翌日。
チョントゥー医師の好意で、診療所で一泊させてもらい、さあいよいよデラスカバリスカ山脈を縦断する地下大洞窟への入り口へ向け出発となるわけだが、あいにくガフンダルの天気予報は完全に外れ、未明から大雨になってしまった。バケツをひっくり返した大雨という例えがあるけれども、そんな生易しいものではなく、浴槽に溜めておいた水を一気にぶちまけたような土砂降りだ。
真紅をはじめ、ガフンダル、チョントゥー、パイソンはみな一様に呆然と空を見上げていた。
「なにこれ。土砂降もいいとこじゃん!このインチキ天気予報師!」真紅は、診療所の外へ出るなりそう叫んだ。とともに、ガフンダルをきっとひと睨みするのも忘れない。
「ふん。ゴメラドワルめ。とうとういらぬちょっかいを出してきおったわい」ガフンダルは、真紅に睨まれているのを一切気にしていないように、ニヤニヤとしながらそうつぶやいた。
「なに?そしたらこの雨はゴメラドワルの仕業ってこと?」
「まあそうでしょうね。私もこのマリーデルで暮らして5年ぐらいになるけど、あんなにきれいな夕焼けが見えた翌日に、これほどの大雨になったことなんて一度もなかったわ。そもそもほら、雨雲がこの町の上あたりだけにしかないじゃない」チョントゥーが際限なく雨が落ちてくる真っ黒な空を見上げて溜息をつきながら、さりげなくガフンダルを擁護する。
「ふん。小賢しい真似をしおって。まあ挨拶代わりというところかな」
「そうよ。この程度の雨で私たちがへこたれると思ったら大間違いよ。大体馬車があるんだし。あれ?ガフンダル。馬車はどこ?」真紅があたりをキョロキョロと見回しながらガフンダルにたずねた。
「昨日、近隣の商家と交渉して、馬車を借用させてもらうよう話はつけてある。この診療所まで届けてくれる手はずになっているのだが。この雨だ。少しばかりもたついておるのかもしれんな」
ガフンダルがそういったとき、通りの向こうから、水しぶきを上げながら馬車が近づいてきた。
「ねえ。あれじゃない?」真紅が馬車のほうを指差してガフンダルにたずねた。
「ふむ。おそらくそうじゃろうな。おーい。こっちじゃ」ガフンダルは手を上げて御者に合図を送った。
ガフンダルの合図に気がついた御者は、馬車の速度を緩めて、真紅たちの前で停車させた。御者はといえばレインコートのようなものを頭からかぶっていたが、かわいそうなほどにずぶ濡れになっている。
馬車は四頭立てで、幌つきの割と大きなものだった。一人は御者台に乗るから、残りの三人なら、中でゆっくりでできそうだ。ごろんと横になって休むこともできそうである。というか、三人が乗るには大きすぎるといってもいい。御者台の上には、申し訳程度の庇しかなく、今日の雨ではなんの役にも立ちそうにないが、幌の中ならば何とか雨を凌げそうだ。
「雨の中ご苦労であったのう。タイニー・ジョン」
タイニー・ジョンと呼ばれた御者は、かぶっていたフードを脱いで顔を出した。まだ真紅より年下に見える男の子である。
「ガフンダルの旦那、本当にこんな雨の日に出発するんですか?」タイニー・ジョンは見るからに不服そうな顔をしている。こんな土砂降りの時に馬車を回させておいて、出かけなければ承知しないぞという憤りが表情にそのまま表れていた。
「もちろんじゃよ、タイニー・ジョン。我々はちと急ぐ旅でな。雨天決行というやつだ」そういいながら、ガフンダルがタイニー・ジョンにいくらかの小銭を握らせると、彼は一気に相好を崩し、「へ。悪いね」といいながら、しっかり金額を勘定している。
「無駄遣いせぬようにな」
「わかってるよ。いっぱいお金を貯めて、将来商売するときの元手にするんだ」タイニー・ジョンは胸を張って誇らしげにそういった。
― ふーん。しっかりしてるんだこの子。商人の子供なのね。ワテはあきんどだすってやつね。さっきガフンダルが、商家と交渉して馬車を借りたとかなんとか言ってたから、そこの子供かな -
「ガフンダルの旦那、お父さんからの伝言だよ。くれぐれも荷物をよろしくって」
「わかっておる。それでは父上によろしく伝えておいてくれ」ガフンダルがそう言うと、タイニー・ジョンは、フードをかぶりなおし、ガフンダルから貰った小銭をしっかり握り締めて雨の中を走り去っていった。
「ねえガフンダル。あの男の子、荷物をよろしくとかなんとか言ってたけど、なんのこと?」不審そうに真紅がたずねた。
「ああ。あの男の子はな、ワシが馬車を借りた商人のビック・ジョンのところの次男坊でのう。将来父親のような立派な商人になるといって、現在修行中なのじゃ。まあちょっとすれたところもあるが、おおむね良くできた子じゃよ」
