【今から千年以上も前、ヴィルーパという偉大なる成就者がいた。・・捜査が始まり、ヴィルーパの所から、むしられた毛、
それから骨等が大量に出たと。つまり、ヴィルーパがこの鳩を食べてたわけである。・・そして出ていったと。・・僧たちは
ヴィルーパが成就した魂であったこと、つまり完全に成就していたことに気づいたと。・・そしてヴィルーパは岩山に行き、
多くの生き物を殺生し、そしてまた次の地方に行くという生活を続けたと。】
ついにヴィルーパ登場(前回の説法でイッリーサという語が10回、今回の説法でヴィルーパは13回使われている)
【さあ、ここで問題は、なぜヴィルーパは殺生をしたのか、という問題である。なぜヴィルーパは殺生し、かつ成就者だった
のかという問題である。】
回答者0、正解者0
【もちろん、僧院において殺生というものは戒律に反するから、みんな合議し、「こいつは悪魔にとりつかれたんだ」と。
で、追い出されたと。ヴィルーパはひょうひょうと、「そうですか、では出ていきましょう」と言って、そして出ていったと。
僧たちが送って付いてきたわけだが、そこに湖があったと。その湖の上をヴィルーパが歩いて向こう岸に渡ったとき、
僧たちはヴィルーパが成就した魂であったこと、つまり完全に成就していたことに気づいたと。そして、「戻ってぜひ教えを
垂れてくれ」と言ったが、「いや、あなた方が追い出したんではないか」と言って、ヴィルーパはそこから戻らなかったと。】
【密教の成就、この密教の成就者には、意識を移し変えるという技法が存在する。意識を移し変えるとは、死人の意識を抜き出し、
そしてアストラルへ移行させるとか、あるいは死人の意識を引っぱり出し、他の死体に意識を移し変える、とかいう技法である。
わたしも今から四年前、ネズミの意識を移し変える瞑想修行を行なったことがある。このとき成功したかどうかは、その意識が
完全にアストラルへ投影され、そしてアストラルでも生存の状態と同じ状態で活動を続けられるかどうかがポイントとなる。この
意識の移し替えの技法をヴィルーパはすでに達成し、そしてダーキニーの祝福によって、三悪趣を繰り返す哀れな鳩たちを
そこから解放し、高い世界へ至るための手助けをしたわけである。】
【もともと人間の生、中間状態、つまり死だね、そして再生というプロセスは一般の人から見たら断絶に見えるが、成就して
いる魂から見たら、それは断絶ではない。連続した一つの流れである。そして偉大なる成就者ヴィルーパはその生・死と
いうプロセスを完全にコントロールし、それをプラーナの流れによって完全に意識を移し変えることができたわけである。
ここで、何をどのようにしたらそれが可能なのかというと、自分自身のプラーナが完全に中央管に入り、そしてサハス
ラーラから抜け出す、つまりこの肉体の存在と空間の存在が、完全にプラーナによってつながったとき、そのプラーナの
流れに乗ってボーディチッタが移行すると。このボーディチッタの移行こそまさに個人的なポワ、自分自身のポワになる
わけだが、それと同じように他の生命体に対して同じエネルギーの流れを経験させることによってそれが可能となると。】
【しかしこの密教修行者の成就者も、そのプラーナの流れを一旦可能にして、そののちそれができなくなるパターンが
存在すると。それはまさに射精なのである。つまり、プラーナが解放され、その解放されたプラーナが下向きのエネルギー
として放出されるようになると、まさに上向きのエネルギーより下向きのエネルギーの方にもともとわたしたちの経験の
構成は、喜びを感じるがゆえに、プラーナの上昇の流れの経験ができなくなる。したがって、ポワの瞑想ができた魂が、
ポワの達成ができた魂が、アパーナ気を修習することによって、ポワができなくなるという例は、密教歴史においては多数
存在する。これほどまでに人間の肉体と意識というものは関係があり、また人間の瞑想のステージとプラーナの流れと
いうものは関係があるのである。わかるね。】
528 :神も仏も名無しさん:2016/06/18(土) 03:54:48.23 ID:uLI4JJKI
【しかしこの密教修行者の成就者も、そのプラーナの流れを一旦可能にして、そののちそれができなくなるパターンが
存在すると。それはまさに射精なのである。つまり、プラーナが解放され、その解放されたプラーナが下向きのエネルギー
として放出されるようになると、まさに上向きのエネルギーより下向きのエネルギーの方にもともとわたしたちの経験の
構成は、喜びを感じるがゆえに、プラーナの上昇の流れの経験ができなくなる。したがって、ポワの瞑想ができた魂が、
ポワの達成ができた魂が、アパーナ気を修習することによって、ポワができなくなるという例は、密教歴史においては多数
存在する。これほどまでに人間の肉体と意識というものは関係があり、また人間の瞑想のステージとプラーナの流れと
いうものは関係があるのである。わかるね。】
麻原も射精し過ぎてポワができなくなったのなら、修行を一からやり直せば良かった
ナーローパが止まらない勃起から一気に至福を達成できたように。
カルマを受けてポワができなくなった=もともと邪淫のカルマがあった、と(昨日)言ってなかったか?
