※ 表題では第十回と誤記。
--第1回BSR48人気投票では第6位という高い順位でした。
山本:初代『戦国BASARA』では敵武将だったんですよね。
それがライバルの長曾我部元親と一緒にこんなに大人気になるとは本当にビックリでした。
元就は元親とセットで考えていたキャラクターで、元親が「野郎ども」と部下たちをかわいがっているので、
その真逆の存在として部下たちを「捨て駒」として扱う冷酷な人物に設定しました。
基本的には事実確認の箇所。
ここで山本氏は驚きを表明しているが、この様な形でファンが付くことは初めてだったと推察されるので、
これは素直にそう解釈して構わないだろう。
何故なら、ここでついたファンは相当数が腐女子層だったと思われるからであり、
彼女らに対するノウハウはカプコンには薄いと思われるからである。
その意味では、この人気に素直に対応してしまったことは今後の動きを左右する重要なものだったと言えるし、
運の尽きであったともいえる。
ところで、所謂「瀬戸内」というこの両者をセットで考える際、両者を対にして考えること自体は定石と言ってよい考えであろう。
だが、その人物設定にとてつもない安易さを指摘できる点は言うまでもないだろう。
--元就と元親はライバル関係ですが、元就側はずいぶん冷淡に見てますよね。
山本:元就は元親のことを、すぐ目の前にいる一番うるさい奴……と常に思っています。
ほかのライバル関係のように、慣れ合ったりは絶対しないですね。
誰だって親分(笑)とやらを五月蝿く感じるのは当然ではあるが。
なお、「慣れ合ったり」は原文ママ。
--『3』でも同じ西軍でしたが、決して慣れ合いませんでした。
山本:そこはすごく悩んだところでした。
史実上、毛利も長曾我部も西軍ですし。
そこで元就に策を巡らせてもらったわけです(笑)。
元就は『3』ではかなり暗躍していますが、“悪いことができる”人物って、ストーリーを引っ張る貴重な存在なんですよね。
そもそも、最初から史実無視で人物造形をしておきながら、中途半端に史実の要素を求めるために無理が生じる訳である。
ところで、“悪いことができる”ことはそんなに特筆すべき点であろうか。
史実における毛利元就の業績には、現代的には悪であっても当時としては特段酷い話は少ない。
作品論としても、無駄に悪人を作ることは愚策の域であろう。
公式の側の浅慮と創作技術の無さを露呈した場面と言える。
--配下を捨て駒扱いですしね。
山本:元就の場合、我が身かわいさの卑怯さではなく、自分も含めた自軍全体を駒として見てるんです。
戦いでは自分が死なないように動いていますが、それも自分の代わりになる駒がいないからという計算あってのことですね。
定番の「捨て駒」であるが、その内容はいつもながら疑問が多い。
この「捨て駒」という表現自体、将棋由来の言であろう(囲碁なら捨て石になる筈)が、そこには智将としての叡智は到底見られない。
引用者自身は将棋に関して造詣が深い訳ではないが、それでも「歩の無い将棋は負け将棋」
などという格言くらいは当然ながら容易に理解できる。
そもそも、
用語集にも述べられている通り、名将・智将にそんな浅知恵を見出す余地はない。
それどころか、追い詰められて狼狽する場面すらあるというのに。
--そんな黒い元就ですが、元ザビー教信者というネタがお約束です。
山本:もともと日輪信仰がすごく強い人物なので、コロッと引っかかってしまいました(笑)。
インテリ的な人ほど、案外そういうのに騙されやすいという。
本当に日輪信仰が強いのであれば、異教徒からの布教を撥ね退ける筈なのだが。
「インテリ的な人ほど、案外そういうのに騙されやすい」というが、これはオウム事件の事を指しているのだろうか。
同事件では、確かに教団幹部には高学歴者が居たことが注目されたのであるが、
一般信徒はやはり一般人であったのであり、カルトからの棄教者がまた再入信するといった事態も珍しくないという。
ザビー教の扱いを見ても分かるとおり、公式の宗教意識は壊滅的である。
寧ろ、このような連中こそがカルトの被害者になるのではなかろうか。
--史実の元就と言えば三本の矢のエピソードが知られていますよね。
山本:『戦国BASARA』では捨て駒を束ねて使うくらいの意味ですね(笑)。
史実ネタでは、元就が鶴姫を利用するのは、毛利氏が河野氏を援助して長曾我部氏の四国統一を妨害したことからきています。
また、小早川隆景が黒田官兵衛を「決断が早すぎる」と評したことを、元就に言わせたりしていますね。
元就は史実エピソードをたくさん入れられた武将なので、ぜひ見つけてみてください。
「三本の矢」のエピソードは、元就に関する逸話としては最も知名度が高い物の一つであろうし、
その内容は皆様の方が良くご存知の筈であるため省略したい。
だが、あの高名な話もこうも低劣な内容になってしまうことに、元就公も三子も草葉の陰で哭いているだろう。
最後に。
ここで挙げられた史実の内容であるが、それ自体は特に不適切ではない。
むしろここで注目すべきは、「(既存キャラに)史実エピソードをたくさん入れられた」という箇所であろう。
歴史上の人物をジャンル問わず登場させる際には、当然ながら根拠となる史料を当たり、
それを典拠として人物造形をする筈であり、およそ無根拠な妄想などを使うべきではなかろう。
だが、B公式はそれをやっている。
つまり、本来の定石と言うべき人物造形の在り方とは逆の形になっているわけであり、
本来は、「史実エピソードをたくさん纏めて公式流の元就公を描いた」でなければおかしいのである。
その結果、Bの登場人物は最早原形を留めておらず、歴史上の人物とは名前しか合致しない事例が頻出する結果となる。
それは何を意味するのか。
そのような史上の人物(の名を冠するキャラ)は、それをよく知る歴史ファンからは快く思われることは無いということである。
勿論、既存の人物像に修正を加えるような新発見などはあっても不自然ではないが、一からやり直すほどの事例は限られている。
ましてや、創作とは名ばかりであてずっぽうに近い内容では、失笑されるのが落ちである。
一方、初心者には悪質な先入観を与えかねず、それに根差した低劣な言動が周囲に悪影響を与えるのは必至である。
少なくとも、初心者は無用な恥をかくか、頑なになってそのキャラの評価を改めなくなるのではないか。
引用者の見る限り、この「瀬戸内」の両名は、B公式のセンスの悪さを最初期で象徴したキャラである。
と同時に、教科書たる『戦国無双』シリーズの存在なくしては、作中にまともな史的要素を獲得できないという、
B公式の知的怠惰を象徴するキャラであるとも評せよう。
その悪趣味さが公式骨絡みの物であり、B元就のみならず作中全体に亘っていることは最早他言を要すまい。
『戦国BASARA』の毛利元就はこんな武将!
- 冷酷非情なる策士
- 日輪を信仰し、安芸の安寧を望む
- 元ザビー教信者“サンデー毛利”だったのは、封印した黒歴史
ここで出てくる洗礼名(?)の“サンデー毛利”は、最初見たとき笑い所が本気で分からなかった。
本気でこれをやったのだとしたら、公式の笑いのセンスはその手の大会でも予選落ち確実であろう。
最終更新:2013年07月06日 19:22