「見て。あれ外の光じゃない」真紅が洞窟の先を指差しながら叫んだ。

真紅たち一行は、卑怯卑劣なノームナイトを暗黒の地下大河にぶち込んで、最後の部屋を攻略し、意気揚々と歩を進めてきたのである。そして、とうとう外の光が見えてくるところまで到着したのであった。

「おう確かに。あれは紛れもなく外界の光。そうか。とうとう我々は地下大洞窟を踏破したということじゃな。なんとなく現実のこととは思えぬワイ。なにせ、いままであの大賢者ルートッシしか踏破したことがないのじゃよ、『超難関クイズコース』は。これもすべて、健一郎殿のおかげじゃのう」ガフンダルは、また例の、無精ひげを指でスリスリする癖を出している。どうやら、なにかにいたく感銘を受けたときに、その癖が出るようだ。

「パパのおかげもあるけど、やっぱパイソンでしょ。ねえパイソォン」真紅は部屋から出てからもずっとパイソンの腕にしがみついていた。

真紅、ガフンダル、パイソンの3人は、非常にさわやかな表情をしていたが、ひとりチョントゥーだけは表情が暗かった。

「どしたの?チョントゥー先生。なんか暗いわよ」真紅が心配そうにチョントゥーの顔を覗き込みながらたずねた。

「そりゃあ暗くもなるわよ。だって、地下大洞窟を出れば、バクーハンはもう目と鼻の先よ。バクーハンに着いたら、皆とはお別れねと思って・・・」チョントゥーが悲しそうにいった。

「そうだよね・・・」真紅の表情が、夏の夕立時のように、にわかにかき曇った。既に眼にうっすら涙を溜めている。この感情の起伏があまりにも激しいところが彼女の弱点でもあり長所でもあった。

「さあ。真紅ちゃん。そんな悲しそうな顔しないの。人間はね。いろんな人との出会いと別れを繰り返しながら成長していくものなのよ。さあ。もうすぐ外に出るわよ。でも、いきなり太陽を見ちゃダメよ。多分もう夕方で日差しはきつくないと思うけど、私たちずーっと陽の光が差さない地下にいたんだからね。モグラみたいなものだから」

「はーい」

真紅たち一行が無事地下大洞窟から出て、デラスカバリスカ北部、バクー山の斜面に立ったのは、ガフンダルの計測によると、おおよそ8.5ノルゴ(午後5時)頃であった。地下大洞窟に突入したのが朝の3.5ノルゴ(午前7時)頃であったから、なんと5ノルゴ(10時間)でデラスカバリスカ山脈を踏破したことになる。

バクー山は、なだらかな斜面と、豊富な森林で、ノルゴー大陸屈指の観光スポットとなっている。既にあちらこちらで紅葉が始まっており、まさに絶景であった。地下大洞窟から出て、5ノルゴルンも山道を踏み分けながら歩くと、バクー山の山歩きコースに出た。

「さあ、ここまでくれば、バクーハンの町も眼と鼻の先よ」チョントゥーは、皆が沈んだ雰囲気にならないよう、つとめて明るく振舞っていた。

「ルビイちゃん。バクーハンにも、おいしい食べ物がたくさんあるわよ。アリャネーでは、ダークナイトのおかげでさんざんだったものね」

「一年中を通して穏やかな気候で、なだらかな斜面を持つバクー山では、牧畜業が盛んなのじゃ。バクーハンの住民の8割が、何らかの形で牧畜業に携わっておるぞ。であるから、やはり名産といえば、牛肉、羊肉、そして乳製品かのう。それから、宿泊施設も豊富にあるわい。それというのも、ノルゴー大陸屈指の巨峰、バリスカ山も、北東面はあまり険しくなくてな。登山には絶好なのじゃ。バクーハンには、年中登山客が訪れておるというわけじゃ」ガフンダルが、観光会社の回し者のようなことを言っている。

バクーハンに向けて山歩きコースを歩いていると、何人かの人とすれ違った。どちらかといえば年配者が多い。

― ふーん。やっぱりどこの世界でもこういったところを散歩するのはお年寄りが多いってことか。でもちょっと多すぎない?じいさんばあさんばっかりよ。もしかして、ノルゴー大陸いち、平均年齢が高いご長寿町ってやつ? ―

お年寄りは皆一様に丁寧な挨拶をしてくるので、真紅などはかえって恐縮してしまった。しかし、もう夕暮れ近くなってきているからなのか、すれ違う人はまばらになってきた。真紅たちと同じく、バクーハンの町の方向へ歩いている人の数が圧倒的に多くなっている。

