黄金へ導け紫鏡之蝶 ──『絆』は『夢』── ⑥

より


室内に揺蕩う圧迫の大気。
 それらを凝縮させ放たれた弾丸が、一抹の慈悲もなく心臓を抉った。
 予想したより遥かに重厚な炸裂音が空気を裂き、鼓膜を揺さぶり、そして。

 即死。
 こうして、
 誰よりも優しく、誰よりも強く、
 慈愛で人々を導いてきた聖白蓮という聖女は、
 無慈悲な一発の弾丸によって、その永い一生を閉ざされた。


 〝悪〟を受容した、堕ちた紅葉神の手で。




「───なに?」




 短く漏れた声の主は、誰よりも動揺を与えられたホル・ホースのもの。
 虚を衝かれた。然もあらん。
 今まで幾度となく聴いてきた我が皇帝の吐く咆哮は、こんな重い響きを持たない。
 何より自分はまだトリガーを引き絞っていない。どころか、背後から睨む標的に対し視線を向けてすらいない。

 影のように現れた、謎の金髪の少女。
 彼女が手に持つ『植物』が銃声の出処だ。
 聖白蓮の命を横から唐突に奪ったのは、この少女だ。


「お前……」


 ホル・ホースは唖然として固まる。脳裏に浮かぶのは、満月に照らされた鉄塔での出来事だ。
 間違いないし、忘れようもない。この女は『あの時』、寅丸星の隣に居た赤い服の女。


「───静葉か」


 其の者の名を、DIOは静かに呟いた。
 男の呟きを起因として、ホル・ホースはハッと我に返る。
 瞬間、一筋も滲んでなどいなかった手の汗が、思い出したように溢れ出てきた。


 今、オレは誰を撃とうとしていた?


 己に非情な命令を飛ばした、生意気な吸血鬼の脳漿をブチ撒けてやろうと企てていなかったか? それでDIOが大人しく死んでくれれば御の字だが、今なら確実に言える。
 もしもさっき、振り返ってDIOを撃っていれば……死んでいたのはオレの方だろう、と。
 酔っていた。不意打ちでならDIOをも殺せると、完全に正常な判断が出来ていなかった。身震いがする。九死に一生を得たのだから無理もない。

 そして、ホル・ホースの生還と引き換えに……救おうとしていた女は死んだ。
 秋静葉。彼女が、聖女を殺害したという。
 結果を見れば、ホル・ホースの命を寸での所で繋ぎ止めたのはこの少女の殺意であった。彼女が居なければ間違いなく自分も殺されていた。

 ……殺意?

 自分で唱えた言葉に違和感を覚えたのはホル・ホース自身だ。
 彼女は確かに殺意をもって白蓮を殺害した。それが真実だ。

 じゃあ、静葉のこの『表情』は何だ?


「……はっ……はっ……はっ……、うぅ……っ!」


 ひどく怯えていた。
 恐怖、とも言い換えられる。
 元々はそれなりに整っていたであろう顔の半分ほどは火傷で燻っており、顔が蒼白に塗れていた。目は虚ろで、玉粒の様な涙すら流れている。両肩はカタカタと小刻みに震え、今にも膝から崩れ落ちそうな様はとても見ていられない程に弱々しいものだ。

 異常、と言えるだろうか。
 違う。彼女は正常だ。呆れ返るほどに。
 まるで『初めて人を殺した少女』のように怯えている。
 それが現在の秋静葉を表現した、最も適切で正しい形容だ。

 あまりに不可解な様相。
 抵抗の末に意図しない殺人を犯してしまったと言われたなら理解も出来る。
 しかしそうでない事はこの場に立っていたホル・ホースがよく知るところだ。自ら身を乗り出し、男の横から掻っ攫うようにしてわざわざ殺害したのだ。しかも相手は、放っておいてもあの世行きだった瀕死の坊主ただ一人。
 怨みを持っていたのか? ならば寧ろ逆だ。因縁があるなら、弟子を奪われた白蓮の方から静葉に対してだろう。

 こんな苦悩する思いを背負ってまで女を殺したその理由が、ホル・ホースには不明であった。


「なるほど。つまりそれが、君の『答え』という訳だね。秋静葉」
「…………は、……い……、」


 誰にも理解出来なくていい。
 静葉の中でのみ、この儀式には絶対的な意味があるのだから。

 少女の腕の中で、白蓮を殺した『武器』がにゃあと鳴いた。
 この奇妙な生物に、『奪う』という行為の意味は理解出来なくていい。
 静葉の中でのみ、殺しを遂げた事実が渦巻いていれば良いのだから。

 理解出来なくていい。理解出来なくていい。理解出来なくていい。
 誰も私を理解出来なくていいし、する必要なんかない。
 私は『必要』だから殺した。誰だって良かった。
 他者の骸を足元に積み上げる、それ自体に意味があるのだから。
 私は今、泣いているのだろうか?
 どうしてなのかな。もう、『四人目』だというのに。
 前の三人は平気だった……いや、一人目の時は、同じように泣いていたと思う。
 あの時と同じだ。初めて明確な意思で、誰かを殺したあの時と。
 忘れてなんかいない。その時の『恐怖』は。
 ……いや、それも違う。
 『忘れよう』としていた。その時の恐怖を。
 感情を忘れて、ひたすらに目的だけを見据えていた。
 DIOに会って、その行為が『逃げ』だと気付かされた。
 そして、諭された。強引に思い出された。


 私は『弱い』のだと。
 そして、その自覚を忘れるなと。


「頭の中の『声』は、どうなったかね?」
「…………消えません。どころか、一つ増えました」


 だろうな、と。予想していた静葉の返答に、DIOは感慨無さげな反応で終えた。
 裏腹に、彼の心中では少女の『戦い』へと万雷の拍手を送っていた。単なる殺人鬼ならば嫌という程に見飽きた。今までの機械的な静葉であれば、その道へと進み抜け……半ばにして倒れていたろう。
 無論、今の『本来』の秋静葉であれば、更なる苦境が待ち構えている事はもはや確定事項だ。それを受け入れ、弱き己を認め、その上で逃げずして、再びこのDIOの前へと姿を見せた。

 己を誤魔化さずに、正面から受け止めた。
 何よりその勇気ある行動を称賛すべきだと、DIOは本当に嬉しく思う。

「君は神の身でありながら『聖女』を殺した。この先もっと辛い運命が、君を様々に悪辣な方法で試すだろう」
「…………理解、して、います」

 未だ息荒くするか弱き少女は、私の望むがままの答えを示してくれた。
 彼女には伸び代がある。ここに来てようやくスタートラインに立てたと言えた。
 これより先の荒野を駆けるのは、彼女の足だ。私はそのきっかけを与えたに過ぎん。

「鳥は飛び立つ時、向かい風に向かって飛ぶのだという。追い風を待っていてはチャンスなど掴めん。君は君自身が握る操縦桿で、空を翔ぶのだ」
「わたし、自身の…………」

 死ぬかもしれないという恐怖。
 害されるのは嫌だという拒絶。
 手を血で染める行為への忌避。
 今の秋静葉には、負の三拍子が揃っている。
 弱者には当然備わるべき気持ちを、誤魔化さず、捻じ曲げず。
 本来の秋静葉が持つ弱さ/強さだからこそ、私は傍に置きたいと真に思う。


「改めて───友達になろう。秋静葉」
「私なんかで……良ければ、是非とも……」


 優しく差し出された腕に、静葉は縋るようにして応えた。
 少女が男の前で涙を流すのと、腕を取るのは、共に二度目となる。一度目とは大きく異なる意味を擁したアーチは、『声』にうなされ続ける静葉の頭の中を熱く蕩けさせた。まるで麻薬だ。
 先程までとは別の意味で焦点が合わさらない少女の瞳目掛けて、腕を解いた男は新たに投げ掛ける。

「実はね、静葉。君に会わせてみたい人物が館の地下図書館に居る。彼は、君の境遇と少し似ているかもしれない男だ。興味があるならば……話してみても良いかもしれない」

 危険な生物、とは敢えて警告せずに伝えた。折角手駒に加えた良質な『仲間』が、早くも壊される可能性を危惧しつつも。
 しかし奴──サンタナは、静葉など問題にならない程に強力な人材。故になるべく懐に迎えたいが、手網を握るのは困難な暴れ馬に違いない。
 そこで、まずは静葉を遣わせ様子見だ。奴はどうやらこの自分に対し、ある種の嫌悪を抱いている様子なのは明らかだからだ。静葉が喰われた所でさほどのダメージとはならないが、奴を本格的に敵へと回すデメリットは静葉のロスを優に超える勘定と判断する。

「君とは……多少の『縁』もある筈だ。きっと有意義な時間を過ごせると思う」

 騙すような物言いとなったのは少々気が引けるが、物は言いようといった言葉もある。
 果たして静葉は、DIOの言葉を疑いもせずに歩み出した。その後ろ姿をしばらく眺めていると、途端に男はホル・ホースへ向き直り、先とは打って変わった禍々しさを添えた笑みを浮かべて喋くる。


 仮面が、剥がされた。
 対峙するホル・ホースには眼前の吸血鬼がそう映り、慄く以外の全ての行動を丸め込むように封鎖された。
 警戒しているのか、DIOはプッチの遺体をこれ以上検分しようとしない。そんな必要など無いと言わんばかりに、男は次の台詞を吐き出した。


「さてホル・ホースよ。お前がとっとと撃たないから、獲物を横取りされてしまったようだな?」


 今やDIOは床の死体を一瞥もしない。代わりに見据えるのは、恐怖心を押し殺して打開を探るカウボーイの伏せた双眸だ。
 皇帝を具現させる暇すら与えてくれない。DIOはもう、決して隙など見せてくれない。


「お前が聖を撃たなかったのは……『迷い』が生じたゆえだ。だがそれは、お前の未熟には繋がらない。
 寧ろ、だ。───素晴らしい。最後の最後、お前の双眸は完全に恐怖を支配していた。殺意に塗れた、躊躇なく人を殺せる者の眼を完成させていた。背後に立つ私からでもよく分かる程に、ね」


 爪の垢を煎じて静葉に飲ませたいくらいだ。男はそう続かせ、ジョークでも零すみたいにクク……と肩を震わせ笑った。ゆらりと揺れた黄金の髪が、ホル・ホースには不吉な兆しにも見えた。
 ホル・ホースは浅はかな勘違いをしていた事に、ようやっと気付かされた。先の場面で静葉が横から割って入らなければ、蛮勇を振り翳したホル・ホースはきっと背後のDIOを攻撃し、あえなく返り討ちにされていたろう。静葉の行動が、結果的にホル・ホースを救ったのだと。

 ───そんな甘い夢みたいな、勘違いに。


「お前の実力に素晴らしい才能があるだけに───とても残念だ」


 静葉の横槍など、この男の前では関係無かった。
 あのとき死ぬか。これから死ぬか。違いなどそれだけで、自身の寿命がほんの僅かに延びたに過ぎない。
 ただ、それだけだ。結果は何も変わりはしなかった。


「残念だよホル・ホース。お前が最後に披露した本物の殺意を向ける相手が……『私』でなければ、きっと信頼出来る部下になれたろうに」


 変わりはしない。
 ホル・ホースが迎える死の結果は、変わりはしなかった。


「私の友を撃った愚挙は水に流してやろうと考えていたのに。君はその『信頼』を裏切った。



 本当に残念だが───お前はここで死ぬべきだ、ホル・ホース」



 長々と時間を掛けながら全身徐々に氷漬けにされていく悪寒がホル・ホースに取り憑く。指先をピクリとも動かせない一方で、歯だけはカチカチと警鐘のように喧しい音を鳴らし続けていた。皇帝で反撃しなければという、なけなしの戦意すら湧いてくれなかった。
 殺し殺されが蔓延る暗夜の世界で生きている以上、いつの日か無惨にくたばる未来が訪れることは承知しているつもりであった。死ぬなど絶対にお断りだと思ってはいるが、もし『その時』が訪れれば、それはそれで結構あっさりした気持ちを迎えながら死ぬのかもなあ……という漠然たる気持ちも何処かにあった。


 それでも。あぁ、そうだとしても。

 DIOのとある部下が、いつだか彼に語っていたあの言葉が……最後になって理解出来た。




  ───この人にだけは、殺されたくない───










「見付けましたわ。レディを二人も部屋に置き残して消えた、薄情なスケコマシさん?」










 迫り来る絶対的な『死』に心を折られ、視界を暗黒に閉ざしたホル・ホースが闇の底で拾った声。それはこの場にそぐわぬ女性の佳音。
 ハッと意識が呼び戻された。地獄に堕ちる最中のホル・ホースが無我の中から掴んだ蜘蛛糸の先に、その女は立っていた。男との逢瀬を約束した時と場に降り立つと、相手が見知らぬ女性と手を交わしている。そんな場面を目撃してしまった女性が浮かべるような、お冠な面立ちで。

