■00:極楽浄土
――或る世界、或る国に、一人の優秀な男が居た。家柄に恵まれ、顔に恵まれ、才能が有りながらも努力の必要性を理解していた彼は、当然のように非の打ち所のない人格者として大成した。優秀であると同時に謙虚。勝って驕らず負けて恥じない、社会の誰もが模範として見習うべき男。彼に反感を抱く者は少なからず居ただろうが、その動機は殆ど全てが嫉妬だ。その証拠に、彼に向かっておまえの此処が気に入らないと吐ける人物は皆無だった。
彼とて、何も生まれながらにそのような人物だった訳ではない。人間誰しも産声を上げた時は白紙だ。其処から経験という名の着色が重なっていき、一つの人格が出来上がるのだ。彼がこのように理想的な人格を形成するに至ったその源泉は生まれでも育ちでもなく、歳を重ねる中で次第に固定されていった、その視線の方向性にあった。
この世は大きく分けて光と闇に大別される。光は進歩、善、勝利。闇は腐敗、悪、敗北。完全な中庸という物も中には有るのだろうが、それはあくまでごく一部の悟りを開いた超越者か、精神構造の破綻した欠落者であるから此処では見ない。
悪は言わずもがな大概の場合に於いて糾弾される。一方で光に由来する概念は、万人に喜々として推奨される。
光は素晴らしいという論理に異議を唱える者はまず居ないのだから、必然、どういう風に生きれば成功出来るかはある程度決められている。万人が進む方向が、あらかじめ確定されているのだ。これに気付いた時、男は心から感心した。何と分かり易く、素晴らしい世界だろう。どんな人間でも、人生の方向性を迷わず理解することが出来るのだから。
とはいえ、それはあくまでも希望的観測だ。理論上の話であって、現実をまるで解っていない理想論である。
この世は様々な事情が複雑に絡み合い、怪奇して成り立っている。金や権力その他諸々の事情は無能者や悪の台頭を容易く許し、光を推奨していながら誰もがそれらに目を瞑っている矛盾が深く根付いていることも、男はきちんと理解していた。それも現実なのだから仕方ないと、そう割り切って納得することが出来た。
仮に自分がそういった概念を良しとする人間を質したところで、全てに於いて恵まれているおまえに言っても理解できないと返されればそれまでだ。個人としてどれだけそれらの要素を忌み嫌おうが、個人の意思で社会は変えられない。それらは最早、外すことの出来ないこの世の一部となってしまっているのだから。
それを是正したいと思うならば……それこそ世界そのものを一度叩き壊し、悪の決して蔓延しない世界法則で上書きするくらいの荒唐無稽な所業が必要になる。当然、そんなことは人間には不可能だ。無論、世界法則の改変なんて胡乱げなものを追い求める程、男は暇な馬鹿ではなかった。
結論から言えば、彼は妥協することにした。世の中に幾らでもありふれている、極めて利口な選択だ。
綺麗なもの、理路整然としたもの。どれだけそれらを愛していても、全てがそうはいかない。それが現実なのだ。
そう悟り、せめて社会の上に立った際には、今より間違いの少ない公正な評価を人に与えるシステムを構築しようと、考えの幅を狭めた。士官学校を首席で卒業し、彼の生まれた国では最も手早く現実的に莫大な権力を手に入れられる軍人としての出世を目指して進むことにした。
彼は純粋だったが、しかし知性に溢れるが故に常識的な人物でも有った。人間の、世界の限界をきちんと理解し、出来ないことは出来ないと認めた上で最善を目指してみようという紛れもない善性が有った。
彼は間違いなく傑物だった。その思想を保ちつつ、より深い部分の現実を知りながら進んでいき、社会の頂点に君臨することがあったなら、世界は確実に幾らか良い方向へと進んでいただろう。だが結論から言えばそうはならなかった。男はあろうことか嘗て描いた荒唐無稽な理想を拾い上げ、それを実現させるべく悠々と歩み始めてしまったのだ。
――全ては、答えを見てしまったから。物事にはどうしようもない限界が存在するというその考え自体がまず愚かだったのだと、思い知ってしまったから。根拠を得、希望を見た男は止まらなかった。男らしく大義を抱いて突き進み、心を痛めながら非道に手を染め、最期は雄々しく煌めく白騎翔(ペルセウス)の前に敗れ去った。
この世は全て上か下か。
あるべき秩序の下に敗れたのなら、是非もなし。
だが――その敗走に"先"が有ったのなら?
「生憎、私は欲深な人間でな。物事を妥協しないなどと、耳触りのいい言葉で取り繕う真似はしないとも」
彼は、喜々としてそれを選び取るだろう。
事実、そうなったからこそこの審判者は此処に居るのだ。
抱いた夢を実現する為。
望んだ世界を創る為。
全ては、光が報われる秩序の為に。
「――では、これにて役者は出揃った。始めようか、我らの聖杯戦争を」
カルデアのマスターこと藤丸立香にとって、街中を自由に歩き回るというのは随分と久し振りの経験だった。何せきっかり一年ぶりだ。日々の暮らしの中で飽きるほど見てきた筈の街並みは一周回って新鮮なものに感じられ、NPCとはいえ同じ時代を生きる人間がショッピングを楽しんでいる光景にさえ感じ入るものがある。
そんな遠境の仙人めいた感覚を覚えている彼は、あろうことかまだ酒も飲めない齢の少年だ。ひょんなことから世界の命運を懸けた戦いに身を投じる羽目になってしまった彼も、一年前まではごく普通の民間人だった。それが数多の英霊と絆を結び、特異点を踏破し、遂には魔神王の大偉業を阻止する功績を挙げたというのだから人生は解らない。そして今立香は、その疲れも抜け切らぬ身で新たな騒動に巻き込まれていた。
混沌月、Chaos.Cellの聖杯戦争。レイシフトを経由しない突然の転移に加え、カルデアとの通信は未だ不通のまま。数々の危機的状況を乗り越えてきた立香をして、これまでで有数の"不味い"状況であると断言出来る。それでも彼は、割合呑気に冬木での暮らしを満喫していた。
『……改めて思うがおまえさん、本気で胆の据わった男だと思うぜ』
穂群原学園の制服に身を包み、鞄を片手に帰途に着く己のマスターを見て、呆れ混じりにセイバーのサーヴァント、
坂上覇吐は呟いた。立香も弱小とはいえ魔術師だ。本来の聖杯戦争がどんなものであるのかは認識しているだろうし、今回の事態がそれに輪を掛けて悪辣なものであることも承知している筈。
通常、聖杯戦争の参加者には自主退場……マスターの権利を放棄して戦争から抜ける選択肢が与えられている。降りたからと言って全く危険がなくなるのかと言うとそういう訳ではないのだが、それでも参加し続けているよりはずっと確実な安全性を確保することが出来る。そして今回の聖杯戦争には、そういった救済
ルールがない。一度舞台に上がってしまったなら強制的に最後まで踊らされ、やがて来る結末を待つしかない。
勝って帰るか、負けて死ぬか。その癖して聖杯戦争への参加は個人の意思に由来しない等、兎に角質が悪すぎる。この趣向を考えた奴は余程性根が腐ってると、セイバーは思う。無論、巻き込まれた側は堪ったものではない。震え、怯え、泣き喚いて、自分の不運を嘆いたとしても無理のないことだ。
その点、立香は毅然としていた。今や民間人ではないにしろ、死ぬ確率の方が高いような蠱毒の宴に連れ込まれて尚嘆かない。無双の益荒男であるセイバーの目から見ても、驚くべき度胸であった。
そんなセイバーの声に、立香は苦笑しながら答える。
別に、怖くないわけじゃないよ
立香は至って普通の人間だ。特異点巡りの旅の中で成長は重ねているものの、恐怖心や緊張と言った感情を完全に切り離すことの出来る超人ではない。弱音を吐いたところで何かが変わる訳ではないと知っているからそれらの言葉は吐かないだけで、内心は恐怖と緊張、その他当たり前の感情が渦巻いている。
忘れてはならない、彼は凡人なのだ。出来ることと出来ないこと、やりたいこととやれないことの分別が付いている、ごく普通の只人。
『そうかい。それなら尚更立派ってもんだ』
只人が勇気を振り絞って、大いなる運命に立ち向かう。セイバーにとってそれは、十分賞賛に値する事柄だった。そういう男だからこそ、共に往く価値がある。この剣で守る意味がある。
セイバーの気配を隣に感じながら、立香はまだ寒さの残る春の空を見上げる。この街を訪れて、何度となく繰り返してきた動作。視界の先に光帯はない。されどこの空は再現された偽物であると言うことを、皮肉にも傍らの相棒の気配が告げてくれる。
――マシュには、また心配をかけちゃうな。
自分は大義だけで行動できる人間じゃない。聖杯戦争をどうにかしなきゃいけないと口では言っても、心の奥には"カルデアに帰りたい"という月並みな願望が鎮座している。そしてそれを悪いことだと、立香は思わない。何故ならあの場所には、自分を待ってくれている人達が沢山居るからだ。だから、帰らねばならない。こんな場所では、死ねない。
もう少し待ってて。必ず、帰るから
一年を共にした盾の少女に想いを馳せながら、人類最新最終のマスターは令呪の刻まれた右手を硬く、硬く握り締めた。第七天のセイバーは紛うことなき豪傑、益荒男であるが、彼とて負けてはいない。益荒男とは、強き力のある者に非ず。揺るがぬ意志、輝ける魂をその身に宿し、抱いた大志へ突き進む男児の事を示すのだ。
握った拳、燃やした決意は潰えない。彼らが彼らである限り、絶対に。
■02:再構築(Re:Birth)――
天願和夫&アサシン
「もうじきか」
穂群原学園最上階、理事長室にて、感慨深げに呟く老人の姿が有った。温和そうな顔立ちは確かな知性と年季を湛えており、同時に鋼の如き強い意思の光を窺わせる。人生の酸いも甘いも噛み分け、老いはしても枯れてはいない。そんな老爺だった。彼の袖下から覗く皺だらけの手首には、鮮烈な三画の令呪。
「長かった……とは、思わんな。寧ろ短かった。わしとしてはもう少し、念入りに準備をする時間が有っても良かったぞ」
穂群原学園理事長の肩書きなど所詮偽り。右手の令呪がその証左だ。この天願和夫という老爺は譲れない願いを秘めてこの世界を訪れ、暗躍を重ね、幾人もの願いある敵を蹴落としてきた曲者である。弄する策と話術で立ち回り、静かなる勝利を重ねてきた彼は今、晴れて本戦出場の資格を勝ち取ることに成功していた。
厳密には、まだその通知が行われた訳ではない。だが新聞やらゴシップ誌、学生の噂に上る怪奇現象や事故事件の件数が明らかに目減りしてきている事から、ルーラーが言うところの予選段階は直に幕を閉じるのだろうと天願は推察した。事実それは当たっている。昨晩のある主従の脱落によって、聖杯戦争開始に向けた剪定は終わりを告げた。
後はルーラーより正式なアナウンスが掛かればいよいよ聖杯戦争、その本戦が幕開ける。各々が己の希望を求めて潰し合う姿は想像するだけで悍ましく嘆かわしい。されど、自分もまた同じ穴の狢だ。大いなる目的の為とはいえ汚れた物だと、天願は小さく苦笑する。
だが、感慨に浸るにはまだ早い。
まだ、所詮予選を突破しただけだ。
自分と同じく入念な備えと策謀で生き残った者、サーヴァントの性能に任せて勝ち残った者、只の幸運で難を逃れることが出来ただけの者。一口に生存者と言ってもこの通り千差万別だ。そしてその全てが、形はどうあれ、何十という主従による熾烈な予選を勝ち抜いた油断ならない強敵であると天願は評価していた。運も実力の内という言葉は、あながち戯言でもない。現に彼が理事長を努めていた希望ヶ峰学園には、冗談としか思えないような"幸運"を持つ生徒も在籍していた。
たとえ直接的な力がなくとも、運の良さなどという胡乱な概念で此方の計画を狂わせてくるというのなら、それは十分脅威と呼ぶに値しよう。少なくとも天願はそう思っている。
「その辺り、君はどう思う? アサシンよ」
「白々しいな。そもそもアンタは、僕の意見なんて求めちゃいないだろうに」
天願の問いに答えるのは、赤いフードと甲冑に身を包んだ青年だった。
人相は巻き付けられた白帯で隠され解らないが、声と体格から男性であると判別が付く。
彼こそ、この老獪なる善人に召喚されたアサシンのサーヴァント。厳密には英霊と呼ぶべきですらない、此度の戦争の異常性を象徴する、抑止力の代行者である。吐き捨てるような声色にマスターへの忠誠や信頼なんて概念は毛ほども見受けられず、このほんの僅かなやり取りだけでも彼らの主従仲がどんなものであるかを窺い知ることが出来よう。
「勘違いだけはしないことだ。僕の目的はアンタを戦争に勝たせることじゃないし、アンタに聖杯をくれてやることでもない」
「勿論解っておるよ。君は聖杯を見極める、わしは君の判断に従い、この戦いにどう臨むかを決める」
アサシンは、聖杯に夢を見ない。寧ろその逆、深い嫌悪の念を抱いている。
普通こんなことをサーヴァントがマスターに言おうものなら、その場で疑念の楔を打ち込んでしまうのは間違いない。世の中には、サーヴァントが願いを持たないと言っただけで不信感を抱くマスターすら居るほどなのだ。聖杯なんて碌なものじゃないと、聖杯戦争に呼ばれておきながら宣うサーヴァントなど、一体誰が信用するのか。
そして彼は、それならそれでいいと思っていた。元より聖杯戦争などしたくもない。マスターが敵意を示してくれるなら、此方も心置きなく切れるというものだ。その点、この老人は厄介だ。アサシンに譲歩しつつも聖杯獲得の野心はぎらついており、老いたが故の策謀で此処まで生き残ってみせた。
「仮にどちらに転ぼうと、わしのやるべきことは変わらん。過程が多少異なるだけであって、結果は同じ形になる」
「……、世界を救う――か。愚かな理想だな。反吐が出るほどに」
「理想ではないさ。わしはそれを実現させる手段を、現実に所持しているのだからな」
――天願の救済とは、希望を名乗る地獄の具現化だ。
絶望することの許されない、作られた希望の楽園。
それを知った時、この赤い暗殺者は何を思うのだろうか。
この――かつて正義の味方を目指し、零落した愚かな男は。
休憩中なのをいいことに屋上に上がり、外のコンビニで調達した煙草を吹かしている、一人の医者が居た。
それだけ見ればなんて勤務態度の劣悪な藪医者なのだと憤りさえ抱かれても可笑しくはないが、その外面に反して、彼は超の付く腕前を持つ若き天才外科医として知られていた。病院の古参医師達は嫉妬し、生意気だと酒の席で陰口を叩き、後輩や研修医達は羨望の目を向ける。助けてきた命の数は十や二十では利かないし、その中には真っ当な医者なら絶対に受けたがらないような難手術を行わなければならないケースも数多く含まれていた。
それを、日本はおろか世界で見ても極めて高い腕前で成功させてきたこの男の名は、夏目吾郎と言った。
