結局、真紅たちの乗った馬車が、アリャネーの町に到着したのは、8.5ノルゴ(午後5時)を少し回った頃になってしまった。それというのも、真紅がもう、0.00001ノルゴルンゴも馬車に乗っていられないとゴネたからなのである。
真紅が言い出したら聞かない性格であることはわかっているし、予定よりもずいぶん早くアリャネー近郊までやってきたということで、ガフンダルは真紅の申し出を了承した。
その結果、真紅の歩く速度にあわせて、ゆっくりと馬車を走らせることになってしまったのだ。さらに、真紅が歩き出してから5ノルゴルンもすると、チョントゥーやパイソンも歩くと言い出し、すっかり物見遊山の旅のごとくになってしまったのである。ゆっくり走る馬車の周りを3人が取り囲んで歩く様子は、まるで、馬車を入手してからの『ドラゴンクエストIV 導かれし者たち』のパーティのようであった。
アリャネーは、町全体が高い塀で囲まれており、町の中に入るためには、検問所で許可を得ねばならない。
ガフンダルは、真紅たちにしばらく待つように指示し、検問所まで歩いて行って、ビッグ・ジョンから預かった商人用の通行手形を兵隊に見せながら、なにやら身振り手振りで説明していた。おそらく、とてもではないが商人の一行に見えない真紅たちの風体が問題になっているのだろう。
「何か揉めているみたいね。大丈夫かしら?」チョントゥーが心配そうにそう呟いた。
「大体、ワタシ達って、どこから見ても怪しい一団よ。ガフンダルなんて、玉虫色のコート着てるから魔道師であることがバレバレだし、みてよこのパイソンの格好。真っ黒なマント着てるけど、背中にドクロが書いてあるわよ。海賊まるだしジャン。商人として許可してもらうのはムリがあるんじゃないの」
「ちょっと寒くなってきたから。これしか羽織るものがないんだ」パイソンが申し訳なさそうに弁解するが、そう言う真紅は、娘だてらに、腰に短剣をぶら下げているのである。
「いざとなれば、私の医師免許証を見せる手もあるんだけど」
「ま、大丈夫じゃない。なんたって魔法使いなんだから、あのじいちゃん。最後は魔法でなんとかするんじゃない。ほら、見てチョントゥー先生。なんかお金を渡してるわよ。ワイロってヤツよ。あの兵隊、めちゃくちゃ嬉しそうな顔してる。気の毒ね。多分あれは木の葉っぱよ」真紅は、曲がりなりにも、ノルゴリズムきっての大魔道師をつかまえ、狐狸のたぐいになぞらえている。
ややあって、交渉を終えたガフンダルがニコニコしながら戻ってきた。「さあ、許可が下りたぞ。町の中へ入ろう」ガフンダルは、御者台へ戻り、ゆっくりと馬車を発車させる。それに続いて、のたくらと歩き出す真紅、チョントゥー、パイソンの3人であった。
アリャネーの町は、ほとんどの家がドス黒いレンガ造りであった。道路にもレンガが敷き詰められている。山沿いの方には、石造りの建物も多い。また、木々や植物も地味な色をしているので、町全体がなんとなく、どんよりとくすんでいるような印象を受ける。しかし、さすがに町のいたるところににょきにょきと建っているタワーサイロ群は壮観であった。
「すごくいい天気だけど、寒いわね。この辺は内陸地だし、標高も高いからね。後、町全体が寒色系で統一されてるから、よけい寒々としてるわ」チョントゥーはそう言いながら、背負っているリュックの中からチェック模様の毛糸製カーディガンを引っ張り出してきて羽織った。
「ルビイちゃんは寒くないの?セーターがあるから貸してあげるわ」
「ぜんぜん寒くないわよ。まあちょうどいいぐらいね」そう答える真紅の唇は紫色になっている。
「やせ我慢してないで。はい、風邪引くわよ。こっちにいらっしゃい。着せてあげるから」チョントゥーは、そういいながら真紅の腕を取って自分の近くに引き寄せ、セーターを頭にぼそっとかぶせた。真紅は、されるがままになっている。
「ぷはー」セーターの首から顔を出した真紅の表情は、なんとなく嬉しそうである。
「うん。ぴったりね。似合うわよ。ルビイちゃんと私は大体同じぐらいの背格好だから」チョントゥーはニコニコとしながらそう言った。