 〝彼女〟は、ホル・ホースに冷ややかな笑みを差し出していた。


「貴様……八雲紫ッ!」


 ホル・ホースが闖入者の女に意識をやるより早く。
 前方で自分へと睨みを利かしていたDIOが、一際大きな声を張り上げる。
 瞬間、ホル・ホースの真横に影が走った。その正体は人影ではなく、床に亀裂を入れる黒い線。亀裂はまるで意思を得た弾幕の如く縦横無尽に床を駆け抜け、一人の少女を終点にして口開いた。


「〜〜〜っ!?」


 宇佐見蓮子
 黒い線は待機していた彼女の足元にまで辿り着き、人間一人を呑み込める程度の『スキマ』にまで成長して、その少女を闇の下へと突き落とし、また消えた。


「古来より人間共を恐怖させてきた謎の消失現象──『神隠し』の犯人が、この大妖怪・八雲紫だと。……DIO。貴方は御存知だったかしら?」
「チッ……!」


 蓮子が『攫われた』。不意の事態がもたらすこの結果に、DIOは苦い顔で舌を打った。
 彼女はDIOにとっての人質であり、それを懐から引き剥がされたとあっては敵の狙いは瞭然だ。


「───〝マエリベリー〟! ……後は、お願いします」

「───ええ。……任せて、〝紫さん〟」


 旧来の相棒であるかの様に、現れた二人の女性は互いに目配せする。
 八雲紫と、マエリベリー・ハーン
 いつの間にか『夢』から帰還していた彼女らは、再びDIOの前に姿を見せた。
 別れを惜しむ間もなく、二人はすぐに別離する事となる。

 一人は、邪悪の化身を足止めする為に。
 一人は、変貌した親友を取り戻す為に。

 DIOの前に立ちはだかった八雲紫が右手を上げると、後ろに控えていたメリーの足元には再びスキマが現れた。


「させんッ! 『世界』! 時よ、止ま───!?」


 世界が停止する。
 DIOがそれを行為に移した時点で既に八雲紫が放っていたのか、無限の弾幕が男の周囲にバラ撒かれていた。
 たとえ時間が固められていても、これだけの密度を備えた弾幕を回避するのは容易ではない。ならば回避を捨て、『世界』の腕によって全て防げば良いだけの話。
 そしてこの罠に嵌められた時点で、用意された制限時間内にメリーの離脱を止める術は奪われたも同然。彼女らの立ち回りの良さを見れば、入念なプランを練って来ているのは明白だ。


 ───DIOは後手に回らざるを得ず、時は再始動する。


「……流石に、今のでは仕留められないわね。それなりに丹精込めて配置した弾幕なのだけれど」
「フン。皮肉の達者な妖怪だ」

 それなりに、と紫は言ったが、今のはメリーを安全に『地下』へと送り届ける為の妨害策。よってDIOへの攻撃能力にはさほどの重きを置いていないコケ脅し弾幕だ。
 横目でチラと後方を窺う。無事メリーは宇佐見蓮子を追って行ったようだ。
 後は彼女に全て任せよう。DIOを受け持つこっち側は大した問題でもない。適当な頃合いを見て離脱すれば、作戦は半分ほど成功なのだから。

 始動した時間の末に見たDIOの身体には、今放った弾幕の掠り痕は一片すら見当たらない。元々激しい戦闘の直後だったのか、所々に負傷が見られるが、それは紫の知る所ではない。
 予想した通り、今ここで戦ってもこの男には勝てやしないだろう。彼に弾幕ごっこをやらせれば、初心者なりに随分といい所まで行くのではなかろうか。

 フゥ、と息をひとつ吐いた紫は、床に倒れた一人の女性を発見する。〝こんな身体〟においても、心はしっかりと痛みを伝えてくれるようだ。
 思わず唇を、強く噛む。

「……聖白蓮は、間に合わなかったか」

 極めて感情を抑えて発した言葉のつもりだったが、思いの外それには気怠い無力感が混ぜられてしまった。
 決してそこのホル・ホースへ向けた非難の言葉などではない。だが負い目を感じているのか、彼は伏し目がちに紫へと返す。

「……すまねえ」

 ただその一言だけを、男は零し。
 直後に踵を返した。

 遁走の行く先は当然、紅魔館の出口。紫がメリーを伴ってここへ現れたのは蓮子とDIOの分断目的であって、白蓮はともかくホル・ホースについては言うならついでだ。
 彼とてそんな事は理解出来ている。そして紫が寄越してくれた小さな目配せに「今すぐ逃げろ」の意が含まれていた事にもすぐさま察し、従った。
 逃げるという行為、それ自体は大いに受け入れるのがホル・ホースなる男の信条であったが、女を盾にして逃走するという無様は苦痛以外の何物でもない。それで女の方が無事に済むというのであればなんら問題無い。しかし、盾にした女が無事に済まなかった体験が既にして一度身に染みている。

 複雑な心境のまま、孤高のカウボーイは再び戦場から去った。彼の気配が室内から消えたことを完全に確認すると、紫は残された白蓮の亡骸に思いを馳せる。
 聖白蓮とは幻想郷にとって、そして八雲紫にとってどんな存在であったか。彼女の、人と妖の共存を謳う理想論はこの土地にとっては皮肉なことに、根本的に噛み合わない。
 それでも白蓮は善く尽力してくれた。新参勢力ではあったが、過去の異変にも駆け付けてくれた。その純粋な正義を紫個人が心中で好ましく思っていたのは、嘘偽りのない事実だ。
 せめて彼女の遺体は寺へと持ち帰ってあげたい。そんな憐れみも今この時において、邪悪の目の前では霞んでしまう。

「……青娥」
「はいはい」

 DIOは対峙する紫からは目を離さず、控えの青娥に声を掛けた。この期に及んで彼女は大して狼狽えることなく、“指示待ち態勢”から姿勢を直してDIOへ返答する。

「すぐに二人を確保して来い」
「優先度は如何が致しましょう?」
「出来れば両方だが、優先するなら蓮子の方が好ましい。今はな」
「了解です。この青娥娘々にお任せあれ〜♪」

 晴れやかな笑顔と、慎ましい会釈を残して。
 邪仙はステップを踏むかのように、優雅な足取りで部屋から去った。

 紫は歯痒くもそれを見送るしか出来ない。断固阻止するべきだったが、DIOの横を通り抜けて一瞬の内に、という条件付きでは難関すぎる。
 兎にも角にも、紫の目的はあくまでDIOの足止めだ。賢者はスっと目を細め、のんびり過ぎるくらいに穏やかな口調で男との再会を喜ぶ。

「さて、と。……ちょっと久しぶりかしら? DIO」
「そうなるな。何しろ私が最後に見たお前の本来の姿が、ディエゴの支配を受ける直前の無様に這い蹲る敗北の姿だったかな」

 紫からしてみれば耳の痛くなる過去話。ディエゴの恐竜化を受けたあれから、様々な事があった。預けてきた霊夢に関しては心配不要だ。傍に付いた人間──霧雨魔理沙なら何とか霊夢をフォローしてくれるだろう。
 悪い事も多かったが、良い事もあった。特にジョルノ・ジョバァーナとマエリベリー・ハーンの二人との出会いは、紫にとって大きな収穫であった。

 マエリベリー。彼女はまだ、あらゆる意味で若い。
 どんなに桁外れな異能力を秘めていようと、たかだか二十程度の短い人生を生きただけの少女なのだ。

 ───『宇宙の境界を越える能力』

 彼女の翼は誰も見た事のない程に大きく、制御の困難な羽根だと判明した。あるいは、そこのDIOによって判明させられたのかも知れない。巨大な操縦桿を握るには相応の資質が不可欠であり、今のメリーには過ぎた代物だ。
 だからこそ、傍でずっと支えてくれる人間が必要。


(それは恐らく……私では、ない)


 寂しげに認識した自身の言葉を、紫は強く確信する。少なくともメリーに必要な人間は八雲紫ではないのだ。同じ自分を必要とするなんて、それこそおかしな話であるから。

 では、誰か。
 聞くまでない。少女にはもとより、大切な『友達』がいたのだから。
 これはあの娘にとって、邪悪に魅入られた友達を救う為の戦い。
 きっと……最初で最後の、運命そのものを決する戦い。
 ならば私は、私に出来ることをやろう。


「あの娘──マエリベリーの『力』を、貴方はずっと欲していた」


 メリーの友達を奪ったDIO。
 私自身の心も、この男の所業を決して許さないと喚いているのが分かる。

「お前のその様子だと、メリーの『力』は目覚め始めたようだな。礼を言うぞ。大妖怪・八雲紫」

 DIOは何食わぬ顔でそう宣う。この男も気付いていたのだろう。夢の世界──竹林の中で出会ったメリーとの話に潜む、根本的な矛盾について。

「DIO。貴方は『夢』の中であの娘と話をしたそうね。そして奇妙な矛盾に気付いた」
「気付いたのは会話を終え、夢の中からメリーが去ってしばらく……そう。この紅魔館で“もう一人の私”ディエゴ・ブランドーに出会った後からだ」

 つまりDIOとディエゴも、私とメリーと同じ。
 『一巡前』と『一巡後』の同一存在。

「基点は『スティール・ボール・ラン』の存在だった。ディエゴはそのレースに深く関わる人間だが、私はそんな催しなど聞いた事もなかったからな。
 お前はどうだ? かのレースの存在を今まで知りもしなかったのではないか? 何故ならお前も私と同じく『こっち側』の宇宙に生きる存在だからだ」
「ご名答。そして貴方はきっとメリーにもこう訊いた事でしょう。『スティール・ボール・ランを知っているか?』とね。結果は……言わずもがな、かしら」

 メリーはディエゴと同じく『あっち側』の宇宙から来た参加者だった。通常では考えられない理をDIOは更に突き詰めた。そうであれば、どう考えても辻褄が合わない事柄が浮き出てくる。

「では……メリーは過去『如何にして』幻想郷に渡ったというのか? メリーの住む世界線に幻想郷は無い。在るのかもしれないが、そこに八雲紫という名の妖怪は居ないだろう」
「矛盾というのはその部分ね。マエリベリーが幻想郷に来れたこと、それ自体が既に奇妙だった。
 しかしあの娘の話を聞く限り、与太話とも白昼夢とも到底思えない。つまり何かしらの特異な『手段』を以て、彼女は無意識にも秘めたる扉を開いた」

 『手段』というのは、単純にして強大な『力』。
 その力を、メリーは自分なりの見解で『結界の境目が見える程度の能力』だと自覚し、称していた。

 実際はそれどころではない。人間が許容できる範疇を過度に踏み越えた、禁断の力を有していた。
 異なる平行宇宙に住む彼女が幻想郷に足を踏み入れたという事実は、誰が想像出来るよりも遥かに強大で、唯一無二なる能力。
 言ってみれば───


 ───「「宇宙の境界を越える能力」」


 憎らしいことに、紫とDIOの言葉は完全に重なった。
 二人の知将は少女の体験談を元に、同じ結論に至った。
 宇宙をも揺るがしかねない、あまりに壮大な答えへと。


「……彼女は。マエリベリーは、それでも……何処にでも居るような、普通の女の子よ」


 夢で会話し、それを実感した。
 普通に人の子として生まれ、
 普通に両親の愛を授かり、
 普通に学び舎へと通い、
 普通に道徳を修得し、
 普通に友達を作り、
 普通に恋愛をし、
 普通に生きて、
 普通に死ぬ。

 これまでもそうであったし、
 これからもそうあるべきだ。

 この世に生を受け、真っ当な生き方を貫き、そして最期には綺麗な体のままで墓に入れられる。
 そんな誰しもが持って守られるべき、少女の普通の人生を。

 DIOは、奪おうとしているのか。

「貴様は『妖怪』なのではなかったか? 随分とまあ、たかが人間の少女一人を徹底して擁護する口ぶりだ。それとも、やはり自分の顔を持つ者には人間といえど甘いのか?」

 たかが人間、と男は言う。
 それは真実であると同時に、決定的な矛盾を孕んでいた。

 何しろ───メリーは既に、たかが人間とは言えなくなっている。

「……ええ。本当に、貴方の仰る通りですわ。どこまで行っても私は『妖怪』で、あの娘は……『人間』ですから」

 表向きに吐いた紫の言葉は、あくまで人間と妖怪を強調させるように。
 それが言葉通りの意味から逸していると知る者は……八雲紫とメリーの二人、だけであった。
 この時点では。


「───DIO。貴方はマエリベリーの能力を利用し、擬似的に『一巡後』を目指そうと企んでいるのね」


 メリーには恐らくそれが出来る。今はまだ未成熟の力だが、能力が完成形へと昇華されたならば不可能ではない。だが問題は、DIOが其処──男の言う所の『天国』──へ行って、どうするかという事だ。
 一巡先の宇宙へ到達する。メリーの能力の性質上、それはDIO個人だけでも到達出来れば構わないという企てだ。

