「じゃあそろそろ、ワタシをこの世界にラチした理由を教えてよ。ガフンダルゥ。るぅるぅ」

真紅は、ひとまずは満たされたお腹をポンポンっと叩きながらいった。

ガフンダルの『住まい』は、真紅の予想を大きく裏切って、非常に快適な空間であった。滝の裏側にある岩から続く、少し昇りぎみになっている洞窟を20メートルほど進むと、突然空間が開け、40畳ほどのリビングルームが出現したのである。

天井も床も水平、周囲の壁はその床から垂直に切り立っている。とうてい自然にできたものとは思われず、人間の手で、岩が直方体にくりぬかれていると考えた方がよさそうだ。調度品もしっかりそろっている。ご丁寧なことに、天井からは、趣味が悪いけれど、豪華なシャンデリアまでぶら下がっている。

だが、ガフンダルの趣味なのか、それともまともな絨毯の調達が間に合わなかったのか、足元には、デッサンの狂った動物の絵が描かれたレジャーシートが敷いてあるのがちょっといただけない。

三方向にはドアがあり、奥にもいくつか部屋がありそうだ。

真紅とガフンダルが着席しているテーブルの周りには、忙しく給仕係が数名いったりきたりしているし、4人構成の楽隊が、癒し系の音楽を奏でたりしているが、あんなものはどうせ人間ではなく、道具や動物が化けたやつか、精霊、妖怪のたぐいだろうと真紅は考えている。

食べ物は美味しかった。見たことのない料理ばかりであったが、肉類は真紅の世界の牛や豚や鶏に近い味がしたし、野菜類もどこかで食べた記憶があるものばかりだ。もちろん、空腹であったので、味などほとんど気にしなかったのであるが。

「ルビイよ。みっちり話をする前に、食後のティータイムと洒落こまんか?この世界にも、お前の世界にある珈琲に似た、ヒィコーなる飲み物があって、ワシの大好物なのだが。相伴せぬか?ヒィコー」

「珈琲なんて、若いころから飲んじゃいけないのよ。ワタシ他のでいい。暖かいミルクがほしいな。なんかさ、この部屋ひんやりと寒いくらいなのよ。えーっと、セーラー服の上着どこへいったんだっけ・・・」

真紅がそういうが早いか、澄まして真紅たちの後ろに直立不動で待機していた執事の一人が恭しくセーラー服の上着を押し頂いて、真紅の方まですっとんでくる。

「あ、ありがと」真紅は恐縮して上着を受け取った。受け取りざま、執事の手がいやでも目に入る。なんと、ヒヅメがあるではないか。澄ました顔に似合わず、髪の毛がくりくりカールしているので、真紅は、

― なんだァ!?この執事、正体は羊じゃないの?趣味の悪い冗談ねまったく。自分では大魔道師とかなんとかいってるけど、本当はただの変なジジイじゃないの?この人 ― 

などと考えながら、ガフンダルをまじまじと見つめていると、給仕係がホットミルクを運んできた。

ガフンダルはといえば、自分の所に運ばれてきたヒィコーをじっと見つめながら、恭しく口元に持っていき、これ以上の楽しみなどこの世にあらじとでもいいたげな表情をうかべて、ずずーっとすすった。そして、そのままブーッと吹き出す。

「あっちー!あつあつあつあつぅ!なんだこりゃ!熱すぎるではないか!何度何度、ワシは猫舌だから、ヒィコーの温度を83.5℃にしておけといったらわかるのだ!?ヒィー、ヒィー、ヒィィー」といって、給仕係をピシピシ折檻している。

