--ではキャラクター誕生の経緯から。天海=光秀でいいんですよね?(笑)
山本:はい(笑)。
やっぱり一番大きかったのは史実の「明智光秀=天海説」で、これをなんとかものにしたいという気持ちがありました。
『3』では信長時代が終わっているので、これを機に光秀を天海にしようということになりました。
始めに。
用語集にもあるとおり、『B3』で登場した天海は、教科書たる『戦国無双3』の明智光秀シナリオで採用された「光秀=天海説」の丸パクリというのがアンチ層における一般的な見解であり、引用者も当然同意である。
付言すると、この内容は追加版の『うつけ』で更に悪化しており、公式の病理の程が明らかになっている。
なお、ここでは史実における「光秀=天海説」が堂々と語られているが、勿論この説は史実ではなく、俗説・トンデモ論の類である。
また、信長時代が終わったと言っているにもかかわらず、本編では信長が出てきているという作中内容の出鱈目ぶりもまた確認しておく必要があるだろう。
--では光秀を出した経緯は? 織田軍は光秀以外にも、人数が多いですが……。
山本:初代『戦国BASARA』のときは、織田軍の大きさを出したかったんです。
濃姫は女性で、蘭丸は子どもにしたということもあって、もう少し魔王の軍団にふさわしい人物を出そうと。
決して高名とは言えない人物である、濃姫・蘭丸という織田家の両武将という偏った人選は、初代におけるBの無双の後追いを象徴するものと言える。
また、魔王と言う信長の扱い、そしてこの「ふさわしい人物」と言う光秀の扱いも、同様のものと言える。
これは、以前の信長・光秀編の内容とも重複する話である。
--史実の天海は家康に仕えた側近のイメージが大きいですが、『戦国BASARA』では徳川軍ではないですね。
山本:それを繋ぐのが、小早川なんです。
関ヶ原のあとに天海が徳川軍につくとしたら、史実で西軍を裏切る小早川軍にいたらそうなるんじゃないかなと。
そうなる可能性もあるという話ですけどね。
あとは、天海が鎌を後ろに持ってきて輪を作るポーズをするのですが、これは史実の天海の鎧をイメージしています。
ここで天海の所属について言及されているため、少し基本的事実を確認しておきたい。
前半生の謎が多い天海であるが、一般に、彼は奥州の蘆名氏を出自とすると言われている。
修行をしつつ東国各所の寺社を転々とした末、豊臣秀吉の小田原討伐の際に関東に着陣した徳川家康の元に赴き、
そこから天海と家康との関係が始まったとされるのが通説である。
要は、家康の側近としての天海の半生は関ヶ原以前から既に始まっており、そもそも関ヶ原の後に徳川軍につくという筋書き自体が明らかにおかしいのである。
なお、天海が直接関ヶ原に参陣したとの史料もあるが、信憑性に欠くとの評価がある。
ここでは、「そうなる可能性もある」と留保はしているが、明らかに筋が悪いと言えよう。
最後の、鎌による輪のポーズと天海の具足の件は、単なる偶然の一致と考えてよい。
旧作では光秀と天海とを関連付ける要素がなかった以上はこう考えざるを得ないだろう。
--光秀や天海が信長に抱いていた感情は、最終的には何になるのでしょうか?
