Q:僕らは毎日こうして生活してるんですけれども、やっぱり一番疑問に思うのが、どうして僕たちは生まれてきて、こうして生活して、最終的には死んでしま
うんですけれども、こうおやってお金をかせいだり、勉強したりして、結局、何を目的として暮らしていくのか知りたいんですけど。
A:大変いい質問だとおもうね、それは。まず、人間がなぜうまれるかというのは、十二の条件生起の法というのがあります。この十二の条件生起の法というの
は、まあ君たちは正しくないと言葉で、「あいつはわたしに因縁をつけた」とかいいうわけだけど、その因縁、これは十二の縁起の法とか言われている。これは
正確に訳すると、十二縁起の法という言葉で表すことができると。
で、その十二の条件生起の法そのものが、わたしたちが、この人間の世界へ生まれてきたプロセスをしっかりと説明していると。よって、その十二の条件生起の法についてお話しましょう。
まず、わたしたたちが死というものを迎えた直後、わたしたちはまず気絶状態に入ります。この気絶状態に入るというのは、この粗雑な人間の世界をすべであ
ると考えている意識がそこから解き放たれるときに、そのショックによって気絶するわけです。そして、その気絶状態に入ってその次の段階で、経験の構成を認
知するプロセスに入ってくると。
経験の構成を認知するとは何かというと、例えば、その前の生においてロックをたくさん聞いていたとか、あるいはジャズをたくさん聞いていたとか、あるい
は科学の本をたくさん読んでいたとか、あるいは実際に科学の研究をしていたとか、あるいは、例えば食べ物で信州そばをたくさん食べていたとか、そういう経
験の構成が甦(よみがえ)ってきます。
で、経験の構成が甦ってきた段階で、次は識別作用が生じます。識別作用というのは、その段階に基づいてどの世界へ行こうかという識別作用が生じます。
で、そして自分が望む世界はここであるというそういう識別が生じた段階で次は先ほど述べたとおり、形状ー容姿と心の働きのみが存在する世界へと至ります。
この、心の働きと形状ー容姿というのは、要するに触れることのできない身体と、そして心の働きが、同時に存在している世界へと移行していくわけだね。
そして次の段階で、その心の働きと形状ー容姿の六つの器官、これは目、耳、鼻、口、ね、そして触覚という五つと、それから心の働きの六つが外界と接する
ことにより、というのは、この心の働きと形状ー容姿の世界にはたくさんの生命体がいますから、外界と接触するうことにより、そこで感覚が生じてくると。
そして、感覚が生じるがゆえに、次はもっともっとより強い感覚を得たいと。これは例えばおいしいものを食べたらよりいっそうおいいしものを食べたいと
か、あるいは、わたしたちが性的快楽に対して縛られているのと同じように、よりいっそう強い喝愛(かつあい)が生じます。つまり、欲求が生じてくるわけだ
ね。
そして、その欲求が生じてきた段階で、その次の段階で、その欲求なるがゆえにとらわれるようになります。例えば、恋愛においても、あの人でなきゃ駄目だ
とかこの人でなかきゃ駄目だとか、食べ物でも、わたしは例えばカレーが好きなんだけどラーメンは嫌いだとか、このような形のとらわれ、愛著(あいじゃく)
が生じてきます。
で、実はその愛著が生じた瞬間に、それと同時に、裏側に嫌悪、つまりあの人は嫌いだこの人は嫌いだといったような感情も生起するわけだけど、まあそれは
いいとして、その相反する感情が生起した次の段階で、それを具体的にもっともっと経験したいという心の働きが働きます。そして、子宮へと至るわけです。
子宮へと至った魂は、もう君たちも知ってのとおり、そのまま生存へと至ると。これが、わたしたたちが、この世に生まれてきた意味合いです。ですから、こ
の世に生まれてきた意味合いというのは、要するに欲望、煩悩というのがあってその煩悩によって生まれてきてるんだということになってるわけだね。よろしい
でしょうか。
信州大学(91年11月1日)
◎死の瞬間
まず、死の瞬間から。死の直前には、感覚器官が働かなくなってしまう。よくテレビなんかの臨終シーンで、明るいのに「暗いから電気をつけて」などという
ことがある。あれは本当だ。音が聞こえなくなることから始まって、何も見えなくなってしまう。そして、嗅覚【きゅうかく】も味覚も触覚も次々と衰えていっ
てしまうのだ。
それから、意外なことに、まだ生きているうちから身体を構成している要素が分解し始める。分解されて、“自性【じしょう】”に還元されていく。自性とは、この世を構成している物質的な根源で“地”“水”“火”“風”の四つのエレメントからできている。
初めに、肉体が地のエレメントに分解される。このときは、自分の体がぶよぶよになるというか、何となく変な感じだ。そして、それを感じているのは、今ま
での自分ではない。もう一人の自分——、つまり魂がそれを感じているのだ。また、この過程では、黒と黄色の混ざったような色を見ることができる。
次に、血液や体液が水のエレメントに分解される。このときには、鼻汁が出たり体がむくんだりする。血液の流れもこのときに止まってしまうのだ。ヴィジョ
ンとしては、「水に映る白い月」というイメージの色がパッ、パッ、パッときらめいている。
さて、今度は、体温が火のエレメントに分解されていく番だ。下腹部から冷えてきて、その冷たさは背中を伝わって全身に広がっていく。体が冷たくなって、
動きがぎこちない。硬直しているのだろう。自分の体がまるで鉄になってしまったみたいだ。また、この過程では朱色が見え続けている。
最後に、息が風のエレメントに分解される。このときは、呼吸しづらくなってしまって、息苦しい。呼吸したい。呼吸して生き続けたい。そういう生命に対す
る抑え難い執着が、一気に表面化する。愛している人と別れるのは嫌だ。死ぬのは怖い!