 コイツの真の目的が、未だ不明だ。

「擬似的に、ではない。メリーの力とはまさに……『この宇宙を越えられる』という稀代の能力だ。君ですらそんな魔法は実現出来ないだろう」
「その為に貴方は随分と回りくどい下ごしらえをしてきたものね。『夢』の中で私とあの娘を会わせたのも、彼女の力を滞りなく羽化させる為かしら」
「蛹というモノは、羽化する前に強引に開くとドロドロした不完全な奇形となって現れるのを知ってるかね?
 故に慎重にならざるを得なかった。何しろ蛹にとっての『羽化』とは、人生で一度きりの大イベントなのだから失敗は許されない」

 誇らしげに紳士ぶる、そのすまし顔が紫にして見れば不快でしかない。
 道理で夢の中に潜んでいたDIOの影は、やけにあっさりと掻き消えたわけだ。全てはこの男の計算ずく、か。

「メリーは自らの才能の『真の使い方』をまだ知らない。まだ、ほんの蛹なのだよ。
 このまま羽化せず一生を終えたのであれば、これほど愚かなこともない」

 何様を気取っているのだと、もう一人の己に対するDIOの扱いを耳に入れながら紫は腹立たしく感じた。思わず爪を皮膚にめり込ませる。
 これではまるで道具扱いだ。DIOはメリーに執着している様に見えてその実、彼女の本質を全く目に入れてなどいない。

「見たところ、彼女はまだ未覚醒。自在に『扉』を行き来できるとは、まだとても言えないような半人前だった。
 ならばどうする? 私は考えた。同一存在である八雲紫と引き合わせれば、何かしらの化学反応が発生するのではないか? 奇しくも『スタンド』にもそういう性質があったりする。
 ───人と人との間にある『引力』とは、起こるべくして起こるモノだからだ。私には確信があったよ」

 見ているのは。語っているのは。
 全部、メリー自身が望んで手に入れた訳でも無いであろう、彼女に内在する『力』そのものだ。

「私が彼女に本当の“空の翔び方”を教えてやろう。教養とは、その者の埋もれた才能に気付き、開花させる手ほどきを授ける事を云うのだから」

 なにが教養。なにが手ほどき。
 男がメリーを肯定する理由など、蛹の中身が自分にとって都合の良い道具だと分かったからに過ぎない。

「人間社会には自らの才能すら見い出せずに、羽化出来ぬまま朽ちゆく哀れな蛹たちがまだまだ蔓延している。私からすれば狂気の沙汰だ」

 社会の堕落を憂う気持ちなど、DIOには欠片たりともありはしない。
 世に蔓延る有象と無象が、自分にとって吉かどうか?
 それが彼の『世界』の、全てだ。

「メリー……あの少女は、そんな彼らに比べたらとても幸福だ。私という存在と引き合えたのだから。これを『引力』と言わずしてなんと言う?」

 あるいは、DIOはこのようなタチの悪い演説を心から、本気で宣っているのかもしれなかった。無類の前向き思考。自分にとっての吉の因子を無作為に取り込み、都合良く解釈する。
 いや、言ってしまえばDIOのそれは、未来に巡り会うべき運命にある事象を彼自身の力で実際に引き寄せているのかも知れない。本当の意味での『引力』が彼に働き掛けているのではないかと、こうして相対する紫は思わずにいられない。
 ふざけた話だが、つまるところ彼は強運の男なのだ。だからこそあらゆる物事が彼を中心に回り始めていると言っても過言ではなかった。
 その辺りは、どこか霊夢にも相似している。彼女とDIOの持つ『運のメカニズム』は、共通点も多い。
 しかし霊夢と違い、DIOはやはり邪悪だ。自己中心的過ぎる道程を踏破した末の結果にて、望む物が手に入れば良い。過程などどうでも良く、無数の骸が積まれようが男は躊躇せずして歩みを止めないだろう。


「私はメリーと共に『天国』へ辿り着く。……もう、お前は要らないな。八雲紫」


 外界の人間や社会が腐ろうが、DIOの礎になろうが、紫にとって然したる暗礁とはならない。どうでもいいとまでは言わないが、外は外。中は中で完全差別化出来ているのだから。
 紫の危惧する問題とは、男の目指す道の過程に幻想郷への著しい悪影響が発生しかねない可能性だ。

 そこに横たわる聖白蓮の亡骸が既に、幻想郷の被害者なのだから。

 DIOは次に、メリーをも毒牙に掛けるのだと宣言している。
 あれは幻想郷どころか我々の住む宇宙側にも一切関係無い、境界が見えるだけのただの少女。

 ───けれども、もう一人の私だ。


「貴様にマエリベリーは渡さない。必ず護ってみせます」


 八雲紫の宣誓した、その瞬間には。
 DIOの口の端は不気味に釣り上がり、そして。


「貴様程度では、このオレには勝てん。今までに誰一人として仲間を護れなかった、貴様ではな」




 『世界』が、八雲紫の心臓部を貫いていた。









「───あの娘を護るのは、私ではない」


 口の端を釣り上げていたのは、DIOだけではなかった。
 胸を穿たれた女が喉奥から吐き出したモノは血ではなく、敵の煽りを否定する希望の言葉。
 身体の中心を『世界』にて抉ったDIOは、その感触に圧倒的な違和感を覚え、間を挟むことなく答えに辿り着く。
 肉を潜り進む陰惨な触覚が、拳の先から伝わらない。かと言って、十八番のスキマにより肉体に穴を開いて躱したのでもない。

 これは。
 “この”八雲紫の体は。


「……人形かッ!」


 拳大の穴をほじられた紫の体が見る見るうちに変貌し、変色し、物質を変えていった。

 木。

 不敵に微笑んでいた彼女の表情すらも、無面の木材質へ変わっていく。バキバキに砕かれた木人形は食堂の壁に叩き付けられ、糸が切れたようにへたり込んだ。
 それは所謂デッサン人形として使われるような、人のシルエットを形作り簡単な関節を宛てがわれた等身大の木偶人形。
 八雲紫に変身能力があったのか? 恐らく否、だ。
 DIOは今の今まで、八雲紫の姿と声と性格を与えられたお人形と会話していたという事になる。恐ろしい事に、本人の服装すらも完璧な模倣を可にするコピー人形。

 木偶人形をまるで『スタンド』が如く遠隔から操る。
 そんな真似が出来る木偶が『あの場』には居た筈だ。

(確かディエゴの報告にあった。『奴』は変身能力を持つ人形を傍に立たせていたという……!)


 間違いない。“この”八雲紫の正体は……!




鈴仙・優曇華院・イナバ! きさま! 見ているなッ!」




 DIOの右眼の『空裂眼刺驚』の光線と、窓の外で響き渡った少女の「わ゛ひゃあ!?」という情けない悲鳴は同時に発射されたものであった。
 洋燈も窓枠もカーテンも鋭い光線により、纏めて斜め一直線に切れ目が入れられ、一部崩壊した壁の亀裂から陽光が差し込まれる。

「……ちっ」

 壁の向こうの足音が一気に遠のく。逃げられたようだ。
 吸血鬼の身体では外部へ追走する事も叶わない。してやられた、という事。
 怪我を負った筈の兎が動いていたという事は、ジョルノが一枚噛んでいたという事だろうか。いや、それよりもジョルノ本体の姿がここに来て見えないまま。
 奴は今現在、何処で何をしている……!?


 答えは直後、一帯に轟く崩壊音によって明かされた。


「しまった! ヤツめ、まさか『館』を!?」


 見ていたかのようなタイミングで壁が、床が、天井がグラグラと震え上がる。これが地震でなく建物の崩れる前兆であるなら、実行犯はジョルノ以外にない。
 支給品にダイナマイトなどが紛れ込んでない限り、奴のスタンド『ゴールド・エクスペリエンス』による生命化──大方、紅魔館そのものを植物にでも変えながらの破壊活動に勤しんでいるのだろう。
 やることのスケールが徹底的だ。時間は掛かるだろうが、ことDIOにおいては有効な対策であるには違いない。日中であれば外部に飛び出すなど論外。瓦礫の下敷きとなりたくなければ、DIOの逃走経路は『地下』に限定された。
 恐らくジョルノは建物上部から植物化させ、次第に館の支えを無力化させている、といった所だろう。ここが一階である以上、射し込む日光を避ける為の時間的余裕は多少マシか。

 地下の闇へと紛れ込む前に確認すべき事がある。期待薄だろうが、DIOはすかさずプッチの亡骸を改めた。
 ……『アレ』は無かった。覆した胸部に一発の弾痕なら発見したが、今となってはどうだっていい。
 念の為、白蓮の方の亡骸も調べたがやはり見当たらない。考えられるなら、持ち去った相手はホル・ホースだろうか。……奴にその動機があるとも思えないが。

「くっ! 日光を避けるのが先決か……! ジョルノめ、やってくれたものだ」

 青娥やディエゴがこの程度の崩落に巻き込まれるとも思えない。DIOが最優先で確保したいのは、奴らの一計によってスキマに消えたメリー……でなく、寧ろ蓮子の方だ。
 メリーの能力はまだ機が熟していないのは明らか。ゆえに後回しで構わないが、それは蓮子という人質カードが手元にある場合だ。
 それが奪われた今、メリーが自発的にDIO陣営へと戻ってくる保証はゼロ。こうなればこちらとしても強引な手段でメリーの拉致──最悪、予測不能のリスクを孕む『肉の芽』の使用を検討しなければ。

 蓮子は今、地下空間の何処かに運ばれている。先程の『神隠し』の現場を目撃した限り、蓮子と対している相手はメリー本人だ。
 いや、紫だと思っていた相手が影武者だと判明した以上、本物の紫だって何処に居るのか分かったものでは無い。
 メリーは規格外の能力を秘めているとはいえ、基本は無力な少女。彼女に蓮子の肉の芽がどうこう出来るとも思えないし、寧ろ最初の竹林の時のように逆に取り込まれる可能性すらある。しかし現状、奴らの次なる行動は蓮子に埋められた肉の芽の『解除』しかない。
 だからこそ奴らは真っ先にDIOと蓮子を分断させた。つまり肉の芽の解除方法にアテがあるという公算が高く、それをまさかDIOの真横で行う訳にもいかない故の処置といった所か。


(フン。……『無駄』だぞメリー。お前に親友は、決して救えない)


 マントを翻し、男の足はもう一度地下に向かう。
 いや、地下図書館にはまだ『奴』が居座っているだろうから決して安全なシェルターとは呼べないが、とにかくあの生物には静葉を当てておく。
 メリーと蓮子の捜索は一先ず(大いに不安があるが)青娥に任せよう。オアシスの能力を操る彼女が最も軽いフットワークを備えているだろう。
 館より『外』の連中……特にホル・ホースが持ち逃げしたであろう『アレ』の行方は把握しておく必要がある。ここはディエゴの翼竜を使おう。

 一癖も二癖もある我が陣。急造ゆえ、長い目で見るならいずれは内部から亀裂が入る事など理解している。今回のような短期のゲームであればどうとでも操れるだろうが。
 エンヤ婆といった参謀がどれほど貴重で有能な人材だったか。彼女の始末を命じたのは他の誰でもないDIO自身だったが、今にして思えばその有り難みが身に染みる。



 ……有能な、参謀か。



 男は思い詰めたように、部屋の出入口で足を止めた。
 最後にもう一度振り返ろうとし……やはり、止めた。

 崩れ始める室内に冷たく残された、二名の聖職者の亡骸。
 その片方の神父へ男が寄せる『想い』の真意を知る者は。


 ───全ての宇宙においてDIO、唯一人。


 これまでの過去も。
 そして……きっと、これからの未来も。


【エンリコ・プッチ@ジョジョの奇妙な冒険 第6部】死亡
【聖白蓮@東方Project星蓮船】死亡
【残り 49/90】
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【C-3 紅魔館 食堂/夕方】