「でもよぉ。相当胸のところがダブついてるみてえだけどよぉ」よせばいいのに長七郎がいらぬことを言う。
「ふんぎゃぁー」
真紅の二段蹴りが、宙にぷかぷかと浮いていた長七郎の下方向から見事ヒットし、20ノルヤーン(20メートル)ほど上空まで蹴り飛ばされてしまった。
「きゃ」こういった荒事に慣れていないチョントゥーは小さく叫び声をあげたが、ガフンダルなどは、すっかり慣れ切ってしまったのか、何事もなかったようにアリャネーの町についての薀蓄を垂れ始めた。
「アリャネーはデラスカバリスカ山脈でも一、二を争う標高のバリスカ山の麓にある。町自体も標高の高い位置にあり、一年を通じて気温が低く安定しているのに加えて、空気が非常に乾燥しているので、穀物や豆類を始めとする食物の貯蔵に適しているというわけじゃ。それで、ノルゴー大陸中の穀類がいったんここに集まってくる。それで、穀物の町アリャネーと呼ばれているのだね」
「なによ。チョントゥー先生が馬車の中で教えてくれたこととほとんど同じじゃない。なんか他に、お友達に自慢できるようなトリビア知らないの?ガフンダル?」
「な。なにをぉ。ではこれはどうじゃ。この町は何故高い城壁に囲まれているのか?それは、近隣に出没する野盗団や、昔、バリスカ山に巣食っていた伝説の山賊、カーニハン一家から町を守るためだったのだね。今でこそ治安がよくなって、めったにそのような輩は襲撃してこんが、ま、わざわざ壁を取り壊すこともないのでな」
「えー?町をぐるっと高い壁が取り囲んでいれば、普通、外敵の襲来に備えているんだわと想像がつきますけど」チョントゥーまでが、そのようなことを言い出した。
「チョ、チョントゥー殿まで・・・。よぉしわかった。では、このアリャネーにまつわる、とっておきの話をして進ぜようぞ。このことはワシ以外にほとんど知るものとておらん。であるから、めちゃめちゃレアな情報だぞ」ガフンダルはなんとなく照れくさそうに、モジモジとしている。
「なになに?」真紅とチョントゥーは、揃って身を乗り出してきた。
「実は。実は、このアリャネーは、ワシとゲルダが新婚旅行で訪れた場所なのじゃ。ここの豆大福が食いたいなどとぬかしおってな、あれが」
真紅とチョントゥーは、眼をまん丸にして固まっている。
「つ、つまらなかったか?こんな話?」
「うっそぉぉぉぉぉー※%!!♭#」「んぴぎゃぁー○▲×」真紅とチョントゥーが一気に大噴火する。
「すっごぃトリビアじゃん。ガフンダル。で、その旅館どこ?今晩泊まろうよ。思い出の宿に。ね、ね、ガフンダル。宿帳には相合傘描いたの?」真紅がすっかり興奮してそう叫ぶ。
「ガフンダルさん。もしかしてあのその、奥さんとはここで始めて結ばれたんですか?」チョントゥーも顔を真っ赤にしてガフンダルに質問を投げかけてきた。
「なんだなんだお前達は。やはり女性は、かように下世話な話題が好きと見える。そんな、ワシらが宿泊した宿なぞもうないよ。200年以上も前の話だぞ」
「えー。もしもし」
いつの間にか、大騒ぎをしていた真紅たちの周りには人垣ができている。そのなかの一人が、真紅たちに声をかけてきた。
「皆さんはもしかして、ガフンダル様のご一行でいらっしゃいますか。私はリトル・ジョンと申します」男は、ややくぐもった声でそういった。
「いかにも、ワシがガフンダルじゃが。貴公がリトル・ジョン殿かね。父上から話は伝わっておるのかな?」
「はい。本日昼頃、早便にて父からの手紙を受け取っております。遠路はるばるご苦労様でございました。どうぞ我が家へお越しください。食事も準備しておりますので。ゲフフフフ」リトル・ジョンは、口では苦労をねぎらっているが、能面のような顔からは、何の表情も読み取れない。眼にも全く生気というものが感じられなかった。
真紅はリトル・ジョンと名乗った男をしげしげと観察する。
― ちょっとなにこいつ。めちゃめちゃ暗いじゃん。ほんとに商売人なの?普通、商売人がゲフフなんて笑い方しないっての。お客さんが気持ち悪がってみんな逃げちゃうわよ ―
