「キャプテン・クラック一味の船団か。確かにまずいことになってしまったのう」セリフとは裏腹に、ガフンダルは、大してまずいと思っていないような口ぶりである。
― ガフンダルって、馬鹿なのか、アホなのか、それとも実はとんでもない大魔道師なのか、もしかしてその全てに該当するのか、全然わからないわ ー
真紅はゲルダのとの一件以降、若干ガフンダルに対する認識を改めている。そう考えながら、大きな眼をくりくりさせてガフンダルの顔をまじまじと見つめている。
「ワシの顔になにかついておるのか?」
「べ、別に…」
「キャプテン・ハックよ。このハッキング丸の速度でもって、きゃつらを振り切れないのかのう。こんなところでぐずぐずしている暇はないのだが」
「そんなこたあ重々承知してるよ。けどな、ちょうど次元の渦あたりにキャプテンク・ラックの船が陣取ってんだよ」キャプテン・ハックが苦々しげに答える。「それにほら、あっちからも・・・」キャプテンハックが指さす方向にも、数隻の船影が見える。
「あれは、キャプテン・クラックの次男坊、パイソンの野郎だな」
「なるほど。挟み撃ちってやつか。パイソンといえば、キャプテン・クラックの三人息子、パール、パイソン、セド・オークの中で、クラックの跡目を継ぐのは確実とされている切れ者じゃ。力も技も知恵も胆力も、親父殿を遥かに凌駕すると言われておる。まずいことになってしまったのう」ガフンダルが、またしてもセリフとは裏腹に落ち着き払ってそう言った。
「ふん!パール、パイソン、セド・オークなんぞより、Rubyの方が数段優れているぞ!」長七郎が突然、わけのわからないことを叫んだ。
「おや?長七郎殿、おぬし今、なにか申したのか?」
「オイラが喋ったんじゃねえ。一瞬、ルビイの父親に意識を乗っ取られたみてえなんだよ。何か心に臆するところがあったんじゃねえかな」
「ふーん。ま。しょうがないのう。ではこのまま進んで、成り行きに任せるしかないということか」ガフンダルがそう言ったのを合図に、キャプテン・ハックが操舵室へ走る。ガフンダルもゆっくりとそれに続いたので、真紅も慌てて後を追う。
「おい。この紐ほどいてくれよ。置き去りにしないでよ。ちょっとぉ」椅子にくくりつけられた吟遊パソコン長七郎が大声で叫ぶが、誰も一顧だにしない。仕方なく、長七郎は自分の力で、椅子ごとぴょんぴょん跳ねて三人を追いかけて操舵室に入っていった。
ハッキング丸は次元の渦の前で待つキャプテン・クラックの旗艦へ向け、ゆっくりと接近していく。それを追うように、パイソン率いる船団も進む。キャプテン・クラックの船の甲板に手下が一人出てきて、しきりに手旗を振っている。
「止まれっていってるよ。どうする?ガフンダル」
「うーむ。ここはひとまず向こうの言うとおりにして様子を見よう」
やがて、ハッキング丸はキャプテン・クラックの船と横並びになって静止した。キャプテン・クラックの船の甲板にわらわらと手下が現れ、鉤つきのロープを投げてくる。あれよあれよという間に、ハッキング丸は固定されてしまった。パイソンの船が、ハッキング丸を挟むように反対側につける。
そして、両方の船から梯子が渡され、キャプテン・クラック、そして次男坊のパイソンが、手下を数人引き連れてハッキング丸に乗り込んでくる。
真紅達は、首を左右に忙しく振って、キャプテン・クラックとパイソンを交互に見やる。
― やだ。もしかしてこれって、絶体絶命のピンチってやつなの? 嗚呼真紅一行の運命やいかに・・・。つづく ―
勝手に続かせてもらっては困るのである。
「どぉーれぃ!ぐわははははは。こりゃあ思わぬ獲物がかかったわい。こりゃキャプテン・ハック!貴様もとうとう年貢の納め時がきたというやつだのぉーう」
耳が痛くなるほどの大音声でキャプテン・クラックがそう言い放つ。彼は、2メートルを遥かに超える毛むくじゃらの大男であった。腕などは丸太のようだ。頭には大きな角が生えた兜をかぶっている。鎖で編んだチョッキを着ているので、少し動くたびにジャラジャラと音がする。右手には、真紅の背丈ほどもある大きなハンマーを持っていた。ハンマーの頭の部分も、シベリアンハスキーほどの大きさはある。