フェンスに体重を預けながら煙草を咥え、空の向こうを見つめる二枚目。絵画に直せば絵になる光景だろうが、夏目は今、そんな冗談で笑える気分ではなかった。尤も、彼が今陰鬱な気分にあることを見抜ける者は、この冬木市では今のところ一人しか居ないのだったが。
「今日は随分とおセンチじゃないか。何かあったのかい」
「……ライダーか。まだ昼間だぞ、実体化には気を遣えよ」
「見られたなら、その時は存分に喧嘩するだけだよ」
実体化して、夏目の隣でフェンスに凭れ掛かるは白髪白磁のライダー。
浮世離れした服装は、彼女が人ならざる身、人里ならざる地から来た存在であることを象徴している。
後天的不死者、永遠の時を生きる不死鳥。未だ死を知らぬ身で聖杯戦争に召喚された、イレギュラーな英霊もどき。
彼女に雰囲気の暗さを指摘された夏目は煙草を口から離し、苦笑しながら「そう見えるか」と呟いた。それに対しライダーは、「ああ」と短く答えて頷く。
「昨日の真夜中に急患があってな。女子高生だ。運ばれてきた時にはもうひどく失血してるわ内臓は潰れてるわで、どんな医療設備を使っても助からないような有様だった」
「死んだのか」
「言ったろ、どう頑張っても助からない有様だったって。処置に立ち会った連中は、皆内心諦めてたよ」
夏目吾郎は間違いなく名医だ。彼を藪と謗れば、世界中の大多数の医者はままごと遊びに興じる子供も同然である。
医者は万能ではない。どうしても医療には限界がある。夏目が昨夜立ち会ったのは、詰まるところそれだ。
「一応、オレはやれるだけのことはやった。けど、集中出来てたかと言われると自信がない」
「へえ。珍しいじゃないか」
「そいつの右手にな、有ったんだよ」
皆まで言わずとも、ライダーは夏目の言わんとすることを理解出来た。
此処が聖杯戦争の舞台となっていることを鑑みれば、答えなど考えるまでもなくただ一つ。
不幸な死を遂げた少女の手には、有ったのだ。サーヴァントを従える絶対命令権、黄金の杯に至る為の鍵――令呪が。
「"そういうこと"だろうな。サーヴァントを連れてるマスターが間抜けに事故死なんて、まず有り得ない」
夏目吾郎は聖杯戦争に乗る気でいる。他の主従を蹴落として、自分の願いを押し通すつもりでいる。その結果仮想世界から出られずに消滅する者が出ようが、場合によっては自分のライダーによる攻撃で命を落とす者が出ようが、止まることなく駆け抜けるつもりでいる。そのことについては、今も変わっていない。そして、これからも変わることはないだろう。
「成程ね、そういうことか」
しかし夏目にとって、目の前で繰り広げられた光景は、予想を超える衝撃だった。
何故なら彼は医者だから。命を救い続け、救えない度に拳を握り締めてきた、そういう人間であるから。
自分の加担している戦いで命ある誰かが命を落とした――あれほど覚悟していた筈で、これまでも視界に入らなかっただけでずっと繰り広げられていた現実。願いを叶えると宣言しておきながら今更そのことにショックを受けるなど屑もいいところだと、夏目自身そう思う。だが現実に、その光景は彼を激しく揺さぶった。
「で? やめるのか、聖杯戦争」
「やめねえよ。第一やめたくてやめられるもんでもないしな」
「それもそうだな」
「ただ、まあ……あれは結構堪えた。笑い種だよ、お前も、どの口で覚悟だとかほざいてんだと思ったろ?」
結局のところ、夏目はただの一般人なのだ。願いを叶える戦いに参戦する権利を得ただけで、得てしまっただけで、血風の乱れ舞う戦場を潜り抜けた戦士でもなければ目的の為に心を殺して非道を働ける魔術師でもない。愛しながらも失うしかなかった女を取り戻したいと願う、一般人。
「別に」
主の弱音に対し、ライダーはつまらなそうに答えた。
「そんなもんだろ、人間なんて」
果てのある青空が、果てしなく広がっている。
そこに――半分の月は、ない。
ある居酒屋でそう口にしたのは、かれこれ四十年程敏腕を奮ってきた五十嵐という老年の刑事であった。グラスに注がれた琥珀色の上等なウイスキー、氷の三つほど浮かんだそれを啜る表情は芳しくない。伝説と、時には捜査の神とまで称されてきた上司がそんな顔をしているのだから、一緒に酒を呑んでいる部下の態度も自然と引き締まる。
"ともだち"というのは、此処数週間で急激に勢力を伸ばしたある新興宗教の名だ。教祖の名でもある。奇怪な覆面を被った、変声器にかけたような声で喋る不気味な人物。にも関わらず、人を惹き付ける話術とカリスマ、人心掌握術を高い域で持ち合わせる怪人。
「"ともだち"が活動を始めてから、セミナー用に借りたスペースを埋めるだけの信者を集めるまで僅か一週間。当然今は更に信者を増やしてる。胡散臭い新興宗教はごまんと有るし、対応したことも有るが、これほど手が早いのは初めてだ。ありゃ、絶対にまともな人間じゃない。今に何かしでかすぞ」
この二十一世紀で刑事の勘などと豪語すれば失笑されること請け合いだが、五十嵐は何も、当てずっぽうや偏見でそう言っている訳ではない。
「……既に手遅れかもしれんが、な」
そう言って五十嵐が懐から取り出したのは、折り畳まれた一枚のチラシだった。それを受け取って開いた部下は、驚きに目を見開く。事の真偽を確かめるように五十嵐の方へと目線を向ける彼に、五十嵐は重く深刻な顔で頷きを返した。
「主婦失踪事件があったろう。夫はシラを切ってるが、あれは十中八九クロだ。
証言の矛盾は多いわ、少しでも突っ込むとすぐしどろもどろになるわ。引っ張られるのも時間の問題だろう。勿論引っ張るなら早い方がいい。そう思って個人的に例の夫婦の事件前の動向を探ってみた……これは、その過程で入手した物だ」
「これ……"ともだち"の」
「ああ、連中の講演会のチラシだ。夫婦の自宅裏の茂みに丸めて捨ててあった。他にも多くの人間から、夫婦共々"ともだち"にお熱だったという話が聞けたよ」
生唾を飲み込む音がした。五十嵐の話を聞いている部下が緊張のあまりに発した音だった。
一方の五十嵐は粛々としているが、いつもより酒を呑むペースが早い。酒が尽きたのを察し、部下が二杯目を注ぐ。
注がれた二杯目が一気に飲み干されたので、部下はすかさず次を注ぐ。少し手間取っている様子に、張り詰めた心が和らぐのを感じた。
「警察は馬鹿じゃない。死体はすぐあがるだろうし、そうなれば夫もじき捕まる。問題は動機だ。何故妻を殺したのか、"殺さなきゃならなかったのか"。転勤族の疲弊と言われちゃそれまでだが、俺はそうじゃないと睨んでる。この失踪……もとい殺人には、あの宗教が一枚噛んでる筈だ」
五十嵐の眼は、目の前の事件だけを見据えてはいなかった。彼は更に先……今後の展開をも見ている。"ともだち"が引き起こす事件、犯罪。それを抑止する為にも何とか今回の一件を通じてその素性を探りたい腹が、部下の男には手に取るように理解出来た。
流石は伝説と呼ばれた刑事。男は深く感心し、其処に尊敬の念を抱く。まさしく彼は刑事の理想だ。
「……ぐっ!?」
だからこそ、とても残念だった。
彼が、"ともだちの正体を突き止める"なんて馬鹿な目的を抱いてしまったことが。
「ぐ………こ、れは……ナ、ん……ッ」
グラスを傾けるペースで、彼が興奮していると解った。
二杯目を一気に飲み干したところで、警戒心が完全に解けていると解った。
三杯目を注ぐふりをして、グラスの飲み口に毒薬の粉末を付着させた。一舐めでも確実に死に至る凶悪な劇薬だ。
尊敬している上司にこんな真似はしたくなかった。でも、しなければならなかった。
何故なら、"ともだち"の為だから。それに、皆が見ている。
「あんた、やり過ぎだよ」
店内の全員が、能面のような無表情で、息絶えた五十嵐を見ていた。
其処に目の前の状況への恐怖は微塵もない。何故、恐れる必要があろうか。
これは、"ともだち"の為にやったことなのに。
◆ ◆
「さあ、始まるよ」
「なにがでごぜーますか?」
「全部さ。僕達の全部が、これから漸く始まるんだ」
"ともだち"が笑っている。
それがなんだか楽しくて、仁奈も釣られて笑う。
平和な時間であり、無邪気な時間だった。
「そうだ。特別に、"よげんのしょ"の続きを一ページだけ見せてあげよう」
「! ほんとでごぜーますか!?」
「ああ。今日は特別な日だからね」
目の前で、自由帳のページが捲られていく。
冬木に大いなる厄災を呼ぶ、予言の聖書が捲られていく。
そして、開かれたページには――
■05:蜂示録――キャスター
ヒトを救う、更なる高みへ導く。歴史上、そういった言葉を口にした人間は数え切れない程居る。然しその中で実際に大勢の人間を救えた者が一体どの程度居るかと言えば、実際のところの数はごくごく微小である。精々救えて、身の回りの誰かを幸せにしてやれる程度。中にはそれすら全うできずにあらぬ方向へと迷走し、狂人扱いをされながら生涯を閉じた者まで居る。もしくは、静かに掲げた理想(ユメ)を諦め、現実を受け入れて人並みの人生へ戻るかだ。
ヒトではヒトを救えない。人間は兎角罪深いと性悪説を回す必要すらなく、そのことは明らかなのだ。二十一世紀の科学をしても完全には解き明かせないほど複雑な構造をした脳を持つ人間を、ヒトの身で完全に救済するなど不可能。幾つかの例外が有るのは確かだが、概ねそうした結論になることは歴史が証明している。
では、人類を救い、且つ高みへ導ける例外とは一体どんな人物なのか。それもまた、歴史を見れば解る。キリスト然り、仏陀然り。ヒトならざる領域の要素を生まれながらに持った超越者達だ。彼らは時に奇跡を見せ、教えを授け、高潔な者達を作り出した。そこな敗者のまま潰れて終わるだけの命が、彼らのお陰でどれほど偉大に昇華されてきたことか。
そして今、冬木の地にもまた、そうしたヒトならざる救済者が降り立っていた。水色の頭髪は作り物めいて美しく、顔立ちは愛らしく、華美さと気品を兼ね備えた衣服は幻想的の一言に尽きる。彼女が神に遣わされた天使だと説明されたなら、思わず納得してしまいかねないような――そんな、見目麗しい少女であった。
「はー、今日も働いたなあ」
されど、忘れるなかれ。
彼女は確かに救済者だが、その救済は人間が想像するところの救済とはかけ離れている。どんなに救いに飢えた人間でも、彼女の救済手段を聞いたなら顔色を青褪めさせて脱兎の如く逃げ出すだろう。慈愛でもなく、残酷でもなく、悪辣な訳でもなく、そのどれよりも質が悪いと言って差し支えない。
彼女こそは異端のサーヴァント。自分のマスターすら機械化させるという所業を働きながら、機械化惑星人の特性により悠々と生き延びている理想郷の住人。彼女には罪悪感も不安も焦りも、何もない。精神異常に近い底抜けの明るさが心理的影響を跳ね除けて、彼女を救いの者たらしめる。
「でも、まだまだだよねっ。だってこの街には、まだたくさん救われない人達がいっぱいいるんだもん」
エレメントドールならぬエレメントドーター。
人類からその形を奪い、可能な限りの救いを振り撒く最低最悪の毒蜂。
「―――そうでしょ、マスター?」
同意を求められたマスターは既に、彼女に"救われて"いる。
変わり果て、永遠不変の自立型兵器となった。
こんな姿になっても彼はまだ、陽蜂の魔力炉として使われ続けている。
死ぬ選択肢を選ぶことさえ許されない。そもそもそんな機能は残されちゃいない。
彼の不運は全て、このサーヴァントを呼んでしまったことに集約される。
彼女だけは、喚んではならなかった。
彼女さえ喚ばなければ――引きと運次第では聖杯戦争を勝ち抜き、夢見た願いを叶えられる可能性だってあったろうに。
救われた機械達に囲まれて、蜂は嗤う。羽音の代わりに、少女特有の甲高い声を響かせて。
光の皮を被った闇の聖女は、終末思想と比較して尚おぞましい理想を胸に、楽園という名の地獄を振り撒いていく。
「ランサー、はあっ、開戦までは、あと、どれくらいなの?」
「知るかよ、ルーラーに聞けや。だが、まあ……間違いなく遠くはねえだろ。分かんねえかよ、空気が違うぜ」
其処は、クラブハウスの地下に備え付けられたBARだった。冬木は都心に比べればやや辺鄙な地方都市だが、それでも繁華街に近付けばこうした若者向きの店の一軒や二軒は平気で転がっている。その中でも特級に治安の悪い、非行と犯罪の温床となっている店。それが、ケイトリン・ワインハウスの主従が居る場所だ。
人間の愚かしさ、浅ましさというものが此処には噎せ返るほど溢れている。淫行目的のナンパや暴力沙汰、カツアゲや悪徳商売。だがそれは、あくまで上のフロアに限った話。そんな"若気の至り"で済まされないほど堕落した者達が集うのが、この知る人ぞ知る地下フロアだ。此処には若者だけでなく本職のヤクザもやって来るし、違法薬物の取引も当たり前のように行われている。
「オイ、何だよこの糞不味い酒は。もっとマシな店なかったのか、ええ?」
「んっ、しょうが……ないでしょっ……!」
「…………」
いや、"行われていた"とするべきだろう。
ケイトリン達が訪れるようになってから、この店は大きく変わった。勿論、良い方にではない。底の底、そのまた底。蠱惑と破滅が満ちる、一度踏み入れば死ぬまで弄ばれる伏魔殿(パンデモニウム)。人生の足場を踏み外した高校生も、泣く子も黙る闇金業者も、ヤクザの名の知れた大幹部も、薬物中毒でほぼ廃人と化している者達も、誰もが彼女に触れて破滅した。まだ生きてはいるが、後はどれだけ長く保つかの違いでしかない。
薬への欲望も裏社会でのし上がる野望も全て快楽に蕩かし、揃いも揃って自分より年下の外人少女に腰を振り、物を咥えさせている、悪質な乱交じみた光景がこうしている今も繰り広げられている。其処に悲惨さが全く無いのは、慰み者にされている側の少女が愉しそうに笑っているからだ。彼女はこの状況を満喫している。壊れている訳でも無理をしている訳でもなく、真実素面で。
「――コラアバズレ。盛るのは構わねえがよ、せめて場所変えろ莫迦。只でさえ不味い酒が余計腐るだろうが」
「何、あんたも混ざりたい? 別にそれでも良いわよ、あんたこいつらより巧そうだし」
「この有様じゃ勃たねえよ、小汚え」
ケイトリン・ワインハウスは人外だ。
元は市井に生まれ落ちた、向上心が妙な方向に高いだけの高飛車娘だったが、ある高名な吸血鬼との邂逅により、とうとう人間の枠から逸脱した。ケイトリンは縛血者などと自らを卑下しない。自分こそ超越者であると信じているから、このように破滅の快楽を振り撒くことを躊躇わない。黒円卓の魔徒も認める悪の資質を、ケイトリンは有している。
彼女は吸血鬼としての力を用い、社会からドロップアウトした者、それを我が物顔で食い物にしている者、その両方を自分の部下に変えた。戦闘能力は屑も良い所だが、知能の残っている奴は情報収集に使えるし、完全に飛んでしまっている奴は自爆テロの真似事でもさせれば盤面を掻き乱せる。その筋に繋がりのある奴は最高だ、銃器の入手が困難な日本に於いては非常に貴重な武器を大量に得られる。
