波止場への道すがら、ガフンダルは真紅に対して、こんこんとノルゴリズムの時間表現をレクチャーしていた。

ノルゴリズムの1日も、真紅の世界と同様に、ほぼ24時間程度で回っている。さすがは、お隣さんの世界だけのことはあるのである。

「よいかルビイよ。お前さんの世界でいう1日に相当するのは、こちらでは、”ノル”という。それがまあおおむね12等分されていて、その単位を”ノルゴ”と呼ぶ。お前さんの世界では2時間にあたるの。さらにその”ノルゴ”が60等分されて、”ノルゴル”となっておるわけじゃ。であるから、お前さんの世界の2分が、1ノルゴルというわけじゃよ。さらに、間隔ではなく時刻を表現したい場合は、後ろに”ン”をくっつけるのじゃ。『ただ今、3ノルゴン35ノルゴルンです。ズバッ!』となるわけじゃよ」

「ふーん」真紅が、なんとも気のない、のっぺりとした返事を返す。そんなこと自分には関係ないと思っている表情である。というか、明瞭に顔に書いてある。

「どう見ても興味がなさそうな顔つきだが、お前さんがつけておるその猫耳翻訳機は、さすがに単位変換まではやってくれんでな。覚えておいて損はないと思うぞ」

「ふふぁーい」真紅はさらに気のない返事を返す。「ま、そのうち覚えるでしょ。で?今何時?」

「たった今、『3ノルゴン35ノルゴルンです。ズバッ!』と申したであろうが」

「ということは、えーっと、えーっと。地球の時間に直すと・・・。えーっと、えーっと」

「概ね7時10分頃じゃよ」

「えー?チョー早いじゃん。そんな時間にお店開いてるの?大体ショッピングセンターの開店は、11時じゃなくて、えーっと。5ノラゴラハラヘレンじゃない?」

「5ノルゴンじゃ。お前さん、もしかしてわざと間違うておらぬか?よいか、ここ、港町マリーデルの朝は早いのだ。3ノルゴン半ともなれば、ショッピングセンターはとぉーっくに営業を開始しておるぞ。ここは田舎だから豪華客船はなかなか来ぬが、漁港としてはずいぶんと栄えておってな。漁師たちは朝が早いからのう」

そうこうしているうちに、波止場の喧騒が聞こえてきた。荷卸場では、夜中に近海へ漁に出ていた漁船が何隻か接岸し、早速市が立っている。その周りを取り囲むように、飲食店などの店舗、真紅の世界での縁日に出ているような露店。そしてシートを敷いて商品を無造作に並べただけの、怪しげな店がひしめき合って、大変な賑わいを見せていた。

「ものすごくエネルギッシュね。あっちの世界で朝7時頃っていえば、そうだなあ。八王子駅の周りなんて、会社へ向かう疲れたサラリーマンか、徹夜で遊んで、無意味にハイテンションだけど、見た目はボロボロになってるような若い人か、ホストの兄さんしかいないもんね。お店はほとんどシャッターが降りてるしさあ」真紅は嘆息する。

「まあ、一概に比較はできんよ。このあたりも昼を過ぎれば、今のこの賑わいはどこへやら、ゴーストタウンと見まがうほど閑散としてくるでな。ほれ、ちょっと向こうの方へ行くと歓楽街がある。まあ田舎のことだから、歓楽街といっても10店舗ほど飲み屋なんぞが軒を連ねているだけだがのう。今の時間は閑古鳥が鳴いておるよ。酔っ払いが道で寝ておるぐらいだぞ」

「ふーん」

真紅は、露店で営業している古着屋に立ち寄り、動きやすい服を物色する。結局、麻のような素材の半袖シャツと、伸び縮みするジーンズのような素材のパンツを色違いで3着ずつ購入した。

「これからちと寒いところへ行くわけだから、お前さんのための防寒着が欲しいところだが、このマリーデルにはそのようなもの扱っているところがないでな。寒くなってきたら、ワシが魔法にてお取り寄せするから、文句を言うなよ」

「わかったわよ。ねえ、ところでガフンダル。ワタシ、ナイフが欲しいんだけど・・・」

「ナ、ナイフとなぁ!?何をするつもりだ?ん?ん?お前さんは素手でもそれだけ危険なのに、ナイフなどを携帯した日にゃあ。古来より○○○○に刃物という言葉もあるじゃによって・・・。その」

「なに言ってんのよ!腹が立つ都度振り回したりしないわよ。いざというときの護身用だってば、護身用。大体ワタシ、勇者でしょ?武器を持ってない勇者なんて聞いたことないわ」