「あ、ちょっと待ってて。ごめんなさい」そういって、チョントゥーは道端に走っていき、草を摘みだした。

「ねえ、何やってんの?チョントゥー先生。押し花でも作るの?」真紅もチョントゥーの近くへ駆け寄って、チョントゥーに話しかけた。

「ごめんなさい。この山歩きコースはね。別名『薬の道』って呼ばれてて、あちこちに薬草が群生しているのよ。ほら、この草なんかは、すり潰して飲むと、下痢に効くの。それからこっちの草はね・・・。あっ、あんなものまで生えてるわ。あれはね、痛み止めの薬として重宝されているんだけど、量を間違うと頭がおかしくなっちゃうのよ。幻覚が見えたりするの」チョントゥーが薬草の解説を始めた。

― なあるほど。道理でお年寄りが多いわけね。みんな薬草を摘みに来てたのよ ―

「よし。これぐらいでいいかな。またいつでも摘みに来れるんだし。さあ、行きましょう」チョントゥーと真紅が合流し、また揃って歩き出した。

バクーハンの町に到着したのは、9ノルゴ(午後6時)を少し回った頃であった。既に空は暗くなりかけていた。飲食店や宿泊施設にちらほらと明かりが灯りだしている。

「あ。あそこよ。あの『バクーハン医療センター』あそこが私の次の職場」と、チョントゥーが指差した先には、木造の古ぼけた建物があった。ちょうど、ニュースに時折姿を現す、老朽化した小学校の旧校舎のようであった。

「だいぶ古ぼけてるわねえ。しょうがないわ。ここは内陸部の田舎町ですもんね。スタッフも全然少ないんだろうなあ。ま、でもその方がやりがいがあるってもんだわ」チョントゥーは既に腕まくりをしている。

「じゃあ私はここで。ねえガフンダルさん。明日は何時ごろ出発の予定なんですか?」

「そうさなあ。朝の4ノルゴ(8時)頃に出立できればと思っておるのじゃがな」

「わかりました。じゃあ私もその頃、お見送りに出てきますから。じゃあ、ルビイちゃん、パイソン君。また明日ね。今夜はゆっくりお休みなさい」

「はい」真紅は、ゾンビのように元気のない声で答えた。

チョントゥーと別れた真紅たちは、今夜宿泊する宿を物色していた。

「ねえガフンダル、この際五つ星の一流ホテルに泊まりましょうよ。どうせガフンダルが持ってるお金なんて、葉っぱが化けたヤツでしょ」真紅は相変わらず不機嫌であった。

「人聞きの悪いことをいってはならんぞ。ちゃんとしたお金だよ。ワシのポケットマネーってやつじゃ。まあ、物入りのときは、業突く張りの金持ちの金庫から、ちと借用したりするがのう」

「ほら」

「いずれにせよこの田舎町のことじゃから、立派なホテルなど望むべくもないことじゃ。よし、ここでいいか」ガフンダルが、小さいけれども、わりと小奇麗な旅館を見つけて、ずんずんと入っていくので、真紅たちもそれに続く。

「いらっしゃいませ。お3人さんで。お部屋はどうなさいますか?」旅館の従業員らしい男が真紅たちに声をかける。

「そうさな。二部屋空きがあるかな?」

「はい。ちょうど開いてございますよ。バクー山の紅葉がよく見えるお2階の部屋が二つ。といってももう暗くなってまいりましたのであれなのでございますが。朝の景色は見ものでございますとも」

― よく喋る男。ワタシたち、観光に来たわけじゃないから、なんだっていいわよ。疲れた。早く寝たい ―

「それではお世話になりましょうかな。ん?はい、一泊だけで結構じゃ。ルビイよ、ほれお前の部屋の鍵じゃ。ワシとパイソンは一緒の部屋に寝る。では行こうか」

「2階の突き当たりのお部屋と、その手前のお部屋でございますよ。お食事は1階の大食堂でどうぞ。バイキング形式になっておりますので。朝食も同じでございます。それではごゆっくりどうぞ」従業員が深々とお辞儀をする。

部屋の前に到着すると、真紅は乱暴にドアを開け、何もいわずに部屋の中へ入り、バタンと扉を閉めてしまった。

「やれやれ、相当ご機嫌斜めとみゆるのう」

ガフンダルが嘆息すると、急にまた扉が開いた。

「これも持ってってよ」と真紅がVAIOを乱暴に放り投げた。パイソンが慌ててキャッチする。そして、またバタンと扉が閉まった。

「ふぅー。ではパイソン。我々も部屋に入って、しばしの間くつろぐとするかの」

「はい」

それから30ノルゴルン(1時間)ほどたった頃、ガフンダルとパイソンは大食堂にいた。二人の前には、思い思いの料理を盛り付けてきた皿が置いてある。二人は、時折会話を交わす程度で、黙々と料理を口に運んでいる。