いずれ上回りたいと思ってはいるが、今のケイトリンでは逆立ちしてもサーヴァントには勝てない。だがマスター相手ならば話は別だ。こうやって外堀を埋めたり、最悪拉致して適当に心でも折ってやれば、間接的にサーヴァントを殺害することも十分に可能だとケイトリンは考えている。
仮にそれが不可能でも、揺さぶりさえ掛けられれば後はランサーに任せればいい。この、凄まじき先人に。
"羨ましいわね、本当――"
ヒトの規格を外れただけでは飽き足らず更なる力を希求し続ける少女にとって、ランサーは信頼出来る相棒であり、同時に羨望と嫉妬の的だった。厳密には自分と彼は同属ではないが、ケイトリンにとってそんなものは慰めにもならない。仕組みや理屈が違おうが、根幹から別種だろうが、吸血鬼と言う枠組みで自分が彼に劣っている事は明白なのだから、細かい事情がどうあれ羨まずにはいられない。
今も脳裏に焼き付いて離れない、あの鮮烈な夜の世界。息が止まり、思わず見惚れた。元々聖杯を狙う腹積もりでは有ったが、それを後押ししたのは間違いなくランサーだ。魔性の女として人を魅了してきたケイトリンが、ものの見事に魅了された。彼の、暴力に。
"見てなさい。絶対――あんたを超えてやるんだから"
悪童は不敵に笑う。自身が吸血鬼さえも超越した、真の魔に成り上がる未来を夢見て。
ウェイバー・ベルベットの抱く鬱屈とした感情は、あの夜以来只の一度とて晴れた事がなかった。
そも、何故こんなことになってしまったのか。其処からして、ウェイバーには不満だらけだった。
全ては上手く行く筈だった。そう、行く筈だったのだ。冬木に渡って憎きケイネス師から盗んだ聖遺物を用いてかの征服王を召喚し、聖杯戦争を勝ち抜いて自分は脚光を浴びる。自分を家柄に託けて見下していた連中は考えを改め、腐敗した時計塔、ひいては魔術協会の仕組みすら大きく動く。そうした未来の為にウェイバーは行動していたのに、何故自分は今、仮想世界の聖杯戦争などに参加させられているのか。
そして、その上で――こんな劣等感に苛まれ続けなくちゃならないのか。
「クソッ……」
何もかも、何もかもが狂ってしまった。
突然おかしな聖杯戦争に巻き込まれたのも相当に面食らったが、それでもウェイバーは戦争に勝利してやる気満々でいた。冬木で正規の手順を踏んでいないという辺りにケチが付きそうでは有るものの、それでも聖杯を手にしたという実績は間違いなく今後の箔になる。おまけに、勝たなければ此処から出る事すら敵わないのだ。釈然としない思いを抱えながらでは有ったが、彼は彼なりに現実と向き合う準備が出来ていた。
それを全部台無しにしたのが、あのアーチャーだ。傲岸不遜、傍若無人、貴族の悪癖を全部抱えたような忌まわしい女。
奴はたったの一度も、自分に敬意を払った事はない。百歩譲って対等の付き合いを求めて来るのならまだ解る。然しウェイバーのアーチャーには、マスターを尊重しようと言う態度は皆無である。ウェイバーは彼女と会話する度、魔力炉にしか使えない塵めと嘲笑われている気がしてならなかった。そして事実、その通りなのだろう。あれは自分に限らず、己以外の何もかもを等しく嘲笑し、見下しているのだから。
ウェイバーとて、そんな事に一々気を病んでいる自分が愚かなのだと言う事は理解している。どんな狼藉を働かれようが所詮はサーヴァント。適当に受け流しつつ持ち上げて利用するのが正しい魔術師の在り方だ。それは間違いない。されど頭で解っている事を百パーセント実現出来る人間の方が、この世の中では少数なのだ。そしてウェイバーは例の如く、それが出来ない人間だった。アーチャーの侮辱一つ一つに、馬鹿正直に向き合ってしまう手の人間であった。
「――はあ……何でこうなるんだよ。僕が何か悪いコトしたってのか……?」
彼の中では、聖遺物を掠め取った事は悪行ですらない。正義は己に有り、あの行動は必要悪だったと信じている。
何故なら自分はあのケイネスなどという愚か者とは違い、名声のみならず環境そのものを変えたいと願っているからだ。
……よく考えなくても破綻しているのが一発で解る馬鹿げた理屈だが、限界に近い精神状態のウェイバーには、考えを改める余裕すら有りはしない。彼はこの時まで勝ち残っておきながら、酷く追い詰められていた。サーヴァントと相性の悪さが此処まで響いてくるとは、彼自身思いもしなかったが。
正しい出会いを経られなかった青い魔術師は苦悩し、疲弊し、それでも生き残った。
予選、参加者の剪定を乗り切ったのだ。以前までの彼なら、やはり自分には才能が有ったのだと喜び、聖杯獲得への想いを一層強めていただろうが、今のウェイバーにはそこまでの気力は残っていなかった。プライドの高い人間にとって、自尊心を踏み躙られ続ける事がどれほどの屈辱であり、苦痛であるか。彼の姿を見れば、それがよく理解出来るに違いない。
そしてそんな無様を晒すマスターを嘲笑って悦に浸るは、氷河姫の魔星。
サーヴァント・アーチャー……真名を
ウラヌス-No.ζと言う、美しき花園の主である。
"嗚呼、なんて醜く見苦しいのかしら――矜持と実力を履き違えた愚物は"
彼女はウェイバーとは対照的に、自信に溢れた様子だった。聖杯戦争を制するのは自分であると、微塵の疑いもなく信じている。霊体化している為表情は確認出来ないが、彼女がもし今実体化していたなら、冷徹な美しさを湛えた顔貌を悦びと憐れみの笑みに歪めていた筈だ。
勝つのは私、論ずるまでもない。
聖杯は我が花園に下り、奇跡は道理を捻じ曲げて、忌まわしき怨敵を必滅の裁きで以って抹殺するだろう。その時に英雄が発する断末魔を想像するだけで胸が躍る。戦いの原動力となる。
"我が復讐は、奇跡の降臨によって果たされる。それまで精々、切り捨てられないよう尽くす事ね"
大虐殺の星、未だ健在。復讐の徒花は、咲き乱れる時を今か今かと待っている。
スサノオと言う暗殺者はその職業柄、様々な"狂った"人間を目にしてきた。
血で血を洗う凄惨な戦いを心から愛し、拷問と虐殺を繰り返す女将軍。
躯を使役し、永遠に共に過ごす事を望んだ少女。
自分の中の正義を妄信し、それにそぐわない者を悪と断じて殺戮する真性の狂人。
そんな彼だから、断言できる。自分を召喚したマスターは、間違いなく狂人寄りの人間であると。
冬木大橋の縁に腰掛けて、足をぶらつかせている灰がかった髪の少女。彼女こそが、スサノオ……サーヴァント・バーサーカーのマスターだった。東雲あづま。痛ましい虐待に日々曝されている、小さく華奢な幼子。年齢自体は見た目より幾らか重なっているのだろうが、その矮躯と性格の幼さから、実年齢を言っても信じる者は稀有だろう。
その右手には、鳥の死骸が握られていた。死んでからもう結構な時間が経っている筈だが、それを持ち歩いている事に、少女は何の躊躇いも抱いていない。スサノオは其処まで踏み込んだ訳ではないものの、あの鳥は彼女の友人だったのだという。――否、彼女の中ではそれは過去形ではないのだ。現在進行形で、無惨な姿に成っても尚、あれはあづまの心を支え続けている。
虐待に心を病み、唯一の拠り所である友人さえ奪われ、その結果心が壊れてしまった哀れな娘。それが真実ならばどれほど救いようが有ったろうか。だが生憎と、それは真実ではない。この東雲あづまと言う少女は、人間的な要素が幾つも欠落している破綻者だ。そのことをスサノオは、これまでの戦いの中でずっと目にしてきた。
人の首を刎ね、死体を足蹴にして顔色一つ変えない。
まるで人形を破壊するように淡々と、感慨も何もなく、彼女は敵を殺す。
「ねえ、バーサーカー」
「――どうした」
「あとどれくらい? 何人くらい?」
あとどれだけ殺せばいいのかと、あづまはスサノオに問う。
当然これは、一人も殺していない人間の台詞ではない。
あづまは基本、戦略を立てない稚拙な考えの持ち主だ。当然其処をスサノオがカバーするのだが、それに付随する彼女の戦闘能力はマスターの域にはない。生半可な魔術師であれば一刀の下に両断してしまえる程の強さと無慈悲さを、あづまは高い水準で兼ね備えている。
スサノオは知らない事だが、何も東雲あづまという少女は、常に異能者であったわけではない。
ある異世界に於いてのみ使える筈だった異能を、仮想世界での聖杯戦争という土俵故、例外的に持ち込めているだけのこと。逆に言えばスサノオをして高い評価を下す戦闘能力を持つ現状でも、東雲あづまの全霊ではないという事なのだが。
「何とも言えんな。だが、前哨戦の終幕は時間の問題だろう」
「ぜんしょーせん?」
「……つまり、もうじき本番に入ると言う事だ」
「そっか」と、あづまは喜ぶでも驚くでもなく蛋白に頷く。
それから手元の死骸に向けて、愛おしそうに語りかけるのだった。
「もう少しだってさ、文鳥ちゃん。楽しみだね、わくわくするっ」
参加者の剪定が終わり、聖杯戦争が本戦に入れば必然戦いの苛烈さはグレードアップする。これまでは苦戦する事なく勝ち残れていたとしても、此処からはそうは行かない。当たり前だが、自分が逆に滅ぼされる可能性も出て来るのだ。最早本戦が始まった時、冬木に残っているのは何十という主従の中から生き残った選りすぐりの猛者達のみであるのだから。
だというのに少女は高揚と期待でもって、その時を迎えようとしていた。彼女は自己を過信してはいない。ただ勝利すると強く渇望しているから、岩のように不動でいられるだけ。そして言うまでもなくそれは、十代半ばにも届かない齢の少女が到れる境地では断じてない。
――東雲あづまは狂っている。改めて、とんでもないマスターに召喚された物だとスサノオは改めてそう思った。
だとしても、スサノオは少女のサーヴァントとして戦い抜くだろう。
何故なら彼はナイトレイド……虐げられる者達の為の刃であるのだから。
聖者の数字――午前の加護を賜りし騎士は、立ち塞ぐ敵の悉くを輝く刃で蹴散らした。
まさしく無双、圧倒的な戦い。限られた時間のみの特権とはいえ、彼の強さは驚くべき領域のそれであった。
剣の一閃はあらゆる豪剣に打ち勝ち、白銀の鎧は如何なる魔術も跳ね除ける。
陽光の祝福に護られたセイバーを相手取った者達は皆、驚嘆と絶望にその顔を歪めた。それを情けないと責める事は、出来ないだろう。三倍の力を得るとだけ書けば陳腐に聞こえるが、実現さえすれば最早暴力の領域である。策を捻じ伏せ、力をへし折り、尊き幻想と謳われる神秘をそれ以上の火力で打ち破る絶対の力。
太陽の騎士……真名を
ガウェインと言うその騎士は順当に勝利を重ね、彼を召喚したマスター、アルミリア・ボードウィンも当然の流れとして、剪定期間を抜ける事に成功した。通達が為されていない以上彼女達はまだその事を知らないが、それもあと僅かな時間の間だけの話だ。
「怪我はない、セイバー?」
「ええ。誓って傷は負っておりません、どうぞご安心を」
では、この高潔なる騎士の召喚に成功した幸運なマスターは果たしてどんな人物なのか。
誰もが興味を抱く事項であろうが、その答えを知った者は皆、驚きを顔に浮かべる事だろう。何故ならガウェインを従えるマスターは、まだ十歳にもなっていないような幼い子女であったのだから。まるで嘘のような話だが、アルミリアの右手に刻まれている童女には似合わない朱い刻印が、それが偽りなき真実である事を物語っている。
「そちらこそ、お疲れではありませんか? 私も配慮しているつもりですが、そもそも貴女は魔術師ですらないのです。どうか、ご無理だけはなさらぬよう」
混じり気のない善意からセイバーが口にした言葉は、アルミリアの胸にチクリと小さな痛みを与えた。
そう、自分は彼を十全の形で扱えている訳ではない。努力ではどうにもならない魔力量の少なさという問題が、彼の強さに一抹の陰りを生んでいるのは疑いようのない事実だ。此処までの戦いでは幸い危なげなく勝利を重ねて来られたが、果たして本戦、本当の聖杯戦争でもそう上手く事が運んでくれるだろうか。
魂喰いのような外道に手を染めれば、その辺りの問題は上手く解決出来るやもしれないが――アルミリアにはそれは出来ない。そしてセイバーも、決して承服しないだろう。だからこそアルミリアは、セイバーに縛りの有る戦いを強いてしまう。現状では、どう頑張ってもそれを変えられない。
其処に忸怩たる思いを抱かずにはいられないアルミリアだったが、彼女はどうも、感情を隠すのが下手のようだった。
「勘違いをしないで戴きたい、アルミリア。私は何も、貴女のマスターとしての素養に不満が有る訳ではありません」
「え――」
妹を窘めるように穏やかな声色で、セイバーは言った。
それにアルミリアは、一度は伏せた顔をおずおずと上げる。
「我が剣は必ずや、貴女に勝利を齎すでしょう。ですが、その前に貴女が壊れてしまっては意味がない」
重ねて言うが、セイバーは高潔な男だ。敵手を軽んじず侮辱せず、たとえ相手が自分に比べ圧倒的に劣っていても礼節をもって相対する。号令さえ下れば颯爽と戦場に赴き、涼やかな笑顔で勝利する理想の騎士。そんな彼は只の一度として自己を過信し、驕る醜態は晒さない。然し"驕る"事と、"勝利を信ずる"事とでは全く意味が異なる。
セイバーは己の剣に誇りと確かな自信を持っている。その誇りと自信は、彼に自らの勝利を信じさせる。
決して遅れなど取らない――勝利を此度の主へ献上してみせると、揺るがない鋼の決意を齎す。
「ご自愛を、アルミリア。貴女が命と心を削らずとも、私は必ずや、貴女の為に勝利の栄冠を勝ち取ってみせましょう」
「セイバー……」
その姿、その魂、まさに太陽の如し。
一度は弱気に駆られかけた自分の胸に、熱が戻ってくるのが解った。
そう――自分は勝たなければならないのだ。そしてこの騎士となら、それを実現する事が出来る。
「――ありがとう」
少女の礼に、セイバーは例の如く、涼やかな笑顔で応じるのであった。
「嵐が来るな」
預言者めいた呟きを漏らしたのは、赫色の装甲を纏った、鬼神が如き威容のサーヴァントだった。日本の伝承に伝わる鬼を近代の素材で作り上げたような無機的な容姿は、見る者の殆どに本能的な危機感を懐かせるだろうそれだ。だが彼を従えるマスター、アンヌ・ポートマンはそうではなかった。実際にこの鬼――バーサーカーに助けられた彼女は、彼に心からの信頼を寄せている。人外になって尚無力な自分を、此処まで導いてくれた彼を恐れる理由が何処にあろうか。
「――それは、どういう……?」
「言葉のままの意味さ。此処までの戦いは所詮余興、聖戦の舞台に立つ勇者だけを選び出す剪定に過ぎねえ」