「ほんとかのう?」ガフンダルが身を引きながら、恐る恐る尋ねる。

「ほんとだってば。約束するから。ね、いいでしょ?指きりげんまんしようか?」

「んわかったわい」

真紅のたっての希望で、とうとうガフンダルは、ダガーナイフと、それを収納する皮製のさやを購入させられた。真紅は、パンツのベルトにさやを取り付け、ダガーナイフを収納して悦に入っている。

「ふふふ。昔ファンタジー映画かなんかで、城を追われて野に潜伏する皇女が、腰にナイフをぶら下げているの見たのよね。かっこいいなあと思って。そうだ。ねえガフンダル。もうひとつお願いがあるんだけど」

「なんじゃ?」

「ワタシ、ナイフ投げ練習したいんだけど。この辺に教えてくれるとこある?」

「そ、そのようなもの練習せんでよいわ。さあ、キャプテン・ハックとの会合時間が迫っておる。行くぞ」ガフンダルは、真紅の手をむんずとつかみ、無理やりずずーっと引っ張った。

「ちょっと。痛いってば。相変わらずのクソ力ね。まったくもう」

祖父孫漫才をくりひろげつつ、ガフンダルと真紅は波止場に出た。

「えーっと。キャプテン・ハックは、いつも7番突堤に来ているはずじゃ。おお。見よ。あそこだ」

確かにそこには、キャプテン・ハックのものと思しき船舶が係留されていた。ただし、その船は、明らかに他の船と違っている。他の船は、真紅がファンタジーや、歴史物の映画で見た帆船であって、舷から手漕ぎ用のオールが何本か、にょきにょき生えたりしている。ところが、キャプテン・ハックの船は、真紅の世界で言うところの、小型クルーザーのようであった。ただし、尋常のクルーザーと違うのは、船首と船尾、右舷と左舷それぞれに、大砲が備え付けられていることであった。また、船首のところに、第二次大戦時の戦闘機のように、大きな鳥のような目と、ガッと開いてしゃれにならないほど尖ったギザギザの歯がついている口のマーキングが施されており、非常に趣味が悪い。

不審に思った真紅は、ガフンダルに尋ねてみる。「あれ?ねえガフンダル。キャプテン・ハックの船って、なんか変じゃない?」

「おお。ルビイよ。お前さんの頭脳でも、さすがにキャプテン・ハックの船、ハッキング丸が、他のと一味違うということくらいわかるようだな」

「ちょっと。どういう意味?返答によっては、これだからね。これ」真紅は、さやからダガーナイフを抜き出し、掌にぺしぺしと当てながら凄む。

「これ、卑怯だぞう。ちょっとやそっとじゃ、ナイフを振り回さないと約束したではないか」ガフンダルは泣きそうな顔になって、じりじりと後退する。

「ふん。振り回してないじゃん。抜いただけでしょ」

「なにをぉ?詭弁を弄している場合か貴様!早くしまえ。そんな物騒なもの。コホン。よいか。このハッキング丸こそ、キャプテン・ハックをしてキャプテン・ハックたらしめている要因なのだよ。この船はな、燃える化石、つまりお前さんの世界でいうところの石炭を利用したディーゼルエンジンで走るのだよ。めちゃめちゃ速いどぉー。このような船は、そうさな。ノルゴリズムでも5台とあるまいのう。なにせ、燃える化石の存在を知っておるものが少ないじゃによって」

「なんだかんだ言っても、海賊じゃん?悪い人なんでしょ。キャプテン・ハックって」

「いやいや、そのようなことはないぞ。キャプテン・ハックは、海賊というより海軍だな。自分の戦舟を持っているフリーの傭兵だよ。ハッキング丸はめちゃめちゃ速い上に、操船技術も天下一品だから、彼を雇い入れた陣営は、100パーセントに近い確率で勝利を得ることができるといわれておるのだ。どうだ?すごかろう。えっへん」ガフンダルは、さも自分がキャプテン・ハックであるかのように、自慢げに解説した。

「そんな有名人だったら、なんでここに、追っかけとか、報道陣がいないの?大騒ぎになってるはずでしょ?」

「そりゃあお前、ここは田舎町だからのう。そもそも、キャプテン・ハックの名前は知れ渡って、彼の数々の冒険は、お子たちの読み物にもなっておるが、実物を見た者などほとんどおらぬわ。ルビイよ。お前さんの住んでいる世界とこのノルゴリズムでは、情報伝達速度がぜんぜん違うのさ」