「ちょっとガフンダル。質問と答えが食い違ってるわよ。ワタシが聞いたのは、あの男の子が、荷物をどうこう言ってたのはなに?ってことよ。もしかしてガフンダル、怪しげな取引したんじゃないでしょうね」真紅はぐいぐいとがガフンダルに詰め寄った。
「ああ、そのことか。それはまあ、おいおいわかることじゃによって。さ。急いで荷物を馬車に積み込んで、出発の準備をするのじゃ」と、真紅の追求をのらくらとかわすガフンダルの号令に従って、チョントゥーとパイソンは、自分の荷物を馬車に積み込み、乗り込み始めた。仕方なく真紅も、自分の鞄を持って馬車に乗り込もうと、幌をめくって馬車の中を覗いてみた。
「なにこれ!?めちゃめちゃ狭いじゃない!荷物がいっぱい積んであるわよ!」
「わははは。すまぬルビイ。ビッグ・ジョンに馬車を借りたいと申し出たところな、アリャネーで商売をやっている彼の長男、リトル・ジョンに荷物を届けてくれるなら、只で馬車を貸してやるといわれたのじゃ。しかもここまで馬車を返却しにくる必要もなく、長男のリトル・ジョンのところへ置いてくればよい。どうじゃ?悪い条件ではあるまい」ガフンダルが得意げにそう言った。
「で?時給はいくら?」
「へ?」
「だから、時間給いくらで引き受けたのって聞いてるのよ。3ペノン?5ペノン?」
「どういうことじゃ?」
「だって、荷物をアリャネーまで運ぶんでしょ?馬車で。要するに仕事を頼まれたんじゃない?馬車を只で貸してくれるなんて当たり前じゃん、そんなの。ガフンダル、アンタその、ビッグ・ジョンのおっさんにまんまと騙されて、只働きさせられようとしてんのよ」
「あ」
「あ。じゃないっての。ほんとにお人よしなんだから」真紅は心底呆れているようである。
「まあいいじゃないかルビイ。これで俺達も助かるし、ビッグ・ジョンも只で荷物を運べるんだ。お互いいいことなんだから」パイソンが諭すように真紅に言葉をかけると、「ま、パイソンがそういうならいいけどね・・・」と、一発でおとなしくなってしまった。
「まあ、荷物は穀物や豆類らしいから、ちょうどいいクッションになるわい。でもつまみ食いしちゃ駄目だぞ。生だからのう」
「しないわよ」
真紅たちが騒々しく出発の準備をしているのを聞きつけて、町の人々がわさわさとやってきた。真紅がデラスカバリスカ穴ネズミのカピチューを取り戻してやったナデシコが母親を連れている。ナデシコの肩にはカピチューがちょこんと乗り、両手でしっかりと、男の子の人形を抱きしめている。母親が、真紅たちに向かって静かに目礼する。
「ルビイのおねえちゃん。どこかへ行っちゃうの?いっちゃやだ」ナデシコは今にも泣き出しそうになり、駆け出して真紅にしがみつく。肩からカピチューを振り落とそうが、男の子の人形を地面に落とそうがお構いなしであった。
「ねえナデシコちゃん。ルビイのお姉ちゃんは、ちょっとそこらへんまで、悪いやつをやっつけに行くのよ。そして、大勢の人を助けるの。ナデシコちゃんの大切なカピチューを取り返したみたいにね。だから、そんなこと言ってルビイのお姉ちゃんを困らせてはいけないのよ。はい、お人形。かわいそうでしょ。落としたりしちゃあ」ナデシコの様子を見て、既に自分もウルウルしている真紅に代わって、チョントゥーがナデシコをたしなめた。
「そうなの」ナデシコはなんとか聞き分けたようだった。
「たいした人気だな。ルビイさんとやら。このヒマワリちゃんからあんたの話を聞いて、まさか女の子に、ゴメラドワルの輩を打倒するなどという、大それたことができようはずはないと思ったが、あんたならもしかしてやりとげるかもしれんなあ」ヒマワリに車椅子を押してもらって、エヌシーも診療所の軒先まで見送りにやってきた。
「よし。ではそろそろ出発するぞ。御者はワシがやる」ガフンダルはそういって、なにやらブツブツと怪しげな呪文を唱えて、自分の体に粉をパラパラとふりかけ、御者台にあがり、手綱を握った。不思議なことに、ガフンダルには雨粒が当たっていないようだ。ガフンダルに促されて、真紅も馬車の中に乗り込む。
「じゃあ、ヒマワリさんに、ナデシコちゃん。えーっと、それから、エヌシーさんも元気でね」真紅は、勤めて陽気にバイバイと手を振る。入れ替わりに、中からチョントゥーが顔を出して、「ヒマワリ。後のことは頼んだわよ。貴女ならできるからね」と声をかける。
「う。うわかりましたですぅー」と気丈にも答えるヒマワリ。
「さあ行け!」ガフンダルが一声かけると、ヒヒィーンと四頭の馬が一斉にいななき、馬車がゆっくりと走り出した。
「いざ、デラスカパリスカ山脈の麓、アリャネーへ!」
ヒマワリ、ナデシコ、エヌシーに見送られて、真紅たちの乗った馬車は、滝のように降り続く雨の中に消えていった。
最終更新:2009年01月05日 22:30