておくことができるなら、確
かにそれは素晴らしい幸福に違いありません。
◆襲いかかる苦しみ
しかし-少し考えたらおわかりになるように、これはなかなか難しいものです。
いえ、難しいどころでなく、はっきり言ってしまうならばあり得ないことなのです。
なぜなら、まず第一に、望むものが大きければ大きいほど、多ければ多いほど、
それを手に入れることのできる確率はどんどん低くなっていくからです。また、そ
れほど大したことではなくとも、自分の思うとおりにならないことはたくさんあり
ます。「あの大学に行きたいのに行けない」「あの人が好きなのに好きになってく
れない」-これは、あなたの周りでもよく耳にすることでしょう。
また、もし運良く得ることができたとしても、それはいつ自分の手からこぼれて
いってしまうかもしれません。そういうことは、世間では頻繁に起こることです。
加えて、今まで自分に幸福感を与えてくれていたものを失うということも十分あり
得ることです。自分の美貌を誇っている女性が、人間ならばだれしも避けられない
「老い」というものに直面したとき味わう苦悩は、想像に難くありません。今まで
健康を自負していた人が、突然不治の病にかかったら、その苦しみはどれほどのも
のでしょうか。
たとえ、何とか生きている間はその幸福をつなぎ止めることができたとしても、
死の瞬間には、自分がそれまでずっと愛着してきたものを有無を言わさずはぎ取ら
れるのですから、その心の痛みは恐らく耐え難いものでしょう。死ぬときにはだれ
でも何も持っていくことはできないのですから。
◆無常の超越
-「無常」。この世のすべては必ず滅し、永遠に存在するものなど何一つありま
せん。死を前提とするとすべては無常です。そして、この真理を背景として物事を
見ると、この世に本当の幸福は存在しません。楽を求めることが結局苦しみにつな
がります。
2500年前、覚者サキャ神賢(仏陀釈迦牟尼)は、この無常をお説きになりま
した。諸々の衆生は、自己が積んだカルマ(業)にとって、様々な世界を輪廻転生
するが、無常という法則はどこに転生しようと逃れられない絶対的真理であると。
しかし、もし輪廻を超えられるなら、その無常を超えられると。よって、輪廻を超
え、絶対に壊れない永遠の自由・幸福を得ること、これこそが最高の幸福(解脱)
であるとおっしゃたのです。
そして、現代。激しい修行によって覚者サキャ神賢と同じステージに立たれた麻原
彰晃尊師が、オウム真理教において同じ真理を説かれています。原始仏教を土台を
土台として、あらゆる宗教、ヨーガの本質的なものを包含し、すべての魂を輪廻か
ら脱却させ、絶対自由・絶対幸福・絶対歓喜の空性、マハー・ニルヴァーナに導く
ための法(ダルマ)を展開しておられるのです。
◆なしたことは必ず返る
ここで、こんな問がでてくるかも知れません。
「カルマや輪廻と言われても.....。今一つよくわからない。」と。
この「カルマの法則」と「輪廻転生」は、オウム真理教の教義における最も基本的
で重要なものの一つです。一つずつ、簡単にご説明しましょう。
「カルマの法則」とは、わかりやすく述べれば「自己のなしたことは、善いことで
あれ悪いことであれ必ず返ってくる」という教えです。例えば、自分のみに悪いこ
とが起きた場合、それは過去、あるいは過去世において自分がなした悪行が結果と
なって現れたことにすぎないということです。これを言うと、「おかしい。そんな
ことはない。だって、悪いことをしたって、のうのうと生きている人間もたくさん
いるじゃないか。」とおっしゃる方がおそらくいらっしゃるでしょう。確かに表面
だけをとらえればそう見えることもあります。
ここでもう一つ説明しなければならないのは、普通-特に現代では-今生で積ん
だカルマのほとんどは、今生では返ってこないで、来世に現れてしまうということ
です。
ちょっと考えてみて下さい。私達は、生まれたときから既に不平等な条件のもと
にあります。ある人は大金持ちの家に生まれ、ある人は貧しい家に生まれます。あ
る人の身体は健康です。このように、生まれた瞬間から個体差が存在するというこ
とは、人間の力の及ばない何らかの法則が働いているとしか考えられないのではな
いでしょうか。そして、まさにその法則こそが「カルマ」なのです。
このカルマの法則は、先程も述べたように覚者サキャ神賢もお説きになりました。
いえ、覚者サキャ神賢だけでなく、ティローパ、ミラレパ、(いずれもチベット密
教の成就者)、シャンカラ、パタンジャリ(ヨーガの成就者)など聖者として名を
残している人々は、一人の例外もなくこの教えを説いているのです。確かに現代の
一般の人々には、目に見えないものですからなかなか信じ難いことでしょう。しか
し、修行者は皆口をそろえてカルマは実存すると断言します。なぜなら修行をして
いくと、ヨーガ理論でいうタマス(物事の現象化を遅らせる愚鈍なエネルギー)が
取り除かれていき、サットヴァ(すべてのものを照らし出す善性のエネルギー)が
活性化され、その結果カルマが早く返るようになりその存在を実感できるようにな
るからです。たとえ否定しようとも「カルマの法則」は歴然と存在しているのです。
◆輪廻転生
-そして、そのカルマによって、人は死んだ後自らにふさわしい世界に行きます。
そこで生を受け、時か来れば死に、また次の世界にカルマに従い転生するのです。
これが「輪廻転生」です。
この輪廻転生観については、人によって賛否両論いろいろあります。しかし、例
えばチベットの政治・宗教上の指導者であるダライ・ラマ法王のように輪廻転生を
証明するような実例が数多くあり、また死後の世界が存在しないことを実証した人
はいまだかつて一人もいないことから「輪廻転生はある」と考える方が自然でしょ
う。
◆功徳とは?
では、善業とは何でしょうか。善業とは、功徳と言い換えることもでき、悪業と
正反対のものを指します。つまり、「エゴから離れた、他を利する行為・言葉・心
の働き」のことをいうのです。
わかりやすい具体的な例としては、財施・安心施・真理施という「三つの布施」
が挙げられるでしょう。
初めの財施は、文字どおりお金や物を施すことです。これは公共施設に対する布
施や、貧しくて食べられない人に対する布施、真理の法の体現者やその団体への布
施などいろいろなものがありますが、真理に対する布施が最も功徳となるといわれ
ています。
次に安心施は、他に対して安らぎを施す布施です。これも、他に対して安らぎを
与えるときの自分の状態によって効果が違っています。苦痛がないとき他に安らぎ
を施してとしてもあまり功徳になりませんが、苦しくてたまらないとき、それでも
他の苦痛を取り除いてあげたならば、それは大きな功徳となります。
そして、最後の真理施は、真理の法を他の人に伝えるという布施です。これは、
三つの布施の内で最もレベルが高い布施です。
これらの布施は、エゴから離れた行為であるため、煩悩を弱め、心を軽く明るく
し、精神レベル・霊的レベル共に高い次元に結び付ける働きがあるのです。
◆最高の修行法
先程述べた「十悪」のところで、気付かれた方もいらっしゃるでしょうが、現代
社会に生きる私達は知らない間に膨大な悪業を積んできました。その悪業を滅し、
功徳を積み、自己の行為・言葉・心をできるだけ高い世界の魂のものと同じレベル
まで引き上げる。そして、最終的には二元の世界を超え、絶対的世界マハー・ニル
ヴァーナに到達する-これがオウム真理教の修行の基礎となる考え方です。
そして、オウムにはそれを可能にする様々な修行法が存在しています。功徳を積
み、修行の土台を作るバクティー・ヨーガ。各種のアーサナ、プラーナーヤーマ、
ムドラー。数においても、またそのレベルの高さにおいても世界で並ぶもののない
瞑想技術。これらは、原始仏教、チベット密教、ヨーガなどの伝統的な修行をべー
スに、激しい修行によって最終解脱を果たされた尊師ご自身の体験を加え完成され
たものなのです。
この修行に熱心に励んだ麻原尊師の多くの弟子達は、実際にいろいろな心の体験
、霊的体験をしています。彼らは皆、修行を始める以前は一般の人々と同じように
いろいろな煩悩によって苦しんでいたのですが、尊師の的確な指導によって少しず
つ心を透明にしていったのです。
◆”人間を超えた”者達
オウム真理教では、マハー・ニルヴァーナに到達する最終の解脱までに七つの段
階があるとしています。仏典の言葉を使えば「八解脱」のプロセスです。
1、ラージャ・ヨーガ
2、クンダリニー・ヨーガ
3、ジュニアーナ・ヨーガ(マハー・ムドラー)
4、大乗のヨーガ
5、アストラル・ヨーガ
6、コーザル・ヨーガ
7、最終解脱
ラージャ・ヨーガ、クンダリニー・ヨーガ、マハー・ムドラーがそれぞれ仏教で
いう第一解脱、第二解脱、第三解脱に相当します。そして、このマハー・ムドラー
の成就に至って、仏典における「供養値魂(阿羅漢)」の境地-一切の煩悩を止滅
し、個における完成を得、欲界を超えることができるのです。
現在、麻原尊師の導きにより誕生した成就者は、大乗のヨーガ二名、マハー・ム
ドラー十名、クンダリニー・ヨーガ百名、ラージャ・ヨーガ百六十名。まさに驚異
的な数です。ラージャ・ヨーガの成就者でさえ、数百万の修行者がいるインドでも
、十年間に一人とか二人しかでないのですから。
この奇跡は、麻原尊師の個々のカルマを完全に見切った指導、素晴らしい修行体
系、そしてイニシエーションの賜に他なりません。無始の過去から輪廻をさまよい
続けてきた私達が、このような素晴らしいグル(宗教的な指導者)に巡り会い、成
就する可能性は本当にわずかなものです。彼らは、千載一遇のチャンスをものにす
ることのできた最も幸運な魂だといえるでしょう。
#138/999 資料室
★タイトル (QAA11022) 92/ 2/11 3:21 (153)
オウム真理教>東北大学講演1 J.HOSHI
★内容
「自己を超えて神となれ!」 1991年11月3日
◎統制経済後の解放経済
今日は「自己を超えて神となれ」という命題について、これから皆さんと一緒
に検討していきたいと思います。
この「自己を超えて神となれ」、これは、今から二十一世紀に向かって、この
日本がどのような方向に向かうのかとも重要な関係のある命題だと考えています。
なぜならば、資本主義対共産主義の対決、つまりルソーから始まった解放経済対、
そしてマルクスによって確立された統制経済の対決は、皆さんもご存じのとおり、
ソ連邦の崩壊といった形で解放経済の勝利に終わったと。
これが、次の段階でこの解放経済の中に二つの種が現われると。まあ、実際は
現われるというよりも、二つに分化されると。その一つは、物質主義の権化の生
き方をする魂と、そして、物質主義は物質主義として肯定しながら、その上に乗っ
かり、精神主義に至り、そして、より高い智慧・智性を得る生き方をする魂と。
この二分化されると。
◎キリスト教的立場から見た預言
で、これは、キリスト教などでは「最後の審判」といった形で、この二分化さ
れた魂が、小羊として山羊といった形で表わされ、まあ山羊はすべて地獄に落ち
るんだという一節ですべてを表わしていると。
この解放経済の後の預言は、実は、皆さんもよく知っている、『新約聖書』の
中の「ヨハネの黙示録」の中に詳しく内容が解かれていて、これは、実際はかな
り示唆的な内容であるから、わたしたちにはあまり理解することができないかも
しれないけど、それをよく読み、そしてその一つ一つの謎を解くならば、その選
別の時は近づいているんだということが理解できるはずである。
例えば、例を挙げるならば、ベルリンの壁ができあがった時代からちょうど四
十二年後、つまり一九九〇年に、皆さんも知ってのとおり、大統領制、そしてソ
連の最高会議がかなり弱体したと。で、共産主義体制が崩壊の兆しを見せたと。
まあ、これは預言どおり、四十二年後であったと。
とするならば、次に来るのは、中国の、同じように共産主義の崩壊、これは、
おそらく来年から数年間の間に起きるでしょうと。そして、その次に、今わたし
たちが想像している以上の災害が起き、そして人類のある部分は滅亡の方向へ向
かうんだと。これがキリスト教的立場であると。
◎仏教的見地から見た生
仏教の見地から話をするならば、仏教というのは、もともとこの人生の喜びに
重きを置いているわけではない。つまり、生、生きているということに対して重
きを置くのではなく、この生はあくまでも次の死のための準備であるというよう
な考え方をするわけだから、いかに人類が滅亡しようと、カタストロフィーが起
きようと、そういうことはいっさい関係ないと。それに対する準備は、日々しっ
かり行なっていれば、全く問題はないはずであるという見解を採っていると。
これはちょうど、キリスト教的な発想からいくならば、一夜漬け的な勉強と。
仏教的な発想というのは、日々努力し培ったもので勝負するということになるわ
けである。
◎預言の活用の仕
ところで、これらの預言、これらの預言は、活用の仕方によってはわたしたち
の人生を豊かに幸福にしてくれるし、もし活用の仕方を誤れば、ただ単に不安を
増大させるだけのものになってしまうと。
では、どのような形で活用するのかと。それは、カタストロフィーが起きよう
と起きまいと、そういうことはお構いなく、まあ一応起きるんだろうなという仮
定のもとに、淡々と自分地震の心を成熟させ、そしてスピリット、霊性を成熟さ
せていくと。これを培っておくならば、たとえ世紀末に何が起きようと、あるい
は起きまいと関係なく自分の目的を達成することができると。
それはちょうど、例えば高校から大学に入るとき、基本的な数学、あるいは物
理といったようなものを日々学ぶことにより、そして、自分自身が例えば大学に
入り、理系の勉強をより速やかに進めるという目的のもとに用意をしている人の
生き方と大変類似している。
ところで、そうではなく、もし、ただ単に世紀末にカタストロフィーが起きる
んだという脅迫観念に襲われるならば、その人の生き方は悲惨なものとなろう。
なぜならば、これは皆さんもよく知ってのとおり、恐怖というものは精神の集中
を妨げ、そして、その精神の集中を妨げるがゆえに、今なさなければならないこ
とに対して集中することができず、結果的には自分の実力を発揮できない状態で
その時期を迎えなければならならないからである。
◎仏教とキリスト教の包含関係
ところで、なぜわたしが今日「自己を超えて神となれ」という命題を皆さんに
提供したかというと、これは仏教にしろキリスト教にしろ、教えている内容は一
致していると。ただ、その教えている内容の包含関係が、仏教の中にキリスト教
の教えというものがすべて含まれるのであるということを理解できれば、結局、
宗教というものは、いや真理というものは一つの体系なんだなと。
そして、それさえ実践すれば、キリストのように、あるいは仏陀釈迦牟尼のよ
うな、偉大な心と偉大な精神と、そして偉大な神秘的な力を有する魂になること
ができるんだということをお話ししたかったからである。
◎『聖書』における堕落天使
では、その世界観について検討してみよう。
まず、『聖書』においては、「堕落天使」という言葉が出てくる。この堕落天
使とは、仏教でも同じ言葉、例えば意識堕落天だとか、あるいは戯れ堕落天だと
かいう、この愛欲の世界の神々のことをそう表していると。で、この堕落天使は、
父なる神の使いであると。で、この父なる神の使いとは何かというと、この父な
る神とは、神聖世界、仏教的な言い方をすれば、神聖世界----神聖世界とは、性
欲や食欲を完全に滅した神であるというわけだけども----その神聖世界の「御使」、
使いとして登場してくる。
そして、この意識堕落天使、あるいは戯れ堕落天使、キリスト教でいう堕落天
使に至るための、まず修行というものは、わたしたちが日々聖者に対して布施・
奉仕等の功徳を積むことによって、そこへ至ることができると説かれている。
例えば、これは、『聖書』の一節を借りるならば、わたしの弟子に対して水一
杯でも施した者は、来世神の世界へ生まれ変わると。まあ、もちろん、水一杯施
したぐらいでは神の世界へ至ることはできないだろうが、そのような心を持ち合
わせているならば、神の世界へ至ることができるということを説いているのであ