【DIO(ディオ・ブランドー)@第3部 スターダストクルセイダース】
[状態]:肉体疲労(大)、左目裂傷、吸血(紫、霊夢)
[装備]:なし
[道具]:大統領のハンカチ、基本支給品
[思考・状況]
基本行動方針:殺し合いに勝ち残り、頂点に立つ。
0:日没までひとまず地下へと身を隠す。
1:メリーの力の覚醒を待ち、天国への扉を開かせる。
2:神や大妖の強大な魂を3つ集める。
3:サンタナを手駒に加えたい。
4:ジョナサンのDISCの行方を調べる。
[備考]
※参戦時期はエジプト・カイロの街中で承太郎と対峙した直後です。
※停止時間は5→8秒前後に成長しました。霊夢の血を吸ったことで更に増えている可能性があります。
※名簿上では「DIO(ディオ・ブランドー)」と表記されています。
古明地こいしチルノ、秋静葉の経歴及び地霊殿や命蓮寺の住民、幻想郷についてより深く知りました。また幻想郷縁起により、多くの幻想郷の住民について知りました。
※自分の未来、プッチの未来について知りました。ジョジョ第6部参加者に関する詳細な情報も知りました。
※主催者が時間や異世界に干渉する能力を持っている可能性があると推測しています。
※恐竜の情報網により、参加者の『14時まで』の行動をおおよそ把握しました。
※八雲紫、博麗霊夢の血を吸ったことによりジョースターの肉体が少しなじみました。他にも身体への影響が出るかもしれません。
※マエリベリー・ハーンの真の能力を『宇宙を越える能力』=『宇宙一巡後へ向かえる能力』だと確信しています。

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『ホル・ホース』
【夕方 16:34】C-3 紅魔館 周辺


 こうした経緯でホル・ホースは長きに渡り関わってきた命蓮寺の交錯に、一つのピリオドを打った事となる。それも、望ましくない方向への形として。
 命からがら逃げ出してきた悪魔の館。湖に囲まれたその土地から脱する為の一本道の中途で、男はハットに付着した雪を払いながら恐る恐るといった様子で後方を振り返る。
 あわやDIOの拠点たる紅魔館は、半身の上部を巨大な木の群生に変えられ見るも無残な様相を呈していた。それだけならオシャレなデザインアートとの融合を果たした巨大施設に見えなくもなかったが、無茶な重心を四方八方に伸ばされた壁や屋根の一部からは既に崩壊が始まってきている。
 じきに完全崩壊へ移行するのは明らかだ。DIOが共に潰れてくれれば御の字だが、期待は出来そうにない。

「さて、どうするかね」

 後ろ髪を引かれる思いは解消されない。けれども響子の山彦を始めとし、当人である寅丸や白蓮亡き今、彼は目指すべき標を失いかけていた。
 思い返すにこの殺し合いについては然程の情念など無く、また優勝を狙うといった野心も、他の化け物共が翳す強大なパワーを目の当たりにしてくれば薄まるというもの。
 ジョースターみたいな正義の輩が一丸となって主催打倒の企みを講じている最中かもしれないが、ハッキリ言って勝率はあまり見込めない。せめて脳に取り憑いた爆弾とやらを一刻も早く捨てるか押し付けるかしたいのだが、それが可能な専門家がどの程度居るのか、そもそも現状生存しているのかも不明。


「ジョースター…………か」


 思考の過程で自然に浮かべた一族の名に、ふと引っ掛かりを覚えた。
 懐をまさぐると、一枚の『円盤』が男の空しい瞳へと銀光を主張している。先のいざこざでポケットに仕舞ったままなのを忘れていたらしい。

 このDISCは何だ。神父が抜き取った、件のジョナサンの重要な何かか?
 違う。これは『意志』だ。
 あの山彦──幽谷響子が最期まで想っていた『家族』への愛が、形を変えながら巡り巡って到達した一つの『結果』だ。
 因果の因は、響子の山彦だった。少女の声がホル・ホースの足を動かし、寅丸星へと辿り着いた。
 何もかも手遅れではあったが、そこから聖白蓮を巡り、ここ紅魔館へと到着し。またしても女に庇われ、今この手の中にジョースターのDISCが収まっている。これが因果の果だ。

 あらゆる偶然が重なっただけの遠因に過ぎない事は自覚している。それでもホル・ホースには、この円盤に反射する像が自分のくたびれた顔でなく、無垢な笑顔の犬耳少女の像に見えてならない。


「あーー…………ま、死に損なっちまったモンは仕方ねえよなァ」


 大事な値打ち物を仕舞うような手つきで、男は円盤を再度懐に戻した。
 使命などと大仰な事を言うつもりもない。託された訳でもない。
 自分が持ってしまっているから。偶然この手の中にあるから。
 ただのその程度。男が南の方角へ再び足を向けたのは、それだけの簡単な理由であった。

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【C-3 紅魔館 周辺/夕方】

【ホル・ホース@第3部 スターダストクルセイダース】
[状態]:鼻骨折、顔面骨折
[装備]:射命丸文の葉団扇、独鈷(10/12)
[道具]:基本支給品(幽谷響子、エンリコ・プッチ)、不明支給品(0~2プッチと聖の物)、幻想少女のお着替えセット、要石(1/3)、ジョナサンの精神DISC、フェムトファイバーの組紐(1/2)、オートバイ
[思考・状況]
基本行動方針:とにかく生き残る。
1:果樹園の小屋に戻り、ジョナサンのDISCを届ける。
2:大統領は敵らしい。遺体のことも気にはなる。
[備考]
※参戦時期はDIOの暗殺を目論み背後から引き金を引いた直後です。
※どさくさに紛れて聖とプッチの荷物を拾って行きました。

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『サンタナ』
【夕方 16:36】C-3 紅魔館 地下大図書館


 サンタナは、非常に不似合いながらも頭を抱えていた。
 格好だけを述べるなら、腕を組んで床に胡座を掻き、深く物思いに耽るポーズであるも、項垂れた頭部から下がる長髪によって男の表情は幕の向こう側に隠れている。
 悩む、という思考の過熱はこれまたサンタナに不似合いの現象だが、近頃はそれにも慣れて適応しつつある。それは彼が一個の『人格』を確立させた何よりの証明に他ならない。齢上では万を越えた生物であるにかかわらず、人間で言うところの幼児期や思春期にあたるパーソナリティ形成時期が、彼にとってようやく訪れたと言える。

 これまでに自分は悩んだ事が無い。
 超生物が抱えるにはあまりに世俗的なその事実に、サンタナは今まさに灯りの見当たらない不安を抱えていた。
 彼は自分の道を既に歩み出している。始めの一歩を踏み出すまでに途方もない年月を掛けてしまったものの、そこを歩む自己に対して後悔は無い。
 狭き道であり、唯一の道。しかし唯一だと思っていた道に、ここに来て『分岐点』が発生した。


 主達に仕えながら個を貫くか。
 離反し、新風を受けてみるか。


 仮にこのまま主の元に戻るルートを取るとする。
 言うまでもなく主は呆れ返るだろう。間違っても、傷付き帰還したサンタナへと労りの言葉など掛けやしない。最悪、怒りを買って首を撥ねられかねない。

 では、DIOの下に付くルートではどうなるか。いや、吸血鬼の家来にまで成り下がるのは幾ら何でも有り得ない。しかしDIO自身が口にしていたように、奴はあくまで『仲間』としてサンタナを欲していた。無論それだってサンタナの矜恃をある程度保たせる為の奴なりの方便であり、そこに大差は無いのかもしれない。
 どうあれ、DIOが未知数の相手である事に変わりはない。従ってDIO側に付くルートを辿った場合、そこからの道程は更なる未知が待ち受けているだろう。
 主達から離反するその行為自体には、然程の抵抗は無い。ワムウほどのお堅い忠義心は、サンタナの中ではとうに形骸化しつつあるゆえに。
 しかしそうなった場合、主の怒りを買うどころではない。彼らは飼い犬に手を噛まれるという侮辱行為を塗りたくられたと憤怒し、本格的にサンタナを狩猟対象に捩じ込むのが目に見えている。

 つまり、所詮は馬鹿な思い上がりなのだ。DIOの側に付くという愚行は。
 じゃあ何故、こうにも悩む自分が居る?


「オレは……一体どうしてしまったのだ?」


 孤独が故にサンタナには今の状況を合理的に判断出来る経験がまだまだ足りていない。合理的とは言ったものの、誰が考えたって主達の元に戻るルートが最も無難な行動なのは彼自身理解している。
 最高の結果を求めるなら、やはりDIO討伐を成すべきだった。そうでなくともスタンド能力の秘を掴むくらいには届かせるべきだった。こうなってはもう後の祭りでしかないが。


「……スタンド能力、か」


 天啓が降りてきた、という程の閃きでもないが。別にわざわざ戦いの中で奴の秘密を探る必要など、全く無いのではないか?
 確かにサンタナ個人の目的を考慮すれば、主の命令以上に重要な到達点とはDIOとの戦いの延長線上にあったものだ。とはいえ命令の完遂をしくじる事は、サンタナの道の終点を意味する。少なくとも『ザ・ワールド』の秘密くらいは、どのような過程であれ探り取るべきだ。

「首とまではいかなくとも、土産のひとつぐらいは絶対条件か……」

 このまま帰還すべきでない。拙い悩みの末にサンタナは、この地での滞在へと方針を切り替えようとする。

 どうにか……どうにかして奴の部下からでも何でもいい。
 『ザ・ワールド』の秘密を探る。現状のオレにおける最善はそれしかない。短時間で、という条件付きでな。



 サンタナは保身に近い理由を強引に編み出し、DIOに近付こうと目論んだが。
 その『真意』は実際の所やや異なる。都合の良い建前で自らの本音をも濁し、許し難い感情からは一先ず目を背けた。


 なんのことは無い。
 サンタナはDIOへと、興味が湧いているのだ。


 愚かな感情など、視界に映らない端へと置き。
 長時間、思考の渦に飲まれていた事実をやっとの事で認識して。
 手元の時計に目をやろうとした、その時。



「──────貴方……」



 入口から影のように現れた、不安定な足取りの少女ひとり。
 顔面の半分が焼け爛れ、紅葉のように真っ赤な服を来た金髪の女。DIOが言っていた少女とはコイツの事か。

 どんな奴かと思えば肩透かしだ。その女は弱者たるオレの目から見ても、酷く弱々しく映ったのだから。これはDIOなりの、オレへの当てつけか何かか? 期待をしていた訳ではなかったが、ハズレくじを引かされた気分だ。


 オレはおもむろに立ち上がって、蒼白なツラで固まるそいつへと威圧的に歩み出した。


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【C-3 紅魔館 地下大図書館/夕方】

【サンタナ@第2部 戦闘潮流】
[状態]:疲労(大)、全身に切り傷、再生中
[装備]:緋想の剣、鎖
[道具]:基本支給品×2、パチンコ玉(17/20箱)
[思考・状況]
基本行動方針:自分が唯一無二の『サンタナ』である誇りを勝ち取るため、戦う。
0:秋静葉を……どうするか?
1:戦って、自分の名と力と恐怖を相手の心に刻みつける。
2:DIOの『世界』の秘密を探る?
3:自分と名の力を知る参加者(ドッピオとレミリア)は積極的には襲わない。向こうから襲ってくるなら応戦する。
[備考]
※参戦時期はジョセフと井戸に落下し、日光に晒されて石化した直後です。
※波紋の存在について明確に知りました。
※キング・クリムゾンのスタンド能力のうち、未来予知について知りました。
※緋想の剣は「気質を操る能力」によって弱点となる気質を突くことでスタンドに干渉することが可能です。
※身体の皮膚を広げて、空中を滑空できるようになりました。練習次第で、羽ばたいて飛行できるようになるかも知れません。
※自分の意志で、肉体を人間とはかけ離れた形に組み替えることができるようになりました。
カーズエシディシ、ワムウと情報を共有しました。
※幻想郷の鬼についての記述を読みました。
※流法『鬼の流法』を体得しました。以下は現状での詳細ですが、今後の展開によって変化し得ます。
  • 肉体自体は縮むが、身体能力が飛躍的に上昇。
  • 鬼の妖力を取得。この流法時のみ弾幕攻撃が放てる。
  • 長時間の使用は不可。流法終了後、反動がある。
  • 伊吹萃香の様に、肉体を霧状レベルにまで分散が可能。


【秋静葉@東方風神録】
[状態]:自らが殺した者達の声への恐怖、顔の左半分に酷い火傷の痕、上着の一部が破かれた、服のところが焼け焦げた、エシディシの『死の結婚指輪』を心臓付近に埋め込まれる(2日目の正午に毒で死ぬ)
[装備]:猫草、宝塔、スーパースコープ3D(5/6)、石仮面、フェムトファイバーの組紐(1/2)
[道具]:基本支給品×2(寅丸星のもの)、不明支給品@現実(エシディシのもの、確認済み)
[思考・状況]
基本行動方針:穣子を生き返らせる為に戦う。
0:この『大男』は……!
1:頭に響く『声』を受け入れ、悪へと成る。
2:DIOの事をもっと知りたい。
3:エシディシを二日目の正午までに倒し、鼻ピアスの中の解毒剤を奪う。
[備考]
※参戦時期は少なくともダブルスポイラー以降です。
※猫草で真空を作り、ある程度の『炎系』の攻撃は防げます。
※名簿のジョースター一族をおおよそ把握しました。
※プッチ、ディエゴ、青娥と情報交換をしました。

