おおがたむじんうちゅうおうかんき
日本が開発した無人の宇宙往還機。新世界の惑星外を調査すべく建造された。
新世界の謎を解明するきっかけになるかもしれないとの期待から、国策事業として強力に開発を推し進められており、財界からの支援も併せて短期間で実用化に漕ぎ付けたという。
宇宙空間の物体のサンプルリターンも主眼に置かれていたため、宇宙ステーションのロボットアーム技術を応用した遠隔操作によるロボットアームを搭載している。
中央暦1644年(西暦2020年)に
H3ロケットによる打ち上げを予定。
日本の往還機構想
かなり唐突に登場したと思われる本機であるが、日本の宇宙開発の歴史を見てみれば、実は似たような計画が存在する。
それがHOPE(ホープ、H‐II Orbiting Plane)である。JAXAの前身である宇宙開発事業団 (NASDA) と航空宇宙技術研究所 (NAL) が研究開発していた、再利用可能な無人宇宙往還機の構想だ。
度々日本版スペースシャトルとも呼ばれるが、アメリカ航空宇宙局が運用していたスペースシャトルとは異なる。
まず「HOPE」はスペースシャトルと比べると小型で、完全無人操縦により自律飛行を行う点で大きく違う。
打ち上げの際も、H-IIロケットの先端にあるペイロード(積荷)部分を置き換える予定であった。
NALとNASDAでは、1990年代初めから独自の宇宙往還機の開発を行い始めていた。当時はバブル景気もあり、研究が後押しされていた事もある。
そして1994年にH-IIロケットの打ち上げが成功した事によって、HOPEは実現の見込みが高まっていた。
その後、HOPEはのちに計画変更になるまで、数度にわたる飛行実験を行って着々と進展していたという。
せっかくなので、本稿ではHOPE計画の進行を一つずつ解説していく。
OREX
まずHOPE実現のためには、大気圏への再突入の実証データが必要だった。
そのためNASDAは軌道再突入飛行実験機と して、OREX (Orbital Reentry Flight Experiment)を開発した。
本機は直径3.4m、高さ1.46mの円盤状の人工衛星で、円盤の片面は炭素繊維強化炭素複合材料やセラミックタイルから成る耐熱シールドになっていた。材質はHOPEで使用予定のものと同様だった。
本機は大気圏再突入、およびそれを目的とした機体の設計技術と研究データの蓄積のため、1994年2月4日にH-IIロケット試験1号機で打ち上げられた。
ロケットはOREXとVEP(性能確認用ペイロード)の地球周回軌道投入に成功。OREXは「りゅうせい」、VEPは「みょうじょう」と打ち上げ後に命名され、りゅうせいは1時間半かけて地球を一周した後、大気圏に再突入。実験データを送信しつつ、太平洋上への軟着水を達成した。
これは日本初の大気圏再突入の実験であり、これらのデータはHOPEの研究・開発に生かされるほか、大気圏再突入体の素材研究にも繋がっている。
HYFLEX
「りゅうせい」に次ぐ二機目の実験機として、HYFLEX (Hypersonic Flight Experiment) 極超音速飛行実験機が建造された。
こちらは円盤状だった「りゅうせい」から進化し、無人のリフティングボディ機として設計されていた。全長は4.40 m、全幅は1.36 m。極超音速で飛行する機体の設計・製作・飛行技術の蓄積、および再突入機の飛行実証を目的としているため、滑空可能な空力舵が搭載されている。
本機は1996年2月12日に、J-Iロケット1号機によって打ち上げられ、高度110kmにおいて約3.9km/sの速度でロケットから切り離された。
滑空中、機体の姿勢制御は、ガスジェットと空力舵面の両方によって行われ、小笠原諸島の父島をまわるように右旋回しながら飛行。
実験機の各部に各種センサが取り付けられており、機体表面への空力加熱や表面圧力などのデータの収得には成功したという。
帰還後、本来の予定には無い機体回収も行おうとしたものの、機体の発見は出来ず回収はされなかった。
ALFLEX
三番目の実験機として、ALFLEX(Automatic Landing Flight Experiment)が建造された。本機はHOPEの数分の一モデルの実験機であり、搭載機器の質量や動的相似性などが考慮され、1992年当時に検討されていたHOPEの外観を37%に縮小した設計となっている。
実験はオーストラリア・ウーメラ飛行場で行われ、1996年の7月から8月にかけてヘリコプターによって上空で切り離してからの完全自律飛行実験を行った。
1ヶ月の間に13回にわたって実験を行い、全て成功した。なお、ALFLEXは日本で初の自動着陸実験だったという。
ALFLEXの実機は現在、調布航空宇宙センターの展示室で展示されている。
HOPE-X
以上の通り、HOPEに関する実験は順調に進んでいた。しかし、1990年代後半のバブル崩壊による不景気によって、計画が見直されてしまった。
そこで開発チームは、HOPE実用機を直接製作するのでなく、比較的開発費が低く抑えられるHOPE-X (H‐II Orbiting Plane Experimental) 実用実験機の製作に移った。
HOPE-Xは全長15.2m、幅9.7m、高さ4.8mとなっており、打ち上げ時の重量が約14t。実機より少々小さくなっており、HOPEから実験機として必要のない部分を省略して軽量化した機体だった。
本機はH2A1024型で打ち上げられる予定で、実験終了後は機体を改修し必要な機材を乗せることで、HOPEとしての運用もできる設計だったという。
しかしこの頃、NASDAは1998年と1999年のH-IIロケット打ち上げに連続失敗し、NALの方でも打ち上げの失敗が相次ぐなどしたため、両組織は全面的な組織改革を迫られた。
そして2000年8月、宇宙計画の全面的な見直しを宣言した。
この一連の事業仕分けにより、HOPE-X実機製作の凍結と、今後はHOPEにとらわれない航空宇宙の実験を行う旨を発表した。NASDAはあくまで中止ではないと主張していたが、その後の展開を考えれば、この時点で開発が中止されたと見るのが妥当であった。
2003年10月1日。
宇宙航空3機関が統合し、現在の宇宙航空研究開発機構 (JAXA) が発足してからは、2015年までは有人宇宙計画などは持たず、基礎技術研究などを行うとしている。
HOPE-Xが頓挫した後も、リフティングボディ実験機としてLIFLEX (LIfting‐body FLight EXperiment)が持ち上がるなどしていたが、現在に至るまで日本独自の往還機計画は実現していない。
日本国召喚において
HOPE計画は頓挫したものの、それ以前の実験機のデータはほぼ残っている状態だ。そのため、本稿における大型無人宇宙往還機もこれらのデータが活用されたと考察できる。
転移から5年ほどで完成、中央暦1644年に打ち上げを予定しているが、HOPE計画からデータが活用されたとなれば、この異例の開発の早さも納得である。
しかし本機は「大型」と付く通り、スペックや性能などはHOPE計画から大型化していると思われる。
実際、対応機である
H3ロケットは史実のよりも打ち上げペイロードが高い。そして新惑星は一定高度を過ぎると打ち上げペイロードが上がるという特性もあるため、自ずと本機も大型化しても問題はない。
新惑星環境におけるサンプルリターンなども運用目的であるため、ロボットアームやサンプルなどを格納しておくカーゴを拡大しなければならなかったのも、この大型化に結びついていると思われる。
そして本機は中央暦1644年(西暦2020年)に打ち上げを予定しており、日本が打ち上げたものではない人工衛星の回収として、
魔帝復活ビーコンのサンプルリターンが計画されている。この計画の是非によっては、今後の作品の展開にも大きな影響を及ぼすかもしれない、
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最終更新:2024年08月28日 21:35