密教歴史における失敗例は、霊統の伝授を受けるとその具体名が示されていたりすることもある
麻原自身の元来の系統というものがあって、その正統グルが降誕して教えが復興された際には、失敗例として麻原の名が
刻まれ弟子に明かされることになると思われる
529 :神も仏も名無しさん:2016/06/18(土) 04:11:43.40 ID:uLI4JJKI
【そして、この意識を抜け出させる訓練、これを徹底的に行なう必要があると。わたしたちは毒ガス攻撃を受けている。しかしわたし
たちは毒ガス攻撃を受けることによって、逆に一つの大きな利益を得ていると考えなければはならない。どのような利益だろうかと。
それは、まさに「死に近づけてくれる」という意味において大きな利益なのである。つまり、瞑想修行によって五大エレメントが分解し、
そして空に還元するわけだが、それを、瞑想ステージがまだそこに行っていないのに死に近づけてくれると。もちろん帰ってこれな
かったら死である。したがって、逆に自分の背中に短刀を〈突きつけ、〉突きつけられ、それによっていつ死ぬかわからない状態を、
〈この〉形成させてくれるというこの環境は、ヨーガ修行にとって最高の環境なのである。】
【真の哀れみというものはその対象に対して、心において、「ああ、あの人はかわいそうだな」と考えるのではなく、「その人を本当に
救済してやるぞ」と。「その人に真理がなければ、真理を叩き込んでやるんだ」と。「真理がなければ必ず未来際において真理の
世界へいざなう」と。あるいは、「高い世界へ必ず今生で引っ張り上げるぞ、どんなことをしても引っ張り上げるぞ」と、こう考えるのが
哀れみである。そして慈愛より哀れみが上なのは、慈愛はその人に機根があり、それによってそれを喜び一緒に協力してあげる
だけでいいわけだが、哀れみは逆に、その人に機根がないと。その機根のない魂に対して法則を叩き込むという非常にハードな修行
なるがゆえに、哀れみは聖慈愛より高度な修行なのである。わかるね。そのためにはステージを高くしなければいけないのである。】
赤の他人の修行環境を一方的に奪ってしまう、生命自体をはぎ取ってしまう
人間は人間であって鳩ではないと思うんだが?
我々の修行を深め、修行結果を回向していったならば、書籍も自前で出せる能力もあったのだし、いくらでも縁なき衆生に真理を
叩きこむことが可能だった筈なのだが?
