--まずは宗麟が登場した経緯を教えてください。
山本:『戦国BASARA』は過去のキャラクターも大事にしたいと思っていまして、『3』でザビー教を復活させたかったのです。
そこで、史実ではキリスト教に傾倒した大友宗麟を登場させようと。
九州勢は人が多くてこれ以上増やすことも悩んだのですが……(笑)。

今回の導入部。
過去のキャラクターも大事にしたいのであれば、素直にザビーを続投すべきであろう。
また、ザビー教と大友宗麟の関連性に言及している点も重要である。
これは、公式によるザビー教=キリスト教のパロディという事実に関する明確な証言に他ならないであろう。
ところで、九州勢は本当に多いだろうか?

--宗麟と言うと史実では肖像画にあるハゲのおっさんの印象が強いです。
なぜ少年に描くことにしたのですか?
山本:まず宗麟より前に、立花宗茂を出したいというのがありました。
宗茂をしっかりした武人に描きたかったので、宗麟は宗茂を振り回す役割でいこうと。
そのイメージで、最初に思い浮かんだのが“ワガママな子ども”でした。
史実では、宗麟の息子がすごいヘタレだったので、同じ大友ということでその人物像も取り入れています。

最初は、本インタビューはまともな編集者の方が担当していると思っていたが、どうもそうではないらしい。
幾ら何でも「ハゲのおっさん」はないであろう。
そもそも、本インタビュー自体が対話形式の原稿と言う可能性もあるのだけれども。

立花宗茂の件についてであるが、これまた教科書たる『戦国無双』シリーズで登場したのを後追いした可能性が極めて高い人選である。
史実において、立花宗茂は関ヶ原の合戦には確かに参戦していたが、局地戦の一つである大津城攻囲のために本戦に参加できなかったというのはよく知られている。
その意味では一応は弁護出来るのだが、やはり怪しさは否定できまい。
さて、B宗茂は「しっかりした武人」であっただろうか。
ツイッターばりに愚痴を垂れ流す人間が、どれだけしっかりした人物に見えるものだろうか。

また、最後の部分も問題であろう。
宗麟の息子の義統が凡そ有能とは言い難い人物であったのは確かだが、
ここまで馬鹿にされる謂れはない筈である。
B公式・厨共通の悪弊として、妙に他人を虚仮にする場合に活き活きするのが気になる。

--宗麟というと、『宴』でのミュージカル風の演出が面白かったです!
山本:讃美歌のイメージから、宗麟にはミュージカルをさせたいなと当初から思っていました。
カッコいいキャラの多い『戦国BASARA』のなかで、こういうコミカルな部分を担ってくれるのは、
本当にありがたい存在ですね。
僕のやりたいことをたくさん入れられたキャラクターです(笑)。

歴とした宗教音楽である讃美歌とミュージカルを一緒にするというのは、あまり褒められた話ではあるまい。
ところで、「カッコいいキャラ」と自画自賛しているが、勿論疑問符が付く内容である。
また、「やりたいこと」がこれなのであれば、ある意味では氏のセンスを証明するキャラであると、
明言したということでもある。
氏と、小林の類似性を象徴する側面をB宗麟は担っている(担わされている)と言えよう。

--同じ九州武将としては島津義弘との絡みもありますね。
山本:2人はザビー教つながりで接点が多いですね。
宗麟が弱いということもあって、義弘からは「しっかりせい」と言われるような関係ですね。

史実では特に切支丹との接点が無かった島津義弘が、B作中では似非キリスト教=ザビー教で繋がっている。
こと信心の面では、ありもしない展開があるというのがB公式の創作上の愚かしさと言える。

--史実ネタの多い本作ですが、入れたかった話は何かありますか?
山本:これは使ってないネタなんですが、史実の宗麟は大坂城で豊臣秀吉に謁見したというエピソードがあります。
これは『戦国BASARA』で入れたい話ですね。
このとき前田利家が畿内にいたというのもあって、ひょっとして前田慶次とどこかで出会ったんじゃないのかな……と思ったのが『宴』の京都でのエピソードになっています。
『宴』は全体的にハッピーなエピソードが多いのですが、宗麟や最上義光といったコミカルなキャラクターたちのおかげですね。

今まで何度繰り返してきたか分からないが、史実の内容を主体に人物を創作すべきなのであって、
創作上の人物に史実ネタを盛り込むというのは因果関係が逆転している。
自分たちの出鱈目ぶりを自慢げに話す姿勢は相変わらずであり、呆れるより他ない。

また、ここで言及される内容も疑問符が付く。
秀吉に謁見した大名は数多いため、特筆するような内容と言えるだろうか。
そして、前田慶次との邂逅の話も同様である。
慶次が前田家を出奔したのは統一後の話で、京都に逗留していた時期は確かにある。
だが、利家との関係が拗れたために出奔したというのに、利家がいるなら慶次もいるだろうというのは、
想像するには些か無神経の感が否めない。

ところで、宗麟に関する史実において最も重要な物であろう筈の、
「二階崩れの変」に関しては作中でもインタビュー中でも言及されることが無かったというのは何故だろうか。

最後のハッピー云々に関しては、自分たちのいい加減な発想で史上の人物をいい加減に扱うのは、
いい加減に大概にせよと言っておきたい。

『戦国BASARA』の大友宗麟はこんな武将!
  • ザビー様を崇拝する少年君主
  • めっちゃワガママ
  • そんな宗麟に、家臣の立花宗茂はお疲れムード

最後の三行紹介。
相変わらず人名だけは一応合っているという感がある。
最後の立花宗茂の所は、義父の道雪の方ではないのかと史書を知る人は疑問に思うのではなかろうか。
最終更新:2013年07月17日 19:30