る。
◎仏教における最終までの段階
同じように、仏教においても、まず修行の第一歩は布施から始まる。この布施
は、まず食事の布施、そして座具の布施、敷物の布施、寝具の布施、それからあ
と住まいの布施といったようなものが推奨されている。これらはすべて、神聖世
界へ至る、あるいは他の神々に至る仏教徒のために説かれた教えである。
これらの教え、これらの教えをもししっかりと実践するならば、わたしたちは
堕落天使の世界へ入ることができる。皆さんは、この堕落天使という意味が理解
できないかもしれないが、要するに、まだ煩悩を有している天の神々であるとい
うふうに理解していただいたらよろしい。
そして、この堕落天使から一歩進んだ修行をする。つまり、煩悩を捨断するこ
とにより、しかし生存に対する欲求を持ち合わせた魂は、形状界の世界へと入っ
ていくと。この形状界の世界が、例えば父なる神であったり、あるいはアラーで
あったりするわけである。つまり、あなた方も、そのような父なる神、あるいは
アラーに至ることができるということを仏教では説いているのです。
この形状界へ至った魂は、そこで宇宙の創造・破壊という担当をすることにな
る。そして、その宇宙の創造・破壊といった担当をし、その状態において、生存
の無意味性、これを悟った魂は、そこでもう一段階、生存に対する欲求というも
のを完全に超え、そして、非形状界、心の本質の世界へと入っていくと。
この形状界には十七段階あり、そして非形状界には四段階あるわけだが、この
四段階の心の世界を通過し、心の本質そのものが、結局わたしたちを苦しめるん
だと理解した魂は、そこから経験認知滅尽、つまり、すべてを完全に空にした本
質の世界----これは、ヨーガではアートマンといっているわけだが----その本質
的な世界へと没入するのである。
これが、仏教、ヨーガ、あるいはキリスト教、『旧約聖書』等を通しての統一
した世界観である。そして、これ以上の世界観は存在しないし、またこれ以外の
真の世界観というものも存在しない。ということは、わたしたちが何をなせば本
当に幸福になり、何をなさなければ幸福にならないのかということが、おのずと
見えてくる。
◎五つの愛欲の構成要素
例えばである。皆さんが最も欲しがっている集中力、この集中力というのは、
皆さんも経験があると思うが、雑念によってその集中を阻害されると。
では、この雑念とは何かというと、これは五つの愛欲の構成要素ということに
なる。
例えば、それは、スタイル、あるいは顔に対するとらわれであったり、あるい
は感覚に対するとらわれであったり----この感覚というのは、グッドフィーリン
グだけではなく、バッドフィーリングもそうであるが----であったり、あるいは、
第三番目にイメージに対するとらわれであったり、あるいは自分自身が過去にお
いて経験したことに対するとらわれであったり、あるいは識別に対するとらわれ
であったりすると。
この形状-容姿、つまり、スタイルや顔、そして感覚、イメージ、経験、そし
て識別----まあ、識別というのは判断だね。例えば、美しい醜い、あるいは、痩
せている太っている、あるいは、熱い冷たい、あるいは、おいしいおいしくない
といったようなそういう識別----これらの五つの愛欲の構成要素がわたしたちの
心の中に強く浮いてくることにより、わたしたちの集中は途切れてしまうと。
もし、これらの五つの要素が浮いてこないような方法があるならば、わたした
ちは集中を続けることができる。そして、この集中を続けることができることに
よって、わたしたちは偉大な力を発揮するのである。
ID:QAA11022 J.HOSHI
#139/999 資料室
★タイトル (QAA11022) 92/ 2/11 3:25 (151)
オウム真理教>東北大学講演2 J.HOSHI
★内容
◎集中の長さとステージ
仏教やヨーガにおいては、その人の心のステージを集中の長さによって規定し
ている。その基準は、二十分、四十分、一時間、三時間、三時間以上といったよ
うな分け方をしている。このときの集中というものは、その二十分の間いっさい
雑念のわかない状態、あるいは四十分の間いっさい雑念のわかない状態、あるい
は一時間の間いっさい雑念のわかない状態、あるいは三時間の間いっさい雑念の
わかない状態なのである。
そして、三時間以上誠心集中ができた場合、そのとき呼吸は停止し、そしてこ
の肉体から心の本質は離脱すると。心の本質が離脱することにより、この人間の
世界の要素だけではなく、他の世界の要素を経験することができると。
経験することができるがゆえに、確信が出てくると。わたしの生まれてくる前
はこうで、死後はこうなると。そのために、わたしは何を実践しなければならな
いのか、あるいは何を実践することによって苦しみ多き来世が待っているのか、
あるいは、苦しみ多き今生の未来が待っているのかということが理解できるよう
になる。
つまりすべては、「精神を集中する」、この一言に尽きるわけである。そして、
その精神を集中させるためのいろいろな技法、これが仏教による教えであり、あ
るいはヨーガによる教えであると考えたら、よく理解できるはずである。もちろ
ん、ここに完璧な、例えば船を造る場合、その完璧な船をもともと昔造ったこと
のある人の設計図を借りてき、そのとおりに造るという方法が一つある。
これは、今オウム真理教が、まず船を造り、その後に世界の聖者方がどのよう
な船を造ったかの図面を持ち帰り、その図面を正確に復元している作業を行なっ
ているわけだが、それはそういうことである。これが、第一の方法である。
第二の方法は、自分自身で図面を解読することはできないから、その図面を解
読することのできる人の教えを多く聞くことにより、自分自身でできるところか
ら図面を書き、そして、船の制作に入るという方法である。
そして、第三番目の方法は、とにかく、自分にできる範囲内でその船の模造品
をつくり、そして、とにかく走るということである。
これが、真理勝者、多学見解の修行者、そして独覚の修行者ということになる。
この三つのタイプのどの道を選ぶにしろ、少なくとも皆さんが、これらの偉大な
教えに触れ、そして今の生き方をより良く発展させていただくならば、それは、
わたしが今日皆さんとこのような形でお話をできる機会を設けていただいたこと
に対して、大変喜びとして神々に対して感謝することができるのではないかと思
います。
はい、それでは、質問に移りましょう。
【質疑応答】
◎学校の勉強と修行の関係
(質問者A)僕は高校生なんですけれども、毎日学校とかで勉強していることっ
ていうのは、麻原さんのおっしゃる修行においては意味があるもんなんですか。
(尊師)修行に対して意味があるかどうかというのは、高い知性を有すればそれ
だけ高い理解力を有することができるわけだから、マイナスであるとは思わない。
ただ、教科の内容そのものにもしズレがあるとするならば、それが間違った観念
を形成することになるから、そこのところは選択の余地があるということだね。
だから、勉強というものを一つの土台として集中力を身につけるということにポ
イントを絞って勉学に励むならば、決してマイナスではないと思います。
(質問者A)どうもありがとうございました。
◎表層意識・潜在意識・超潜在意識
(質問者B)よく酔っぱらうと意識がなくなる人がいます。例えば、自分がどん
なことを話したか覚えてないとか、どうやってうちに帰ったか覚えてないとかい
うことですが、それは心霊学的に見たらどういうことでしょうか。
(尊師)人間の意識の層は、大きく分けて三層に分けることができます。それは、
表層意識、それから潜在意識、超潜在意識といわれるものです。そして、わたし
たちが通常”わたしである”と考えているものは表層意識であるわけだが、しか
し、わたしたちを動かしてるもの、例えば衝動的行為等は、表層意識ではなく潜
在意識の影響を受けています。
そして、この酔っぱらっているときには、この潜在意識が活動を始めると。例
えば、わたしたちが生まれ変わりをするときの中間状態に入った場合、つまり死
から次の生へ至るときの状態、このときにも潜在意識が働きます。つまり、酔っ
ぱらっているときと、その転生を繰り返すときの意識というのは、大変似ている
ということになる。
今の質問の中で一つ面白いポイントがあるんで、それについて少し説明をした
いと。それは、例えば全く意識してないで例えば家に帰る、あるいは酔っぱらっ
た後にいろいろしゃべるという人がいるわけだが、この人は明らかに他から見れ
ば生きてるわけだし、そしてしっかりと活動してるわけである。
これと同じように、わたしたちの死後も同じ現象が起きると。つまり、表層意
識の止滅の後、潜在意識へと移行し、そして死から生へのプロセスのときにはっ
きりとした意識状態に到達するわけである。ところで、ここで一つ付加しておか
なければならないことは、この表層意識が止滅し、潜在意識に入ったとき、それ
は酔っぱらったときにもそうだが、その潜在意識に入ったとき、その状態という
ものは、その人が瞑想体験によって潜在意識に自由に入ることができればはっき
りと覚えているものです。よろしいでしょうか。
(質問者B)わかりました。ありがとうございました。
◎マルクス主義と新興宗教
(質問者C)わたしは、この東北大学で、学生運動のはしっこで闘ってる者なん
ですけど、いわゆるマルキストっていうか、マルクス主義の人たちは、新興宗教っ
ていうのを一般に否定するわけですけど、そんなにも僕自身は、まだ海のものと
も山のものともわからないと。それで、どれだけのものを持ってるのかっていう
ことを、今日ここで少し参考にできればと思って聞きにきました。
それで、今日話されたこととちょっとズレてるっていうか、今日聞きたかった
こと、全然話していただけなかったんでズレてるかとは思うんですけど、今日話
されたのは個人的な修行による個人の集中力、まあすなわち充実感だとか、そう
いうふうにいった幸福っていうものですかね、そういう個人の、修行して幸福に
なるという、そういう個人的なことしかお話しにならなかったと思うんですけど、
僕らとしては社会を対象にしているわけで、僕の考え方では、個人の幸福ってい
うのは社会体制とは無関係にいられない、社会体制が悪ければ個人の幸福ってい
うのはあり得ないんじゃないかと、そういうふうに考えてるわけです。
で、例えば、この前っていうか、あまり皆さん知られないかもしれないんです
けど、日雇い労働者の方が九月の十七日かに千葉の松戸で、台風の何号かで水が
増水してるにもかかわらず仕事を続けろってこと言われて、それで七人が溺死し
てるんですよね。
で、いったい、オウム真理教っていうか、麻原氏の考え方によっては彼らの幸
福っていうのはどうやって得られるのか。で、その問題と僕ら自身の問題ってい
うか、僕ら自身も日々ね、受験勉強だとかから、まあ僕はもう四年生なんで同僚
の連中が全く新聞とか読む暇もないっていう、今、世の中何起こってるのかって
いうことさえ知らない、知り得ないっていう、そういうふうな環境に置かれてる
わけですけど、この環境を変革することなくして修行だけで果たして幸福が得ら
れるのか、こういうことをお伺いしたいと思います。
(尊師)結論からいうなら、できますと。それはどういうことかというと、まず
一人一人の意識改革がなされない限り、全体の革命はできないとわたしは思うん
だけど、それはどうかな。つまり、社会的にいかに今の権力とぶつかり合ったと
しても、それははっきりいって、ものすごい力対小さな力のぶつかり合いで、結
局もみ消されてしまうと。それだけではなくて、社会は多くの情報を流す権利を
与えられていると。
よって、例えばあなたの思想が正しいとしても、その思想が日本全体に浸透す
ることはなかなか難しいと。ところがだよ、個々に、もしその個人個人が意識革
命していって、例えばすべての魂のために生きるんだという、まあこれは大乗の
思想という思想があるわけだけど、そこに根づいた場合、つまりそれに気づいた
場合は、その人たちは少なくともその周りの人たちに対して、何らかの干渉、干
渉という言葉は正しくないね、何らかのいい影響を与えることができると。そし
て、その個人個人がそういう形で変化しない限り、今の物質社会からより高度な
社会形態への以降はできないと考えるわけだけど、それについてはどう思います
か。
(質問者C)いや、そのとおりでしょう。
(尊師)うん、だよね。だから例えば今実際のところ、ロシアが求めているもの
は宗教なんだよね。で、なぜ宗教なのかというと、マルクス主義が一応崩壊した
と。で、理想社会をつくるためには、どうしてもそれを支えるだけの偉大な宗教
が必要であるということをいってるわけです。まあ実際に、いくつかの教団が入
り込んで布教を始めてるわけだけど----まあもう少ししたらおそらくオウム真理
教もそうなると思いますが、それは先程言ったとおり、結局個人個人、一人一人
が高い意識状態、要するに神の意識状態に至らない限り、この世の中を神の世界
に変えることはできないんだということなんだよ。
だから、例えば、その先程の労働者七人の方、これは確かにかわいそうな方だ
と思います。しかし、そういう問題というのはたくさんあると思うんだよね、日
本では。どうかな、それは。
(質問者C)まあ、それはたくさんありますけど・・・。
(尊師)だよね。つまり、一つずつ、それに対して対処していらっしゃる方々っ
ていうのは、確かに犠牲的な精神を持ってそれはそれで素晴らしいと思います。
しかし、オウム真理教の方向性というのはそうじゃなく、一人ずつがそういうこ
とに対してしっかりと考えられる智性だとか、あるいはそういう現象を起きなく
するようなそういう力とか、智性とか得るために修行をしてるんだというふうに
考えてください。そして、その方がわたしたちは早いと考えてるわけだよ。理解
してもらえるかな。
(質問者C)まあ、麻原氏が社会変革ってことも目指してるってことをまあ言わ
れたんで・・・。
(尊師)それでね、あなたに、わたしの弟子、これはよく知ってるアパーヤージャ
ハという、青山弁護士という人がいるわけだけど、その人が『理想社会----共産
党宣言から真理へ』という本を書いています。その中に、共産主義に対してオウ
ム真理教はどのようにとらえてるのかということがしっかりと書かれていますか
ら、それをわたしの方であなたに差し上げますので、それを読んでください。よ
ろしいでしょうか。
(質問者C)ありがとうございます。
ID:QAA11022 J.HOSHI
#140/999 資料室
★タイトル (QAA11022) 92/ 2/11 3:28 (180)
オウム真理教>東北大学講演3 J.HOSHI
★内容
◎宗教、そしてオウム真理教の目的
(質問者D)オウム真理教の目的は何であるのか、また、キリスト教、仏教、ヒ
ンドゥー、イスラム、ラマ教等々の宗教を否定したところにオウム真理教はある
んでしょうか。
それとですね、宗教とは何であるのか。人がまだ動物というか、獣の域を出な
いうちは神や仏といった思考は浮かばなかったはずで、その時代、動物たちの恐
れの対象は自然の力でしかなかったわけで、それがいきなり脳の容積が大きくなっ
て思考が深い領域まで入っていくようになったからといってなぜいきなり神仏の
登場があったのでしょうか。そのへんをお聞きしたいんですが。
(尊師)まずオウム真理教は、すべての宗教----ま、といっても、一つの流れに
属する宗教は肯定しています。で、オウム真理教の目指しているものは何かとい
うと、それらの中に統一性があるはずであると。そして、その統一された部分こ
そ真理であるというふうに考えてるわけだね。
というよりも、別の見方をするならば、オウム真理教の教えというのは、今か
ら二千五百年前にお説きになった釈迦牟尼の、サキャ神賢の教えこそすべての教
義を内在しているというふうに考えてるわけです。で、それを証明しようとして
るわけだね。で、これが、だからオウム真理教の存在であると。
で、じゃあオウム真理教の目的とは何かというと、要するにその教義体系とい
うものは、現実に可能な、わたしたちを人間から神にし、そして----まあ、仏陀