山本:いたずらっ子が好きな人にいたずらしたいのと似たようなものだと思うんですよ(笑)。
それの最上級というか。
信長の存在が大きいので、討ったは討ったでいいけど、消化しきれなかったから甦らせてでも討ちたいという感じです。
小人には周囲の人間が小人にしか見えず、餓鬼には周囲の人間が餓鬼にしか見えないという話であろうか。
何というか、引用しているこちらが居たたまれなくなってくる内容である。
--小早川軍では小早川をいじって楽しんでいるように見えますけど……(笑)。
山本:小早川に救われている部分はあると思います。
「人になりたい」と言いながらもどうしても欠落している部分があるけど、小早川といるときは和んでいるんじゃないでしょうか。
居心地がいいから小早川軍にいるんだと思いますね。
最近は、イジリ芸が苛めを誘発するのではないか、あるいは苛めそのものではないかと言う観点が広がりつつあるため、このような笑いや救いの内容は低級なものと引用者には見える。
これもひどい話ではあるが、およそ作中で碌な扱いをされていない小早川と一緒にいることが居心地がいいのであれば、それこそ公式自体が天海を冷遇している=公式が最大の天海アンチであると見做されても反論出来なかろう。
--最後に読者へのメッセージを。
山本:『3』や『宴』では天海として描いていますが、そこまでの光秀の物語は『HD』に収録した3タイトルで語られています。
彼の過去を紐解くうえでも、ぜひ遊んでほしいです。
本稿の纏めであり、一種の広告欄。
過去作未プレイの人の中で、こんな碌でもない人物の過去を紐解きたいと思う人が一体どれだけいるだろうか。
『戦国BASARA』の天海はこんな武将!
- 小早川秀秋を影で操る謎の高僧
- 正体は死んだはずの明智光秀
- 信長公をもう一度殺したい!
従来通りの編集部による三行紹介の欄であるが、ここではB天海を「高僧」と述べている。
確かに史実の天海は高僧と呼ぶべき人物であったが、Bのそれは果たして適切な評価であろうか。
B光秀=天海は共通して、信長を殺すことを至上の愉悦・行動目的としている。
しかしである。
高僧と言うからには当然ながら仏門の徒ということになるのだろうが、その仏教では人を殺すことをどう考えているか。
仏教の教えの中に「五戒」があり、その中に「不殺生戒」がある。
これは、「濫りに生命あるものを殺してはならない」という、ある意味では至極当然の教えである。
他の宗教にも類似の発想は勿論見られるため、仏教の枠内に留まらない普遍的な価値観と考えていいであろう。
では、この戒を公然と蹂躙するB光秀=天海はどうだろうか。
少なくとも、破戒僧とは呼び得ても高僧として評価することはおよそ不可能な筈である。
この程度の矛盾にすら気づかないのであれば、公式も編集部も、
相当の鈍感かあるいは無法な提灯持ち・自画自賛主義者の類でしかなかろう。
最後に。
本稿を締めるにあたり、ある件に言及しておかねばならない。
それは、今更と言われるかもしれないが、「光秀=天海説」自体の問題である。
本稿や用語集では一貫して、「光秀=天海説」は俗説、つまりは根拠不明瞭な話としている。
何故ならば、両者に関する地名や人名の僅かな重複程度しかこの説の根拠は存在しないためである。
だが、それ以外にも(そしてそれ以上に)重要な問題点がある。
それは、「(光秀=)天海が家康に仕えた」という事実それ自体が孕む矛盾である。
本能寺の変において、光秀は自らの主君である信長を弑逆した。
そして、本能寺の変の後に天海は家康に仕えている。
ここまでは誰も疑う余地はないであろうが、ここで問うてみたいのは、当の信長と家康との関係である。
家康にとって、信長はどういう人間であっただろうか。
大名=公人としては、清洲同盟と言う重要な同盟の締結先で、多くの苦楽を共にした貴重な相手である。
個人としては、人質時代に舎弟分として遇してくれた、思い出深い兄貴分である。
では、このような人物を殺害した相手に対して、殺害された側の縁者・遺族はどのような感情を抱くであろうか。
ましてや、自分自身がこの殺害に関する余波で死にかけているという側面すらあるのに。
引用者が見る限り、「光秀=天海説」の持つ致命的な問題点は以下のように纏められる。
「真に光秀が天海であったとしたら、何故自身が弑逆した大名の同盟相手に自ら赴いて仕官したのか」