530 :神も仏も名無しさん:2016/06/18(土) 04:14:42.77 ID:I69BQhY3
今は放射線がばらまかれているからなあ。
北朝鮮も20何個も核弾頭ミサイルを保有しているとみられる。
いつ死んでもおかしくない。
531 :神も仏も名無しさん:2016/06/18(土) 04:17:08.45 ID:uLI4JJKI
【Pはそんなつもりはなかったのだが、その住友化学の友人がぜひとも娼婦を買おうという話になったと。そして、Pもそれにつられ、
娼婦を買ったと。その娼婦とPが交わったとき、その瞬間から早漏になったと。そして、それは結婚してもずっと続き、修行を始めて
それが完全に消えたという話を聞いたことがある。ここで一つ説明しておきたいのは、早漏とは何かというと、要するに性的な経験
の最中において即ボーディチッタを放出すると、性エネルギーを放出する状態を指すと。なぜ、Pがそのような状態になったのか。
これはまさにPがそのときから他人の心に感応する力が少しあったのではないかと考えられる。そしてその娼婦は当然、相手の
アパーナ気を絶えずいじっているわけだから、動物か、あるいは地獄へ転生すると。そしてその〈データに、〉データを経験として
受け取ったそのときから、その早漏の経験が始まると。】
532 :神も仏も名無しさん:2016/06/18(土) 04:18:01.12 ID:Rd2DqxjF
私が今生で最も多く射精した相手は、宗教に無縁な正確でしたが、今でも清浄な出家生活を送ってます。
私はもう組織にいたいと思わないのですが、彼女は悟りの経験をしていないので、今でもグルグルのようです。
しかし、私は今生で行えた数少ない善業(魂の済)だと思ってます。
533 :神も仏も名無しさん:2016/06/18(土) 04:25:30.87 ID:I69BQhY3
529
哀れみ。すべての衆生は苦しんでいる。ゆえに苦しみから解放したいというのはその通りだが
今生になんとしても真理を叩き込むとかいうのは
例えると、まだ植えたばかりの種をまだ眼が出ないからといって土を掘り起こし
さらに種子の皮を剥ぎとるようなもの。
あるいは幼虫やサナギが、まだ蝶にならないといって、皮を剥ぎ取るようなものである。
結果を急ぐがために、過程を無視してはいけない。
衆生一人一人の状態をよく見極めてあげ、成長を喜びながら見守らねば
強い大木には育たない。
534 :神も仏も名無しさん:2016/06/18(土) 04:26:30.48 ID:uLI4JJKI
【これは、わたしたちに大きな示唆を与えてくれると。例えばオウム真理教には隠された教えとしてタントラヤーナ
の教えがあると。そう考えている弟子が多いと。そして、例えば自分の法友に、そのタントラヤーナの相手――
ダーキニー――がいないかどうか観察すると。そして実際に破戒に至る者がいると。しかし、破戒に至った者は
ステージがそこで上がるということは決してなく、必ず下向するか、あるいは自分のステージがそこから上がら
なくなるという現象が起きると。それはなぜかという問題である。それはまさにダーキニーと呼ばれるものは、空
【そら】を旅する女という意味であり、つまり天界から生まれ変わったものでない限りダーキニーとしての素質は
ないと。そしてしかも、しっかりと自分自身の前生を思い出し、風の流れがムーラダーラからサハスラーラまで
突き抜け、形状における観想がしっかりできて初めてダーキニーとしての資格があるのである。】
535 :神も仏も名無しさん:2016/06/18(土) 04:31:17.33 ID:I69BQhY3
532
これはよくわかる。
わたしも昔娼婦を買い、早漏だった。
娼婦ははやく射精させたい。それをひしひしと感じた。
そうなるといくら頑張っても、相手を心を尊重しがちな人間ほど、どうしようもなくなる。
536 :神も仏も名無しさん:2016/06/18(土) 04:32:27.15 ID:Rd2DqxjF
性タントラでひきあげた相手が真理に遠かったほど、菩薩行としての価値があるという考え方もある。
今の私の結論としては、性タントラを使わないで救済できるのが一番です。
しかし、女性は心を預けるにはセックスを求めるカルマがあるようです。
そこで、私はスシュムナーを通そうと持続して何度も逝かせることでデータ交換を行うわけです。
私は無智なのか、菩薩行なのか。
麻原は無智なのか、菩薩行なのか。