アンヌには、バーサーカーが見据えているらしい光景の全貌は解らない。何故なら彼女は深い知識も大きな力も持たない、只の凡人であるからだ。英霊の座に登録されるような獅子奮迅の大活躍など、まず無縁。サーヴァントと戦えばどうなるかは、バーサーカーを召喚した日の出来事が雄弁に物語っている。
然しそんな彼女にも、"此処までは余興"と言うのは何となく実感出来た。そしてこれから始まろうとしているのが、本当の聖杯戦争とでも呼ぶべき第二段階。バーサーカーが言う所の、"嵐"。これまでの戦いを勝ち抜いてきた猛者達が一斉に潰し合うのだから、過激な展開にならない筈がない。アンヌという少女の人生で間違いなく最大であろう剣ヶ峰が、もうすぐ其処にまで迫っている。その事実に、少女は背筋が粟立つのを堪えられなかった。
「あんたが気付いてるかは定かじゃないが、この聖杯戦争は何処かおかしい。少なくとも、正しい形はしちゃいない。
オレには解る――聖杯戦争など所詮表層。その裏には、底知れねえもんが眠ってるんだ。目覚めの時を待っている」
彼の話に、根拠や証拠なんてものは全くない。
バーサーカーが超越的な視点を持つ事はアンヌも散々解っているが、彼がそれを自分に詳しく語って聞かせようとした事は只の一度もない。それが自分を想っての事だというのは、何となく察しが付いた。其処に歯痒さを覚えないと言えば嘘になるが、自分に何かが出来る訳でもなし。彼の視線の先を追う事はせず、努めて静かに日常に溶け込むよう努力してきた。
だがそれもこの先どうなるか。いつの時代も、過熱化した戦争は容易く日常を押し潰してきた。聖杯戦争でも、同じ事が言える。積み上げた物が壊れるのは、本当に一瞬の事なのだ――アンヌ・ポートマンは、それをよく知っている。彼女もまた、愛する平穏な日々とささやかな幸せを、一瞬にして失った者であるから。
「気張れよマスター。あんたが日溜まりに帰りたいと願うなら、この先が正念場だ。
末路は二つ、生きるか死ぬか。それ以外はありゃしねえ。オレもサーヴァントとしてあんたの敵は打ち払うが、結局のところ、最後はあんた次第だ、アンヌ・ポートマン」
「わたし、次第……」
「オレはあくまで見極め、動くだけだ。聖杯戦争を――そしてオレ達自身をも、な」
その言葉は、アンヌには余りにも重かった。
全てをバーサーカーに任せて、彼の強さに依存してきた。
その彼が、最後はおまえ次第だと、そう言っている。
――どうすればいいんだろう。
――わたしは、どうすれば。
悩める少女を、魔星の眼光がただ黙って見つめていた。その視線に悦楽の色が浮いている事に、アンヌは気付けない。
そも、アンヌが呼び出したサーヴァントはバーサーカーだ。其処には何かしらの狂気が有って然るべきであり、話が通じ、やたらと饒舌に物を喋る彼の全てをアンヌはまず疑うべきであった。聖杯戦争の深層、眠れる何かの存在、最後はアンヌ次第と焚き付けた事さえ。全て、その場で思い付いた創作であり、戯言に過ぎないのに。
魔星の名は殺塵鬼(カーネイジ)。嘘と虚飾に塗れた、どうしようもない人殺し。
彼は、悲運の少女を勝利に導く救世主などでは断じてなく――少女を破滅へ引きずり込む、悪魔が如き兵器である。
アサシンのサーヴァント――
マタ・ハリ。所属しているタチミサーカスではマルガレータを名乗っている彼女は、生前に培った諜報能力と様々なテクニックを駆使し、只の一度も痛い目を見る事なく、予選期間を終えた。サーヴァントを斃してこそいないが、マスターならば二人ほど、自らの虜にした上で手に掛けている。サーヴァントと正面から戦えるスペックはしていない彼女なのだ、その戦果は完璧な立ち回りの結果であると言っていいだろう。
彼女のマスターである猿代草太が冬木に入ってから、凡そ三週間前後。その間、特に何か大きな問題が彼らの周りに浮上することはなかった。まさに順風満帆。公演の為に冬木を訪れたサーカス団の猛獣使いと言うロールの便利さも相俟って、拍子抜けする程あっさりと此処まで生き残れてしまった。その事実に草太が会心の手応えを覚えなかったと言えば、嘘になる。二人目のマスターを殺めた時草太は、確かに自分の足が聖杯へと近付いたのを感じた。
"だが、まだだ……"
然し、有頂天になって今まで築き上げてきた足場を台無しにしてしまう愚は犯さない。
上手く行ったとはいえまだ序盤も序盤。言ってしまえば、スタートラインに立てただけだ。草太には、直に予選が終わり、ルーラーからの本戦以降通達が来ると言う確信があった。根拠は、単純に時間だ。自分が迷い込んでからでさえ三週間近い時間が経っているのに、これ以上前哨戦を長引かせるとは思えない。
明日か、明後日か、――或いは今日にも、聖杯戦争は次の段階へと移行するだろう。其処からが本番だ。それを勝ち抜く事が出来て初めて、万能の願望器に手が届く。
草太は、他の主従と同盟を結ぶ事は出来るだけ、余程必要な状況にでもならない限りは避けたいと考えていた。
その理由は極めて単純で、それだけに俗なものだ。彼は、他人を一切信用していない。裏切られ続けた人生は彼の人格を著しく歪め、重度の人間不信を植え付けた。まして聖杯戦争は人間同士の戦いではなく、サーヴァントと言う、恐るべき超常の存在がメインとなって行われる儀式である。言ってしまえばこれは、誰もがミサイルの発射スイッチを握っているようなものだ。たとえそれが一時の同盟であろうが、誰かに背中を預けたいなどとは微塵も思えない。
皮肉にも、自分のサーヴァントが余りにもあっさりと敵を仕留めてきた事もまた、彼にそうした考えを植え付ける一因となった。
「――どうしたの? 浮かない顔ね」
唐突に自分の傍らから聞こえる、女の声。
それを耳にするや否や、草太は隠そうともせず露骨な舌打ちの音を響かせる。
言わずもがな、女とは己のサーヴァントだ。二組の主従を破滅させる手腕を見せた、近代史に名高き伝説の女スパイ。アサシンのサーヴァントとしては申し分のない腕と能力を兼ね備え、実際に成果も挙げてくれた彼女の事が、草太はどうにも苦手だった。端的に言って癪に障る。一体彼女を召喚してから何度『余計なお世話だ』と発言した事か解らない程に。
「別に、何もない」
「嘘。不安なことが有ったら、ちゃんと話さなきゃダメよ? 私は、貴方のサーヴァントなんだから」
「……相変わらずだな、アンタは」
露骨な嫌悪感を滲ませながら、草太は吐き捨てるように呟いた。アサシンに対する態度は、彼女の召喚に成功してから今に至るまで一度として変えたことはない。にも関わらず、こうして何度も無駄に話し掛けてくるのが、草太の喚んだマタ・ハリというサーヴァントの面倒で忌まわしい点だった。
誰かを信じられない哀れな彼には、それこそ信じられないのだろう。
伝説の女スパイ、太陽の眼を持つ女。そう称された彼女が、心の底からこういった言動をしていると言う事が。彼女は確かに伝説と呼ばれるに値する活躍を収めたが、その実求めていたのはなんてことのない、幸福な家庭を手にする事だったなどと――そんな話は、とても信じられないのだ。其処が、猿代草太と言う男の哀しさ。波瀾万丈なんて月並みな言葉では語り尽くせない程の過酷な人生が、彼に齎した歪み。傷。
"哀しい人。だけど、私は――私だけは、貴方を裏切らないわ"
慈愛に満ちた母のように優しく、陽の眼を持つ女は微笑んだ。
――その男は、只人だった。英雄、超越者、そういった単語とは最も無縁と言っていい人種。どこまでも常人の域を出ない精神性で、泥臭く情けなく地を這うばかりの負け犬。共有された視界を通じて流れ来る鬱屈とした感情が、彼の抱えている闇の深さを否応なく理解させる。
一度の死は、然し生の終わりに非ず。屍から成る禍つ星へと、哀れな青年はその姿を変えた。
それでも、彼の中身が変わった訳ではない。身に余る力を授けられ、混ざりたくもない運命へと放り込まれただけ。己を圧倒的な力で以って殺害した英雄に挑まねばならないと言う、余りに身勝手で過酷すぎる運命に。
輝く聖戦に列席出来る喜びなど有る筈がない。手に入れた力で好きに暴れたいなんてイカれた衝動もない。
生きるも死ぬも勝手にする。迷惑だから関わってくるな。明日だの何だの、眩しく輝ける奴らだけで楽しくやっていればいいだろう。其処に自分を巻き込むな……何処までも人間らしい怒りを胸に、最誕した錬金術師(アルケミスト)は時を待っていた。待ちたくもない、忌まわしい運命がやって来る刻限を。
されど結論から言えば――彼が端役のまま、何も成すことなく生涯を閉じる結末にはならなかった。
場面が飛ぶ。
錬金術師が相対しているのは、語り尽くせない程恐ろしい敵(ヒカリ)だった。
言葉に漲る自信と鋼鉄の意思力。死に体同然の負傷を負っているのに、まるで弱々しさを感じない。直視するだけで身体が震え、息が詰まる。その有様が、同じ人間として恥じ入りたくなる程眩しくて……だからこそ、この男が敵であると言う事実は絶望的過ぎた。それは言わずもがな、この追憶の主役である彼も同じ。平時の彼なら一も二もなく逃げ出している所だが、然し彼はこの時、踵を返しはしなかった。
その理由は、あくまで覗き見ているだけの少女には定かではない。だが、一つだけ解る事がある。
ルシード・グランセニックと言う男は紛うことなき負け犬だったが、愛する"誰か"の為に立ち上がれる男であったという事。たとえその先に待つ結末が死と言う断絶であろうとも、彼は煌めく星光を消しはしなかった。らしくもない雄々しさで光の化身に向かっていき……それでも勝利を掴む事はなく。
哀しき錬金術師は敗北し、一人朽ち果てる。然し、その胸に後悔はなかった。
何故ならこの奮戦は、逆襲を呼び寄せるさきがけとなれたのだから。満ち足りた想いの中、視界は暗転し――
◆ ◆
「――ん」
見慣れた自室、ソファの上でアーシア・ヴェルレーヌは目を覚ます。
今しがたまで見ていた夢の内容は、今も瞼の裏に焼き付いていた。
聖杯戦争のマスターは、稀に自分の使役するサーヴァントの生前の記憶を夢で見る事が有る。Chaos.Cellによりインプットされた知識が、件の夢が自分の想像力に由来する出鱈目ではないのだと理解させてくれる。
あれが、キャスターの記憶。彼が二個目の命を失い、英霊の座に召し上げられるに至った戦い。
彼の勇気が愛した者の為になったのかどうかは、アーシアには解らない。ただ、彼は彼なりに精一杯生き抜いたと言う事だけは痛い程理解できた。たとえそれが、偽りの生で有ったとしても。
「やあ、お目覚めかい? 随分よく眠っていたみたいだけど」
「……キャスター」
普段通りの様子で話し掛けてきたキャスターが、アーシアの顔を見て僅かに驚いたような顔をした。
何せ、あんな夢を見たばかりなのだ。意識した訳ではないが、彼を見つめる視線にいつもと違うものが混ざってしまった事をアーシアは悟る。そんな彼女と同じように、キャスターの方も己のマスターに何が有ったのか、何を見たのか察したようで。
「……やれやれ、どうやら格好悪い姿を見せてしまったらしいね」
彼は、自分の辿った結末に後悔はないが、誇りはしない。
その前の鬱屈した足取りやら何やらまで知られてしまったとなれば、ばつの悪さにも似た羞恥心の方が勝るのだろう。
「君が見た通りさ。いや――わざわざ見るまでもなく知ってただろうけど。
僕は結局負け犬で、どうしようもない男なんだ。サーヴァントにさせられた事すら、釈然としないくらいの」
わざとらしく両手を広げ、キャスターは室内を歩き回る。
やや早口気味に前置きじみた台詞を口にして、それから、彼は改めて自分のマスターへと向き直り、言った。
「それでも、君が望む限り役目は果たしてみせるさ。
何せ星の数程居る英霊の中から僕なんかを掴まされたアンラッキーガールだ。個人的なシンパシーもある」
これは――悲恋に散った錬金術師の、あるべきでない第三幕である。
Chaos.Cellにより創造された、聖杯戦争の為の仮想世界。
ルヴィアのよく知る街と見た目的には同一でありながら、然し明確に異なった"冬木市"。
其処に彼女が、聖杯戦争の参加者として迷い込んでから早数週間――得られた成果はどの程度かと言うと、それは決して芳しいものではなかった。と言うより、事実上皆無と言ってもいい。サーヴァントとの交戦は何度か有ったが倒した訳ではなく、世界に綻びらしいものが存在しないか調べて回る行いも悉く無駄に終わってしまった。薄々予想はしていた展開だが、流石に此処まで上手く事が運ばないとさしものルヴィアもげんなりしてくる。
「やっぱりとんだ厄ネタですわ……」
果たして、本当に脱出口、ひいては脱出手段なんてものが存在するのだろうか。
彼女らしくもない弱気に駆られてしまうのも、致し方ない事であると言えよう。
つくづく、とんでもない厄ネタを押し付けられたものだと思わずにはいられない。あの時『鉄片』さえ拾わなければと、ルヴィアは心の底から自分の過失を悔やみつつ、同時に、やるならせめてもうちょっと分かり易い参加条件を付けろと顔も知らないルーラーのサーヴァントに怒りの炎を燃やすのであった。
……とはいえ、過ぎた事をいつまでもあれこれ悔やんでいても何も進まない事はルヴィア自身よく解っている。
手掛かりがなくとも、手段が思い付かなくとも。こんな所で死んだり、何者かの思惑でいいように操られたりしたくなければ、先の見えない調査をとにかく重ねて前進していくしかないのだ。その途方もなさに思わず辟易してしまうが、此処まで来たら気合と根性、道理を無理で通すが如き勢いを見せてやる、という思いも一周回って生まれ始めていた。
と、其処でふと、ルヴィアはある事に思い当たり、自分のサーヴァントへと問いを投げ掛けた。
「ランサー、そういえば貴女、妙な事を言っていましたわね」
「妙な事?」
「聖杯が手に入らないなら入らないでも構わない、だとか何とか。それはつまり、ちょっとは聖杯が欲しいって事じゃありませんの?」
「? 普通に欲しいけど」
ランサーは、少々特殊なサーヴァントだ。
六十六枚の古い能面の面霊気――平たく言えば付喪神。
彼女の能面にはその全てに感情が割り当てられており、面によっては口調がまるで別人のように変化する。
今日は普通の、見た目相応の少女らしい口調のようだった。
それはともかく、ランサーはルヴィアの問い掛けに対し、「何を当たり前の事を聞くんだ」と言わんばかりに小首を傾げながら答えた。
「普通に欲しいけどって……貴女はそれでよろしいんですの? 私の目的が遂げられたなら、貴女は間違いなく聖杯を手に入れられずに終わるんですのよ?」
「別に、それならそれで」
「ああ、もう! はっきりしない女ですわね、貴女は!!」
暖簾を腕で押すように掴み所のないランサーの言動に、段々とルヴィアの方が白熱していく。
そんな様子を見かねてか、ランサーは努めてはっきりと意図が伝わるように、気を付けながら話し始めた。