というのは実際あるステージであるから、ここではそれを包含する概念として、
十の力を有する魂という言葉を使いますけども----この十の力を有する魂へと人
々を変革していくことを目的としていますと。
で、次の段階で、なぜ動物から人間へ移行したとき云々ってあるわけだけど、
ここで一つ疑問があることは、人間の、例えば大脳イコール、生命体において最
高の容積じゃないわけだよね。それはあなたも知ってると思うけども。例えばま
あ、クジラの大脳の容積は当然人間よりも大きいわけだし、あるいはサル系統の
中にも人間よりも大脳の容積の大きいものはいますと。
で、そこから考えると、大脳の容積の変化によって生じたのではないと。で、
これについては魂の落下のプロセスを正確に説き明かした「創世期経」という経
典があります。で、その経典を現代的にわかりやすく説き明かした『創世期』(
オウム出版)という経典がありますので、それを差し上げますので読んでくださ
い。
それによって、魂がどのような形で落下したか、というのはね----笑ってるけ
ど、それ一つ説明するだけで一時間以上かかっちゃうんだよ。だから、それをこ
こで答えちゃうと皆さんに迷惑がかかるでしょ。それで、ね、差し上げますから、
それを読んでください。ということだね----そうすることによって、もともと
わたしたちは高い世界にいたにかかわらずこうやって落ちてきてるわけであって、
で、よって、ふと気づいたときにまた元の、ちょうどそれは先程、ね、質問にあっ
たように酒を飲んだときに自宅に帰るのと同じように、ふと気づいたときに、い
や、このままではいけないと。元いた自分の高い世界に帰りたいという、ね、心
が生じてそちらの方向に向かうわけだね。いいですか。
(質問者D)ああ、いいですけども、誤解されていた部分があったので、大脳の
容積が増えたからといって、神仏が登場したっつうわけじゃなくて、思考がより
何ていうかな・・・。
(尊師)高度になったということでしょ。
(質問者D)ええ、そうですね。そういうことです。
(尊師)うん。
◎精神と物質の違いと共通点
(質問者E)精神と肉体っていうか、物質との違いと、共通する点をわかりやす
く話していただきたいんで。
(尊師)はい。それは、その話をする前に定義を述べておかなければならないと。
それは、大きく世界を分類すると三つに分けることができると。それは、先程も
述べた、心だけでできあがっている世界と。それから、例えばあなた方が夢で経
験するように、形はあるのだけども触れることができない、あるいは触れたとし
ても実態のない身体と心によってできあがっている世界と。そして、この世の中
のように、粗雑な元素と心と、それから先程述べた幻影の身体と三つを共有して
いる世界。この三つがまず存在します。
そして、まずこの粗雑な世界から説明をするならば、この粗雑な世界を五つの
カテゴリーに分類します。それは、第一のカテゴリーが、固体、つまり固形だね。
第二のカテゴリーが液体と。第三のカテゴリーが熱元素と。第四のカテゴリーが、
そうだね、風、空気----まあ空気といっても気体成分と考えた方がいいだろう--
--で、第五のカテゴリーが空間と。この五つの要素によって形成されていると。
例えば、人間の肉体を見るならば、骨というものは固体に属するし、例えば血
液は二番目の液体のカテゴリーに属するし、例えば体温を発生させるもの、これ
は火のカテゴリーに属するし、例えば呼吸は風、気体のカテゴリーに属するし、
例えば鼻孔とか口腔とかいわれている空間、これはすべて空のカテゴリーに属す
ると。
そして、これらの五つの要素と、そして内なる幻影の身体と、心の構成要素--
--まあ、この心の構成要素というのは、感覚を生起させるもの、つまり感覚を生
じさせるものと、それからイメージを生じさせるものと、それから経験によって
次の行動を起こさせるものと、そして識別、つまりいろいろと判断を加えさせる
ものと。この四つ----が存在していると。
で、この物質的な元素、この固体、液体、熱元素、そして気体元素、そして空
間。これらは、三つの要素から構成されていると。その三つの要素とは何かとい
うと、熱の要素、そして振動の要素、そして光の要素と。この三つから構成され
ていると。この熱の要素、振動の要素、光の要素、これがすべての物質の根本で
あるというふうな考え方を持ってるわけだね。
で、第二の世界、より深い世界に入ると、先程述べた心の構成要素、感覚から
識別に至るまでの要素と、それから形状しかない世界に入るわけだけど、ここで
は熱の要素が完全になくなり、そこに存在するのは光の要素と振動の要素によっ
てできあがった形状と、そして心の構成要素しか存在しないということになると。
そして、最も深い世界、最も心の本質に近い世界は、その振動の要素がなくな
り、光の要素、この光の要素によって心の構成は形成されてるわけだけども、そ
の光の要素のみが存在すると。
そして、最終的な段階では、その光の要素も存在しない状態へ至ると。
(質問者E)は、はい。いや、といいますか、ただ単純に、浮きますよね、なん
かテレビとかで見ると。その、精神が肉体に作用するっていうことは、ある程度
相互作用があるということは、共通点がなければならないと思ったんですけれど
も。
(尊師)いや、だから先程言ったとおり、心の本質が、そのどの要素に影響を与
えるかということなんだよ。先程三つ、三つを五つに分けたわけだけど、その三
つ、あるいは五つをどのような形にしろ影響を与えることができると。
例えば、ここは東北大学だから、あんまり神秘的な話をしても皆さん信じない
とわたしは思ってるんで、それで、実はかなり、ね、下がって話をしてるわけね。
下がって話をしてるっていうのは、学問的に話をすることによって、今日のとこ
ろはわたしの役目はそれでいいんじゃないかと。っていうのは、深く突っ込んで
学びたい人は、いろいろなオウムの出版物があるわけだし、それは入信すれば済
むことだから。
というのは、もともとここで講演を行なうということは、布教活動をしてはい
けないと。で、布教活動をするとするならば、それは今回担当してくれた、オウ
ム真理教の、この大学にいる信徒さんに大きな迷惑をかけることになるんで、そ
れでわたしとしては下がって話をしてるんだよ。
だから例えば、ね、制約のないところでやるならば、もっと具体的な話ができ
るんだけども。例えばだよ、まあ例を挙げるならば、わたしが君たちの額に手を
触れただけで、君たちの火元素、あるいはエネルギーの流れは変わってしまいま
すよと言っても信じないでしょ。でも、これ実際、先月の終わりに二百五十名ぐ
らいに対して行なったわけだけど、ほとんどの人はその体験してるからね。
だから、そういう具体的な話をすると布教活動になるから、だからやりたくな
いわけだよ、わたしとしては。約束は守らなきゃならないと。
(質問者E)あ、じゃあ、どうもありがとうございます。
(尊師)ごめんなさいね。
◎オウム真理教の理想像
(質問者F)オウム真理教の理想像とはどういうものですか。
(尊師)いや、それはすべての魂が神になることだよ。そして、神を超えて、先
程言った十の力を有する魂へと至ること、これが理想です。で、そのために、例
えば一人で、ね、活動したとしても社会的に広がりがないので、教団というもの
を作って、その教団の組織的な力によってその教えを浸透させようとしています
と。
で、理想としては、その教えがすべての魂に浸透すればそれは理想です。よろ
しいでしょうか。
(質問者F)どうもありがとうございました。
(尊師)はい。
-------
前回の信州大学講演のところに載せられなかったものを、勝手ながらここに入
れさせていただきます。
-------
COLUMN-1
◎尊師と巡り合ってから
信州大学理学部 高橋英利
わたしたち人間は、その本質的な”生”を知らずに生きている。僕は社会を観
察していて、どうしてもそういう見解に達せざるを得なかった。僕のこれまでの
経験によると、人間はただ己の環境に対し反応することしかできていない。それ
ぞれの取り巻く環境に対し、絶対的な自由を獲得できない・・・・。これは、僕にとっ
て根源的な寂しさを感じさせるものであった。
あまりに無力なわたしたちは、時をごまかして生きねばならないのであろうか?
楽しみとして得られるものは、みな一瞬のものであるように感じた。
尊師が信州大学に来られたとき、僕はなぜか淡々と会場に足を運んでいた。質
問を試みるというより、未知のものにコンタクトを取る感覚だった。
講演会では、「僕の知りたいことを、この人は既に説き明かしている!」・・・・
そう直感し、背筋が凍った。
引っかかりは、宗教団体に対する周囲の懐疑心の存在だったのだが、これに対
しては、尊師の横に座る高弟のミラレパ正悟師の姿を一瞥し、そういった観念が
わいたことに恥ずかしさを感じた。また、その後のアーナンダ師との面談は、ま
さに僕に確信を与えてくれた。
最初の十日間は”やっと見つけた!”という歓喜状態でいっぱいだった。僕を
導いてくれた、尊師とアーナンダ師と大橋君が夢に出てきて、僕は必死に彼らに
追いつこうとしていた。
僕にとって、尊師に巡り合ったこの十一月一日は忘れられない日になりそうだ。
早速オウム真理教に入信した僕は、十一月十日は、尊師による五大エレメント
のイニシエーションを受けた。この日から、尊師に対するイメージはいっそう強
くなり、心がさらに軽くなる感覚を得た。今までの様々なわだかまりが一つ一つ
落ちていくのを感じた。僕は、だんだんこの喜びを皆にも体験してもらいたいと
思うようになってきた。
十二月十日、僕の体験を聞いた友達が入信した。この日の夜、僕は神秘的な体
験をした。
尊師に巡り合って以来、とてもはつらつと生きている。僕は宇宙を見据える観
察眼を養うためオウム真理教に入信し、修行をしていくつもりだったが、アーナ
ンダ師の説法を聴き、その生き方を見、人としての現象界でのあり方を再び思索
し始めた。
まさしく、僕の現世での生きる基盤を尊師は説かれている。僕に残る問題は、
修行についていけるか否かである。あとは、俗世間に没しないように努力してい
くしかない。
-------------------------------
以上 麻原彰晃の世界PART11
「自己を超えて神となれ!」より
ID:QAA11022 J.HOSHI
#141/999 資料室
★タイトル (MQM47158) 92/ 2/11 9:58 (147)
オウム真理教の修行と理念2 ウパティッサ
★内容
それでは、この「解脱」とは果たしてどのようなものでしょうか?
ここで、解脱者の心の状態がいかに素晴らしいものであるかを少しでも知ってい
ただくために、麻原尊師の高弟達がマハー・ムドラーの成就に至った際の生の声を
ご紹介しましょう。
「例えば、性欲・食欲のように根本的なものについて言うと、性欲も働き出さない
状態、働きかけない状態になっているんです。エネルギーとしてはあるんだと思う
んですけれども、性欲自体わからないんですね。何を見ても、例えばどんな人と接
しも。だからこそ、平等心というのが養われていくと思うんですけれども。食欲に
ついても同じです。食べても食べなくても、大丈夫な状態になったみたいですね。
出されれば食べますけれども、次に食べなくても済む状態。そして、食べることが
苦であると、自分の根本的なものが知っているようなので、食べてしまっても次に
求めない状態になるようです。これについては、自分を見つめていけばもっともっ
とわかると思うんですけれども。
それからあと、闘争心と嫉妬心ですね。これがスパッと切れてしまったのは本当
に私にとっても、うれしいことでした。何に対しても敵意がわかない。目標にした
い人とか、うらやましいなと思う環境の人とかいますけれど、純粋にその人達の素
晴らしい部分を見つめられるようになったんですね。本当に私はうれしいことだと、
今実感しております。
この成就は1週間ほど前のことですが、今になって徐々に自分の状態というもの
がわかってきました。本当に全ての煩悩、苦から離れた状態、それがこんなに楽だ
とは思っていませんでした。今こそ私は本当の幸福を得たと、はっきり言えると思
いますね。まだまだ上はありますけれど、私がクンダリニー・ヨーガで成就をした
ときとは比べものにならないくらい、私は真実の幸福を得たと、私は解脱したんだ
と言い切ることができますね。」
(マハー・ケイマ正大師)
「とうとうマハー・ムドラーの成就はなされたのです!私がマハー・ムドラーの修
行に入ってからまもなく1年が経とうとしていました。
マハー・ムドラーの成就によって真我の独存に達したときこそ、絶対的な境地を
味わうことができるのです。心も不動となりました。心が強くなったことが、私に
とって何よりうれしいことです。あんなに泣いてばかりいた私が、一切動じなくな
ったのですから。
尊師の説かれるオウムの修行は、こんなにも素晴らしい境地をもたらしてくれる
のです。それはクンダリニー・ヨーガの比ではありません。私はサマナ、信徒の皆
さんにも、尊師を信じて修行をし、マハー・ムドラーの成就までは行っていただき
たいと思います。」
(ヤソーダラー正悟師)
「性欲について思索を始めた。その瞬間だった。性欲がズバッと落ちた。
続けてプライドについて瞑想した。すると、思索を始めてすぐに、プライドに対
応するチャクラの辺りに何かがチカッと光って消滅した。そして、強いエネルギー
が昇り、目の前が光で満たされていった。
『煩悩が瞬間的に滅するとは、このことか!』
それまで、どうしても到達できなかったステージだった。極限修行でも、その後
の修行でも、1回も経験することができなかった。前回の極限修行でクンダリニー
・ヨーガを成就したが、それは修行が完成したというわけではない。特に支部での
救済活動など、他人の影響を強く受ける環境では、煩悩を抑え切れずに何度となく
振り回され、自分が自分の思うようにならず苦しみ続けてきた。
しかし、このとき
『煩悩は本当に滅することができるんだな。』
と、私は実感した。それは、私が修行を始めてからずっと求め続け、初めて経験し
た”本当の喜び”だった。煩悩を満たすことによっては絶対に得られない、自分の
すべてが喜んでいる状態だった。」
(マイトレーヤ正悟師)
「修行に入って3日目。突然心が変わりました。つらい修行がつらくなくなり、
喜びに変わりました。同じ部屋で修行をしている師に対する闘争心が消え、みんな
で全力で修行しよう、励まし合おうと言う気持ちが起こりました。救済に対する強
い欲求が起こりました。雑念のない、全く平静な心が現れました。鮮明な意識状態
が連続するようになりました。
尊師から、その意識状態こそ供養値魂の状態、色と空が同一の状態、不死を得た
状態だと教えていただき、改めて、真理の素晴らしさ、2500年前に覚者サキャ
神賢の説かれた真理と同じものが、ただ尊師にひたすらついて修行し続けることに
より、凡夫であった私にも、もたらされたのだという実感、オウム真理教の教義に
対する確信が得られました。」 (マンジュシュリー・ミトラ正悟師)
「今年(90年)の8月、私はマハー・ムドラーの成就をさせていただきました。
その修行の最中、今まで胸の中に秘めていた死というものに対する恐怖が、どんど
んとわき出てきました。私が長い間かかって押し込めてきたものが・・・・。その
修行は、まるでギリシャ神話に出てくる『パンドラの箱』のようなものでした。始
めは恐怖や苦しみといったドロドロとしたものが出てきて、私を悩ませ苦しめまし
た。それは心だけでなく身体をも痛め付けるものだったのです。しかし、その膿み
が出切ってしまったとき、最後にまさしく『希望』が出てきたのです。そして成就。
このとき、私はまさに『死』から解放されたのです。この世の無常から解き放たれ
たのです。 (ミラレパ正悟師)
「煩悩から離れた状態とは、呼吸がほとんどなく、本当に心が軽く、また、自己
の内側から発する光で周りが明るくなるのでしょうか。成就する前の日と1日にし
て、一変して周りの状態が変わって見える、そんな感じがします。苦しみはすべて
自己が作り出してきたものだということが、今はっきり認識することができます。」