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『ジョルノ・ジョバァーナ』
【十数分前:夕方 16:14】C-3 紅魔館 屋上


 穏やかな性格で周囲からの人望も厚い聖白蓮という者は、途端の融通を利かせてくれる臨機応変な女性に違いないと。彼女との付き合いはごく短いものであったが、僅かな会話を交わしただけのジョルノにもそう思わせる空気が白蓮にはあった。
 実際、その評価は決して間違っていない。戒律を守るべき立場の彼女には信者への厳しさこそあったものの、規律から脱す範疇でなければ大抵の要望や嘆願は献身的なまでに応じてくれた。

 そういった女性であったし、だからこそ彼女は人妖問わず慕われたのだろう。
 しかしその一方で、白蓮にはある種の頑固さが同居していた。


「プッチ神父とは……私一人で決着を付けさせてください」


 真っ直ぐな視線で放たれたその言葉には、白蓮の決意の全てが含まれていたようにジョルノは思う。

 地下図書館からバイクにて飛び出したジョルノは直ぐに、紅魔館の破壊策を彼女へと伝えた。地下を脱出した理由にはこの破壊活動が含まれるからだ。館の屋根や壁面さえ取り除いてしまえば、少なくとも吸血鬼のDIOだけは無力化出来るかしれない。今後を考えると、アジトの破壊もやれる時にやっておくべきだ。
 その旨を伝えて尚、白蓮はジョルノの作戦への参加を拒んだのだった。作戦自体には了承したものの、彼女はあくまでプッチとの決着を望んでいたようで、館の破壊はジョルノに任せると残してそのまま中庭にて神父を待ち構えた。
 愚かだ、とはジョルノは思わない。彼女と神父の間に何かしらの確執があったのは目に見えていたし、強い決起を宿したその覚悟をジョルノが止める道理も無い。

 何より……白蓮の瞳を見てジョルノは感じ取った。彼女はきっと、気付いていたのだろう。あのまま彼女と戦線を共にして神父を迎え撃っていたならば───

(僕は多分、プッチを躊躇なく『始末』していた。あの女性は僕を見てそんな未来を漠然ながら予感し……避けようとしたんだと思う)

 あるいは逆に『始末されていた』かも知れないが……どちらにしろ白蓮は、その結果を嫌った。だからジョルノと共同戦線を張る案を良しとせず、一人でプッチを迎え撃とうとした。
 白蓮は、敵である神父が万が一死ぬ未来すらも回避しようとしていたのだろうか……? そこまで来れば『甘い性格』で済ませられる話ではない。
 しかしジョルノには、それも間違いだという確信があった。確信と断ずるには拙い、心の占の様な予感だが。


(あの人はきっと……他の誰でもなく『自らの手』でプッチを───)


 怨恨はあったのかも知れない。白蓮とて……人の子なのだから。
 責任も感じていたのだろうか。良心の塊みたいな人なのだから。
 だがそんな自己的な理由で、彼女はその綺麗な手を自ら穢そうとしないだろう。
 分かりはしない。白蓮が何思い、何感じてプッチと相対するに至ったのかなど。
 ジョルノにそれを知る術など、無いのだ。
 他人の心を読む術でも無い限り。


 現在ジョルノは、紅魔館の屋上によじ登り『破壊活動』に精を出していた。破壊といっても屋根や壁を植物の『蔦』などに変え、囲いとしての役割を奪っているに過ぎないのだが。
 白蓮とは結局、別れた。事が終われば館の外で待ち合う約束まではしているが、もしも彼女がプッチから返り討ちにあっていれば、ジョルノは白蓮を見殺しにしたという見方も出来る。
 ジョルノ・ジョバァーナという少年は正義感の強い人間ではある。しかし彼はイタリアの裏世界を牛耳る巨大ギャング組織のボス。庇護する対象が力の無い弱者であるならまだしも、白蓮は強大な力を正当なる方向へと扱うことの出来る一端の大人なのだ。その様な彼女にあれだけの覚悟を示されれば、否定などとても出来ない。少年はそんな立場ですら無いのだから。
 更に言えばジョルノは、ギャング同士の抗争に一般人を直接巻き込む事を毛嫌いしている。その信念を逆さに見るなら、「関わるな」と遠回しに願い出た白蓮らの因縁に、進んで割って入る気にもなれなかった。彼女には彼女なりの『落とし前』の付け方もあったのだろう。
 ジョルノの持つそういった素っ気ない部分は、他人から見れば『冷酷』に映るのかも知れない。


「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄ァ!!」


 よって彼は自身に課せられた役目を完璧にこなすべく、こうして『黄金体験』を広い範囲にて使用し、次々に館の囲いを取り除いていた。
 どちらかと言えば破壊と言うよりは変換だ。瓦礫を拡散させつつも、拳を打ち込んだ傍からスルスルと植物化していくその光景に、見た目ほど派手な爆音は響いていない。尤も、支柱が失われ本格的に崩壊が始まれば辺り一帯に大きく轟く崩壊音にはなるだろうが、それには少々時間が掛かる。


「───ジョルノくぅ〜ん! も、もうそのくらいで充分じゃないかしらー!?」


 館の下、玄関部に当たる場所から聞き慣れた声が控えめな音量で叫ばれた。
 手を止めて下を覗くと、お馴染みとなりつつある長い兎耳。それがしおしおと垂れ掛かる丸い頭が、こちらを見上げていた。一時期は危険な状態だっただけに、回復具合が極めて良好な経過を見ると少なからず安堵する。

「鈴仙か。という事は、これで館を一周出来たかな」

 蔦に変容していく壁に掴まりながら、ジョルノは声を飛ばした少女の元へ降り立った。さくりと、土に被った新雪を踏む心地好い音が伝わる。

「鈴仙。君はついさっき意識が戻ったばかりなんだから、無理せず横になっていて下さい」
「こんな悪魔の館の玄関口に寝かしておいてよく言うわよ……」

 鈴仙がやや呆れ顔で苦情を申し立てる。DIOから受けた心臓への傷は浅いものでは無かったが、ジョルノの迅速な処置が功を奏して身体を動かせるまでに回復した。素でディアボロの一撃に耐える程度には鍛えられている鈴仙の身体。先刻、博麗霊夢の絶望的な負傷を何とか塞ぎ止めたジョルノだが、人間の霊夢と比較すれば妖獣の鈴仙はその強度が高い印象を受けた。
 治療する際、当然ながらその衣服を脱がした経緯があるとは鈴仙には伝えていない。地霊殿内にて彼女の一糸纏わぬ裸身をわりとじっくり目撃した状況を思い起こせば、伝えてもロクな事になりはしないと心得ていたからだ。

「それで……これからどうするの? 紫さん、まだ中に居るんでしょ?」
「そこなんですが───ん? これは……」

 こちらから積極的に紫と落ち合うというのはなるべく避けたい。プッチは白蓮に任せっきりでいるが、囮を任されたジョルノ達に引き付けられた他の敵が紫の周囲に集まるという状況は彼女の望む所でもない。
 考えあぐねていたジョルノは、暫くの間不動だにしなかった紫の『位置』がすぐ近くまで迫っている事を感知した。彼女に預けていたブローチの効力である。

 八雲紫がいつの間にか動いている。
 目的を達成したのか、その動きは迷いなく真っ直ぐな軌跡であった。


「───あ、居た居た。ジョルノ君」


 館の玄関からやや離れた位置に目立たぬよう立つジョルノらへと二つの影が近寄る。少し見ない間であったが随分と久しぶりの様に錯覚してしまうのは、館内にて演じられた一幕が想像以上に色濃い軋轢であった反発か。

「紫さん! ……心配しましたよ、あまりに動きが無いものですから」

 八雲紫。見た目には以前と何ら変わらない姿が、一人の少女を横に伴って現れた。

「怪我は無いですか? それに隣の女の子は……?」
「わ……紫さんに、なんか凄く似てる……」

 ジョルノも鈴仙も、紫の連れてきた少女の容姿に驚きを隠せずにいる。彼女が紫へと『SOS』を求めてきた誰かなのだろうが、それにしても八雲紫の外見とあまりに酷似しているのだから。
 少女はジョルノ達の前に立ち、そつのない所作で頭を下げた。


「〝マエリベリー・ハーン〟です。こちらの〝八雲紫〟さんから助けて頂きました」


 初対面の相手になんの緊張もない自己紹介の姿を見て、清純で要領の良い女の子だとジョルノは見受けた。しかし大人しそうな性格は、横にいる紫とは似つかないだろうか。

 頭を上げた少女の瞳の中が視界に入る。星宙を模したように美しく煌めく瞳に、ジョルノは既視感を覚えた。
 並び立つ紫のそれと見比べて、すぐに得心する。二人は所々に違いこそ見られるが、本当によく似ていたのだから。マエリベリーがすっかり大人の女性へと成長を遂げれば、そのまま八雲紫になるのではないのだろうか。

「ジョルノ君に……鈴仙、さんですね。お二人の事も紫さんから聞いております」
「そうでしたか。マエリベリー、君が紫さんへ懸命に助けを求めていたことは知っている。とにかく、無事で安心しました。僕はジョルノ・ジョバァーナ。よろしく」
「あ、私は鈴仙よ。えっと、よろしくねマエリベリー」

 自然に交わされる握手。繋がり触れた少女の温かな手のひらに、ジョルノは心做しかの引っ掛かりを覚えるも、紫の急かすような言葉がその違和感を描き消した。

「挨拶はそこまでにして、少しお仕事をお願いしていいかしら? ジョルノ君」
「え……私まだ握手してない……」

 サラリと自分の番を飛ばされた鈴仙が悲しげな瞳を浮かべる光景を、紫はせっせと無視する。言うまでもなく、ここはまだ敵陣の只中である。事務的な挨拶などは後回しにし、火急の事態を優先するべく紫は手を叩きながら注目を集めた。

「家に帰るまでが遠足と言いますが、我々が家に帰る時間にはまだ早い、という事です」
「え!? か、帰りましょうよ! こんなおどろおどろしい館からとっとと……!」
「そうもいかないのよ鈴仙。これはマエリベリーたっての希望なのだから」

 マエリベリーの希望。危険を承知で助けに来てくれた三人に更なる我儘を押し付けるような身勝手に、願い出た本人も心を痛めた。
 しかし今回ばかりはどうしても妥協する訳にいかない。この頼み事が却下されたなら、せめて自分だけでも引き返す事になる。それでも構わないと、マエリベリーは強い決心で頭をもう一度、先ほどよりも深く下げた。


「お願いします! 私、絶対に蓮子を……友達を、DIOから救い出したいんです!」


 マエリベリーが駆け足で説明した話によると、紅魔館の中──DIOの隣にはまだ、彼女の親友である宇佐見蓮子が拉致されているらしい。心を支配された状態という、極めて厄介な有様で。
 彼女を救い出すまではマエリベリーもここを離れる訳にはいかない。紫もそんな彼女を不憫に思い、ジョルノと鈴仙の力を借りたく思ってこの場に現れた。
 紅魔館全域が崩壊を始めるまではまだ時間が掛かる。それまでにDIOと接触し、肌身離さず連れているであろう蓮子をまずはスキマの能力で分断させる。肝心なのは話に聞く肉の芽の解除だが、それも境界を操る力で何とかなるらしい。

「鈴仙。確か貴方は『サーフィス』っていうスタンドを持っているのだったかしら?」
「え……あ、いや、持ってますけど……アレは媒体となる『人形』が要るみたいで……」

 気のせいか声に覇気がない鈴仙。紫から突然話を振られれば、良い予感など全くしなかった。

「人形が大雑把で良ければ僕のスタンドで作れますよ。生み出した木を削ってそれらしい形に整えれば、鈴仙のスタンドにも適応してくれると思います」
「ジョルノ君は空気読んでよ〜っ!」

 鈴仙の身からすれば、ジョルノのナイスフォローが今だけは有難くない。この流れなら紫は鈴仙のスタンドを起用し、何かしらの“危険”を彼女に背負わせる役柄を与えてくるだろう。
 只でさえ病み上がりなのだが困った事に八雲紫という人でなし、もとい妖怪でなしは、猫の手だろうが赤子の手だろうがお構い無しにこき使ってくる女なのだという事を鈴仙も学んできた。

「オーケーよジョルノ君。早速だけども鈴仙。すぐにサーフィスを発動して、私のコピー人形を作って」
「紫さんの……?」

 紫が立案した蓮子奪還作戦。作戦と呼ぶにも浅薄なものだと彼女は前置きし、説明を進めた。
 作戦の要はマエリベリーだ。まずは鈴仙が紫をコピーし、マエリベリーと共にDIOの元へ向かわせる。中の様子がどうなっていようとも蓮子の確保を最優先とし、彼女をマエリベリーと共にスキマの中へ落とす。残った紫(サーフィス)は、そのままDIOの足止め。

