--信玄は初代『戦国BASARA』からずっと登場している武将ですが、史実の信玄にどんな印象をお持ちですか?
山本:すごくミーハーなんですけど、やっぱり「風林火山」や「甲斐の虎」のイメージです。

今回の導入部。
武田信玄の名前から「風林火山」「甲斐の虎」の名を挙げるのは、
戦国時代ファンならば百人中百人がそうするであろう内容と言えよう。
その意味では、特に疑問視するような内容の発言ではないと考えられる。

--本シリーズの信玄といえば、幸村との殴り合いがお約束になっていますね。
山本:幸村の熱血具合をどう表現するかを考えた結果です。
信玄の見た目をおじさんにするというのは最初から決めていたので、その組み合わせがうまくはまった感じですね。
実はこの2人は、川中島を挟んで上杉家とも対比させています。

「若く血気盛んな弟子」「老成した師匠」という対比的な関係は、創作上では普遍的なものである。
Bにおける信玄・幸村師弟もそうであるが、そもそもパクリ元である初代戦国無双の信玄・幸村師弟自体が、
同様の関係であると言える。
その意味では、「うまくはまった」というよりも「うまくパクれた」と表現するのが正確な筈である。
と同時に、もう一つのパロディ≒パクリ元があるのではないかと引用者には思われる。
それは、サンライズ製作の『機動武闘伝Gガンダム』における、主人公のドモン=カッシュと、
その「師匠」である東方不敗マスターアジアのことである。
Gガンダム作中において、両者の殴り合いを含めた関係は今なお語り草であり、
特に師匠である東方不敗の超人的活躍を脳裏に焼き付けている方も多いのではなかろうか。


余談ではあるが、ドモン役の関智一氏が本作で深刻に喉を痛めたことで知られるが、
似たような扱いのB幸村役の保志総一朗氏も同様な事態に陥ってしまったようである。
前者は間違いなく名誉の負傷であるが、後者の割に合わないことといったら、同情を禁じえまい。


最後の、川中島を挟んでの上杉家との対比は、戦国ものの表現技法としては常識の範囲なので、
特筆することはない。

--『3』では信玄が病に倒れてしまいましたが、これはなぜですか?
山本:信玄の存在が大きすぎて、幸村が依存しすぎてしまったんです。
そこで、幸村の成長のために、一度どん底を経験させようということになりました。

ここでは幸村の依存を述べているが、実際には『3』の題材とした関ヶ原には、
信玄は不在であったほうが良いとの判断の方が強いように思われる。
外部の目からしても、『3』の人選の出鱈目ぶりは目に余るものであった。


ところで、ここで触れられた、幸村の成長と信玄の病との関係について考えてみたい。
ここでは、幸村の依存を問題視している以上、幸村の成長とは独立を視野に入れる必要がある筈である。
単なる病であれば、看病にこそ力を入れるべきであり、それは成長=独立を促すものではなかろう。
そして、成長=独立を促すほどの重篤な病なのであれば、最早信玄は人事不省の状態以外あり得まい。
その意味では、B3において信玄が病のためにリタイアしたこと自体はある程度は正当なものと見做せよう。
しかしである。

--幸村の第2ルートのラストで、信玄が復活したことに驚きました。
山本:第1ルートがシリアスなので、『BASARA』のノリとしては物足りない部分がありまして。
第2ルートでは吹っ切れた幸村の前に、信玄を登場させたいと思っていました。
幸村を「旦那」から「大将」に格上げしましたが、だからと言って幸村が一国の主になるわけではなく、心意気としての大将なんですよ。
『BASARA』では、信玄が死んで幸村が主君になるという流れはできないので。
2人の師弟関係を大事にしたいので、その関係性を変えるのは難しいんです。

今までの振りは一体何だったのだろうか。
作中で死んだ(或いは事実上死んだ)人間を、容易に復活させることは物語上許されない。
それは、人の生死の一回性を棄損し、その死から生じた不可逆的な変化を無に帰すことだからである。
勿論、実際には生きていたというのであれば兎も角、何の説明もなしに復活させることは許されないであろう。
なお、ここで挙げたB信玄は、物語上では事実上死んだ人間として引用者は解釈している。
そして、その復活劇も呆れるような内容であった以上、興醒めも良いところである。