(サクラー正悟師)
-煩悩が止滅した寂静の境地。彼らはまさに”人間を超えた”のだと言えるでしょう。
◆幸せをもたらす「神通力」
修行を深めていくと、その者は様々な神秘的な力-「神通力」を持つようになり
ます。そして、心は一層の成熟をきたすようになり、さらなる幸福を得ることがで
きるようになるのです。
なぜ、神通力が心の成熟をもたらすのか-疑問に思う方もいらっしゃるでしょう
が、それについてはこう答えることができるでしょう。
まず皆さんは、覚者サキャ神賢が説いた「神通力」というのをご存知でしょうか。
神足通・天耳通・他心通・・・・などといわれる以下のものを指します。
ジンソクツウ ケショウシン ヘンゲシン
・神足通-空中に浮く力、テレポーテーション。化生身(変化身)を使いこなす力
テンニツウ
・天耳通-天耳界に入って神々や人間の声を聞いたり、普通は聞こえることのない
遠くの音を聞いたりする力
・他心通-相手の心を知る力
シュウミョウツウ
・宿命通-自分や相手の前世を見る力
テンゲンツウ
・天眼通-普通人に見えないものを見通す力
シショウチ
・死生智-その魂のカルマを見て、来世どの世界へ転生するか知る力
ロジンツウ
・漏尽通-自分や人の身口意の業を見て、それによるエネルギーの漏れを知る力
これらの神通を得ることによって、私達は今まで知らなかったことを知り、より
深く物事を理解できるようになります。例えば、宿命通で多くの過去世を知ること
によって、輪廻というものの本当の意見合いがわかってくるようになったり・・・
というふうに。これこそ、神通によってもたらされる心の成熟、つまり魂の進化な
のです。
ものがありのままに見えないがゆえに、私達は選択を誤り、不幸に陥ります。す
べてのものを如実に知ることができるなら、必ずや失敗のない人生を歩くことがで
きるでしょう。
この神通力は、私達に真の幸福を与えてくれる宝であると言えるのではないでし
ょうか。
#142/999 資料室
★タイトル (MQM47158) 92/ 2/14 15:49 (166)
オウム真理教の修行と理念3 ウパティッサ
★内容
◆”七神通”-弟子達の体験談
この七つの神通に関しては、実際に麻原尊師の直弟子がいろいろな体験をしてい
ます。一部をご紹介しましょう。
◎史実に裏付けられた前生夢
「前生夢というものもいくつか見ました。時は中世のイギリス。私はある男と話し
ています。彼は私に、 エッケン エッペイシキ
『自分はヘンリーとエリザベスに謁見した後、閲兵式に臨んだ。』
と話しました。
ここで出でくるヘンリーはヘンリー八世であり、エリザベスはその娘である、後
のエリザベス一世です。しかし、私にはここで一つの疑問が生じました。ヘンリー
八世とエリザベスが一緒にいるということがあり得るだろうか、と。なぜなら、へ
ンリー八世は幼いエリザベスの母である王妃アン・ブーリンを処刑し、エリザベス
の第一王位継承者を剥奪しているからです。しかもその一連のことは、ヘンリーが
新しい王妃を迎えるためになされたことですから、とてもエリザベスがヘンリー八
世と同席するようには思えませんでした。
しかし、後に『滅亡から虚空へ』の原稿のための資料を収集していたときに、偶
然次の一文を見つけたのです。
『ヘンリーはエリザベスを寵愛していた』と。
それを知って私は、その男の言葉に納得を得たのでした。」
(ヤソーダラー正悟師)
◎天耳界から神の声が
「瞑想中に深い意識状態に入っていくと、肉体の感覚がなくなって、自分がどん
どん広がっていったりとか、つぶれてしまったりするような感じになります。
そんな中で、あるとき巨大な水玉になったことがありました。何にもない空間に
自分がいて、それが白くボワーンとした巨大な水玉になっているのです。しかし、
意識が飛んでいるわけではなく、非常に鮮明な状態でした。周りにいる修行者の呼
吸の音まではっきりと聞こえるのです。この状態は、『水元素の崩壊』といわれる
ものではないかと思いました。
その状態からもう少し進んで、水玉でも何でもなくなった状態になりました。空
間があって、ただそれを観察している状態です。ヴィジョンも何もありません。こ
のときに、一体これはどうなっているのかなと考えました。するとどこからともな
く、
『自分の心の状態を見てみろ。』
という声が聞こえてきたのです(天耳界の神の声だそうです)。
そこで自分の心の状態を考えてみると、非常に落ちついているというか、醒めて
いながら寂静の状態になっていることがわかりました。醒めているといっても、普
通に醒めているよりも、もっと醒めているような感じであることに気付いたのです。」
(マンジュシュリー・ミトラ正悟師)
◎離れた人の行動がヴィジョンに・・・・
「あるとき、夢の中でミラレパ正悟師が出ていらして、尊師のお部屋で一緒に食事
をされているのです。その食事をされているのです。その食事というのは、私が実
際に、その夢を見る二、三日前に尊師に供養させていただいたものでした。そして、
夢の中で尊師が、
『サクラーも食べないか。』
とおっしゃってくださったのですが、
『いいえ、これは私が供養させていただいたものですから、私はいただきません。』
と申し上げたのです。
そんな夢を見たその日に、ミラレパ正悟師から電話があったので、夢のお話をお伝
えしたところ、ちょうど私が夢を見ていた時刻、尊師のお部屋で私が供養したものを
召し上がっていたということです。」 (サクラー正悟師)
◎人の心を読みとる
「あるとき、オウムの事務所で、書類についてあれやこれやと書き出していまして、
ふっと『納税』という字を忘れてしまったんですね。いくら思いだそうとしても出て
こない。頭の中でスーッと何かが消えていって、クリーンな状態になってしまった。
だから、私の前にいたKさんに、
『「のうぜい」って、どういう漢字だっけ?』
と聞いたんですね。すると、面白いことにKさんがその字を思い浮かべた瞬間、その
漢字がわかってしまって、彼が教えてくれようとする前に
『ありがとう。わかったよ。』
とお礼を言ってしまっただね。彼は不思議そうな顔をしていた。」
(コーンダンニャ師)
◆カルマを背負って
-素晴らしい心の体験、そして神通力。オウムの修行者は、巷でよく噂になる超能力
者、霊能者とはレベルが違うことがおわかりいただけたでしょうか。これらは皆、経
典に見事に合致する体験なのです。
しかし、忘れてならないことは、彼らとて自分一人の力でこのようなステージを得
てきたわけではないということです。他でもない、最終解脱者麻原尊師の力により、
ここまで到達したのです。
尊師は、解脱を求めて自分のもとに身を委ねてくる弟子には、どんな不出来な者で
も必ずそれを与えようとなさいます。完璧な神通力を背景にして(もちろん、尊師は
弟子が足元にも及ばない神通を持っていらっしゃいます。)、弟子の状態を見極め、
適切な指導を施し、ご自分の神聖なエネルギー移入等により弟子のけがれたカルマを
背負い苦しまれようとも、その者が真の幸福を得るのなら、あえてそれを受け入れら
れるのです。
-「カルマを背負う」。それが、いかに過酷なものであるかおわかりになるでしょ
うか。最終解脱をされ、煩悩を完全に滅尽されている尊師にとって、この人間界の生
き物すべてはけがれています。たとえ、最も高いステージに達した直弟子でさえそう
なのです。エネルギーは、高いところから低いところに流れるため、尊師がそこにい
らっしゃるだけで特に意志されなくとも清らかなエネルギーが発散され、その代わり
に尊師の方に周りのけがれたエネルギー、悪いカルマが移ってくることになります。
ましてや、弟子を引き上げるため意志してエネルギーを与えられているときは、距離
・空間に関係なくそのカルマの交換の激しさは計り知れません。
「(成就のための修行が行われていたとき)尊師は一日中、ひたすら瞑想および供
養法をされているんです。その瞑想によって得られた尊師のエネルギーがあってこそ、
修行している者達の修行が進むわけですが、修行者の人数が多くなってきた頃、突然
尊師に呼ばれたんです。そして、お部屋に入ってびっくりしたんですよ。お部屋の隅
の方に尊師が転がっておられるんです。椅子の傍らに斜めになって。そして、
『わしは動けないんだよ。』
と。
『どうしたんですか。』
とお尋ねしたら、
『まるで呪詛をかけられたみたいに動けないんだ。』
とおっしゃるんですね。
それで、ちょっと修行をしている人たちに修行をやめてもらったら、だんだん元に
戻られたと。それだけエネルギーの交換というのがあるんですね。」
マンジュシュリー正悟師は、その一例をこう語っています。
◆真実の光
「なぜ、そこまでして・・・・。」
ここまで読み進まれた方は、そう考えられるかも知れません。
「最終解脱しているのなら、幸福な世界に安住すればいいじゃないか。」
と。
しかし、尊師は、「輪廻」、この苦しみをだれよりもご存知です。それゆえ、ご自
分の命を注ぎ、弟子達を解脱に導こうとなさるのです。以前の自分と同じように、幻
影に引きずられて輪廻の大海を浮き沈みしている魂に、深い悲しみと哀れみを感じら
れるからこそ・・・・。
「ああ、この魂が、あるいはその魂が、あの魂が、自分の知っている、あるいは自分
の知らない、全ての魂が今の煩悩から脱却し、そしてマハー・ニルヴァーナに入りま
すようにと。早く無智から脱却し、この世が苦悩であるということを悟り、マハー・
ニルヴァーナに入りますようにと。これが、愛の真の意味合いである。」
尊師のこの慈愛の心は、弟子達だけでなく、全ての魂に向けられています。ご自分
が育んだ弟子達が他の苦悩する魂を済度することこそが尊師の願いなのです。
そして実際、その愛に打たれた弟子達は、他の魂にも真理を知ってもらおうと、尊
師の救済活動のお手伝いをしています。マハー・ニルヴァーナのシヴァ大神の祝福を
受けた真理の法輪は、これからも大きく広がって行くでしょう。尊師がこの地上にい
らっしゃる限り-。
本当の幸せ。本当の自由。誰もが求めてやまない光・・・・。
偽りで飾られた現代において、ただ一つの真実の光、それがオウム真理教なのです。
#143/999 資料室
★タイトル (MQM47158) 92/ 2/14 17:37 ( 80)
驚嘆輪廻転生談 ウパティッサ
★内容
驚嘆輪廻転生談(ローマハンサ・ジャータカ)
◆--焼かれ、すっかり冷却されて
これは、尊師がヴェーサーリーの近くのパーティカの園にとどまっておられたと
きに、スナッカタについてお話しになったものです。
あるとき、スナッカタは尊師の侍者となり、衣鉢を持ってさまよっているとき、
武人コーラの法則が気に入り、十力者に衣鉢を返して、武人コーラを頼ることにな
りました。彼が不飲酒天の暗い巨人族の子宮に転生したとき、在家者となって、
「出家修行者ゴータマには、聖なる精通見解を実に特定する人間から超越させる法
則がない。出家修行者ゴータマは、熟考によって案出し、観慧を営み、自ら会得し
た法則を説き示すのである。ある者のために法則を説いても、その人はそれをなす
ことで完全な苦しみの破壊に赴くことはない。」
と、ヴェーサーリーの三つの城壁の中をさまよいながら、尊師を非難したのです。
そのとき、長老サーリプッタは托鉢しながら、彼がこのように非難するのを聞い
て、托鉢から戻り、このことを覚者にお告げしました。覚者はこうおっしゃいまし
た。
「サーリプッタよ、愚かな男スナッカタは怒っている。怒りのために、このように
言うのである。怒りのためだけに、
『その人はそれをなすことで完全な苦しみの破壊に赴くことはない。』
と言い、知らないにもかかわらず、わたしの本質を言うのであり、その愚かな男が
わたしの本質を知らないのは確かである。
サーリプッタよ、というのは、わたしには六神通というものがあるからだ。そし
てこれは、わたしの人間から超越させる法則なのだ。それは、十の能力であり、四
つの確信のある精通であり、四つの発生の固定の精通であり、五つの方向の固定の
精通である。これは、わたしの人間から超越させる法則なのである。
このように、人間から超越させる法則を具足しているわたしのことを、『出家修
行者ゴータマには人間から超越させる法則がない』と、このように言う者は、その
言葉を捨断せず、その心を捨断せず、その見解を拒絶することがないので、連れて
いかれるように地獄に捨てられるのだ。」
このように、自己に存在している人間から超越させる法則の本質をお話しになり
ました。
「サーリプッタよ、聞くところによると、スナッカタは武人コーラの難行である邪
なる苦行に浄信あるそうだが、邪なる苦行に浄信を持つ者は、これとは反対に、わ
たしに浄信を持つはずがない。わたしは今から九十一カルパ前、
『どうしてこの場所に実体があろうか。』
と、外道の邪なる苦行を観慧して、四つの段階を具足した、感官を制御する生活で
ある神聖行をなした。そして、苦行者であり、実に最上の苦行者であった。やせ衰
えた者であり、実に最上のやせ衰えた者であった。回避する者であり、実に最上の
回避する者であった。閑居する者であり、実に最上の閑居する者であった。」
このように覚者は語られ、彼の懇願によって、過去世のことをお話しになったの
です。
その昔、九十一カルパ前のこと、到達真智運命魂は、
「外道の苦行を観慧しよう。」
と言って、禁欲修行者に出家して、裸の行者となって、塵やほこりにまみれ、閑居
し、独りでとどまりました。人間を見ると鹿のように逃げ去り、大変不潔な食物を
とり、子牛の糞などを食べました。そして、不放逸にとどまるために、森の中の、
ある恐ろしい密林に生活したのです。
そこで生活しながら、雪の降る時期には、八日の間、夜は密林から出て、さえぎ
るものがない所でとどまり、太陽が昇ると密林に入りました。彼は、夜はさえぎる
ものがない所で雪と水によって濡れるように、昼は密林から滴り落ちる水滴によっ
て濡れました。このように、昼も夜も寒さの苦しみを経験したのです。
また、夏の最後の月の昼間は、さえぎるものがない所で生活し、夜は密林に入り
ました。彼は、昼さえぎるものがない所で、太陽の熱によって焼かれるに至るよう
に、夜は無風の密林で焼かれるに至り、肉体からは汗がほとばしり放たれました。
そのとき、今まで以前に聞いたことのない、この詩句が思い浮かんだのです。
焼かれ、すっかり冷却されて、
独り恐ろしい林の中で、
裸で火に向かって座らずに、
神賢は願望を追い求めている。
このように、四つの段階を具足した神聖行を行なったので、到達真智運命魂は生
存の終わりの時において、現前した地獄の兆候を見て、
「この記憶実践は、まさしく無益であった。」
と知って、即座にその外道の見解を破壊し、正見解を獲得して、天界に生まれたの
です。
尊師は、この法則を説いて、輪廻転生談に当てはめられたのです。
「わたしは、そのときのその禁欲修行者であった。」
#144/999 資料室
★タイトル (MQM47158) 92/ 2/15 10: 3 ( 29)
オウム真理教体験談 超越神力 ウパティッサ
★内容
超越神力体験談 AHI 立田秀明
其の一
オウム真理教附属医院に、直腸癌の全身転移、脳卒中後遺症で寝たきりの患者さ
んが入院してきました。地獄、餓鬼、動物のカルマがそろっているという意味でも
重症でした。普通の病院では完全に治療の対象外で、せいぜいホスピスしか引き取
ってくれないでしょう。
入院後まもなくカルマの解放が起きたのか、原因不明の急変をきたしました。敗
血症とそれにともなうショック、DIC(全身の細小血管に血栓を生じ、凝固因子
が消費され、出血が止まらなくなる。)、急性腎不全で、高齢であることもあり、
まず助からないであろうと、尊師にも報告しました。考えられる限りの治療に反応
せず、無尿の状態が続いていました。しかし、不思議なことに意識状態は余り変化
せず、呼びかけに対して開眼していました。そこへ尊師から連絡があり、欲如意足
のテープを聞かせるようにとのことでした。これは尊師の声の入った、秘儀の瞑想
テープです。とりあえず指示どうり聞かせたところ、大量の利尿剤に反応しなかっ
た尿量がみるみる増え始め、血圧も安定しだし、翌日にはほとんど回復してしまっ
