真紅はとことん疲れていた。

なぜならば、3姉妹の質問攻撃にたっぷりと半ノルゴ(1時間)さらされ続けたからだ。

さすがに、オーブのことやゴメラドワルのこと、そしてパイソンの複雑な家庭事情を話するわけにもいかず、そもそも真紅がこの世界に来たこと自体、説明することができないので、いきおい作り話をすることになる。そうすると、細かいところで論理的に破綻し、聡い娘達から、その破綻部分をチクチクとつつきまわされる。その破綻を繕うべくさらに嘘を積み重ねるという、金融庁にめっこをつけられた銀行のような状態になり、そういったことに慣れていない真紅は、本当に気分が悪くなってしまったのだ。

真紅を助けたのは長七郎であった。長七郎が発言すると、3姉妹の興味は、すっかりべらんめえ調でしゃべる不思議な箱に移ってしまった。

「娘さんたち、オイラがルビイの替わりに色々と話を聞かせてやるぜ。最近とんと出番が少なかったしよぉ」

今頃は、適当に話をジェネレートして、3姉妹の相手をしてくれているであろう。そして真紅はというと、馬車の中でウンウン唸りながら寝込んでしまっていた。傍らにはパスカルの妻エイダが座って看病している。

この度の真紅のかく乱は、後日『知恵熱』と呼ばれることになる。

「ごめんなさいねルビイさん。娘達は他人様の色恋に興味津々だからねえ。まあそういう年頃だから仕方ないわ」冷たいお絞りを真紅の頭に乗せてやりながら、エイダはしきりに真紅に謝罪していた。

「あなたは、私たち凡人には想像もつかない運命を持っているようだから、そりゃあ色んなことがあるでしょう。でも頑張りなさいね。負けちゃダメよ」エイダは真紅の頭を優しく撫でる。

<ワタシも、1週間前まではただの凡人だったんだけどなあ。なんでこんなことになっちゃったのかしらね>

思わず真紅は自問自答してみる。

<ところで、エイダさんの手も女の人だから優しくて、撫でられるとそれなりに気持ちが落ち着くけど、チョントゥー先生には負けるわね。チョントゥー先生に撫でてもらうと本当に安心するもん。お医者さんだからかなぁ。ジンカクシャだってこと?インドとかに手で触れるだけで病気を治しちゃう人がいるらしいけど、人間には本当にそういう力があるのかも…>

と、真紅が妙なことを考えていると、なにやら表が騒がしくなってきた。馬のいななきなども聞こえてくる。パイソンたちが戻ったのかもしれない。

「あら、ガフンダルさんたち、帰ってきたみたいよ」エイダが幌を開けて外の様子を覗きながらいった。

「エイダさん。ワタシを起こしてください。お出迎えしなきゃ」

「あんまり無理しないほうがいいんじゃない?そう?あなたがそういうんなら仕方ないわね」エイダは真紅を優しく抱き起こした。

真紅が馬車の外に出ると、外はもうすっかり暗くなっていた。

ガフンダルとパスカルは、何事か話し込んでいる。パイソンが馬の傍で所在なげにしていたので、真紅は彼に話しかけた。

「ねえパイソン、どうだった?」

「まあ、連中はほとんどアジトへ向け出立してて、村にはほんの下っ端が数人しか残ってなかったよ」そういってパイソンは馬の後ろを指し示した。

馬車には荷車が繋がれており、荷台には、3人の男が体を縛られ、猿轡のようなものをかまされて転がっていた。3人とも、体中痣だらけになって、ウンウン唸っている。

「こいつらだれ?」

「ガフンダルの発案で、モジラ山のアジトを案内させようと連れてきた。聞くところによると、あちこちにトラップが仕掛けられてるみたいだから」

「ふーん。なんで3人も連れてきたの?」

「アジトの全容を抑えている人間がいないのさ、下っ端には。なかなかの策士みたいだよ。トムキャットって新しい首領は…」

「ふん!そんなの、策士じゃなくて、自分の部下のことを信じられない、ケツの穴の小さいヤツっていうんじゃない」体調があまり良くないこともあって、真紅は非常に不機嫌であった。

「ルビイのいうとおりじゃ。こやつら下っ端の話を総合すると、相当な恐怖政治になっておるようだぞ。恐怖で人を支配しているというやつだ。しかしおそらく長くは続くまいよ、トムキャットの専制も。勇者ルビイが出馬したとあってはのう。フォフォフォ」ガフンダルは上機嫌で、もうトムキャットを討ち取ったようなことをいっている。

「パイソン。アナタも手荒なコトするわね。やっぱ海賊の息子ね」

「なにが?こいつらほとんど抵抗せずに投降してきたから、手荒な真似はしてないよ」

「だって、体中痣だらけじゃん、この人たち」

「ああ、それは、ヨコロテ村で調達したこの荷車のサスペンションが最悪だったから…。とにかくぶっ飛ばしたからさ」

「余計カワイソウじゃん!無抵抗で降参したのにサ」真紅は呆れたようにいった。彼女は、たとえ敵の立場であったとしても、弱い者が不当に貶められることに対して義憤を感じるタイプのようだ。なかなか魅力的な性質といえる。

