神裂「――――『七閃』」
神裂の右手が、宙空に振るわれる。
何も見えない、何も無い筈の空間に振るわれた手の動き、その意味を、一方通行は瞬時に感じ取った。
一方通行「ひハ」
ひゅいん、と小さな風切り音。
間を置かず、一方通行の立つ周囲の『赤い水』が撥ね飛び、その下の地面が音を上げて割れ砕ける。
視認できない程に細く、しかしアスファルトの地面を容易に砕く程に強靭な鋼糸。
それが、総勢七本。
一方通行の柔肌を切り裂かんと、空を裂いて迫り来る。
神裂「……!!」
だが勿論、そんなモノが一方通行に通じる筈も無い。
魔術で強化された鋼糸は、まるで繊細な絹糸のように、一方通行の肌に『弾かれ』た。
同時に、『七閃』によって抉り飛ばされた地面の欠片も、それが当然と言わんばかりに、一方通行の身体に触れた傍から跳ね飛ばされる。
それを見て、神裂は、決して驚愕しない。
『その程度で勝負が決まる筈がない』事は、初めから解っていた。
神裂(魔力の流れは、感じられない……まあ、当然でしょうが。
つまり、『コレ』は……)
この少年の持つ、異能。
神裂達の用いる『魔術』とは異なる、もう一つの人間の可能性。
神裂は、『超能力』に関する知識をほとんど持たない。
元より魔術の世界にのみ生きてきた彼女には、それを理解出来るほどの余裕も無い。
『一方通行(アクセラレータ)』――――『ベクトルの変換』という、この少年の能力も、例え説明されたところで半分も解りはしないだろう。
神裂(七閃が通じない、とすれば……!)
神裂が次の攻撃へ移ろうとした、瞬間。
一方通行「――――ヒャ、ハハハハハハハハハハハハハハハハァァァァァァ――――ッッッッ!!!!」
さながら、海上を滑走する舟艇のように。
狂笑を帯びた少年が、神裂目掛けて突進する。
神裂「ッ!!」
脚力のベクトルを集中させ、抗力を逆利用し、空気摩擦、足元の赤い水の抵抗さえも自身の推進力へと転化する。
一般人にすら劣る体力しか持たない一方通行は、しかし自らの異能を以て、聖人と同等の速度をも生み出し得る。
その突進は音速をも凌駕する、まさに砲弾の如き勢いだ。
しかし、聖人と同等の速度であるならば。
聖人である神裂には、その攻撃は、決して見切れないモノではない。
神裂を引き裂こうとするように伸ばされた少年の両腕。
それを掴み取って、捩り折れるだけの身体能力を、神裂は有している。
微塵の容赦もなく、冷徹に、ただ破壊するだけの覚悟も、既に出来ている。
そして、神裂は少年の両腕を――――
神裂「が……ァッ!?」
――――掴め、ない。
皮膚に触れようとした瞬間、神裂の両手指の方が、接触を拒むかのように、ねじ折れた。
神裂は直感する。少年の異能、その強大さ。
全てを掌握し、全てを拒絶する、その能力の一端を垣間見た。
神裂「ぐ、ぅっ!!」
否、たかだか『指が折れた程度』で、隙を見せてはならない。
真に危険なものは、今まさに神裂へ触れようとする、その毒手。
咄嗟、その場に屈み、両手をかわす。
大きく空振った手は伸ばされたまま、少年は無防備に空いた腹に神裂の身体を抱え込む形となった。
突進の勢いは失われていない。
少年の体勢そのものは隙だらけではあるが、その『全てを弾く』身体が、神裂へと近付いて来る。
神裂にとって絶好の機会であると同時に、未だ危機は脱し切れていないのだ。
攻撃を阻む異能の壁。七閃を以ても破れない、絶対防壁。
単純な打撃を、たとえ全力で打ち抜いたところで、効果がある保証は無い。
しかし、攻撃の為の魔術式を練る間も無い。
ならば。
神裂は、突進してくる一方通行から飛び退き、僅かに後退して。
神裂「は、アアアアァァァッ!!!!」
全力で、地面を殴りつけた。
轟音と共に、地が揺れる。
まるで滝を逆流させたような、莫大な規模の水飛沫。
アスファルトの地表が割れて、剥き出しの土が雨浸しの街路へと飛び散る。
後には、隕石が衝突したかのような、直径十メートルほどのクレーターが出来あがった。
クレーター内には、ざぶざぶと周囲から赤い水が入り込んでいく。
