『戦国BASARA』の顔役として、これまでシリーズを引っ張ってきた人気武将・伊達政宗。
今回は、その政宗の誕生秘話と、そのキャラクター造形についてお聞きした!
以上がタイトル及び導入部。
--まずは伊達政宗が誕生した経緯を教えてください。
山本:最初、シリーズを立ち上げるときに、メインに置く武将を誰にしようかと考えたんです。
そのとき、戦国時代で非常に人気の高い武将である伊達政宗と真田幸村を2人のメインとして取り扱うことにしました。
イメージカラーは2人の対比からきていて、幸村といえば“赤備え”の“紅”でしたから、ライバルの政宗は“蒼”でいこうと。
プレイヤーキャラが一人しかいないゲームでは問題にはならないが、
使用可能なキャラクターが複数いるゲームでは、誰をゲームのメイン=中心人物(=基準)とするかが問われる。
そうしなければ、ストーリー全体の構成やゲームバランスの調整が難しくなるからである。
勿論、この人選は製作側の裁量の範囲であろうし、歴史を題材とした作品であれば、
その時代の中心人物や人気の人物が採用されるであろうことは想像に難くないし、寧ろ合理的ですらある。
その意味では、伊達・真田の両雄を物語の中心に抜擢したこと自体を批判するのは不当であろう。
また、主人公のイメージカラーを青、好敵手のイメージカラーを赤にするという設定それ自体も、
従来のカプコン作品の流れを考えるのであれば、十分に伝統を踏まえた形になると言えよう。
しかし、そうすんなりと受け入れられる話ではないのも確かである。
何故ならば、カプコン発の日本の戦国時代を舞台としたゲームに関する先行例はかなり限られており、
伊達・真田の両雄が高い人気を誇るということを確定できるだけの知識や資料、
ひいては人材が存在するとは現在でもなお見られていないし、
本作に関して別個に調査を行った形跡も殆ど見られないからである。
それどころか、各所に残っているスタッフの発言は、およそ配慮に欠けるものばかりであるということは、
ここを利用している方々には周知の事ではないかと引用者には思われるのである。
そもそも、B無印開発の時点で、主要スタッフが「赤備え」の単語を知っていたかどうか自体が疑問である以上、
赤備えとB幸村の赤い衣装は、単なる偶然の一致と見るべきであるようにさえ思われる。
これは、度々その原色の青を「ポリバケツ」と揶揄される政宗の側も当然事情は同じと考えられるのである。
--政宗と言えば三日月の兜が特徴ですが、『3』での2Pカラー……水玉陣羽織もかっこよかったです。
山本:ありがとうございます(笑)。あれも、史実の政宗の伝来として有名なものですね。
この「水玉陣羽織」は現存する文化財である(但し、政宗の物ではないとの異説もある)。
元の時点でかっこいいのであるから、正直インタビュアーのおべっか臭を感じてしまう。
--デザイン面で今後やってみたいことは?
山本:史実の小田原の役で彼が着たという、白装束は一度やってみたいですね。
それと京で担いだという金の十字架。
こちらは、十字架にちなんだ固有技とか面白んじゃないかと思っています。
これはデザインでもストーリーでもそうなんですが、史実へのリスペクトだけは絶対忘れないようにしようと。
例えば、『3』では伊達政宗と雑賀孫市に面識があるわけなんですが、これは史実で政宗に仕えた重臣・鈴木元信が雑賀孫市(鈴木重秀)の縁者であったという説があるからなんです。
本インタビューの最大の問題となる箇所は、おそらくここであろう。
まずは、デザインの白装束に関して。
豊臣秀吉による小田原の陣に際し、伊達政宗は白装束で遅参の釈明に当たったことはよく知られた史実である。
そもそも、白装束とは単に白い衣服を指すのではなく、死者の亡骸に着せる服でもあることから、
死の覚悟を象徴する衣服でもある。
この衣装で秀吉との謁見に望んだ政宗は、演出としての側面も勿論あるだろうが、
失態を演じたらその場で即座に切腹して果てるほどの覚悟をしていたと当然ながら看做さねばならないであろう。
事実、この時点で伊達家、ひいては政宗自身死の淵にあったと考えるべきであり、
この小田原の役で豊臣方に参戦しなかった奥州諸侯は悉く改易の憂き目に遭っている。
その意味では、些か芝居がかっていたとは言え、この選択は正しかったと言えるであろう。
しかしである。
そもそもB3において、当の小田原の陣周辺の描写がどれほど出鱈目であったかは今更述べるまでもなかろう。
