パスカルの隊商は、順調に街道を東へ東へと走っていた。周囲はそろそろ日が暮れて、薄暗くなってきている。

「もうそろそろ中間地点のヨコロテ村が見えてくる頃です。昼休みに少し時間をとりすぎて、予定よりは若干遅れていますが、真っ暗になる前には到着できるでしょう」パスカルは娘達の結婚問題に解決の糸口が見えてきたので、非常に上機嫌であった。

「ヨコロテは、名前こそ村ですが、ゲドナンとバクーハンを結ぶ街道のほぼ中央に位置している関係上、我々のような商人が多く訪れます。ですので非常に賑やかですよ。まあ特産品はありませんが、しょっちゅう大規模な市が催されています」パスカルは頼まれもしないのに、ヨコロテの見所をガフンダルたちに教えている。

「おっと。こんなことをご隠居に申し上げても、釈迦に説法でしたかなあ。んはははは」パスカルはどこまでも上機嫌である。

「いえいえ、この年寄りなどはほれ、居酒屋『すすめパイレーツ』などを切り盛りしておりましたものですゆえ、ゲドナンより外にでるなどということはあなた。息子に店を譲って隠居しましたればこの通り足が悪くなりまして、ひとりではどこへ出かけることも叶いません。この度のバクーハン行きが、ほとんど人生初の遠出というような次第でしてなあ。ああヨボヨボ」

さすがはガフンダル。パイソンがアドリブで口にした身の上話を覚えており、口裏を合わせたりしている。

この場に真紅がいれば、<ふん。意味ないじゃん。そんなとこでパイソンの口からでまかせを裏付けたってさあ>と、心の中で毒づくところであったが、幸いなことに真紅はパスカルやガフンダルと共にはいなかった。彼女はまたパイソンと馬に乗っていたのである。しかも今度は真紅が馬を操っていた。真紅にとって、馬に乗るのは生まれて初めての経験である。後ろからパイソンがたずなを取ってサポートしてくれているにしても、初めての割には格好はついていた。馬はとりあえず、まっすぐ走っている。

だが、真紅は馬上で完全に硬直していた。何しろものすごいスピードが出ていたのである。初心者にはあまりにあんまりな速度の恐怖で、ガチンガチンになっていたのであった。それというのも、旅慣れている隊商たちの馬車が、思いのほかスピードを出していたからだ。初心者だからと、ぱっころぱっころ走っていてはあっという間に置いて行かれてしまう。現に後ろのほうからついていくのが精一杯である。

「ちょっとピアソン、お願いだから話しかけないでくれる。今取り込み中なんだからね」

「俺は何も話しかけてないぞ」

「なんか話しかけてよぉ。怖いんだからさぁ!」

「何をワケのわからんことを言ってるんだ?もうすぐヨコロテに着くはずだから、それまでなんとか頑張れよ……ん?」

「どうしたのよ?」

「おいウビイ、あれを見てみろ!」パイソンが進行方向を指差しながら叫んだ!

「見てるヒマない!だって眼つぶってるんだもん」

「な!?なにぃー?止まれ!どうどう!」パイソンはたずなを思い切り引いた。驚いた馬が急停止する。真紅の体が、慣性で馬の首に叩きつけられた。

「いったぁー!なにすんのよ!?」

「いいからあれを見てみろ!」パイソンの指差した空には、もうもうと煙が立ち昇っていた。よく見ると、その下の地面から、5本も6本も煙の柱があった。

「え?なにあれ」

「火事じゃないかな。あの方角にあるのはヨコロテ…」パイソンの声が1オクターブ低くなった。

前方では本隊も停車し、皆馬車の外に出て、煙が立ち上る方向を見ながらガヤガヤとやっている。パイソンはゆっくりと馬を進め、本隊と合流した。

「あれは、ヨコロテの方角じゃないのかい?パスカルさん」パイソンは馬を降り、真紅が降りるのを手伝いながらそういった。

「その通り。ヨコロテの村で火事が発生しているようです。しかも建物一軒だけの火事ではなさそうだ。村のあちらこちらから火の手が上がっている…」とパスカルが答えた。先ほどまでの上機嫌はどこへやら、顔からは血の気が失せていた。