たのです。その後も何回か、痙攣発作などを起こしましたがそのたびに元気になっ
て行きました。一年後の現在でも癌は消失こそしてませんが、進行もせず歩行訓練
をしています。
其の二
当時、癌の患者さんの治療に追われていた頃、急に尊師より、そろそろ極厳修行
にはいるようにと、知らせがきました。心の準備ができておらず、また自分の弱さ
を自覚していたので非常に不安にかられました。ところがそのとたん尊師から直接
電話があり、
「どうした、心を乱しているじゃないか。しっかりしなさい。」といわれてしま
い、驚き、またおかげですっかり修行への不安感が消えてしまいました。
#145/999 資料室
★タイトル (MQM47158) 92/ 2/15 12:18 ( 30)
オウム真理教 五戒の詩 ウパティッサ
★内容
五戒の詩
作詞・作曲 麻原彰晃尊師
戒め守って高い世界へ 私は進む道を取る
遥かな過去から過ちを 犯し続けて今気づく
自己の苦しみは自己の因
魂守って生きること それは天へと至る道
殺生せずに生きるなら 体の痛みは消え失せる
自己の苦しみは自己の因
人に施し生きること それは豊かな人生を
ちゅう盗せずに生きるなら 貧苦の生活越えられる
自己の苦しみは自己の因
見返り求めず真愛を 振りまくならば幸せに
邪淫をせずに生きるなら 楽しい交友待っている
自己の苦しみは自己の因
真実語って生きること それは願望叶う道
妄語をせずに生きるなら 正しい選択待っている
自己の苦しみは自己の因
正しい生活営むならば 正しい選択身に宿る
飲酒をせずに生きるなら 過ち犯さず幸せに
自己の苦しみは自己の因
#146/999 資料室
★タイトル (QAA11022) 92/ 2/15 12:56 (184)
オウム真理教>約束の大地 ◎ラオス編1 J.HOSHI
★内容
静かなるメコンの流れ----仏教国ラオスの顔
記事/ヤソーダラー正大師
◎ヴィジョンに浮かんだ国----ラオス
ラオス----この、あまりなじみのない国の名を聞いたのは、三月のこと
だった。尊師があるヴィジョンを見られたのだという。(東南アジアのど
こかに、そんな国があったなぁ。)と思いながら、その内容を聞く。驚い
たことに、尊師はそれまで全くご存じなかったラオスをヴィジョンによっ
てお知りになったらしい。それは、
「ラオスという国があるはずなんだよ。」
という言葉から始まった。
「わたしは、そのラオスという国の未来を見てきた。しかし、わたしの見
てきたものについては今はだれにも話せない。なぜなら、大変重大すぎる
出来事だから。ただ、シヴァ大神から、そのとき、『仏教国ラオスへ行く
ように』とのご指示を受けたので、それは実行しようと思う。」
尊師は言われた。また、
「三月のできるだけ早い時期にラオスに行かなくてはならない。」
とも。
早速ラオスについて調べたところ、ラオスという国の存在はもちろんの
ことであるが、まず、尊師の語られたラオスの人々(ラオ人)の身体的特
徴が、現実のそれと一致した。
また、尊師がシヴァ大神から、「ラオスの仏教に協力するように」と指
示されたというこのお言葉の正しさを証明するかのように、仏教徒が国民
の九十五パーセントを占めるほどの仏教国であることがわかったのである。
いつものことながら、尊師の変化身の体験の正確さには素晴らしいもの
がある。となると、
「今はだれにも話せない。」
とおっしゃっている内容もひどく気になってくるところであるが、一体尊
師は未来のラオスで何をご覧になったのだろうか。
オウム真理教では、早速日本にあるラオス大使館と連絡を取った。そし
て、尊師がヴィジョンを見られて間もなく、ラオス仏教のトップであられ
た高僧が亡くなられたということを知った。何やら、因縁めいたものを感
じざるを得なかった。なぜなら、尊師のお言葉どおりにすぐにラオスへと
行っていたなら、その高僧が亡くなる前に会うことができたはずなのだ。
その後も尊師が、
「一度ラオスを訪ねたい。」
というお気持ちを持っていらしゃりながら、また、ラオスの方からも、
「ぜひラオスへお越しください。」
と歓迎の意向が伝わってきていながら、なかなかラオスへ行く機会に恵ま
れなかった。それもそのはず、当時の尊師は、死病肝臓ガンとの壮絶なる
闘いを余儀なくされていたのである。
だが、ついにラオス訪問のときがやってきた。チベット(「約束の大地・
チベット編----慟哭のチベット」については『マハーヤーナ』No47参
照)からそのままラオスへ向かうことが決定されたのだ。「この機会を逃
したら、今度いつ出られるかわからない」(尊師)からである。
◎国賓として迎えられて----大地への祝福
オウム真理教の一行は、隣国タイから飛行機でラオスの首都ヴィエン・
チャンへ入った。
ヴィエン・チャンの空港で、まずびっくりした。
「どうしたんだろう? 人がいやにたくさん集まっていますね。」
「本当だ。」
「どれどれ、あ、あれはモンク(出家修行僧)だ!」
と、ここに至って、その人たちがオウム真理教の一行の出迎えにやってき
ているということを知った。国賓として迎えるというラオス外務省の言葉
は本当だったらしい。僧、男女の在家信徒を合わせて四百人もの人々に歓
迎されたのだ。僧はすべて小乗仏教の象徴である黄色い僧衣を身に着けて
いる。
タラップを降りられた尊師は、しばらく歩まれた後、ラオスの大地に祝
福を与えられた。
みんなにこやかに笑いかけてくれる。女性は皆色とりどりの花束を銀色
の鉢に入れて尊師に捧げる。美しい風習だな、と思った。
その日の午後、タート・ルーアンに隣接するヌワ寺院を訪問。タート・
ルーアンとは、大きい塔という意味である。これは、一五六六年に当時の
ランサーン王国の王であったセタティラート王が、王宮の内庭の古い塔の
上に建てた仏塔であり、人々の厚い信仰に支えられたヴィエン・チャンの
象徴ともいうべきものである。
また、この王宮の内庭にあったとされる古い塔にもいわれがあり、その
最初の塔は当時のヴィエン・チャンの統治者チャンタブリーによって建て
られた仏舎利塔なのだという。
さて、この地にあるヌワ寺院を訪問したわたしたちを迎えてくれたのは、
ビシェット・シンハラット大師である。大師は現在ラオ(ラオス人は自国
のことをラオと呼ぶ)仏教連盟の会長であり、出家修行者の頂点にいらしゃ
る方である。すなわち、尊師が三月初めに会うべきだったとされる高僧の
跡を継がれたのが大師なのだ。
尊師は大師と親しみを込めたあいさつを交わされ、サキャ神賢に対して
マントラを唱えられた。そして、
「三月のできるだけ早い時期に行きなさいという示唆に従い、本来はもっ
と早く、その方が亡くなる前に来るべきだった・・・・。」
と大師に語られた。
このヌワ寺院は、代々の会長が来ることになっている重要な寺院である
という。ということは、三月の初めには、その高僧がここに座られていた
ということになる。
その後、ヌワ寺院の横にある高等仏教学校へ。ここの生徒は国中から集
まっている若き出家修行者である。ここでは、地理・歴史・数学・物理な
どの一般教科の他に、仏教に関係するダルマ・仏教史・パーリ語が学ばれ
ている。
折しも授業中。突然訪れた異国の仏教の実践者たちの姿に、生徒たちも
そわそわと落ち着かない様子。だが、尊師が予定外に、ある教室でご説法
を始められたところ、生徒が次第に真剣な表情を見せ始めた。一人、また
一人とメモを取るようになっていったのが特に印象深かった。
そして、夕暮れが迫りかけたころ、わたしたち一行は全員、仏舎利塔で
あるタート・ルーアンに灯明の供養をし、サキャ神賢をしのんだのだった。
◎苦難の歴史を背負って
翌日、午前中にラオスの瞑想センター訪問。所長は、ラオ仏教協会の副
議長をされ、併せて、ラオス中の瞑想と仏教教育を担当されているという
サーリー師である。
ここには、男性の出家修行者の他に女性の出家修行者も大勢いて、女性
の場合は白い僧衣を身に着けている。ちょうど、在家信徒の女性たちが、
瞑想センターの出家修行者への食事の供養のために集まっていた。
ここラオスでは、今でも出家修行者は、このように在家信徒によって持
ち寄られる食事、あるいは、托鉢によって得る食事のみの生活である。
案内役の外務省の役人、ビラさんが通訳しながら説明してくれる。
「仏教を理解しようと思えば、ここを訪れなければなりません。いつもこ
こでは修行が行なわれています。戦時であろうと、平和時であろうと、修
行が行なわれています。」
戦時であろうと、平和時であろうと・・・・!わたしはこのとき初めて、こ
の国の戦争のにおいをかいだような気がした。
実はこの国も長い苦難の歴史を持っているのだ。一九〇〇年代に入って
からでさえも、フランスの植民地化、日本の支配、独立運動、革命運動、
そして、三十年にも及ぶ内戦を経験している。
特に、この内戦は、ラオス国内での二派、三派に分かれての戦いだけに
とどまらず、フランスの再侵略に激しく対抗する第一次インドシナ戦争、
それに続く第二次インドシナ戦争、そして、ベトナム戦争が複雑に絡み合
い、激しい戦闘が繰り広げられた。
これは、米ソが冷戦の形を整えてくる時代の局地戦争でもあり、ベトナ
ム民族統一戦線と協力関係にあったラオス愛国戦線(パテト・ラオ)の本
拠地一帯と北ベトナムの輸送ルート(ホー・チ・ミン・ルート)が通った
ラオス南東部は、アメリカ軍の直接軍事介入によって徹底的な爆撃を受け
ている。アメリカ軍はラオスに百五十万トンの爆弾を投下したといわれ、
これは北ベトナムへの百万トンを大きく上回る量なのだ。ラオス側の被害
については”推して知るべし”である。
この国際政治が複雑に絡み合ったラオスの内戦が終結するのは一九七五
年。この年、ラオスに社会主義政権が樹立した。
そして、現在ラオスでは社会主義と仏教が調和し共存しているのである。
発展途上国ではこのような形態がよく見られるという。尊師も、
「仏教はすべての人の豊かさを願うものなので社会主義と共存しやすい。」
とおっしゃっている。
◎ヴンヴィチャ氏との会見
「ラオス国家建設戦線(NLFC)の本部にお迎えできて大変うれしく思
います。」
と、尊師を迎えたのは、わずか二週間前まで大統領代行を務めていたNL
FCの長であるプーミー・ヴンヴィチャ氏だ。宗教界の最高責任者でもあ
る。NLFCの前身は、先に名を挙げたラオス愛国戦線で、一九七九年に
その歴史的使命を果たしたとして、組織・名称が改められた。
フランスの再侵略を阻むため、武力勢力を誕生させ、ホー・チ・ミンの
支援を得、ラオス抗戦政府内相、ラオス愛国戦線書記長などの任務に就き
ながら激動のラオスを生き抜いたこのラオスの立役者は、今穏やかな微笑
をたたえて尊師の前にあった。
「ラオは一つの後進国であります。それは、戦争、そして諸外国からの、
敵国からの攻撃があったからです。そのため、多くの寺院が壊されてしま
いました。今我々はそれを修復しなくてはいけないときにあります。
ラオス国家建設戦線は、我々の国の様々な宗教団体を指導しており、ラ
オ仏教友好協会もその組織のもとにあって、人々を平和に導き、平和な生
活が送れるように教育する立場にあります。
ラオの出家修行者はラオの人々に悪いことをなさない、そして善いこと
をなすことを説き、透明な奇麗な心を持つように教育しています。ラオの
人々は出家修行者のことを我々の教師、もしくは我々の教育者と呼んでお
ります。ラオの人々はラオの出家修行者に従います。その理由というのは、
出家修行者がラオの人々に、盗まないこと、殺さないこと、お互いに戦わ
ないこと、そして悪い行ないをしないことなどを教えるからです。
わたしはラオ建国戦線、およびラオの出家修行者、およびラオの仏教徒、
およびラオの国民に代わって、あなた方の使節団をここにお迎えできて大
変うれしく思っています。」
との言葉に、尊師からも、
「今回は心のこもった歓迎を受け、大変感謝をしています。これもひとえ
にあなたをはじめとする建国戦線の方々の協力があってのことだと考えて
います。ラオスの国民の皆さん、特に今回は仏教徒の出家修行者の方とお
会いすることができたわけですが、この方々は大変友好的で、そして親切
で、平和な方々であることをわたしたちは知りました。
仏教の経典によると出家修行者というのは福田、つまり、わたしたちに
幸福の米を与えてくれる衆生であるというふうにうたわれていますが、ま
さにラオスにとってこの出家修行者の方々は最高の福田であるということ
を感じました。」
などのお言葉が述べられた。(この会見は最終の日のものであるが、都合
上ここに入れさせていただいた。)
ID:QAA11022 J.HOSHI
#147/999 資料室
★タイトル (QAA11022) 92/ 2/15 13: 2 (107)
オウム真理教>約束の大地 ◎ラオス編2 J.HOSHI
★内容
◎ルアン・パバーンにて
二日目は飛行機でルアン・パバーンへ。ここは、かつてランサーン王国
の首都サワーであった。
中世のラオ語の古書によると、ラオスの仏教は、ランサーン王国をつくっ
たファー・グム王の王妃ケオ・ケーンガンガーが、夫を通じて父親のクメー
ル王に対して仏教使節団の派遣を要請したことに始まるとされている。当
時クメール帝国(カンボジア)の住民の間では、スリランカから伝わった
小乗仏教が信仰されていたのである。
一三五七年、王都サワーに仏教使節団到着。多数の経典とともにパバー
ン金仏像が寄贈された。そして、一五六〇年にヴィエン・チャンに遷都さ
れたとき、サワーにはこのパバーン金仏像が残され、それにちなんでルア
ン・パバーンと呼ばれるようになったと伝えられる。
しかし、実際は小乗仏教伝来よりもはるかに昔、AD六九年ころに大乗
仏教への信仰が漢族を経て民間の間に広まったということがわかっている。
そして、ラオ族がシェントーンに住みついてから、次第に大乗仏教への信
仰を捨てて、もともとのアミニズムに戻っていったのだそうである。
ここルアン・パバーンでは、いろいろな寺院を訪問し歓迎された。ワッ
ト・シェントーン、ワット・セーン、ワット・ヴィスン、ワット・パバー
トタイである。ワットとは寺院という意味。
その他、聖なる山といわれるプーシーに登り、また旧王宮である王宮博
物館へも。ただし、尊師は王宮博物館など、
「行っても無駄。」
として、自動車から降りられなかった。もっともこれはラオスの外務省の
方でスケジュールを組んだだけであって、日本においても外国においても、
尊師が宗教的なところ以外に出向かれないのはごく普通のことなのだ。
さて、ここルアン・パバーンのホテルでは、ラオ仏教協会の出家修行者
(僧)の方々と対談された。その中の一人は、ラオスで一番の瞑想家とさ
れるサーリー師である。
◎対談----瞑想ステージについて
(尊師)仏教には四つの瞑想ステージがあると思いますが、その第二、第
三、第四の細かい定義については、ラオスの仏教ではどのように考えてい
るのでしょうか?
(僧)四つのステージとは大きく分ければ二つのステージになります。
サマタパバナ、これが第一のステージです。これは、わたしたちの体、
そして心を極めて平和な状態にします。
二つ目は、次のことに対して正確な理解を得ることです。その次のこと
というのは、肉体、マッシィ(「哀れみ」などの意味であるが、本来ここ
に「感覚」が来なければならないので、ラオ語から英語に直す段階で正確
に言葉が伝わっていない可能性がある)、三番目が心、マインド。そして
四番目が法、ダルマです。
まず第一のステージは心、そして言葉、体を非常にピースフルなものに
しなくてはなりません。その第一段階を通過しなければ、第二段階には行
けません。そして、それらすべての段階についてはっきりと正確に理解す
るなら、幸福でかつ至福の状態に至ることができます。
(尊師)四念処だな(これはオウム真理教のサマナに対してのお言葉)。
(僧)瞑想の間は心に集中しなくてはなりません。我々自身のことに関し
ては何も考えてはいけません。そして、ハートの下にあるスピリット、魂
によってすべてを見ることができなければそれは成功ではなく、魂を通じ
てすべてを見ることができれば、これらの段階において成功したというこ
とができます。二つは一緒に進んでいきます。サマタというのは静けさの
ことです。
(尊師)もう一つは?