「私の家はすぐそこです。私に付いてきて下さい。ささ、ルビイさん。お待ちしておりましたよ。どうぞ。ゲフフ」その言葉を聞いて、ガフンダルは眼光鋭くリトル・ジョンを睨みつけたが、すぐさまいつもと変わらない表情に戻って、「さあ。リトル・ジョン殿のせっかくの好意じゃ。お言葉に甘えようではないか」と皆を促した。リトル・ジョンの先導で、真紅、上空を長七郎、真紅の後ろに、パイソン、チョントゥーの順で、リトル・ジョンの自宅へと入っていく。ガフンダルは控えていた使用人に馬車を預け、ゆっくりと家の中に入っていった。
真紅たちは、リトル・ジョン宅の20畳ほどもある広いダイニングに通された。部屋の真ん中に大きなテーブルがある。といっても豪華なものではなく、木の肌が丸出しの非常にシンプルなものだ。手作りなのかもしれない。テーブルの上には、いろんな種類のパンを中心に、肉料理や野菜サラダ、果物、川魚の串焼き、湯気を立てているスープなどが所狭しと並べられている。メイドが2人、忙しそうに走り回っていた。
「さ、みなさん。お好きなところにお座りいただいて、どうぞ、そうぞ。お前達、準備が終わったのなら早く下がりなさい。用事があればまた呼ぶからね」
「はは、はい」2人のメイドの眼には、なぜか恐怖の色が浮かんでいる。メイドたちは、ほとんど走るようにして、奥の部屋へ消えていった。
真紅たちは、リトル・ジョンに促されて、それぞれ適当な席に腰をかけた。
「さ、皆さん。どうぞお召し上がりください。特にパンがお勧めですよ。アリャネーのパンの美味しさは皆さんもご存知でしょう?」リトル・ジョンが、台詞の内容と全く合っていない無表情さでそう言った。
― なんか、なりたてホヤホヤの役者みたい。なんだっけ?ニンジン役者?違うな、ブロッコリ役者だっけ?まあなんでもいいわ。とにかく棒読みもいいとこ。たった今、セリフを覚えてきましたって感じよ。ところで、マジ美味しそうなんだけど。このご馳走。食べていいのかな?これ ―
真紅が逡巡していると、「おお、これは美味そうじゃワイ。ではいただくとしようか」とガフンダルがパンに手を伸ばして、むしゃむしゃと食べだした。「うーむ。さすがに美味ですなあ。おや?皆は食べないのか?じゃあワシが全部いただくとしようかのう」
― よし。ガフンダルが食べてんだから大丈夫でしょ。ぶっちゃけおなか空いてるし。ま、なるようにしかならないわね ―
「いっただきまーす」真紅もパンに手を伸ばして、一口食べてみる。
― う。お、美味しゅうございますぅー ―
チョントゥーやパイソンも、ガフンダルと真紅の様子を見て、それぞれ食べ物を口に運び出した。こうなってはもう止らない。あっという間にテーブルの上の食べ物がなくなっていく。
その様子を全くの無表情でぼんやりと眺めていたリトル・ジョンが、また台詞を棒読みし始めた。
「皆さん、大変な食欲でございますね。私も準備した甲斐があったというものです。ところでいかがですか?本日の宿はどこかに取られたのでしょうか?まだであれば是非当家にお泊まりください。お部屋も用意してございますので。グヒヒヒヒ」
― え?ここに泊まるのはやめといた方がいいんじゃないのかなあ。夜中の2時ごろ、ヒヒヒィとか笑いながら、出刃包丁研ぎ出しそうよこの人。ドアを開けたら、ものすごい怖い顔してふりかえりざま、『みぃたぁなぁー』なんてさ ―
「そうですか。それはありがたいですなあ。ちょうど、今夜の宿はどうしようかと考えておったところじゃ。ではお言葉に甘えるとしようか。皆異存はないな?」
― ガフンダル。のんきな人ねこのぉ。でもなんか考えがあるのかなあ。ま、いいや。野宿は嫌だし ―
他の2人も同じようなことを考えたのか、だまってうなずいている。
「さようでございますか。それでは、とっておきのものをお出しいたしましょう。おーい。あれを持ってきてくれ」リトル・ジョンが、奥の部屋に声をかけると、メイドの一人が、グラスの乗った盆を掲げてやってきた。グラスの中には紫色の液体が注がれている。
「これは、このアリャネーでしか口にすることができない、いや、アリャネーの住民でも、一生の間に1回口にできるかどうかという幻の珍味、バリスカ山ザクロのジュースでございますよ」