一方通行「!!?」
突如足元を奪われた一方通行は、驚くより他に無い。
突進の勢いが失われ、宙に在った身体が落下を始めても、足は地面を掴めない。
結果、受身の取り方など知る由も無い一方通行は、無様にも、赤い水溜まりとなったクレーターの中へと叩き付けられた。
無論のこと、ベクトルの反射によってダメージはおろか服の汚れ一つ無いのではあるが。
一方通行「ギ、がァァァァァァァァッ!!!!!!テめェェェェェェェェェエエエエアアアアア!!!!」
怒りに吠える一方通行の視界に、神裂は、いない。
地面を殴りつけた直後に、神裂は跳んでいた。
真上、およそ三メートルほど。一方通行の、頭上に。
神裂「――――抜刀、奥義――――」
折れた指を無理矢理に動かして、腰の鞘に収められた刀を握る。
呼吸を整え、気勢を正す。
『場』に掛けられた呪いの圧力を逆用する魔術式も、既に構築済み。
狙うは、首。
触れるだけでもへし折れそうな、細く長い、白百合の茎のような、首。
容易く何度も放つ事の出来る『技』ではない。
この一撃で、確実に、殺す。
神裂「――――『唯閃』――――!!」
白銀の閃光が、奔った。
一方通行「――――」
彼の素首を両断せんと襲いかかった、刀閃は。
――――目標を断つ事無く、弾き、飛ばされた。
神裂「そ――――ん、な」
天使の威光をも叩き斬った刀は、白百合のような頚首を斬り裂けず。
その白い肌に、一筋の血を這わせるだけの傷をつけただけだった。
神裂「――――、」
けれど神裂の茫然は、一瞬だけだ。
此処は戦場。相対すは、最強の異形。
見せつける暇など、刹那すらも有り得ない。
血。一筋の、血。
全霊を込めた一刀でも、たった数ミリの、小さな傷しかつけられなかった。
しかし、ならばこそ、その傷が、その細首を呑み込んでしまうまで、斬り続ければいい――――!
神裂「唯、閃――――ッッ!!」
更にもう一度、唯閃を放つ。先と、寸分違わず同じ場所に。
それもやはり、ほんの僅か傷を広げただけで、同様に弾き飛ばされる。
一方通行「見ィィィィつけたァァァァァッッ!!!!」
一方通行は、漸く頭上の神裂を発見し、嬉声を叫ぶ。
神裂の身体は、ゆっくりと、吸い込まれるように落ちていく。
クレーターの中に立つ、一方通行の下へ。
身体に亀裂が走るような、錯覚。
聖人の力を『限界以上に』引き出す唯閃は、莫大な負荷をもたらす諸刃の剣だ。
それ故の、抜刀術。一刀、決殺。
それでも、神裂は、手を休めない。
神裂「あ、アアアアアアアァァァァァァァァァッッッッ!!!!!!」
一方通行「が、ぐ、ゥガッ!??」
唯閃。唯閃。唯閃。唯閃。
一方通行の首の、同じ箇所を、何度も何度も何度も斬りつける。
神裂「――――オオオオォォォォッッッッ!!!!」
その首が落ちるまで。その首を落とすまで。
何度も何度も何度も何度も何度も。
血反吐を吐き散らし、内臓を捻り上げられながら、ただ、目の前の異形を殺す為に。
小さな傷は、積み重なり、その口を次第に広げていく。
垂れ流れる血の筋は、少しずつ太くなる。
神裂「――――!!!!!」
しかし、事の終わりは、呆気なく訪れた。
一方通行の首は、斬り飛ばされるまでもなく。
神裂が、力尽きるまでも、地に着いて一方通行に捕まるまでもなく。
ただ、神裂の刀が、砕け折れただけのことだった。
一方通行が裂かれる前に。神裂が潰れる前に。
神裂の七天七刀が、異能と魔術の全力衝突に、耐え切れなかった。
少し考えれば簡単な事だ。
一方通行の『反射』は、二つの例外を除けば、絶対的な防御壁であることに異論は無い。
核爆発だろうが原子破壊だろうが、ベクトルさえ存在する攻撃ならば、彼は全てを反射する。
そう、『魔術』という別世界の摂理と、とある少年の『右手』を除いて。
唯閃が一方通行に僅かとは言え傷を負わせることができたのも、それが『魔術』という、一方通行にとって未知のベクトルであったからだ。
僅かに『反射し切れなかった』威力を、その身に受けてしまった、というだけの話。