(僧)イパツナ。霊的、精神的洞察力、サマタは静けさ、寂静、寂止です。
(尊師)寂止と正観だね(と、これもサマナに対して)。
(僧)この二つを合わせて瞑想といいます。魂を通じて我々の体を見るな
ば、それは苦であると見えます。
(尊師)これは四念処観だな。
(僧)この四つの段階すべてを見るならばそれは成功であり、エンライト
メントに向かうことになります。心を通じてすべてを見ることができれば、
あらゆる欲求を持たなくなるでしょう。次に、復讐したり、対立したり、
戦うことを望まなくなります。この段階にきて、怠けることなく、消極的
であることなく。一生懸命働くようになり、そして活動的になります。五
番目の、最後のステージで、魂によってすべてを見、すべてについて疑う
ことなく、すべてについて確信があるようになります。
この最後のステージ------これは四禅定の第四段階であり、阿羅漢=覚
者を表わしていることが話からわかったが、これについて、尊師の方から
疑問が投げかけられた。
(尊師)デーヴァダッタは最終ステージに到達し、覚者の称号をサキャ神
賢に与えられたにかかわらず、サキャ神賢と対立するようになります。こ
れについてはどう考えていらっしゃいますか?
なぜ尊師がこういう質問をされたかというと、ご存じのように彼らのい
う最終ステージは、オウム真理教ではまだ最終ステージに到達する途中の
段階とされているからである。
しかし、それについての明確な答えは得られないままとなった。ラオス
に小乗の教えしかない以上無理ないのかもしれない。
その場にいたオウム真理教のサマナは、みんな彼らの言っている内容に
ついては既に知っていたと思うし、それが途中までしか示していないとい
うことも理解したはずだ。
わたしは、尊師がいつもわかりやすく法を説いてくださるので、難しい
仏典を読まなくても、法というものが根付いてきているんだということを
感じた。そして、この小乗仏教だけでは満足できないということも。尊師
が、小乗仏教の完成を越えて、さらに高いステージである最終解脱への道
を示してくださっていることに感謝したい気持ちになった。
ID:QAA11022 J.HOSHI
#149/999 資料室
★タイトル (QAA11022) 92/ 2/15 13:53 (187)
オウム真理教>約束の大地 ◎ラオス編3 J.HOSHI
★内容
◎ラオスの仏教
八月二十八日、前述のプーミー・ヴンヴィチャ氏との会見に先立って、ラ
オス国家建設戦線主催の朝食会が催された。朝食会になったのは、ラオス
の出家修行者が午後に一切の食事を取らないことになっているからである。
同席したのはビシェット・シンハラット大師を中心とするラオ仏教協会の
中心メンバーであるが、このとき、ラオスの仏教の様子を知ることのでき
るやり取りがあったのでご紹介したい。
(尊師)ラオスの出家修行者は、どのような一日を過ごされるのでしょう
か?
(ビシェット・シンハラット大師)朝お祈りがあります。非常に早く四時
ごろからです。六時から托鉢に行きます。在家の人から、ご飯とか穀物と
いうような食物や、ビスケットなどの甘いものをいただきます。たまには
お香やお金や花などもいただくことがあります。何を施すかは在家の人た
ちの自由です。
昼間は勉強します。勉強の対象は、戒と法です。仏教の経典によって勉
強するのです。それに加えて、在家の人たちを利する活動を行ないます。
夜七時に晩のお祈りがあります。それに加えて仏典の勉強、椰子の葉に
書かれた仏典の勉強をします。そしてわたしたちは心を落ち着け、そして
就寝、休むことになります。
これが一日の、毎日行なわれる日課です。
(尊師)次に出家制度についてお聞きしたいと思います。どのように出家
するのかと。つまり、自由に出家できるのか、あるいはお寺ごとに出家す
るのか、あるいは、仏教協会が寺ごとに割りふるのか。それから、どのよ
うに出家したての人は勉強しているのか---。
(ビシェット・シンハラット大師)出家修行者になりたければ自由になる
ことができます。完全に自由意志によります。それは、お寺ごとに申し込
むのです。そして、出家した場合、他の出家修行者と同じように戒律、そ
して法を学ばなければなりません。新参者は仏教経典を学び、新参者とし
て何をしなければならないかを学ばなくてはなりません。
(尊師)ちょっと下劣な質問になりますけど、出家修行者にはお給料とい
うものはあるのでしょうか?
(ビシェット・シンハラット大師)ラオの仏教徒はサラリーもなければ、
いかなる私的なお金も持っていません。プライベートなお金は持っていな
いのです。
(尊師)それはすごい。それでは、どうしても必要な生活必需品、個人的
なものはどうなさっているんですか?
(ビシェット・シンハラット大師)すべて在家の人がくれます。
(尊師)原始仏教の形態ですね、それは完全に。素晴らしいことです。た
だ、今、何ていうかな、どんどん経済社会が発展していっている中で、そ
の形勢は今後も維持できそうですか?
(ビシェット・シンハラット大師)将来も維持しようとしています。
(尊師)ラオスの仏教と政治との関係はどうなっていますか?
(ビシェット・シンハラット大師)今、政治とラオの仏教の関係は非常に
良好です。なぜなら、我々は人々にどのように自由に生き、どのように正
直に生き、どのようにこの国の中で生きるかということを教えているから
です。
(尊師)前人口に対する出家修行者の割合はどうなっていますか?
(ビシェット・シンハラット大師)人口四百万人中二万人ほどです。
(尊師)在家の信徒は仏教にどのようなことを期待しているのでしょうか?
つまり、恩恵をどのように受けているのですか?
(ビシェット・シンハラット大師)精神的に幸福になることを望んでいま
す。
(尊師)生活面ではどのような関係となっているのでしょうか? 葬式と
か、結婚とか、出産とか、そういうものと仏教は関わっているのでしょう
か?
(ビシェット・シンハラット大師)結婚式や子供が生まれたとき、葬式の
ときには、出家修行者がその家に行き、その人を精神的に教育し、例えば、
結婚式のときはお互いが誠実であるように説きます。子供が生まれたとき
も、そのためのリプリタモンクという特別な祈りを捧げます。だれかが死
んだときには、その遺族に対して祈ります。それはもうこの人は死んだわ
けだから、それに対して悲しむのはよくないと。あまりにも悲しみに暮れ
るのではなく、穏やかな状態にするために祈ります。
◎未来仏マイトレーヤ
(ビシェット・シンハラット大師)今度はあなた方の国の仏教や、あなた
方の団体について知りたいと思います。
(尊師)それではまず、日本の仏教からご説明しましょう。日本には大乗
仏教というものが昔伝えられました。しかし、それは原始仏教ではないの
です。結局、仏教的土台、原始仏教が伝わっていなかったがために、その
仏教は揺らぎ、神道と融合された形で発展してきました。神道というのは、
要するにアミニズムです。揺らいだというのは、仏教が衰退したというこ
とです。
今から百数十年前に明治維新が起きて、そこで完全にいったん仏教が崩
壊の危機に入りました。いわゆる廃仏棄釈運動です。これが一段落した後
に、文化遺産として仏教寺院が尊重されるようになりました。
結局仏教というものはどうなったかというと、完全に儀式化されて、僧
も修行しないし、勉強もしないし、ただ葬式とかそういうときに出るだけ
であって、だいたい現在では掛け持ちしています。いろいろな学校の教師
と僧を掛け持ちしていたり、幼稚園を経営していたり。
で、オウム真理教とは何かというと、オウムとはA・U・Mという三音、
これはサンスクリット語で無常を表わしています。そして真理の教えと。
では、このオウム真理教の教義とは一体何かというと、要するにパーリ仏
典、これはスリランカに伝わったもの。それと北伝系のチベットに伝わっ
ている小乗、大乗、それからタントラ・ヴァジラヤーナの教え、これを根
付かせるために設立されている教団なのです。出家した弟子がだいたい七
百名。そして日々真理の実践をしている在家の信徒が約五千名。オウム真
理教の書籍類を読んでいる人はトータルして十万人くらいいます。
(ビシェット・シンハラット大師)ラオの仏教は、自分のお金を持つこと
なく、すべて人からのお布施で賄われていますが、あなたの団体はどうで
すか?
(尊師)同じです。ただ、少し違うところもありますね。出版、アニメー
ションの制作、あるいは「死と転生」の公演とか、すべて出家修行者がやっ
ています。つまり、布教活動の一環として出家修行者がやっているわけで
す。だから、その出家修行者というのは、純粋に瞑想修行するときと、そ
れから、そういう活動に従事するときと二期に分かれます。
ところで、未来仏についてはラオの仏教ではどう考えていらっしゃいま
すか?
(ビシェット・シンハラット大師)これは夢として信じているという面も
あるのですが、我々の仏教では、仏陀が将来生まれるというふうに説いて
います。
(尊師)その仏陀の名前は?
(ビシェット・シンハラット大師)マイトレーヤ。
(尊師)いつ生まれることになっているのですか?
(ビシェット・シンハラット大師)我々の世界に既に四人の仏陀が現われ
ました。釈迦牟尼(サキャ神賢)は四番目です。また新しい仏陀が生まれ
るでしょう。わかりません、いつかは。待たなければなりません。
(尊師)では最後の質問です。このカルパは仏典では、人類がいったんも
のすごく減少して、それから十戒を守る人が生き延びて人類が発展すると
いうことになっているわけですけれど、それについてはどういう見解を持っ
ておられるのでしょうか?
(ビシェット・シンハラット大師)マイトレーヤが現われることになって
います。
(尊師)人間の寿命が八万歳になったときにマイトレーヤが現われること
になっているとされていますが。
(ビシェット・シンハラット大師)人々の寿命が八万歳になったとき・・・・
同じ理論です。
(尊師)コップジャイカ(ありがとうございました)。
◎旅の終わりに----ラオスの未来は?
ラオスの旅を終えて、尊師は次ぎのように語られた。
「仏教は伝播の仕方は国によっていろいろな形をとる。それは、仏教の教義体系
そのものが深くて広く、いかなる階層の人に対しても、その教えを有しているか
らである。そして、ラオスに伝わった仏教は一般的にはスリランカ、カンボジア
を経てラオスに伝来したといわれているが、率直なわたしの感想は、チベット仏
教やスリランカから伝わったタイの仏教の影響も受けているように思われる。
それは特に瞑想のプロセスにその影響を見ることができる。
ラオス仏教の瞑想の第一段階は、四念処である。しかし、第一段階の瞑想を四
念処と規定しているのは北伝系なのである。そして、この教えの順番はチベット
仏教のスートラ乗において見ることができる。
ところで、ラオスに行って感じたことは、人々がのんびりしているということ
である。それは、小乗仏教の教えが浸透し、国民一人一人の心がリラックスして
いることを意味しているのだとわたしは思った。日本にもっと真理の法を広め、
日本人の心を早くリラックスさせてあげなければ、と考えたものである。」
八月三十日、わたしたちはヴィエン・チャン空港を飛び立ち、タイのバンコク
経由で日本へと向かった。日本では、「死と転生」の東京公演が間近だ。きっと、
サマナも信徒も忙しく救済のために動き回っているに違いない。バナナやヤシの
木があるゆったりとしたラオスから、全く別の空間へと移動するような印象だ。
それにしても----。
いつになったら尊師はラオスの未来ヴィジョンの全貌を語ってくださるのだろ
うか?
「おそらく、尊師とオウム真理教もそれに関係してくるんだろうな・・・・。」
何となくそんな気がした。
-----マハーヤーナNo.48より-----
ID:QAA11022 J.HOSHI
#150/999 資料室
★タイトル (MQM47158) 92/ 2/15 17: 4 (196)
オウム真理教 麻原彰晃尊師説法 予言と救済
★内容
1987年5月 集中セミナー説法より
さあ、今日でいよいよセミナーも最後だ。たしか、セミナーが始まって三日目だ
ったと思うが、ね、これから先の、まずオウムの動きについてね、話したいと思い
ます。そして、わたし、あるいはわたしのま、周りの者たち、そして会員の皆様が
ね、いったいこれからどういう生き方をしたら、そして修行に際して何をやったら
いいか、ね、これについてわたしの見解をね、話していきたいとおも、思います。
まず、これから日本の辿る道というものは、戦前・戦中のね、そして戦後しばら
くの苦しい生活、つまり功徳によってだ、ね、その後の豊かな生活が約束されてい
た。そして、そのわたしたちは豊かな生活をすることによって、大切な功徳を擦り
減らし、ね、アメリカ、ヨーロッパとのね、経済摩擦を中心として、少しずつ少し
ずつじり貧の生活に入っていくだろう。いいですか。その本当の口火を切られるの
が一九九〇年だ。ね。そしてもしだよ、一九九三年までにオウムがね、世界に、世
界各国に、少なくとも一つないし二つの支部を持っていたら、それ以後の予言は、
今からわたす予言、わたしが話す予言はだよ、外れることになるだろう。
しかし、もし、いいですか、一九九三年までに、本当のボーディサットヴァが集
まって、そして、日本を含めて世界に、ね、世界各国に二つ以上の支部ができなか
ったら、九三年再軍備だ。いいですか。そして、一九九九年から二〇〇三年までの
間に、確実に核戦争が起きる。ね、麻原が初めて核戦争について触れたね。わたし
たちに残されてる時代は、あとわずかに十五年ぐらいしかない。
しかしだよ、その頃には、ね、オウムの会員の皆さんは、非常に真面目で真剣だ
から、きっと世界にね、きちんと支部を持ち、そしてそこのリーダーというものは、
きちんとヨーガを成就している。仏教のね、悟りを開いている人が、リーダーとな
っているだろうね。また、これはわたしの祈りとして、そうなっていてほしいもの
だと思っている。もしそれがなされるならば、核戦争を回避することができるだろ
う。
じゃあ、なぜ核戦争を回避できるんだと。ね。皆さんは、そう思われるかも知れ
ないよ。それはこういう理論だ。ね。
仏陀たちの根本はどこですかと。ね。仏陀たちのね、根源的エネルギーを発して
いるところは、ね、それは日本ですよと。ね。それは、オウムですよと。ね。そし
て、オウムの教えの中に、闘争というものを肯定しているか、肯定していないか。
ね。殺生というものを肯定しているか、肯定していないか。それは、肯定していま
せんよと。そして、オウムのメンバーは真理しか語らない。オウムの人たちは、真
実の生活しか行なわない。いいですか。そうなったとき、まず、日本はだ、外国か
らの攻撃を受けないようになるだろうね。それはそうだ。自分たちの魂の根源、魂
の根源的城がだよ、日本にあるとしたら、それをだれが、ね、それをだれが攻めよ
うか。ねえ。じゃあ、まず日本が抜けると。
そして、次にだ、アメリカという国は、何でもそうだが、非常に流行するのは速
い。 ね。それは日本でのスピードではない。ね。いいですか。もし、成就者が出
て、ね、あるいは成就できなくとも成就に近い人間が、「オウムの教えとはこうい
うもんだ」とね、「今までの真理の宗教、ね、その根本となすものはオウムの教え
ですよ」と。いいですか。それを、もし普及したならば、同じように闘争しなくな
るだろう。ねえ。いいですか。そして、アメリカの次はヨーロッパ。ねえ。最後に
わたしたちは、ねえ、仏教やあるいはインドの発祥の地であるヒマラヤに道場を持
とうよ、ね。--そして、一とおりわたしの仕事は終わる--。いいですか。
もし九三年までにオウムがだよ、シヴァ神の意思を理解し、実行し、ね、役割を
果たすことができたならだ、確実に戦争回避はできる、ね。そして、逆にだ。シヴ
ァ神の意思をわからないで、理解できないでだ、ね、わたしたちがわたしたちのこ
とだけを考えていたなら、回避は避けられないだろう。しかもだ、いいですか、現
代はいくら個人に力があったとしても、ね、このシステム的に動いている社会を、
どうこうすることはできないよ。そうでしょ?だから、オウム自体もシステム的に
動かなきゃなんない。そして、いつどんなときでも、だれでも、「私は解脱をした
いんだ。私は悟りたいんだ」と思ったとき、その場所を提供できるような、ね、そ
ういう組織にしていこう。これはわたし一人では、どうしようもできない。皆さん
の力が必要だ。皆さんの協力が必要だよ。いいですか。そして、わたしの見ている
ヴィジョン、ね、それからわたしの直感智、それからわし、わたしのジュニアーナ
・ヨーガによる推理智を総合するとだ、それしか残っていないよ、わたしたちの救
われる道は。
もちろん、いくら一九九〇、ね、九年、あるいは二〇〇一年、二〇〇三年にだ、
第三次世界大戦といわれる大きな戦争が起きたとしてもだ、それまで成就していれ
ば、ね、その人にとっては大したことではないよ、それは。そうだね。なぜか。
「ピカッと光った。さあ、わたしはクリアーライトに入ろう」と、ね。肉体はその
とき捨ててしまえばいい。ね。しかしだよ、わたしの周りの者たちが苦しみもがい
ているときにだ、「あなた方は修行しなかったから、ね、わたしは修行したから、
成就しているから、さあわたしだけ楽の世界に入りましょう」と、そういうことが
できるか?もし、それができなかったらだ、そうならないように回避する手段を考
え、実行するしかない。
今まで、わたしはインドに四回行った。そして、いろんな聖者と会ってきたが、
だれ一人として、ね、回避する道を歩いている人はいなかった。いいですか。例え
ば、それはね、チベット仏教ですら同じだ。精神世界に固執し、ね、彼らの国が滅
亡しているということを、ね、意識しすぎて真実の道を踏みはずしているようにわ
たしには見えた。いいですか。
私達に国はない。ね。わたしたちは、たしかに今、欲六界の人間界に生まれてい
る。しかしだ、わたしたちはいつ虫ケラに生まれ変わるとも限らないよ。あるいは、
いつ地獄の住人に生まれ変わるとも限らないよ、ね。そう考えたときに、わたした
ちの国は必要ではない。わたしたちの、いいですか。エゴを全うするような国は必
要ではないんだ。
じゃあ何が必要だ?それはわたしたちがこれから先においてね、きちんと真実の
道を再生し、歩き、再生し、そしてまた降りてくる、そういうスペースが必要なん
だよ。空間が--。
そしてそれは、わたしたちにとっては地球全体なんだ。それは、日本でもなけれ
ば、アメリカでもなければ、ヨーロッパでもないよ。地球全体が、わたしたちの国
なんだよ。そして、これを守らなければならない、私達は。ね。
今、チベットのね、僧たちは、インドの兵隊に対して、精神的な教育を行なって
いる。「もしあなた方が国を守らなければ、あなた方は、ね、戦争に負けてしまい
ますよ。そうすると、あなた方の身内は、苦しめられますよ」しかし、そういうこ
とは、釈迦牟尼如来をはじめてとして、成就した聖者たちは、だれ一人として言っ
てないよ。ね。
しかしだ、それをわたしたちの最後の砦の一つである、チベット仏教の僧たちは、
言わなければならない環境にあるんだ。じゃあね、だれが自由に発言できるんだ?
