「何なの?あんた達?」

診療所の入り口に立った二人の男は、チョントゥーの誰何に何も答えず、相変わらずニヤニヤと薄ら笑いを浮かべている。二人は、ただそこに存在するというだけで十分禍々しい雰囲気を漂わせていたが、さらにそれを助長しているのは、二人の中で長身の方の男が、剣を鞘から抜いて携えていることであった。切っ先が鈍く光っている。診療所の中にいる人々の眼は全てその剣に釘付けとなり、言葉を発する者は一人としていなかった。

真紅は、背の低い男の顔に見覚えがあった。先ほど市場で真紅を突き飛ばして走り去っていた男達の中で、真紅に対して一瞥をくれた男だ。あの冷たい眼は絶対に忘れられない。怒りと興奮と恐怖がないまぜになって、心臓が早鐘のように鳴る。

― くっそお。パイソンをこんなめにあわせた奴らだわ。パイソンが無事なのを知って、また襲ってきたんだわ。パイソンは私が守って見せるからね。ていうか、こいつらボロボロにしてやる! ― 真紅はそっとホリハレコンの短剣の柄に手をかける。

「いいこと、ここは診療所なのよ。誰かの見舞いにきたのなら、まずその剣を鞘に収めなさい。そして、用事が済んだら早く出て行って!」チョントゥーは、すっと真紅たちの前に立ち、長身の男が携えている抜き身の剣を歯牙にもかけないそぶりでそう言い放った。

― さすがね。チョントゥー先生。病気以外に怖いものはないって言ってたけど、本当だわ。でもマジやばいんじゃない。この状況。 ―

二人の男は、いまだ薄笑いを顔に張り付かせたまま、真紅たちの方へ近寄ってきた。

「それ以上近づかないで。このメスはよく切れるわよ」チョントゥーが割烹着(この世界では白衣)の前ポケットからナイフを取り出し、身構えながら一喝した。男達は、およそ5ノルヤーン(5メートル)ほどの距離をおいて真紅たちと対峙した。そして、背の高い男が、ペッと唾を床に吐き出し、口を開いた。

「気をつけなよ先生」そういいながら、背の低い男の方をあごで指し示す。「兄貴は気の強い女が好みでなあ。剣で体を切り刻みながら暴行するのが大好きなのよ。気の強い女がヒーヒー泣き叫ぶのを見ながらやるのがイイらしいのさ。ま、あまりいい趣味とはいえねえが、ま、人それぞれ好みってのがあるからな。まあ、最期には、女が本当に昇天しちまうのがもったいねえんだけどよ。ゲハハハハ」背の低い男のねっとりとした視線がチョントゥーに絡みつく。それでも彼女は臆した様子を見せない。

「おっと。自己紹介がまだだったなあ。俺の名前はニアー・ポインタ、兄貴の名前はファー・ポインタだ」彼らの名前を聞いて、チョントゥーの体が一瞬硬直する。その様子を見て取った真紅は、小さな声でヒマワリにたずねてみた。

「ねえヒマワリさん。あいつら誰?」

「悪名高い殺し屋ですぅー」ヒマワリが消え入りそうな声で答える。

「ま、今日は別に埃っぽいことをしにきたわけじゃねえんだ。ベッドに寝ている兄さんをこっちへ渡してもらいたくてね。俺たちゃその兄さんを消す依頼を受けたわけだが、どうやらしくじったみたいでよぉ。このままじゃ、ポインタ兄弟の評判に傷がついちまうのよ。クライアントの信頼を失って、業界で生きていけなくなるって寸法よ。なあ兄貴」

ニアー・ポインタのその言葉を聞いて、パイソンがゆらりとベッドから起き上がり、よろけながら真紅たちの前に出ようとする。思わず左右から真紅とヒマワリがパイソンを抱きとめた。

「パイソン君、なにを考えているのあなた!」チョントゥー怒気をあらわにしてパイソンにそう叫んだ。

「どうやらこれは俺の問題のようだ。先生やルビイに迷惑をかけるわけにはいかない」パイソンが珍しい饒舌さで答える。

「馬鹿じゃないのあなたは!?」真紅たちの注意が男達からそれた瞬間、兄のファーが、弾丸のようにチョントゥーに飛び掛ってきた。5ノルヤーンの距離などないも同然の、野獣如き電撃的な動きであった。チョントゥーはあっという間に、太いファーの腕の中に後ろ手に絡め取られた。いつの間にか、チョントゥーが持っていたメスがファーの手にあって、彼女の喉元にぴたりと当てられている。