「まず、聖杯が欲しくないサーヴァントなんて殆どいないと思う。手に入れたなら何でも願いが叶うって言うんだから、そりゃ欲しい。欲しくないわけがない。
でも――願いの強い弱いはある。私の願いごとは別に、意地でも聖杯で叶えなきゃって程じゃない。だから、別に手に入らないなら入らないでも、いい」
「……そういうものなんですの?」
「そういうもの」
こくりと頷くランサーの姿に、ルヴィアは脱力して溜め息を吐き出した。つくづくやりにくい相手だと、何度目かの実感を余儀なくされる。
要するに、手に入れるチャンスが有れば聖杯は欲しい。でも、わざわざマスターと対立してまで欲しい訳ではない。ランサー……
秦こころというサーヴァントにとって聖杯はその程度の物であり、それ以上でも以下でもないのだ。
その奔放とも言える在り方に大分(半ば勝手に)振り回されているルヴィアだったが、然し冷静に考えれば、彼女のようなサーヴァントを引けた事は脱出を目論む身からすれば僥倖だったとも言える。何故なら少なくとも、身内で揉める必要は全くないからだ。切羽詰まった状況では、余計な懸念は兎に角減らしておきたい。
"……冗談じゃない。こんな張りぼての街なんかに骨を埋めるなんて絶対に御免ですわ"
何としてでも、この街を――この世界を――聖杯戦争を抜け出してやる。
不運な魔術師、ルヴィアゼリッタ・エーデルフェルトは、拳を硬く握り締めながら改めてそう誓った。
大江山の首魁、『
茨木童子』を召喚した少女、丈槍由紀。
彼女もまた、数十という主従の潰し合いを生き延び、無事本戦開幕の時を迎えようとしていた。
自分の部屋――何週間過ごしても久し振りに感じてしまう、生活感の染み付いた部屋。ベッドの上に腰掛けて夕焼け色に染まる冬木市を眺める瞳は、いつも明るく天真爛漫な彼女らしくもない真剣なそれだ。此処まで、生き残れた。決して生半可な気持ちで聖杯戦争に臨んだ訳ではないが、それでもやはり、なかなか実感が沸かない。
否、現実を直視したくない自分が居るのだ。無事に生き延びられていると言えば聞こえはいいが、由紀の足下には今、敗れた数多の願いが積み重なっている。資格を失い、後は消えるのを待つだけの……或いは、既に命を散らしてしまった者達の。その上に、自分は居る。そうを思うと、暗澹たる想いになるのを禁じ得ないのが正直な所だった。
丈槍由紀は決して超人ではない。少々経歴が特殊なだけで、中身は所詮二十年も生きていないような小娘だ。沢山の願い、想い、生命を足場にして顔色一つ変えない程の非情さを、彼女は持ち合わせていなかった。少なくとも、今はまだ。
"……ごめんね"
謝る事自体敗者への侮辱だと、頭では解っている。
だからこれは、自分の気持ちを楽にするだけの身勝手な自己満足だ。
それでも――由紀に諦めるつもりは毛頭なかった。勝たなければ出られない、袋小路の世界。自分が生きる為に他を蹴落とせと言われたなら、きっと由紀は叛いていただろう。だが、由紀には聖杯で叶えなければならない願いが有る。変わり果ててしまった皆の日常を、元の形に戻したいと言う願いが。
その為に、由紀は戦うと決めた。
戦う事の意味をきちんと理解した上で、それでも諦められず、昏い勝利を目指す事に決めたのだ。
無論、由紀は魔術師ではない。聖杯戦争が次なる節目に進もうとしている事なんて解らないし、事実今この時も、次なるステージの開幕が間近に迫っているとは知らずにいる。一方、彼女のサーヴァントである鬼種の娘は、敏感にそれを察知していた。
「――何を呆けている。貴様さては、まだ気付いておらぬのか」
響く声、実体化する鬼。
それは嘗て京の都を震え上がらせた大鬼と同一人物とは思えない、可憐な童女の姿をしていた。愛らしく、菓子を頬張る姿の似合う矮躯。――が、もしもそれを笑うような事があれば、その者の五体は瞬時に引き千切られ、肉叢は喰らい尽くされるに違いない。どれだけ見た目が可憐だろうが、人の形をしていようが、鬼は鬼。その認識を誤った者はこれまで例外なく、哀れな犠牲者として歴史の闇に消えてきた。
茨木童子……バーサーカーは間違いなく鬼の中の鬼である。そんな彼女だから、由紀では到底気付けない、確かな空気の乱れを鋭敏に感じ取る事が出来た。冬木のそこかしこに満ちていた殺気や闘志が薄れ、それとは全く別種の奇妙な波長が満ち始めている。明らかに数日前とは違う異界に、冬木は変じようとしていた。これが聖杯戦争と無関係の事象であると、バーサーカーには思えない。
「有象無象を狩って無聊の慰めとする時間は終わりだ。此処からが、真の聖杯戦争よ」
「……それって」
「ふん。思い上がるなよ、娘。汝の采配が優れているのではない、真に優れているのは吾を喚ぶ事が出来たその幸運だ」
……肩の荷が一つ、下りるのを感じた。
バーサーカーにとっては退屈な時間だったかもしれないが、由紀にとっては気の休まる暇のない日々だった。
とはいえ、戦う力のない由紀に出来た事は、精々彼女の足を引っ張らない事くらいのもの。
「……ありがとっ、ばらきー!!」
「ぬっ――!?」
感謝の言葉をありったけ伝えたかった。けれどいきなりではどうしても思い付かなくて、あれこれ悩む内、つい反射的に由紀はバーサーカーへと抱き着いていた。其処に機嫌を取る意図や、彼女を今後も上手く使ってやろうと言う邪な感情は誓って一切ない。丈槍由紀にとってバーサーカーは部下でも道具でもなく、自分の願いを叶えてくれる大切な相棒だ。彼女は下心を抱くことなく、一人の友人にそうするように、この鬼女と付き合っているのだ。
「ええい、離れろ! それとその呼び名は止めろと何度言えば解るのだ、汝は!!」
――それでも。バーサーカーの全てを、由紀は知っている訳ではない。
陵辱を愛し、暴虐の限りを尽くす鬼種、その本領を見た事はないのだ。
いずれ、彼女はそれを知る事になるだろう。鬼と言う存在の、恐ろしさを。
彼女の本当の聖杯戦争は――ある意味では其処から、なのかもしれない。
少女の世界はごく小さかった。殆ど隔離同然に与えられた部屋の中で一日を過ごす。常人ならすぐに退屈でおかしくなってしまうか、何とかして逃げ出そうと画策して然るべき所だが、チェルシーはそういう考えを起こしはしなかった。絵本は頼めば貰えるし、ご飯もおやつも美味しい。たまに様子を見に来てくれる職員の人達や院長先生はとても優しく、厭な事は何もない。いつも一緒のぬいぐるみも、ちゃんと傍に居る。
そして何より、チェルシーには心強い味方が居た。チェルシー以外は誰も知らない、小さな少年。アヒルによく似た口と玉ねぎの先端のように尖った髪型で、いつも飴を舐めているコミカルな見た目の彼。何も知らない者が見たならサーカス団の人間か何かだと認識しかねないような風貌、出で立ちとは裏腹に、彼は凄く頼れる人物だ。
チェルシーが泣いていたら笑わせてくれる。喜んでいたら一緒に笑ってくれる。不安な時は、勇気付けてくれる。
誰にでも出来るような簡単な事だが、それを当たり前にこなせる者となると、サーヴァントと言えどもなかなか居ない。然しチェルシーのキャスターには、それが出来た。もし彼がそうする事の出来ないサーヴァントだったなら、チェルシー共々、予選期間の内に脱落を喫していた事だろう。
傷付き、壊れかけた哀れな赤ずきん。彼女の心の傷と綻びを癒やしつつ、それを守る優しい魔物(キャスター)。
斯くして少女と少年もまた、聖杯戦争の主従剪定期間を生き抜き、今日の日まで辿り着いた。そしてキャスターは他のサーヴァント達同様、ほんの僅かな空気の変化を察知して、その事を感知していた。
"はあ~~……運が良かったなあ、本当……"
生き抜いた、と言っても。
チェルシー達は決して激戦を経て今日を迎えた訳ではなかった。それどころか、彼女達はこれまで只の一度もサーヴァントと対峙していない。お目に掛かった試しさえない。本当に普通に日常を過ごしながら、予選期間を過ごし……何か危ない目に遭うでもなく、まさに運良く無傷のまま此処までやって来られたのである。
キャスタークラスは元々正面戦闘向きのクラスではないが、その例に漏れず、彼も真っ向勝負を挑み挑まれして優位に立ち回れるようなスペックはしていない。戦える手段こそ有るものの、戦闘は可能ならば避けていきたいのが本音だ。そもそもチェルシーを脱出させる事を狙うのならば、進んで戦いに興じる意味は無いのだし。
……等とあれこれ考えていたのだが、結論から言えば、それらは全て杞憂に終わった。
勿論偶には霊体化しながら院の周囲を巡回したりもした。それでも、チェルシーの周りにサーヴァントの魔の手が伸びる事はなかった。彼女はどうやら、余程運に恵まれていたらしい。或いは、これまであんな小さな少女に過酷ばかりを押し付けてきた神様が漸く慈悲の顔を見せてくれたのか。
いずれにせよ、キャスターとしても助かった。だが、問題はこれからだ。主従の数が減り、佳境に向かって戦争が激化していくだろう今後も、これまでのように平穏無事なまま過ごせるとは流石に思えない。それに――日常に甘んじているだけでは、ただ足を止めているのと同じだ。チェルシーを元の世界に帰したいと願うなら、踏み出す必要がある。帰る手段を自ら模索していく必要がある。チェルシー自身が頑張らなければならない場面も、きっと来よう。
「……でも大丈夫だよ、チェルシー。僕が絶対、お前をお母さんのとこに帰してやるからさ」
ぬいぐるみを抱き締めて壁に寄りかかり、窓から射し込む斜陽に照らされながら寝息を立てるマスターの少女を起こさない程度の声音で、キャスターは改めてそう誓った。
必ず帰してみせる。泣き虫で、逃げて、泣いてばかりだった"弱虫
キャンチョメ"はもう居ない。人間界でのあの戦いでキャスター……キャンチョメは色々な事を学んだ。その結果が、今の自分だ。誰もが早々に脱落すると思っていた弱虫な魔物の子は様々な出会いを別れを通じて大きく成長し、サーヴァントとして召喚されるまでに大成したのだ。
そうして自分を召喚した少女は、嘗ての自分のような泣き虫マスター。何となく因果なものを感じてしまうのも、詮無きことであろう。
ぽふ、と彼女の茶髪の上に手を置いて。
キャスターは腕組みをし、考え始めた。チェルシーが起きたなら、一体何をして驚かせてやろうかと。笑顔を振り撒く優しい道化は、一人静かに頭を捻るのだった。
■16:白黒――有馬貴将&セイバー
異様な姿の男だった。
現実離れしていると言っていい、幻想的ですらある白髪の美丈夫。顔立ちが端正な事は言うに及ばず、体格も殆ど完全な域に鍛え抜かれている。無駄に筋肉の鎧をゴテゴテと盛るのではなく、鍛錬の成果を体の内にこれでもかと押し込んで閉じ込めた、引き締まった肉体。下手なサーヴァントより余程超常の存在らしいと、誰もが頷く事だろう。そしてそんな彼の片腕には、英霊を従える三画の刻印がありありと刻まれていた。其れこそ、彼もまた、この世界では一人の舞台役者でしか無いと言う事実の証左であった。
男の名を、
有馬貴将。嘗て"CCGの死神"の名を恣にし、味方からは羨望と尊敬、敵からは畏怖と憎悪を集め、屍ばかりを積み重ね――その末にとある青年に敗れ、彼を一介の生命から唯一の"王"に変え、満足のままに生涯を終えた老人である。
そう、彼は死んだ筈だった。終わりを悟り、自ら首を切り裂いて。されど確かな満足を抱えながら、悔いなき結末を迎えられた筈だった。にも関わらず、有馬貴将の物語は其処で打ち止めとはならなかった。蛇足と言ってもいい"その後"の話が、無造作に付け足されたのだ。
クインケを失った代わりに人外の相棒と神剣を得、有馬は新たな戦いへと身を投じた。聖杯が謳う願いを叶えると言う売り文句など、有馬は眼中にすら置いていない。彼は自らの意志で、誰かの為の武器として戦う事を決めた。生きたいという想いを尊重し、明日へと生かす武器になる。"黒"の真名を持つセイバーとの語らいで、死神と呼ばれた男は再起した。そして……幾騎かの英霊と幾人かの悪しきマスターを滅ぼしながら、彼は真の聖戦、その開幕の時へと歩を進めていった。
様々な願いを見た。
様々な意思を見た。
邪な物も有れば、切実な物も有った。
その全てを越えて、有馬は今此処に居る。
散り行く者に、倒した者に、感傷を抱く事はない――過去、あの"喰種"が居る世界で、そうだったように。
有馬貴将は一振りの武器として、悉く勝利を重ねていった。言うまでもない事だが、此処までの戦いで、有馬達は只の一度も遅れを取った試しはない。どんな優れた魔術師も、サーヴァントも、有馬とそのセイバーの前には無力だった。彼らはまさしく、願望器を追う全ての主従にとっての恐るべき武器であり、死神に他ならなかった。
「――良い夜だな」
「……俺は、そうは思わないがな」
新都のあるビルの屋上から、見かけだけは平穏無事な街並みを見据え、主従は言葉を交わす。
街に戦いの気配はない。かと言って、聖杯戦争も落ち着いてきた等と戯けた事を口にすれば知性の程が知れる。
嵐の前の静けさと言う諺が有るが、目の前に広がる平穏はまさにそれだった。こんなもの、所詮は仮初め。いずれ時が来れば薄氷を踏み抜くようにあっさりと崩れ去り、濁流の如き勢いで混沌が溢れ出すのが見えている。……早ければ、明日にもその時が来るだろう。有馬達は、そう踏んでいた。
大方、何処の主従も察知しているのだ。確信を得ているか本能的に感じ取っているかの差異はあれど、戦いが次のステージに進む事を悟っている。だからこそ、皆息を潜めて待っているのだろう。開戦の号砲が鳴り響き、本当の――此処までの戦い全てが前座に思えるような、英霊達の最終戦争(ラグナロク)が幕開ける瞬間を。
「思い出しているのか、元の世界を」
有馬は、小さくセイバーの問い掛けに頷いた。
有馬貴将の暮らしていた元の世界は、ある一点に於いてだけこの世界とは明確に異なっている。
それは言うまでもなく、"喰種"の存在だ。有馬が殺す事を宿命付けられ、最期に暖め続けた玉座を託した人類の近縁種。
彼らの姿が、この街にはない。故に当然、CCGも存在しない。聖杯戦争さえなければ、少なくとも現代日本の市井で暮らしている分には、さぞかし平穏な世界だった事だろう。――所詮、時が来れば消えてなくなる泡沫の幻想だとしても。
「俺だって人間だ。過去を思い出す事くらい、あるさ」
「では、悔いが有るのか」
「まさか」
そんなもの、誓ってある筈もない。
有馬貴将の人生は終わった。これは延長戦。二本目のゴールテープに向けて走る捻れた時間。有馬の死が覆されたとしても、彼の肉体が常人の数倍の老いを抱えている事は何も変わっていないのだ。何があろうと、やはりその老い先は短い。そして何があろうと、有馬が悔いを抱く事はないだろう。