「パスカル殿は、ヨコロテの村が盗賊団の襲撃を受けたのではないかと予測されておられる。ワシも同じ意見じゃ」ガフンダルが補足した。

「今夜は街道を少し離れたところにて野営し、そのまま明日朝直接ゲドナンに向けて発つ。今ヨコロテに近づくのは危険だ」パスカルが皆に説明する。

「そうですな。それが賢明でありましょう。といってもこのあたりは一面の草原ですから、可能な限り起伏の多いところを探す必要がありますのう」ガフンダルは、パスカルの方針を大筋で認めているようだ。

「おおそれは勿論です」

「さらに、今宵は暖かいものを食べることができませぬなあ。火を焚くことができませぬゆえ」

「それはいたしかたありませんなあ。こういうときのために保存食は準備しておりますから、ひもじい思いだけは避けられましょう」

「見張りは一晩中欠かせませんぞ。というか、一晩中寝ている暇はないのではありませぬか。見張りを立てたところで、我々と盗賊団で、どちらが相手を発見する確率が高いかというと、盗賊団でありましょう。寝ているところに夜襲をかけられたら、我々は全滅です」ガフンダルの追及はとどまるところをしらない。パスカルの意見に賛成なのか反対なのかさっぱりわからなくなってきた。

「うーむ。それは……」パスカルが言葉に詰まった。

「ふむ。どうしたものですかいのう。ああヨボヨボ」ガフンダルはそういいつつ、真紅の方をチラチラと見ている。

ここに及んで、真紅の『トラブルを招来しないように、あまりでしゃばってはいけないわダム』が決壊した。

「ワタシはヨコロテ村へいく!」真紅は、右手を高々と上げて叫んだ。というか叫んでしまった。ガフンダルは、無精ひげを撫でる得意のポーズでウンウンうなずいているし、パイソンはニヤニヤとしていたが、パスカル始め、隊商のメンバーは全員眼が点になっていた。

「だって、盗賊に苛められている人がいるかもしれないのよ!」

「ちょ、ちょっと待ってください若奥さん」真紅のあまりにも衝撃的な発言に、パスカルの声は裏返ってしまっている。

<わ、若奥さん?だれですかそれ?ワタシのこと?>

「若奥さん、無茶をいってはいけませんよ。そんなところへノコノコでかけたら、あなたもも盗賊に苛められてしまうじゃありませんか!」

「フォフォフォ。そうとも限りませんぞパスカル殿」ガフンダルが横から話に割り込んできた。「このピアソンとウビイは、ただの居酒屋の跡取り夫婦とはワケが違いますのじゃ」

「と、申しますと?」

「筋金入りのバイオレンスですじゃ」

パッコーン!

反射的に真紅がガフンダルの後ろ頭を平手で張った。今までで一番よい音が、澄み切った空に響き渡った。

「な、なんて子なの?義理のおじいちゃんの頭をスイカみたいに張り飛ばすなんて!」エイダは真剣に怒って、真紅に詰め寄った。

「まあまあエイダさん。これは我が一族のリクリエーションのようなものでな。たまに脳震盪を起こしたが如くなるのが玉に瑕じゃが、まあ適度な刺激を脳に与えるのも、ボケ防止に繋がるというものです」

「まああきれた…」エイダは手で口を押さえて絶句した。

「わかりました。リクリエーションだかなんだか知りませんが、あなた方がどうしてもヨコロテ村へ行くとおっしゃるならば止めはいたしませんよ。ではここでお互い別行動ということになりますかな。我々は安全なところを探して野営します。おおそうだ。娘達の問題にある程度解決案をご提示いただいたお礼に、小さめの馬車を1台進呈いたしましょう。馬も馬車もなしで放りだすのも寝覚めが悪うございますからな。もし万が一、万が一にもですよ、あなた方が無事であれば、コーノイケの店まで返しに来てください。あまり期待はしていませんがね」パスカルのものいいは、態度こそ慇懃であったが、嫌というほど毒気を含んでいる。