ファーは、チョントゥーの匂いと肉体の感触を楽しんでいるようだ。息遣いが荒くなっている。「モウタマラナイ。イイカ?」地獄の底から響いてくるような低音で、ファーがぼそっとつぶやく。

ニアーはその様子を見て苦笑いし、パイソンに眼を向け「まあもう少し我慢しろよ兄貴。あんたの恩人の先生を血まみれの人形にしたくなきゃ、おとなしくついてくるんだなあ。パイソン」と言った。

「わかった。だから先生を放してくれ」パイソンは、真紅とヒマワリの手を振り切って、ポインタ兄弟の方へ歩き出した。

「まあ、お前達が変な真似をするといけねえから、この先生にはもう少し付き合ってもらうよ」

「こいつらの言うこと聞いちゃ駄目よパイソン君。こいつら、私を解放する気なんてはなからないんだから。ちょっと、アンタ息が臭いのよ!顔を近づけないでくれる!」

チョントゥーの言葉が耳に入らないように、パイソンは一歩一歩ポインタ兄弟達に近寄っていく。ファーが、ぶら下げている剣の柄を握りなおした。

真紅は、今自分がおかれている極限状況に身動きひとつできないでいた。だが、頭の中は不思議なほど醒めている。そして、ポインタ兄弟に対する嫌悪感と憎悪が、大きな塊となって腹の底から競りあがってくるのを感じていた。醒めた真紅の意識は、なぜかその塊を解放してはならないと認識していたのである。だが・・・。

― もう駄目よ。我慢できないわ ― 

真紅の頭の中で、なにかのギアが切り替わった感じがした。その瞬間、彼女はホリハレコンの短剣を抜き放っていたのである。

「戯れはそこまでにしておけ、蛆虫ども」

― あれ?ワタシ、何を喋ってんの? ― 真紅はもう自分の意思で動いたり喋ったりすることができなくなっていた。

真紅のかざしているホリハレコンの短剣は、いつものようにまばゆい光を放っておらず、その刀身は完全なる黒であった。まるで空間がそこだけ切り取られ、次元の亀裂が生じたような、まさに暗黒だったのである。まだ昼間だというのに、ホールの中は薄暗くなってしまっている。

「く、黒の魔剣!」年配の患者が叫ぶ。

「こ、このガキ。なめた口きいてんじゃねえぞ」ニアーはそう言い放ったが、表情には戸惑いの色を浮かべている。

ぶぅん。

真紅がチョントゥーを抱きかかえているファーへ向け短剣を振った。剣先から黒い塊が噴出し、ファーの顔面を直撃する。ファーはたまらず後ろへひっくり返り、そのままくるくると三度ほど後方に回転して、無人のベッドに激突し、気を失ってしまった。

解放されたチョントゥーは、その場にしゃがみこみ、あっけに取られて真紅を見ていた。

真紅は、ニアーのほうへ向き直る。「次は貴様だ。蛆虫」それまで、自分の行動を観客のように見ていた真紅であったが、だんだんと意識が、突然憑依したパワーの中に取り込まれていくのを感じていた。怒りの感情に全てを支配されるのがわかり、ただ、二匹の蛆虫を叩き潰すこと以外考えられなくなっていく。

真紅に見据えられたニアーは、「ひ」と妙な声を上げて、その場に崩れ落ちる。どうやら腰が抜けてしまったようだ。顔には言い知れない恐怖の色が浮かんでいる。真紅は、短剣を振りかざして、一歩一歩ニアーのところへ歩み寄っていく。

「それぐらいにしておけ。ルビイ」突然、ホールにガフンダルの大音声が響き渡る。はっと我に返る真紅。

その隙を見て、ニアーは、まだ気絶しているファーを抱き起こし、肩に抱えて入り口へ向かって、脱兎のごとく走りだした。入り口にはガフンダルが突っ立っている。ガフンダルとポインタ兄弟は、激突寸前の状態となった。

「ガフンダル、危ない!」チョントゥーが思わず叫んだ刹那、ファーとニアーの姿が忽然と掻き消えた。後には、ノンキに笑顔をたたえたガフンダルが立っているのみであった。

「やれやれ。もう少しでルビイ、お前さんは勇者ではのうて、魔人として名をこのノルゴー大陸にとどろかすところであったのう。しかしものすごい迫力だな。まるで、ウルフガイに出てくる虎4なみの迫力だ」