加えていえば、ゴリラ(笑)に屈するポリバケツ(笑)を、一体どれだけの信者が肯定できるかと言うと、
それは絶望的であると容易に想像できよう。
つまり、Bにおいてはこの白装束自体が不適なうえ、
ファン心理を考えると作中においては不要ですらあると考えて差し支えないのである。
それこそ、単に白服がかっこいいと感じただけなのであれば、白装束が持つ意味を氏は何ら理解していない、
いや、単なる2Pカラーや追加コスの延長としか見ていないという、何とも情けない話になってしまうのである。
死を賭した自身の姿がこの程度の扱いしかなされないことを知ったら、泉下の政宗公はどう思いになるであろうか。
続けて、金の十字架の話に移ろう。
豊臣秀吉に対して、伊達政宗が金の十字架を背負って京の町を練り歩き、
己の所業の弁明に向かったことはよく知られた史実である。
繰り返しになるかもしれないが、実際にはこの二つの話は一つの流れの上にあるため、ご容赦願いたい。
話に入る前に、まずはこの件に関する背景について言及する必要があるだろう。
先にも触れた小田原の陣の後、豊臣秀吉は奥州諸侯に対する所領に関する布告を行った。
所謂、「奥州仕置」であり、これにより豊臣秀吉による統一事業は完成に至った。
しかし、その内容の性急さは不満分子の存在に直結し、旧領主を中心とした反乱・一揆が東北の地で頻発する。
その一つであり最大級の物が、本件の舞台となる「葛西・大崎一揆」である。
この一揆鎮圧には蒲生氏郷、石田三成、伊達政宗らが協力して当たったのであるが、
その中で、政宗率いる伊達軍の不審な挙動や文書が発覚してしまう。
情報を総合すると、何と本一揆を物心両面で支援していた、
つまり本一揆の首謀者は当の政宗自身であるとの結論に至らざるを得ないのである。
一揆を煽動し、それを鎮圧した功績で旧領の回復と発言権の拡大を狙うというのが政宗の野心であったろう。
そして、性急な奥州仕置に対する政宗自身の不満・反感の存在もまた疑いないことである。
とはいえ、この政宗の動きは当然ながら「惣無事令」違反であり、事実上の謀反である。
このため、再び伊達家は改易の危機に瀕することになる。
この件の弁明のために、京に出頭した際に用いたのが、件の「金の十字架」なのである。
当時は既にキリスト教の教宣もあり、十字架がキリスト教における死・供儀を象徴するものであるという理解は、
戦国~安土桃山時代のわが国でも広まっていたとみられる。
これもまた、己の失態に関して生命を賭した弁明を行うという意味では、先の白装束と全くの同義である。
なお、この時に、伊達家が一揆を煽動した証拠とみられる文書が、
鶺鴒の花押の目に針で穴が開けられていないもの、
つまりは偽書であるという些か詭弁めいた発言があったことはよく知られている。
そもそも、伊達政宗の金の十字架の話と鶺鴒の花押の目の話は、一組の挿話なのではないか。
話が横にずれたので、元に戻そう。
基本的には、白装束の逸話も、金の十字架の逸話も、史実における伊達政宗の敗北と挫折を象徴するものである。
勿論、このことを以て、二度も負けた政宗を無能と評することは不当であろう。
しかし、それ以上に不当なものがあることを看過してはならない。
それは何か? それは勿論、史実における政宗の姿を決定的にまで無視、或いは蹂躙しておきながら、
いざ都合のよい、あるいはモチーフとして使えそうなものであったなら、
およそその背景や文脈を無視して利用しようとする公式および狂信者のご都合主義に他ならない。
基本的にBの登場人物は、史実における要素や歴史的に築かれてきたパブリックイメージを等閑視して、
独善的に創作されている。
それ自体無批判ではいられないものであろうが、さらに問題となるのが上記のご都合主義である。
もし、史実における姿とは無縁であるとしたいのであれば、
史実における逸話に対する言及自体をやめるべきであろう。
そうでないのなら、従来のイメージや関係各位に対する配慮が当然ながら必要とされる筈である。
だが、ここにあるのは、二度に渡る敗北と挫折の逸話を、
「ネタとして面白そう」としか考えていない公式の浅慮であり、
何をやっても許されるという傲慢さの表れである。
勿論、これは「あくまでゲームだから」と反論しながらも、
恥知らずにも史跡に痛絵馬を奉納する狂信者の姿と相似形をなしていると考えなければならない。
問題はこれだけでは終わらない。