あくまで彼を記した物語の頁は――既に閉じられているのだから。
結論から言えば、遠坂凛の聖杯戦争は順風満帆だった。
特に目立った問題が浮上するでもなく、それどころか全てが上手く行っていると言っても過言ではない。
凛は自身の魔術の腕前に確かな自信を持っているが、その彼女をしても驚く程だ。窮地に追い込まれた事は一度としてなく、危険を感じた事さえ碌にない。聖杯戦争に上手く適合出来ず四苦八苦している者や、或いはその末に散ってしまった者達が見たなら、嫉妬で胸を焦がす事請け合いの道筋。
然し、凛が勝利を重ねて続けている現状に満足しているかと言えば、否だ。
「三週間、か」
呟いて、聖杯戦争が始まってからもうそれだけ経ったと言う事実に少なくない驚きを覚える。
当たり前の事だが、聖杯戦争の最中は基本的に気の休まる暇がない。
不利な局面に立たされている者は勿論、仮に有利側に居たとしても、驕り散らかすのは禁物だ。常に細心の注意を払って行動し、アサシンやキャスターの計略で敗北と言う底なし沼に落ちる事がないように構えなければならない。そんな風に気を配りながら日常生活を送っていると、日々が過ぎるのは本当にあっという間である。
最初、この世界に飛ばされた時の事が今となっては懐かしい。第五次聖杯戦争――"本当の"冬木の聖杯戦争が始まろうと言うまさにその時、偶然手にした『鉄片』。いきなり仮想世界に放り込まれ、此方の聖杯戦争に参加しろと言われた時に凛が激怒したのは言うまでもない。そんな話が有るかと、自分を襲った理不尽な運命を散々こき下ろした。……そんな時の事だ。あのいけ好かない、黒いアーチャーが現れたのは。
「本当、何なのよ、あいつは……」
黒いアーチャー。遠坂凛の、サーヴァント。
彼は優秀だが、些か以上に人格に問題が有る――少なくとも、凛にしてみれば――サーヴァントだった。
口を開けば皮肉かよく解らない思わせぶりな台詞を吐くかで、いっそ令呪でも使って謝らせてやろうかと思った回数は一度や二度では利かない。その度青筋を立てながらも必死に抑えてきた自分の努力を誰かに褒めて欲しい物だと、凛は心底そう思う。もし機会が有れば今までの分も含めてたっぷり嫌味を言ってやると心に決めているが、然し生憎、凛が彼を正当に叱責出来る場面は今日に至るまで只の一度も有りはしなかった。
……そのくらい優秀な男なのだから、もう少し協調性と言う物を身に着けてくれれば文句はないのだが。
因みに、彼が凛の傍に居る事は殆どない。夜は特にそうだ。いつも索敵に向かうと言って外へ出ていき、いつの間にか戻ってきている。凛の知らない所で彼がサーヴァントを仕留めた事も、これまでに何度か有った。騎士道だの何だの、そういった概念とは全く無縁のやり方で、あのアーチャーは敵を屠る。女だろうが子供だろうが関係なく、歪な形の銃剣で撃ち、斬り、舞台から退場させるのだ。
"――いや。別に、気にする必要はないわ……私は、私のやるべき事をやればいい"
遠坂凛には、自分のサーヴァントが解らない。あれが一体どういう男で、何を考えているのか。何一つ、解らない。
だが、解らないなら解らないままでも構わない。凛の目的は、サーヴァントと絆を育む事に非ず。聖杯を手に入れて持ち帰り、全ての魔術師の悲願である、根源への到達と言う果たす事。それが果たせるなら、大概の事は怒りで歯を軋らせる程度で我慢出来る。
……そう頭では解っていても、やはり心の奥の疑問までは消えてくれない。結果、凛の中には疲労とも緊張とも違う、悶々とした物が人知れず溜まっていくのであった。
◆ ◆
――そして。銃剣の弓兵は、帳の下りた空を見上げて能面のような表情を湛えていた。
彼は英雄ではない。名を捨て失墜した無心の執行者……記憶も過去も等しく失くした"反英雄"。
この聖杯戦争に於いて彼は、実のところ誰の味方でも有りはしない。遠坂凛の味方ですら、ないのだ。
「漸く開幕か、審判者。貴様らしい迂遠なやり方にはとことん辟易するが、オレのような不純物を紛れ込ませるとは貴様らしくもない失策だ――いや」
彼は、己の目的の為に動く猟犬だ。あらゆる手段を善しとし、効率良く敵を殺す。
されど此処で、その表情に色が宿る。苦虫を噛み潰したかのような、嫌悪の色が。心底忌まわしいとでも言いたげな表情をして、今も何処かで嗤っているのだろう"元凶"に向けてその先を紡ぐ。彼のような人種にしてみればあまりに悍ましい、然しきっと的中している、その予測を口にする。
「それも含め、読み通りか? 炯眼の審判者よ」
最早腐り果てた鉄心を秘める男は――孤独の中、己の戦いを続けていく。
「近いな」
「……アヴェンジャー?」
既に闇が覆った冬木市にて、短く呟いたサーヴァントは、嘗て一つの宇宙をすら支配出来る程の力を持つ大神格だった。過去形なのは勿論、今の彼にそれだけの力はないと言う意味だ。
神霊の類は原則、聖杯戦争には召喚出来ない。然しながら、抜け道がない訳ではない。そも、そのままの力で召喚しようとするからいけないのだ。サーヴァントとして使役可能なレベルにまで格を落とし、矮化させる事が出来れば、神話の神々を使役する事も不可能とは言えない。特に、こうしたイレギュラーな舞台では尚更だ。
操真晴人の手により召喚されたアヴェンジャーもまた、その部類である。いや――矮化の一言では片付け切れまい。負傷、疲弊、摩耗……そういった概念を極限まで与えたとしてもランクの定めようがない程の神性スキルを持つ彼は、本来どんな手段を尽くしても聖杯戦争に呼び出す事は出来ない存在だ。奇跡のような偶然と符号の上に、小数点を遥か下回る確率で縁が紡がれた。斯くして舞い降りた復讐の大天魔。
その真名は、遥か昔に喪われている。
だが、一つの天が滅んだ後、天狗の宇宙の人々は彼をこう名付けた。『夜刀』、と。
天魔・夜刀。――それが、希望を謳う魔法使いの声に応えたサーヴァントの銘。
「波を感じる。混沌だ。大方、そういう事なのだろうよ」
混沌の月、Chaos.Cell。恐らくはそれが齎しているのだろう変生の波長は、出鱈目に絵具を混ぜ合わせた末に生まれる、濁った色合いによく似ていた。ほんの僅か霊基(カラダ)に触れただけで、大元の月が完全に破綻してしまっている事が理解出来る。なかなかに悍ましい感覚だが、それ以上の物に常時、気の遠くなる時間曝されてきたアヴェンジャーには微風にも等しい。零落したとはいえ規格外の神性を持つ彼は、それを誰より鋭敏に感じ取っていた。
静厳としたアヴェンジャーの声に、晴人ははっきりと頷く。彼の言葉の意味が理解出来ない程、晴人は阿呆ではない。要するに、"その時"が来たのだ。誰かの希望になると豪語する男にとっての正念場が、とうとうやって来た。
「不安か?」
「いや……そういう訳じゃないよ。寧ろ、逆だ」
自分の想いを確認するように握り拳を作って、晴人は毅然と、アヴェンジャーの方を見る。
視界に映るのは、とてもではないが善の存在とは思えないような、悍ましい姿だ。
血のように朱い髪、強い情念と憎悪の顕れた双眸。肌は人の色をしておらず、濁り、血も通わぬ屍の色をしている。これを見て彼を善神と評する者など、まず居まい。居るとすれば、同じ神霊達か。それか全てを見通す神域の眼を持っていなければ、アヴェンジャーの真実は見抜けない。
それを真正面から見据え、希望の魔法使いは続けた。
「だって、そうだろ。誰かの希望になるって吼えた奴が、真っ先に震えてちゃ笑い話にもならない。
――不安も怖いって気持ちも、俺にはないよ。なんたって、俺は……」
「……ああ!」
ニッと笑うその顔には、確かに一縷の不安も、一縷の絶望も有りはしない。
希望を名乗るに相応しい面構えだ。杞憂だったかと、アヴェンジャーは表情を変えぬまま、心の中で静かに微笑する。
アヴェンジャー……天魔・夜刀と言う男は、決して絶望の中で生涯を終えた訳ではない。永い永い絶望と悲憤の日々の果て、彼は確かに明日へと繋ぐ光を――最後の希望を見たのだ。だからこそ、心安らかに旅を終えた。そして夜刀の見た希望は、彼が嘗て潰された闇を払い除け、曙光の勝利を手にしてみせた。
"――主役を気取りたいのなら、精々魅せてみろ"
操真晴人は、誰かを救うだろう。誰かの最後の希望として、この絶望に満ちた月海に光明を生むだろう。
一人、それを確信しながら……救いを見たアヴェンジャーは、いつかのように呟くのだった。
F・Fにとって日本と言う国は、空条徐倫の故郷である事以外にはさして印象も興味もない国だった。あのプッチ神父との戦いに勝利していたなら、ひょっとすると後々徐倫達と観光に訪れるなんて事も有ったのかもしれないが、少なくとも彼女の人生に於いて重要なファクターとはならなかった、そんな国。
にも関わらずそのF・Fは今、日本の地方都市でまたいつかの女囚の身体を借りて日常生活を送っているというのだから、人生という物は解らない。正確には彼女は人間ではなくプランクトンであるし、人生と呼ぶべき物語は既に終わっているのだが……彼女の意思に関わらず、尊厳の内に閉じたプランクトンの生涯には続きが与えられる事になった。それが、聖杯戦争。サーヴァントとそれを従えるマスター達による、万能の願望器を巡った戦いの儀式。
はっきり言ってしまえば、傍迷惑な話だった。だからと言って自殺するだとか、そういう選択肢を取るつもりは流石にない。あの最期と、自らの得た"知性"。それをこんな形で侮辱されて腹の立たないF・Fではなかったが、それでも自ら命を断つのは論外だ。逃げるようで気に入らないし、徐倫達が見たなら絶対に止める。それどころか、殴られてもおかしくない。
――そして、自分の召喚に応じたサーヴァントと言葉を交わした事で、もっと確たる生きようと言う意思が生まれた。此処で新たな思い出を作ってやると言う、目的が出来た。
それが、今から二週間と少し前の事。先述の通り日本なんて国には知識もなければ意欲もなかったF・Fだ。新しい暮らしに慣れるには相応の時間を要したし、結構な苦労があった。慣れない日本文化に戸惑い、時には苛立ち、たまに感激などもしながら、F・Fは比較的ゆるりと今日までの時間を過ごしてきた。
「こっちでの暮らしには大分慣れたみてえだな、マスターよ」
ロールの一環で与えられたアパートの一室でテレビ番組を見ながら寛いでいたF・Fの耳に、少なくとも数日間は聞いていなかった男の声が入り、思わず反射的に身体が跳ねる。驚いて玄関の方に目線を向けると、其処には案の定、彼女のサーヴァント・アサシン……真名を
アスラ・ザ・デッドエンドと言う彼の姿が有った。
「びっくりしたあ~ッ……お前、今まで何処ほっつき歩いてたんだよ?」
「呵々、ご想像の通りさ」
その返事に、F・Fは思わずアホかお前は、と呆れてしまう。
ある日突然姿が見えなくなったかと思えば、何とこの男、単独でサーヴァントとの遭遇戦を繰り返していたらしい。目立った消耗・負傷は見られない辺り、其処まで派手な戦いはなかったようだが……それにしても呆れた物である。多分莫迦なんだろうなと、改めてプランクトンの女はそう思った。
そんな彼女に、アサシンは笑みを浮かべながら問いを投げる。
「マスター。お前、楽しいか?」
「いきなり何だよ、藪から棒に」
「――俺は、楽しいぜ」
ぐっと拳を握りながら、彼は獣のような笑みを浮かべていた。
其処には喜びの感情だけが有る。嫌味も含みも、勿論悪意も邪悪さもない、純粋な喜び。
戦闘狂の浮かべる笑みと言うよりは、ある種スポーツマンか何かのそれを思わせる表情。
「何せ、俺が胸を張って"人生"と呼べた時間は滅茶苦茶に短かったからな。
受肉なんざするまでもなく、俺にとっちゃ二度目の生も同然だ。おまけにしち面倒臭いしがらみもねえ。呵々、これを最高と言わずして何と言うのか、俺には解らねえ」
心底満ち足りている、と言う風な彼の言葉を聞いて、F・Fは少し考える。
十秒程だろうか。腕組みをしながら冬木で過ごした記憶を掘り返し――うん、と一度頷いてから、彼女は口を開いた。
「微妙だな」
はっきり言えば、今の日々は惰性だ。
日本での暮らしも悪くはないが、自分にはアサシンのように何か明確な目的が有る訳ではない。思い出を作ると言う事は決めているし、聖杯を手に入れる機会があるなら狙ってみたいとも思っている。それでもF・Fはやはり、闘争をこよなく愛するだとか、そういう質ではないのだ。
少なくとも現状、有意義な思い出らしい物は得られていない。だから、微妙。そう答えるしかなかった。
それを咎めるでもなく、アサシンはまた呵々と笑う。
「お前もきっと、今に解るさ」
――そんなもんかねえ。
机の上に広げたコンビニのおつまみを口に運びながら、F・Fはもごもごとそう呟いた。
暁美ほむらは、九時を少し過ぎた時計の針を眺めながら、此処までの戦いに思いを馳せる。
ほむらはこの通りきちんと生存していて、何か重篤な負傷を負っている訳でもない。左手を見れば、令呪の存在も確認できる。これらは皆、彼女が聖杯戦争を今も尚戦っている事の証左だ。立ち塞ぐ敵の全てを蹴散らしながら、ほむらは此処まで勝ち上がってきた。
哀願の声を遮り殺した。驕った魔術師を呆け面の死体に変えた。サーヴァントが不在でも、自分自身の判断と工作で他の主従を潰し合わせた。勝つ為だけに魔法を使い、その度返り血に染まってきた。呵責がないと言えば嘘になるが、だからこそ足を止めはしなかった。悔やみ、嘆き、省みて足の向かう先を変えた所で、自分が奪った者達は戻らないのだ。ならば最後まで貫くのが、殺戮者の責務と言う物だろう。
暁美ほむらは願望器を手にする為ならば犠牲を厭わない戦士だが、それでも倫理観が消し飛んでいる訳ではない。
人並みの常識、善悪観念、価値観が有る。その中には当然、今述べた倫理観も入っている。
だからほむらは暴走しない。只淡々と、自分の目的に向けて動くだけだ。然し、彼女の喚んだ――いや、喚んでしまったサーヴァントの方は違う。あれは、真性の狂人だ。倫理観を理解不能の思想で消し飛ばし、曲がりなりにも人間だった頃が有るなら持っていて然るべき常識を悉く自ら望んで捨てている。
故に暴走もするし、それを悪いとすら思っていない。彼はほむらにとって間違いなく唯一最大の味方だったが、同時に最大の嫌悪対象でもあった。
「――よう、マスター」
思考を見透かしたように、響く声。邪竜の、聲。
――血液を思わせる、赤髪の偉丈夫だ。顔立ちは端正と言っていいそれだが、全身から隈なく発されている暴力の匂いが否応なく本能的な危機感を抱かせる。これに近付いてはならないと悟らせる。それは至極生物として真っ当な警鐘だ。何故なら彼は欲望竜……人の手には余る超常の怪物であるが故に。
「……何の用かしら。貴方と語らうつもりはないと、前に伝えた筈よ」
「そう嫌うなよ。俺はこれでもおまえのことを買ってるんだぜ?