「ちょっとガフンダル。そんな、虎4って言ったって、ほとんどの人知らないわよ。そんなことどうでもよくて、これって一体どういうこと?ちゃんと説明してよ!」先ほど起こった事件に関して、明確な説明を一番欲していたのは当の真紅だったのであろう。いきなりガフンダルにくいつく。

「ルビイちゃん。そんなことよりもまずパイソン君をベッドに戻すのよ」チェントゥーに注意され、「きゃ。そうだったわ。ごめんなさい」と、パイソンに駆け寄る真紅。

ヒマワリと二人でパイソンをベッドに寝かしつけるやいなや、真紅はミサイルのようにガフンダルに詰め寄る。

「で、どゆことよ?!」

ガフンダルは、あごの無精ひげをジョリジョリ撫でるお得意のポーズをとりながら、ゆっくりと話し出した。

「そのホリハレコンの短剣もそうなのだが、ビャーネ神ゆかりの剣は、正邪両面を併せ持っていてな。使う者の心理状態によって、悪しきを打ち払う聖剣にもなるし、恐怖の殺人剣にもなるのじゃ。先ほどそこのご老人が叫ばれたように、『黒の魔剣』となるわけじゃよ」

「玉虫色のガフンダル!あんたに老人呼ばわりされる筋合いはないぞ」自分の事が話題となっていることに気づいた年配の患者が横槍を入れる。

「すまぬ。エヌシーよ。ところで貴兄、なぜこのようなところでおとなしく寝ておるのだ?」

「ちょっと血圧があれで、一昨日の晩、酒場で倒れたのよ。早く退院したいよ。酒が呑めないのもさることながら、自由に唄うことができぬのが一番辛い。唄うことを禁じられた悲しきカナリアだぞ。俺は」

「はっ。だからあれほど酒はほどほどにしておけと申したはずだぞ。エヌシーよ」

「ふん。酒なくしてなんの人生ぞ。大きなお世話だ。ガフンダル」エヌシーと呼ばれた患者は、口では大きなことを言っているが、顔を赤らめて、ポリポリと頭などを掻いている。

「知り合いなの?ガフンダル、あのエヌシーさんて人?」真紅がガフンダルにたずねる。

「ああ。このマリーデルはワシのホームグラウンドじゃから、ほとんど顔見知りなのだがな。エヌシーとは飲み友達というやつだ。彼は流しの歌い手で、若い頃はノルゴー大陸中の町を転々としていたが、五十の声を聞いてから、このマリーデルに腰を落ち着けている」そういえば、ベッドの横に、ギターのような楽器が立てかけてあった。

「ときに、ガフンダル。お前さんの連れのお嬢さん。その娘(こ)はまた、とんでもない運命を背負って生まれてきたみたいだな。『黒の魔剣』なんて、ファンタジー世界のことだとばかり思ってたよ」

― とんでもない運命を背負って生まれてきたわけじゃなくて、勝手によその世界からかどわかされて、無理やりとんでもない運命を背負わされてるっての! 第一、ここってもろファンタジー世界じゃないのさ! ―

真紅はそう思ったが、口に出すのはやめた。このあたり、成長の跡が垣間見える。その代わり、ふと沸いてきた疑問をガフンダルにぶつけてみることにした。

「ねえガフンダル、あのポインタ兄弟どこへいっちゃったんだっけ?」

「さあ。ワシにもよくわからぬのだよ。とりあえず、『しばらくは我々にちょっかいを出せぬところへ』と念じたが、細かく行き先を指定する暇がなかったゆえな」そういって、ガフンダルは、あまり似合わないウインクをした。

「さて、それよりもパイソンよ。なぜあの二人はお前さんを襲ったのかね?もし心当たりがあるならば、是非我々に教えてほしいのだが。言いたくなければ無理にとは言わぬが、お前さんを狙う相手が何者かわかっていたほうが、こちらとしてもいろいろと打つ手があるでな」思い出したようにガフンダルがパイソンにたずねる。

「そうよパイソン。ガフンダルの言うとおりだわ。あんたはワタシたちの仲間なんだからね。仲間の敵はワタシたちにとっても敵なのよ」

そう言う真紅の顔をじっと見ていたパイソンは、つーっと一筋涙を流した。

「あれ?なんで泣いてるのパイソン?」まさかパイソンが泣いたりするとは思っても見なかった真紅は、びっくりすると同時に、きゅと心臓を鷲づかみにされたような気持ちになる。

しばしの間があった後、やがてパイソンはゆっくりと話し始めた。

火の山(5)へ続く
最終更新:2008年12月29日 20:03