すでに、肉体的な痛みや苦痛はないが、死ぬことに対するひどい恐怖を感じるのは決して避けられない。わたしはそれを経験した。嫌だと思った。でも、わたし
の気持ちなどにはお構いなしに、死ぬための手続きは進んでいってしまった。魂は、青緑色を見ている。呼吸が少しせわしくなったかと思うと、最期に長い息を
吐き出す。……そして、すべてが終了した。こうやってわたしは死んだ。
◎前世のカルマの終焉
死んだ後も、魂はしばらくの間心臓にとどまり、この世の清算を受ける。そのために、まず天から真っ白な光が降りてくる。その光は少し甘みを伴っている。
光が甘いというのも、生きている間は感じることはできないが、ここでは魂が感じるのである。この光は、父親の精液の象徴だ。次にへそのあたりから、赤黒い
エネルギーが上昇していく。それは、いろいろな煩悩を伴っていて、母親の経血を象徴している。
白い光も赤黒いエネルギーも、胸にあるアナハタ・チァクラの内側に吸収されていく。わたしは、これは両親から受け継いだ遺伝子に関係するカルマが、自性
に還元されていく過程なのではないかと思っている。もし精子と卵子が結合した瞬間が、この世への誕生だとすれば、そのときに受け継いだものを自性に返し終
わったときが本当の死であろう。
もう一つ、誕生時にすでに持っていたカルマがあった。それは前世でつくったカルマである。前世のカルマによって今生を生きる。だから死ぬときには、それ
も自性に返さなくてはならない。これが最後に行なわれる手続きなのである。天界から真っ黒い光でできた一本の道が降りてくる。下位の世界である人間界のけ
がれたカルマが、この黒によって象徴されているのだ。これも、アナハタ・チァクラの内側に吸収されていく。
こうして、両親から受け継いだものと、自分の前世のカルマが自性に帰ってしまったとき、この世との縁が切れる。魂は肉体を離れ、今度はたった今生きていた世界でつくったカルマによって、転生の準備を始めるのである。
◎生前のカルマが転生を決める
普通の人間は、応界にも入っていけないだろう。したがって次の光を待つことになる。そして、光からだんだん具体的なヴィジョンへと移っていき、それぞれ
の魂は自分に合った世界へと飛び込んでいくのだ。死んでから四十九日目が最後の世界である。飛び込んだ後は、吸い込まれるように落ちていく。たいていの場
合、性交のヴィジョンが見え、無意識にそこへ飛び込んでしまう。すると、落ち着く先が子宮であったり、卵の中であったりというわけだ。だから、長くとも四
十九日後には新しい世界で生を受けていることになる。
ここで留意していてほしいことがある。それは、死ぬ前が人間だったからといって、人間界に生まれ変わるとはいえないということである。第一日目から次第
に次元が落ちていき、人間界はずーっと下なので四十三日目くらいに回ってくる。四十五日くらいになると、動物界だ。一番最後の四十九日は、地獄である。一
般に「地獄に落ちる」と言うが、魂がそのまま地獄に落ちるのではなくて、地獄に生まれ変わるのである。
十二縁起の法のすべて
1991年5月27日 デリー
◎非神秘力(無明)
次は、君たちが最もよく知っている十二縁起の法をここで説き明かそうと考えている。
まず、わたしたちは大完全煩悩破壊する前は、完全な無明(むみょう)の状態である。この無明の状態とは何かというと、経験にとらわれている状態、経験によって錯覚を起こしている状態ということになる。
例えばここにある人がいたとして、その人が恋をしたとしよう。いいかな。そうすると、その恋を始めた時と、例えば恋が中程度になった時と、恋が終わりに近づいた時と、これではその対象に対する認識の仕方が変わってくる。
もちろんこの認識の仕方というものは、対象も変化してるわけだから、その変化に伴って変わるといえばそうかもしれないが、実際はそうではない。
例えば、短い期間において恋をしたと。始めは「ああいいな」と思ったのが、徐々に徐々に美しくなっていったとしよう。そして、何を取っても素晴らしく見えるようになっていくと、ね。これは、最も恋が燃え盛っている状態であると。
そして、その恋の炎が燃え盛っていて、それから徐々に徐々に冷めていく段階で、その人の、一つずつ欠点を探し出すようになる。これは心の特性だよ。
で、欠点を探し出し、「あの欠点もある、この欠点もある、その欠点もある」というふうに認識するようになる。そして、そのうちに、その対象の魅力というものを認識しなくなる。わかるかな、これは。
