真紅は夢を見ていた。

ふかふかのベッドの上だ。周りを見渡してみると、どうやら自分の部屋らしい。体が今よりふたまわりほど小さくなっている。シーツから手を出して眺めてみると、小さな貝殻のようだ。幼稚園の頃だろうか。

なにやらすごく寒い。季節は冬なのだろうか。そういえば、真紅の母親は、真紅が小学校へあがった年の冬、そう、記録的大寒波が関東地方を襲った年に猛烈な胃の痛みを訴えて救急車で病院に運び込まれ、即刻入院。なぜなら、すい臓がんが発見されたのだ。既に末期の状態で、肝臓にも転移していたという。医師からは、余命3ヶ月といわれた。その後、1年余に渡る闘病生活の後、真紅が8歳のとき、とうとう天に召されたのだ。

といっても、当時そんなことを詳しく知っていたわけじゃない。大きくなってからパパから教えてもらったのだけれど。

真紅は、幼稚園にあがったころから自分の部屋を与えられていた。パパの方針だ。『幼少の頃から自立心を養う』ということらしい。でもワタシは、パパはどうでもよいとして、やさしいママと一緒に寝たかった。悪いことをしてパパに怒られ、部屋で泣いていたときなどは、パパがだらしなく寝入ってしまった後、ママがこっそり部屋に来て、一緒に寝てくれたこともあった。今もなんだが枕が濡れているので、もしかしてパパに怒られたあとなのかもしれない。

真紅がそんなことを考えていると、ドアのノブがカチッと回る音がした。ギィーとドアが開く。半分開いたドアの向こうに人の気配がする。

「ママ?ママなの?」

人影が、ドアの隙間から部屋に滑り込んできた。真紅はその姿をみて絶句する。

シルク製のネグリジェにナイトガウンをはおっているので、女性であることはわかるのだが、あろうことか、顔がないのである。

目も鼻も口もない。いや、正確にいうと目や鼻や口らしきものはあるのだが、輪郭がぼやけてはっきりとしないのだ。

「ママ?」

あまりのことに真紅は愕然し、母親、と思しき女性から目をそらし、毛布を頭からかぶった。

― ちょっと待って。もしかしてワタシ、本当のお母さんの顔、忘れかけてるの?そんなことありえない!あってはいけないことだ ―

真紅の母親は、いわゆる『美人』であった。一般的に、美女、美男子と評価される人は、面立ちが整いすぎて、これといった特徴にかけており、後日想起しにくいものなのであるが、真紅と母親は実の親子である。実の親子の間で、『母親が美人だったから、顔が思い出せなくてさあ』という話など、今まで聞いたことがない。

― もしかして、ワタシの意識の中で、ママの存在が徐々に消されていこうとしているんじゃ?そんなのヤダぁ!! ―

「真紅、起きているの真紅。もう朝よ。さあ朝ごはんの準備ができているわよ。いつまでもベッドにもぐってないで、起きてらっしゃい」

― うそだ!だってまだ朝じゃないわよ。絶対にさっき寝入ったとこだもん。掛け時計がママの死角になって見えないけど、ほら、窓の外だってまだ暗いわ。なんでもう朝だなんて嘘をつくの?やっぱりママじゃないの? この人 ―

真紅は薄目を開けて人影の方を見た。ゆっくりと真紅が寝ているベッドに近づいてくる。ゆっくりと。目を凝らして顔を凝視する。すると、まるでスロットマシーンのようにくるくると顔が変わっていくのである。

妖怪人間ベラ

ひょっとこ

アンパンマン

へのへのもへの

デビルマンに出てきた妖鳥死麗濡(シレーヌ)

アンジェリーナ・ジョリー

ピカチュウ

エドはるみがグゥしてる顔

つるさんはまるまるむし

謎の女、峰不二子

ヒョータンツギ

― やっぱりバケモノだ!なにコイツ、お母さんのふりして、いったい何者!? ―

「早く起きろってんだよぉ!何をぐずぐずしてやがるんだ!」とうとう男の声に変わった。母であって母でない者が、ものすごい勢いでこっちに近づいてくる!毛布にバケモノの手がかかった。無理矢理剥ぎ取ろうとしているのだ。

耳を劈くような悲鳴が真紅の喉から搾り出される。

「ぎゃああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁー」



真紅は目を覚ました。心臓が早鐘のようにドクドクとうっている。体中汗びっしょりだ。首をもたげてふと上を見ると、ガフンダルが心配そうに真紅の顔を覗き込んでいた。

― そうだ。ワタシ今、ガフンダルのおうちにいるんだった ―

「どうしたのじゃ。悪い夢でも見たのか?というか、寝ていて突然叫び声をあげたということは、ほぼ百パーセントの確率で、悪夢を見たのであろうと推測されるわけだが、一応こういったとき、第三者が投げかける常套的な質問をしてみたまでじゃ。うーむ。ワシもやはり人の子じゃのう」