本来の唯閃の威力――――海を割り、山を裂くほどの威力の内の、少年の肌に数ミリの傷を付ける程度の力だけ、『反射し切れなかった』。
しかし逆説、その『残り』の威力、その膨大な攻撃力のほとんど全てを、彼の異能――――『一方通行』は、反射して、或いは逸らしていたのだ。
反射する先は、その攻撃の元、つまり、七天七刀。
如何に、その刀が霊験灼たかな術式兵装とは言えど、聖人の全力を用いた一撃の威力を直接その刀身に跳ね返されて、無事で在り続けられる訳も無い。
間隙も置かずに幾度となく痛めつけられ、結果として砕け折れてしまったのは、何ら不思議の無い、当然のことだった。
空中にあった神裂の身体が、落下を始める。
諸手を挙げて待ち構える、一方通行の下へ。
刀を失い、成す術も失った神裂が、落ちていく。
神裂「――――っ」
それでも、神裂は、諦めない。
死ぬ訳にはいかない。諦める訳にはいかない。
ここで神裂が絶望してしまえば――――きっと、この世界にはもう、絶望しか残らない。
それに。
一方通行「キキキカカカケカコカキキカケコケキキカココケケケククキコキカカカカカカカカカ!!!!!」
たとえ、どう足掻いても絶望しか見えない世界だろうと。
それでも足掻き続ける一人の少年がいる。
だから、神裂火織は、諦めない。
悪魔の両手が、神裂へと迫る。
そして、その手が神裂を捉える寸前、神裂は、七天七刀の残骸を投げ捨てた。
神裂「『七閃』……!!」
魔力を帯びた七本の鋼糸が、再び振るわれる。
鋼糸は、まるで意志を持った生物のようにうねりながら、一方通行へと襲い掛かる。
しかし、その攻撃が一方通行に通用しないのは、既知の事実。
故に、神裂の狙いは、単調な直接攻撃ではなく。
一方通行「ぐガァッ!?」
その、足元。
一方通行が立つ、地面剥き出しのクレーターを、七閃により更に抉り崩す。
爆ぜるように散る水飛沫と砕けた足場に気を取られ、一瞬、一方通行の視線は下方に落ちる。
神裂は僅かに躊躇い、覚悟を決めた。
そして、体勢を崩した一方通行の顔面を、強く、蹴り飛ばす。
神裂「がッアアアアアアアアアアアアアッッ!!!!」
全てを『反射』する、鉄壁の異能。
それを蹴り飛ばしたのだから、当然のように、その威力は神裂へと跳ね返る。
人一人程度なら、数十メートルは吹き飛ばせるであろう、聖人の一撃。
一方通行「あ、ァン?」
一方通行が気付いた時にはもう遅い。
神裂の身体は、『自分自身の蹴り』によって、蹴り飛ばされる。
そしてその狙い通り、自ら弾き飛ばされることで、一方通行の魔の手から逃げ果せたのだ。
だが、その代償は決して安くない。
蹴りを放った右足は、悲鳴のような激痛を神裂の脳髄に訴えている。
折れているかどうか、非常に微妙なラインではあるが、どちらにせよ暫くはまともに使えまい。
そして、距離を取ったとは言えども、精々が数十メートル。
一方通行の機動力の前には、ゼロにも等しい距離でしかない。
神裂「ぐ、う、おおおおおおおオオオオオッッ!!!」
痛みを堪え、神裂は鋼糸を手繰る。
距離が離れたこの一瞬、この瞬間を無駄にする訳にはいかない。
綾取りのような手捌きで、神裂の周囲にとある『形』が造り上げられていく。
しかし。
神裂「っが、ふぁ……!?」
それを見透かしたかのように、神裂の全身が、『何か』に押し潰された。
ギチギチ、と見えない何かに縛り上げられるように。
その『攻撃』の主は、言うまでも無く、一方通行だ。
神裂からは姿も見えない、未だクレーターの底にいるはずの、一方通行による攻撃。
一方通行「ゲヒ、ひ、ひ、ひ、ひは。
ヒハハハハハハハハハ。ハハハ。ハ。は。ハハ。は。」
それは、『風』だ。空気の流れ。空気の、『ベクトル』操作。
否、それだけではない。
如何に強力な気流だろうと、ただの風だけで聖人たる神裂にダメージを与えるなど、不可能だ。
一方通行が操作したベクトルは、『重力』。
空気に働きかける重力――――即ち、『気圧』の操作。
万物が生まれた時から知らず知らずに背負い続ける巨大な負荷を、何倍にも増加させたのだ。