「ままま待って!」

 紫の説明に慌てて割って入った鈴仙は、すぐに異を唱えた。サーフィスが足止めの役を担うという事は、本体である鈴仙も必然近くに控えてなければ通らない道理だ。
 幸いにも鈴仙本体には隠密能力があるものの、つい数十分前に自分を瀕死に追い込んだあのDIOの近くに潜むというポジションを強要されるのは流石に御免被りたい。

「私のサーフィスの『射程距離』はそんなに長くないですよ!?」
「だから?」
「……私、いちおー瀕死から復活したばかりの病み上がりなんですけど」
「退院おめでとう。無事で良かったわね」

 といった決死の抗議を、当の紫は「頑張ってね」と一言のみを添え、何事もなく話は続けられる。この世の絶望をいよいよ体現させた鈴仙の生気無き兎耳をしかとシカトし、紫は残ったジョルノに目を向ける。

「ジョルノ君は私とここで少し待機ね」
「アザの反応によりDIOから勘付かれるから、ですか」
「そう。マエリベリーと蓮子を分断させDIOを足止めした後、戻ってきた鈴仙を拾って紅魔館から一旦離れるわよ」

 マエリベリーと、正気に返った蓮子がすぐに追い付くから。紫はそう言い終えて、何か質問はあるかとジョルノへ聞く。勿論ある。

「大前提として……見た所マエリベリーは普通の少女の様ですが、本当に彼女に肉の芽をどうにか出来るのですか?」

 話を聞く最中にもひしひしと感じていた大きな疑問だ。この作戦の要はマエリベリーであると言うが、果たして本当にそうだろうか。
 そもそも紫のコピーを作るまでもなく、本人がマエリベリーの傍に付いてフォローしてやった方がよほど安泰な気がする。紫のことだ、考えあっての策なのだろうが。

「質問に答えるわね。マエリベリーに肉の芽が解除出来るかどうか……?
 それに必要な『手段』と『力』は、私からマエリベリーへと既に貸し付けてあります」
「貸し……?」
「そう。幸運なことに、彼女の『器』は私のモノと非常に良く似ていますので。大妖怪〝八雲紫〟の力をこの子に多少貸す程度なら、充分可能な程に」

 偶然なのか運命なのか、二人の器は相似しているという。
 かつてディアボロは『魂』の形が良く似た自分の娘トリッシュの肉体に潜り、強引にスタンドを動かしたりもした。それと同じに紫とマエリベリーも、自身の力を互いに貸し与えたり出来るという理屈だろうか。
 だとしても、危険なことに変わりない。やはり見直した方がよいのでは……と、ジョルノが口を開こうとした時、マエリベリーがそれを遮るように前へ出た。

「あの! ジョルノ君!」
「……マエリベリー?」
「紫さんには私から頼み込んだの! 蓮子を元に戻す役目は私に任せて欲しいって!
 そうですよね、紫さん?」
「……そうよ。部外者の私なんかより、親密な間柄であるマエリベリーの方がまだ可能性がある。だから私は力をこの子に貸した。少しくらいの弾幕やスキマ能力くらいは使えるようになってる筈よ」

 険しい顔を作りながらも紫は振り返ってきた少女に同調した。肉の芽の仕様は分からないが、親友のマエリベリー自ら蓮子へと本気で訴えれば、抑え込まれていた蓮子本来の感情を呼び起こすというのは医学的な領域でもあり得る話だ。
 とはいえ、ここはジョルノの推測も及ばない方面。恐らくDIOと蓮子の分断まではそう難しいことではないだろうが、件の『肉の芽』については何とも言えない。
 そんな不安が顔に出ていたのだろう。ジョルノの難色に紫はもう一つ、判断材料となる事実を落とし混ぜた。

「肉の芽についての危惧ならマエリベリーは寧ろ、うってつけの人選よ。そうよね?」
「……はい。以前も同じ様に、DIOから支配された男の人の芽を取り除いた経験はあります。だから大丈夫、とは言い切れませんが……いえ、きっと何とかしてみせます。
 蓮子は───大切な、親友ですから」

 大切な、親友。
 その言葉を発する瞬間、マエリベリーと紫の視線が交差した。
 狭間にあったのは、意味深なアイコンタクトのみ。顔色を窺うといった懐疑的な視線でなく、確信めいた何かだ。彼女達の間でしか通じ得ない、独自の絆の様な空気は確かにあるのだろう。

 ジョルノは紫を信頼している。彼にとって『信頼』とは軽々しい気持ちなどではない。ひとつのミスが死に直結するギャングの世界に属する以上、そこを何よりも重要と考えるのは当然の事だ。
 紫とマエリベリーの間にも奇妙な信頼関係があるようだった。ならばジョルノとしても、二人の信頼を疑うような気持ちなど持つべきでない。
 それは彼の嫌悪する、他人を『侮辱』する行いと同義である。

「ベネ。解りました。僕に出来ることは少ないのかも知れませんが、尽力します」
「ありがとうございます、ジョルノ君……!」

 マエリベリーはここ一番の朗らかな笑顔を浮かべ、もう一度ジョルノの手を、今度は両手で包むようにして取った。
 またしても、何か引っ掛かる。さっきも似た違和感を感じ取ったが……。
 頭の片隅に残ったモヤモヤの正体を掴み取るより早く、またもや紫が前に出てその思考を霧散させた。

「私からも、グラッツェ。ジョルノ君。
 じゃあ……そろそろ動きましょうか。タイミングを逃す前に……」

 館が崩れ始める前にDIO達へと接触しなければ意味が無い。ジョルノは鈴仙のサーフィスを発動するのに必要な『人形』を作る為、身近な物から紫の身長サイズの小木を生み出す。

 と、今更ながらに気付いた。
 紫へ事前に渡しておいたブローチが、彼女の衣服から消えている。

「ん? ああ、貴方のブローチなら……マエリベリー」
「あ、コレですか? ゴメンなさい、勝手に借りちゃって……」

 紫を彩った衣装に似合うブローチは、マエリベリーの胸へと新たに飾り付けられていた。
 成程。発信機ならばジョルノと共にする紫よりかは、孤立させるマエリベリーに付けていた方が都合が良い。

 胸元の赤いリボンの上から飾り付けられたブローチに、少女マエリベリーの頬は緩む。そこから連想されるのは、記念日に男性からアクセサリーを贈られた女性のような、上品さと純粋さを混ぜた笑み。


「でも……素敵ですよね。“ナナホシテントウ”型のブローチなんて」


 囁いて少女は、雪の降る空を仰ぎ見た。
 天上に煌めく雨上がりの虹を、探し求めるように。
 ジョルノが釣られて見上げたそこには、薄べったく広がる暗灰色の雪雲しか見当たらない。


 八雲紫を形取ったサーフィスを引っ提げた鈴仙と、マエリベリー・ハーン。
 彼女達がDIOの前に再び現れる、僅か数分前の空色は───寒々とした雲の隙間に射し込む黄金の筋が、とても印象的であった。


▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽
『〝マエリベリー・ハーン〟』
【夕方 16:24】C-3 紅魔館 地下道


 永い……永い、永い、気の遠くなる程に永い暗闇のトンネル。
 メリーにとっては本当に……永過ぎる闇だったのだろう。
 仲間の力を借り、DIOを嵌めて。上も下も周囲全てが真っ暗闇の『スキマ』の中を通り抜けると、そこもまた闇だった。
 それでも、今までの暗闇とは比較にならない程に明るい。
 地下道に備え付けられた電灯程度の灯りでも、今の彼女にとっては希望の光だ。
 光は、手を伸ばせば届くほど近くにまで迫っている。
 そう思えて、仕方が無い。

 普通である少女にとってはあまりにも絶望的な殺し合いの鐘が鳴って、16時間が経つ。彼女にとっての暗闇は一日にも満たないが、この十数時間の間……これまでの人生で体験したことの無いくらい、深い深淵であったのだ。
 ついさっきまでの『夢』の中でメリーは、とうとう自分すらも見失い掛けた。邪悪の化身が植え付けようとした闇とは、それ程までに底の見えない奈落の闇だった。
 闇から引っ張り上げたのは、メリーを鏡写しに描いた様な女性。
 名を、八雲紫という。

 奈落から、大空へ。
 メリーは空を翔ぶ術を手に入れた。
 しかし少女は、奈落に堕ち続ける『親友』の姿を放ってはおけなかった。

(蓮子は……必ず私が元に戻してみせる。闇の中から引き上げてみせる。そう約束したんだから)

 こんな薄暗い地下道でも、メリーが溺れていた闇に比べれば『天国』みたいなものだ。
 だって、宇佐見蓮子はもう───すぐ目の前にいる。
 これが希望の光でなくて、なんなのか。
 今までとは違う。ここには、蓮子を引き上げる術がある。
 あの夢の中で、八雲紫とマエリベリー・ハーンが〝交叉〟した。
 この奇跡がきっと、闇に閉ざされた蓮子を救い出してくれると信じ。

 少女はとうとう。


「───ここまで、来たわよ。蓮子」


 メリーと蓮子は、真の意味においては未だ再会を果たせていない。目の前に立つ蓮子は、メリーの知る宇佐見蓮子ではないのだから。
 ジョルノ・ジョバァーナと鈴仙の力を借りて、ここまで来ることが出来た。
 DIOに一泡吹かせ、蓮子を分断させる所まで来れた。
 ただの少女であったこの腕には〝八雲〟の力が僅かなりに秘められている。

 ───後はもう、私の力で。


「……メリーもしつこいなあ。せっかくDIO様から目に掛けられてるってのに、馬鹿の一つ覚えみたいに『蓮子蓮子』ってさ。私、いつからメリーの彼女になったワケ?」


 スキマの力で地下道まで叩き落とされた蓮子。その身には怪我一つない。そうなるよう、気を遣って落としたのだから。
 無論、メリーの体にだってかすり傷一つない。お互い万全な状態で、空を堕ちる様に落ちてきた。

「あら。その言葉、そのまま返せるわよ? どこかの誰かさんだって、二言目には『ねえメリー、ねえメリー』って。耳にタコが出来るかと思っちゃった」

 二人っきりのアンダーグラウンド。
 白い帽子の少女は笑い、
 黒い帽子の少女は嗤っていた。

「そりゃあそうよ。私、メリーのこと大好きだもん」
「ありがとう。私も、蓮子のことが好きよ」

 いつもの大学のカフェの、いつものテーブルで冗談を掛け合う、いつもの日常。
 笑い/嗤いながら交わされる二人の言葉のみを捕まえれば、殺劇の舞台には相応しくない会話。

「ふーん? 嬉しいけど女同士でそういう台詞、ちょっとアブなくない?」
「人様の『初めて』を奪っておきながら、今更そんなこと言うの?」
「あはは。アレはさあ、空気っていうか、流れじゃん? もしかしてメリーは嫌だった?」
「嫌に決まってるでしょう。ノーカンよ、あんなの」

 少女達の距離は縮まらない。
 とても近い者同士の会話に見えてその実、二人の距離は星と星の間のように遠い距離。

 それも、これまでの話だ。
 この遠い遠い距離は、これから埋める。
 蓮子から歩み寄ることは決してないだろう。
 然らば、こちら側から一方的に歩み寄ればいいだけの話。

「でもね、蓮子」
「うん」
「───〝マエリベリー・ハーン〟が好きなのは、嘘に塗れた『貴方』じゃない。……秘封倶楽部の頼れるムードメーカー『宇佐見蓮子』なのよ」


 手を取るとは、そういう事なのだから。
 ああ。何だか、今までとは逆だ。今までは蓮子がメリーの腕を掴んでいたのに。


「……メリー。私、前に言ったよね。『秘封倶楽部、もう解散しようか』……って」


 メリーからの拒絶を意味する言葉を聞き入れ、蓮子の言葉に含まれる温度が一変した。急激に冷えていく蓮子の言葉は、対峙する少女の余裕を幾分か削ぎ落とした。
 妖しく輝くのは、黒帽子の下に隠れた深淵の瞳と……右手に持つ妖刀の刀身。

「もしかして……“まだ”未練でもあるの? あんな子供じみたお遊びサークルに」

 ズキ……と、メリーの胸の奥が針に刺されたみたいに痛んだ。
 これは蓮子の本心が言わせた台詞などではない。そう分かってはいても、言葉に仕込まれた毒はこの身体に強く染み込み、動悸を誘う。

