アブ・アイワークス
名前:Ub Iwerks
出生:1901年3月24日 - 1971年7月7日
職業:アニメーター・監督・プロデューサー・特殊効果技術者
出身:アメリカ
概要
1901年、父のアートと母ローラ・ワーグナーの間に生まれる。父のアートは素人発明家で、彼の発明した録音機器からアブは技術に興味を持つ。また、フィルムの世界も父から教わった。14歳の時にウィンザー・マッケイが発表した『恐竜ガーティ』からアニメに興味を持つ。しかしその直後、父が家族を捨てて家出したため、アブは学校を辞めて一家の大黒柱として仕事を始めた。18歳になると地元の美術学校に通って美術の仕事を求めた。
1919年にカンザスシティのペスマン=ルービン・コマーシャル・アート・スタジオに広告のグラフィックアーティストとして就職し、頭角を現す。一ヶ月後に入社してきた
ウォルト・ディズニーとは歳が近く境遇も似ていたことから意気投合。ウォルトと二人でIwerks-Disney Commercial Artistsを設立するが、二人とも
カンザスシティ・フィルム・アド・コーポレーション*に雇われる形で自然消滅する。二人はこの会社で広告用の動画を撮影する。
1922年、ウォルトは童話をモチーフにした短編アニメを作る
ラフォグラム社をスタートさせる。作品はカンザスシティの劇場で公開され、好評を博すが製作費は回収できなかった。ウォルトは一か八かでアニメと実写の女の子を合成した意欲作『
アリスの不思議の国』(1923年)を発表するが、アリスは救世主とならずラフォグラム社は7月に倒産。アブはアニメーションの仕事を辞めて地元の広告会社に就職する。
1924年、安定した仕事を得て美術部の責任者に昇格していたアブにウォルトから誘いの電報が届く。ウォルトは『
アリス・コメディ*』シリーズを開始させていたが、アブが抜けてからの品質を担保できずにいた。7月、アブは母親とカンザスを出発し、自動車で7日間かけてウォルトと合流した。アブはすぐにディズニー・ブラザーズ・スタジオ(現
ウォルト・ディズニー・カンパニー)のトップ・アニメーターとなった。
1927年、配給主
マーガレット・ウィンクラー*と結婚した
チャールズ・ミンツ*が実権を握るようになり、新たなアニメシリーズを要求する。アブが創り出した新シリーズ『
オズワルド・ザ・ラッキー・ラビット』は人気を博す。これに味を占めたミンツはウォルトの従業員を引き抜き、シリーズ続行を宣言する。契約上、最後の三作を“裏切り者”たちと作ることになったウォルトとアブは、オズワルドと同時進行でミッキーマウスのアニメーションを作り始める。
ウォルトはミッキーとは別にアニメーションの手法や音楽との融合を研究する『
シリー・シンフォニー』という新シリーズを開始する。次々とヒット作を生み出すも、ウォルトは世間の期待に応えるためにアブの担当していたアニメーションのタイミングにも口出しするように成る。パワーズはウォルトの作品のアブの役割を理解しており、アブの名前を冠したスタジオを設立し、給料も弾み、制作もアブに任せるという条件を出した。1930年、アブはウォルトが出張中の1月、ウォルトの兄
ロイ・O・ディズニーに辞表を提出した。最後に携わった作品は『
カクタス・キッド』だった。
ハリウッドに
アイワークス・スタジオ*の事務所を構えたアブは若者の育成をしながらも次々とヒット作を量産した。機械いじりが好きで、映像の遠近法を表現する
マルチプレーン・カメラ*の原型となるものをディズニーに先駆けて独自に開発した。アブは『シリー・シンフォニー』を意識したシリーズ『コミカラー』をスタートさせたが、ファンタジーというよりもミステリー・ゾーンというべき奇妙な世界観に配給元の
MGM*は頭を悩ませた。1934年にMGMとの契約が切れて独立すると、アブはスタジオを閉鎖し20年間にわたるアニメーター生活を終えた。
1940年、ディズニーはフリーになったアブを再雇用し、アブは自分の得意な技術革新を担当することになった。当時スタジオでは
プロパガンダ*映画が要求されており、予算は少なかった。アブの技術革新は既存の技術を凌ぎ、大幅なコスト削減に貢献した。
『
101匹わんちゃん』(1961年)では、アニメーターの描線をそのままセルにコピーできる技術を確立。スクリーン上を大量のダルメシアンが走り回るという非常に時間のかかる作業を実現できるようになった。『
メリー・ポピンズ』(1964年)ではマット合成の開発で
アカデミー特別賞*を受賞した。アブの技術は高く評価され、アルフレッド・ヒッチコックからは『鳥』(1963年)の合成技術のオファーを受けた。
アブは映画以外にもテレビ向けの電動編集システムやウェットゲットプリンターも開発。
ディズニーランドの開園当初のほぼすべての施設にも何らかの形で携わった。
オーディオアニマトロニクス*や、360°のスクリーン、3Dプロジェクションにも関与している。
孫にはドキュメンタリー監督の
レスリー・アイワークスがおり、ディズニーやアイワークスに関するドキュメンタリーも手掛けている。
担当作品
最終更新:2024年10月16日 23:58