「やれ嬉や。わらわの愛しの殿がとうとうお戻りになられたぞな。今宵は山海の珍味、ただし冷凍モノだが。と、酒をありたけ用意して宴を開かねばならぬ」

氷の魔女ゲルダは、ガフンダルに眼をやるやいなや、満面の笑みを浮かべ、甲高いが澄んだ声で歌うようにそう言った。

「ゲルダよ。申し訳ないが、おぬしのところに舞い戻ったわけではない。実はちと借用したいものがあってな。それを借り受ければ、その足ですぐさま発たねばならん。長逗留は叶わぬのだよ」

「お戻りではないのかえ・・・」

ゲルダの表情が一気に曇る。それにつられて洞窟の中の温度が一気に10度ほど下がったようだ。

真紅とキャプテン・ハックは、寒気を感じてブルブル震えだした。長七郎も中で震えているのだろうか、真紅が持っているバッグが小刻みに上下していた。

ゲルダは真紅にちらりと一瞥をくれ、ガフンダルに向き直る。「なんじゃ?この小娘は?ガフンダル。もしや、そなた、わらわのあい知らぬ間に、ロォリィタ好きに転向しやったのではあるまいな?やれくやしや!くちおしや」

「これこれ。馬鹿なことを言うておるでないわ!」

「ほうれ。ほおうれ、その慌てよう。怪しい。限りなく怪しい。限りなく黒に近い玉虫色よな。よいか。そなたとわらわは正式に離婚手続きをしておらぬゆえ、まだ立派なめおとぞ。それが、このような小便くさい小娘に鼻毛を抜かれおって、あろうことか、我が住処に連れきたるとは。情けのうて言葉も出てこぬわ!」

「先ほどから、十分とベラベラ喋っておるようじゃが・・・」

「こりゃ!ここな小娘」ゲルダが真紅をぎっと睨みつける。それとともに、ゲルダの体から冷気が噴出し、真紅に吹き付ける。

『ぎゃあー!つ、冷たぁーい!』真紅はたまらず両腕で体を抱えてその場にうずくまってしまった。

「小便くさい小娘!わらわの殿をたぶらかそうとしても、そうは参らぬぞ!わらわの眼が冷たいうちはな。しかと心得ておけ!」

「な、な・・・」真紅は反論しようとしたが声にならない。別に寒さで口が動かないわけではなく、ゲルダの迫力と威厳に気圧されてしまったのだ。

氷の魔女ゲルダは、ガフンダルの妻であるから、普通に考えると老婆であるはずなのに、どう見ても20代後半にしか見えない。身長は優に175センチ以上はあり、スタイル抜群。肌の色は血管がうっすらと見えるほど白く、髪の毛はブロンドで、鼻筋高く眼もパッチリ。スーパーモデルも真っ青である。

しかも、氷製の薄物を身に纏い、これまた氷製の冠のようなものをかぶっているが、胸と腰の微妙な辺りは氷が分厚くなっているものの、ほとんどスケスケの裸状態であったのだ。キャプテン・ハックの目など、先ほどからゲルダに釘付けになって、片時も離れようとしない。ちょっと妬けたが、そもそも張り合う気にもなれない。

― こりゃ、オンナとして、とてもじゃないけど太刀打ちできやしないわ ―

相手が男であったら、先ほどのように失礼なことを言われた場合、その場で往復ビンタをお見舞いしてやるところであったが、ゲルダに対しては分が悪かった。

― そうだ。あの眼。義母さんによく似てるわ。義母さんも若い頃はこんな感じだったのかな?初めて義母さんに会ったときは、あんな眼をしてたのよ。自信満々で、まっすぐ相手を見つめるの。それが、一緒に暮らすようになってから、だんだんと眼に光がなくなってきて、私と話すときも視線をそらすようになってきて、それで、それで。とうとう暗黒のオーブに魂を取り込まれた!! くそぉー。こんなオバサンに気圧されてる場合じゃないわ!お義母さんを助けなきゃ。 ―