「はぁ……。いいわ、分かった。メリーがあのサークルをそうまで大事に思うんなら、取り消すわ。解散しようって台詞、撤回しましょう」

 やれやれ、といった如何にも仕方無しな態度で、蓮子は軽く首を振った。
 そしてメリーの瞳に向き直し、断言する。


「───私、宇佐見蓮子は今日限りで『秘封倶楽部』から籍を抜くわ。ごっこ遊びを続けたいのなら、メリー独りでやってれば?」


 堪らなくなって。
 或いは、堰を切ったように。
 メリーはその顔を悲痛に歪ませながら、駆けた。
 自然と、この身体が動いた。


「あの場所は! 私と蓮子! 二人揃って、初めて『秘封倶楽部』なんじゃないッ!」


 妖刀を携えて迎え撃つ蓮子を前に、メリーは徒手空拳だ。かつてポルナレフに巣食った肉の芽を解呪した時だって、彼女には多くの仲間達が力を貸し、白楼剣の能力を以て偉業を達成できたというのに。

「私と蓮子のあの場所は! 二人で『夢』を掴む為に在るんでしょう! もう忘れたの!?」
「夢ですって!? バッカみたい! いつまでも子供みたいに夢なんか見ちゃってさぁ! そーいうのが『ごっこ遊び』っつってんのよ!」

 蓮子の元へと真正直に突っ込んでくるメリー。その脳天へと振り翳す妖刀に込められた殺気には、微塵も躊躇が無い。
 『殺す』──今や蓮子の頭にある感情は、その凄然たる二文字だった。敬愛するDIOが何よりもメリーを重用している事実すら忘却し、その命を奪おうとする行為など愚かの極地と言える。
 或いは、DIOを敬愛しているからこそ。主への歪なる愛情にも似た感情が蓮子の中に存在するからこそ、その彼がいたく気に入っている親友が許せないからだろうか。
 嫉妬心、と偏に言い切ることなど出来ない。もとより、蓮子の中のDIOへの感情など、芽によって歪められた紛い物でしかない。

「夢見ることすら出来ないなら、最初から秘封倶楽部なんて作ってんじゃないわよ!!」
「はぁ!? 別に私が作った訳じゃないっての! そんな事も知らなかったクセに、なに気取ったこと言ってんのよッ!」

 紛い物。所詮は、紛い物なのだ。今の蓮子が吐き出す、全ての言葉など。
 ゆえに、そこに感情が宿る道理など無い。嘘っぱちの言霊に、想いなど宿りはしない。
 ではどうして、こうも猛るような大声でいがみ合うのだろう。……お互いに。

「気取ってるのはどっちよ! 一人で勝手に大人ぶっちゃって、バカみたいなのはどっちよ!! 『ごっこ遊び』なんかやってるのは、どっちなのよ!!!」
「メリーの方でしょそれは!! 私はもう夢なんか見るのは疲れたのよ! DIO様に気に入られてるからってチョーシ乗んなッ!」

 数多の血を吸い、達人の術を学んできた絶命必至の妖刀がメリーの脇を掠った。素人に過ぎない蓮子を熟練戦士の域にまで押し上げるのは、アヌビス神の特性があってこそ。
 残像を置いてくるレベルにまで成長した刀速を、本当の意味での素人であるメリーが躱すなど理屈に沿わない。
 当然、この芸当をただのメリーが演じるのは不可能である。しかし、今の彼女には八雲の力が多少なりと備わっていた。
 大妖怪・八雲紫の力とはそれ即ち、幻想郷全ての規律の骨となる『弾幕ごっこ』の力と同義。つまりは敵の技を見切り、優雅に回避する為の基本技術を指す。

 相手の得物は何処ぞの庭師と同じに、刀だ。
 ならばこれだって、形だけを見れば立派な弾幕遊戯。『ごっこ遊び』なのだ。

「疲れたですって!? そんな台詞は、しっかり頑張った人間だけに許される辞世の句よ!」
「……っ! だったらメリー! アンタの言う『夢』って何!? 独りぼっちになったアンタのしょっぱい秘封(笑)が暴く、最期の夢とやらを教えてよッ! 私に教えて……その後に死んで!」

 そう。これはごっこ遊び。
 弾幕を撃てる力を得たにもかかわらず、メリーは弾幕を撃とうとはしない。
 蓮子も狂喜乱舞するかの如く、命を刈り取る目的だけの為に妖刀を振るう。
 救う為。
 殺す為。
 致命的に背反する互いの意思が、延々にすれ違い続けたとしても。

 これは、何処まで行っても……ごっこ(模倣)遊び。
 邪悪に支配され、もはや〝宇佐見蓮子〟を模倣しただけの……堕ちた肉人形。
 人形と交叉し合うこの少女も、〝マエリベリー・ハーン〟を模倣しただけの。
 今や孤独な───普通の女の子。
 模倣と模倣の、滑稽な織り交ぜ。
 ただ、白の少女は。
 宇佐見蓮子に『真実』を取り戻す為に、こうして舞を踊りながら、演じている。
 その気持ちだけは、きっと本物だ。


 そして、とうとう。
 幾度も伸ばした、マエリベリーを模倣した身体の……ボロボロの、右腕が。



「───蓮子だって、知ってるでしょ」



 触れた。
 届いた。

 左肩から先を囮に──犠牲にして、ようやく。



「秘封倶楽部の理念たる『夢』は……『世界』によって隠蔽された『謎』を追い、そして」



 親友の額に巣食う、肉の芽へと。
 伸ばした人差し指が、繋がった。



「そして───『境目』の奥に潜む『真実』を……暴く!」



 触れた途端、蓮子の動きが停止する。
 指先から芽の中へと流されたのは、大妖怪・八雲紫の本領とされる異能。


 ───境界を操る程度の能力。


「それが私たち“二人”の秘封倶楽部でしょう!! 思い出してよ……っ 蓮子!!」


 メリーの途切れた左腕から、赤い飛沫がシャワーの様に噴き出す。
 遅れて、斬り飛ばされた先端が空を舞いながら冷たい地へ落ちた。
 痛みは、無かった。
 腕なんかよりも、目の前の親友を喪うことの方が何倍も耐えられない。
 〝マエリベリー〟の抱く喪失の感情が、この身にひしひしと伝わってくる。
 それが恐ろしくて、少女は目の前で固まる親友の体を思わず抱き締める。
 片腕になろうとも、血がべっとりと付着しようとも、構わずに。
 少女は、大好きな親友を力強く抱き締めた。


「──────………………、 …………、」


 ガクリと、蓮子の膝だけが折れた。抱き締めていたメリーの膝も釣られて折れる。
 反応は、それだけだった。
 額の芽が消え去る訳でもなく、蓮子はただ項垂れ、微動だにしない。
 黒帽子に隠れて、額も見えなくなる。どんな瞳を宿しているかも、隠れてしまう。

 メリーが芽へと流した『境界を操る力』は、微弱なものだった。元々それほど大きな力など残っていない。それでも芽を除去するに至る力には足りていた筈だ。気功を突くように、ほんの僅かな力でだって、エネルギーの流動を精密に流し込めばこの悪魔の芽は堪らず浄化される。
 妖力が足りる足りないというのは問題ではない。『宇佐見蓮子』と『悪の気』の中継点となる肉の芽の境界を中和し、遮断する。
 その『場所』へと物理的に辿り着けるか、着けないかという話。


 メリーの腕は、今。
 確かに『その場所』へと辿り着けたのだ。

 だったら。












「…………………………蓮子?」






 呆然としていた蓮子の唇が、小さく動いた気がして。

 メリーはもう一度親友の名を呟き、真っ直ぐに見据えた。













「──────────メ、リー」









 少女の額に巣食っていた『肉の芽』は。

 疑う余地もなく、綺麗に消滅していた。

 この瞬間、蓮子を蝕んでいた邪悪の芽はこの世から滅んだ。







            ◆

『八雲紫』
【夕方 ??:??】?-? 荒廃した■■神社


「そろそろ、この『夢』から醒めましょうか。あまり時間も残されてないわ」


 長い石段の下に広がる街の景色を眺めながら、八雲紫はそう言って立ち上がった。
 雨上がりの黄昏に光る夕景は鳴りを潜めつつあり、幻想的な夜景に移り変わらんとする時刻だ。
 空に架かった『虹』は暗くなるに従い、益々輝きの光子を振り撒いていた。
 まるで七色のオーロラだ。更にオーロラの隣には、一つ一つの閃光を鮮明に主張し続ける『七つの星』が瞬いている。
 紫は星々を名残惜しむように目を細め、それら光景を自身の瞼に焼き付けた。

「……さあマエリベリー。私と一緒に、この鳥居を潜るのです」

 後ろには荒廃した神社。そこへと続く道の途上には古ぼけた鳥居が立っている。その鳥居の口の奥に広がる空間が、ぐにゃりと歪んでぼやけていた。まるで蜃気楼のように光が屈折して集まり、異界への入口を思わせる扉。
 紫は扉の前に立ち、未だ石段の上に立ち尽くすメリーを振り返る。

 メリーは動こうとしない。鳥居を見ることすらせず、日暮れの空を呆然と眺めていた。

「マエリベリー。突然伝えられた、貴方自身の『真の能力』に困惑するのは分かります。しかし今はこの『夢』の中から脱出し、DIOから離れる事が先決。
 外には私の仲間も二人居ます。彼らは今、囮となってDIOの注意を引いてくれている。時間が無いと言ったのは、そういう事なの」

 駄々をこねる幼子を優しくあやす母のように、紫はなるべく立ち竦むメリーを刺激しない言い回しで現状を伝えた。
 自分の秘めた力の真髄が『宇宙を越える能力』だと言い渡されたメリーの心情は、推して知るべしである。まして少女は、基本的には『日常』の側に生きる普通の女の子。
 動揺するのは当たり前だ。それでも紫には、その少女が逆境に立ち向かえる強さを持つ少女だと言う事を理解している。
 理屈ではない。魂の奥底に刻まれた記憶が、マエリベリーという少女を知っているのだから。


「…………紫さん」


 だから少女が何か思い詰めた表情で振り向いたのを見て、彼女のそれが困惑とはかけ離れた色だという事に紫はすぐに気付いた。

「私、まだ逃げる訳には行かないんです」

 覚悟。手のひらに収まるくらいの、小さな覚悟の火だったが。
 メリーの顔に浮かぶ色は、敢えて言うならそのようなモノだった。

「友達がいるの。宇佐見蓮子って言って、その子は凄く頼りがいのある人で、いつもいつも私の手を引いてくれた。助けてくれた」

 ええ。勿論、知っているわ。
 私もあの子と話した。あの子は、貴方と同じ気持ちを持っていた。
 メリーという友達を探し出して助けたい……という純粋な心配だ。

「蓮子の肉の芽の事、紫さんは知ってるんですよね?」
「知ってるも何も、此処がその肉の芽の『中』の世界よ」
「此処からじゃあ、あの芽は取り除けない。さっき、そう言ってましたよね」
「言いましたとも。私と貴方の『本体』……つまり肉体は、あくまで宇佐見蓮子とは離れた場所で睡眠状態に入っているのだから」

 部屋に残したホル・ホースが変な真似をしていなければ、紫もメリーもあの部屋のベッドの上で眠っている筈だ。
 だからこそ悠長にしてはいられない。夢の世界であろうと、決して『時』は止まってなどくれない。針は刻一刻と、歩み続けている。

「私……館からは逃げません。蓮子を元に戻すまでは、絶対に」

 DIOは本当に用意周到で、用心深い知能犯だったらしい。
 たとえ外部からメリーを奪われても、しっかりと彼女の心に『おまじない』を掛けておいたのだ。籠から逃げ出した小鳥が戻ってくるように、歪な首輪を嵌め込んでいた。
 それが宇佐見蓮子という名の鎖。DIOとメリーを繋ぐ、冷たい鉄の糸。

「蓮子は貴方を都合良く操る為の、言うなら人質。そう簡単に殺したりはしないでしょう」

 そう言いつつも紫の心の中では、自分の吐いた言葉とは真逆の考えを唱えていた。
 奴はそんな甘い男ではない。メリーが本格的に自分の元から離れたりすれば、蓮子はいよいよ始末されるだろう。あるいはそれよりも非道い、惨たらしい罰が蓮子を襲うかもしれない。
 それを分かっていながら紫は、尚もメリーの命を優先する。今DIOの元に戻る行いは、あまりにリスクの高い悪手だ。

 八雲紫は正義の味方などではない。人間を食い物にし、利用する妖怪だ。
 慈善事業で人助けなど、気まぐれが起こらない限りやりはしない。ましてや件の少女はメリーの親友とはいえ、幻想郷とは無関係な外の世界の人間だ。
 とはいえ紫も、鬼や悪魔ではない。鬼は紫の友人にもいたし、悪魔は館を不在にして好き勝手に暴れているだろうが。余裕があるのなら、メリーの親友というのだ、助けに奔走するくらい請け負ってやる。
 問題は、その余裕が無いことにある。
 こちらの戦力はメリーを省いても三人。対するDIO一派の全勢力は不明。先の予測が出来ない危険な賭け。それにメリーを巻き込むのだけは、したくなかった。