先に述べたように、現代であっても十字架はキリスト教を象徴するものであり、優れて宗教的な事物である。
それを武器であれ、固有技であれ、ゲーム内で用いること自体が途轍もなく無神経なことであるという、
当然の判断をこの発言からは欠片も見出すことが出来ない。
ザビー教の扱いを見てもわかる通り、公式の宗教に関する配慮の欠如は、最早病的とすら評するほかあるまい。
それどころか、
これはデザインでもストーリーでもそうなんですが、史実へのリスペクトだけは絶対忘れないようにしようと。
その矢先にこの発言である。
正しく究極の言動不一致であり、リスペクトを完全に欠落した人間の戯言である。
勿論、真にリスペクトの意があるのであれば、そもそもBなど作らない(作れない)筈であろう。
話を続けよう。
伊達家の重臣・鈴木元信と雑賀衆の件についてである。
鈴木元信自身は実在の人物であり、政宗の家臣どころか熱心な政宗の崇拝者としての言動で知られている。
しかし、ここで挙げられている説に関して、引用者はその説に触れることが出来なかった。
一か所で確認できたのは確かなのだが、そこはよりにもよってWikipediaであり、
しかも「要出典」という、信憑性に著しく欠ける内容であった。
一体、氏はどこからこの説を知ったのであろうか。
そもそも、伊達政宗と雑賀孫市の関係に関しては、鈴木元信の縁よりも鈴木重秀の子(弟とも)である、
鈴木重朝の存在を指摘するのがより妥当な筈である。
「雑賀孫市」の名を襲名した雑賀衆の一人である鈴木重朝は、
関ヶ原の前哨戦である伏見城の戦いにおいて徳川の忠臣・鳥居元忠を討った後、
流浪の末に伊達家に仕えたことが確実視されているからである。
つまり、態々異端に近い説を採用する必然性は実は何処にもないのである。
それ以上に重要なことが一つある。
それは、ここで言及された三種の逸話には「ある共通点」が伏せられているということである。
それは一体何であろうか。
その答えは容易である。
それは、この三種はすべて教科書=パクリ元である戦国無双シリーズの伊達政宗シナリオにおいて、
既に採用された要素であるということである。
白装束こそ着ていないが、政宗が小田原の陣に遅参したために秀吉に恫喝されるという場面は2に。
金の十字架を背負って鶺鴒の花押を証拠に秀吉に対して弁明するという場面は3に。
鈴木重朝と思われる雑賀孫市との縁は2以来のものであり、これは3でも続投されている。
このように書くと異論や反論があるかもしれない。
歴史上の人物の事績や言動は当然ながら限られたものであり、
人物描写において不可欠な要素は重複せざるを得ないといった異論・反論は、
容易に引用者自身にも想定可能なわけであるし、それは正しいと考えている。
しかし、そういった異論・反論は少なくともB政宗に関しては成立しえないと考えられる。
第一に、Bに登場するキャラはほぼ全員が史実をベースとした創作がなされていないということである。
この傾向は、Bキャラ筆頭=Bを象徴するキャラの政宗において特に顕著であり、
戦国時代の武将の名を冠しておきながら、史実における政宗像のトレス要素でしかない眼帯&弦月兜なしには、
他作品のキャラとの区別が出来ない位史実の要素が薄い。
それを踏まえれば、史実における要素を導入することがB政宗には似つかわしくない、
それどころかその資格すらないと言った方が適切であろう。
これは、キャラクターが持つべき一貫性を考えれば、当然の措置と思われる。
第二に、史実における伊達政宗の持つ「特殊性」がある。
一般に、伊達政宗は「最後の戦国大名」「生まれてくるのが遅すぎた」と評されることが多い人物である。
事実、政宗の前半生において戦国時代は幕を引いており、
彼自身は東北地方の統一すら出来なかった人物である以上、
彼の主要な業績は江戸時代の治政の方にあると言った方が適切な程である。
これは、地方統一に王手をかけた西国の毛利、長宗我部、島津らに比べると数段下の業績と言わざるを得ないが、
時代の趨勢は彼一人の力で左右できるようなものではなかったことを考えれば、やむを得ない話である。
反面、それは政宗自身にしても悪いことばかりではなかった。
何故ならば、江戸時代と言う泰平の世の訪れは、多くの史料や遺品を伝えやすい時代の訪れでもあるため、
生前の政宗の為人を後世に数多く伝えることが出来たからである。
これは、先に言及した葛西・大崎一揆の当事者である、