麻原は私なんかよりも遥かに格上ですが、私にはお釈迦様とのカルマが多く残ってます。
537 :神も仏も名無しさん:2016/06/18(土) 04:35:32.06 ID:Rd2DqxjF
天界から生まれ変わったものでない限りダーキニーとしての素質はないと。
そしてしかも、しっかりと自分自身の前生を思い出し、風の流れがムーラダーラからサハスラーラまで突き抜け、
形状における観想がしっかりできて初めてダーキニーとしての資格があるのである。
これはよく分かる。
でも、そのような女性ばかり相手にしていては菩薩行としての救済にならない。
これは、大乗修行者ではなくて、密教修行者ですね。
538 :神も仏も名無しさん:2016/06/18(土) 04:38:33.75 ID:I69BQhY3
536
交合しながら射精しないで持続できるというのは凄い能力だと思います。
わたしにもそういう能力があったら、性欲捨断はもっと困難だったと思う。
539 :神も仏も名無しさん:2016/06/18(土) 04:47:32.33 ID:Rd2DqxjF
536
今でも清浄な出家生活を送っていた相手は、有名大学をでてきちんとした正社員だったけど
享楽や芸能が好きで真理とは無縁だった感じだったという意味で書きました。
しかし、娼婦の心を解放することができれば、とても偉大な善業になると思います。
私も、娼婦に会ったことがありますが、心の底にある何かを厚い壁で大切に守っているイメージを受けました。
その壁が厚いのが娼婦で、薄いのが天界女性なのかも知れません。
540 :神も仏も名無しさん:2016/06/18(土) 04:53:14.31 ID:Rd2DqxjF
538
凄い能力だと思いませんが、少なくとも女性が逝くまでは、自分を保持できてます。
初めての時は射精しません。データ交換が少ないので無智が襲ってこないからです。
それ以降、少なくとも5回以上連続して逝かせてデータ交換が進んだ時に、
それを昇華しきれない瞬間を突かれて射精してしまう感じです。
541 :神も仏も名無しさん:2016/06/18(土) 04:54:29.78 ID:uLI4JJKI
【つまりそうじゃない異性との交わりというものは、単なるアパーナ気の修習、特に例えば人間の転生や、あるいは
低級霊域、動物の転生の場合、性的な経験の構成が非常に多いから、交わった瞬間からデータが入れ替わり、自分の
今までのボーディチッタの保全ができなくなり、アパーナ気がどんどん動くという現象が起きるのである。これを
わたしたちに示してくれたのが、まさに先程のPの話ではないかと思う。わたしは一昨日、昨日と、マルパの話や
ティローパ、ナーローパの話をした。特にナーローパの話においては、グル・ティローパがナーローパに対して、
そろそろ交わりの瞑想の時期だな、という一言でナーローパは娼婦を買い――まあ正確には娼婦を買うのではなく、
十六歳の女性を買うといった方が正しいが――、そして一生懸命タントラの修行に励むと。しかし、当然その十六歳
の買われた女性は天界から生まれてきているわけではないから、いくら形状-容姿が美しくてもプラーナはスヴァディ
スターナで詰まっていると。したがって、ナーローパもそれまでのエネルギーの上昇や、あるいは至福といったものが
一切消え、スヴァディスターナにエネルギーが集中し、そしていつも勃起している状態となり、それを石で叩いてね、
その勃起を鎮めるというような状況が来ると。】
石で叩いてというくだりは教団でも同じことが再現されたけど、彼は人見知りしない性格だったから
いろんな事をよく語ってくれた。彼も彼の弟も彼が導いて師になった女性も、また来世出会って縁を
深めることができたらいいなと思えるような魅力を備えていたと思ってる
541 :神も仏も名無しさん:2016/06/18(土) 04:54:29.78 ID:uLI4JJKI
【つまりそうじゃない異性との交わりというものは、単なるアパーナ気の修習、特に例えば人間の転生や、あるいは
低級霊域、動物の転生の場合、性的な経験の構成が非常に多いから、交わった瞬間からデータが入れ替わり、自分の
今までのボーディチッタの保全ができなくなり、アパーナ気がどんどん動くという現象が起きるのである。これを
わたしたちに示してくれたのが、まさに先程のPの話ではないかと思う。わたしは一昨日、昨日と、マルパの話や
ティローパ、ナーローパの話をした。特にナーローパの話においては、グル・ティローパがナーローパに対して、