だれが自由に生きることができるんだ? それはわたしたちではないか。今の日本
こそ、自由に発言し、ね、自由に表現できる国はないだろう。
だから、おそらく、この中の人たちの多くの人たちは、過去世において多大な修
行をし、その功徳によって日本に生まれ、そして救済の一端を担うために、生まれ
てきたんだとわたしは考えています。
わたしはまだ、インドと中国しか知らない。ね。たしかにみんなのんびりしてる
よ。中国ものんびりしていた。インドものんびりしている。しかしね、彼らはたし
かに自由ではあるけども、一見、しかしそれはわたしに言わせると動物的自由に近
い。わたしたちは、エコノミック・アニマルと言われてはいるけど、精神的には、
自由になることもできるよ。ね。そのためにはもっともっと正確な、そして大きな
組織が必要だ。例えば、あなた方が心を癒したいとき、一カ月でも二カ月でもそこ
で瞑想修行し、悟るための組織が必要だ。しかし、それはね、わたし一人ではどう
しようもないんだ。あなた方が協力し、そしてあなた方の心の奥自体に、真の幸福
とは何か、真の自由とは何か、そしてね、真の喜びとは何かを理解してくれたら、
今わたしの言っていることがよくわかるはずだ。
もう一度繰り返すよ。わたしたちは今修行をしている。だから、いかなることが
起きても、最終的にはクリアーライトという逃げ道がある。クリアーライトという
のは、要するに意識をアストラル・ボディーに移し変えてね、アストラル体にに、
逃げてしまうことだ。そうすると、いくら核爆発が起きたとしても、わたしたちの
肉体は滅びるが、アストラル体は滅びない。また再生してくればいい。そして、人
間が生まれている場所というのは、この地球だけじゃないから、ね、また似た惑星
に生まれ変わればいいよ。
しかしだよ、わたしたちが幸福なのは修行しているからであると。修行を成就し
てか、成就したからであると言ってだよ、わたしの愛する者、あるいはあなた方の
愛する者たちが、ね、焼かれ、苦しんで、再生の場のない状態ができたときにだ、
わたしたちは、これはこれで良かったんだと考えることができるか。ね。
もちろん、その前に、あなた方の周りの人、一人一人に、これが真実の教えだよ
と、これが真実の修行だよと言ってね、修行させること、これは大切かもしれない。
しかし、落ちこぼれに対して、ね、縁なき衆生は度しがたしと、縁のない人に対し
ては、わたしたちはどうすることもできないんだと言って、その人たちが苦しみも
がき、ね、悲しんでいるのをだ、平気な顔で見ることができるか。
じゃあ、それを避けるためには、どうしたらいいか。もう一度戻るよ。まず、あ
なた方が仏陀になりなさいよ。そして、あなた方がきちんとわたしの教え、いや言
い方を換えよう。宇宙の真理だ。真理を説いて、もっと多くの仏陀を作りなさい。
ね。そして、世界的にオウムの修行システムを広め、ね、世界各地にだ、本当に仏
陀が点在するようになったら、一切の戦いはなくなるはずだ。
じゃあ、なぜその戦いがなくなるはずだと言えるんだと。わたしの記憶に間違い
がな、なければね、インドのアショーカ王の時代、あるいはチャンドラグプタ、グ
プタ二世の時代ね、いいですか、仏教は広まった。その頃は、まだ、真の仏教があ
る程度残っていた。ね。そして、仏教の広がりと共に、アショーカ王の国、あるい
はチャンドラグプタ二世の国がね、大きくなったわけだ。しかも、それは戦争をし
ないでだよ。真理というものは、それほど強い。しかし、その時代に果たして仏陀
が存在してたかと。歴史を見る限りではいない。ただ、王がだ、仏教の教えに従っ
て政治を営んだだけで、民は幸福になり、そして国土は増大し、ね、みんなが幸せ
になることができたわけだ。
じゃあ、今度は、言い換えるよ。もし仏陀が、地球のあちらこちらに、ね、存在
するようになったならだ、少なくともその国に関しては、争いが起きづらくなるだ
ろう。いいですか。そして、その可能性を含んでいる宗教的な組織といったらね、
オウムしかいないんだよ。
じゃあ、なぜオウムしかないんだ。それはね、オウムには修行システムがあるん
だよ。あなた方が悟るための、解脱するためのシステムがあるんだ。いいですか。
もし、この修行システムが世界に広がったならば、確実に第三次世界大戦を防ぐこ
とができる。これはわたしが確信しよう。約束しよう。
さあ、もうこれからのオウムの動きはわかったね。いよいよ組織的になっていく
だろう。しかしだよ。組織的になっていくからと言って、皆さん一人一人の意見を
ね、無視して進めるつもりはない。いや、逆に、今からより一層、皆さんの意見、
ね、あるいはアドバイスを聞いていきたいと思っている。それは、どしどしオウム
に寄せてください。
さあ次にだ。これが最後の説法だから、もう一つ言わせてもらうよ。これは、四
日目の日だったかな、シャクティーパットについて話した。わたしは、あれから、
ね、シャクティーパットを、そうだね、三十名ぐらいやったのかな。そして、たし
かにエネルギーのロスはあるがだ、ね、その回復させる、回復することのできるシ
ステムというものをつかんだような気がする。しかしだよ、今から三日前に言った
とおり、来年の十二月いっぱいをもってね、私のシャクティーパットは終わるだろ
う。これは、その後、わたしがやらなければならないことがあるからだ。
じゃあ、会員の皆様はもうそのときに、シャクティーパットを受けられないのか、
いったら、そうではない。例えば、五月十五日ぐらいからね、ケイマを独房修行に
入れます。そして、彼女が成就するまで、わたしは出さないつもりでいる。その後
は新実だ。これは皆さんに約束しますよ。わたしは必ず、今から皆さんが認めるこ
とのできる仏陀というものをね、作っていこう。まあ、今年中は、せいぜいが二人
から三人だね。しかし、これはねずみ算的に増えていくはずだ。だから、シャクテ
ィーパットについては安心してほしい。
次にだ、一九八七年、つまり今年から、いいですか、一九九〇年。この三年間で
起きることを簡単に話しておこうね。
まず、日本における選挙だが、これは非常に波の多い選挙になってくるだろう。
波の多い選挙というのは、例えば、自民党が大勝したり、あるいは逆に大敗だ。大
敗というのは二百議席すれすれぐらいになる、例えばね、衆議院の場合は。非常に
波の激しい選挙になるだろう。
そして、人々は、より一層現実主義にね、移行していくだろう。そして、わたし
たちを操っているマスコミはだ、いいですか、わたしたちに食欲、性欲、それから
スポーツというね、三つの享楽しか与えなくなるだろう。言い方を換えるよ、精神
的な面を徐々に徐々にせいや、制約していくだろうね。
次に--いいですか、政治的な面だが、国家の力、あるいは警察の力というもの
が増大してくるだろう。いいですか。そして、日本国の国民である皆さんは、すべ
てが同じようなものの考え方に、徐々に徐々に統一されてくるだろう。ね。
それからね、冬と夏の区別がつきづら、つきづらくなってくるだろうね。まあ、
今もそうだが、例えば、四月、もう五月になろうとしてるのに急に冷えたり、ね、
あるいは十二月になってぽかぽか陽気になったり、こういう現象が起きてくるだろ
う。ねえ。
そして、ドル、円の関係は、一層円高が進むだろうね。わたしは百円を切ると考
えています。いいですか。それから、一九九一年から二年ぐらいの間に、農作物の
自由化が行なわれるだろうね。輸入の自由化。この頃、政治はいよいよ右傾化して
くるはずだ。ね。そして、最後の一九九三年の再軍備だ。
まあ、小さいこともいろいろあるが、今日はこれくらいにしとこうか。今日はね、
まあオウムのセミナーに何回も出てらっしゃる方が多いので、外的な話をしました。
ね。
#155/999 資料室
★タイトル (MQM47158) 92/ 2/16 18:52 ( 94)
麻原尊師説法 十相、四預流支 1 ウパティッサ
★内容
十相、四預流支
1991年3月17日 新東京本部道場にて
ええ、今日はまずね、あの「またか」の話をします。この「またか」とは何かと
いうと、今から二年前の『マハーヤーナ』に、えー、「水中エアータイト・サマデ
ィのときの後遺症によって、まあ肝硬変を患った」という話が出たと思います。で
まあ、その闘病、これをまあ二カ月間行なって、まあ、一応ある程度回復したと。
で、ところが、えー、そうだね、昨年の十月から、えー、まあ支部活動をまた始め
て、そしてあの、永代帰依祈願等、えー、多くのエネルギー移入を行なったがため
に、またあの、再発をしてしまいました。
で、これは、あのヴァジラティッサ師の診断では持って三年と。で、なぜわたし
があの、まあね、実は、あのね、先週、えー、予定されていた土曜日の仙台、それ
からあの、金曜日の水戸、これをあの、キャンセルしたわけだけど、で、あの、実
はそれで、まあ、いろいろと話し合いがありまして、で、あの、どうするかと。結
局、あの、こもって、まあ、修行やることによって治るだろうと。でも、わたしは
それを結局蹴ったわけだね。で、まあ、土日はとにかく、あの、信徒の皆さんと、
に、まあ一応法を説かなきゃならない立場にあるから説きましょうと。まあ、その
代わり、あの、ちょっと、あの、皆さんにご迷惑、例えば今回の数珠の贈呈とか、
あるいはサティアン・プルシャの贈呈のようにね、ちょっと、あの直接触れるとい
うことはできるだけ控え方がいいという結論に達したわけだ。で、本来は、まああ
の、あの現代医学的な見地からいくならば、もうこの病気は治らないと。特に、あ
のわたし自体が現代医学の、えー、治療を受けないタイプの人間だから。ただ、ま
あわたしとしては半年あれば、月曜日から金曜日までピシッとね、修行すれば、回
復するんではないかなと考えています。
でまあ、この回復というのはね実は、あの、難しいもんで、例えば、あの、カー
ル・リンポチェもヴァジラティッサ師によると「あの人は完全に肝臓がやられてい
た」と。同じように、あの仏典、釈迦牟尼も、サキャ神賢だね、も、あの同じよう
に、あの肝臓のえ、悪い記述があるんだね。例えば「背中が痛くて長く法が説けず、
右脇を下にして休まれる」という、あのことがあるんだけども、これはどういうこ
とかというとエネルギー移入によって、まあまずあの、えー、血行、風の流れが制
御され、血行がそこで悪くなると、それによって肝硬変が起きるということなんだ
ね。だからまたエネルギーが強化され、あの、血管内が浄、浄化されていけば当然
この病気は治ると、わたしは、あの、確信を持っています。
ですから、あの、まあ医師に反して、つまり、あの医師の意見に反して、まあこ
れからも、えー、皆さんに月に一回のね、講話は、あの、お目にかかることになる
と思いますが、そういう事情だから直接、あの、数珠をね、あの頭にかけることが
できなくなりましたので、半年ほどそれは、あの、ケイマ正大師あるいはサクラー
正悟師の方にお譲りして、まあできるだけあの、その代わり強いエネルギーをね、
あの、間接的ではあるけども送りたいと思いますので、そこのところはご了承くだ
さい。よろしいでしょうか、それは。
それから、あの、第二番目に、あの『死と転生』について、あの、まず、あの、
お話をしたいと思います。この『死と転生』というのは、えー、もしね、これを外
注に出せば数億円のイベン、イベントであるということをまず認識していただきた
い。で、あの、音楽だけでも三十数曲かかります。で、あの、ウルヴェーラ・カッ
サパ師はわたしにポツンと漏らすんだね、よく。「これは、あのコンサートだけで
も六千円ぐらいはしますよ」って。で、もちろんそれに舞踏、その他が加わるわけ
だから、まあ、あの、要するに、あの、数万円のイベントと見て間違いないと思い
ます。しかし、これは今度オウム真理教の出家修行者が信徒の皆さんをはじめとす
る、あの、ね、あの方々に対するお布施ですと。これはわたしは、あの、えー、横
浜の説法でも言ったわけだけど。ですから皆さんは、とにかくこの『死と転生』を
絶対に成功させようという意識を持ってください。で、わたしとしては皆さんの知
人でね、いっぱいにしたいと考えています。ですから、今回は、あの、街頭宣伝そ
の他も本当に控えに控えて控えてあります。というのは、あの、そういうことで入
ってくる人よりも皆さんがこのイベントはそれだけすごいイベントなんだというこ
とを認識なさり、そして引っ張ってきて、ね、くださった方の方が見せる価値があ
るし、そしてもちろんそれが入信に結び付くならば、それは、あの、わたしたちの
救済の考え方からいったら最もベストなわけですから、よろしくお願いいたします。
お願いしますね。
えーと、それから、あの、もう一つ、あの、東京と横浜の、まあ二会場、えー、
東は担当しているわけだけども、この横浜は、あの、クラッシックを、のもともと
会場で、えー、スモークとか、あるいは、あの、ドライアイスとか使えないから、
若干光の部分がね、あの、何ていうのかな、表現しづらいところがあります。です
から東京会場の方が見る上にとってはもう最高です。しかしまあ、イニシエーショ
ン、内容については十 分にその横浜の方でもカバーできますから、そこのところ
は認識してください。ですから、あの東京と横浜の表現が若干違ったとしても、そ
れは、あの会場の条件内で仕方がなかったんだというふうにご了解していただきた
いと思います。よろしいでしょうか。
えー、それではあの、まずね、あの今回の、えー、『死と転生』に使う曲、十曲。
まああの三十一曲だったか二曲だったかな、の中で、あの、新曲が約十曲ほどある
わけだけど、えー今回のこの皆さんにお聞かせする曲の中にも、えー、それが入っ
ておりますから、まず、あの、曲を鑑賞したいと思います。
あの、まあ皆さんが、あの、音楽よりも説法の方を聞きたいということをね、あ
の、機械がまあよく認識しているようですから、まず、あの、講話から入りましょ
う。
はい、では今日のね、講話はね、あの十相、十のステージと。これは、あの、皆
さんのよく知っている、えー、「道相応」の中にね、あの、説かれている内容、え
ー、サーリプッタがアナータピンディカ長者に対してお説きになった法なんだけど
も、これについて今日は少しね、検討してみようじゃないかと思います。
まずこの十相とは何かというと、正見解・正思惟・正語・正行為・正生活・正記
憶修習、そして、ああ、申し、申し訳ない、正精進だね。正記憶修習そして正サマ
ディーと。これに加えて正智、そして正解脱と。あるいは、えー、正しい智恵の到
達、そして、えー、正しい解脱という十相、十のステージ、これが、あの、まあ仏