― やっぱりバカよこのひと 毎日あんなこと繰り返しているんだわ。 えらいところに連れてこられちゃったわね。ワタシ ―

真紅は、己の身に突然降りかかったばかばかしい運命を呪いながら、ホットミルクを一口すすった。そして、そのままブーッと吹き出す。

「なにこれ!?? ぬるすぎるわよぉ!赤ちゃんのミルクじゃないんだからねー!大体、湯気がでてないから、おかしいと思ったのよ!おい給仕係!こっちゃこぉーい!」

「まあまあ。そういきり立つものではないぞ。初めての客人なので好みがわからぬでな。広い心で許してやってくれぬか」

「なにいってんのよ!自分だって、さっき給仕係をボコボコにしてたじゃない?」

「まあまあ、すぐ熱いものに取り替えさせるゆえ。さて、このノルゴリズムの某所に、二つのオーブ、すなわち宝玉じゃな。それがあると言い伝えられておる」

「あれ?いきなり話が始まっちゃたの・・・」

「この世界には、二つのオーブがあると伝えられておる。ひとつは『光のオーブ』、そしてもうひとつは『暗黒のオーブ』じゃ」

ガフンダルが、珍しく真顔になって話しを続ける。仕方ないので真紅もそれにつられて、真剣な顔になる。

「伝えられておる。ってことは、ガフンダルも見たことないわけ?」

「うむ。残念ながらな。深い海の底の宮殿に祀られているとか、ノルゴリズム一の霊峰、デラスカパリスカ山脈の頂に、無造作に転がっているとか、いやさ、遥か北の永久凍土の地下9,125メートル48センチに埋まっているとか、諸説紛々なのじゃ。また、二つのオーブが別々の場所にあるという説と、同じ場所にあるという説が、言い伝えにより真二つに分かれておって、まあ要するに、どこにあるのかさっぱりわからんということだけが、よぉくわかっておるわけじゃな。勿論、歴史上の勇者、冒険者、はたまたお調子者達がオーブを捜し求めたわけじゃが、ついには発見されることが叶わなかった。当然探索の行程で命を落とした者もおる。それで・・・」

「ちょっと待ってよ」真紅は、そうとう不機嫌な顔つきになりながら、調子よく話すガフンダルをさえぎった。

「機嫌よくお話のところ申し訳ないんですけどね。ねえガフンダル。まさか『ルビイよ、おぬしがそのオーブを捜し出すのじゃ。それがおぬしに課せられた使命なのじゃ』なんて言い出さないわよね。ね?」

「ふむ。一言一句その通りじゃ」

「ぶ、ぶわっかじゃないのぉ!?歴史上の勇者達が命の危険を冒してまで捜し求めてみつからないものが、なんでワタシに捜し出せるっていうのよ!?やっぱりガフンダル、アンタバカだわ!」

「しかしな、オーブを捜し出すことができなければ、お前は元の世界には戻れんぞ。そしてお前の義母は、一生意識が戻らんままだ。それでもよいのか?ん?」

「ぐ。それは・・・」

「ルビイよ。お前の性格から考えて、そのようなこと許されるはずはあるまい!己の怠惰のせいで、誰かが不幸になるというよいうなことは、絶対に耐えられない、最低のことであろう!?」ガフンダルは、なんともいえない優しい目で真紅を見つめながらそう言い放った。「きっとお前は、オーブ探索に乗り出すのさ」

真紅は、大いに不服な様子で、最後の抵抗を試みるかのように続けた。「じゃあさ。そのオーブと、うちの義母さんの病気と何の関係があるっているのよ?そのへんがはっきりしなきゃあ、『はーい。じゃあオーブを捜しに行ってきまーす』なんていえないわ」

「二つのオーブには、非常に重要な役割があっての。要するにこのノルゴリズムが、愛と慈しみに満ちた世界へと発展していくのか、それとも、嫉みや憎悪、苦しみや悲しみに捉えられた世界へと堕ちていくのか。それを決めるのが二つのオーブなのじゃ。光のオーブは、人びとの愛や喜びの波動を吸収してパワーを蓄積する。逆に暗黒のオーブは、悲しみや憎悪、嫉みの波動を吸収してパワーを蓄積するのじゃ。この両者のパワーバランスにより、これまでのノルゴリズムの歴史はよりどちらかの傾向に振れてきたわけじゃ。愛と慈しみ、はたまた苦しみや悲しみのどちらかにな」

