翌朝。

真紅は、何やら周囲のドガシャガとした騒がしさで目覚めた。みれば、ガフンダルの怪しい従者達が、忙しく食器などを運んでいる。朝食の準備をしているのだろう。あまり長い時間は眠っていないのだろうが、夢も見ない深い眠りだったようで、存外目覚めは爽やかであった。

― そうかあ。今日でこのノルゴリズムへ来て3日目なのね。ええー?まだ3日目かあ。もう何年もここにいたような気がするわ。なにしろ毎日毎日コユイからなあ。ところで皆はどうしたのかな? ―

長七郎は、真紅の横に転がっていた。パイロットランプはすべて消えている。おそらくまだスリープ状態なのであろう。ガフンダルはこのリビングには出てきていないようだ。パイソンは・・・。

― そういや、パイソンったら、ワタシからいちばーん遠くはなれた、部屋の対角の隅へいっちゃってさあ。『女性の近くでは寝られられられない』なんて舌噛んじゃってさあ。別に気にしなくていいのに。必要以上に意識されるほうが返ってあれだから」

何か「フン、フン」という気合のような声が聞こえる。なんだろうと思い真紅が声のする方向に眼をやると、パイソンが、真紅の世界でいう中国拳法のような体術の型を練習しているところであった。

― なんてハードボイルドなやつ!ま、ワタシのクラスメイトたちの中には絶対いないタイプね。―

パイソンのしなやかに動くが、強靭そうな筋肉をぼんやりと見ていると、なんとなくざわざわと、胸騒ぎのような気分が沸き起こってきたが、ぶるんぶるんと首を横に振って、

― だめだめ。あんなやつを好きになったって、だいたい海賊の跡継ぎだし、いつかはお別れしなくちゃだめなんだからね。今はお義母さんのことだけを考えなきゃ ―

と、いじらしくも固く決断する真紅であった。

そうこうしているうちに、ガフンダルがリビングへやってきた。

「やあおはよう。パイソン、それからルビイも既に起きておったのか。長七郎殿は?ん?まだ寝ておられるのか。まあよい。長七郎殿は、寝ていても連れて行けるからな。さて、いよいよ本日、火の山へ向け出発する」

真紅もパイソンも、ガフンダルの言葉を聞いて、きゅっと引き締まった表情になる。

「では、行程を説明しておこう。この港町マリーデルから北上すること約400ノルヤードほどのところに、デラスカバリスカ山脈の麓の都市、アリャネーがある。本日の目標はその街までたどり着くことじゃ。400ノルヤード(200km)だと、歩きはちときついが、マリーデルで馬車を調達するつもりなので、まあなんとか夕方にはつけるじゃろうな。アリャネーで一泊して準備を整え、翌日早朝にかの都市の北東部にある地下大洞窟へと入る。できればその日のうちに地下大洞窟を踏破し、デラスカバリスカ山脈の向こう側へ出たい。直線距離だとたいしたことはないのだが、何しろ迷路状に入りくんでおるでな。予定通り明日中に踏破できれば、洞窟の入り口のほど近くにある山岳都市バクーハンで体を休めることができるという寸法じゃ。そして翌日、いよいよ火の山にアタックすると、このような段取りになっておるぞ」

パイソンと、特に真紅は珍しく真剣に、ときおりウンウンとうなづきながらガフンダルの話を聞いていた。

「何か質問はあるかな?」

真紅がすっと右手を揚げる。

「はい。ルビイちゃん」

「別に質問ってわけじゃないけど、予定通り火の山に着いたところで、ちょうどワタシがこの世界に来て7ノル(1週間)たっちゃうってことでしょ。月重紀まで残るは14ノル(2週間)ってわけよね。間に合うのかナア」真紅が嘆息する。

「そもそも、めでたく大賢者ルートッシと会合できたとしても、その先の段取りが全く、ぜーんぜん決まっておらんのじゃ。であるから、もしかするともう既に間に合っておらんのかもしれんが、我々にはビャーネ神のご加護があるゆえな。おそらくなんとかなるのではないかと思うぞ。だが、ビャーネ神の加護があるからといって、のんびり構えておるわけにもいかん。我々は、その場その場で最善を尽くさねばならんのじゃ」

「わかってるわよ。そうかあ。その場その場で最善を尽くす、かあ。こりゃいよいよもうパパの出番はないわね。あの役立たず。なんだったら、火の山の溶岩流の中に、てぃっとぶちこんでやろうかな」真紅は、右手のこぶしを強く握り締めて、うんうんとうなずいている。