一人の為に延々時間を繰り返し、運命の断崖に挑み続けた時間遡行者(タイムリーパー)! 餓鬼に此処まで本気を見せられちゃ、あれこれ理由付けて鬱屈してる塵屑共はさぞかし立つ瀬がねえだろうよ、ヒハハハハッ」
「――バーサーカー」
これに賞賛されると言う事自体、虫酸が走る。ほむらは露骨な不快感と苛立ちを滲ませて、バーサーカーに鋭い目を向けた。それ以上無駄な言葉を叩くなと、少女らしからぬ眼光が告げている。それで揺さぶられるバーサーカーではないが、彼も、何もマスターを弄る為に姿を現したのではない。一瞬の静寂の後、今度は本来の用件について語るべく、再度口を開いた。
「もうじきだ」
たったそれだけの台詞で、然しほむらはバーサーカーの言わんとする事が理解出来た。
要するに、彼はこう言いたいのだ。――聖杯戦争が始まる、と。これまでのように数ばかり揃えた潰し合いではなく、その中で生き残った者達による、正真正銘の聖杯戦争。その開幕がすぐ其処にまで迫っていると言う意味で、彼は先の台詞を口にした。
ほむらは何故解るのかと問う事はしなかったが、バーサーカーは生前、ある傭兵団を使役していた。団の目的は只一つ、バーサーカーの愛した英雄が居る国の撃滅。その為に彼は全てを賭し、その過程の中で、情報収集や都市・国家全体の様子の変化等を機敏に察知する力を身に着けた。それを応用し、今こそが聖杯戦争の節目となる時期だと結論付けたのである。
「そう。やっと、なのね」
「ああ。待ち侘びたぜ、漸く本番って訳だ」
「……今回ばかりは貴方と同意見よ」
やっと、願望器の姿が……その輝きが見えてきたと言う所か。
これまでは暗中を黙々と進んでいるような物だったが、その甲斐有って、確実に足は聖杯へと近付いた。
あと少しで、願望器に手が届く。道理では成らぬ救いを、奇跡の力で実現する事が出来る。
鹿目まどか――ほむらの大事な少女を、過酷な運命の鎖から解き放ってやる事が出来る。
"さあて、手前が何を企んでるかは知らねえが――"
そんなほむらを傍目に、バーサーカー……
ファヴニル・ダインスレイフは全てを糸引いているのであろう、ルーラーの皮を被った英霊へと思考を向ける。
裁定者? 笑わせるな審判者よ。本気で言っているなら頭の病院にでも行くといい。
"勝つのは俺だ、ってなァ"
そう、勝つのは自分だ。その為に、あらゆる限界の枷をぶち破ろう。全ては、いつかの光へ挑む為。
黒桐鮮花と言う少女が聖杯戦争に参加させられたのも、全くの偶然だった。
日常の中でひょんな事から掴んでしまった『鉄片』。
それに引き摺られるようにして、参加したくもない魔術儀式、聖杯戦争へと身を投じる羽目になってしまった。
鮮花の最大の不幸は言わずもがな其処だったが、然し、それだけではない。
現在進行形で彼女の頭を悩ます、頭痛の種がある。いや――"居る"と、言うべきだろうか。
「……貴女ね。本当、一体何があったのよ」
フードを被った少女。見た目だけなら、鮮花よりも一回りは幼く見える紫髪の娘。彼女こそが、黒桐鮮花と言う不運なマスターのサーヴァントとして選ばれた、ランサークラスの英霊である。……あるのだが、彼女は少なくとも真っ当な英霊では決してない。その事を鮮花はこれまで、嫌という程思い知らされてきた。
「…………」
「はあ。この期に及んで、まだだんまりって訳」
彼女は――聖杯戦争を。そして、ルーラーのサーヴァントを憎んでいるのだ。
強い憎悪、なんて次元ではない。殺意と形容するのも生易しいような執念で、ルーラー抹殺を志している。
鮮花でなくとも、それを知ったなら頭を抱える事だろう。聖杯戦争を潰したいと言うのなら、百歩譲って解らない訳ではない。だがルーラーを殺したいと言うのは意味不明だ。儀式の打倒を志す上で戦わねばならなくなる、なんて消極的な理由ではない。ランサーは寧ろ、そちらの方が主目的であるかのようだった。
当然、それは困難どころの話じゃない。ルーラーはサーヴァントの生殺与奪権を、事実上握っている。生かすも殺すも自由自在、その気になればいつだって令呪を用いて自害させる事が出来るのだ。そんな相手を好んで狙うなんて、まさしく百害あって一利なし、無益極まりない考えだと言える。それが解らない訳でもなかろうに、ランサーは鮮花が何度言っても考えを改めようとはしなかった。
只、不幸中の幸いか。
ランサーは、少なくとも今はまだ、ルーラーに挑むつもりはないらしい。
彼女が何を知っているのかは定かではないが、現状では勝てない、と言う事なのか。
――はあ、と。もう一度、鮮花は深い溜息を吐いた。これと一緒に行動していたら、いつか胃に穴が空く。心の底からそう思うが、別なサーヴァントのアテもない。生きて帰る目標が有る以上サーヴァントの存在は必要不可欠な為、必然、このランサーに付き合わなければならなくなる。ままならないにも程が有ると、誰かに思い切り愚痴りたい気分だった。
"幹也――"
禁忌の恋。
愛する実兄へ、鮮花は思いを馳せた。
そう、死ぬ訳にはいかない。よりにもよってこんな場所で果てるなど、論外だ。
何としてでも生きる。生きて、帰ってやる。半ば自棄気味に、鮮花は決意を新たにするのであった。
――ランサー。復讐の徒と化した彼女は、嘗て女神と呼ばれた存在だった。
行く末の決まっている、神話体系上最も有名な三姉妹、その末妹。
何が彼女をこうまで変えたのか。時を遡る事は、今は出来ない。彼女の視た地獄は、今はまだ、彼女の中にしかない。
「――審判者」
ギリ、と歯を軋ませて。
忌まわしきルーラー……審判者(ラダマンテュス)への殺意を発声する。
彼女の真名は、聖杯戦争の舞台においては有り得ざる姿で現界した、呪われる前のとある反英雄。
女神としての姉二柱に近しい姿を持つ彼女は、されど戦う力を持たない永遠の少女とは違い、戦う力、数多の命を奪い去る魔の萌芽を幾らか備えている。
その銘は――
メドゥーサ。
今は静かに眠る玉座の真実を知る、唯一の例外。
悪辣にして知略冴え渡るルーラーが敢えて舞台に混ぜ込んだ、小さな、されど意味の有る砂粒である。
【クラス】
ランサー
【真名】
メドゥーサ@Fate/Grand Order
【ステータス】
筋力C 耐久D 敏捷A 魔力E 幸運C 宝具A+
【属性】
中立・善
【クラススキル】
対魔力:B
魔術発動における詠唱が三節以下のものを無効化する。
大魔術、儀礼呪法等を以ってしても、傷つけるのは難しい。
【保有スキル】
女神の神核:A
生まれながらに完成した女神であることを現す固有スキル。
神性スキルを含む複合スキル。あらゆる精神系の干渉を弾き、肉体成長もなく、どれだけカロリー摂取しても体型が変化しない。
彼女は後に怪物となる宿命を帯びている為か、姉達よりランクが低い。
魅惑の美声:B
人を惹き付ける魅了系スキル。
女神による、力の行使の宣言でもある。
怪力:C
一時的に筋力を増幅させる。魔物、魔獣のみが持つ攻撃特性。
使用する事で筋力をワンランク向上させる。持続時間は“怪力”のランクによる。
彼方への思い:-
いつの日にか在ったかもしれない彼方――今は、もうない何か。
鋼鉄の決意:A+
鋼の精神と行動力。
痛覚の完全遮断、並びに永続的な呪詛にも耐えうる超人的な心身を有している。
本来のメドゥーサはこのスキルを持たないが、今回の彼女はある理由から保有。
その決意は全て、憎悪すべき一人の男を討つ為に。
【宝具】
『女神の抱擁(カレス・オブ・ザ・メドゥーサ)』
ランク:B 種別:対人宝具
従来のメドゥーサ(ライダー)のスキルとして所有している能力、すなわち現在の状態のメドゥーサが『未来』に取得するモノを宝具として得ている。
手にした不死殺しの刃を見舞ったあと、視界に捉えた相手を瞬時に石化させる、最高レベルの魔眼「キュベレイ」による効果。
これを軸として、彼女は猛攻撃を行う。
【weapon】
不死殺しの刃
【人物背景】
メドゥーサ。ギリシャ神話に登場するゴルゴン三姉妹の末妹。
本来であれば召喚されるはずのない、神霊系サーヴァントの一柱。
彼女が此処に居るその訳は――。
【サーヴァントとしての願い】
審判者(ルーラー)を殺し、聖杯戦争を滅ぼす
【マスター】
黒桐鮮花@空の境界
【マスターとしての願い】
元の世界に帰るのが最優先。
【weapon】
なし
【能力・技能】
「発火」の魔術が唯一にして最大の得意技。炎で対象を焼くのではなく、対象自体に発火して貰う、という攻撃方法。
彼女は魔術回路を持たないが、先天的な属性として発火現象を持っていた為、その発動・制御のために火付けの魔術を習っている。まだ魔術の組み立てが未熟な為、戦闘時には師の蒼崎橙子からもらった火蜥蜴の皮手袋を填め。発動用の詠唱には音楽記号を用いる。これは鮮花が魔術と戦闘を楽曲だと捉えている為。
当然、その一芸に特化して汎用性がない。"魔術師見習い"ではなく"魔術使い見習い"。
【人物背景】
起源が「禁忌」であることから、実の兄を一人の男性として愛する少女。
【方針】
ランサーに辟易気味。生きて帰れれば、聖杯は手に入らずとも構わない
■EX:開戦――ルーラー
五月一日、午前零時――
聖杯戦争に参加する権利を残したまま、この日を迎えられた主従の数は、二十二組。
激戦の果てに、或いは運良く、若しくはそれ以外の理由で、数週間にも及ぶ剪定期間を生き抜いた者達。
彼らのみが、生きてこの時を迎える事が出来た。開幕の日、創世神話の一頁目。輝ける英雄譚の舞台役者として、真に星となる権利を得る事が出来た。――男は、それを心の底から祝福していた。素晴らしい、よくやった。君達の奮闘を心から賞賛し、尊ぼう。栄光まではあと少し、今後も精進したまえと、教鞭を振るう教師のように柏手を叩きながら。
『――こんばんは、諸君』
虚空に映し出される、『鉄片』に選ばれ、尚且つサーヴァントが現存している者のみが視認出来る投射映像。
其処に映っていたのは、蒼眼に硝子眼鏡の美丈夫だった。纏っている衣服は、軍服。一目見ただけで教養と地位の高さが窺える、威厳に溢れた男。彼こそが此度の聖杯戦争を取り仕切る、サーヴァント・ルーラーである。冬木教会を拠点とし、座し構え続けていた彼が、こうした形でマスター達へ通達を行い始めたその理由は、一つしか考えられない。
『先ずはおめでとう。君達は過酷な予選段階を勝ち抜き、本戦に参加する権利を勝ち取った。
今この時を以って、聖杯戦争は第二段階に移行する。総数二十二の主従に依る、第二の聖杯戦争……無論、より熾烈な戦いになるのは間違いないだろうが、それを乗り越えた二組は――"黄金の塔"、ひいてはその頂点に降臨する願望器を手にする権利を得る事が出来る訳だ』
まだ二十二も居るのかと思うか、あとたった二十二と思うかは、人によって分かれる所だろう。
尤も、大半は前者だ。ルーラーはそれを理解した上で、存分に戦うがいいとマスター達を鼓舞している。
『何、恐れる事はない。
君達も既に知識として知っているだろうが、この聖杯戦争にはある特殊なルールを実装してある。
勝利を重ねれば重ねる程、聖なる鉄は君達のサーヴァントを強化するだろう』
『鉄片』……聖鉄を用いた霊基強化。これこそ、間違いなく此度の聖杯戦争の最大の特色だ。
だが然し、これは決して弱者に機会を与える物ではない。無論、覚悟を決めて刺し違える覚悟で勝利をもぎ取るなり、謀略で鉄を奪う事が出来れば、そうした手合いにも転輪の恩恵を受ける機会は有るだろうが――それでも、圧倒的な武力で弱者を蹂躙出来る強者の方が受けられる恩恵が大きいのは間違いない。要は、強者に甘いのだ。
ルーラーとて、それは承知の上で有る。その上で、彼は其処に何の問題も感じていない。
確かに強者は余計に強くなる。そして、その何が問題なのだと。強き者が強く有るのは当たり前の事ではないかと。裁定者らしからぬ思想に基づいた絶対の精神性で、それを全肯定していた。
弱者は弱者で本気を出し、限界を超えれば追い付ける。弱者の立場に甘んじるな、強者の喉笛に喰らい付くべく吠えるがいい。さすれば道は開けよう。誰にでも等しく輝く権利は与えられているのだから、死力を尽くして挑めば平等。あるべき秩序は、如何なる時でもおまえ達の中に輝いている。
『そして、もう一つ伝えておかねばならない事が有る。聖杯戦争の"制限時間"についてだ』
その話は、唐突に切り出された。
制限時間の存在。それはつまり、敵との戦い以外に、時間との戦いを強いられると言う事。
『空を見たまえ。視えるかな、あの"月"が』
――マスター達は、サーヴァント達は、空を見る。
雲はなく、
星が見え、
大きな大きな月が見える。
『視えるかな、あの醜悪な貌が』
それは月であって、皆の知る月では決して無い異形だった。
人面の月。酷く醜悪な表情を浮かべた、冬木に破滅を齎す滅びの天体。
あれがサーヴァントの宝具であるなどと、一体誰に信じられようか。