― こりゃどっからみても、絵に描いたようなバイキングの首領だわ。なんかマンガみたい。アメコミね。 ― ノンキにも真紅はそんなことを考えている。息子のパイソンの方はと見てみれば、身長は185センチほどで、筋肉質であったが、マンガみたいな父親に比べればごく普通であって、目元涼しく、わりと整った面立ちをしている。父親とお揃いの鎖チョッキを着ているが、マンガ兜はかぶっておらず、腰に細身の短剣を差しているだけであった。
― やだ。誰かに似てると思ったら、クラスメイトの長谷川にそっくりじゃん ―
「どうだキャプテン・ハック。このトールハンマーのえじきとなってみるか?久しゅうこやつを振るっておらんでのう。お前の頭など、一撃でトマトみたいに潰れようぞ。ぐぅわはははははんはんはーんとぉ」キャプテン・クラックは頭の上でハンマーをくるくると振り回している。ブンブンと空気を切り裂く音が真紅のところまで聞こえてくる。
― 危ないったらありゃしないわ。間違ってあんなのに当たったら一発で即死よ即死。でも、だいたい、セリフがいちいちマンガみたいなのよね ―
「な、なんだとこのウドの大木野郎!」勢い込んで文句を言い出したキャプテン・ハックを手で制して、ガフンダルがゆっくり言葉を発した。
「キャプテン・クラックよ。久しいのう。元気にしておったか?いまだにカミさんの尻に敷かれておるのか?」
「おう、これはこれは。誰かと思えば玉虫色のガフンダルではないか。おんしゃぁ、まだくたばっておらんかったのか?」
― ガフンダルなんて、さっきからここにいるじゃん。今気づいたようなこと言ってさぁ。ホント、マンガみたい ―
「残念ながら、この通りピンピンしておるよ。時にキャプテン・クラックよ。今日は何の用事だ?我々はちと先を急いでおるゆえ、用件を手短に言って、とっとと失せてくれぬか」ガフンダルには珍しく、剣のある言葉でそう言った。
「なにを偉そうに。どうやら自分達がおかれている状況をよく認識しておらぬようだのう。よぉーし。よぉぉぉーし。よぉぉぉぉぉーし。貴様ら全員、このトールハンマーでぷちゅっと潰してくれようぞぉ」そういって、キャプテン・クラックはまた、ハンマーをぶんぶんと振り回し始めた。
― あらら、またハンマーを振り回し始めちゃったわ。危なっかしい。もし手が滑って自分に当たったら、笑い事じゃ済まなくなっちゃうわよ ―
「おい。親父!」息子のパイソンが、初めて言葉を発する。低音でドスの効いた声だ。
「おう。そうであった。こうしてハンマーを振り回している場合ではなかったのだ」キャプテン・クラックは、息子に声を掛けられて、ふと我に返ったように話を始めた。
「実は息子のパイソンが、そこな小娘に一目惚れしたなどとぬかしおってのう。是非妻に迎えたいとな」パイソンが少し頬を赤らめている。
― あら。妙な展開になってきちゃったわ。ふーん。わりと人を見る眼あるじゃん。あの息子。 ―
「そうとなれば善は急げ。我ら海賊は欲しいものは何だって手に入れなきゃ気が済まんのだ。従って、そこな娘を我がアジトに連れ帰り、祝言を挙げようというわけだ。ガフンダル。なんだったらお前、媒酌人になってもらってもよいぞ」
「ふん。もう付き合いきれん。よいか。先ほども申したように、我々は先を急いでおるのだ。ふ。キャプテン・クラック。そしてパイソンよ。自らの不運を諦めることだな。今日はちと、虫の居所がよくないじゃによって・・・」
ガフンダルはそういうと、静かに眼を閉じて、ブツブツと呪文を唱えだした。ガフンダルの体から、強烈な波動が出ている。さしものキャプテン・クラックも、一瞬ひるんだような素振りを見せた。眼には戸惑いの色を浮かべている。彼も、ガフンダルの真の魔力を重々承知しているのだろう。
ぱっかーん!
真紅が勢いよくガフンダルの後ろ頭に平手打ちをお見舞いする。
「いてててて。何をするのじゃこの小娘!ワシはスペルを唱えておる最中なのじゃぞ!」ガフンダルが真紅にひっぱたかれた後頭部をさすりながら叫んだ。
「そんなの見てりゃわかるわよ!いったい何の呪文唱えてたのよ!?」真紅は、ものすごい剣幕でガフンダルに詰め寄る。
「何の呪文って・・・。そりゃあお前、海神ポセイディーンの怒りを呼び起こす呪文じゃ。さすれば、こやつらは一発で海の藻屑ぞ」
ぺっしーん!