― なにいってんだこのジジイ。しかし、まいったなあ。悪夢も悪夢、大悪夢よあれは ―

真紅は、黙ってガフンダルをねめつけながらそう考えている。

『おい!真紅。早く起きろってんだよ!この馬鹿!』

また、どこから叫び声が聞こえた。

「え?ちょっと待って。なにあの声!?嫌だ!夢で聞いた声だわ。てっことは、ワタシまだ夢の中にいるわけ?」

「痛たたたたたた!これ、何をするのじゃ。この手をはなさんか!」ガフンダルがたまらず叫び声をあげた。電撃的に、真紅がガフンダルの張りのないほっぺたをつねっていたのである。しかも両手で。

「どうやら夢じゃないみたいね」

「そのようなことは、自分のほっぺたでチェックせんか!自分のほっぺたで!ああ痛ててっ」ガフンダルは、真っ赤になった両のほっぺたをさすりさすりそういった。

『なにをノンキにコントやってんだよ二人して!早くオイラをここから出せよ!』

まただ。

「ねえガフンダル?声、聞こえる?さっきからなんか、ガラの悪い男の声がしてるんだよね。ワタシの幻聴かな?」

「確かにワシにも聞こえたじゃによって、お前の幻聴ではなさそうじゃ。ここにはワシとルビイ、ふたありしかおらんはずなのに、こりゃまた面妖なことじゃの。ゴメラドワルのところの邪鬼でも忍び込んできおったかな。結界はちゃんと張り巡らしてあるはずじゃが。」ガフンダルが周りをきょろきょろ見回しながらそう答えた。

『どこきょろきょろ見回してんだよ。ここだよここ』

「ふむ。どうやら声は・・・」ガフンダルは一度天井に向かって人差し指を立てながら手を上げ、ゆっくりおろしながら、真紅のバッグに向けてびしっと静止させた。「そこから聞こえてくるようだぞ」

「なあんでそんなにカッコつけるのよぉ?魔導師だから?」ぶつくさ文句をいいながら、真紅はバッグのところまで歩いていき、そっとあけて中身をのぞきこんでみる。

『おう、やっと気づいてくれたのかよ。オイラはここだよ。ここ』

「ねえ、ガフンダル。どうも、こいつがしゃべっているみたいなのよ。ワタシ、軽く気絶していい?」と、真紅が取り出したのは、彼女のパソコン、ソニーVAIO TYPE-T、愛称デップであった。

『そうだよ。オイラだよオイラ』

「なにパソコンがしゃべってんのよ!?気持ち悪いわね。多分、ゴメラドワルの手下の妖怪かなんかが乗り移ったのよ。えぇーい。こうしてやる!」真紅は、パソコンを持った手を大きく振りかぶって、壁に投げつけようとした。

「これこれ。早まってはならんぞ。それからは、悪の波動は出ておらんよ。それはあれだろ。お前の世界でいう、パーソナルコンピュータ、略してパコンタってやつだろうが?」

「どの部分を略してるわけ?パソコンよ、パソコン」

「なんでもよいのじゃ、そのようなことは。そのパソコンたらいうものならば、音声や画像も再生できるし、そもそも音声合成ができるから、しゃべってもおかしゅうあるまい?」

「そういう問題じゃないでしょうが。何考えてんの?!普通は使う人がしゃべらせるの。このデップみたく、勝手に自分の意思でしゃべらないのよ!」

『ちょっと待ってくんなよ真紅さんよぉ。あんた、オイラのこと”デップ”って呼んでるけど、オイラにゃ、両親からいただいた、”長七郎”っていう、ありがてえ名前があるんでぃ』

「ちょ、ちょーしちろー?ぷ。変な名前」

『あ。このやろ。頭きた!ふん。真紅、あんたの名前だって、この世界では男女の交合、ずばりエッチのことらしいじゃねえかよ。そこのジジイがいってただろ。ちゃんとネタはあがってるんだぜ』長七郎は、真紅の手の上でぴょんぴょん跳ねながらそういった。

「レディの前で、ずばりいわないでよ!このぉ!セクハラよ、セクハラ!」またしても真紅は、パソコンを持った手を大きく振りかぶって、壁に投げつけようとする。

「まあちょっと待て。このままでは収拾がつかぬわ。ちょっと物事を整理してみようではないか」

「なにを整理するのよ!」真紅はもう、ガフンダルに噛みつかんばかりの剣幕である。

「どうしてこのパソコンがいきなりしゃべりだしたのかということをじゃ。これには絶対に深い意味があるぞ。ルビイよ。もう一回確認するが、お前の世界にあっては、このパソコンなるモノは、このように、自分の意思を持ったかのごとくしゃべったりせぬのじゃな?」