葛西氏・大崎氏の資料の散逸が深刻なこととは対照的であろう。
政宗人気が戦国の三傑に匹敵するほど高いのは、それだけ史料に恵まれた人物であるということも、
確実にその要素の一つになっている筈である。
つまりは、生前の政宗公の為人を伝える逸話の類はその活躍期間に反して恵まれており、
その分、既に他所で使われた逸話や事績を回避して人物造形を行うことは、
かなり容易な部類に入ると考えられるのである。
まして、先に山本氏が言及した逸話は時代背景を抜きにしては語れるようなものではない以上、
逸話集などにある江戸時代の政宗の言動(時として奇行)を使用した方が遥かに弊害は少ない筈である。
しかし、そのような動きは公式の側には全くと言っていいほど見られないのが現実である。
用語集にもあるように、戦国無双シリーズはアンチの間では「教科書」と度々称呼される。
その理由の一つ、付言すれば最大級の物の一つが、
作品を象徴するB政宗の無双政宗およびその周辺に対する無節操な後追いぶりであることに、
異論のある方は少なかろう。
引用者自身、ここまで公式が無双の後追いを公然と発言していることに対して、
驚きと怒りを隠せないというのが正直な感想である。
いや、Bを象徴するキャラクターがBという存在の本質を体現するのは、ある意味では必然なのかもしれないが。
--なるほど! 2人がなんで知り合いなのか、長年の疑問が……(笑)。
山本:伊達家と言えば騎馬鉄砲隊が有名ですが、鈴木元信が雑賀衆の出身であるなら納得がいくんですよね。
伊達の鉄砲隊は、雑賀衆からの流れを汲むという。
前段を補足する内容であるため、改めて細かい言及をする必要は無かろう。
ただ、Bにおける政宗と孫市の関係自体が極めて新しいものなので、
やはりインタビュアーにはおべっか臭、或いは白々しさを感じてしまう。
--詳しいですね!
山本:物語を作る上で、伊達政宗の事はいろいろ調べましたから(笑)。
例えば、伊達家では金や鉄がかなり豊富に採れて、大谷金山や藤沢鉱山などが有名だったんです。
それで、政宗のステージには掘削所を置いてみたりとか。
ほかにも政宗がヘビースモーカーだったという話があって……これは真似して欲しくなかったことと、レーティング的にも使われなかったネタですが(笑)。
セリフやストーリーに、そういう色々な史実のネタがたくさん入っていますので、是非探してみてください。
ここで挙げられた二つの鉱山は、宮城県本吉郡の大谷金山と、岩手県東磐井郡の藤沢鉱山の事と思われる。
この両鉱山は旧仙台藩領内にあるため、確かに伊達家とは無縁ではない。
しかしである。
前者の大谷金山はどちらかと言うと奥州藤原氏所縁の金山であり、伊達家との縁は副次的なものである。
後者の藤沢鉱山は、発掘作業時に隠れキリシタンを懲罰的に用いたことでも知られ、
決して好意的に評価できる内容の鉱山事業とは言えないのである。
さらに言えば、戦国時代は各所で鉱脈開発が進んだ時期であり、
甲斐の武田家や越後の上杉家による金山開発は伊達家の事業よりもはるかに有名であろうし、
目を西国に転ずれば但馬生野・石見大森の両銀山の活動が極めて大規模なものだったことは他言を要さない。
鉱山開発をしたことが掘削所をネタ扱いすることに繋がるのであれば、
これらの地域は掘削所どころか洞窟だらけになるのではなかろうか。
続けて、ヘビースモーカーの件について。
現在は煙草の害が説かれて久しいが、戦国時代は薬効が信じられていた(灸のようなものか)ようであり、
政宗公にも喫煙の習慣があったことが知られている。
ただし、先述の通り医薬的なものであったようであり、規則正しい喫煙であったと史書に残されている
(その意味では、現代的なヘビースモーカーと呼ぶのはやや正確さに欠けるかもしれない)。
また、現在は各種の規制から、フィクションにおける登場人物に喫煙させることは無くなりつつある。
これは、教育上の問題や、保健医療上の問題などの複合的な要因の結果故に簡単には論ずることが出来ない。
その意味では、レーティングの面も含めて作中で喫煙の要素を採りあげなかったのは、
素直に山本氏の判断や良識を称賛して構わないであろう。
ただし、作中で不良・愚連隊の集団として描かれるB政宗及び伊達家の事を考えれば、
喫煙していた方がそれらしかったのではないかとは言える。
--では、史実の政宗で一番魅力に感じる部分はどこですか?