教のすべてであると。もちろんこの、わたしの言うすべてというのはいろんなトリ
ックがあるわけだけども、例えば解脱にもいろんなステージがあるし、例えば正し
い智恵にもいろんなステージがありますと。ただ、この道を実践するならば、必ず
わたしたちは解脱することができると。
#156/999 資料室
★タイトル (MQM47158) 92/ 2/16 18:58 (154)
麻原尊師説法 十相、四預流支 2 ウパティッサ
★内容
ではいったい、正見解とは何かと。この正見解とはまさに皆さんに毎月お届けす
る『マハーヤーナ』に載っている記事、これをしっかりとまず、あの、理解すると。
切れた。あ、あ、切れましたよ。はい、OKです。ね、しっかりとまず、あの、読
むと。理解するということだと思います。
でこれをね、しっかりと読んだ後にそれに基づいて考えると。これが正思惟です。
では、この正思惟はいったい何を考えるのかと。ね。これはまず、現実というもの
の矛盾、それをどのように説いたら自分たちが本当に幸福になるのかと。あるいは
わたしたちの身の行ないについては、どのような実践をなせばわたしは幸福になる
のかと。あるいは口の行ないについては、何を話し、何を話さなければ幸福になる
のかと。あるいは心の問題としては、どのような心の持ち方をすればいいのかと、
あるいはどのような心の持ち方をしてはいけないのかと。これが正思惟です。ね。
次に来るのが正語、正しい言葉。ここで問題になってくるのは、ヨーガ派と、そ
れから仏教派の違いがありますと。ヨーガ派というのは、しゃべることそのものが
エネルギー、エネルギーを漏らすことであると、よって沈黙こそ聖であると、ね、
聖であると。あるいは、沈黙することこそ、正であると、正しいと。それに対して
仏教的な見地は、しゃべる必要があると。その言葉については、妄語・綺語・悪口・
両舌を離れ、そして正しい言葉遣いをなし、四無量心の込もった、こね、心によっ
て話すべきであると。もちろん、初めのだよ正見解・正思惟ができてれば、三番目
は仏教的見地の方が正しいと。ところが、正見解・正思惟ができてなければ、当然、
沈黙した方がよろしいということになる。これは信徒の皆さんがどちらの道を選ぶ
か、つまり「わたしあんまり教学好きじゃないの」という人は、できるだけしゃべ
らない方がいい。逆に「わたし教学好き」と。ね、あの、「『マハーヤーナ』を読
んで考えること好きなの」という人は、四無量心の込もった心によってね、できる
だけしゃべった方がよろしい。
なぜかというと、この現代というものは、現実の生活というのは、悪趣に至るた
めの、ね、道であると。例えば、ねえ、最も煩悩的なアメリカに対して日本はお布
施をするような国になってしまったと、ね。こういう国のこういう情報網の中でわ
たしたちは生きていなきゃならないわけだから、当然、わたしたちのね、価値観と
いうのは知らず知らずのうちに動物的、三悪趣的な傾向が強まっていると。だとす
るならば、しゃべらない方がいいと。もしそうではなくて、そういう情報をシャッ
トアウトし、しっかりと、ね、正見解・正思惟にのっとり、四無量心の込もった心
によってね、妄語を離れ、綺語を離れ、悪口を離れ、両舌を離れ、本当に親和のあ
るね、優しい言葉で話すならば、それは話すべきであると。つまりどういうことか
というと、ヨーガは悪業を積まないと。仏教は善業を積むと。この違いがあるわけ
です。いいね。
で、次の正行為とは何であろうかと。この正行為というのは、例えば虫、ゴキブ
リ、ね、こういうものがわたしたちを襲ってくると。で、襲われた段階でわたした
ちはそれを叩きつぶしてしまうと。これは確かに一見楽であると。そしていかにも
魔を払ったような気持ちになっていると。しかし、よく考えてみると、自分たちの
前生は、あるいは来世そうかもしれないけども、ゴキブリ、ハエかもしれないと。
そしてゴキブリやハエにも、ね、魂というものが存在している。そして当然、わた
したちとは違う段階で痛みを経験してるんだと、苦しみを経験しているんだと考え
るならば、当然、殺生を離れるべきであると。
同じように人がセッセセッセと、ね、稼いだものを盗むということ、これは当然
正しくないと。あるいは、できるだけ人に物を施すと、あるいは真理のために布施
をするということによって、心を成熟させ、餓鬼の世界から脱却すると。
あるいは意味のない、必要のない、ストレスによるセックスをやらないと。ある
いは、性的エネルギーのロスをやらないと。これをなすことによって、わたしたち
は力強いエネルギーの状態になると。そして、その状態で本当に親しい和合の心を
持って人と接すると。これが正行為であると。ね。
では、五番目の正生活とはいったい何であろうかと。これは、もちろん出家と在
家とでは違ってくる。そして在家の場合は、まずできるだけ意味のない不必要なデ
ータをシャットアウトすると、そして高い世界に転生できるような情報を入れると、
ね。その記憶を修習すると。
例えば『マハーヤーナ』、例えば『小学生の真理』、例えば『良い子の真理』ね、
これも、あの、今月からまた新しいヴァージョンで登場するわけだけども、これは
本当に長らくお待たせしました。これについては、A面、えー、いろいろなお話し
と、B面は、あの真理学園で使う教材をもとに、えー、算数のね、あの、勉強がで
きるようになってます。
でまあ、このようなものをね、データとして入れながら、記憶修習しながら心を
構築していくと。ね。そして、とにかく真理の実践については大いに喜び、逆に自
分自身が悪業を積んだときは大いに苦しみ、悲しむと。この実践を行なうと。そし
て真理の実践を行なうことによって、心身が軽快であるということを認識すると、
ね。そして、いつもそのどの法を実践したらいいのかなということを、絶えず心の
中で検討すると、ね。そして、夜眠るときには自分自身をサマディに導くように意
識し、一切の現象に対してはすべてはカルマの現われであると、過去になした、あ
るいは過去世になした自分自身のカルマの投影であるということを認識すると、ね。
つまりこの正生活というものは、七覚支の実践であると。そして、この正生活の実
践によって、在家であっても不還に到達することができる。ね。
次は正精進であると。この正精進とは何かというと、今なしている善法を増大さ
せると。例えば、布施の実践をなしてる人は、もっと多くの布施をするぞと。ある
いは、今教学をやっている人は、もっと多く教学するぞと。あるいは、奉仕活動を
やってる人は、もっと集中して奉仕活動をやるぞと。ね。あるいは、今カルマが落
とされてる人は、「うれしいなあ」と。「このカルマもっと落ちてくれ」と。こう
いう感じで、ね、今なしている善法を増大させると。そして今まだ徳が足りなくて
なすことのできない善法については、それをイメージすると、ね。例えば、今わた
しは大学生であるから布施の実践はできないと。しかし、卒業したら、ね、いい企
業に入り、そして布施の実践を行なうぞと。あるいは、今試験勉強で忙しいとする
ならば、わたしは今試験勉強で忙しいと。よってこの試験が終わったら、ね、バク
ティーに励むぞと。こういうような形で今なすことができない善法に対して希望を
抱くと。そして、未来においてそれを達成するように努力すると。これが精進のま
ず二つの勤であると。
そして次にね、今即やめられるものについては遮断すると。例えば、タバコを吸
ている人がいたら、「わたしは絶対タバコを吸わないぞ」と、ね、そして遮断する
と。あるいはお酒についても、「今まではお酒が好きだったけど、これを止めてし
まおう」と。「そして付き合いも、ね、そのうちやめるぞ」と、こう考えることが
断の修行であると。この断の修行は今なしている悪業の断滅と、それから今まだ断
滅することはできないが、未来において生じるかもしれない悪業に対する断滅、あ
るいは今はシャットアウトできないが、未来においてシャットアウトしようという
する断滅との二つがあります。この二断がありますと。で、この二正勤二正断の実
践を行なうと。ね。
そして、次はいよいよ正記憶修習であると、ね。この正記憶修習というのは、例
えばわたしの説法を十五回、二十回とひたすら読み続けると。ここでは何も考えな
いと。ね。そして記憶すると。あるいは『南伝大蔵経』の例えば「覚支相応」、例
えば「道相応」、例えば「ガティーカーラ経」のようなね、お経を何度も何度も記
憶修習すると。ね。どうでしたか、あの「ガティーカーラ経」は。まさにジョーテ
ィーパーラ青年に対する、あの真理に対する導き方は、どうでしたか。もう皆さん
読んだよね。あれぐらいの激しさがあっていいわけだね。そしてあれぐらいの激し
さで、初めて奉仕者の第一人者であると言えます。まあそれはいいとしても、そう
いう経典が深く根付いていれば、真理の実践に対して躊躇なく行なうことができる
と。これが第七番目の正記憶修習であると。
そしてこれをもとにサマディに入ると。サマディに入った場合、ね、今まで培っ
てきた心のリラックス、そして集中をもとに記憶修習したものによってね、自己の
煩悩を見つけ、それを破壊していくんだね。初めは、わたしにはどういう煩悩があ
るだろうかと、ずうっとサーチすると。ね。
実はこの、せい、正サマディの段階が、寂止、正観の段階といわ、いわれていま
す。そして、この正サマディによって、完全に自己の煩悩をね、滅尽していく過程
において、いろんな正しい智慧が生じてきます。
この正しい智慧というのは、別の言い方をすれば正しい光です。これは仏典に載
ってないことだね。正しい光が生じてきます。そしてその光、これイコール解脱で
はありません。その次のステージ、第十番目の離解脱は、ちょうどこのアージュニ
ァー球にね、煩悩が見えるようになります。そしてその煩悩が、スーッとちぎれて
いくんだね、ちょうど鞘から刀が抜き取られるような形で。それが解脱です。この
プロセス、この十のげ、十のプロセスをあなた方が実践するならば、必ずやね、あ
なた方は未来において、あるいは今生において、悟りに到達することができます。
では、この十のステージ、あるいはその土台である八正道の、もっと土台は何か
といったら、これは四預流支であると。もうわかってるね、四預流支は。まず第一
段階はシヴァ大神の化生身である、諸々の仏陀の化生身であるグルに対して帰依を
すること。第二段階は真理に帰依をすること。第三段階は向煩悩滅尽多学男女に対
して帰依をすること。いくらサマナでもだよ、例えばわたしの弟子といってても、
その人が向煩悩滅尽でなかったならば帰依をする必要はありません。いいね。これ
は信徒の先輩についても同じことが言えます。いくら古い信徒だとしてもその人が
向煩悩滅尽でなければ、それは帰依の対象ではありません。いいね。だから、ポ、
ポイントは、このビクサンガというのは向煩悩滅尽多学男女です。これに対して帰
依をすると。これが第一番目の預流支であると。
そして、第二番目の預流支は、記憶修習だね。つまり、多くの説法を聴くと。あ
るいは、多くの本を読むと。そして、それによって記憶修習し、ね、しっかりと自
己の深い意識に根付かせると。でしょ。
で、第三番目はこれは如理作意といわれているもんだけど、ね、その記憶修習し
たデータに基づいて思索すると。おかしいな、ちょっと待てよと。この記憶修習に
基づいて思索するということは、先程の八正道の正サマディじゃないかと。でしょ。
これは実はそうなんですと。ね。
そして、四番目のそれに基づいて真理の実践を行なうと。ねえ。随法行とかいろ
いろいわれてるけども。これはどういうことかというと、要するにその思索したも
のを土台として実践をすると。ということはここは、遠離、離貪なんですと。つま
り遠離の行、離貪の行こそが、四番目の随法行であると言えます。
そして、この四つの修行をなすならば、皆さんは上流、上流とは、この人間界か
ら欲の天界をぶち抜いて、神聖天をぶち抜いて、色究竟天へと到達し、そして無色
界に入り、マハー・ニルヴァーナへと到達する道をね、歩くことができます。これ
が、仏教のすべてですと。またすべてという言葉が出てきたね。
どうですか、もうオウム真理教の修行体系、法というものはよく理解できたんじ
ゃないかな。あとは皆さんがこれをね、しっかりと実践するかどうかで決まります。
#157/999 資料室
★タイトル (MQM47158) 92/ 2/16 19: 2 ( 63)
オウム真理教 四つの絶対的真理 ウパティッサ
★内容
四つの絶対的真理
サキャ神賢が最終解脱後初めての説法(初転法輪)にてお説きになった四つ
の絶対的真理について説明します。
四つの絶対的真理とは、
苦しみの絶対的真理
この諸現象、私たちが生活している一切の諸現象は楽しみの裏に必ず苦しみ
が隠されている。
それはちょうど、ここにドブ川があったとして、そのドブ川の水をすくった
とき、確かにこの中には、魚の餌となるプランクトンも存在しているだろうが、
それと同時に多くの科学物質その他が存在していて、私たちの体を害するのと
同じ様なものである。あるいは、例えば私たちの食事の一部は栄養となるが、
一部は糞尿となるのと同じである。
つまり、この現象界における楽しみの裏側には必ず苦しみが隠されているの
である。これが真理における第一の原則である。
苦しみの生起の絶対的真理
私たちが楽しみを求めようとすれば、必ず隠されている苦しみというものが
生起するのである。
例えば、この世の中に対して淡々ととらわれることなく生きるとするならば、
楽も私たちに対して強くアプローチしてこない代わりに、苦しみもアプローチ
してこない。そして、楽を得たとしても必ずそれは苦しみに変化するわけだか
ら、それは結局苦しみから出離する事になる。つまり、私たちがこの現象の世
界に強く縛り付けられれば縛り付けられるほど、苦しみというものは生起する、
起きあがるのだということである。
苦しみの滅尽の絶対的真理
しかしこの苦しみというものは必ず滅することができる。それは渇愛を残り
なく離愛著し、滅尽し、放棄し、拒絶し、離解脱し、欲望がない状態である。
そして過去、現在において多くの苦しみを滅尽した賢者が存在するのである。
苦しみの滅尽に至る方法の絶対的真理
苦しみを超越する方法が聖なる八段階の道である。もちろん、この別パター
ンとして、六つの徹底や七つのプロセスなども存在する。そして、この聖なる
八段階の道をもとに発展して行ったのが、七科三十七道品である。
参考文献 真理の芽
えんじょい・はぴねす
尊師、聖地インドを行く
マハーヤーナ
最終更新:2016年05月28日 19:50