そう考えて、真紅は背筋をぴんと伸ばし、胸を張ってゲルダを睨み返す。その刹那、真紅の体から光が発して、固まりとなってゲルダにぶつかった。

「ぎやぁぁぁぁぁぁー」ゲルダはたまらずその場に倒れこむ。

「おのれおのれおのれおのれぇー。わらわと術比べをしようというのか小娘。面白ぉおい!受けて立とうではないか。手加減せぬぞぉ!」ゲルダは立ち上がりざま、鬼のような形相で叫ぶ。顔は怒りで真っ赤になっている。もともと抜けるような白い肌であったから、余計に壮絶な形相になっていた。彼女の背後の空間に渦が生まれ、その中心部あたりから、猛烈なブリザードが噴出してくる。

「ちょ、ちょっと待って・・・」術比べをするつもりなど毛頭なかった真紅は、思わず二、三歩後ろへ後ずさった。

「やべえよおい。女同士のマジの喧嘩は洒落にならねえぞ。こら、ガフンダル。なんとかしろよ。眼が据わりきってるよ、あんたのカミサン。第一、勝負を見届ける前に、こっちが凍死しちまうぞ」ブリザードは、真紅だけではなく、傍らにいるキャプテン・ハックやガフンダルの方にも容赦なく吹きつけていた。

キャプテンハックに対して、こくんとひとつうなずいてみせたガフンダルは、すーっと氷の上を滑るようにゲルダの近くに移動し、両手でしっかりと彼女を抱きかかえた。

「まあまあ、ゲルダよ。落ち着くのじゃ。落ち着いて、まずはワシの話を聞け」

「あなや」ガフンダルに抱きかかえられて、ゲルダの怒気は嘘のように消え、背後の空間に出現した渦もみるみるしぼんでゆく。ブリザードも次第にチラホラとした雪になり、やがて消えていった。

「きゃあー。ガフンダル。すごーい!」真紅は思わず喝采する。

「あれよ。あれが怒り狂うオンナをおとなしくさせる手だな。やさしく抱いてやるのが一番効き目があるってやつだぜ」体についた雪をパンパンと払いながら、キャプテン・ハックがのんきなことを言っている。

ガフンダルは、滔々と今までの経緯をゲルダに語り始めた。ゴメラドワルを打倒する云々に話が及ぶと、少々険悪な様子になったが、概ね話は理解してくれているようだ。

ガフンダルがゲルダに話を聞かせている間、暇であった真紅は、キャプテン・ハックにそっと小声で話しかけてみた。

「ねえハック。ガフンダルってもう何百歳もの年寄りでしょ?その奥さんなら、当然しわくちゃのおばあさんもいいところなはずなのに、なあんであんなに若いの?」

「さあ。俺もよくわからねえが、ああして常に冷凍されてるだろ。だから鮮度が落ちねえんじゃねえかな」キャプテン・ハックは、大真面目でそう答える。

「ゲルダって、マグロといっしょなの?」

「まあ、相手は魔女だからよ。そんなことより俺は、あれほどのベッピンが、よりによってガフンダルみたいなのに惚れたことが信じられねえんだよ。やっぱ、永遠の謎なんだよなあ。男と女の仲ってやつはよぉ」キャプテン・ハックはしみじみとうなずいている。

真紅とキャプテン・ハックが無駄な討論をしている間に、ガフンダルの話が終わったようだ。

「あいわかった。愛しの殿のいわれることじゃ。まずは信じるほかない。勿論協力するのもやぶさかではないぞ。じゃが、おぬしらの企てに協力して、わらわになんの見返りがあるのかのう」

「事がめでたく成就したあかつきには、ゲルダよ。ワシはお前の元に戻ろうぞ。それでどうだ?」

「なんと。そなたがわらわの元へ戻ってきてくれるともうすのかえ?そりゃあまことか?」ゲルダの表情がパッと明るくなる。

「本当だとも。信じられぬのなら、ここでビャーネ神に誓おう。魔道の者にとって、ビャーネ神への誓いは絶対だ。誓いを破ること即ち死。どうじゃ。これでも信じられぬか?」

それを聞いたゲルダの両の眼から小さな氷の粒がポロポロとこぼれだした。どうやら嬉し涙をこぼしているらしい。ゲルダは突然駆け出し、なにやら歓声を上げながら、太い氷の柱に、ぺたんぺたんとてっぽうをくれている。彼女流の喜びの表現方法なのだろうが、若干変わっている。