「これはしたり。お言葉を返すようですが、寝覚めが悪いのはこちらのほうでございましてなぁ」ガフンダルは、今までのヨボヨボスタイルから打って変わったように毅然とした態度でそういった。

「俺達は、ここで別れるべきではないと思う。パスカルさんたちが盗賊に遭遇する可能性もないわけじゃない。もしそうなったら……」パイソンが、ガフンダルの意図を汲んで話を続けた。

「そうよ。もしあなたたちが盗賊に見つかったら、こういっちゃ悪いけど、ゼンメツしちゃうわよ!」真紅がとどめを刺した。

「ほう。ではなんですか?あなた方と行動を共にすれば我々は助かると、こうおっしゃるわけですか?ただの居酒屋のご隠居と跡継ぎ夫婦といっしょなら?冗談もほどほどにしてくださいよ。は、ははは」パスカルは、もう馬鹿馬鹿しくて話にならないといった様子である。

ガフンダルは、パスカルがじゃべっている間何やら瞑目していたが、突然カッと眼を見開き、パスカルを睨みつけた。「なっ?」驚いたパスカルは、思わず一歩引く。

ガフンダルは、何やらブツブツと呪文のようなものを唱えていたかと思うと、こうもり傘を天に向かって突き上げた。こうもり傘の先に炎の塊が出現し、見る見る直径1ノルヤーン(1メートル)ほどの大きさの塊になった。
「フンッ」気合と共にこうもり傘を振ると、炎の固まりは傘の先端を離れ、ものすごいスピードで、土手の斜面に激突した。

ドッゴォォォォーン!



耳を劈くような轟音がして、土煙が舞い上がったかと思うと、土手の土が大きく抉り取られていた。

「ふーん。やるわね。ガフンダル」

「はん。あんなもの、コケおどしじゃよ」

パスカル達は、眼をまん丸に見開いて、土が抉り取られた跡を見つめている。

「今まで隠していてあいすまなんだのじゃが、ワシはガフンダルと申すのじゃ」

「ガ、ガフンダルゥ?『玉虫色のガフンダル』か?」パスカルはその名前を聞いて、完全に硬直してしまった。

「さよう。どうやらワシの名をご存知とみゆるな。では話が早い」

「知っているも何も、このノルゴー大陸で、あなたの名前を知らない者などいないよ」パスカルがそういうのを聞いて、ガフンダルはまんざらでもない様子だ。

「我々は、ある目的のために旅を続けておる。この2人の素性は明かせぬが、こうしてワシと行動を共にしておるわけじゃから、まあ普通の居酒屋の跡取り夫婦でないことはおわかりだろう?」

パスカルは、まじまじと真紅とパイソンを見比べた。パイソンは照れくさくなったのか、ポリポリと鼻の頭を掻いている。

「そのようなわけで、パスカル殿。我々と行動を共にしてくれるな?絶対にその方が貴殿たちにとって安全なのじゃ。ビャーネ神の御名にかけて、貴殿たちの命は、我らが守ると約束しよう」

「わかりました。我らの命『玉虫色のガフンダル』殿に預けさせていただきます」パスカルは不承不承、ガフンダルの申し出を受け入れた。

「さあ、時が移る。暗くなる前にヨコロテ村へ入ろう」ガフンダルがそういうと、パスカル達はそれぞり馬車に戻り、あるものは馬に騎乗して出発の準備をする。

馬車に戻り際、ガフンダルは、真紅と共に馬に乗ったパイソンに小さな声でささやいた。

「パイソンよ。盗賊たちと相対したとき、おぬしの父上の名を借りるかもしれぬよ。それが手っ取り早くきゃつらを抑える方法だと思うでな」

パイソンは黙って、コクリとひとつうなずいた。

「よーし、皆準備はよいか!では、しゅっぱぁーつ!」

ガフンダルの号令と共に、隊商はゆっくりとヨコロテ村へ向けて動き出した。真紅はといえば、既にパイソンの背中で、スヤスヤと寝息を立てていたのである。


竜の都(6)に続く
最終更新:2009年02月09日 12:30