真紅の二発目の平手打ちがガフンダルの頭に炸裂した。
「な、な。何をする!?しまいに泣くぞぉ!」ガフンダルは既に眼に涙を一杯溜めている。
「アンタ馬鹿じゃないの!?そんな呪文唱えたら、この人たちみな死んじゃうじゃないのさ!このひとごろし!」
「ほう」キャプテン・クラックが思わず目を細めて真紅をみる。
「えーっと。キャプテン・クラックさん」
「なんだ?小娘」
「ワタシは小娘じゃなくて、ま・・えーっと。ルビイって名前があるのよ。ねえ、キャプテン・クラックさん。申し訳ないんだけど、ワタシたちは、これこれこういうわけで非常に忙しいのよ。わかる?だからすべて片付くまでほかの事やってられないの。その後で、アタックなり、プロポーズなりすればいいじゃん。場合によっては考えないでもないわよ」
と、真紅は一気にまくし立てた。さすがのキャプテン・クラックも呆然としている。
「それから、あなた」真紅は、真正面からパイソンを指差す。「大体、女性に告白するのに、父親から言ってもらうなんて、男として最低よ!自分で言いなさいよ自分で!」
パイソンは眼を白黒させている。やがて、父親の所へつかつかと歩み寄り、なにやら親子でボソボソ相談を始めた。
しばしの相談の後、キャプテン・クラックが口を開いた。
「気に入ったぞ。ルビイ殿とやら。我々を相手に一歩も引かぬその胆力。見事なものだ。このパイソンも、ますます貴殿に惚れたと、まあそう申しておる」パイソンの顔は、既に真っ赤っかである。ぽりぽりと頭などを掻いている。
「ルビイ殿。貴殿の大望成就のために、このキャプテン・クラック。いつ何時でも力をお貸ししようぞ。困ったときは、世界中の港にある掲示板に『クラックのおいちゃん助けて』と書けば、いつ何時でも、6ノル(12時間)以内に駆けつけてくれるわ。なにせ、ワシの娘になるわけだからのう。んぐわはははははははは♪」何が楽しいのか、キャプテン・クラックは大声で笑っている。そして、急に真顔になり「それからな。このパイソンが、貴殿のお供をしたいと申しておる」と続けた。
「へ?」
「常に婚約者と共にあり、その身を守るのが海の男としての勤めよ。どうか一緒に連れて行ってやってくれ。のぉはははははは」
予期せぬ展開に真紅は狼狽し、つんつんとガフンダルをつつきながら同意を求める。「ねえガフンダル。それには及ばないわよね。わざわざついてきてもらわなくてもさあ。間に合ってるわよね」
「ふーむ。ちょうどよいのではないか。キャプテン・ハックとも、マリーデルの港へ着けばお別れだからな。旅の共は一人でも多いほうが心強いというものだ。ましてやそれが、音に聞こえたキャプテン・クラックの次男坊、パイソンときてはな。ワシは大賛成だよ」ガフンダルが、なんともいえないニヤニヤ笑いを浮かべながら答えた。
「えぇー!?」
「そうとも、キャプテン・ハックのような女たらしの風来坊より、我が息子、パイソンのほうが百倍頼りになるともさ。んぶぐわはははははははー」何が面白いのかわからないが、どうやらキャプテン・クラックは、最後に笑わなければ話ができないタイプの男のようだ。パイソンはというと、真っ赤になってうつむき、足のつま先で甲板にのの字を描いている。
「誰が女たらしの風来坊だって!?もう頭にきた!たった今ここで決着をつけてやる!」キャプテン・ハックはそう叫んで、腰に吊るしていた剣をじゃらんと抜き放つ。「ほう。面白い」キャプテン・クラックもそれに合わせて、またハンマーをくるくると回転させ始めた。パイソンはというと、まだ甲板にのの字を描いている。
「まあ待て二人とも。お前達はルビイの仲間なのであろう。仲間の仲間もこれ即ち仲間じゃ。キャプテン・ハック、そしてキャプテン・クラック。お前達二人の確執の決着は、見事ルビイがその使命を達成するまでお預けとしておけ。よいな」ガフンダルの仲介で、二人は「ちっ」などといいながらも武器を収めた。
「よしよし。それでは出発するとしようか」
キャプテン・クラックの船団は、パイソンを残して、ハッキング丸から離れ、少し距離を置いたところに整列した。
「よーし。出発だ!」ハックの掛け声とともに、ハッキング丸は、キャプテン・クラックの一味に見送られながら、次元の渦へと突入したのである。
ハッキング丸のデッキ上では、まだ椅子に縛り付けられたままの長七郎の「ぜってえ反対だからな。パイソンを連れて行くのは。ぜってえに反対だよ。あんな奴が真紅の亭主になるなんて、ぜってえぜってえ許せねえ!」という呪詛の言葉が永遠に続いていた。
最終更新:2008年12月09日 11:32