「まあ!バリスカ山ザクロ!?一口飲んだら、ほっぺが落ちて二度と顔に戻せないほど美味しいといわれている、あのバリスカ山ザクロのジュースなの?」グルメなチョントゥーは、思わず叫んでしまった。
「ゲフフフフ、グフフフフ。さようでございます。是非ご賞味ください。もう二度と口にできないかもしれませんよ。ガフフフフ」
リトル・ジョンはさらに妖怪じみてきたが、そんなことはもうどうでもよく、真紅の頭はその幻のジュースに対する好奇心で一杯になっていた。グラスを取って、口に近づけてみると、えもいえぬ甘い、いい香りがする。真紅が、思い切って口を付けようとした刹那、頭の中に誰かの声が響き渡った。
― ルビイよ。ルビイ、聞こえるか? ―
― だ、だれ? ―
― ワシじゃよ。ガフンダルじゃ。ワシは今お前さんの頭に直接メッセージを送っておる。よいか、口に出して喋ってはいかんぞ。思うだけでよいのじゃ ―
― わかったわ。これってテレパシーってやつね ―
― チョントゥー殿とパイソンにもメッセージを送ってみたが反応せん。さすがじゃのう。勇者ルビイ ―
― そんなことどうでもいいって。で?何なの? ―
― おおそうじゃ。ルビイよ。そのジュースを飲んではならんぞ。ちょっと隠し味があるようなのでな ―
― 隠し味?ふーん。もしかして眠くなる成分が大量に入ってるとか? ―
― ふふん。鋭いのう。その通りじゃ。このリトル・ジョンという男、まともな奴ではないぞ ―
― それはなんとなくわかるけど ―
― あの男、お前さんをルビイと呼んだであろう?ワシはビッグ・ジョンに自分の名前こそ告げたが、他の者の名前は一切彼に伝えておらんのじゃ。当然お前さんの名前もな ―
― てことは、この気持ち悪い人が、ワタシの名前なんて知ってるはずがないってわけね ―
― うむ。ゴメラドワルの一味でもない限りはのう。よいかルビイ。一応ジュースを飲んだふりをして、ついでに『あーあ。眠くなっちゃた』などとシバイをぶちかましてくれ。とにかくあやつの術中にはまったことにして、出方を見ようぞ ―
― わかった ―
真紅は、ちょっと勿体ないなと思いつつ、リトル・ジョンの隙を見て、グラスの中身を半分ほど床にこぼして、「んきゃーぁ。チョーオイシー!」と嬌声を上げた。リトル・ジョンの死んだ鯖のような眼に、一瞬、不気味な光が宿る。
― 我ながらクサいシバイ! ―
「あれ?なんか眠たくなってきちゃった」さらに芝居を続ける真紅。一世一代の大あくびをぶちかます。
「そうよね。私も眠たくなって来ちゃったわ。なにせ、ほとんど1日馬車の中だったじゃない。疲れたわ」
「実は俺ももう休みたい」
真紅がぶちかました大あくびにつられたのか、チョントゥーやパイソンも同じようなことを言い出した。
「さようでございますか。さようでございますか。ゲフフ、ゲフフフ。それでは寝室にご案内いたしましょう。お一人様一部屋づつ準備させていただいておりますから、ゆっくりお休みになれると思いますですよ。深い、ふかぁーい眠りでございます。ゲフフフ」
― バカ丸出しね、こいつ ―
真紅たちは、リトル・ジョンに誘導され、それぞれ別の部屋に通された。
部屋に通された真紅は、一人つくねんとしてベッドに腰掛けていた。
― ふーん。気持ちよさそうなベッドね。もしこんな状況じゃなきゃ、よく眠れるだろうなあ。さて、これからどうするかな。そうだ、よぉーし ―
真紅は、毛布をくるくるっと丸めてシーツの中に潜り込ませ、さも人間が寝ているような形にしてから、部屋のランプを吹き消す。そして、ドアの真横に、ホリハレコンの短剣の柄を握り締めて立った。
― なんか、昔の映画やドラマであったよね。こんなシーン。こんなんで騙されるようなら、ホンモノのバカだけど・・・ ―
そのままの状態で、10ノルゴルン(20分)ほどが経過した頃、ガチャガチャと鍵を開ける音、ついで、ドアのノブがカチっと回される音がした。
― マジ来たわよ!嗚呼、ルビイちゃんの運命やいかに。なぁーんてね ―
そのままドアがゆっくりと開いて、黒いフードを頭から被った人影が、部屋の中にスっと滑り込んできたのである。
最終更新:2009年01月07日 08:33