「紫さん……! お願い、します。私がここから逃げたら、DIOはきっと蓮子を……」

 深々と頭を下げるメリーの姿に、紫の罪悪感がはち切れそうな程に膨らむ。
 こんな冷酷で心が軋むような宣告、やりたくてやってる訳ではない。

 紫は平常心を偽る裏で、かつてない『選択』に迫られていた。

「どうかお願いします! 私一人じゃあ、蓮子を救えない! 誰かの助けが必要なんです!」

 垂れ下げ続けるメリーの顎先から、雫が落ちた。
 その懸命な姿を無視してでもメリーを連れ出す権利が、自分如きに有るのだろうか。
 誰にだって有りはしない。少女の操縦桿を好き勝手に握り強制する権利など、この世の誰にも。


「……それほどまでに、蓮子の事が大事?」


 やがて、紫が言い放った。
 眼差しはあくまで冷たいままで、出来るだけ低い声色を作り上げて。


「大好きな、友達です」


 返ってきた言葉は、紫の『選択』を決定付けるに充分な答えだ。
 この決定は、幻想的の未来すらも左右しかねない重大な分岐点。
 もし『しくじれば』……八雲紫はそこで死ぬ公算が高いのだから。
 そして、そうなってしまえば。目の前で頭を垂れる少女にとっても……その人生を大きく変えてしまいかねない、選択。


(……やっぱり、こうなってしまうのね)


 誰にも聴こえない声量で呟かれた、彼女の言葉。
 その中身が示す通り、紫は心中の何処かで『こうなる事』を予想していたのかも知れない。
 予想、というよりは、予感。
 それはともすれば、夢の中でメリーと出逢うよりも前から感じていた漠然な予感。
 いつからだろう。
 ジョルノへと夢を語った、あの時から?
 メリーからのSOSを朧気ながらキャッチした、あの時から?
 それとも。この会場に運ばれ、目を醒まして初めに見た……あの鮮明な星空に浮かぶ七つの星。
 ───彼らを見上げた時から?


 予感とは曖昧だ。
 それがたとえ、自分の中に確固として渦巻くモノであっても。


「───負けたわ。貴方のその、純粋な気持ちに」


 かくして八雲紫は、『選択』の末に舵を切った。
 メリーの涙を見なかった事にして前へ進めるほど、紫は強い女性ではない。

「……え」
「なんて顔をしているの。『蓮子を助けてあげる』って言ったのよ」

 涙と鼻水でグシャグシャに汚れる寸前の顔を、メリーはグンと勢いよく上げた。
 可愛げのある少女を見て、紫は対照的に笑ってみせた。誰もが心を射止められるような、美しく朗らかな笑顔で。

「ほ、ホントですか!?」
「あら。嘘であって欲しいの?」
「い、いえそんなっ! あの! あ、ありが……」
「お礼はいいの。私は貴方で、貴方は私なんだから。
 私は私の為に、貴方を助けるようなものよ。だからお礼はナシ。いい?」
「わ、分かりました……?」

 人を惑わすような理屈でまた丸め込められ、メリーは袖で顔を拭いながら了承する。

「じゃ、じゃあ早速この『夢』から目覚めて蓮子の所に……!」

 そうと決まれば、と言わんばかりにメリーは浮き足立つ。くしゃくしゃだった表情には希望が灯り、鳥居の向こうまでいざ往かんと駆け出そうとする。しかし紫はそんな彼女を制し、空を仰いで冷静に状況を見つめ直す。

「こらこら待ちなさいな。そうとなれば作戦と事前準備は必要よ」
「作戦、ですか? でもあまり時間が無いんじゃあ……」
「降らぬ先の傘、って用心の言葉があるでしょう? 相手はあのDIOなんだから尚更」

 未だ濡れそぼる紫色の傘をクルクルと弄びながら、辺りに水滴を撒き散らす。思案しているというよりは、単にどう切り出すかを狙っている様な振る舞いだった。
 プランならば既に頭の中にある。こうなる事は初めの内から予感していたが故にプロット自体は完成していたが、それを実行する選択を取るつもりなど紫には無かっただけ。
 罪な女だと。紫は自分をほとほと卑下する。
 だが今はもう決めてしまった。ならば最後まで抗って抗って、メリーの為に動き出そう。

 宇佐見蓮子は、責任を以て自分が救い出す。
 もう決めた事だ。メリーの無垢な笑顔を見ていると、悩んでいた自分が愚かだとすら思えてくる。

 これから話す内容は、メリーにとっては些細な話。
 しかし同時に、心に刻み付けて欲しい戯言でもある。


「───ねえ、マエリベリー。貴方には『夢』はあるかしら?」


 唐突に紫は、傍の少女へと語りかける。
 その質問と同じ内容を、かつてはあの黄金の少年にも問い掛けた。

「夢……?」

 首を傾げる自分と同じ顔の少女に、紫は苦笑しつつ。
 すっかり日も暮れた夜空の向こう。疎らに点灯していく人工の光たちの、もっと上。
 夜景に咲く満開の虹を扇子で指し。御伽噺を朗読するように穏やかな口調で語る。


「貴女は、虹を見るとどんな気持ちになるかしら?
 夢。希望。幸運。
 虹は『転機』の象徴であると同時に、光そのもの。七色には、それぞれ意味があるの」


 紫はあの虹の向こうに希望を見た。
 ここにいるメリーは今、巨悪に立ち向かおうとしている。
 肉の芽などというモノは欠片に過ぎないが、これを浄化し友人を救うという行動は、DIOに立ち向かうという無二の勇気に他ならない。

 だからこそ紫は、少女に敬意を表した。
 だからこそ紫は、少女を手伝いたいと思った。
 そしてきっと。
 そんな健気な少女の『味方』となってくれる者は、自分以外にいる筈だ。
 この少女には、もっと出会うべき正義──喩えるなら、『黄金の精神』を持つ者達が存在する筈だ。

 マエリベリー・ハーンに真に相応しい味方は、私なんかじゃない。
 そんな予感が、紫の奥底で胎動していた。


 スゥ……と、紫は瞳を閉じた。空を指した腕は、そのままに。
 七色の演者達を誘う指揮者のシルエットが、無音の旋律を導き出す紫の指先から重なっていく。
 虚空のステージで煌びやかに舞踏を舞うは、気まぐれな指揮者の愛用する小綺麗な扇子。
 タクトと呼ぶには装飾の過ぎるそれが、始めに示した先の演者は──〝赤〟のトランペット。

「あの美しい虹を御覧なさい」

 夜空に聳える幻想的な七色を、大舞台の楽団に見立てて。
 壇上に佇む紫は、その最も強い光を放つ色から一つ一つを指し示してゆく。
 指揮棒の役割を賜った扇子は、独特のリズムで紫の指先を舞い続ける。
 観客席には、彼女もよく知る少女ただ一人。


「〝赤〟とは、最も目立ち、血や炎の様に漲る生命力を放つ色。
 血は生命なり。強きエネルギーを秘めた始まりの赤/紅は『生命』の象徴」


 序曲は、“哭き幻想の為の七重奏【セプテット】”
 宇宙の原初は赤き炎の爆発より胎動し、亡霊じみた血脈の業を産み出した。


「〝橙〟とは、パワフルで陽気な喜びの色。
 赤の強きエネルギーと黄の明るさを兼ね揃えた、悪戯好きな『幸福』の象徴」


 業を受け継いだ異質なる血は流転し。
 渦を象る戦いの潮流に、素幡を掲げながら橙の波紋を躍らせる。


「〝青〟とは、クールさと知性を内包させた、しじまの色。
 内に秘めた力を静かに、冷静に奏でる調停者は『平和』の象徴」


 無限に広がる波紋の粒は、やがて銀河の星々を形成せしめる。
 絆げられた青き綺想の宇宙に、星屑の十字軍が超然と巡る。


「〝黄〟とは、一際明るく軽やかな、ポジティブを表す色。
 周囲に爽快を与え日常的な安心へ導く、この世で最も優しい『愛情』の象徴」


 銀河の星屑は、まるで暗夜に咲く金剛石【ダイヤモンド】。
 決して砕けることのない黄の耀きを望み、有頂天より眩い夜が降り注ぐ。


「〝紫〟とは、神秘性と精神性を兼ねた、人を惹きつける色。
 古くより二元性を意味する高貴な色は、何者よりも気高き『高尚』の象徴」


 金剛の光は燐光を放ち、古代の人々はそれを標に据える。
 鮮やかな黄金の風に導かれ、紫に煌めく夜が降りてくる光景を、彼らは夢へ喩えた。


「〝藍〟とは、アイデアと直観力を産み出す気丈の色。
 七色では最も暗くあるが、見た目のか弱さの中に活動的な力を秘める『意志』の象徴」


 心地良い黄金の風は循環し、星の器へと還る。
 箒星を仰ぐ少女は母なる藍海を求め、石の海から宇宙の外へと飛び出した。


「〝緑〟とは、バランスと調和を融合させる成長の色。
 幾億の歴史から進化してきた生命・植物は、父なる大地と共存する『自然』の象徴」


 宇宙の輪廻は、石の海の向こうに新天地を創った。
 マイナスであった意志は鋼に変わり、壮大たる緑の大陸を自由に翔ける姿はまさに風神の如く。


「宇宙は一巡を経験し、また『新たな零』の地点へと還ってくる。虹色もまた、同じ。
 全ては輪廻し、巡る様に構成されている」


 『生命』滾りし赤
 『幸福』巡らし橙
 『平和』奏でし青
 『愛情』与えし黄
 『高尚』掲げし紫
 『意志』仰ぎし藍
 『自然』翔けし緑


「それら七光のスペクトルが一点に集うことで、初めて『虹』は産まれる。
 虹は『天気』であり『転機』でもあるの。あるいは『変化』とも」


 情熱と静寂。
 指揮者は二つの属性を、音の波に浮かべながら詩を唄う。


「私の役目は。私の夢は。
 その変化の行く末───〝虹の先〟に何があるかを見届けること。
 星羅往かんと翔ける旅の中道で、私と貴方は出逢った。それって凄く素敵じゃないかしら?」


 雨が上がれば虹が架かる。
 今見ているこの夢は、私と貴方を繋ぐ『七色』のような夢であれ。


「大切な事はね、マエリベリー。
 幾ら宇宙が一巡しても。何度世界が創造されても。
 決して世界は“ループなんかしていない” 。未来は“予定されてなどいない”。
 一秒後、自らに起こる運命など人は知る術など無いし、知るべきでは無い、という事。
 覚えておきなさい。貴方の未来は、貴方自身にしか作れない」


 こうして指揮者は、全ての演目を終えた。
 たった一人の観客に掛けた言葉は、その少女の進むべき未来を暗示しているようで。


「記憶の層というのは人々に『未知』を授ける。『未知』であるからこそ、人は逆境に立ち向かえる。
 これから先、貴方には予想も付かない困難の未来がきっと待ち受けるでしょう」


 虹に誘う指揮者から、ただの八雲紫へと戻った彼女は。
 胸に付けられた『ナナホシ』のブローチを取り外し、少女の手のひらへそっと収めた。


「貴方はもう、蛹じゃない。私という紫鏡から解き放たれた、一羽の蝶。
 自分の操縦桿は、他の誰でもない貴方自身が握るの。貴方の周囲には、それを手伝ってくれる者達がきっと居ます」


 いつの間にか空の虹は消えて見えなくなっていた。
 隣に輝いていた『七星』も同様に。


「その『七星天道』のブローチは御守り。身に付けておけば、きっと貴方を護ってくれるわ」
「紫さん……貴方は」


 何かを言いかけたメリーの唇に紫の人差し指がそっと宛てがわれ、言葉は止んだ。


「その先は言わなくてもいい。貴方は自分の事だけを考えなさい。
 そして貴方自身の『夢』……それは、秘封倶楽部に関係するのでしょう?」


 メリーの夢、と呼べるほど大袈裟なものでもない。
 それでもそのささやかな夢に、秘封倶楽部は無くてはならない存在。
 つまり親友である宇佐見蓮子の存在も、メリーの夢には無くてはならない存在。

 紫の指が離れていく。言葉を紡ぐことを許されたのだ。


「……私の『夢』。それは蓮子と一緒に、秘封倶楽部を──────。」


 誰にでもあるような、本当にささやかな夢が。
 少女の口から語られた。
 妖怪の賢者はそれを聞き遂げると、満足したように笑った。


「じゃあ、友達は絶対に助けなきゃね」


 そして改めて、意を表明した。
 上を見渡すと、虹も、星も、空そのものも、時間と共に消失していくのが見えた。
 そろそろ夢の終わりだ。現実へと目覚める時間が差し迫ってきたのだ。


「───蓮子を救い出す『作戦』を説明します。よく聞いて、マエリベリー」



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最終更新:2019年07月22日 13:59