「自身の盟友・恩人の仇である人物を、何故家康は自身の側近として採用したのか」
さらに加えるならば、
「徳川の家臣団は、何故大多数が恐らく知っているであろう天海の正体に気付けなかったのか」
ということも挙げられよう。
長きに亘る同盟の中で、徳川家臣団の中にも同盟先の重鎮である光秀の容姿や為人を知る者は多かった筈である。
そして、徳川家臣団は単なる武辺者の集団ではない。
史実においても天海の政敵として名高い高僧・金地院崇伝や若き大儒・林羅山に加え、
戦国有数の謀臣である本多正信・正純親子らも家康の側近として存在していた。
当代有数の知識人集団である彼らの目を掻い潜ることは果たして可能であったろうか。
もし、それだけの知性や世渡りの技量が光秀にあったとしたら、そもそも本能寺の変を起こすような窮地に陥ること自体が無かったろう。
或いは、こんな話も出てくるかもしれない。
「実は本能寺の変の黒幕が家康であったので、光秀を助けるという密約があった…」と。
このような反論は、俗説を通り越して最早陰謀論の域であると言わざるを得まい。
歴史にロマンを求める場合にも、この説を採る場合もあり得るのかもしれない。
しかし、その場合でも下されるのは以下のような評価でしかない筈である。
「姓名を偽ってまで自身が弑逆した主君の盟友を再仕官先に選ぶ光秀は天下一の恥知らず」
「そのような凶状持ちを採用した家康は寛容と言うより規律心が弛緩しきった昏君」
「自身を窮地に陥れた仇敵の正体に気付かず遇した徳川家臣団は救いようのない愚物共」
このような内容の一体何処にロマンや美学があるのか。
ロマン派の歴史ファンには悪いが、この説の結論は逆効果にしかなっていないと引用者には思えるのである。
目先の新規さや奇抜さに心奪われた挙句、定説や通説よりも碌でもない結論に至るというのが、
俗説の俗説たる所以ではある。
それでもなお、この説を「ものにしたい」のであれば、最低でも上記の問題を解決する必要が、
つまりは光秀と家康との関係に何らかの説明か修正を施す必要が出てくるであろう。
そして、実際にそのことを行った物語は実在するのである。
それは一体何か。
それこそが先述した、『戦国無双3』の明智光秀シナリオに他ならない。
『戦国無双3』の明智光秀シナリオの第一話は、「長篠の戦い」である。
これ自体は特に問題ない合戦場選出ではあるが、その内容に「ある興味深い仕掛け」が施されていることにプレイして気付いた方も少なくないと思われる。
それは、PCである明智光秀と自軍NPCである徳川家康の初期配置が極めて近い位置にあるということである。
無双シリーズではほぼ全作品を通じて、PCと敵味方NPCが接触する際に会話イベントが生じる場合がある。
逆に言うと、上記の場合は戦闘開始後ほぼ確実に両者の会話が発生する形になっているのである。
その中で、両者は一種の相互理解的な会話を行うのであるが、これが伏線になっているのと同時に、
先に述べた両者の関係に関する説明になっているという形になっているわけである。
この戦いののち、畏友・長宗我部元親に煽られる(内心を見透かされる)形で本能寺の変が起こり、
山崎の戦いで敗れ、畏友も配下も、そして自分自身すらも喪った彼は世を儚み世捨て人になる。
時代は流れ、その彼の元に「ある人物」が訪れ、光秀の「再起のための戦い」が始まる…というのが、
『3』光秀シナリオの概略である。
本稿は当該シナリオの是非を問う目的で記されているのではないため、これ以上の内容への言及は差し控えたい。
ただ、上記の通り、KT公式の側は「光秀=天海説」を採用するにあたって、
その矛盾や限界を明確に理解し対応したという事実は動かないと考えてよいであろう。
翻ってB3天海である。
多くの史家や市井の歴史愛好家に数多く語られてきた色々と有名な説を採用して「あれ」である。
B3が少なくとも後発である以上、先行作を上回る完成度を持っていないと更に評価は低くなるというのに、
およそ公式による思慮の痕跡が見られない内容になっているのは一体どういうことであろうか。
ファンへの訴求力の高い人気声優の速水奨氏を続投すべく、無理矢理に光秀を作中にねじ込む為の格好の口実を得ただけの様にしか引用者には思えないのである。
「あーはいはい。名前だけは合ってるのは分かったから、さっさとあっち行け。しっしっ」
引用者の偽らざる本音である。
最終更新:2013年05月22日 02:32