「うーむ。肉類はさすがに美味だのう」ガフンダルがボソッと呟く。

「肉は確かにうまいけど、俺はこの川魚が口に合わないよ。生臭くて食えたものじゃない」と、パイソン。

「そうじゃな。パイソンは海の男じゃからなあ」

そしてまた長い沈黙。

「一体全体、真紅はどうしたのじゃろうか?食事をせぬつもりかな?」ガフンダルのその言葉を待っていたかのように、パイソンは椅子から立ち上がった。「俺、様子を見てくる!」

「まあ待て。お前さんがルビイのことを心配する気持ちはわかるが、声をかけたところで、『ほっといてヨォ』とかなんとか叫びざま、枕かなんかが飛んでくるのがオチじゃぞ。あの娘の気性からしてな。今夜はそっとしておいてやれ」

「わかった」

「時に、健一郎、じゃなくて今は長七郎か?彼はどこへいったのじゃろう。確か、ここへくるとき一緒につれてきて、このあたりに置いていたはずなのだが」ガフンダルがキョロキョロとテーブルの周囲を見回してみたが、VAIOの姿はなかった。ではどこにいるのかというと、真紅の部屋にいたのである。

「ルビイや。大丈夫かいルビイ」健一郎がしきりに真紅に話しかけている。真紅はシーツを頭からひっかぶって、全く反応しない。

「やい!健一郎。今はてめえの出番じゃねえんだよ。すっこんでな!」今度は長七郎に切り替わった。

「な、なにを言うか。ルビイは私の娘だぞ。娘がこのように落ち込んでいるというのに、親として放っておけるか!」

「ここはな、この長七郎さんが、優しくルビイを慰める『ルビイ・サーガ』屈指の名場面なんでぃ!親だかホヤだかしらねえけど、でしゃばるんじゃねえ!」

「なにを貴様!」

「でえてえ、てめえは勝手にオイラの体の中に入り込んできた居候じゃねえかよ!家賃払え家賃!なあルビイ?」

「もううるさいわね!ほっといてヨォ!」

バフッ



「でぇぇぇぇぇー」



哀れ、健一郎と長七郎の多重人格パソコンは、枕でもって、床にはたき落とされてしまったのであった。

翌朝。真紅たちは、火の山を目指すべく、バクーハンの町外れに立っていた。真紅は眼を真っ赤に腫らしている。そして、朝からまだ一言も発していない。

前日の約束通り、チョントゥーが見送りに来ていた。

「じゃあみなさん。くれぐれも気をつけてくださいね。ルビイちゃん。それからパイソン君。あまり無茶なことしちゃだめよ」

「チョントゥー先生は俺の命の恩人だ。このお礼はいつかきっとさせてもらうよ。攻撃を受けたら倍返し、恩を受けたら16倍返しというのが、クラック家の家訓だから」パイソンが言った。

「そんなこと気にしなくていいのよ。それより、しっかりルビイちゃんを守ってあげてね」

「はい。チョントゥー先生」

「それからね。おにぎりを作ったのよ。道中おなかがすいたら食べてちょうだい。中に、火トカゲの尻尾の黒焼きを粉末にしたものが混ぜ込んであるから、疲労回復間違いなしよ」と言って、チョントゥーは真紅に袋を手渡す。ここに来て、とうとう真紅の感情のダムが決壊してしまった。真紅は泣きながらチョントゥーにしがみつく。

「チョントゥー先生!私たちと一緒に来てよ。私たちにはまだチョントゥー先生の力が必要よ。パイソンの怪我だって治りきってないし、ワタシはおっちょこちょいだからすぐに怪我をするかもしれないし、それから、それから・・・」

「ルビイちゃん」チョントゥーは、真紅の両肩にそっと手を置いて、優しく諭すように話し始めた。

「人にはね。それぞれ果たすべき使命があるのよ。ルビイちゃんは、それはそれは大きな使命を担ってるわよね。私なんて、ルビイちゃんの使命に比べたらたいしたことないけど、病気で苦しんでいる人たちを少しでも楽にしてあげる使命があるのよ。悲しくても辛くても、その使命を果たさなくてはいけないの。だから私は、ルビイちゃんたちと一緒には行けない。わかるわね」

真紅はまだしゃくりあげていたが、小さくこくりとうなずいた。

「じゃあ。ガフンダルさん」

チョントゥーに声をかけられて、ガフンダルは大きくうなずき、南西の方向を指し示した。

「見よ。あの草木が一本もない灰色の山を。あれこそ我らの第一の目的地である火の山じゃ!あの山に住まう、伝説の大賢者、ルートッシ・モデンナに逢ってからが、我々の旅の始まりといっても過言ではないのじゃ」

真紅とパイソンは、ガフンダルが指差した先にある火の山に眼を向けた。

「では、行くぞ!」


最終更新:2009年01月22日 19:50