山本:とにかく派手な人物ですが、僕は若いころのやんちゃな政宗よりも、年をとって貫禄の出た政宗が好きなんです。家康が病没するとき、政宗に後事を託したというエピソードとかにグッときますね。
“もし政宗が天下を取っていたら?”という話がありますが、僕は若いころの政宗なら織田・豊臣型の強い政治を敷いたと思いますし、後年の政宗なら徳川型の幕府を作ったんじゃないかと思っています。
若い頃は素行不良であった人物が、老成して大人物になる事例がある。
戦国時代では、「鬼日向」の異名を取った水野勝成がその典型例として有名であろう。
伊達政宗もこの文脈で説かれることが多いのであるが、果たしてそうであろうか。
先にも述べたとおり、伊達政宗は多くの逸話を残す機会に恵まれた武将・大名である。
それ故に、多くの派手好みな言動、時として奇行は数多く残されているわけであるが、
その逸話は晩年になっても減る様子がないため、貫禄が出たどころか、
終生奇行が目立った人物と見た方が妥当である。
勿論、これは政宗を否定したいわけではなく、それこそが彼の個性であると断言して構わないのであるが。
ところで、山本氏は「年を取って貫禄ある姿」が好きと言うが、
その割には作中ではそのような人物が碌に出てこないのは何故だろうか。
後段にある、織豊政権と徳川幕府との比較については、ステレオタイプな見方に過ぎないと断じて構わないであろう。
--いつか、『戦国BASARA』にも落ち着いた老年の政宗が出ますか(笑)。
山本:それはないです(笑)。
『戦国BASARA』の政宗は若い政宗ですから、まだまだ暴れてもらわないと。
実は、『2』で片倉小十郎を創ったとき、落ち着くべきポジションを彼に肩代わりしてもらえたのが大きかったです。
政宗ってやんちゃな暴れん坊ですが、一国の主としては落ち着いた部分も持っていなければならないんです。
その相反する両面のうち、小十郎に片方を引き受けてもらって……。
政宗が背負うべき重荷のうち、小十郎はその半分を引きうけてくれているんですね。
そうでないとB腐共が離れて行ってしまうということであろう。
ところで、B片倉は落ち着いたポジションの人物であろうか。
用語集にもあるように、「キレると極道風になる」人物に対して、落ち着きや冷静沈着さを見出すのは無理がある。
寧ろ、危機的状況で冷静さを失うなど、軍師や抑え役としては欠陥もいいところであろう。
勿論、「割れ鍋に綴じ蓋」とは言えるが、物語の中核を担う主従関係としてはあまりにもお寒い。
常々思うのだが、「暴れん坊の不良少年」と「それを支えるチンピラ」というのは、
物語の主人公側より、その主人公に一蹴される小物悪役の構図であろう。
それが持て囃されるのは、世も末と嘆くべきなのであろうか。
--これまでさまざまなストーリーで描かれてきた政宗ですが、シリーズ最新作の『宴』では、どんな姿が見られますか?