「ワタシの住んでる世界にもあるのかな?そんなオーブ。もしあるとすれば、どんどん暗黒のオーブが大きくなってんでしょうね」

「さて、それはどうかのう。ワシは何度かルビイが住んでいる世界に足を運び、状況をウォッチしているが、科学技術文化も進歩し、人びとの精神も複雑に成長しておるから、おそらくオーブは存在せぬじゃろう。太古の昔にはあったかもしれんが、誰かが知らずに割ってしまった可能性があるな。考えても見よ。そのような完全な二元論で世界のあり様を決められてはかなわんぞ。光の時代にも、必ず闇で蠢く悪があり、暗闇の時代でも、愛の力を原動力に立ち上がる者達がいる。人びとが精神的に未成熟な頃ならまだしもなのだが」

真紅は珍しく神妙な顔つきで、ガフンダルの話を聞いている。

「さて、二つのオーブにまつわるこの世界の背景を頭に入れてもらったところで、お決まりのパターンであるところのあヤツに登場してもらわねばならない。要するに、暗黒の世が好きで好きでたまらない、暗黒のオーブの法定代理人みたいなヤツがおるのじゃ。その名前を『ゴメラドワル』という」

「まあゴメラドワル!どう考えても悪そな名前ね」真紅は、オバサンのように、バチンと手を打って叫んだ。

「まあ、その正体は姿も形も名前もない意識の集合体なのだが、『ほら、あの姿も形もない意識の集合体であるところの悪いやつがさ』などというと話が長くなるので、便宜上、ゴメラドワルと名付けておるわけだ」

「誰が名づけたの?」

「知らぬわ。そのようなこと。昔からそう呼ばれておる」

「ふーん。で、その『姿も形も名前もない意識の集合体であるところの悪いやつ』がどうしたの?もしかして、光のオーブを破壊して、一気にこの世界を暗黒の時代に陥れようとでもしているわけ?」

「すまんが、ゴメラドワルと呼んでくれんか。話が長くなるでの。ゴメラドワルには、光のオーブを破壊するまでの力はないよ。ヤツは、この世界が誕生した頃には既に存在していたという噂だから、光のオーブを破壊できるならば、とっくの昔にそうしていたであろうさ」

ガフンダルは、そこでいったん話を中断し、少し冷めて飲み頃になったヒィコーをずずずと一口啜った。

「この星には、二つの衛星、即ち月が回っていて、215年に一度、軌道がぴったりと重なる時期がある。その時期を『月重紀』と呼ぶわけだが、それが3週間後に迫っておるのだ。『月重紀』には、二つのオーブに蓄えられたパワーのバランスにより、大きく世界が動くのだ。二つのオーブに蓄えられたパワーが、その時期にジャッジされるというわけじゃな。お前の世界に『紅白歌合戦』というテレビ番組があろう。かの番組の最後で、籠に入った玉をひとつずつ数えて雌雄を決するであろうが。雌雄を決するというのはおかしな表現じゃな。紅組は女性で、白組は男性だから、既に雌雄は決しているわけじゃからのう」

「じゃ、『白黒つける』!」

「だから、『紅白』歌合戦じゃというに。ま、勝敗を決するわけだ」

「月重紀のそのイベントにも『野鳥の会』の皆さんは参加するの?」

「しない。3週間後に迫った月重紀に向けて、暗黒パワーをあらゆる場所からかき集め、どんどん暗黒のオーブに注入しておるのがゴメラドワルのヤツばらというわけじゃ。このノルゴリズムの世界を己の欲する暗黒の世に変えようというハラじゃな。おそらく現状では、ノルゴリズム史上かつてないほど暗黒のオーブにバランスがかたよっておるじゃろうな。何せゴメラドワルがいんちきしておるのじゃから」

