「ぬあああああんでこんなに遠いのよぉぉぉぉー!」



かつて人間が一度も通ったことがないと思われる山道を木々を掻き分けて進む、真紅と、玉虫色のガフンダルの二人組みである。

バッファ世界の霧の渦を通り抜けた二人は、その山の中腹辺りに転がり出たのだった。

見渡す限り木々が鬱蒼と生い茂っている。足元には、川のようなものが流れているが、幅1メートルにも満たないほんのせせらぎだ。源流に近いのであろう。水が美しく澄んでいる。

真紅のいた世界では、冬真っ只中であったが、こちらは初夏を思わせる陽気だ。

普通に歩いていても汗ばむほどなので、真紅はセーラー服の上着を脱いでバッグに詰め込み、ブラウスだけのスタイルになっている。バッグの取っ手に両腕を通し、ランドセルのように背中に背負っているのである。それでも、真紅は汗だくになっていた。ガフンダルといえば、例の玉虫色のコートを纏ったままであったが、汗ひとつかいていないようだ。

真紅は、そんなガフンダルの涼しげなようすを恨めしそうに眺めながら、

― 慌てて学校を飛び出したもんだから、コートをロッカーに入れたままにしてきちゃったなー。いつ元の世界に戻れるかわからないし、あそこに入れたままにしておくと、臭くなっちゃうかもね。あーあ。 ―

などと、あまり今の状況にそぐわないことでクヨクヨしたりしている。

黙々と歩み続ける二人であったが、とうとう真紅が、ガフンダルのむなぐらをわしづかみにして怒りをぶちまけたのが、冒頭での魂の叫びというわけである。

「これこれ、嫁入り前の娘が、老人のむなぐらをつかんで恫喝してなんとするのだ。しょうがないであろうが。これはワシの散策コースでな。ここをば、いつもどおりルンルンとスキップしながら散策しているときに、電撃的にビャーネ神の啓示を受けたのじゃ。このノルゴリズムに平和と安息をもたらす勇者とお前を引き合わせるぞという啓示だ。そして、ビャーネ神のお導きにしたがって道を歩んでいたところへ、いきなりお前さんがぶつかってきたというわけじゃよ」

「ふん!アナタがボーっと歩いているからじゃない!」真紅がものすごい剣幕でそう言い放つ。

「そのようにいきり立つでないわ。べつだん、ぶつかられたからといって損害賠償を請求しようと企てているわけではない。ここは一番、責任の所在をはっきりさせねばならんという問題ではないぞ。よしんばお前が前方不注意にも突然脱兎のごとく駆け出し、ワシがぼやーっと歩いていたとしても、まず、次元を超えた二人は衝突せぬわい。なにかそこに、大いなる意思が介在せぬ限りはのう」

「それがびゃややーん神の意思だってこと?」

「びゃややーんではなくて、ビャーネ神だ。そのような不埒な呼び方をしておると、ビャーネ神の怒りに触れ、口がびゃややーんと言った形のまま元に戻らなくなってしまうぞ。このノルゴリズムの世界の神々は気性が荒く、その上カタブツであるゆえ、シャレが通用しないことで有名なのだ。とりわけビャーネ神は、荒ぶる武闘派として畏れられておるからのう」

真紅はあわてて口を押さえ、目を白黒させながら、唇をつまんであっちこっちに引っ引っ張る。

「さあ。後少しでワシの家に到着する。そこで、体を休めながら詳しい話をして進ぜるから、とにかく今は黙って歩け」

「だって、おなかすいたむぉぉぉん。それに硬い木の枝の間をムリやり通り抜けてきたから、あちこちスリキズだらけで、チョー痛いしさぁ。ああヒリヒリする。タイセツな顔にもスリキズができてるみたいよ。痕が残って、おヨメにいけなくなったらどうしてくれるのよ?アナタが世話してくれるの?ねえフンガダル?高学歴、高収入の男性?でも、IT関係はダメだからね。ホリエモンみたいなのは嫌よ」

「ヨメにいけなきゃムコに行け、ムコに。お前なら十分可能じゃ。それと、もうひとついっておくが、ワシの名前はガフンダルだ。ワシの家に着いたら、食べ物があるし、傷薬もあるからとっとと歩け。ワシの処方した傷薬はよく効くぞ。そんな擦り傷、あっという間に跡形もなく消えうせようほどに」ガフンダルは、右手の親指を立ててポーズを作りながら、得意げに言う。

「そんな便利な傷薬、なんで携帯してないのよぉ?」

「ふん。そのような傷薬、このワシには必要ないからじゃ」真紅はあらためてガフンダルの様子をしげしげと眺めたが、当人の言うとおり、あれだけ木々の間をすり抜けてきたのに、擦り傷ひとつ負っていないようだ。

「へぇー。やっぱり魔道師だけのことはあるわね。体の周りに防御バリアかなんか張りめぐらすわけ?」真紅は少し感心してつぶやく。

「ふん。そのようなことをしても、余計に草木を刺激するだけだぞ。ワシのやりかたはな。草木と心を通わせ、どうかチクチク攻撃してこぬようにと、誠心誠意お願いするまでよ」

「植物と心を通わせてお願いするぅー?????」真紅は、ガフンダルの口から出た、どう考えても顔に似合わないセリフに、心底驚愕した表情で彼をじっと見つめる。

ガフンダルは、真紅に見つめられて少々照れくさくなったのか、頬を多少あからめて、ぽりぽりと頭を掻きながらいった。

「ほらほら、ボーっと歩いておると、川にはまるぞ。川べりの石はコケで滑りやすくなっておるでな。ほれ、なんだかんだいっている間に、ぼちぼちとワシの家に近づいてきおったぞ」