圧縮された大気は、神裂の全身を均等に圧し潰していく。
神裂「ぎ、ぐ、が……ぁっ、っ、っ!!!!」
それでも神裂は、腕を振るい、指を振る。
夥しい量の血を流し、赤い雨に打たれながら、尚も動く。
やがて、手繰られ続けた鋼糸は、神裂を覆い囲むように、一つの空間図形を象った。
――――立方体。
神学的にも重要な象徴となる、『四角形』のみで構成された立体図形だ。
四大天使を初めとする十字教的意義、四大元素を象徴するとされる魔術的意義等々、挙げればキリがない。
そして、この時。
神裂がこの立方体に込めたモノは。
神裂「――――その象は、『死』を齎す」
『死』の受諾。『四』の受諾。
『四』を迎えて。『死』を迎える。
『死』に包まれて。『四』に包まれる。
死に憑き。四に着く。
ただそれだけの、何の事もない、言葉遊び。
魔術などとは程遠いように思える、子供染みた願掛け。
魔術には様々な理論体系が存在する。
当然ながら『数』を利用する魔術、『言霊』を利用する魔術も、中には存在するのだ。
故に、この『四角』という形象を用いて、『死覚』を持ち出すという魔術の形も、有り得なくは無い。
だがしかし、鋼糸によってその場しのぎ的に形作られた立方体程度では、決して強い『意味』、即ち魔術としての必然性など持ち得ない。
故に神裂の行使したそれは、恐らく此処でさえなければ、何の意味も持たないモノだったであろう。
此処――――『不死の呪い』に満たされた世界でさえ、なければ。
『死』を受け入れる、ということは。
『不死』を拒絶する、ということだ。
然して、魔術は成された。
神裂の周囲に溜まり溜まっていた『赤い水』が、爆音とともに、弾け散る。
それはまるで、爆弾と化した神裂が爆発を起こしたかのようにも見えた。
爆ぜた水粒は、竜の爪撃の如く、四囲のあらゆる物体を破砕する。
固いアスファルトに覆われた地面でさえも抉り砕き、泥土を噴き上げる。
雨によって湿っている空気の中でも、赤い霧と土煙が舞い漂う。
一方通行「!!??」
その震動と衝撃は、漸くクレーターから脱出した一方通行の元にも到達し、勿論全て『反射』される。
だが、その数秒後に、一方通行は気が付いた。
敵の目論見に。
『舞い上がった霧煙に姿を隠す』という、単純明快な戦法に。
神裂「ここは、一旦退かせて頂きます――――」
水と泥の煙の中、神裂の声が木霊する。
爆発したのは、神裂の周囲の赤い水だ。爆発の中心にいた神裂も、当然無事では済んでいない。
そもそもが、『死』を受け入れる――――『自壊』、『自爆』を意図した魔術なのだから、神裂本人が無傷では術式の意味が成立しない。
だが、それを微塵にも感じさせない声で、神裂は一方通行に語りかける。
一方通行は即座に『風』を操り、霧煙を吹き飛ばすが、如何せん巻き上げられた泥土が多量過ぎ、視界は未だ晴れない。
神裂「――――だが、貴方は必ず、私が殺す」
そしてその『風』の操作は同時に、尚も続いていた『気圧』の縛めから、神裂を解き放ってしまった事に他ならない。
それに一方通行が気付いたのは、神裂の、忌々しげな捨て台詞が聞こえた直後だった。
一方通行「ッルせェェェェェェェェェンンンだヨおォォォァァァァァ!!!!!」
嵐のような暴風を繰り、燻っていた煙を、降り続く赤い雨諸共、根こそぎ吹き飛ばす。
だが、もうそこに、神裂火織はいなかった。
たださあさあと、赤い雨だけが、流れ続けていた。
一方通行「――――ひ。ヒヒ。ひひひ。ひひヒヒヒ」
道を遮る敵も、視界を遮る物も、何も無くなった街路の片隅で。
つい十数秒前にあげた怒声も、巻き起こした烈風も、忘れ去ってしまったかのように。
一方通行は、笑う。
一方通行「ひひヒひヒャふひゃひフフひヒひゃひヒャヒひひゃひゃ
ひひゃヒヒひゃひフひフヒャヒゃひひヒャヒフャヒゃひゃ
ひひふフふひふふひふヒヒひゃひヒャひフふひゃひヒ」
笑い続ける。
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最終更新:2011年05月05日 12:49