また、「大将」が心意気としてのもの、名目上のものに過ぎないのであれば、
作中の武田家の内実は一体どうなっているのかという疑問は当然出てくるだろう。
だが、ここにはそれを補足する答えらしきものは全くない。
B幸村が主になったのでもなく、勝頼や義信、盛信といった一門の名も挙げられていない。
B3武田家は、当主不在の空位大名家なのであろうか。


ところで、本段落末に「2人の師弟関係」について述べられているが、
結局公式自体、この関係を清算する積りは無い模様である。
裏を返せば、この両者の関係において最も依存しているのは、
B幸村本人ではなくて、実は公式の側それ自体なのではないか。


問題はそれだけに留まらない。
先にも述べ、用語集の各所にも書かれているように、このB信玄・幸村の師弟関係は、
教科書である無双シリーズのパクリ=Bという作品自体が本質的に他者依存をしているという事実の、
象徴とも言うべき関係である。
言うならば、この師弟関係はどう足掻いても他者依存から逃れられ得ぬ宿命にあるわけである。
付言すれば、先の公式による依存を考えると、この師弟関係は「多重依存」にあるとすら言えるわけである。
このような醜悪極まるあり方を隠すため、担当声優である玄田・保志の両氏は、
声優生命に対して相当な負担を強いられているわけである。
歴史上の人物に対し、実在の声優に対し、そして他作品(しかも他社の手による作品)に対し、
ここまで迷惑を掛けた害悪的存在を、引用者は他には寡聞にして知らない。

--『3』では、家康からも「我が師」と呼ばれていましたね。
山本:そうですね。ほかにも、史実で政宗の師匠が信玄の兄弟子だったということを知りまして。
ゲーム内で政宗に信玄を認めるセリフを言わせたりもしています。

史実において、三方ヶ原の地で武田信玄に大敗を喫した徳川家康は、
武田家の滅亡後に武田家の遺領の回収や、遺臣の再雇用に尽力している。
それは、自身の敗北から学んだ姿勢であり、大敵に対する敬意の表明でもある。
その意味では、B家康がB信玄を師と扱うこと自体は一応史実に適った解釈ではある。
ただし、作中には両者の因縁の地である三方ヶ原(あるいはそれに準ずる戦)は存在しないため、
上滑りの感が否めない*1


続けよう。
山本氏がここで挙げている「政宗の師匠」とは、臨済宗の僧である虎哉宗乙のことである。
この虎哉宗乙は、快川紹喜の弟子であり、信玄と確かに所縁のある人物である。
しかし、信玄は快川に所領を寄進したとはいえ、積極的に仏門で修業をしたわけではないので、
兄弟弟子扱いは微妙である。

--最後に、読者へのメッセージを。
山本:『BASARA』では武将たちをいろんなアプローチで描いていますが、信玄は一般的なイメージに近いものになっていると思います。
『3』からゲームに触れた方には、『HDコレクション』でこれまでの信玄のエピソードを楽しんでいただけるとうれしいですね。

本稿の纏めであり、一種の広告欄。
一般的なイメージとは言っても表層的・記号的なものに過ぎず、史的業績とは無縁であることに他言は要すまい。
その意味では、一般的なイメージを採用したが故に、却って矛盾が拡大したという、Bによくある話ではある。

『戦国BASARA』の武田信玄はこんな武将!
  • 真田幸村と熱い師弟関係を結ぶ
  • 巌のごとき漢!
  • 一度病に倒れたけれど復活した

巌の如き豪傑が、突如として病に倒れたり簡単に復活したりするのが、Bの低能脚本だということの好例である。
なお、今回の連載分はモバゲーの『Bカードヒーローズ』と、『ブラウザB』の広告記事のため分量が少なかった。
全体的に、作品内外におけるB関係の迷走と手抜きの進行を象徴するような内容であったと言える。
最終更新:2013年01月29日 21:17

*1 余談ではあるが、この師弟宣言=絆の横取りのため、B3家康はB幸村ファンの憎悪を招いているらしい。だが、史実を考えればこの信玄&家康の方がまだ師弟関係としては理解できるものである。パクリ以外の何物でもない、B幸村&信玄のファンは、ファンであり続けること自体に本質的に問題があることに気付くべきであろう。