「ちょっとまてよコラ!そんなことしたら、オイラもお陀仏になっちまうじゃねえかよ!」長七郎がものすごい剣幕で意義を唱える。

「あら。長七郎、あんた起きてたの?」

「へん。このオイラに睡眠という二文字はねえんだよ。いつだってスタンバイモードさ。スタンバイモード!」

「まあまあ、ルビイよ。そう父上を非難したものではないぞ。考えてもごらん。ゲルダの場合だ。あれは、けなげにも最初から氷の水晶を渡すつもりだなどと言うておったが、もし、びたぁーっと年齢を当てられてみろ。悔しさのあまり拗ねて、もう少し話がこじれていたかもしれぬよ。また、昨夜のパイソンとのゲーム合戦も、もしルビイ、お前が勝ったとしたら、パイソンは『ゲームに負けて家宝を奪われた』と、非常にネガティブな気持ちになっていただろう。ところが、お前さんが負けたおかげで、快く貸し与える気持ちになったのだ。そう考えれば、父上さまさまではないかね」ガフンダルは、ゆっくりと諭すように真紅にそう言った。

「ふん。モノも言いようね」

「まあちょっと、論理的にアクロバティックであることは認めるがの」ガフンダルはポリポリと頭などを掻いている。

「よし。それじゃあ出発しましょう!と思ったけど、マジおなかがペコペコだわ。さあ。朝ごはんにしましょ」

真紅たちは、朝食を終えて港町マリーデルの朝市へとやってきた。

「ちょっとここで待っておれよ。ワシはちょっとその辺の民家を訪ねて、馬車を調達してくるゆえ。あまりうろうろしてはならんぞ。ここから半径100ノルヤーン以内にいなさい。そうさな、10ノルゴンか、15ノルゴンもすれば戻るから」そういって、ガフンダルは民家の方へ消えていった。

残された真紅とパイソンは、しばらくの間所在なげにもじもじとしていたが、そんな状況に耐え切れなくなったのか、真紅が口を開いた。

「ねえパイソン。ワタシちょっと、市を覗いてくるから。ね。アナタはここにいてよ。ガフンダルが戻ってくるとまずいからさ。えーっと」真紅は、一番店が多くてにぎやかそうな方向を指差し、「ほら、あっちの方だけにするから。ガフンダルが帰ってきたら呼びに来て」と言って、ダッシュでその場を離れる。パイソンは、何か言いかけて真紅の後を追うそぶりを見せたが、「しょうがないな」とでもいいたげに、その場に残った。

― ふー。息が詰まっちゃうわ。パイソンと二人でいるとさ。別に市場なんか覗きたくなかったんだけど・・・。だいたいワタシ、この世界のお金持ってないし。わたあめひとつ買えないわ。ま、気分転換のウインドウショッピングね ―

「よう。そこのベッピンさん。わたあめひとついかがかね?甘いよぉ。お嬢ちゃん方に大人気なんだよ」

いきなり、わたあめ売りのおっさんに呼び止められている真紅。

― だから買えねーっての ―

昨日の朝、キャプテン・ハックとの待ち合わせでこの市へ訪れたときは、時間もなかったし、気持ちの余裕もなかったが、今日は2、30分といえど、若干の余裕がある。

― うわー。このお店はお魚を売ってるのね。ふーん。大体この一角はお魚やさんが多いんだな。ちょっと生臭いけど、とれとれぴちぴちって感じがするわ。箱の中でちちゃぴちゃ跳ねてるのもいるし。近所のスーパーのやつなんて、切り身になってパックされているから、元々どんなかっこした魚か全然わからないのよ。最近の小学生なんて、魚は切り身で泳いでるって思ってるらしいもんね。だいたい世の中まちがっとるのよ。うん ―

自分もつい昨年までは小学生で、一時期そう思っていた時期もあったのだが、そのことは棚に上げて、おおいに義憤にかられている真紅である。

― うわ。あそこの店、その場で魚をさばいて、海鮮丼かなんかにして売ってる。こっちの店では、魚介スープを売ってるわよ。いい匂いがしてくるなあ。いいなあ。食べたいなあ。でもお金ないもんね。もし朝ごはん食べてなかったら、あの鍋ごと強奪して、抱えて逃げてたところだわね ―

市場の通りを歩いていると、あちこちから『よぉベッピンさん』とか、『かわいいおねえさん』などという掛け声がかかったので、真紅がまんざらでもない気分で、きょろきょろとよそみをしながら歩いていると、

どっかぁーん

と、後ろから何かにぶつかられた。たまらず前に倒れこむ真紅。

「な、なにすんのよぉー!」

見ると、男が2人、ものすごいスピードで走り去っていく。男の中の一人が真紅の方へ一瞥をくれたが、何も言わずそのまま走り去っていった。

「な、なんなのよあいつら」あまりに一瞬の出来事だったので、追いかけてとっちめる暇もない。仕方なく、ゆっくりと起き上がろうとすると、どこからか女性の悲鳴が聞こえてきた。市にいた人々が、叫び声がした方向に向かって、どんどんと走っていく。

「あれ。あっちって、ガフンダルと別れた場所じゃん。パイソンが待ってるはずなんだけど」真紅も慌ててそちらの方向へ走る。ガフンダルと待ち合わせをした場所には、なにやら人垣の輪ができている。真紅は、その人垣へ飛び込み、人々を押しのけつつ輪の中心へと出た。

「えーっ!うそぉ?!うっそぉぉぉー!」

そこには、全身血まみれになったパイソンが倒れていた。

火の山(2)へ続く
最終更新:2009年01月02日 18:00