山本:今回もバシッとした政宗の活躍が見られますが、小十郎のストーリーでは「伊達軍とは?」という部分をテーマにして物語を作っています。
小田原の役で豊臣に敗れて、奥州に落ち伸びていく小十郎や伊達の兵士たちが、奮闘する姿ですね。
ほかの人たちの視点で“想われる伊達政宗”という面でも楽しんでいただけると思っています。
Q.「伊達軍とは?」 A.チンピラ共の集団。
だと思うのだが、違うのであろうか。
さて、ここにあるように、B3作中では伊達家は小田原の役で豊臣家に一戦を挑み、惨敗を喫している。
もし、史実において伊達家が小田原の役にて豊臣軍に臣従せず、
あくまで徹底抗戦を挑んだとしたらどうなっていたであろうか。
御存知の通り、当時の豊臣軍は西国諸侯を悉く屈服させ、
関東に独立王国を想起させる一大勢力を築いていた(後)北条家をも完封しているわけである。
この圧倒的な力の前に、東北地方すら統一出来ていない伊達家は、
開戦後に一方的に蹂躙されたであろうことは想像に難くないし、
伊達家、ひいては政宗自身も、先に挙げた葛西・大崎両家の運命を先取ることになった筈である。
このような破局的事態を未然に防いだからこそ、降伏論を説いた片倉小十郎が「腰抜け」どころか「智の小十郎」
と評されるのであるし、政宗の臣従を否定するものも絶無と言っていいわけである。
では、B3のこの展開はどう評価すべきなのであろうか。
物語の都合上、主人公が敗れるという展開自体は珍しいものではない。
それどころか、強大な敵に挑み、敗れるというのは物語の転機としては王道の類ですらある。
しかしである。
ここで述べられた作中における敗北は、果たして必然性があったか。
それ以上に、領民や将兵を抱える領主としてはどうか。
大名家の当主たるもの、彼らの命を抱えている以上は軽率な開戦判断は慎まねばなるまい。
それこそ、人間の生命のみならず尊厳までをも蹂躙するような性質の敵でもない限り、
己よりも圧倒的に強い敵に対して敗北必至の戦を軽々しく興してはならない筈である。
だが、作中の豊臣軍はそのような「悪の帝国」ではない。
それ故に、大義も勝算もなく挑み、返り討ちに遭ったB伊達家の動きは愚行以外の何物でもなかろう。
それ以上に疑問なのは、何故そのような為体でも“想われる”立場なのかと言うことである。
どの様な時代であれ、敗戦の現実は、生き残った将兵の心身に少なからぬ深手を負わせるものである。
それが無謀な出兵によるものならば尚更であり、そこから生じた恨みが後の禍根になった事例も珍しくない。
だが、それでもなお作中における政宗は“想われる”立場であるという。
B伊達家とは、筆頭(笑)を狂信する、あるいは筆頭(笑)への批判を許さない、「筆頭教団」なのであろうか?
いや、それ以上に引用者が恐ろしくさえ思うのは、このB政宗を「筆頭」とした、
B全体に蔓延する人間心理に対する洞察・理解の徹底的なまでの欠如ぶりである。
多くの軍記物や戦争をテーマにしたフィクションには、
時として探偵小説を想起させるような心理戦の場面が少なくない。
それは、あくまで身分や立場を問わず登場人物はすべてが人間であり、
そこには必ず人情の機微が存在するからに他ならない。
だが、Bのキャラは一貫してその精神性を欠くのである。
兵を捨て駒扱いする毛利、絆を説きながら暗殺紛いの所業に出る徳川、そしてチンピラ紛いの言動が止まらず、
同じくそれを碌に批判しない伊達とその取り巻き…そこにはおよそ人間としての共感の余地はあるまい。
引用者自身はそう思わないが、Bのキャラクターはイケメン揃いであるという。
しかし、そのキャラクターの言動にはおよそ共感や理解が可能な精神性が存在しない。
どれだけ容姿が麗しかろうが、精神・心を持たないキャラクターなど、
ままごとに用いる人形以外の何物でもなかろうと引用者は思う次第である。
最後に。
本項の締め括りに代えて、「ある人物」の言葉をB最新作における政宗に対する批判として紹介したい。
内容は一部改編しているが、原型はほぼ留まっている筈である。
「己の浅薄な私情のために戦をされては、兵も民も哀れよな…」
「ましてや、それで負けては何も残るまい!」
この辛辣な台詞を吐いた「ある人物」とは一体誰か。
それは是非とも利用者自身の手で確かめてみてほしい。
『戦国BASARA』の伊達政宗はこんな武将!
- 蒼くてCOOL
- ライバルは真田幸村
- 奥州のカリスマ
- 「Are you ready guys?」
恒例の、編集部による四行紹介の欄。
…知ったばかりの外国語や学術用語を使いたがるのは、精神年齢の低さの表れであるとだけは言っておきたい。
最終更新:2013年01月29日 21:01