「じゃあなに?ガフンダルは、ワタシに、そのゴメラドワルをちょっと退治してくればぁ。なんていいたいワケ。無理だからねそんなこと。暗黒のオーブをゲーンと蹴っ飛ばして割っちゃうくらいならできるかもしれないけどサ」

「割ってくれ」

「は?」

「ルビイよ、ワシがお前に託したいのはまさにそれ、暗黒のオーブを破壊することなのだよ。もう景気よく、パリーンといっちゃってくれ。もし、今のパワーバランスのまま『月重紀』を迎えると、世界がしっちゃかめっちゃかになってしまう。夢も希望もない暗黒の世が、215年間続くのだから」

「ちょっと待ってよ。暗黒のオーブを割ってしまったら、残るは光のオーブだけになるわけでしょ。ということは、愛と慈愛に満ち溢れまくった世界が出来上がっちゃうってことよ。そんなの全然人間味がないと思うわ」

「お前の言う通りじゃな、であるからルビイよ。光のオーブも、ついでにカチ割ってくれたまえ」

「はいぃー?」真紅は、目をパチパチさせて叫んだ。

「先ほども申したであろうが、人間の世界の運命をそのようなオーブに委ねてよいのかと。人間の世をどうするかは、当の人間に委ねられるべきじゃ。神々の中にも、そういうリベラルな考えを持つ者が出てきてのう。ビャーネ神はその急先鋒といわけじゃ」

「・・・」

「ルビイよ。お前の義母の心は、暗黒のオーブに捕らえられておる。義母を救いたければ、景気よく、パリーンと暗黒のオーブを叩き割るしかないのさ」

「なんで?なんでお義母さんの心が、暗黒のオーブに捕まっちゃうわけ?」

「ゴメラドワルが、見境なく憎しみや悲しみの心を蒐集したからじゃ。その範囲はノルゴリズムを超えて周辺の世界に及んでいる。感受性が強く、深い悲しみの淵にいるお前の義母の心は、一発で暗黒のオーブに取り込まれてしまったのだわい」

「なんで?パパがアメリカへ単身赴任しちゃったから?」

「バカかお前は?お前の本当の母親になりたいけれどもなれない自分を情けなくも悲しく思っておったに決まっておるだろうが」ガフンダルが、怒りを抑えきれない様子でそういい捨てた。

「だ、だって。別にワタシの母親になってくれなんて思ってないわ。誰かがワタシの犠牲になるなんて耐えられないもん。お義母さんには、まず女性として幸せになってもらいたいのよ。だっていきなりこんなおっきな娘ができてごらんなさいよ。可哀想じゃん」

「お前さんがそう考えていることを、義母さんにはっきりと伝えたのかね?そういう会話すら、拒否する姿勢を見せいていたのではないのか?そもそも、それはお前さん一人の考えであろうが?お前の義母さんが、心からお前を本当の娘にしたい、お前に『お母さん』と呼んでもらうことをこれからの生きる目的にしようと考えていたらどうするのだ?よいか?これはノルゴリズムでの考え方だが、血を別けていない赤の他人が、縁あって親子の関係になるということは、とてつもない運命の導きがなければ起こらない、稀有の出会いぞ。本当の親子以上の、魂の約束がなければ起こらないことじゃ。それをお前はどう考えておるのか!?」

真紅は、義母の話になってから、ずっと泣きそうな顔をしていたが、ついに感極まったのか、大粒の涙をポロポロとこぼし始めた。真紅は気性の激しい性格だから、感情のゆれが激しく、すぐ泣く。

「お義母さぁん。グズッ」

「行くだろうな。二つオーブを捜しに。そして景気よくカチ割りに」

真紅は、しゃくりあげながら、こくっとひとつうなずいた。

発端(6)に続く
最終更新:2008年12月12日 12:44