これは何かというと、要するに、無明、つまり経験によってすべてを見ているからであると、ね。
わたしたちが死んだ跡、まず何が起きるかというと、死後の気絶が起きます。これはOKかな。死後気絶イコール根本無明だと考えてください。
つまり、前生の因が完全に終わりを告げた状態。そしてデータだけ、今生のデータだけが蓄積されている状態。その今生のデータの蓄積というのは何を意味するかというと、先程言った経験の集積であると。いいかな。
そうすると、その状態でいったんデータは切れますから、完全に無明の状態に入ります。ね。これを無明を非神秘力といっているのは、そこにあるんだね。
それは、もし神秘力、実態を正確にありのままに見つめる力があるとするならば、そうならないわけです、本来は。わかるよね、言ってることは。
それはどういうことかというと、今生培った傾向と前生使った傾向との差があまりにもあるがために、その意識に断層が起きるんです。わかるかな。
◎経験の構成(行)、識別(識)
それによって、次は経験の構成要因が生起します。
例えばどういうことかというと、ね、食い物に対してのとらわれとか、あるいは貪りの感情とか、あるいは性的快楽に対するとらわれとか、あるいは家庭の情
に対するとらわれとか、ね、あるいは嫉妬に対するとあらわれとか、あるいは智謀に対するとらわれとか、あるいは満足に対するとらわれとか、いろんなもの
が、その生で培った、つまり死ぬ前の生で培ったデータが生起します。これが行の状態です、ね。
それによって、次は識別が生起します。
どういう識別が生起するのかというと、「わたしはこれは好む、これは好まない」、ね、「わたしはこういう方がいいんだ」、あるいは「こういう方は悪いんだ」という識別が次は生起します。いいかな。
◎心の要素‐形状‐容姿
識別が生起するがゆえに、次にアストラルでのその形を形成します。
それは、例えば君たちがこの現象界で満足できない場合、食欲や性欲をアストラルで経験するのと同じです。この状態、この状態が名色(みょうしき)の状態です。
そして、この名色の状態によって、いいですか、五蘊(ごうん)が生起します。完全な五蘊がね。肉体、そして感覚、イメージ、それから意志、そして識別だね、この五蘊が生起します。
五蘊が完全に生起することによって——まあここでいう「五蘊」というのは、最後の意識だけは前回のだけど——その意識、識別、名色によって、もう次の傾向ができるのがわかるよね。つまり、材料が違うわけだから。みんなが錯覚を起こすのはそこなんだよ。
つまり、材料とは何かというと、その人の身における善業、口における善業、あるいは心における善業、身における悪業、あるいは口における悪業、あるいは心における悪業というのが一つ一つ形成されていくわけでしょ。それがデータとして残っているわけだよね。わかるよね。
それが、無明から今度はその経験のデータの生起の段階で、パッと現れるからね、次の生のデータが。それによって識別が生じてくるわけでしょ。「これはよ
し、これはあし」と。わかるよね。で、その次に、その識別によって今度は五蘊ができてくるわけでしょ。わかるよね。これは
例えばどういうこができるかというと、例えば貪りの心が強ければ当然胃袋が大きくなるとか、あるいは性的なものを欲していれば当然性器が大きくなると
か、あるいは、そうだね、水の中が好きであれば当然そういう魚、泳ぎやすい形になるとか。そういう形の形状がアストラルに現れてくるよね。OKだね、これ
は。
◎アストラルの下位の世界へ
で、その次に、それを土台として、しっかりとした五蘊が形成されるよね。これはOKだね、ここは。どうだ。
で、その経験されるがために次は何が起きるかというと、アストラルの、その上位から、ね、あ、中位からして下位へと移行していくと。移行していく段階で、自己の欲望の世界をそこで、と接触するわけだね、わかるね。
例えば、慢の場合は、そういうその慢を与えてくれる空間に身を置いて経験を始めると。いいかな。あるいは、例えば闘争の場合は闘争のある空間に身を置い
て経験を始めると。あるいは、情の場合は情の空間に身を置いて経験を始めると。あるいは、餓鬼の場合は先程いった貪れる状況において経験を始めると。ある
いは動物の場合は、ね、先程言ったとおり、その楽しみを求めて経験を始めると。地獄の場合は、対象に対して攻撃を始めるということによって経験を始めると