「ガフンダル、ちょっと気になることがあるんだ」パイソンは、表情をやや曇らせて、上機嫌なガフンダルに話しかけた。

「なんじゃな?ンフッ」ガフンダルは何が嬉しいのか、まだニヤついている。

「ヨコロテ村は、本当に何もないところだ。宿屋が立ち並ぶ一角はまあまあ賑やかだけど、他はみな質素な生活をしている。盗賊たちが襲う理由がないんだ。食料の貯蔵が底をつくような季節でもないし…。それに、本体が引き上げて下っ端が数人しか残っていないのも怪しい。下っ端たちの話では、俺達が到着する1ノルゴ(2時間)ほど前にモジラ山へ向けて発ったという。すると、夜中に移動するということになる。なぜヨコロテ村で一泊しなかったのか…」

「なるほど。ではパイソンはこういいたいわけじゃな。『これは、我々をモジラ山のアジトにおびき寄せる罠だ』と」

「そうだよ」パイソンは、わが意を得たりというようにうなずいた。

「ワシから付け加えさせていただくと、彼らは我々の動向を熟知しているかのように動いている。バクーハンの街からここまで、盗賊の斥候らしき人影を見たかね?さよう。それらしき者の姿を見かけるようなことはなかった。普通に考えれば我々の動向を知る術がないはずじゃ」ガフンダルはそこでいったん話を切り、真紅とパイソンを順番に見た。

「ゴメラドワルね!また出やがったってやつ?」真紅がパンっと両の手のひらを打ち合わせて叫んだ。

「さよう。高次元から我々の動きを遠視できる力の持ち主でなければそれは叶わぬことじゃ。そのような力を持っているもので、我々に敵対するとなれば、もはやゴメラドワルしか考えようがないのじゃ」ガフンダルは顎の無精ひげをものすごい勢いで撫ではじめた。

「下っ端のひとりに聞いたんだけど、クーデターを起こす前のトムキャットは、野心は持っているものの、それほど極悪非道な人間ではなかったようだよ。ここ数日間の出来事らしい。人格が一変してしまったのは」パイソンが補足する。

「またぞろ、ゴメラドワルの腹心の誰かが、トムキャットに取り入って悪さをしておるかもしれんなあ」

「ぶっ!ぶひゃひゃひゃひゃ」



なぜか真紅が突然笑い出した。ガフンダルとパイソンは、驚いたように真紅の様子を見ている。「どうしたのじゃ?腹が減りすぎて頭がおかしくなったのか?」

「だって、だって、ゴメラドワルのふくしぃーぎゃはっはははははは」

真紅は腹を抱えてさらに笑い出した。その場に横になって、地面を転がりまわったりしている。眼には一杯涙を溜めていた。これはどうやら、阿呆のダークナイトのことを思い出しているようだ。

「ひぃー、ひぃー」



「うーむ。これではしばらくまともに話ができそうにもないな。パイソンよ。我々はここでパスカル達と別れ、馬車を一台借りて今からモジラ山を目指すべきだと思うのじゃ」ガフンダルは、文字通り笑い転げている真紅を横目にしつつ、パイソンに話しかけた。

「そうだな。もうこの近辺にはコモン・ゲートウェイ一家はいないだろうし、パスカル達と別れても問題ないと思う。そして、どうせモジラ山に殴り込みをかけるのなら、早いほうがいいってことだな」パイソンもガフンダルの意見に賛成した。

「その通りじゃ。馬車は、ワシとおぬしが交代して操ればよい。問題はこのゲラゲラ娘じゃが…。車酔いがなけりゃあなあ。勇者ルビイのアキレスのかかとじゃなまったくもって」ガフンダルはそういいながら、何かブツブツと呪文を唱えだした。

「それぃ」ガフンダルがこうもり傘を一振りすると、なにやら金色のモヤモヤした塊が先頭から飛び出し、真紅の体を包み込んだ。すると、笑いがピタリと止み、今度はスースーと寝息を立て始めた。

「ま、モジラ山に着くまで眠っていてもらおうか」ガフンダルはポリポリと頭を掻いている。パイソンは思わず失笑してしまった。

「なあパイソン」

「なんだい」

「助けてね。お願いじゃから。どうせ眼を覚ましたら、『勝手に術なんかかけやがってぃ!』などと怒り出すに決まっておるのじゃ。ワシはボコボコにされるぅ…」

ガフンダルは心底恐怖に打ち震えているようだ。

「わかったよ。俺に止められる程度の怒りであれば止めてやる」
パイソンはガフンダルに小さくウインクしながらそういった。


竜の都(8)に続く
最終更新:2009年02月11日 23:19