「うーん。人工知能っていうのがあるのは聞いたことあるんだけど、それはあくまでソフトウェアであって、このデップみたいに、パソコン自体が話し出すことはないと思うわ。だってただの機械だもん。大体、電源がオンになってないもんね。ありえないわ」

「オイラ”デップ”じゃねえって何回いわせりゃ気が済むんだ?」

「まあまあ、”長七郎”さんとやら。このルビイはな、お前さんが突然話し出したことについて、まったく理解の範囲外であるという見解をもっておって、とにかく驚愕しておるのじゃ。お前さんもしばし黙って、ワシの話を聞いてくれぬか?それとも聞く耳持たぬか?大体あんた、耳はどこにあるのじゃ?」

『超高感度、全方向集音マイクが内蔵されてらぁナ』

「ほう。それは重畳」ガフンダルは、大きく幾度もうなずきながら話を続けた。

「よいかルビイ。お前さんの世界ではただの機械であったモノが、突然生を受けたかのごとくしゃべりだすようなことありえぬ。それがこの世界に来て突然しゃべりだしたということは、何者かの意思によるところが大きいと考えねばならない。そこの世界で、そのような力を持つものといえば?さよう、ビャーネ神かな。ビャーネ神が、この長七郎さんに、何らかの役割をさせようと、このように命を吹き込んだに相違ないぞ」ガフンダルは、得意げにあごの下で、ひげをしごく真似をしながらそういった。但し、残念ながらガフンダルには、ファンタジー物語に登場してくる老魔法使いのように、白くて長いひげなどなく、貧乏くさい無精ひげがあるばかりであったが。

「だって、普通ありえないでしょうが、そんなことってさ!」

ここをどこだと心得おるのじゃ。幻想世界ノルゴリズムぞ。幻想世界では、不可思議なことがいろいろと起こるものなのじゃ。この物語の作者が、プログラミング言語解説と、物語を融合させるのに、なぜファンタジーを選択したのか?それは、ご都合主義極まりないことをやっても、ファンタジーなら許されるであろうという安易な発想があればこそだったのじゃ。いやあ、見切った見切った」

『何をひとりでわけのわかんねえことをいってやがるんだ?爺さんよぉ。オイラが真紅に呼びかけたのは、用事があるからなんだよ』

「なによ!こっちは、あんたみたいな下品なパソコンに用事なんてないわよ!」

『そっちになくても、こっちにあるんでぃ!おめえの父親からメールが届いてんだ!心配してるから、とっとと返事してやんな!』

「え?パパからメール?そういえば、お義母さんが入院して、そいでもってワタシも行方不明になってるわけだから、そりゃあ慌てるわよねえ。そうか、パパからメールかぁ。ケータイは学校に持っていったら怒られるから家においてあるんだけど、パソコンに関しては、家の方針で、中学生のときから、パソコン教室に通わせているから持たせてるんだ。とかなんとかいって、無理やり持たされてるんだよね。ぶっちゃけ学校ではあまり使わないけどさ。休み時間はツレとおしゃべりしなくちゃいけないし、放課後は部活があるからさ。そうか、でも、こういうときに役立つんだよね。持っててよかったなパソコン・・・・・・・って、なにぃー!?」真紅の顔が、しゃべりながらもだんだんと引きつってくる。最後には、目をまん丸に見開いて、口をあんぐりと開け、そのまま凝固してしまった。

「こりゃ。ルビイよ、どうしたのじゃ?そのような面白き顔をして」ガフンダルが意味ありげな微笑を浮かべつつ真紅にたずねる。

「ちょっと待ってよ。な、なぁんでメールが来るわけ?あっちからこっちに?ありえないじゃんそんなこと。ねえ。どこのプロバイダ?中継してるのはどこのプロバイダ?そもそも、このパソコン、どこにもつないでないよ。この世界にもワンセグあるの、ワンセグ?それとも無線LANあるの?」

「何をいっておるのだ。そもそもパソコンがしゃべりだしちゃう世界だぞ、このノルゴリズムはのう。そのような状況下において、向こうの世界からメールが届いたところでたいしたことはあるまい。ここは一番、そんなもんだと割り切ってはどうかな」