そろそろ交わりの瞑想の時期だな、という一言でナーローパは娼婦を買い――まあ正確には娼婦を買うのではなく、
十六歳の女性を買うといった方が正しいが――、そして一生懸命タントラの修行に励むと。しかし、当然その十六歳
の買われた女性は天界から生まれてきているわけではないから、いくら形状-容姿が美しくてもプラーナはスヴァディ
スターナで詰まっていると。したがって、ナーローパもそれまでのエネルギーの上昇や、あるいは至福といったものが
一切消え、スヴァディスターナにエネルギーが集中し、そしていつも勃起している状態となり、それを石で叩いてね、
その勃起を鎮めるというような状況が来ると。】
石で叩いてというくだりは教団でも同じことが再現されたけど、彼は人見知りしない性格だったから
いろんな事をよく語ってくれた。彼も彼の弟も彼が導いて師になった女性も、また来世出会って縁を
深めることができたらいいなと思えるような魅力を備えていたと思ってる
561 :神も仏も名無しさん:2016/06/18(土) 06:22:27.83 ID:uLI4JJKI
【これがまさに、経験の構成とエネルギー、つまり風の流れとの関係を表わしているもののように思われる。そして、ナーディーの
詰まりとは先程述べた観念であり、つまり今までの経験の構成であり、そして風の流れとはまさにその観念の枠から抜け出せない
ことの現われであると。そこをよく記憶修習しなさい。いいね。元気がないな、非常に。はい、それではねえ、ぜひともコンソートを
持って修行したい人、あるいはタントラの主神を得て修行したいと考えている人、はい、一人ずつマイクを回すから一言でパッと
言いなさい。ナーローパ、一応アンケートというか、数字を取っておけ、ね。はい、声出してね。名前と、どうしたいということについて
一言ずつ。】
麻原のタントラヤーナは明らかに俗だったが、聖か俗かどちらか一方に必ずなるものなのかどうかはわからない
聖と俗を同時に麻原は実践していた可能性も無いとは言い切れない
心は完全に聖、身は完全に俗とか、心と身の半分は聖、半分は俗のように、矛盾することが同時に成立する世界もあるのかもしれない
562 :神も仏も名無しさん:2016/06/18(土) 06:27:48.29 ID:GShfD/3b
我慢できず中出ししちゃった早漏のP!
563 :神も仏も名無しさん:2016/06/18(土) 06:33:03.24 ID:uLI4JJKI
【(尊師)煩悩捨断というのは、先程述べたとおりプラーナが〈下に〉下向きに至る道筋、ね、これを止めてしまうことだよね。煩悩破壊というのは、
例えば煩悩は上にもまだあるんだよ。最終のこのサハスラーラを破るまで。例えば権力の志向とか、先程の現世の満足とか、愛著とか、まあ
いろいろあるわけだが、それを懺悔によって、あるいはエネルギーの循環によって完全に取り払い分解してしまうこと、これが煩悩破壊だよね。
そして最終の大完全煩悩破壊というのは、サハスラーラ・チァクラを完璧に崩壊させたとき、これが大完全煩悩破壊と呼ばれるものです。】
【(尊師)それは煩悩捨断がまだできていないんだ。というか、これは言っておきたいが、最終解脱する前は、例えばそこに女性のヌードが何人
転がっていても全く反応しなくなります。反応しないというのはインポテンツ、つまり勃起しないという意味ではない。異性でもなければ同性でも
ないという、つまり空間が違った状態になるんだ。
(尊師)でしょ。それよりももっと空間的な意識的な隔たりは大きくなります。
(質問者L)空間的な、意識的な働きと言いますと
(尊師)同じ次元に存在していながら、同じ例えばこの大地に足をついていながら、全然別個の空間の意識が出てくるんです。
(質問者L)意識の分化ということ。
(尊師)それはちょうど動物と一緒にいるとき以上の距離があります。わかるかな。
(質問者L)何となく想像で。
(尊師)だから想像だよね。〈そのとき〉その段階で煩悩捨断は成功したと考えてください。】
578 :神も仏も名無しさん:2016/06/18(土) 07:23:02.76 ID:uLI4JJKI
【(質問者G)VAですけど、タントラ・ヴァジラヤーナ解説で、以前、サキャ神賢がある菩薩を初めて見たときに、
「このような仏陀になりますように」と一念を発っしたことから、三つの数え切れない時代の真理勝者への道が
始まったとあったのですが、この一念がそれほどの力を持つんですけど、その思念の力の強さ……