「あ。誰か出てきたよ」二人がああでもないこうでもないと話しをしていると、ハッキング丸のキャビンから人が出てきて、こちらに向かって手を振っている。

「おお。あのりりしき姿。彼こそキャプテン・ハックじゃよ」

キャプテン・ハックは、いったん船内に戻り、しばらくすると、船の甲板に姿を現し、甲板上からロープも使わず、いきなり突堤へ飛び降りてきた。甲板と突堤との距離は2メートル以上、高低差は3メートルあろうかというのに。

「きゃ」

真紅は思わず小さく叫び声を上げる。だがそこは負けん気の強い彼女のことであるから、「ふん。あれくらいワタシだってできるわよ」とつぶやくのも忘れなかった。

キャプテン・ハックは、見事ガフンダルと真紅の近くに着地した。

真紅は、キャプテン・ハックが着地の瞬間、俯いた姿勢のまま、『ふ。かっこイイ』と呟いたのを耳聡く聞きとめた。もしかして、猫耳翻訳機のおかげかもしれない。なかなかの集音能力だ。

― ばば、バカだこの人。やっぱりガフンダルのツレのことはあるわね ―

と思い、先行きを悲観したのであるが、その気持ちもキャプテン・ハックがその顔を上げたとたん、完全に吹っ飛んでしまった。

彼は、パイレーツオブカリビアンのジョニー・デップにそっくりだったのである。

真紅は、ジョニー・デップの大ファンであり、今は長七郎などという、もっさい名前に成り果てた愛機、VAIOノートに”デップ”と名づけたのもそのためなのである。

― やばい。グッときた ―

真紅は、無意味に篠原涼子の真似などをしてみる。

「んわははははは♪ルビイよ。どうやらキャプテン・ハックに一目惚れしたようじゃのう。お前さんは、感情がすぐさま表に出るじゃによって、本当にわかりやすいワイ。残念だが真紅よ。キャプテン・ハックには、このノルゴリズム中の港みなとにラヴァーがおるぞ」そういいながら、ガフンダルは真紅の肩をぺしぺしと叩く。

「うるさいわね!べ、別にどーってことないわよ。大体オジサンだし」

「人聞きの悪いこと言わないでくれよガフンダル。ラヴァーじゃねえよ。皆ただの友達さ。誰とも所帯を持とうって考えるほど深い仲じゃねえや。連れのお嬢さんはルビイさんていうのかい?なかなかの別嬪じゃねえかよ。ルビイさんとやら。貴女こそ俺の運命の女性(ひと)なのかも知れねえぜ」

歯の浮くようなくっさいセリフであって、例えばクラスメイトの男子連中が口にしようものなら、即座に張り飛ばすところであったが、真紅はキャプテン・ハックなら特別に、出血大サービスで許すことにした。

「さて。キャプテン・ハックよ。初恋バイオレンス娘はこの際放っておき、さっそく用件を言うぞ。まずは目的地だが、氷の魔女ゲルダのところだ」

「なんだよガフンダル。あんたの元奥さんのところかい?もしかして、寄りを戻してくれるよう頭を下げに行くのか?」

「違うわ。ちと借り受けたいものがあってな」

「ふーん。まあゲルダの所くれえなら、このハッキング丸で飛ばしゃあ1ノルとかからねえよ。往復2ノル(4日)ってとこかな。おっと、これはあの海賊野郎、キャプテン・クラックの奴に出会わなければの話だけどよ。最近、このあたりの近海にのさばってきてるからな」

「キャプテン・クラックって誰?」真紅は思わず会話に割って入る。

「キャプテン・クラックというのは、海賊の頭だよ。彼の一味は、本来の意味での海賊、すなわち海上強盗団じゃ。ワシも本人とは面識がある。根っからの悪人ではなく生真面目で朴訥なよい男なのだが、ちと短気でのう。怒り出したら手がつけられなくなるのじゃ。さらに、生真面目な性格じゃから、真剣に海賊稼業を貫いておるのじゃわい。ただし、民間の船には手を出さんよ。キャプテン・クラックが襲うのは、国営船とか、貴族豪商の船ばかりだ」と、ガフンダルが答えた。