「え?どこどこ?」いっぺんに元気になり、突然駆け出す真紅。

ガフンダルがとっさに突き出したコウモリ傘の取っ手が、真紅のブラウスの襟首に引っかかった。真紅は強い力で後方に引っ張られ、たまらず後ろ向きに倒れて、シリモチをつく。

「痛ったぁ。なにすんのよなにすんのよなにすんのよぉー!」起き上がりざま、真紅はミサイルのようにガフンダルに飛びかかるが、ガフンダルは慌てず騒がず、ヒョイと体をかわす。たまらず真紅が前につんのめると、ガフンダルは、また、コウモリ傘の取っ手で真紅のブラウスの襟をひっかけた。真紅は、地面から斜めに生えた棒のようにピタッと静止する。

「あら。ありがと」

「あら。ありがと。じゃないというに。こんな山道で不用意に駆け出すでないわ。お前は何か変わったことがあれば、状況も何もおかまいなく、駆け出さずにはおられん性格なのか?早めに治したほうがよいぞ、その性格は。ちょっとこっちへ来てみよ」ガフンダルが、そのままの状態で、10メートルほど先まで、真紅をズルズルと引きずっていく。

「ちょ。ちょっと待ってよ。じいさんのくせに、ホントに力強いんだから」

「小娘、これを見よ。お前、もう少しでここから決死のダイブをすることになったのだぞ!」ガフンダルが地面を指差して叫ぶので、なにごとかと真紅が指差すほうを覗く。

「ぎゃぁー。なにこれ?だ、断崖絶壁じゃん!?」

なだらかな下りとなっていた小川の流れが、その場所で突然終わり、その先は目もくらむような断崖となっていた。川の水が垂直に落下し、遥か下方で小さな池を作り出している。そこまで優に50メートル以上もあるだろうか。

今まで鬱蒼とした森の中を歩いてきたが、一気に視界が開けて、はるか下方に町が見える。その向こうには、目の覚めるような青い海が広がっている。家々はすべて小さくかわいくて、屋根は、思い思いの色彩で彩られている。港とおぼしきところには、帆船が数隻係留されているようだ。

真紅のいる場所からは、まるで箱庭のように見える。ファンタジー物語の中に出てくる小さな田舎の港町のイメージそのままの景観である。

「港町マリーデルじゃよ」

「んきあぁー。かぁわいいー♪なんか物語のイラストみたいね。ねえガフンダル。アナタ、オシャレなところに住んでるのね。顔に似合わず。やっぱりあれ?『シーサイドロマン・港が見える丘 - 庭付き一戸建て好評第二期分譲』かなんか購入したわけ?いくらしたの?3000万円?100年ローン?2世代住宅?」真紅は若干興奮気味に、ガフンダルにたずねる。

「はて?なにをいっておるのだ?」ガフンダルは、まったく意味がわからぬといったそぶりで、そううそぶく。

「だってガフンダル。アナタ、あの町に住んでいるんでしょ?」

「やはりお前はうつけものだな。ただ、ようようワシの名前だけは記憶したとみゆるが。そもそも何が悲しくて、孤高の大魔道師が『シーサイドロマン・港の見える丘』の分譲住宅に住まねばならぬのだ?なにゆえ住民集会に出席して『最近、ゴミの分別をせず捨てる人がいて困る。社会道徳をなんと心得おるか!』などと、うるさがたのご隠居を演じねばならぬのか?ワシは当然、人里はなれたところに隠れ住んでおるわけよ」

「じゃガフンダルはどこに住んでるの?」

「この崖の真下じゃな」

「なあんだ。わかったわよ。崖の下に森があるわ。その中に、おしゃれなログハウスかなんか建てて住んでるのね。いくらしたの?2000万円?50年ローン?」

「お前は住宅ローンが好きじゃの。とにかくこんなところで話をしていても始まらん。見よ、あちら側の空を。真っ黒な雲がこちらのほうへ向かってものすごい速度で近づいてくるぞ。こうしてはおられん。一雨くるぞ。さあ。早くこの崖の下へ降りるのだ」

「ちょっと。崖の下へ降りるって。こんな断崖絶壁。どうやって降りるのよぉ?」

「もちろん飛び降りるのさ。あ、さあさあ」といいながら、ガフンダルがコウモリ傘をバッとばかりに開いて、歌舞伎役者のように見栄を切った。

「えーと。まだ雨は降っていないけど。も、もしかして?」

「さよう。この傘をば落下傘にして飛び降りるのだ。小娘よ、さっさとワシにおぶさって、しっかりとしがみつくのだぞ」ガフンダルが、相好を崩して、こいこいとばかりに手招きする。

「イヤだ!そんな小さな傘、物理的に考えて、パラシュートの役目を果たせるわけないじゃん!だいいち、その目つきと手つきがいやらしいから、絶対しがみつかない!」

「えーい。面倒くさい奴じゃ。こい!」

ガフンダルが、真紅の手首をぎゅっとつかんで、支える大地の消失した崖の先に向かって身を躍らせる。真紅も引きずられて、空中へ投げ出された。

「んぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁー!」

真紅の叫びがこだまする。

こうして二人は、崖の下へまっさかさまに落ちていったのである。

独白(2)に続く
最終更新:2008年12月12日 12:41