(尊師)だからそれはね、サキャ神賢が偉大な魂だったから、それだけの影響力を持つんだよ。これが普通の
凡夫だったら、そこまでの力はありません。・・もともと偉大な成就をしている真理勝者サキャ神賢が発願なさった
思念というものは、普通の思念の何万倍、何十万倍、何億倍という強い思念なんだ。わかるかな。だからそれだけ
長きにわたって道を確定したわけだ。】
急いてはことを仕損じる--教団について思うのはこれ
CBIもサティアン建築時に3年もてばいいと言われたと聞くが、修行にしても宗教活動にしても、瞬発的な成果は
大きかったのに、持続的な成果を得るための思念はされていなかったように思う
麻原の思念、目的は、短い時間に一気に数生分の体験をさせることであり、麻原の思念の方向性どおりに教団は動か
され、その役目は事件後何年かの段階で果たし終わったんだと思う
将来的に実践する価値のある、効果の極めて高い修行法が公開されていくことも理解してたので、麻原自身が説く法は
基本的なものに絞られた
麻原の意思は教団継続でも教勢拡大でもなく、教団を解散させ、各自がそれぞれ今生で解脱を体験できる系譜を探し当て
実践蓄積して解脱を果たせ、ということだったのなら、教団の辿った道筋にも事件を除いて幾分は納得できるのである
579 :神も仏も名無しさん:2016/06/18(土) 07:23:06.89 ID:I69BQhY3
植物も萎れたら、水をやり過ぎなのか、水が足りないのか
肥料やり過ぎ、いろいろ原因がある。
衆生それぞれカルマが違うように。
それをいっしょくたにポワだと救済だと、おごり高ぶっても、実りをもたらさない。
580 :神も仏も名無しさん:2016/06/18(土) 07:28:21.82 ID:uLI4JJKI
【真の哀れみというものはその対象に対して、心において、「ああ、あの人はかわいそうだな」と考えるのではなく、「その人
を本当に救済してやるぞ」と。「その人に真理がなければ、真理を叩き込んでやるんだ」と。「真理がなければ必ず未来際
において真理の世界へいざなう」と。あるいは、「高い世界へ必ず今生で引っ張り上げるぞ、どんなことをしても引っ張り
上げるぞ」と、こう考えるのが哀れみである。そして慈愛より哀れみが上なのは、慈愛はその人に機根があり、それによって
それを喜び一緒に協力してあげるだけでいいわけだが、哀れみは逆に、その人に機根がないと。その機根のない魂に対して
法則を叩き込むという非常にハードな修行なるがゆえに、哀れみは聖慈愛より高度な修行なのである。わかるね。そのため
にはステージを高くしなければいけないのである。】
この日の説法は「哀れみ」の5/7がこの部分にある、省いたけど、なんか哀れみのレスがあったんで引用
581 :神も仏も名無しさん:2016/06/18(土) 07:31:02.71 ID:GShfD/3b
機根の無い哀れみの救済対象 P!
582 :神も仏も名無しさん:2016/06/18(土) 07:36:39.53 ID:I69BQhY3
哀れみは、他者の苦を背負うこと。
だから自分ができることで手助けする。苦労を分かち合う。
菩薩は全部背負おうと決意するわけだけど。
慈愛は自分の喜びを与えること。
布施にも繋がるわけだけど。回向にも。
チベット仏教にはトンレンという実践的な修行があるけど、それと同じこと。
おごり高ぶって、救済だ!ポワだ!という姿勢は間違い。
583 :神も仏も名無しさん:2016/06/18(土) 07:38:48.41 ID:uLI4JJKI
【大切なことは君たちが生・死を通して意識の連続を経験すること。そして、例えば〈みみ、〉耳から何か聞こえてきたら、
あ、今、耳の気道が通り出しているなと考える。次に何かものが見え出したら、あ、耳からアージュニァーにかけての
気道が通り出してるなと考える。このように気道とプラーナの関係を理解すれば、体験に対してとらわれることはなく
なるはずである。そして完全なる浄化の道を達成してほしい。いいね。】
言うは易し行うは難し--教団について思うのはこれ
教祖自身、聖者の何人からそう指南され、それを弟子にも伝えてる点は問題ないが、気道とブラーナの関係を理解
できてる人はオウムにはいない
ヴィルーパのような偉大な成就者は麻原含めオウムに存在しない、オウムの体験はそのような意味ですべて幻影に過ぎない
最終更新:2016年07月10日 20:56