「じゃあ大丈夫じゃない?」

「ところがな、まずいことにキャプテン・クラックと、このキャプテン・ハックとは犬猿の仲なのじゃよ」

「生理的にあわねえんだよ、あんな毛むくじゃらのウドの大木!」キャプテン・ハックはそう吐き捨てた。

「あちらさんも言っておるぞ。あんな女ったらしの優男、もし出会ったら、千切りにして海に撒き、カモメの餌にしてやるとな」

「へん。そんじゃあこっちは、ロープでぐるぐる巻きにして、燻製にしてスライスし、肉屋の店頭に陳列してやる!そう伝えといてくれよガフンダル」

「まあ、もし今回の航海で出会ったら、おぬしから直接言えばよいわ。ところでな、2ノルもかけていては間に合わんのだよ。偉大なるキャプテン・ハックよ。できれば今日中に行って帰ってきたいと思っておる。それというのも、次の月重紀までにこのムスメは、光のオーブと暗黒のオーブをカチ割らねばならんのだからのう。七つの海の王者、キャプテン・ハックよ」

キャプテン・ハックは鼻白んで、「よう、ガフンダル。お前さんが、偉大なるとか、七つの海の王者とか、くだらねえ冠をつけて俺を呼ぶときに限って、無理難題を持ちかけられるって相場が決まってんだい。ゲルダのところに、今日中に行って帰ってこれるわけねえだろ。莫迦も休み休み言いな。そもそも、光と闇のオーブをカチ割ってどうすんだ?そもそも、光と暗黒のオーブなんて、どこにあるかすらわからねえんだぜ」

「だから、オーブのありかは大賢者ルートッシに教えてもらうつもりじゃよ。光のオーブはどうかしらんが、闇のオーブは、もしかしてゴメラドワルが既に入手しているかもしれんな」

「ゴメラドワルぅー?おおヴャーネ神よ。かの悪しき者の名をみだりに口に出す、この愚かなクソジジイをどうかお許しください」キャプテンハックは、両手を組み合わせて祈りを捧げる。

「誰が、愚かなクソジジイだって!?そのような者どこにおるのだ?」ガフンダルは、辺りをキョロキョロと見回している。

「アナタのことに決まってんでしょうが!ガフンダル」真紅がグッドタイミングで口を出す。キャプテン・ハックは、まだ何か言いたげな真紅を手で制した。

「なあ、ガフンダルのじいさんよぉ。ゴメラドワルが後生大事に持ってる暗黒のオーブをどうやってカチ割ろうってんだ?あん?」

「まあ、やつめの目を盗んで、こっそりちょろまかすか、それが駄目なら、きゃつめを打倒するまでよ」

「おお。ヴャーネ神よ。この哀れな狂った年寄りをお救いください」

いよいよキャプテン・ハックの祈りは本格的になってきた。その場に跪き、頭を地面にこすりつけだす始末だ。ひとしきり祈り終わり、すっくと立ち上がって、ひざに付いた砂を払いながら続ける。

「誰が、ゴメラドワルを打倒するんだい?玉虫色のガフンダルさんよ。あんたかい?そりゃあ確かにお前さんは、このノルゴリズムで、まずは3本の指に入ろうかという大魔道師だが、己の力を過信しちゃいけねえよ。あんただったら詳しいこと知ってんだろ。ちょうど今から12ノラン(24年)前のこと。俺はまだ餓鬼だったがよ」

「封印を破って暗黒の世界から再び甦り、勢力を盛り返してきたゴメラドワルを再び封印しようとして滅ぼされた『白のマーロック』のことか?」

「そうだよ。白の魔道師っていやあ、ギルドでも最高位だろ?その爺さんの力を持ってしても、ゴメラドワルにゃあ歯が立たなかったんだ。玉虫色のあんたにゃあ荷が重過ぎるよ。まあ、奴と互角に渡りあえるのは、ギルドの階梯を凌駕した大魔道師にして大賢者、ルートッシぐれえのもんじゃねえか?しかし、ルートッシはもう完全な世捨て人だから、ゴメラドワル打倒に力を貸しちゃくれまいよ」

「ほほう。お前さんもなかなかの事情通だのう。たしかにお前さんの言うとおりだよ。いくらこの玉虫色のガフンダルさんでも、ゴメラドワルが相手となると、ちと分が悪いわい。さらに、ルートッシとの共闘も望み薄だわな」

「じゃあ、一体どうしようってんだよ?」

キャプテン・ハックの声がだんだん高くなってくる。

「ゴメラドワルを打倒するのは・・・」ガフンダルは、真紅の腕を取って自分の近くまで引き寄せ、空いている方の手でツンツン指差しながら「ジャジャーン♪この娘だよぉー。わはははは」と言い放った。

それから、きっちり1ノルゴル(2分)の間、ぽっかり口を開けたまま固まってしまったキャプテン・ハックと、満面に笑みをたたえたガフンダルと、どう反応してよいかわからず、照れくさそうに苦笑いする真紅の静止映像が続いたのである。

旅立ち(3)へ続く
最終更新:2008年12月12日 12:51