いう形になる。
こういう形成が起きてくるわけだね。これはOKかな。これが要するに、六処(りきしょ)、触(しょく)、受の段階だね。
それによって当然感覚が生起してくるわけでしょ。接触を始めることによって。どうかな。
これは、肉体の感覚、それから視覚、聴覚、嗅覚、味覚、ね、まあそれから最後に言った触覚、それと、それとは別に今度は意識の経験、つまり心の経験があるよね。どうですか。これを受といってるわけだね。
で、その経験の中で、「これは楽しい、これは楽しくない」という、次は二段階に分かれるよね。どうかな、これは。だよね。
で、一回楽しんだらもう一回楽しみたくなると、どうかな。二回、三回、四回とどんどんとらわれていくと。これが受から愛著(あいじゃく)の状態なんだね。愛、愛著、つまり取著(しゅじゃく)、愛著の状態なわけだ。
で、当然、その認識の中に愛著が生起するから、もう一方では強烈な嫌悪が生起します。わかるよね、言ってることは。つまり、偏った心の状態が形成されるわけだから、もう一方では、当然苦しみの、ね、あるいは嫌な感情が生起することになります。でしょ。
例えば、それはどういうことかというと、冷たさを好むとするならば当然熱さを憎むと、でしょ。あるいは柔らかいものを好むとするならば当然固いものを憎むと、でしょ。こういう形で、二極化、二極化されます。
◎苦しみの愛欲界へ
そして、そのとらわれによってその世界へと生を受けるわけです。
ということは、もうこの前の段階で、つまり苦しみと喜びという二極の心の状態を経験し、その二極の心の状態で転生しているから、その世界は当然二極の世界である。つまり、苦しみと楽しみの二極が現される、現されていくことになります。わかるかな。
これが十二縁起の法のすべてです。
尊師ファイナルスピーチIV(サマナ用) 全文データ
www015.upp.so-net.ne.jp/sinzinrui/fs4/index.html
ヴァジラヤーナコース教学システム・全内容
www.bekkoame.ne.jp/i/sinzinrui/vkyogaku.htm
マイトレーヤ元正大師特別寄稿
1回~10回(2002.5.13)
www015.upp.so-net.ne.jp/sinzinrui/doc/joyu/m_mokuji4.html
11回~20回(2002.5.12)
www015.upp.so-net.ne.jp/sinzinrui/doc/joyu/m_mokuji3.html
21回~30回(2002.5.8)
www015.upp.so-net.ne.jp/sinzinrui/doc/joyu/m_mokuji2.html
31回~40回
www015.upp.so-net.ne.jp/sinzinrui/doc/joyu/m_mokuji.html
現世一切皆苦
www015.upp.so-net.ne.jp/sinzinrui/doc/kaiku.html
核汚染対策の手引き
www015.upp.so-net.ne.jp/sinzinrui/doc/kaku.html
性欲を滅する瞑想
www015.upp.so-net.ne.jp/sinzinrui/doc/seiyoku.html
サマナ生活マニュアル
www015.upp.so-net.ne.jp/sinzinrui/doc/manual.html
グルへの帰依の五十の詩
www015.upp.so-net.ne.jp/sinzinrui/doc/50.html
ナーローパの生涯と教え
www015.upp.so-net.ne.jp/sinzinrui/doc/mokuji.html
喜軽安覚支
www015.upp.so-net.ne.jp/sinzinrui/doc/kikakusi.html
性欲を滅する瞑想
www015.upp.so-net.ne.jp/sinzinrui/doc/seiyoku.html
11月特別決意
www015.upp.so-net.ne.jp/sinzinrui/doc/11ketui.html
サマナ戒律
www015.upp.so-net.ne.jp/sinzinrui/doc/kairitu.html
サマナ食事マニュアル
www015.upp.so-net.ne.jp/sinzinrui
/doc/shokuji.html