「そりゃそうなんだけどさ・・・・」真紅は、語尾を濁しながら、パソコンの電源をオンしようとする。

『こら。気安くオイラの体を触るんじゃねえや。今メールを読み上げてやるからちょっと待ってろ。えーっと』

FROM    : 実装寺健一郎<[email protected]>
TO      : 真紅<[email protected]>
subject : いまどこにいるのだ?
親愛なる真紅
パパだよ。お母さんが入院したことは聞いた。
本当にびっくりしている。
君と連絡が取れなくて、パパは猛烈に強烈に、もう一声、
爆裂に心配しているのだぞ。
このメールを見たら、ソッコーでレスをくれたまえ。
追伸:
ところで真紅よ。まともに動くプログラムを作るコツは、
一にテスト、二にテスト、三、四がなくて五に妥協。だぞ。
これを肝に銘じておきたまえよ。

「ほっほう。パーソナルコンピュータというのは、かように便利なものであったか。勝手に起動して、勝手に操作者が読んでほしいメールをこのように読み上げてくれるのじゃね。ところであれか、ルビイ。お前の父親は、わりと阿呆か?」

「失礼ね。パパは阿呆じゃないわ。ちょっとオフザケが好きなだけよ。よーし。返事しなくっちゃ。ねえ長七郎。もしかして私がしゃべる内容でメールを書いて、お父さんに返信してくれるの?」

『呼び捨てにするな!呼び捨てに!まあいいや。ベタベタ体を触られるより、そっちのほうが、あとくされがなくていいや。じゃあ好きなことしゃべんな。できるだけ簡潔に頼むぜ』

「えーっと。じゃあ。『パパへ。真紅です。私は元気ですがへんなところにいます。でもあんしんしてください。ノルゴリズムの魔導師の変なおじいさんの玉虫色のガフンダルさんはいっしよにいるからです。ただこれから危ないことをするのかもしれません。なぜならゴメラドワルなんです。でも、危ないことしなきゃお義母さんが暗黒のオーブがでることできないからです。でわでわ』」

長七郎は、なにやら小刻みに震えていたが、たまらなくなったのか真紅の手の上から飛び上がった。

『ぎゃははは。真紅。おめえ、めちゃくちゃ作文が下手だな。日本語覚えたてのげえこく人かよ!?こんなもんおめえの父親に送ってみろ。判じ物と間違えて熱出すぞ。熱!』

「だって・・・作文得意じゃないんだモン」真紅は心底うなだれて、そういった。

『おう、ガフンダルの爺さん。ここは一発、年の功って奴で、代わりに考えてやれよ。メールの返事』

「ワシか。コホン。よしわかった。くれぐれも、ワシの文才に腰を抜かさぬようにな。ただし長七郎さん。パソコンの貴君に腰があったればの話じゃが。ではゆくぞ。一言一句聞き漏らすでないぞ。『一筆啓上火の用心・・』」

『カーン!鐘ひとぉつ。ハイ失格。もうてめえらにゃ任しちゃおけねえ。オイラが考えてやる!』

パパへ
心配かけてごめんね。
今、ひょんなことから、ノルゴリズムという別世界に来て
しまったの。ここは、剣と魔法が支配する不思議な世界よ。
でも、そんなこと信じられないでしょうね。
私だって信じられないの。でもこれは本当のことなの。
この世界のどこかにあるという『暗黒のオーブ』に、
お義母さんの心が閉じ込められていて、それが原因で、
そちらの世界でお義母さんが原因不明の昏睡状態に陥っている
らしいわ。
その『暗黒のオーブ』を破壊しなければ、お義母さんを助ける
ことができないのよ。
私は、その使命をなしとげるため選ばれて、この世界に連れて
こられたみたいなの。
『暗黒のオーブ』を破壊するためには、この世界の暗黒面を
支配する『ゴメラドワル』と戦い、勝利を収めなきゃいけな
いんだけれど、強力な魔力を持つ魔導師のガフンダルさんや、
ここ一番役に立つ男の中の男、パソコンの長七郎さんたちが
助けれくれるから、きっと目的を達成できると思うわ。
だから安心して。
また連絡するから。
真紅

パチパチパチパチ。真紅とガフンダルから割れんばかりの拍手が巻き起こる。

「あっぱれあっぱれ。『男の中の男』というのがいまいち引っかかるけれども、これでこちらの状況を明確に、ルビイの父親に伝えることができるであろう。いやあ。めでたしめでたし。かんらかんら」

ガフンダルは、何がおかしいのかしらないが、大声で笑い出した。

『そうだろうがよ。オイラのシゴトはいつだって完璧なんでぃ。うぎゃははははは♪』

長七郎もつられて笑い出す。

「かんらかんら」

『うぎゃはははは』

「かんらかんら」

『うぎゃはははは』

二人の笑い声は、いつ止むともしれない。

そして、真紅一人が、憮然とした表情を浮かべて、その場に立ちすくむのであった。

独白(3)へ続く
最終更新:2008年12月12日 12:47