その様子を見ていたガフンダルが、優しい声で言う。「それではゲルダよ。早速だが、氷の水晶を拝借願おうかの」

「いやじゃ!」ゲルダは、口をひょっとこのように尖らせてそう言った。

ガフンダルは思わずその場にズッコケる。「なんでだ?協力してくれるのではないのか?」

「協力したいのは山々じゃが、わらわはその小娘が好かん!なんじゃそのちゃらちゃらしたネコみみは!?お前の住んでいる世界のアキバたらいうところで、駅の電気街口前に立って、チラシでも配っておれ。それがお似合いじゃ!」

「な、なん!」

― なんですって!こっちだってアンタなんか大キライなんだからね! ― と真紅は叫びたかったが、それを言ってしまうと、話がまたややこしくなる。そうなってしまえば、義母を救う目的が達成できない。そう考えて、真紅は珍しく冷静に言葉を飲み込んだ。

「ふん。暗黒のオーブに囚われた義母の魂のことを思うて黙りおったな。まあまあ殊勝な心がけじゃの」

なにやら心を読まれているような気がする。やはりなんだかんだ言っても、ゲルダは魔女なのだ。

「よしわかった。我が殿の顔に免じて、そのほうに氷の水晶を貸与してやらぬでもない。ただし条件があるぞえ」

真紅は、ごくんと唾を飲み込む。

― なんだろ。氷のお風呂に一晩入ってなさいとかそんなんじゃないよね。冷たいのはやだな ―

「これからひとつクイズを出す。それに見事正解すれば、氷の水晶を貸与しよう。それでは問題じゃ・・・」

ゲルダは、わずかに微笑を浮かべて若干の間合いを持たせる。さらに緊張の度合いを高める真紅。

「さて、わらわは今年、何歳であろうや?ズバリ正解してみよ。勿論、ガフンダル。そなたが答えたりヒントを与えたりしてはならぬぞ。クイズにならぬからのう。そなたはこれから一言も発してはならんぞ、我が殿」

「そんなあ!他人の年齢なんて、絶対一発で当てられるわけないわよ。ちょっとズルいじゃないのさ!ゲルダ」

「ほう。わらわの名前を呼び捨てするとはたいした度胸ぞ、ネコみみ小娘。肝だけは据わっておるとみゆるな。しょうがない。では二、三質問を許してやる。質問といっても、年齢が確実に特定できるものはご法度ぞ。例えば、ズバリ、アナタは今何歳ですかぁ?とか、アナタの生まれた年には、どんな事件がありましたかぁ?などというような質問じゃ。さあ」

質問を許すといわれても、そもそもどんな質問をしてよいのかさっぱりわからない。これなら、術比べなり、力比べなりをして正面から打ち倒す方が数段ましだと、真紅は途方に暮れてしまった。

「さあ。どうしたのじゃ?ほほほ。やはりわらわの見立て通りじゃったのう。こりゃ小娘。そなた、確かに強烈なエネルギーを放出しておるし、ビャーネ神のご加護もあるゆえ、強いのかもしれん。じゃが、おほほ♪オツムの方はからきしじゃ。をーっほほほほほほほほほ」

― 悔しい。でもホントのこと言われてるから、反論できないわ ―

真紅は、助けを求めるようにガフンダルやキャプテン・ハックに視線をやってみたが、ガフンダルは発言を禁じられてうつむいているし、キャプテン・ハックは状況も考えず、ちらちらとゲルダの肢体に眼をやっているだけだ。

― 駄目だ!よく考えたら、ワタシたちのパーティには、頭の切れる参謀とか軍師がいやしないんだわ。これじゃあ絶対に目的を達成するのは無理よ。ルビイちゃんピーンチ! ―

真紅が焦りまくっているそのとき、鞄がもぞもぞ動き出し、中から吟遊パソコン長七郎が勢いよく飛び出してきた。

『ちょぉーっと待ったぁ。その問題、私が答えて進ぜよう!』

「ほう。長七郎さんよ。お前には解けるってのかい?この問題?」キャプテン・ハックは、『さあ面白くなってきやがったぜ』とでも言いたげに、ニヤニヤ薄笑いを浮かべている。

「ちょ。ちょっと待って、この人、じゃなくてパソコン、長七郎じゃないわ!」

「長七郎じゃない?じゃあ、誰なんだよ」

真紅は、ふわふわと空中に浮かんでいるパソコンを呆然と見つめながら、

「パ、パパ?パパなの?」

と叫んだのである。

旅立ち(6)へ続く
最終更新:2008年12月04日 15:51