然しそれが真実だ。これなるは聖杯戦争に仕掛けられた時限爆弾、約束された大災害。
天体規模の大破壊を受ければ、たとえ神霊であろうと霊基の粉砕は免れない。
人類は間違いなく消滅し、仮想世界は崩壊しよう。一つの例外もなく、滅却は執行される。
『今から三日後……五月四日の午前零時に、かの月は地表に激突する。それが聖杯戦争の終幕条件の一つ、"時間切れ"だ。この結末を迎えたなら、誰の願いも叶う事はない。君達の願望は、月の墜落と共に聖杯共々露と消える。とはいえ、私としてもそんな幕切れは極めて不本意なのでな。そうならないよう、諸君らが全力を尽くしてくれる事を願っている』
聖杯戦争の破綻を避ける為か、あの月はNPCには視認出来ない。破滅を知る事が出来るのは真に命有る者、魂有る者だけだ。機械を廃棄する際に、一々当の機械に許可を取らないように。プログラムされた者達には死を知る必要すら、ないのだ。所詮彼らは舞台装置。戦争の終了、奇跡の降臨と共に泡と消える泡沫の夢なのだから。
『では、これにて通達を終了しよう。――願わくば、君達の未来に幸福が有る事を祈っているよ』
白々しく、そんな台詞を吐いて。蒼眼のルーラー、審判者のサーヴァントはマスター達の前から姿を消した。
月。
滅びの月が空に有る。
全てを押し潰し、葬り去る死の月光。
それを見上げる少女が居た。
彼女の存在をルーラーが明かさなかったのは、慈悲なのか、計略なのか。
解らないが、確かな事が一つ有る。それは――聖杯戦争の終末の一つ、滅びの大災害。あのルールは、絶対ではないと言う事。少女の存在が、そのか細い手に刻まれている令呪がその証だ。従える者が居る以上は、仮面の齎す災禍も絶対ではない。少女、或いは元凶のサーヴァントを抹殺する事で、終末を覆す事が出来る。
「――きれい」
美しさとは無縁の、醜悪な貌を持った月。それを見上げて少女が漏らした感想がこれで有る事から、聖杯戦争最後のマスター・間桐桜と言う娘がどんな精神状態に有るのかが解るだろう。彼女は壊れている。幼い身には苛酷過ぎる調教と言う名の仕打ちを受けた事で、その心は今や、強固な拒絶の壁に囲われている。
彼女をそんな風に変えた元凶の魔術師は、この世界には居ない。正確には、同じ名を持つ男は居た。だがマスターですらない彼は、少女の従えるキャスターに魂を喰われて既に死んでいる。彼女は、ひとりきりだ。一緒に居るのはキャスターだけ。滅びの元凶、嗤う仮面。間桐桜の、唯一の味方。
いや、そう呼ぶには語弊があるだろう。何故ならこれを従える限り、桜に勝利はない。
仮面――ムジュラが死ぬか、みんなが死ぬか。彼女の終わりは、そのどちらかと決まっている。
「――a ha ha ha a ha ha ha」
ケタケタと、子供のような笑い声。
まともな話が通じない、意思疎通が出来たとしても相互理解は不可能と一瞬で解る、呪われた小僧。
誰も居なくなり、廃墟同然と化した間桐邸の庭で、彼は何がそんなに楽しいのか、笑いながら跳ね回っている。
桜はと言えば、膝を抱えて月を見つめているだけだ。彼女は終わりを知覚していながら、恐怖している風には見えない。そんな機能さえ、自閉の内に閉じ込めてしまった。みんな終わる、すべて終わる。月が落ちて、さようなら。
「a ha ha ha a ha ha ha」
ふと、桜はキャスターの方を見る。
彼は、何でこんなに楽しそうなのだろうか。
桜には、解らない。そして、誰にも理解出来ないだろう。
桜はぼんやりと、思い出す。
薄ぼけた記憶。もう何年も前の事に思える、いつかの日々。
母が居て、父が居て、たまにおじさんが居て、姉が居た。
あの頃は、桜も隣の彼のように――此処までではなくとも、楽しそうに公園を駆け回っていた。
戻りたいとは、思わない。思えない。そういう風になっている。
されど、仮面のキャスターを見ていると、どうしても記憶の中の風景が甦ってくるのだ。
優しくて、辛くなくて、永遠に続くと思っていた、優しい日溜まりの景色が。
「でも」
そう、でも。
そのことに、意味はない。
間桐桜はそれを知っている。
だって――
「ぜんぶ、おしまい」
全ては、三日目の月と一緒に終わるのだから。
静かな夜に、けたたましい笑い声だけが響いていた。
遊ぼう、遊ぼう。何して遊ぼう。
かくれんぼ。おにごっこ。
負けたら皆で罰ゲーム。
お月さまが落っこちて、みんなで喰われてゲームオーバー。
「遊ぼう、楽しもう」
最後の時まで、皆で楽しく。
楽しそうに、可笑しそうに――仮面の小僧が嗤っている。
■EX:神階――美遊・エーデルフェルト&セイバー
「終わったの、"セイバー"」
「ああ。滞りなく」
審判者を呼んだのは、黒髪の少女だった。
子供らしい小柄な体躯と愛らしい顔立ち、だからこそ、この場所でこの男と言葉を交わしている事実が不穏であった。
そして、今、少女はルーラーである筈の彼を"セイバー"と呼んだ。
他のマスターが見ても、彼の霊基はルーラーとしか映らない。ならば、少女が呼び名を間違えたのか。否だ。何故なら彼女こそ、この審判者を英霊の座から呼び出したマスター。彼女は、自分のサーヴァントのクラスも覚えていないような間抜けではない。認識を誤っているのは、彼女と彼以外の全てである。
「尻に火が点かないと動けないと言う人種は、存外多い物だ。無論、状況の如何に関わらず本気で戦える者が理想だが……何、そうした者達にとっても、月(あれ)の存在は良いカンフル剤になるだろう」
審判者が言っているのは、通達にて初めて存在を明かした時間制限のルール……ひいてはそれを齎す災厄のサーヴァント、
ムジュラの仮面についてだ。彼は最初からそれの存在を把握していたが、敢えて秘匿し続けていた。本来なら討伐令を出してでも真っ先に排除すべき手合いであると言うのに、彼はクエストを発令するどころか、聖杯戦争を効率的に進めるルールの一つとして利用してのけたのだ。
ルーラー適正を持つサーヴァントが見たなら、首を傾げるか怒気を露わにするか、そのどちらかであろう。彼のやっている事とその意図は、公平なるルーラーにあるまじき物。裁定者のクラスの務めである聖杯戦争の恙なく、正しい形での進行。それを彼は、自ら進んで破っている。
一方で、マスターである少女。サーヴァント共々、彼女は見てくれを偽装している。正しくは、相手の知覚に作用する迷彩を施している。聖杯戦争に際して遣わされた管理NPC、誰の目にもそう映る筈だ。そして、それも嘘。彼女はれっきとした生きている人間であり、従えるサーヴァントはルーラーなどではない。
「この聖戦は劇的でなければならない」
口許が、笑みの形を取る。
蒼眼には野望の光が宿り、マスター……美遊・エーデルフェルトと言う名を持つ少女も、それに頷いた。
「君と私の願いを叶えるには、その熱が不可欠だ」
サーヴァント達よ、光を抱いて天昇しろ。
全て、全て、霊基も宝具も、戦意の内に蝋と溶かしたその果てに……
「勝つのは私であり、君だ。その為の共犯関係なのだから、当然だろう」
美遊・エーデルフェルトが、この男を相棒だなどと思った事は誓って只の一度もない。
その狂った思想や言い分には吐き気さえ覚えるし、此奴は討たれて滅ぶのが似合いの外道だとも理解している。
然しその上で、彼女は彼の共犯者だった。望むのは白紙、あるべき世界の形。
既に罪に穢れた身だ。後はもう、走り切るしかない。暗闇の中でもう一度、今度は自分に言い聞かせるように、美遊はゆっくりと頷いた。
そして――審判者、
ギルベルト・ハーヴェスと言う英霊は、そんな少女の想いさえ己の策に含めながら、微笑する。
最後に勝つのは自分だと、微塵も疑わない表情だった。自力で世界を捻じ伏せられる人種特有の、光に満ちた瞳だった。
断言しよう。聖杯戦争は破綻している。聖杯の恩寵が誰かの手に渡る事はない。――この男が、居る限りは。
【クラス】
ルーラー(セイバー)
【真名】
ギルベルト・ハーヴェス@シルヴァリオ トリニティ
【ステータス】
筋力B 耐久B 敏捷B 魔力B 幸運A 宝具B+
【属性】
混沌・善
【クラススキル】
対魔力:C
第二節以下の詠唱による魔術を無効化する。
大魔術、儀礼呪法など大掛かりな魔術は防げない。
真名看破:EX
全てのサーヴァントの真名及びステータス情報を"把握している"。
真名隠蔽能力を持つサーヴァントであろうと、例外ではない。
神明裁決:A
ルーラーとしての最高特権。
聖杯戦争に参加した全サーヴァントに対し、二回令呪を行使できる。
騎乗:B
騎乗の才能。大抵の乗り物なら人並み以上に乗りこなせるが、魔獣・聖獣ランクの獣は乗りこなせない。
【保有スキル】
光の奴隷:A++
大いなる輝きに焦がれ、その在り方を大きく破綻させた者だけが持ち得るスキル。輝ける狂気の象徴。
このスキルを持つ者は、他のあらゆる精神に作用するスキルや宝具の効果を受け付けない。セイバー程のランクにもなれば、比べ合いすら行わずにシャットアウトする。
性質としてはバーサーカーのクラススキル『狂化』に似通っており、現にセイバーはバーサーカーの適性も持つ。
更にセイバーが一定以上のダメージを負い敗北の淵へ追い込まれた場合、自身のステータスを立ちはだかる敵の強さに応じてランクアップ・「勇猛」を始めとした各種戦闘スキルをその場で獲得することが出来る。諦めなければ世の道理など紙屑同然、それを突き詰めた男に焦がれたセイバーもまた、最終的には彼と同じ結論に至るのだ。
・・・・・・・・
そう――全ては心一つなり。意志の力を前に、あらゆる道理はねじ伏せられる。
審判者の炯眼:A++
軍略スキルの上位互換。
幾十もの可能性を事前に想定して物事を進めることで、未来予知に等しい事態の予測を行うことが出来る。
戦闘に限らずあらゆる物事に対してこのスキルは発動可能。
彼を味方に付けた者はその炯眼の恩恵を存分に受けることが出来るが、然し驕るなかれ。
審判者は傑物だ。他人を手の平で踊らせるということにおいて、彼の右に出る者はない。
戦闘続行:A+
意志の怪物、光の亡者。
彼の中に戦意がある限り、致命傷を負っても悪夢のように立ち上がる。
霊核が破壊された後でも、最大5ターンは戦闘行為を可能とする。
無窮の武練:A
ひとつの時代で無双を誇るまでに到達した武芸の手練。
心技体の完全な合一により、いかなる精神的制約の影響下にあっても十全の戦闘能力を発揮できる。
セイバーの場合単純な武技もさることながら、彼自身の炯眼も相俟って恐るべき域に達している。
■■特権:EX
■■正■■■ーヴァン■■■■い。
召■■れ■■同時■聖■■■■■、■■■■テ■■改■■た舞■■■配■であ■。
■に、彼が■■戦■の■■ル■■■れる■■■な■。
彼のステータスはこのスキルにより、常時ランクアップ補正を受けている。
【宝具】
『楽園を照らす光輝よ、正義たれ(St.stigma Elysium)』
ランク:B+ 種別:対人宝具 レンジ:1~50 最大捕捉:1
衝撃の固定と多重化を自在に行う。
一度切れば十の斬撃が、二度殴れば二十の打撃が、というように、与えた衝撃を多重層化させたうえで相手自身の体や獲物、あるいは周辺構造物に付属させるという異能。
一合でも打ち合った瞬間、ギルベルトの意思に応じて起爆する見えない爆弾をいくつもつけられているようなものであり、術中に嵌ってしまえば当然回避は不能。
さながらそれは、彼の未来予知じみた先見と相俟った死の詰将棋。必罰の聖印。
本質を見破るのは言わずもがな至難の業な上に、ギルベルトという英霊が凡そ不得手な素養を持たないことも、能力の不透明さと異質さに拍車をかけている。
よしんば見破ったとしても彼自身の卓越した武芸と知慧、宝具自体の単純な強力さが審判者の心臓を幾重にも護る。
――この星光を攻略しない限り、審判者を打ち破るのは未来永劫、不可能である。
【weapon】
長剣
【人物背景】
光の英雄、クリストファー・ヴァルゼライドに魅せられた光の亡者。
徹底した能力評価主義者であり、実力のある相手には部下や敵対者であろうと敬意を払う公明正大な人物。
【マスター】
美遊・エーデルフェルト@Fate/Kaleid liner プリズマ☆イリヤ
【マスターとしての願い】
???
【weapon】
なし
【能力・技能】
この世界の彼女はカレイドステッキを所持していない為、基本的に戦う事は不可能。
彼女は生まれながらに完成された聖杯であり、その性能はオリジナルに極めて近い。
【人物背景】
世界を救う鍵。
世界を滅ぼす鍵。
神話を創る、鍵。
【方針】
???
■EX:創世神話――
これは、新たな神話を創る為の茶番劇。
ジャンルは当然、英雄譚(サーガ)以外に有り得ない。
されど、忘れるなかれ。
全ては前座。茶番なのだ。英霊と言う薪を、総て燃やしたその先に――創世の神話は、必ずや君臨するだろう。
最終更新:2017年05月28日 23:56